袖振れ合うも多生の縁354~悟るということは、ただの人になることなのです!~

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唐突ですが、この絵は浄土教の教えを説く「二河白道図(にがびゃくどうず)」です。どのような教えなのか、PCのコトバンコクを検索してみますと・・・
<浄土教で阿弥陀仏の救いを説く比喩。火の河と水の河を人の貪欲と怒りにたとえ、この間にある白い道が極楽に通じる道で、往生を願う信心にたとえる>
と説明されていました。極楽往生を願う浄らかな信仰心を白い道に例えているのですね。ま、何となく分かるのですが、私は前回のブログで書かせて頂いた<風のつどい>の町田宗鳳師が、以前放映されたNHKの「心の時代 法然を語る」で仰っていたことの方がストンと納得出来たので、それを紹介させて貰いますが、このような訳で、今回も町田宗鳳師の話なのであります。
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さて、「こころの時代 法然を語る」の最終回「日々新た」、師はこのように仰っています。

浄土教の方に「二河白道(にがびゃくどう)」という非常に分かり易いたとえ話があって、一方には水の河があり、一方には炎の河があり、その中に一本の白い細い道が通って仏の世界に行くというお話なんです。私たちは劣等感という水の河、優越感という炎の河(火の河)、その両方に落ち得ることなく、本当に自分の進むべき道を真っ直ぐ進んでいく。それによってやっと彼岸に達する。彼岸に達するというのは、「ただの人になる」ということです。

師は又、「あなたを救う法然のことば」という著書で、このように書かれています。
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仏教には、「増上慢(ぞうじょうまん)」「卑下慢(ひげまん)」という2種類の慢心があると教えられています。前者は、自分が他人よりも偉いと思い込むことであり、後者は自分が他人よりも劣っていると思い込むことです。二つとも、エゴにこだわる者が陥る心の奢りなのです。

そうか、思い上がったり、へりくだり過ぎんと、ただの人になったらえゝえんや・・・そやけど、ただの人になるって、簡単なようで難しく、難しいようで簡単かも・・・。処で、師は同番組の5回目「念仏とは何か」で、西田幾多郎(写真下)の哲学概念のひとつについて述べておられます。
西田幾多郎1.jpg

「逆対応」、それはどういうことかと言えば、人間が小さければ小さいほど、エゴが小さくなればなるほど神の力が大きく現れてくるという。自分を小さくすればするほど、神の救いが大きく現れてくる、というのを、西田幾多郎は禅の実践者でしたから、禅の世界で言えば、自分が無になった時に、仏法というものは如実に現れてくる、と。そういう体験から彼が生み出した言葉だと思うんです。

成る程、この逆対応という仏法の真実をご理解されてない宗教者って結構多いですよね。ワタシの実家の旦那寺のお住持さんなんかも法事の時の説教が上から目線で、聴いててホンマしんどかったですわ。いやいや、お住持さんの悪口やなしに、他山の石とせなあきませんわな。

Nisida漫画.jpg

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そやけど、西田幾多郎さんて凄いですね。切手になってるし、漫画にも描かれてるんですね。よーし、漫画から西田哲学に入門してみるか・・・。

袖振れ合うも多生の縁353~50年来の朋を誘い、町田宗鳳師の『風の集い』で「ありがとう禅」に参禅してきました!~

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先週の土曜日、友人K君と『風のつどい』の「ありがとう禅」に参禅してきました。と言っても、御殿場にあるありがとう寺(写真上)ではなく、茨木市の茨木神社で開かれた集いなのですが。
この集いは、富士山麓の「ありがとう寺」なる無宗派寺院のご住職で、比較宗教学の学者さんで、日米の大学教授(現在はリタイアされ名誉教授)で、何十冊もの著書を上梓されている著述家で、尚かつ禅宗のお坊様で天台宗の大阿闍梨でもあられる町田宗鳳師が主催されているのです。
大体宗教的会合は、出来るだけ大勢の人たちを集め組織化しょうとするものが多いのですが、この「風の集い」は名前が示してるように、風の如く来て風の如く去るのが趣旨で、予約も住所氏名の登録も必要なしなのです。こんな会は珍しく、風来坊的なワタシにぴったしやと思てます。

ありがとう寺の山羊さん3.jpg
さて、左の写真はありがとう寺で瞑想修行に励むメエメエさんです。

お前、何言うてんねん、山羊がそないなことする訳ないやろ!?

いや、「風の集い」は最初に宗鳳師の法話と質疑応答があるのですが、その時の話をご披露します。

「うちの寺に来た山羊のめいちゃんは寝てる時以外、いつも黙々と口を動かし美味しそうに草を反芻してますが、これはまさに<食べる瞑想>だと思う。」

と宗鳳師はこう仰ったのです。
又、師はブログにこのように書かれておられます。

朝、護摩堂で木魚を打ちながら読経していると、「めいちゃん」がガラス越しに私の顔を見つめています。その光景を見ていると、人殺しをして平気な人間もいるのに、むしろヤギに仏性があるのではないかと思えてきます。禅の有名な公案に、「狗子(子犬)に仏性有りや無しや」というのがありますが、正解は「ヤギに仏性あり」でした。

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しかし、臨済宗妙心寺派福聚寺のご住職で芥川賞作家の玄侑宗久さんは・・・

「わが寺の愛犬(写真上)を見ていると、禅宗の坊さんよりずっと禅的な生き方をしてると思う。食べるものも毎日同じドッグフードなのに、いつも今日初めて食べるかのように新鮮な感覚で食べているし、散歩も毎日同じコースなのに日々是新た、初めての道のように喜んで歩いてるのを見ると、感動すら覚える。」

と何かの本に書かれていました。

ですから犬にも仏性はあるのでしょうね。いえ、生きとし生けるものすべて、仏性を持って生まれついている・・・ワタシはそう思うのであります。
さて、法話と質疑応答が終わると、休憩をはさんでいよいよ「ありがとう禅」ですが、その模様は以前、確か今年3月頃書きましたので割愛させて頂き、今回ワタシに起こった現象を書いておきます。
それは、参禅しておられる皆さんの声がF・Oし、やがて消えてしまい、その後自分の声も聞こえなくなってしまったのです! これってワタシの耳の錯覚なのか、それとも老化による難聴なのでしょうか・・・?
このことを禅が終わり、各人が感想を述べる時に申しますと、宗鳳師は、無音マイクのしくみと同じことが起こったのでしょう。と仰ったので、帰宅後一寸調べてみました。
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上の図は、無音マイクのノイズキャンセリングの仕組みを表したものですが、音は音波ですから、この音波に対して形がそのまま正反対の音波(逆位相という)をぶつけると、2つの音波は打ち消しあって消滅するのです。プラス1とマイナス1を足すとゼロになるようなもので、騒音の音波に対して、逆位相の音波を重ね合わせることで、騒音の音波を消してしまい、騒音を拾わないマイクになるというわけだそうです。
つまり皆さんの声の音波に対して、ワタシが逆位相の音波を出していたということなのです。このような現象は、私は毎朝大払えの祝詞を称える時、心に染みいるようでお気に入りであるクリスタルボウルの演奏CDをかけているのですが、CDから流れてくるクリスタルボウルのサウンドが消えてしまうことがあったので、これも同じ原理なのだ!と納得した次第です。(しかし、この現象と逆の共鳴が起きる時もあり、ワタシの声とクリスタルボウルの響きが共鳴・増幅し、快い波動に包まれることもあるのです)
クリスタルボウル3.jpg
酒井知里さん2.jpgさて、私を癒してくれるクリスタルボウルは、ありがとう禅でも使われています。
クリスタルボウル演奏家の酒井知里さん(写真右)が要所々々で奏でて下さっているのですが、ありがとう禅の締め括りとして、師が菩薩を褒め称える言葉である偈(げ)というか、頌(じゅ)というか、有り難い詩句を称えて下さるのです。
私たちは黙してひたすら聴くのですが、師のおごそかにして暖かく又厳しいお声が、クリスタルボウルの神秘的な響きと相俟って、私たちはえも言えぬ荘厳な波動に包まれるのです!
この波動に包まれ、私は本当に参禅して良かったと思うのであります!

そうそう、リスタルボウル演奏家の酒井知里さんは、先日越前市で開かれた武生国際音楽祭に参加された由。この武生国際音楽祭は世界的名声のミュージシャンが集結し、超一流の演奏が奏でられたのですが、酒井さんは音楽祭の第二会場である天台宗寺院で、生け花に合わせ、サクソフォーン、笙、クリスタルボウルの三重奏にジョイントし、細川俊夫音楽監督をはじめ、多くの方々から絶賛の言葉を頂いたとか。(写真下は宗鳳師と酒井さん)
宗鳳師と知里さん.jpg

最後に、「ありがとう禅」の根本理念を、師のHPからワタシなりにまとめさせて頂きます。

人間性の核心には真意識(魂・仏性・聖霊・インナーチャイルド)という光の塊がありますが、それを通すレンズ(潜在意識)が歪んだり、曇ったりしていれば、現実というスクリーン(潜在意識)に映し出される現象も激しく歪んでしまいます。 したがって潜在意識の歪みを是正し、それを磨いていけば、おのずから目の前に展開する現実が、穏やかで幸福感に満ちたものに変化してきます。
「ありがとう禅」は、只ひたすら「あ~」「り~」「が~」「と~」「う~」と反復発声するだけで潜在意識の干渉がなくなり、顕在意識と真意識が直結する「精神統合」が可能となる、「声の力」によるメモリー・クリーニングなのです。

袖振れ合うも多生の縁352~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅲ)

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2018年11月末に出版された佐藤愛子さんの『冥界からの電話』は、現在もひそかなブームになっているようです。この世にとどまっている死者から電話が、又あの世から電話がかかってくるという、このノンフィクションは果たして本当なのか、それともあの世に行けない地縛霊からの電話やあの世に行った霊からの電話と称する嘘をつき続け、その虚構を真実と思う心を病む人間が為す茶番なのか、私なりに考えてみたいと思います。
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死んだひふみなる女の子から電話がかかり続けている高林先生の友人で精神科医池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に嘘つき病と言われている精神病であるひふみが、自身と兄の二役を演じているとのことですので、このケースの場合、ひふみはどんな心理であるのかを先ず考えてみましょう。

ひふみは高林先生の講演を聞き、

<感動したので教師になろうかと思っていたが、進路を変更し医師になりたいと決意した>

との手紙を書き送ってたとのことですが、赤字の部分は嘘ではないでしょうか。殆どの生徒がダサイ話・・・と白けて聞こうともしないのに、汗をかきかき懸命に話し続ける高林先生を、ひふみはちょっとカワイイじゃんと思った程度でしょうが、でも思慕の念のファーストステップだったのは間違いなく、日がたつにつれ初めの想いが膨らみ、恋する乙女の虚構を生き始めたのでしょう。そして手紙に苗字を書かず名前だけを書き、そして携帯の番号をさりげなく書き添え、繋がりを持ち続けようとしたと思われます。
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医者を志望するひふみを励ますべく高林先生は時々電話し、二人の会話の中で虚構は少しずつふくらんでいくのです。ひふみが電話で先生に話したことを要約すると・・・

<自分にはK大医学部在学中の兄がいて、親は二人も医大にやるのは学資が大変だから、自分は国公立の大学でないとやらせて貰えない。だから頑張って偏差値を上げないといけない・・・と猛勉強を始め、ぐんぐん偏差値がアップし、見事国公立の某医大に合格した>

と彼女は誇らしげに語るのです。

これって、一寸可哀相な私を頑張って超え、ステキな私になったという、よくあるパターンですよね。でも、ひふみか先生か、どちらが言い出したのかわかりませんが合格祝いに食事を・・・ということになるものの、ひふみは待ち合わせにやって来なかったのです。高林先生は、いまどきの若い子にからかわれたのかな・・・と苦笑せざるを得ませんでした。しかしこの後、虚構は爆発的に広がります。

ひふみの兄と名乗る人物から高林先生に電話がかかり、

<妹は先生との待ち合わせの日に交通事故で死亡した>

と青天の霹靂、思いもかけぬ事態が告られ、先生は驚愕するのです!
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ひふみは電話でなら、俳優が役を生きるように、医大合格の虚構を事実のように信じ込んで演じ、合格祝いの待ち合わせを約束出来たのでしょうが、電話を切ると逢って嘘をつきとおす程には精神を患っていなかったので、待ち合わせに出かけられなかったのでしょう。しかし、そのままコンタクトを断つには心残りで兄と偽り電話し、事故死した悲劇のヒロインにジャンプしたのでしょう。兄からその後も電話があり、ある夜かかってきた電話の最中、兄は気を失いひふみがとって代わったのです。

ひふみは、
<自分が死んだことは分かっているものの、この世を去り難く親の家に居着いている。そして先生とお話したいけど、兄の声を借りないと電話出来ないので、実家を離れ下宿している兄を家に呼び戻し電話させている>
と、心霊研究をしている高林先生の興味を掻き立てるのです!

しかも、ひふみは地縛霊になっているというのです!

死んだらハイそれまでと思っておられる方も多々いらっしゃるでしょうから、そんな方達には地縛霊なんて眉唾でしょうね。でも、偶然下の写真を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
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亡くなった浮浪児の地縛霊が写っていたというもので、「ボクを見捨てないで」とキャプションがついていますが、少年の身体と階段が折り重なって写り、これって信憑性大(?)かな?

話を元に戻しますと、筆者は上記のひふみの言(赤字部分)は虚構だと思うのですが、あながち嘘とは言えない状況で、それは兄の電話の声がひふみに代わる直前、

バキーンと大木の倒れるような音が響き、電話を受けている高林先生の部屋の灯りが消えたのです。先生はブレーカーが落ちたのかとチェックしたのですがそうではなく、他の部屋もご近所の灯りも消えていないのです。

部屋の電気は消えたものの、すぐ元通りに点灯し、そして何と、ひふみの声が聞こえてきたのです!

