袖振れ合うも多生の縁427~全校生の8割が登校拒否したことがあるという、福岡の立花高校の存在は日本の希望の星です!~
先日、NHKのラジオ深夜便を聞いていたら、立花高校の校長ちゃんが出演されていました。校長先生にちゃんづけなんて失礼やないか!とお思いでしようが、この高校の生徒さんたちは校長さんのことを親しみこめて校長ちゃんと呼んでいるのです。下の写真は校長ちゃんの齋藤眞人先生です。何とも穏やかな安らかな優しいお顔であられますね。
さて、ワタシはラジオ深夜便で校長ちゃんの話をお聞きし、嬉しくなりました。「日本の教育も捨てたもんやないなあ」と。それで立花高校のことを調べてみましたが、同校が監修した本があることを知り、Amazonで早速買い求め、一気に読みました。
帯に書かれた『一人の子を粗末にする時教育はその光を失う』という言葉は、立花高校創設者安部清美先生(1900~1984)の信条である教育格言です。安部先生は大正から昭和にかけて福岡県福津市の神興(じんごう)小学校で教鞭をとられており、当時「神興教育」として全国的に注目を集め、この言葉は校庭に「神興教育の碑」として刻まれています。又、同和教育の前例となる「融和教育」にも取り組まれたそうです。いゃあ、戦前に同和教育をされるなんて、どれ程のご苦労があったことでしょうか。そんな安部先生は、終戦後日本の教育はどうなるのかと大いに不安を抱かれ、心ある教員達と高等学校を設立しようと決意されたのですが、GHQの戦犯審議対象者となり、頓挫せざるをえなくなったのです。しかし、後に国連大学の学長になられた審議官ヘタス氏が、安部先生は民主的教育者であると査定評価されたので追放を免れ、12年後の唱和32年にようやく明林高等学校として開校にこぎ着けられたのです。この明林高校が、立花女子高校となり、更に立花高校となったのです。因みに、安部先生は福岡県教育長も参議院議員も務められ、東洋のペスタロッチ(スイスの教育実践家で、孤児院の院長をも勤めた。フランス革命後の混乱の中、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事)と言われるほど多くの教育者に慕われた方だったそうです。
1973年(S48)に立花高等学校と改称した頃、学園紛争の余波を受け生徒数がなんと3名になってしまい経営が破綻、教職員に給与を払えず、家庭科の授業で余った毛糸玉2つが給与代わりに支給されたのです。えー、そらないやろ。センセ方どないしてメシ喰うていくねん。学校が終わってからバイトしてたそうです。先生方はそうまでしても教師を止めようとしなかった。
「教育者たるもの、目の前に5千人の生徒がおろうが3人やろうが同じやないですか。ここで私たちがあきらめたら、この先はどうなるとですか。最後のひとりになっても諦めちゃいかん。」
こんな先生たちの篤い思いに、当時の校長は号泣されたそうです。創設者安部先生の『一人の子を粗末にする時、教育はその光を失う』という思想が多くの先生方に浸透していたんですね。
こうした経緯があり、1970年代後半全国から中途退学者を受入れ、1990年代になると不登校の生徒たちを受け入れるようになったのです。
フリーライター佐々木恵美さんの校長ちゃんへのインタビュー記事(東洋経済オンライン)や 上記の同校監修著書をワタシなりに要約させて頂きますと・・・
「立花高校は入試で名前を書けば入学できるらしい」。福岡ではずいぶん前からそんな噂が広まっているが、それは事実で、齋藤眞人校長は、このように仰っています。
本校の生徒の約8割は小中学校で不登校になり、障害のある子もいます。そんな子たちがうちの高校に来たいと頑張って試験を受けてくれる。優劣をつけることなんて、できませんから。
入試前お母さんから電話がかかってくることがあります。「入試に私服で行ってもいいでしょうか」と。久しぶりに子どもが中学の制服を着たら、入らなかったそうです。きっと何カ月も、あるいは何年も登校していないのでしょう。外出自体が数カ月ぶりという人だっています。それが親子にとってどんなに大きな一歩か。私たちはもちろん「私服でどうぞ」とお答えします。来てくれるだけで素晴らしいじゃないですか。
入試の日、学校前の長い坂道で緊張のあまり吐いてしまう子もいました。
すると別の子が背中をさすって励ましていました。その光景を見て胸が熱くなりましたね。
当日の朝、「どうしても子どもが家を出ない」という保護者からの電話があれば、前は職員がご自宅まで車で迎えに行っていました。でもそれはやめました。無理して車に乗せるのは違うと思ったから。今は「本人が来ようと思うまで待ちましょう。私たちは来年でもいつまでも待ってますから」と伝えています。
保護者だって本人だって、つらいんです、頑張っているんです。だから入試の日、私たちは祈ります。
「頼むから学校に来て、そして名前を書いて」と。そうすれば、あとは一緒にやって行こうという思いでいます。
「できないことを嘆くより、できていることを認め合う」、これが原点です。われわれは厳しく「あいさつしなさい」なんていう指導はしません。その代わり、生徒を愛おしいという気持ちで教職員が生徒に声かけをしていたら、生徒たちも自然とあいさつしてくれるようになりました。