ミュンヒハウゼン症候群の人が電話先の家の灯りを消すなど、超常現象を起こす力があるとは考えられませんから、高林先生も相談にのっている佐藤愛子さんも、この超常現象故にひふみは本当に亡くなり電話してきたと思えてならなかったのです。それだけでなく、兄は先生にひふみの気持ちを語っていたのです。

以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・

好きな人がいる云々は本当だけど、兄に語ったのは虚構ですし、高林先生の名は圭吾で兄の名は圭太郎という一字が同じというのも勿論ウソで、先生と何か因縁づけたい、繋がりを持ちたいという思慕の表れでしょうね。

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それから又ある時、高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのです。
10日後にかかってきた電話でひふみは、

先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・

と話し出したのです!驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・東京ばな奈とお茶」と答え、ひふみの家は何処か知らないが、あの子は私が供えたお茶と菓子の香りを感じてくれたんだ・・・と感嘆したとか。

とても甘い、おいしいお茶でしたそれに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生は、ひふみにも兄にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのと、先生の声(読経の声か?)がして・・・というのは本当なのか、幻聴なのか分かりませんが、東京ばな奈が大好きというのはウソっぽいですね。

それから兄に代わり母親が電話してきた事もあり、これは母親ではなくひふみが母親を演じているのでしょう。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったから母親にかけさせたとひふみは言ったのですが、これはひふみが;霊媒師の漫画本を読みかじり、霊媒をすると疲労する事を知ったからなのか、それとも自分が兄を演じた後はかなり疲れると思ったからなのでしょうか。
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高林先生はひふみが母親をも霊媒として使うようになったので何とかしなければと決意し、電話のかかるのを待ち続けていました。そして待ち受けた電話がかかったので、精一杯力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く説いたのです。

わかった、わたし、行くわ。

ひふみは先生の熱意に打たれ、地縛霊を止めようと本当に思ったのでしょう。
この後、ひふみからは長らく電話がなく、先生は本当にあの世に旅立った・・・と安堵したのです。
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ですが、数ヶ月後電話がかかってきたのです。しかも兄や母親が媒介でなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!そして彼女の語るところによれば、

なんだか先生に呼ばれてるような気がしたので、電話したの

と言うのです。「呼ばれてる気がしたから電話した・・・」と言うのは自分からかけると安っぽく見られると思ってのことでしょうし、兄や母を演じないで自ら電話したのは、自分はあの世のランクが高い処に上がっているから兄や母を媒介としなくてもよい霊力を持っている・・・と考えてのことでしょうか。私がそう思う根拠は、

・・・わたしを導いてくれてるのは、見上げるように大きく、髪を長く背中に垂らして黒い舟のような形の木の靴を履いて、勾玉の首飾りをしているの

と言うひふみの言葉からです。ひふみにそう言われて高林先生は、そのお方は天照る大神ではないのか!? 彼女は霊界よりずっと上の階層である神界にいる!と興奮してしまいます。

先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの途中、電話が唐突に途切れてしまいます。根掘り葉掘り聞かれひふみは戸惑い、神界のことを用意周到に調べてなかったので答えられなくなり電話を切ってしまったのでしょう。
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神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていたのですが、数週後電話がかかってきたのです。でもひふみではなく兄からでした。自分からでなく兄を装い電話してきたのは、前回唐突に会話を打ち切ってしまった心のわだかまりなのでしょうか? それは兎も角先生は、

「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」

そう意気込んで言ったものの、良い歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、エクスキューズを口にしたのです。

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だから彼女からの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来ました。兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし先生とお話しするのが楽しかったから・・・楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・

この彼女の述懐は本音ですね。

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、

これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!?

高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大の知人に調べて貰うと、そんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまう有様でした。それやこれやを考えると、高林先生も愛子先生も、ひふみは矢張りミュンヒハウゼン症候群だったのではないか・・・と悔しいけれど、残念だけど、そう思えてしまうのです・・・。

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その後、ひふみから電話がかかってくるとはなかったのですが、兄から電話があり、その際高林先生は、キミはK大に在籍していないじゃないか!?と問いつめたのです。すると兄はしれっと中退したんですと・・・そんな態度に些か腹が立ち、退学したことをご両親はご存じなのか!と詰問すると、ぶすっと無断で・・・との返答。親の心子知らずとはこのことだ!と些かならず立腹し、勝手気儘も程々にしなさい!と怒鳴りつけてしまったそうです。それで電話が切れたのですが、ひと月近く経った頃兄から電話があり、今迄と違い真面目に礼儀正しく謝ったとか。

先生のようにあんなに一生懸命怒ってくれる人は、今まで一人もいませんでした。生まれ初めて怒られました。親父からあんなふうに怒られたことはありません・・・

と涙声になり絶句したそうです。この謝罪は嘘でなく、真摯なものでしょう。

尤も兄であるというのは虚構でしょうから、ひふみの本当の心情でしょう。高林先生は今ならまだ復学可能だよとやり直しを勧めたのですが、

ぼくは・・・もう後戻りできません。進むしかないんで・・・このまま進みます。

と涙ながら決意を語ったとか。これも兄の言葉ではないから復学するしないの問題ではなく、高林先生にすべてを明らかにすることなく、このまま進む、先生とさよならする、でも嘘つきは止めます・・・というひふみの告白だと私には思えるのです。これ以後、兄からは勿論ひふみからも連絡は無いそうです。

此処まで結構長くなってきましたが、最後に、私にはこの「冥界からの電話」が、ミュンヒハウゼン症候群という心を些か病んだ女の子の演じた虚構に過ぎないとは思えないのです。然らば何なのかというと、

『高林圭吾よ、審神者(サニワ)たれとの神意に依る虚実皮膜なる疑似体験及びミュンヒハウゼン症候群治癒、癒しへの歩みである』

と推論したいのです。つまり、舟木ひふみちゃんは高林先生がサニワになる為に遣わされ、先生はサニワの道を歩み始め、ひとみは虚言症から癒されるという、すべてのことには意味があるという精神世界のスピリチュアルな事例ではないでしょうか。

え、そんな推測、ワンちゃんも笑ろてるがな。そらどうも、スイマセン。

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あ、そうそう、佐藤愛子さんは締めくくりに「チベット死者の書」の一文を書かれています。

死ぬことを学ぶことによって
汝は生きることを学ぶだろう。
死ぬことを学ばなかったものは
生きることを何も学ばずに死ぬことになるだろう。

これって深~い意味がありますよね。現在日本は平均寿命が益々のびているものの、<生きること>のみを想い、<死ぬこと>に想いを馳せていません。ワタシは佐藤愛子さんの「冥界からの電話」を読みブログを書くにあたって、<死>について少しは考えさせられました。ではでは、長々とお疲れ様でした、ハイ。


袖振れ合うも多生の縁351~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅱ)

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前回に引き続き、佐藤愛子さんの『冥界からの電話』です。著書の帯にありますように、信じるも信じないもあなたの自由です。
さて、前回は死んだひふみという女の子の霊が、高林先生という霊魂の研究者にして医師の説得で、この世に別れをつげあの世に旅立ったところ迄でした。彼女の霊魂は無事あの世に行き着けたのか、ひふみから電話がなく、高林先生は、「やっぱり本当に行ったんですなあ・・・何も言ってきません」と佐藤愛子さんに述懐し、安堵しているけれど一抹の寂しさを隠せないようでした。
しかし数ヶ月後、電話がかかってきたのです。しかもお兄ちゃんを媒介にしてではなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!

そして彼女の語るところによれば、先生に呼ばれてる気がしたので電話したと言うのです。そう言われてみると、ひふみちゃんどうしてるかな・・・と高林先生はぼんやり思っていたような気もするのです。彼女は地上にいる人の気持ちに呼応出来るようになっている・・・と些か感心したのですが、そんなことよりもっと感心した、いえ感嘆した、いえ感動したのは彼女が霊界より上の階層である神界にいるようなのです!

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高林先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの最中、電話が唐突に途切れてしまいました。根掘り葉掘り聞かれてひふみは戸惑い、交信を打ち切ってしまったのでしょうか。

神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていました。数週後かかってたのですがひふみではなく、兄からでした。
「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」
そう意気込んで言い、いい歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だからひふみちゃんからの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来たのです。
兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

「先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし、先生とお話しするのが楽しかったから・・・生きてた時も、死んでからも、先生とお喋りするのが、大好きだった・・・先生と喋ってると、やっぱり昔生きてた頃のことが思い出されて楽しいの、楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・」

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、
「これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。
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そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。
あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!? 高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大問い合わせるとそんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまうのでした。
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これはもしや、嘘???と訝った高林先生は、友人で精神科医の池上先生に相談したのです。すると池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に言う<嘘つき病><法螺吹き男爵病>を患う人物の仕業の可能性大だと言うのです!? ミュンヒハウゼン症候群とは、法螺話が面白く法螺吹き男爵として読み物にもなっているミュンヒハウゼン男爵の名をとった心の病いで、自分が吐いた嘘が本当のように思えて、虚構を現実として生きる精神病なのです。
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しかも池上先生は、「女一人の仕業だ。ひふみと名乗る女が兄との二役を演じているんだろう。」と推測するのです。

「一切合切嘘、すべて、全部、何から何まで嘘だったというのか!? そんな、そんな、ひふみちゃんがそんなことを!? 私がひふみちゃんの為に東京ばな奈を供えたのをあの子は言い当てたじゃないか! お芝居でそんなこと出来る筈がない!」

高林先生は納得出来ませんでした。佐藤愛子先生と繰り返し何度も話し合いましたが、どうにも真相を推し量ることがでないのです。そんな訳で愛子先生は、『冥界よりの電話』を書き上梓し、広く意見を求めておられるようです。
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ほら、著書の装幀は、この写真では分かりにくいですが、渦巻き模様になっていて、疑惑が渦を巻いていることを表そうとしているのです。ですから、次回は私なりにこの騒動を分析してみたいと思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁350~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?

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「これで最後。書かずにいられなかった」と仰る95歳の現役作家佐藤愛子さんの『冥界からの電話』(新潮社)を一気飲み、いえ超スピードで読破してしました! スピリチュアル人間のワタシには興味津々、但し4章迄で、最後の5章はどんでん返しというか、えーってな感じではぐらかされたというか、うーむ、そうか・・・総て記述は事実、内容にはいささかの虚構も誇張もありませんと筆者が冒頭に書かれているのですから、この終末もしゃあないわなぁと思った次第であります。こんなことをいきなり書いても、このブログを今読んでる方には何のこっちゃようわかりませんわな。そやからぼちぼち分かるように書き進めて参ります。この本は佐藤愛子さんが友人の高林医師(仮名)からお聞きになった、死んだ人から電話がかかってくるという摩訶不思議な体験談です。


処で、佐藤愛子さんは40数年前にアイヌの人々の霊地ともいうべき大事な北海道浦河町の大地を切り崩し山荘を建てた為、その山荘で数々の超常現象に悩まされた経験があり、それ迄は神も仏もあるもんかと思っておられたそうですが、人知の及ばぬ霊的な神仏の世界に目を開かされたとか。
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『冥界からの電話』の主人公高林医師は、心霊現象に関する科学的研究を目的に設立された日本心霊科学協会の会員で、心霊現象に造詣深く、心霊を盲目的に信じるのではなく科学的に研究しておられたので、山荘の超常現象に苦しんでいた愛子先生の相談に乗り、長年にわたり支えて下さったのです。ですから愛子先生は、死者からの電話という話を打ち明けられた時、それを信じて相談相手となり、その顛末を綿密に書き綴り、『冥界からの電話』を上梓されたのです。

さて、ことの発端は高林先生が教育委員会に頼まれ高校生達に、自分が医師を志した動機について講演から始まります。
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唐突に、宮沢賢治さんの写真と賢治の詩「この夜半おどろきさめ」が出てきましたが、高林医師は17才の時、この詩に出逢い感動して医者になろうとしたのです。


この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
ああまたあの児が咳しては泣き
また咳しては泣いて居ります
その母のしづかに教えなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます

あの室(へや)は寒い筈でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくぐり
昭和三年の十二月
私があおの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私のこの日照る広いじぶんらの室を与へ
自分らはその暗い
私の四月病んだ室へ入って行ったのです

そしてその二月
あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡そ(およそ)倒れたり落ちたり
そんなことで泣きませんでした

私が去年から病やうやく癒え(いえ)
朝顔作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾(つぼみ)ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたたび東京で病み
向ふで骨になろうと覚悟してゐましたが
こたびも父母の情け(なさけ)に帰って来れば
この子は門に立って笑って迎へ
また階子(はしご)から
お久しぶりでごあんすと
声をたえだえ叫びました

ああいま熱とあへぎのために
心をととのへるすべをしらず
それでもいつかの晩は
わがないもやと云って
ねむってゐましたが
今度はただただ咳き泣くばかりでございます

ああ大梵天王
こよひはしたなくもこころみだれて
あなたに訴え参ります
あの子は三つでございますが
直立して合掌し
法華の首題も唱えました
如何なる前世の非にもあれ
ただかの病かの痛苦をば
私にうつし賜わらんこと

(法華の首題とは「南無妙法蓮華経」のこと)

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         梵天(ぼんてん)は仏教の守護神である一柱


高林先生は、聴衆の高校生と同じ年頃、この詩に強く心を動かされたことを熱っぽく語ったのですが、今時の高校生はしらーっとしていて講演は大失敗だった・・・と失意の内に講演後の日々を過ごしていたのですが、一通の手紙が届いたのです! 高林医師の話を聞いて感動し、国語の教師になろうと思っていたが、進路を変え医師を目指すことにしたという内容でした。

そしてこれをきっかけに、ひふみという名の少女と高林医師はときおり電話で話すようになるのです。ひふみは猛勉強の甲斐あって、医学部に合格し、入学祝いの為に二人は初めて会うことになるのですが、当日高林医師がいくら待っても待ち合わせの場所に彼女は現れず、後日兄と名乗る人物から電話があり、彼女が交通事故で亡くなったと知らされます。

ひふみの兄からその後も電話がかかり、「私はK大医学部に在籍中で下宿していて、殆ど実家に帰っていなかったのですが、今はどういうわけか家に帰りたくなり、帰宅すると何故か先生に電話してしまうのです・・・」と兄はひふみの死後の心境変化を訝っていました。そして三度目の電話の最中、突然バチッと木の裂けるような鋭い音がし部屋の照明が消え、兄の声が途絶えたかと思うと、「先生・・・ひふみです・・・」と耳に馴染んでいたあの声が、ひふみの声が聞こえて来たのです! その後も度々兄から電話があると必ず、兄に憑依したようにひふみが喋り出すのです。」
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ある時高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのですが、10日後にかかってきた電話でひふみは、「先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・」と話し出したのです!

驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・お茶とお菓子」と答えた儘、暫く何も言えなかったそうです。

「とても甘い、おいしいお茶でした。それに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生はひふみには勿論、ひふみの兄にも誰にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのです!

「何なんでしょうな、これは・・・ こんなことってあるんですかねぇ!? 兄の声に取って代わるのは他の誰でもない。あの物の言い方はひふみちゃんが生きてる時と全く同じです。」高林先生は、何度も何度も愛子先生にそう言い続けるのでした。


ここで、兄とひふみからの電話で分かったことを纏めますと・・・

〇ひふみは自分が死んでいるのを自覚していること。

〇ひふみは両親の家にいて兄を呼び寄せ、兄の身体を借りないと先生に電話出来ないこと。

〇希望した大学に合格出来、医学の道に歩み出そうという矢先、前途が突然断たれた無念さにひふみが凝り固まっている気配はないこと。

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そうであるなら、ひふみのこの世への執着は高林先生への思慕が原因・・・と愛子先生は考えずにいられませんでした。高林先生は、「それ程の執着に捕らわれるような関係ではない。僕はむこうの顔も知らないし、向こうだって夜更けまでの受験勉強の気晴らし程度の気持ちで電話をかけていたのだろうから。そんな執着されるようなことは何もしていないですよ。」と力説されるのです。しかし佐藤先生には、兄が言った言葉、「以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。お兄ちゃん、わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・」が大きな意味を持つように思えるのです。高林先生の名は圭吾、兄の名は圭太郎で、単なる偶然でも恋する乙女にとっては何かの因縁のように思えてしまう筈。だから深い恋愛感情ではなかったとしても、高林先生はひふみが初めて思慕した異性で、ひふみの霊がこの世に留まり続け地縛霊であり続けては、高林先生の身にどんなことが起こるかも知れないし、それではひふみの魂も浮かばれないから、彼女の霊魂をあの世に送ってやらば・・・そうするのは高林先生の役目、高林先生は審神者(サニワ)になるべきだと愛子先生は思うのです。

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        審神者(サニワ)の元祖武内宿禰(たけうちのすくね)

審神者(サニワ)とは、神功皇后の新羅遠征の時、皇后に降りた神のお告げの真偽をただした武内宿禰が始まりとされていて、本来は神のお告げを承る人でしたが、いつの頃からか浮遊霊や地縛霊などを説得し霊界に送る役目をするようになっているのです。高林先生の父親も神仏習合である御岳教の主宰者で、審神者の役目もなさっており、息子にも審神者たれとと促していたのですが、高林先生は医師という仕事への拘りからか尻込みしていたのです。
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               御岳教大和本宮


それからもひふみから数回電話があり、高林先生はそれなりに楽しく彼女とお喋りをしてしまっていたのですが、兄に代わって母親が電話してきたのです。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったからなのです。それを知った高林先生は、心霊を勉強した者としては何とかしなければ・・・と精一杯意志の力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く激しく説いたのです。

「わかった、わたし、行くわ。」

かくして、ひふみの霊魂は霊界へと旅立っていったのです。
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『冥界からの電話』は、これにて一件落着ですかいな?

いやいや、まだ続くんですが長うなりましたから、お後は次回ということで。

ではでは。

袖振れ合うも多生の縁349~68年前の9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ占領は終わった筈なのに・・・!~

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この平和条約の写真は仏・フィガロ紙のものですが、上部に書かれているキャプションが凄いですよね。でも、今から68年前の9月8日、私は9才でしたから殆ど覚えていないものの、独立を勝ち取れなかったなんて認識は全くなく、日本に真の平和が訪れたという、希望の光が満ち溢れるような明るい世相だったのではないでしょうか。下は1951年9月8日講和条約調印の報道と翌52年4月28日同条約発効の報道記事ですが、「主権は完全回復」「晴れて独立を迎う」との見出しが躍っているようです。
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講和条約発効の報道1.jpg
でもしかし、講和条約の条文をよく読んでみると、日本は独立国ではなく、アメリカの属国になっているのです。え、ほんまかいな???
因みにサンフランシスコ講和条約の第1条(a)項は・・・

第一条(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

しかし第6条(a)項は・・・

第六条(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

90日以内に撤退せなアカンと一応決めてるけど、国同士お互いがえゝ言うのやったらかまへんと但し書きれてますわな。「この条項を入れな、占領は終わらへんぞ!」て脅されたら、当時の日本はゼッタイ反対出来へんですよね。そやからアメリカさんの意向で、日本全土北から南まで、何処にでもアメリカ軍が駐屯OKやなんて、こらアメリカが日本を属国にすることやんか。それが今でも続いてるっちゅう訳ですね。なんでこんな屈辱的な講和条約を結ばなアカンかったかは、「株式会社化する日本」での内田樹さんの言によりますと、歴史的に見てもここまで負けた
国はないくらいの酷い敗戦だったからだとか。

1942年のミッドウェー海戦で敗れた時点でか、遅くとも43年に絶対国防圏が敗れた時点で講和していれば、310万人の戦死者を出さずに済んだし、東京や大阪の大空襲も原爆投下もなかった。早めに講和していれば、日本人が自分たちの力で戦争責任を追及することも出来たし、自力で改憲し政治形態を刷新することもできた。

と、内田樹さんは同書で仰っています。ふむふむ、ほな、第2次大戦時に連合国と戦った枢軸国、ドイツやイタリアはどうだったのか?
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ご覧の写真は映画「ワルキューレ作戦」の1コマですが、ヴァルキューレ作戦とは国内予備軍の結集と動員に関する命令で、このヴァルキューレ作戦をヒトラー暗殺及びその後のクーデターに利用できると踏んだ反ヒトラー派は、ナチ党の政策への反対や連合国との和平を目的として1944年7月20日にドイツ総統アドルフ・ヒトラー暗殺とナチ党政権に対するクーデターを起こしたが、何れも未遂に終わったのです。
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上の3葉の写真は何れも7月20日事件の実写で、日本と異なりドイツではこのようにナチスと戦っていた人々が相当数国内にいたのです。又、ドイツの半分である東ドイツは、戦勝国として敗戦を迎えたので、東ドイツにはナチスの戦争犯罪を告発する権利を有していても、謝罪したり責任を負う必要が無く、この2点が日本と同じ無条件降伏でありながら、大いに違っていたのです。
それからイタリアですが、イタリアも実は敗戦国ではないのです。え、そんな、嘘やろ!? とお思いでしょうが、そうなんですよ。

1943年春、北アフリカ戦線でのイタリア軍敗北が明らかとなり、ファシズム体制に対する批判が国内で高まり始めたので、イタリアの独裁者である首相ベニート・ムッソリーニ(写真下の下)は、ファシスト体制より国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(写真下)に忠誠であると思われる人物をイタリア政府内から何人か取り除いた。この決定の後、エマヌエーレ3世はムッソリーニの排除と講和に向けた対抗手段を検討し、紆余曲折あって1943年9月8日にイタリア王国は連合国との休戦協定締結を発表、枢軸国から離脱し降伏に至ったのです。
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日本の昭和天皇がもしこの国王のような動きをなされていたら・・・歴史にIFはないと言いますが、そう思わずにはいられません。昭和天皇はなさろうとされたのだが、呼応する臣下がいなかったのでしょうか。内田先生の言われるように、42年か43年に降伏していれば、原爆を落とされることもなかったし、戦後昭和天皇は「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中である事ですから、広島市民に対しては気の毒であるが、や無負えない事と私は思っています」なんて、被爆者にこれ以上ない極めてむごいお言葉を発せられることもなかったでしょうに。因みに私が思うに、原爆投下によりアメリカはソ連より軍事的に優位であると見せつけたから、ソ連による国土(北海道)侵攻がなかったし、戦後日本が共産主義化せず国体(天皇制)を護持できたのだから、原爆投下は致し方ない・・・というのが昭和天皇のお思いなのでありましょう。それはさておき、イタリアは形式的には戦勝国として終戦を迎えることが出来たのです。それから枢軸国ではありませんが、フランスが戦勝国になれたのは、シャルル・ド・ゴール個人のお陰なのです
ド・ゴールがロンドンに亡命政府をつくった時、殆ど実態はなく、第3共和制の正当な政体はアンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン元帥(写真下。寿限無みたいに長~い名前やなぁ)のヴィシー政府で、ヴィシー政府は独仏休戦協定を締結し、ド・ゴールに欠席裁判で死刑判決を下しています。しかし、ド・ゴール(写真下の下)の亡命政府や海外領土に残った軍隊、それに国内の様々なレジスタンスなど、飽くなき戦いを続けた結果、戦勝国として戦後の国際社会に登場できたのです。
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日本も、4選の噂チラホラのアベソーリのもと、アメリカ従属国家としてアメリカのお先棒を担いで、国連決議を経ず有志連合とか称してホルムズ海峡とかどこかに出兵し、第3次世界大戦に巻き込まれるような、この道はいつか来た道を進軍する時、国内に抵抗勢力のあらんことを、私は唯々祈るばかりです。嗚呼!祈り2.jpg祈り1.jpg

袖振れ合うも多生の縁348~念仏の「念」という字は今の心、今していることに心を置き、そこに仏を感ずることが最良の念仏なのです!~

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前回に続いて、NHKの「こころの時代 法然を語る」から、私の心に残り、光り輝いている珠玉の言の葉たちを書き綴ってみます。
町田宗鳳師は、
念仏とは仏を想うことです。念仏の念という字は、今の心と書きます。現時点でしていることに心を置き、そこに仏を感ずるなら、それこそが最良の念仏となります。もっと簡潔に言うのなら「今を大切にする」ことが、忙しい現代人に課せられた念仏ではないでしょうか。
と仰っています。
成る程、念仏の<念>という字は今の心と書きますね!
そして、現時点でしていることに心を置き・・・今の私ならこれを書いていることですが、書いていることに心を置く、つまり集中して「今を大切にする」ことが、仏を感ずることであり、それが現代人に課せられた念仏である・・・というのは、どういうことなんでしょうか?
そうか、念仏というと「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」を称えることだと思いがちですが、宗鳳師の仰るには、必ずしもそのようなお念仏でなくても、例えばスポーツをする時、音楽を演奏する時、食事やお酒を飲む時など何でも良いのですが、そのやっていることに身も心も置き、心身共に今を生きると深い喜びが、「やらせて頂いている有り難さ」「生かされている有り難さ」が湧き上がり、その歓びをしみじみ感じることが念仏の心なのだと。
そうか、<念仏とは、仏を念ずるとは、み仏に生かされている有り難さを思う今の心>なんだ! 法然上人が<報恩念仏>と宣うておられることなんだ! そう分かった途端、宗鳳師が十牛図について話されていたのがあったなと思い出し、慌てて頁を繰ってみました。

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<十牛図>とは、中国北宋時代の臨済宗楊岐派禅僧、廓庵が悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で描いたもので、「真の自己」を求める自己は牧人の姿で、「真の自己」は牛の姿で表されているから十牛図と言われています。私は悟りを求めている十のプロセスではすべて禅の修行と思っていましたが、現代人に課せられた念仏は必ずしも「ナムアミダブツ」や「ナムミョウホウレンゲキョウ」を称えることだけではないのと同じだと、宗鳳師は仰っておられます。

「十牛の図」というのは、何も常に宗教的に解釈する必要はなくて、例えば牛を私たちにとって、人生の目標とか、あるいは夢というふうに理解した場合ですね、第5図「牧牛」や第6図「騎牛帰家」はその夢が実現しているわけで、自分が追い求めてきた夢がやっと手に入って、人間として本当に満足した、そういう境涯です。

そうか、以前私が夢で見た<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>は、こういう風に考えれば良かったんですね。どういうことか再録するのは煩雑なので、気になるお方は、ワタシのブログ<袖触れ合うも多生の縁327>をご覧下さい。
処で<報恩念仏>といえば、ワタシはいつの頃からか神社仏閣に詣でた時、「今日、今、此処まで来ることが出来ました。ありがとうございます。」と心の内で祈っています。そう祈る以前は、「元気でありますように」とか「今年も無事でありますように」とか祈っていました。

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上の写真は、ワタシが散歩がてらよくお参りする了徳密院、通称宝塚聖天さんの鳥居と聖天堂ですが、ここに詣でた時も勿論、報恩念仏を、報恩の気持ちを心中で呟いております。ではでは、これを読んで下さった皆様に報恩念仏を称えさせて頂きます。

本当に有り難うございました!!