本校に赴任した時、それまで他校で経験してきた教育環境とはまるで違いました。中でも、生徒と教職員の距離の近さや考え方にショックを受けましたね。例えば濃い化粧をして登校する女子生徒がいて、学校のルールでは化粧はNG。だけど先生たちは「あれは自己防衛やけんね~、あの子は化粧外したら来れんくなるけん、よかよか」と。一人ひとりに寄り添う教育って、こういうことだと思いました。
まさにこの言葉通り実践されているんですね。でも、折角入学しても不登校になってしまう子もいるので、1996年には公民館で不登校生の為の学校外教室を開設し、現在は5ヶ所で行っている由。それから、2003年に単位制が導入されています。この制度は、立花高校の教育方針を端的に示す合言葉「パイルアップ」に基づいています。再び校長ちゃんの弁をお聞きしましょう。
「パイルアップ」とは、「積み上げる」という意味で、不登校生徒の自立を支援する体制になっています。その一つは、全日制・単位制・2学期制であること。単位制なので留年がなく、取得した単位はなくならずに何年かかっても卒業を目指せます。また2学期制で春と夏に入学・卒業できるため、他校をやめて本校へ入学したい人が春まで待たずに「入り直す」ことができます。通常のクラスで授業に参加するのは苦手でも、登校はできる生徒には、1~3年まで混成で生徒の学びを支援するサポート教室があります。ここが居場所となり、元気に登校できるようになった生徒もいます。家庭から学校までのステップとして、「学校外教室」もあります。登校が難しい生徒のために、県内の公民館など5か所に教師が出向いて授業を行い、出席日数としてカウントします。
それから、卒業はしたけれどすぐに働くのが困難な卒業生をサポートする為、2012年にNPO法人「パイルアップ」を作りました。以前からお弁当屋さんで卒業生が働ける仕組みを作っていましたが、この年からこのNPO法人が校内でカフェラウンジ「Mama's Cafe」を営業し、そこで働いてもらっています。ここで自信がついたら、社会へ出て働いてほしい。また、社会福祉法人と業務提携して、2014年には学校の敷地に共同作業所「キャリアワーク立花」を開設し、卒業生の自立訓練にも取り組んでいます。
NPO法人「パイルアップ」や作業所「キャリアワーク立花」を設立しようとされた背景には、あるエピソードがあったのです。それは・・・
同校監修著書によりますと・・・
福岡市近郊のある中学校から、立花高校に「立花高校のよさこいがカッコいい。教えに来てください」とのメールが来たので、よさこい部の生徒達を連れて出かけて行き、一緒に踊ったのです。中学校の先生方もとても喜んで下さり、シュークリームを差し入れて下さった。
そしたらよさこいメンバーの2年生の女の子が、「校長ちゃん、ティッシュペーパーもっとる? 弟に持って帰ってあげたい」って。自分は我慢して弟に食べさせてやりたいなんて、本当に優しい子だと嬉しくなり、「自分のは食べなさい。先生のを持って帰っていいよ。」と言ったけど遠慮するので「いいからいいから」とあげたんです。
そしたらその子、パクッと一口食べた瞬間、椅子から立ち上がって「わぁ、美味しい!うち、シュークリーム始めて食べた!」って叫んだんです。私と体育の先生は、トイレに駆け込み号泣です。この子、17年間シュークリームを食べたことなかったんです。初めて食べられるその1個を弟のためらに持って帰ってやろうとした子なんです。
ティッシューで包んだシュークリームを大事に膝の上にのっけとるんですね。「あんた、優しいねぇ」って言ったら、こう返ってきました。「でもね、校長ちゃん、わたし中学の頃ね、”優しいだけじゃ社会に出て通用せん”って言われた」って。
私は誰か知らんがそう言った大人にむしように腹が立ち「なん言いよっとか。そのままでいいんよ」って声かけたら、彼女がボロボロッと涙を流しながら「校長ちゃん、うち変わらんでいいと?」って。「うち、社会に出るのがこわい」って言ったんです。私は泣きながら「大丈夫よ。あんたのその優しさはね、社会に出たと時、みんな可愛がってくれるよ。心配せんでいいよ」と言いました。
学校に帰ってすぐ進路指導室に走っていって、「進路指導やめよう。求人票に合うように子どもたちを変えるんじゃなく、子どもたちに合うような求人票を見つけよう。そういう求人を出してくれる会社を1社でもいいから見つけていこうって、みんなで話し合いました」
ワタシはこの話をラジオ深夜便で聞いたのですが、思わず泪してしまいました。哀しくて、そして校長ちゃんたちの取り組みが嬉しくて。
かくして立花高校は、卒業生の就職支援NPO法人ゃ作業所を開設するだけでなく、地元企業に働きかけ、賛同して下さる方々が激増している嬉しい状況だそうです。
ワタシの母校は受験教育一辺倒(?)の進学校で、ワタシが卒業してから60年、立花高校60年の歩みとわが母校の有り様を照らし合わせるにつけ、何故か深く沈んでしまうワタシなのです・・・。