袖振れ合うも多生の縁347~法然上人の思想<念声一致>に因み、体育会系部活の声出しと演劇の発声を想う~

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前回は法然上人が修行なされた青龍寺でしたから、今回は上人の思想について、私の琴線に触れたことを書かせて頂きます。8年前の平成23年に法然上人の800年大遠忌を機に放映されたNHK-TVの「こころの時代」(写真下)で、ありがとう寺の町田宗鳳師が草柳隆三アナと質疑応答されているNHKインタビュー「法然を語る」を比叡山から帰った翌日、読み直してみました。
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え、TV番組やから見直したやろとお思いでしょうが、そやのうて、町田宗鳳師のWEBサイトに文書化され掲載されているのをプリントアウトしてじっくり読んだのです。話は少し脇道にそれますが、今は平成31年、いえ令和元年ですから、法然上人の808回忌です。因みに808はエンゼルナンバーで、Webサイト「MORE THAN EVER」を見てみますと、
808のエンジェルナンバーには、『神はあらゆる手段を使ってあなたに豊かさを授けています。それらに気付き、ありがたく受け止めてください。』という意味が込められていて、あなたは自分の中心に神を位置付けることに成功しました
と書いてありました。
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私の心の中に神仏がおわすのか、私が神仏を思う人間なのか、それは兎も角、法然上人の<念声一致>という思想をみてみましょう。
“念声はこれ一なり。何をもつてか知ることを得(う)。観経(かんぎょう)の下品下生(げぼんげしょう)に云く、「声をして絶えざらしめて、十念(じゅうねん)を具足して、ナムアミダブツを称せば、仏の名を称するが故に、念々の中において八十億劫(おくこう)の生死(しょうじ)の罪を除く」と。今この文によるに、声はこれ念なり、念は則ちこれ声なり。その意明(あき)らけし。(『選択集』)”

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『選択集』(せんちゃくしゅう)とは、法然上人が撰述した2巻16章の論文の略称で、正式名称は『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)。
町田宗鳳師は選択集にある<念声一致>について書かれた一文を、以下のように解釈し説明なさっておられます。

この場合「念」というのは「仏の思い。弥陀の本願」と思えばいいんですが、私たちが声を発生した時、そこにはもう既に仏が現れている、ということなんですよ。何故そういうことがわかるかというと、観経(かんぎょう)―観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)にこういうふうに書いてあります、と。これを絶えることなく、十念を称えていけば―ナムアミダブツと声に出していけば、その声の中に仏が現れて、過去劫来私たちは輪廻を繰り返してきたわけだけども、そのカルマ(業)の罪を解くことができるんだ、と。そう書いてありますよ、と。だから私は、「声はこれ念仏なり、念は則ちこれ声なり」と、そのように確信するようになったんです、ということですよ。
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『観無量寿経』は浄土教の根本聖典の一つで、下品下生とは、能力や資質の最も劣った人が極楽浄土に生まれる、生まれ方です。

法然上人は選択集でこのように述べておられますが、宗鳳師は、法然さんが念声一致に思い至った経緯は、単に観無量寿経を読んだから、それだけで確信したのではなく、定善観―ビジュアルに浄土の光景を十三の段階に分けて見ていくという厳しい難行もし、また称名念仏、称名とは仏・菩薩の名を称えることで、「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える口称念仏をもして、その上で念と声が一つであると確信されたのだと補足説明されています。

処で、『定善観』についてもう少し調べてみますと、『観無量寿経』に説かれる,阿弥陀仏の身や浄土のありさまを思い浮べる十三種の観法で、
1.日想観(太陽が沈むのを見て極楽が西にあることを観ずること)
2.水観(水と氷の清らかさによって極楽の大地の有様を観ずること)
3.地観(極楽の大地をまざまざと観ずること)
4.宝樹観(極楽の不思議な樹木の働きを観ずること)
5.宝池観(極楽の池の水を観ずること)
6.宝楼観(極楽にある多数の建物を観ずること)
7.華座観(阿弥陀仏の台座である蓮華を観ずること)
8.像観(仏像を置き阿弥陀仏の姿を観ずること)
9.真身観(阿弥陀仏の真実の姿を観ずること)
10.観音観(阿弥陀仏に従う菩薩のうち観世音を観ずること)
11.勢至観(大勢至菩薩を観ずること)
12.普観(あまねく浄土の仏、菩薩、国土を観ずること)
13.雑観(阿弥陀仏の身相に他の様々な姿を交えて観ずること)
等々ですが、こんな煩雑な観想は誰もが出来るわけないですよね。
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                (日想観之図)

そして更に、町田宗鳳師はこう言及されています。
以前私は、「否定的記憶」という言葉を遣ったことがありますが、まさにみんな心の奥底に無意識、近代心理学的に言えば、個人無意識とか普遍無意識のずっと深いところに、否定的記憶を抱え込んでいるけれども、この「声の力」はそれを消していく、お掃除する力があるんだという思いに体験的に到達されていたと思うんですよ。
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宗鳳師が仰っている個人無意識とか普遍無意識というのはカール・グスタフ・ユングの提唱している深層心理で、私も大いに共感している処なのです。
もう少し宗鳳師のご意見に耳を傾けてみましょう。師は念仏でなくてもいい、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも他の単純な言葉、例えば町田宗鳳師のありがとう寺では「あーりーがーとーうー!」ですが、シンプルな言葉を繰り返し称えていくうちに非常に意識の深い層に入っていくことが出来ると仰っています。
これを私は、「ボイスメディテーション(音声による瞑想)」と呼んでいるんですけれども、黙って坐禅をするよりも遙かに雑念が入りにくくって、坐禅をしたことがない人も短時間のうちに三昧(さんまい)に入れる、ということを発見してきました。(中略)我々の聴覚は普通二十キロヘルツの周波数の音しかキャッチできないんですが、実は自然の中に入ると、風の音とか、水のせせらぎとか、動物の声とか、いろんなものが混ざって、森の中などでは百キロヘルツ以上の高周波音が出ている、と。これは専門家の研究で証明されているわけですけれども、これが実は凄い癒しの力になるんですよ。癒しというのはムードでいうんじゃなくって、実際にそういう音に触れた場合、我々の聴覚に聞こえていなくても、脳幹―脳の基幹部にそういう高周波の振動が伝わるわけで、もう少し科学的に言えば、脳内物質ドーパミンとかβエンドルフィンというものが出てきまして、でリラックスしてくるわけですよ。ですからお念仏を称えている時の境地と、ちょっとお酒を一杯飲んだ、あるいはお風呂に浸かって良い気持ちになった、そういう意識の状態とほとんど区別がないんですよ。ですから声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくるんですよね。

いゃあ、「ちょっと一杯」や「いい湯だな」が音声瞑想と同じだなんて嬉しいですね! 因みに私は、入浴中に思いもかけないような作品のアイディアが浮かんだり、友人と酒を酌み交わし歓談している時、己が考えたこともないような見解を語っていることが多々あるのです。これって音声瞑想と同じように変性意識になっているんでしょうね。処で、下のお猿サンもそうかな? それからワタシも色んなヒトと呑みましたが、ネコちゃんとはないですわ、ハイ。
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宗鳳先生が、「声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくる。」と仰ってるので思い出しましたが、ワタシは中・高併設の学校で部活は野球部でしたが、その頃わが母校の練習は高校生と一緒やったんです。それで、おっさんみたいなキャプテンから、「声を出せ、声を出さんか!」とよう叱られました。なんであないにワァワァ、ガァガァ怒鳴って練習せなアカンねんと、時々声出しをさぼってました。でもつらつら思い出してみると、声を出してたら練習中も試合中も、結構リラックスして集中出来て結果は良かったように思えます。
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そんな部活中心の中・高生活を終え、180度転換し体育会系から文化系へ、芝居の世界に迷い込んだのです。演劇に声はつきもので、俳優なんてこっぱずかしいこと出来へんから、文芸・演出志望やったんですが、役者体験抜きにして演出は出来ないと分かり、俳優修業も少しはやらせて貰いましたが、声出しは野球部での経験が結構役に立ち、腹式呼吸や腹から声を出すのなどは楽チンでありました。
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稽古開始前や公演の開演前に声出しすることにより、リラックスして演じる役に集中出来たように思えます。部活とお芝居の声出しはこれ位にして、音声瞑想に於ける波動に話を展開しようと思っていたのですが、結構長くなってきましたので、ワタシが瞑想時に用いているシンキング・ボウルなど、色々な波動については、いつか機会をみて蘊蓄を傾けたいと思います。ではでは。







袖振れ合うも多生の縁346~令和最初の敗戦記念日を機に、3冊の本で日本の戦後の真の姿を見てみました!~

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8月になると、今年も戦争絡みの番組や記事が増えていますが、ワタシも2冊の対談本「誰がこの国を動かしているのか」と「株式会社化する日本」及び「日米合同委員会の研究」を読んで、いたく感じるところがありました。
対談本に出演されているのは、元総理の鳩山由紀夫さんと政治学者で鹿児島大教授の木村朗さん、そして京都精華大学講師で政治学者の白井聡さん、神戸女学院大学名誉教授で思想家にして武道家の内田樹さん(写真下)と錚々たるメンバーです。
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《BOOK☆ WALKER》で「誰がこの国を動かしているのか」を検索してみると・・・

総理でさえままならない、「対米従属」という、この国の根深い構造を明かす!元内閣総理大臣・鳩山友紀夫氏と、『永続敗戦論』がベストセラーの白井聡氏、鹿児島大学教授の木村朗氏が、新安保法制、普天間基地移設の問題から、原発再稼働、従軍慰安婦問題、拉致問題まで、そこに通底する戦後日本の深層を暴き、「戦後レジーム」からの真の脱却、真の独立を説く。また、政治主導、対米自立を掲げた鳩山政権がいかに崩壊していったのか、その真相も明らかに。
普天間基地移設問題において、「最低でも県外」を模索していた鳩山総理(当時)に、腹案である徳之島への移設案を断念させたのは、官僚がねつ造した「極秘」文書だった疑惑が浮上。国家の方針を左右し、政権をも崩壊させるきっかけとなった「極秘」文書を第4章にて掲載!
(以下、鳩山氏「まえがき」より)・・・この本は、対米従属の既得権構造にメスを入れることに失敗した者と、その失敗の事例から、国を動かしている本質を鋭く追究して明らかにした二人の新進の学者との間の鼎談をまとめたものです。この本をお読みいただき、「誰がこの国を動かしているのか」、おわかりになれると思います。そして、その根の深さを認識していただくことによって、私たち一人ひとりがどのような行動をとるべきかの指針が得られることを期待しています。

「株式会社化する日本」は・・・
私たちはいつから、株式会社・日本の従業員になったのか!? 人々に蔓延する従業員マインドと急速に劣化する政治、グローバル資本主義の末路、対米自立の幻想と蹉跌……すべてが株式会社化する「平成」という特異な時代の実像から日本の深層部を明かす。

第1章 平成時代と対米自立の蹉跌
・カネの力、国際社会の信望によって対米自立を果たすという幻想
・敗戦時のまま日本に残存する「北方領土」と「南方領土」
・天皇制と立憲デモクラシー、異なる原理が共生している本当の理由
・日本の改憲にアメリカはどう出るか

第2章 あらゆるものが株式会社化する特異な時代
・株式会社化した社会で、人々に広がる従業員マインド
・貧乏くさい日本人にジャストフィットする貧乏くさい政権
・官邸の情報統制ではなく、ほとんどは自己検閲、自主規制である
・政治家の能力とは無関係に吹く「風」の異様さ

第3章 グローバル資本主義の末路
・結局、グローバル資本主義は戦争に行き着くほかない
・全世界が模索している新しい資本主義のあり方
・トランプ登場で失われたアメリカの「真の国力」
・アメリカ衰退後、未来を示す力こそ大きな国力だ

第4章 沖縄問題からみた新しい世界地図
・日本が主権国家であるかのように偽装してきたツケ
・対米従属の記念碑的事業である辺野古基地建設
・中国、アメリカなどの大国に与しない日韓の共同体構想
・日中の連携を軸にして構れる東アジア共同体構想

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それから、「日米合同委員会の研究」(写真上)は、アジアプレス・インターナショナル所属のジャーナリスト吉田敏浩さん(写真下)が2017年に上梓され話題になったのですが、私はこの夏にやっと読むことが出来ました。
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この著書の出版元、創元社のHPによりますと・・・

日本の主権を侵害する取り決めを交わす「影の政府」の実像とは?
日本の超エリート官僚と在日米軍の軍人たちが毎月2度行う秘密の会議「日米合同委員会」。そこで合意された取り決めは日本の法律・憲法よりも、強い効力をもっている。しかし、軍事、外交、司法のさまざまな側面で、日本の主権を侵害し続けるその協議の内容は厚い秘密のベールに包まれ、ほとんど公表されることがない。米外交官から見ても「きわめて異常」と評されるその驚くべき実態に、大宅賞作家の吉田敏浩がせまる。第60回日本ジャーナリスト会議賞受賞。

それから紀伊國屋書店のHPの内容説明では・・・

日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?謎の権力構造の正体に迫る。

目次

1 日米合同委員会とは何か(銃を持った日本人警備員のいる都心の米軍基地;日本のエリート官僚とアメリカの高級軍人が集う合同委員会他)
2 なぜ日本の空は、今でも米軍に支配されているのか(「横田空域」―目に見えない空の壁;「横田空域」の法的根拠を開示しない日本政府他)
3 日本占領管理はどのようにして継続したのか―「占領管理法体系」から「安保法体系」へ(米軍の特権を認めた日米行政協定;日米合同委員会の前身にあたる予備作業班他)
4 最高裁にもあった裏マニュアル(「最高裁部外秘資料」に載っていた密約;民事裁判権に関する秘密合意他)
5 密室の協議はこうしておこなわれる―富士演習場をめぐる密約(米軍による富士演習場の優先使用権密約;アメリカ議会の議事録から明らかになった密約の存在他)

いやあ、この3冊、どれも凄いですね! 日本てほんまに独立国なんやろか??? アメリカの植民地やんか・・・と思ってしまいました。今まで知らんかったから、知らぬが仏ですね。そうそう、日米合同委員会の画像を検索してたら、こんなんが・・・!!!
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これって、嘘かホンマか、いつ作成された写真か、又出所はどこかも分かりませんが、ありそうにも思えるので、ゆっくりじっくり検証してみることにします。次はこの委員会のメンバーについてです。
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こんな米軍関係者と日本の官僚達によって日本は動かされているんですね。日本の官僚はこの委員会のメンバーに入ると出世間違いなしだそうです。特に法務省関係者でこの委員会の委員になった人は検察のトップになることが多く、米国の意向に反する政治家は、田中角栄さんのように裁判沙汰となり失脚させられていますよね。角さんの他にも、アメリカからの自主独立を目指した為に葬られた政治家は・・・古くは鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、芦田均、そして佐藤栄作、竹下登、梶山静六、鈴木善幸、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、小沢一郎、等々(何れも敬称を略させて頂きました)。桑原々々、触らぬ神に祟り無し・・・と現ソーリのアベさんはじめ政治家の皆さんは思てはるでしょうな。
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さて、「株式会社化する日本」で内田先生は、日本の対米従属についてこのように述べておられます。
敗戦後日本の国家戦略は対米従属以外選択肢がなく、アメリカの同盟国としてアメリカの信頼を獲得し、イーブンパートナーとして遇されるまでになって国土を回復し、国家主権を回復するという<対米従属を通じての対米自立>を謀ろうとしたのです。そして1951年にサンフランシスコ講和条約で占領が終わり、形式的には国家主権を回復し、68年に小笠原返還、72年に沖縄が返還され、この段階まで日本の国家戦略はそれなりに成功していたと言えるようです
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しかしこの後、本土の米軍基地が沖縄に移動しただけで、横田空域・横須賀基地・厚木基地・三沢基地(写真下)などは返還されず、今も日米合同委員会による日本のコントロールは続いています
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横須賀基地.jpg
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処で、横田空域といえば、吉田敏浩さん著の「日米合同委員会の研究」によると、

横田空域は、首都圏の1都9県上空を覆う広大な空域で、日本の領土なのに日本の飛行機は自由に飛べず、米軍が戦闘機の訓練飛行や輸送機の発着などに使用しているのです。この米軍の巨大な特権に、実は国内法上の法的根拠がまったく存在せず、日米地位協定にも法的根拠が明記されていないという衝撃の事実を、はたしてみなさんはご存じでしょうか。

と<はじめに>の部分に書かれています。私が思うにこの横田空域は、日本の主権侵害の象徴的存在ですよね。そんな横田空域から、トランプ大統領は2017年初来日の際、日本の領土に、いえ、アメリカの領土に降り立ったのです! オバマさんはそんな無法なことをしませんでしたよね。日米地位協定によれば、トランプが米軍の構成員等として入国するのであれば、日本の入管法は適用されません。(第9条)。ですから外交的に対等な立場で来日したのではなく、米軍の最高指揮官として日本に来たことになるのです。羽田の管制は飽和状態だから横田に降りた方が、民間便への影響がない。などと正当化する向きもあったようですが、多くのマスコミは殆どというか全く問題視していませんでしたよね。嗚~呼!
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トランプさんの思惑はさておき、内田先生の話に戻します。

日本の対米従属が続く中、一瞬国権回復の希望が見えたこともあったと思う。それはバブル経済の時で、1989年に三菱地所がニューヨークのワールドトレードセンターを買い、ソニーがコロンビア映画を買いました。バブル当時「日本の地価を足すとアメリカが二個買える」とよく言われました
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摩天楼とハリウッドが買えるなら、国家主権だって国土だって金で買い戻すことも出来るんじゃないか。でもアメリカが一気に日本をつぶしにかかってきた。資料的根拠は乏しいのですが、バブル崩壊にはアメリガがかなりコミットしていると僕は思っています。
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そして2005年、小泉総理の時、国連安保理の常任理事国に立候補したのです。カネで国家主権を買い戻すことが不可能になったので、今度は国際社会における信望をテコにして政治大国化しようというアイディアでした。でも久しくアメリカべったり追随で、戦争責任をむ果たしてこなかったことが災いし、アジア諸国から全く支持が得られなかった。
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政治大国になってアメリカのイーブンパートナーとして国際社会に登場するという夢もそこで消えた。そしてその後に鳩山さんが登場するわけですが、アメリカに対し切る外交カードが何もない局面で対米自立を図ろうとし、沖縄の米軍基地の移転を切り出して、国内の対米従属テクノクラートに寄ってたかって引きずり降ろされた。安倍さんさんは鳩山さんの失脚を見て、多くのことを学習したのと思うのです。
もう対米自立は無理だ。対米自立という長期的国家目標は棚上げして、これまで日本を駆動してきた<対米従属マシーン>を走らせ続けている限り、属国内での支配層という地位はアメリカが保証してくれる。そう考えて、国益を代償にして自己利益を確保しようとする人たちが日本の支配層を占めるようになり、それが第二次安倍政権以後の、恐ろしいほどの勢いでの国力の衰退と国際社会における地位低下をもたらしている、それが現実だと思います。

そうか、そやから外交は対米従属一点張りで、アメリカさんのお先棒を担いで戦争までやりかねないていたらくだし、内政では権力の独占、自己利益の増大のみで、五輪だの、万博だの、カジノだの、リニアだの、経済効果オンリーの儚い夢を煽り、格差が益々拡大するのにも知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのですな。嗚呼、この泥濘の道はいつか来た道・・・でないように祈るばかりです。
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袖振れ合うも多生の縁345~比叡山西塔別所の黒谷青龍寺に詣で、法然上人を偲びました!~

前回に続いて比叡山延暦寺ですが、今回は西塔別所の黒谷青龍寺についてです。比叡山につくなり、延暦寺の諸堂に詣でるのではなく、先ずは青龍寺!と、シャトルバスで峰道停留所で降りたのであります。
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この写真は峰道バス停の風景ですが、降りる際に、「青龍寺へはどの方面ですか?」と運転手さんに尋ねたところ、無愛想に「知らん!」と一言。知らんのはしゃーないとしても、「ワタシ知らんから、誰かに聞いてみて。」とか言うて欲しかったな・・・この人、この街を愛してないんやな・・・と些かがっくり。バス停の右手にレストランがあったので、そこで聞くと、開店前の準備で忙しそうなシェフさんが店の表まで出てきて親切に教えてくれました。上の写真の左端に白い小さな案内柱が写ってますが、そこ斜面を上っていくと黒谷への道がありますということなので、人一人が通れるかどうかという、両側は熊笹や樹木に覆われた細い道を登り始めたのです。しかしすぐ道がなくなってしまい、行く先不明になったのであります。えゝい、儘よ、と笹や木の枝を掻き分け、転ばぬよう滑り落ちぬよう足許を確かめつつ、久しぶりに山登り(という程の事もないのですが)すること小一時間、いえウソです、10分少しで、走出道(はせだしみち。西塔から法然上人御修行地黒谷青龍寺への参道)に降りることが出来ました。やれやれ。
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この走出道を暫く行くと、少し広い黒谷道に繋がりました。
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そして黒谷道をだらだらと下りに下ったのですが、この日は一人わが道を行く態で、道連れは誰一人なく、延暦寺諸堂の周辺の賑わいと余りに違い過ぎ、法然上人がお山を降りてから天台宗のみならず南都北嶺諸宗を敵に回してしまった往時を思い起こさせるのでした。それやこれやの思いに耽りつつ下り続けるとあら嬉しや、石畳の石段となり青龍寺山門が見えてきたのであります。
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ご覧の写真のように、本日はご開帳されておらず、本尊を拝むことは出来ませんでしたが、閉ざされた密やかな鄙びた佇まいが、若き日の法然さんが修行なされた頃はかくありなんと昔日にタイムトラベルさせてくれました。
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若き日の法然上人さま像はなかなか良いお顔をなされていますね。ワタシの撮った写真、デジカメなのにピントが一寸甘かった。残念!それはさておき、現在の青龍寺は、昭和51年に浄土宗総本山知恩院により、青少年修練道場として建立されたものです。
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ワタシは修練(?)の一端として、鐘は自由についてくださいと書かれていたので、思うが儘、存分に突かせて頂きました。
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鐘楼の下に鎮座ましましてた狸くんは、こいつ、いつ迄突いてんねん と思て、あきれて見てたんやないやろか???
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お線香立てのの獅子クン(?)もそやそやと相鎚を打ってたような気がしますわ。ま、それは分かりませんが、ご開扉の日やったらご本尊の阿弥陀様や天井絵なんかも見れたのにな・・・と獅子くんも狸やんも思てたんとちやうやろか。
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それから報恩蔵(写真下)に祀られておられる阿弥陀如来さま、観音菩薩さま、勢至菩薩さま、善導大師さま、法然上人さま達にもお目通り叶わなかったのは、ご縁がなかったのか、それともワタシの不徳の致す処でありましょうか。
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かくして後ろ髪引かれる思いで青龍寺を後にしたのですが、この階段を見上げますと、行きは良い良い帰りは怖くはないけれど、しんどいやろな・・・と覚悟を決めて登り始めたのです。
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上の写真はワタシが撮ったのやないので、誰一人いない静寂の中、石階段も坂道も又修行と思い直し、重い歩を運んだのでありますが、たちまち息が上がり、途中佇み杉木立などを撮りがてら息を入れたのであります。
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この杉木立、いつもなら整然とした並びを美しいと感じていたのですが、何か不自然ではないかと思ったのです。なんでやろ・・・とわが脳裏に探りを入れると、法然上人さまがこの道を歩かれた頃は杉の木ばかりでなく、色々な木々が茂っており、自然そのものだったからではないか・・・と思い至ったのです。こんな想念に囚われながら汗だくで登りに登ること30分、黒谷道から走出道への曲がり角に至りました。

さて、これから写真下の走出道に進み、途中から道無き道を掻き分け小山を降り、元のに峰道バス停に戻るのかと思うと歩が進まず、さりとて走出道を歩き続け西塔まで辿り着くには1時間・・・さあ、どうする、どうする!?
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迷いつつふと見ると、黒谷道をそのまま行けば峰道にでると表示されているではありませんか!よし、それならこの儘黒谷道をGO!そしてものの5分位であっさりと峰道バス停の広場に戻れたのです!
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なんや、あのシェフさん、こっちの道を教えてくれてたら楽に獣道もない道無き道の小山越えせんでも良かったのに・・・と思いましたが、いや、法然上人さまが多分歩かれた走出道を歩めよと仰せられたと無理に納得させ、延暦寺諸堂巡りへ、横川へ、と歩を進めたのでした。

次回は8月17日、戦争に関する一文を取り上げたいと思っていますが、その次は法然上人の思想、というと大層ですが、ワタシの興味をひかれた点について書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁344~比叡山延暦寺に詣で、古(いにしえ)を偲びたかったのですが・・・~

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比叡山は滋賀県と京都府の県境に聳えているので、叡山へのルートは京都からと大津からとがあり、ケーブルやロープウェーなどを楽しむのも良いのでしょうが、私は乗り換えの労を省き京都駅烏丸口からドライブバスに乗り、眼下に見下ろす琵琶湖の雄大な眺めを楽しんだのであります。
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さて、比叡山は東塔(とうどう)地域、西塔(さいとう)地域、横川(よかわ)地域と3塔の地域に分けられ、これらの聡称が比叡山延暦寺なのです。
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寺社巡り.comに依りますと、東塔の中心的お堂は根本中堂、;西塔は釈迦堂、横川は横川中堂であり、3エリアの中でも中心地となっているのは根本中堂のある東塔で、比叡山が初めての方はまずはここを目指しましょう。とご親切に書いて下さっているのですが、天の邪鬼なワタシは山内シャトルバスで、先ず3塔地域ではない「峰道」に行ったのです。
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ご覧の写真は峰道駐車場で、小さく見えているのは天台宗開祖の伝教大師尊像ですが、それはさておき、今回私の叡山行きのメインイベントは法然上人の修行なされた西塔別所黒谷青龍寺参拝で、青龍寺への黒谷道は峰道から徒歩30分なのです。
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写真を見、こんな黒谷道なら大したことないわ・・・と思っていたのですが、一寸したハプニングがあり、少々パニくってしまったのであります。ま、このトラブルや青龍寺については次回ということにしましょう。この青龍寺は浄土宗の知恩院が管理している処なので、比叡山延暦寺は天台宗ですから、最澄大師に敬意を払い延暦寺から書くことに致します。青龍寺を参拝後、峰道に戻りシャトメバスで横川へ。
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横川地域は慈覚大師円仁さんによって開かれ、源信さん、親鸞さん、日蓮さん、道元さんなど後に名僧と言われるようになられた方達が修行されたそうです。横川は3塔の中で一番北エリアに在り、なんだか鄙びた感じで修行に集中できそうな趣きでしたね。
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この横川中堂は遣唐使船をモデルにした舞台造りで、横から眺めると船が浮かんでいるような姿に見えました。(下の写真は正面から見た姿です)

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横川中堂の他、元三大師堂や恵心堂などがありますが、割愛させて頂き西塔へ。
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西塔地域は杉木立に囲まれ小鳥のさえずりなどが心和ませる静寂境で、ゆるやかな階を降りると、比叡山最古の転法輪堂(ご本尊の釈迦如来に因み釈迦堂と言われている)がおわしました。
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釈迦堂の横に法然上人の修行なされた青龍寺への道があり、往時は法然さんもこの道を行き来なされたのでしょうか。
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お次は最後に真打ち登場で東塔地域です。
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西塔からシャトルバスでバスセンたーへ、センターから巡拝受付を通るとすぐ国宝殿がありましたが、諸堂巡拝券の裏をふと目にすると、伝教大師のお言葉が書かれていました。

「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。(後略)」

とありましたので、国宝殿に道心ある人間国宝は祀られていないだろうと思い、スルーして根本中堂へ急ぎましたが・・・。
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いや、建物は国宝で廻廊は国重要文化財だけのことはあって素晴らしい!・・・と思いたかったのですが、思えなかったのであります。なんで?かと言うと・・・
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大改修中でした。残念!しかし、改修工事中でも入れたので、足場の金具越しの隙間より、ご本尊薬師如来の御前で1200年灯り続けている不滅の法灯を覗き見出来たのですが、下の写真のような神秘的な雰囲気は見られませんでした。
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厳かな雰囲気は感じられなかったものの、織田信長の兵火で延暦寺が消失した時も分灯してあった山形県山形市山寺の立石寺の火を移し、絶えることなく灯され続けている不滅の法灯は紛れもなく灯されておりましたから、由とすべきなのでしょう。
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大修理中の根本中堂を出ると、嘗て信長の兵たちと僧兵が戦を繰り広げた俤はさらさらなく、東塔が西から差す眩い陽光に照り輝いておりました。

ではでは、次回は法然上人が修行なされた黒谷青龍寺について蘊蓄を傾けたいと思います。

袖振れ合うも多生の縁343~絵本「りんごかもしれない」ってメチャ面白いですよ!

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これが、ヨシタケ シンスケ(吉竹 伸介、1973年 - )さんの絵本、「りんごかもしれない」ですが、EhonNavi StyleのHPによりますと・・・

「りんごかもしれない」を出版される際、出版社の営業の方から「絵本ってそうそう売れませんので、あまり期待しないでくださいね」と言われ、ヨシタケさんもその覚悟はできていたそうです。しかしいざ出版されると、全国の子どもたち、親御さん、書店員さん、読み聞かせサークルの方々、幼稚園保育園の先生など、いたるところで大反響!

物事を多角的に考える、これまでになかった全く新しい絵本として人々を熱狂させ、第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞など、この年の絵本賞を総ナメにし、大ベストセラーとなりました。

ヨシタケ作品の大きな魅力は、どんなことでもこんな風に多角的に考えることができるんだ、というアイディアを与えてくれるところなど子供だけでなく、むしろ大人がはまってしまう新しくて少しシュールな視点かも。

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ある日、男の子が学校から帰ってくると、テーブルのうえにリンゴが置いてありました。しかし、そのりんごを見て、とある疑問を抱いてしまった男の子。
「もしかしたらこれは、りんごじゃないのかもしれない」
りんごがりんごであることを疑う男の子の想像は、とどまるところを知らずにどんどん大きくなっていきます。
これはりんご型のメカかもしれない!? 機能満載、リンゴメカの解剖図!
らんご、るんご、れんご、ろんご!? 奇妙キテレツな形のりんごの兄弟たち!
ほんとはオシャレがしたかった!? いろんな髪形、りんごのファッションショー!
はたしてこれは本当にりんごなのか??
男の子が思い切って、ひとくちかじってみると……

小さなひとつの疑問から展開される、まか不思議なアイデアと想像力の壮大な世界。りんごひとつで、こんなに話が広がるなんて!
どのアイデアもとんでもなくトッピなのに、常識も予想もぶち壊しながら、どんどん大きくふくらんでいくその発想に目が離せません。
デフォルメが強く線もとても少ないのに、見ればすぐにヨシタケシンスケさんだとわかる独特の絵。
それが、大暴走する奇妙な発想に親しみやすさを与えていて、一見すると怖いとあるアイデアも、なんだかくすりとさせられる不思議な雰囲気になっています。
表紙と裏表紙の絵も、謎が謎を呼ぶ不思議なりんごのオンパレード!
りんごひとつから展開される想像力の大暴走に、ビックリ大笑いの一冊です。
「りんご」をめぐる様々なアイディアが展開する筋立てのない絵本で、以後『ぼくのニセモノをつくるには』『このあとどうしちゃおう』と続くこのシリーズは「発想絵本」と呼ばれています。

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処で、ヨシタケシンスケさんは筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースを修了されているのですが、入学して最初のデッサンの授業の時、指導教授はヨシタケさんのデッサンを見て絶賛!?
いえ、そやなかったんです。全く逆で、「キミ、これでよく造形コースに入れたね」と言われたのです。以来、ヨシタケさんはデッサン嫌いになり、実物を見ず想像で描くようになったとか。
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ですから、りんごを描く場合、りんごてどんな形をしてたかな・・・りんごの梗窪(こうあ。上のくぼみ)や萼窪(がくあ。下のくぼみ)はどうなっているのかなど、総て想像で描き、先生に「キミ、違ってるよ」と言われたら、「見ないで描いてますから」と言い訳してたそうです。そんな彼の想像癖から「発想絵本」が生まれたと、私は思います。教授にデッサンが全くダメだと言われたら、普通自分には絵の才能はないんだ・・・と諦めますよね。でも、見て描けないのなら、見るから描けないのなら、見ないで描こうという発想の転換がヨシタケさんを成功に導いたのでしょう。ものは取りよう、前向きに捉える逆転の発想って、素晴らしいことですよね!

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因みにヨシタケさんは、「これから描きたい絵本は?」と聞かれると、「描きたいものはないんですが、描きたくないものははっきりしてるんです・・・」と答えるようにしているそうです。人間ってそうそうやりたいことばかりやってられないから、ま、やりたくないことは避けていくって結構良い生き方なんでしょうね。
そんなヨシタケさんが今後どんな作品を創ってくれるのか、あてにしないで待っていようと思います。ではでは。

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袖振れ合うも多生の縁342~朝井まかてさんの「悪玉伝」の悪玉て、ほんまは誰なんやろか!?~

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私はいつの頃からか、朝井まかさんの著書追っかけ(?)を任じており、角川書店の「野性時代」に連載されていた「悪玉伝」が上梓されたので先般読破致しました。いゃあ、面白かった! 読み進めて行くと、「はて、題名の悪玉て一体誰なんやろか?」と思ってしまうように仕組まれていて、ついつい先を読み急いだのであります。そんな歴史エンタメの最高峰と評される「悪玉伝」の梗概をKADOKAWAのHPからコピペさせて頂きますと・・・

大坂の炭問屋・木津屋の主の吉兵衛は、稼業は番頭らに任せ、自らは放蕩の限りを尽くしてきた。そこへ実の兄・久佐衛門の訃報が伝えられる。実家である薪問屋・辰巳屋へ赴き、兄の葬儀の手筈を整える吉兵衛だったが、辰巳屋の大番頭・与兵衛や甥の乙之助に手を引くように迫られると、事態は辰巳屋の相続争いに発展する。上方で起こった相続争いの噂はやがて江戸に届き、将軍・徳川吉宗や寺社奉行・大岡越前守忠相の耳に入る一大事に。将軍吉宗までも巻き込んだ江戸時代最大の贈収賄疑獄事件の結末は――。
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デビュー当時から書きたいと思ってはいたものの、「史実がフィクションみたいに面白すぎて」執筆を留め置いていたと著者が語るのは、江戸時代最大の贈収賄事件「辰巳屋一件」。大岡越前守忠相が実際に裁いたとされるこの事件は、大坂の一商人・木津屋吉兵衛が、実家の辰巳屋の相続争いに巻き込まれ、騒動はなぜか時の将軍・徳川吉宗の耳にまで届く一大事に発展していく、というもの。
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               (上は徳川吉宗、下は大岡越前)

物語は吉兵衛(大坂)と、官僚人生も下り坂に差し掛かった大岡越前(江戸)の両視点で進む。裁判制度が確立していく過渡期に起こったこの事件で炙(あぶ)り出されていくのは、当時の上方で典型的な粋な男の吉兵衛と、政(まつりごと)の第一線でバリバリ働いてきた大岡越前を取り巻く東西の文化の違いだ。人情と口八丁を武器とする吉兵衛にとっての“ご挨拶”は贈り物か、それとも賄賂か。忖度(そんたく)が忖度を呼び、事件が拡大していくさまは、さながら昨今の事件を彷彿(ほうふつ)させる。

いゃあ、うまいこと作品を要約してはりますな。私が付け加えることなんもあらしませんがな。
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それから文芸評論家の杉江松恋(写真上)さん、ほら、あのユーモラスなまん丸顔のお人は、《朝井の着眼点が優れているのは、この事件を善悪の対決図式ではなく、いくつもの大義が存在し、力を持つ者の思惑次第で白黒がいつでも塗り替えられる、政治の所産として見たことだ》(週刊新潮・書評)と評していはりますが、これ又ポイントをぐさっと突いてると思います。他に何かないかとPCを検索してたら、KADOKAWA発の文芸情報サイト カドブンに作者へのインタビュー記事がありました。これも又私が聞きたいこと、知りたいことを満遍なく網羅してくれてますので、少し長いですが全文コピペさせて貰います。(写真は私が適宜インサートさせて頂きました)
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──新作は、八代将軍・徳川吉宗の時代に、大坂の豪商・辰巳屋で実際に起きた相続争い「辰巳屋一件」を題材にされています。なぜ、この事件を選ばれたのでしょうか。

朝井:大坂の町家で起きた相続争いが、江戸であの大岡越前が裁く大騒動にまで発展したのが面白く、以前から興味を持っていました。

──辰巳屋久佐衛門が死んで、木津屋に養子に入っていた弟の吉兵衛が戻ってきたところから物語は始まります。久佐衛門は、辰巳屋を上回る豪商、唐金屋の息子・乙之助を養子にし、娘の伊波と結婚させていました。そこに乗り込んできた吉兵衛は、長くお家乗っ取りを目論む悪役とされてきましたが、朝井さんは今までとは違った見方をされていました。

朝井:舞台化された「女舞剣紅楓(おんなまいつるぎのもみじ)」も、吉兵衛の乗っ取りから辰巳屋を守った唐金屋側からの忠義の物語になっています。ただ、吉兵衛について残っている風聞を調べると、粋で趣味人で、お金の遣い方も後先を考えない、つまり典型的な上方のボンボンです。そんな鼻持ちならない二枚目がとことん追い込まれたらどんな真実を見せるのか、そこに興味があって、ワクワクしながら書きましたね(笑)。さらに大岡越前に目を転じてみたら、事件には政治や経済の問題が複雑に絡んでいたのではないかという想像が働きました。

──吉兵衛は、大坂の役人に賄賂を渡して裁判を有利にしたとされていますが、本書ではまったく違った解釈になっていました。

朝井:当時は儀礼社会ですから、賄賂と通常の交際の区別がつきにくいんです。しかも奉行所に訴えて出るのが無料だったので民事裁判の件数が多く、ひどく待たされます。手続きも煩雑ですから、裁判にかかわった町人は役人にうまく取り計らってもらうために包みを渡しました。ごく日常的な習慣ですね。吉兵衛の賄賂が問題になったのは、日頃の遊蕩ゆうとうや奢侈しゃしも一因でしょう。江戸の役人にしたら、最も嫌いなタイプの大坂人ですから(笑)。

──吉兵衛だけでなく、登場人物全員が一癖も二癖もありました。ほとんどが実在の人物なのに、小説のキャラクターより個性的で、こちらの期待以上のことをやってくれます。

朝井:実際の事件がフィクションのように面白いので、そのぶんキャラクターの造形も派手にしました。これまでなら抑えて書くところを抑えずに、存分に弾けさせてもらいました。ただ、事件の推移は史実に基づいています。たとえば姪の伊波は、大坂の裁判で吉兵衛に都合の良い証言をします。その後に死んでいるので吉兵衛は証言を翻される危険がなくなり有利になるのですが、これも史実です。さらにその後、久佐衛門の妾腹しょうふくの娘・じうが現れ、吉兵衛は自分の息子と結婚させます。なんとあれも史実なんです。

──じうはいかにも怪しいので、架空の人物かと思っていました。

朝井:本当に怪しいですよね。でも実際にいたんです。歴史小説の読者の方はどこまでが史実かを気にされるようで、サイン会などで「あれは史実ですか」と聞かれることがあります。「そこは私が作ったんです」と答えるとがっかりされることがあるので、今回は「作り話みたいですが、すべて実話です」と堂々と言えますが、作家としては複雑です(笑)。

──大坂での判決に不服だった乙之助は、目安箱に訴状を入れ、江戸で裁判になります。吉兵衛は江戸に送られ、牢ろうに入れられていて、かなりのページを割いて牢内の苦労話を書かれていましたね。
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朝井:江戸時代の牢が牢名主を頂点とする階級社会だったことなどは、時代小説を読んでいる方はご存知ですが、よく分からない読者も多いと思うので、そこを知っていただきたいというのもありました。吉兵衛が、牢名主とのやり取りを通して、いかに命とお尻を守りながら(笑)、生き残るかを書くのは楽しかったですね。
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──吉兵衛が、金と口先で牢名主と渡り合い、牢内をサバイバルするところは、大坂商人の面目躍如でした。

朝井:はい。彼は牢内で最も成長しましたね(笑)。事件の裏に、江戸VS.大坂の構図が・・・

──事件そのものはシリアスなのに、出てくるのが濃いキャラクターばかりで、思いもよらない言動をするので全編がユーモラスになっていました。

朝井:執筆前はもっとシリアスにする予定だったんです。全員が大真面目なのに、やはり何がしかの欲が働いて、それに向かって進むことで事態を悪化させていったので、完成したら、あら、ブラック・コメディになっている!って。

──「辰巳屋一件」は、大坂と江戸で裁判になっているので、法廷サスペンス色が強くなると思っていましたが、上方の町人文化や、大岡越前が行った経済政策なども複雑にからんでくるので驚きました。

朝井:吉兵衛は、江戸で訴状に書かれた内容を認めるように強要されます。自白優先という日本の司法の問題点はこの頃からあったのかと思っていたら、吉兵衛だけが自白を拒否していることが分かりました。なぜ吉兵衛が粘ったのかを探っていたら、事件の裏側が見えてきたんです。

──その裏側の一つが、貨幣改鋳問題でした。江戸時代の経済は、江戸は金立て、大坂は銀立てで動き、金と銀の交換レートは常に変動していました。長く銀高基調だったので、大岡は銀安、金高にしようと貨幣の改鋳を断行します。辰巳屋の事件の背景に、江戸(金)VS.大坂(銀)の構図があったというのは興味深かったです。
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朝井:大坂は幕末まで「天下の台所」だったと言われますが、時代が下ると江戸に送られる米も増え、大坂経済は傾いていきます。この事件は、将軍が大坂の動向を気にし始めたことで大坂と江戸の均衡が崩れ、江戸が台頭する切っ掛けになったとの解釈もできるんです。また享保時代は、唐金屋のような朱印船貿易をしていた頃からの老舗と、五代将軍・綱吉の時代に台頭してきた新興勢力が混在していました。老舗の唐金屋と新興の辰巳屋の戦いも吉宗の時代を象徴していたので、起こるべくして起こったのかもしれません。ただ私は数字に弱いので、経済問題には、あまり踏み込みたくなかったんですが(笑)。
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──珍しい牡丹ぼたんを媒介にして、吉宗と唐金屋が結び付いていきます。(ですから著書表紙に善玉と悪玉を思わせる牡丹が描かれているのでしょう・・・ブログ筆者注釈。)この二人が結託したことで、吉兵衛は次第に追い込まれていきますが、これは史実なんですか。
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朝井:吉宗は植物好きで有名で、だから上方の商人が珍しい牡丹を献上したという記録が残っています。実は「辰巳屋一件」を書きたいと思ったのは、この牡丹がそもそものきっかけなんです。牡丹を贈ったのが、吉兵衛と敵対する乙之助の父・唐金屋だと知った時、事件には裏があると確信しました(笑)。当時の珍しい植物は現代まで伝わっていないものも多いので、そこはフィクションを広げやすかったです。
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──作中では、徳川将軍家には代々「花癖かへき」があったとされていましたが、この指摘にも驚きました。

朝井:江戸に入った家康は城やその周辺を開発しますが、その次に作ったのがお花畑なんです。しかも武家風の庭ではなく、草花を植えた〝ガーデン〟だったんです。

──この事件が不可解なのは、寺社奉行だった大岡が商家の相続争いという管轄外の案件を裁いたことでした。この謎の背景に、将軍と唐金屋には親密さがあったという朝井さんの説を読んで納得できました。

朝井:「大岡日記」を読むと、本当に辰巳屋を気にかけていたことが分かります。何を想っていたかは書いてありませんが、とにかく回数が多いんです。吉宗は唐金屋と結び付き、左遷されていた大岡は復権の機会をうかがっていたはずなので、そこに「忖度」の構図が見えてきました。
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──大岡が痔だったとありましたが……これは史実なんですか。

朝井:史実です(笑)。史料を読んで、大岡がスーパー官僚だったと実感しました。吉宗は江戸市中に桜を植えるように命じますが、実務を指揮したのは大岡なんです。そのほかにも土木事業や貨幣改鋳などを手掛けていますから、あれだけ仕事をしていればお尻も悪くなるだろうと思って書いていたら、後で史実と分かって驚きました(笑)。

──「忖度」「中間管理職の悲哀」、現代日本に続くひな形がすでに・・・。将軍には無理難題を押し付けられ、部下の尻拭いもしている大岡には、現代の中間管理職と重なる悲哀を感じました。

朝井:権力を握った人間が考えることや部下が上役の思惑を忖度する構図など、人は変わらないということなんでしょうね。感情や物事の捉え方も、あの頃に現代まで続く日本人のひな形ができたのかもしれません。

──中盤以降は、巨大な権力が結託して吉兵衛という小さな個人を圧殺していきます。これは現代でも起こりうるので、恐ろしく感じました。

朝井:そう言っていただけると嬉しいです。私は、物語が現代に通じていると判断するのは読者であって、自分がそう考えて書くのは違うと思っているのですが、連載中に森友問題が起きました。事件が大きくなる過程は辰巳屋一件と似ていて、権力の構造が事件を悪化させるし、トカゲの尻尾切りは今も昔も変わらないですね。森友問題はすぐに下火になると思っていたので、単行本が出る頃まで続いているとは想像もしていませんでしたが。

──吉兵衛は終盤になると、お白洲で最後まで抵抗し、自分を窮地に追い込んだ黒幕とその弱点を推理します。法廷サスペンスとしても、本格的なミステリとしても面白かったです。土壇場にまで追い込まれた吉兵衛が一矢報いるラストは、痛快でした。
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朝井:本当に一矢だけですけどね(笑)。江戸時代のお白洲は、事前に取り調べた書面だけで審議を進めるので、下手人が証言することはありませんでした。ただ吉兵衛は最後まで書面の内容を拒否し続けたので、法廷での尋問があったのでは、そこで黒幕と対決をしたのではないかと考えました。吉兵衛の支援者が法廷の外で奉行所の役人に賄賂攻勢をかけたのも史実で、それがゆえに江戸の官僚も巻き込んでの大疑獄事件に発展してしまったんです。

──本書は、朝井さんの作品では、一番エンタメ色が強くなっていませんでしたか。

朝井:ええ、舞台も登場人物も派手で大仕掛けですから、書いていて痛快でした。読者の皆様にも、存分に楽しんでいただきたいです!
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ところで、この「悪玉伝」は、第22回司馬遼太郎賞を受賞していますが、贈賞理由は・・・
元文五年(一七四〇)に起こった辰巳屋騒動に取材した物語。従来悪人と評されることが多かった吉兵衛を主人公に事件をとらえ直し、当時の大坂商人の洒脱で粋で度胸あふれる生き様を描き出した。事件の年には大岡越前による貨幣の改鋳が行なわれたように、江戸経済は大きな曲がり角にさしかかっていた。そうした金銀貨幣事情も背景とし、大坂と江戸との経済的なせめぎ合いもうまくとらえている。濡れ衣を着せられて投獄された吉兵衛のシーンは出色で、息を呑むばかりである。その中を生き抜く吉兵衛の姿に、大坂商人の心意気と懐の深さが現れていて、ラストのカタルシスにつながっている。物語性の豊かさや面白さと共に、批判されがちだった大坂商人の気質を肯定的にとらえ直したことや、ディテールの描写、実感の把握が優れていることも高く評価された。
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いゃあ、司馬遼さんも朝井さんのような作家が大阪で頑張っているのをきっと喜んでおられるとでしょうね。今回は私が蘊蓄を傾けるより皆さんの書かれたのを引用させて頂きました。多謝々々!
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袖振れ合うも多生の縁341~ABC朝日放送には女子アナがいなかった時代もあったのです。

ここ数年ずっと寝ながらNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたり、早朝は局を替えて朝日放送の「朝も早よから芦沢誠です」や「・・・桂紗綾です」を愛聴しています。
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「朝も早よから・・・」を聴くようになったのは、昨年まで中原秀一郎さんがやっており、中原さんとはずっと前、「トヨタさわやかパトロール」という番組を一緒にやらせて貰っていたので懐かしくてほぼ毎朝聴くようになり、彼がこの番組を卒業しても習慣として継続してしまっているのです。(「さわパト」は当初小田壽一さんでしたが、一週間だけ村井守さんだったこともありました)
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そういえば、ワタシはTV・ラジオの仕事は朝日放送とご縁が深く、ABCのアナウンサーさん達とも色々袖振れ合わせて頂きました。振り返ってみますと、まず、後に国会議員になられた故中村鋭一さん。
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その次はイギリスのBBCに出向されていたダンディな慶応ボーイの面影が幾つになっても漂っていた松倉一義さん。そして今も現役の道上洋三さん。
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それから「エキスタ女学院」(ラジオでなくTV番組)で故安倍憲幸さんと金木賢一さん。アベロクさんとはラジオの「アベロクのドンマイサンデー!」でもご一緒した飲み友達でした。
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最後は「東西南北 龍介が行く!}で秘書室長からアナに復帰された乾龍介さん。
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このような諸氏と袖振れ合わせて頂いたのですが、中村の鋭ちゃんや松倉さんとやらせて貰っていた頃のABCには女子アナが居なかったのです。女性の喋り手さんが数名、TTB(TVタレントビューロー)から派遣されていましたが、ニュースを読むこともなく、イベント告知のアナウンスぐらいしか声出しはなかったと思います。
処でワタシは2006年頃からABCとのおつきあいがなくなり今日に至っていますが、ABCもいつの頃からか女子アナを採用されるようになりました。そして2008年入社の女子アナ、桂紗綾さんにワタシは目下注目しているのであります。
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実は今年の1月、「朝も早よから・・・」の金曜バージョンを聴いた時、彼女が局アナとは知りませんでした。桂紗綾さんて噺家さんか、パーソナリティさんか・・・と思っていたのです。と言いますのは、私の知人にOSK出身で劇団四季を経てミュージカル女優の他、多方面で色々活躍されている竹内早苗さんという方がいて、彼女のニックネームが「さーな」でしたから、「さーや」という名前が本名とは思えず、芸名と思ったのです。しかし入社して10年、勤続10年の表彰をされた女子アナさんだったとは!
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ワタシがABCに出入りしなくなって、そんな月日がたってしまっているのですね。それは兎も角、「朝も早よから・・・」の冒頭部分で、紗綾さんはこの一週間にあった出来事についてトークしているのですが、それを聴いていると、彼女のパーソナリティというか、人物模様というか、人間性が良くわかり好ましく注目するようになったのです。
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例えば、平成から令和への大型連休で夫はヨーロッパ旅行、自分は仕事で留守番、夫が出発する朝、「土産は何が良い?」と聞かれたのに対し、「何もいらんわ。アンタさえ無事に帰って来てくれたら。」と答えた・・・と思わせて、「アンタさえ無事に帰って来てくれたらとは、心で思っても言いませんでしたけどね・・・」とさらっと躱すところや、お土産に買って貰ったワンピースを翌日早速着て夫を喜ばせたものの、それをお気に入りの白いブラウスと洗ってしまい、ブラウスにワンピースの色が染まってしまって、お土産は嬉しいもののブラウスが台無しになった恨みがましさなど、心の細やかなひだを語る喋り口に惹かれたのです。それからもうひとつ、区役所に結婚届けを夫と出しに行くクルマの中で泣いてしまった話も考えさせられました。
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桂紗綾という苗字と名前は、自分が生まれた時からずっと遣ってきた、自分そのものであり、自分のアイデンティテイなのに、苗字が変わってしまうと何か自分が自分じゃなくなるような気がする・・・そんな気持ちを訥々と話されていたと記憶しています。夫に桂姓を名乗って貰うことなど考えもしなかったので、戸籍上は夫の姓になったものの、ワーキングネームとして桂紗綾を遣い続けているそうです。ま、会社が、ABCが、ワーキングネームを認めてくれたから少しは救われたのでしょうが、日本も夫婦別姓の問題を真剣に考えるべきなのでしょうね。
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私は現在喜寿ですが、夫婦別姓は賛成です。処で、ワタシの名前である原彰というのはペンネームで、本名でなく筆名で物書きを始めた60年前、親父に「お前は大原を棄てるのか・・・}と言われたことがありました。因みに私の本名は大原久雄ですが、ずっと原彰でやっている頃は、役所とかで、「大原さん。」と呼ばれると、誰のこっちゃ。あ、オレや・・・と自分の事と気付くのに若干間があったのを覚えています。しかし、仕事を殆どリタイアした今、原でも大原でも、どっちゃでもえゝやないか、という塩梅です。ま、私事はさておき、桂紗綾さんて名前を聞いた時、噺家さんやないかと思ったのですが、彼女はプロではないものの、結構上手いアマチュア落語家なのだそうです。
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昨年、「第10回社会人落語日本一決定戦」に参加し、特別賞にあたる池田市長賞を受賞した由。
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では、彼女は落語の何がそんなに好きなのか。ABCのHPで彼女はこう語っています。
落語ってね、人と人との繋がりがとても濃くて深いんです。
登場人物はアホでどうしようもない人ばかりだけど、みんな愛おしいんです。
悪い人でも許してしまうくらい可愛らしくて笑いに溢れている。
かと思えば、ぐっと心を引き込んで泣かせるような良い噺もあったりして。
人の温かさを感じる世界なんですね。
何となく今の社会に足りないものが落語の世界には優しく漂っている気がするんです。
落語の世界に移住したい!と、わけわらん願望を抱くようになりました(笑)

このコメントで、桂紗綾さんに益々惹かれたワタシなのです。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁340~古参講釈師、一龍斎貞心師匠とは50年来の旧知です!

前回は落語家の笑福亭銀瓶さんでしたが、今回は好男子、いえ講談師、講釈師でワタシと袖触れ合った、一龍斎貞心さんの話です。
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師匠のプロフィールは、講談協会のオフィシャルウェブサイトによりますと・・・


○一龍齋 貞心(いちりゅうさい ていしん)
○本  名 大友 良雄
○階  級 真打
○役  職 協会理事・事務局長
○生  年 昭和17年(1942年)
○出身地 東京・池袋

○芸  歴 昭和32年3月 映画「異母兄弟」に次男剛次郎役で出演。
     NHK「おいらの町」「若い季節」等レギュラー出演他、多数出演。
     昭和45年2月 六代目一龍齋貞丈師に師事。貞司を名乗る。
    昭和55年4月 真打に昇進。貞心と改め現在に至る。

○読 物 「赤穂義士伝」 「玉菊灯籠」 「は組小町」 「八百蔵吉五郎」 「中村仲蔵」
○趣 味 野球、ゴルフ、テニス、スキー
○講 演 【見直そう日本の文化】をテーマに「生活(くらし)の中の江戸文化」等

○受 賞 昭和56年度 文化庁芸術祭優秀賞
     平成12年度 文化庁芸術祭優秀賞

○著 書 「講釈・江戸史跡めぐり」

師匠はワタシと同い年で、彼の本名は大友良雄、ワタシは大原久雄、二字違いで大違い、そんなに余計なことはさておいて、協会のプロフィールには書かれていませんが、彼は子供の頃劇団こまどりで活躍した子役さんでした。そして劇団造形(新劇の劇団ですが、この名前を知ってる人も少なくなったでしょうね)に入団した後だったか前だったか定かではありませんが、知人に紹介されすぐに意気投合、ワタシが友人とやっていた劇団黒(現在フランスの特殊メイク第一人者クルッペ・麗子さんも在籍していました)の公演に東京から来演してくれたこともありました。
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あれは20歳過ぎだったかな。上演時間1時30分くらいの本でしたが、彼は一読したら自分の役の台詞の半分くらいは覚えているという、凄い記憶の持ち主でした。
ですから、その後、話芸に生きると決意し、講談師となってもネタを覚えるのはさほど苦労しなかったのではないでしょうか。処で彼は6代目一龍斎貞丈師匠に入門したのですが、貞心さん、その頃は貞司さん(俳優の芸名が若杉幸司だったので、貞司に)でしたが、彼の最初の独演会にゲスト出演された故立川談志さんは、彼の語り口が先代の貞丈大師匠に似ていて期待の持てる奴と評していました。
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先代の貞丈師匠(写真上)は、お笑い三人組(江戸屋猫八・一龍斎貞鳳・三遊亭小金馬)で名をはせ、後に国会議員になった一龍斎貞鳳さんや、怪談話の第一人者一龍斎貞水さんなど優れた門下生が輩出した偉大な大師匠なんですよ。
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そんな貞心師匠が二つ目の頃、私は彼の読み物の本を書いたことがありました。1971年だったと思いますが、当時毎日放送TVの『奥様2時です!』というワイドショーの構成をやらせて頂いており、「世相演芸会」なる企画をブレゼンし、GOになったのです。それは、世の中の出来事にとんちんかんな難癖をつけ、「責任者出てこい!」の決めゼリフを吐く、ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子(じんせい こうろ・いくえ さちこ)ご両人を中心に、漫才や漫談などで世相を叱りまくったり、或いは笑いのめしたりという、硬派軟派ごちゃ混ぜの演芸会でした。
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この番組に友人の貞司さんを招きたく、安達ヶ原の鬼婆が赤子を取って食う伝説と子供の虐待をオーバラップさせた『古今東西安達ヶ原譚』なる新作講談をやっていると偽り、プロデューサーとディレクターにOKさせたのです。
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GOになったので、私はそれ迄講談の読み物なんて書いたことはないのですが、ままよ!と慌てて台本を書き上げ至急送付し、彼は即覚えて出演してくれたという訳でした。いやあ、ようあんな離れ業やりましたなぁ。あの番組のスタッフがもしご存命で、万一このブログを読まれたとしても、遠い昔の話やと笑い話ですませて貰えると思います。あれから50年、貞司さん、いや貞心師匠は講談協会の理事であり事務局長をも兼務し、一門外の若手にも仕事を回したり様々な面倒を見たりされているとか。又ご自身は2人のお弟子さん、それも女流を抱えておられるのです。
筆頭弟子一龍斎貞寿さん(写真下)のブログによれば、<貞心一門はいつも仲良し>だとか。
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ある日、鶴賀若狭掾師匠の会に行ってみると・・・今回、うちの師匠が司会なんですが。あら、まあ!どうしたんですか!師匠、突然、劇老け!!
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玉手箱でも開けたんですか!!…というのは冗談で。今回は「初代鶴賀若狭掾生誕三百年」を記念する演奏会。ということで、初代若狭掾師匠に扮して司会をなさるという趣向、だそうで。当人、この恰好が、かなりお気に入りの御様子。

(ちなみに衣装は自前です)
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ちゃっかり、妹弟子(一龍斎貞奈)に写真とらせてました(笑)
うちの妹弟子も一言。
「わあ、師匠、いいですねえ、おじいちゃん感、半端ないです」
…それ、褒めてるの?ねえ、褒めてるの?(笑)
彼女のこういうところ、好きです。
ほどなくして、師匠、お召し変え。
「あれ、洋服に着替えるんですか?」
「そりゃそうだよ、ずっと、このままじゃ進行しにくいし、今日は舞台上みんな着物だからな」
なるほど。洋服の方が、かえって舞台では目立つことでしょう。
しかし、師匠。いくら目立ちたいとはいえ…
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このスーツはどうでしょう。
疲れた私を笑わそうと云う、そういうお心遣いなんでしょうか。
うちの妹弟子が一言。
「わあ、師匠、こんなネクタイ、締めてる人いませんよ」
…それ、褒めてるの?ねえ、褒めてるの?(笑)
彼女のこういうところ、好きです。私が調子にのりまして、
「師匠、ちょっとナナメにポーズお願いします」
とリクエストすると、嬉しそうに
「モデル立ち?モデル立ち?」
とポーズを決めてくださる師匠。
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うん、師匠、ばっちりっす!
Vシネ感、半端ないっす!
このスーツを着こなせるのは、竹内力か一龍齋貞心だけっす!
このまま、マルベル堂で販売したいくらいっす!
普通、弟子と師匠って、こんな感じじゃないと思いますし、
もちろん私も、時と場所を選んで、くだけさせて頂いているつもりではありますが。
調子にのった弟子を叱るでもなく、一緒に楽しんでくださる。
師匠の元に弟子入りして良かった、と思います。
貞心一門は、今日も仲良しです(笑)

このように貞心一門は和気藹々なんですね。でも師匠の為に一言。
貞心師匠はこんなスーツ、普段着てませんから、ご安心下さい。
ではでは。




袖振れ合うも多生の縁339~昼TVをつけると笑福亭銀瓶さんが、夜ラジオをつけると又銀瓶さんが!~

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先日の昼間、TVをつけるとNHKだったか、笑福亭銀瓶さんが落語を演ってました。演目は「ちはやぶる」やったと思います。そして夜、ベッドサイドのラジオをつけると又々銀瓶さんが落語「天災」を・・・!
どちらも番組表を見て、銀ちゃんが出演していると知っててつけたんやないんです。全くの偶然なんですが、こんなことてあるんですね。
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銀ちゃんとは14、5年前になりますが、ABCラジオの「東西南北龍介が行く!」という番組でご一緒させて貰ろてました。この番組で一緒に何をやってたかというと、リスナーから寄せられた疑問・質問を番組終了迄に調べて答える<お調べ隊>なるお役目をUプロデューサーから仰せつかっていたのです。
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私はこの番組の数年前にも、「トヨタさわやかパトロール」なる番組で、Uさんに喋り手としてスカウトされ、同様のお役目、お調べ隊長をやらせて頂いておりましたが、「東西南北・・・」では銀ちゃんに隊長を譲り、私は隊員でありました。
そんな昔のことは兎も角、銀瓶さんがOBCラジオで「笑福亭銀瓶の銀ぎんワイド」(月~金)をやってはる時も、私が主宰していたBATの舞台公演PRに何度か出演させて貰いました。その節はほんまにおおきに、ありがとさん!
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処で、偶然にも単なる偶然と意味のある偶然があるそうですが、一日に二度もスイッチ・オンするや否やTVもラジオにも銀瓶さんが登場するなんて・・・何かの予兆なのか、それとも単に銀ちゃんが売れっ子だという証なのでしょうか?

あ、そういえば昔、河島英五さんともそんなことがありましたよ!
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河島英五さんの数々の唄の中では「酒と泪と男と女」に籠められた男の、女の、人間の哀愁がワタシは堪らなく好きなのであります。
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それはさておき、多分20年以上も前だたと思いますが、たまたまTVをつけると河島英五さんが出ていて、「歳の離れた妹に、『お兄ちゃん、霊界ってあるんやろか? 』 と聞かれて・・・」云々という話をされていたのです。その歳の離れた妹さんというのは、当時OSKに在籍していた橘サラさんで、「霊界」というのは故丹波哲郎さんの霊界を私がミュージカルにし、橘サラさんは初舞台で出演していたのです。
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そして又ある時、たまたまTVをつけると、又英五さんが出ていて、「この劇場は(今は閉鎖された森ノ宮の青少年会館)娘のあみるが初舞台を踏んだ劇場で、『秘密の花園』というミュージカルやったけど、これがえゝ本で・・・」という話をされていたのです。
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このえゝ本を書いたのは私で、何気なくTVをつけた途端に一度ならず二度も河島英五さんが映り、しかも私に関係のある話をされている! というので何か不思議な縁のようなものを感じてしまったことがあったのです。処で、英五さんの妹の橘サラさんとはOSKで何度もご一緒しましたが、彼女の最後の舞台は、故佐野洋子さんの絵本『百万回生きたねこ』をミュージカルにした作品でした。
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そして15年程前、私はテーマパーク、パルケエスパーニャのエンタテイメントの総合演出を任されていて、キャラクターショーやパレードの振付を誰に頼もうかと思案中、ジャズダンス協会の公演で、偶然会った橘サラさんとご主人の大向井隆夫さんに依頼したのです。
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その初日、大向井クンとサラさんの息子、隆太クンが遊びに来ていて、当時幼稚園児だった隆太クンはワタシの孫のような年頃でしたから、カレが甘えてくるのでずっとだっこしていたのを覚えています。この隆太クンともあるご縁があるのですが、それは秘密の花園に隠しておきます。でも今回の銀瓶さんとの偶然が、何か意味のあることだと分かったらブログに書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁338~竹原ピストルさんのシアターライブ、超圧巻でした!~

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昨年から見たい見たいと想いながらチケットが全然取れなかった竹原ピストルさんのライブに先日、といっても大分前のことですが、勇躍行ってきました!チケットの取り扱いはe+なんですが、昨年は先行発売に3度申し込んだものの全部外れで、一般発売日の発売時間に即申し込んでも既にソールドアウトだったのです。でも、今年は最初の先行発売の抽選で見事当たりました。やった!
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この日のピストルさんのライブを一言で言と、
ひたすら歌う! とにかく歌う! 寸暇を惜しんで歌いまくる!
この言葉に尽きるのではないでしょうか。さだまさしさんや故やしきたかじんさんのように、歌より喋りの方が多いのんとちゃうか・・・と思わせるようなことは全くなく、1曲を全力振り絞って歌い切ると、汗を拭く間も惜しんで顔をささっと拭ったタオルを投げ捨て、ペットボトルの水を口にほりこみ、間髪入れず次の曲にうつるのです。休憩なしの90分、何曲歌ったのか数えられない程次から次へと歌い続ける有様で、まさに獅子奮迅、全力疾走なのです!そんなピストルさんの姿に私は何故か、遮二無二走る公務員ランナー川内優輝選手を思い浮かべていました。
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川内選手のことはさておき、このライブはドラム&パーカッションのあらきゆうこさん、ベースギターのサトウヨウスケさんとのトリオで重厚なサウンドを叩き出しているのですが、途中あらきさんとサトウさんを休ませても、ピストルさんはその間3曲独りで歌っているのです。いゃあ、これって感動ものでした。
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ところでドラムのあらきゆうこさん、小柄な女性なのに何とまあパワフルにしてエネルギッシュで、男性ドラマーなんて目じゃないと思わせるド迫力なのです!
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又、ギターのサトウヨウスケさんも超テクニシャンにしてエネルギッシュ、重低音からハイトーンまで、聴覚をこえる高周波が体感をしびれさせるのです!
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さて、ピストルさんのボーカルでどなん曲が良かったかというと、ラップまがいの曲やロックっぽい曲も素晴らしかったのですが、私の琴線に触れた、心の糸を掻き鳴らし高揚させたのは、<For Ever Young>と<Amazing Grace>でした。以前CDやYouTubeで見聴きした時より高音のファルセットのパートが進化しているように思わせてくれました。
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<For Ever Young>の歌詞に
満ち満ちた若葉はいつだって 色褪せた枯れ葉の上にひらくのさ

とありますが、彼の歌声もそうなんですね。又<Amazing Grace>の歌詞のワンフレーズは、
ミジンコくらいにちいさくなって あなたのおなかの中に出陣したい たとえ刺し違えても あなたを蝕むがん細胞を ぶっ殺してやりたい』
なのですが、これってSF映画<ミクロの決死隊>のようですね。
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<ミクロの決死隊>の粗筋は、物体を細菌大に縮小し長時間体内に浮遊しうる研究を完成した博士が脳内出血を起こしたので、潜行艇に医師と科学者を乗せミクロ大に縮小し、博士の頚動脈に注射し、博士の脳内出血部に到達させてレーザー光線で治療しようというお話なのです。
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<ミクロの決死隊>は1966年、ピストルさんが生まれる10年前に製作されたアメリカ映画で、50年以上も前に公開された旧作を知ってる人も少ないでしょうし、多分ピストルさんはご覧になっていないでしょうね。私はピストルさんの<Amazing Grace>をCDで聴いた時、こんな古いSFを思い出しましたすが、それは兎も角、原曲の作詞は奴隷商人から牧師になったイギリス人ジョン・ニュートンで、己の犯した罪の悔悟と赦し賜うた神への感謝を歌っているのです。
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一寸長いですが原詩と意訳をworldfolksong.comからコピペさせて頂きますと・・・

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう

原詩と比べると、ミジンコがアメージングな驚くべき神の恩寵を歌いあげた曲に登場するのが何とも面白く、ピストルさん面目躍如と思うのであります。でもピストルさんは大真面目に歌詞を書き、切々とシャウトし、絶叫するが如く歌い上げたのに、私は胸を打たれたのでありま~す。処でこの曲はアンコールで歌われたのですが、本編90分、更にアンコールで30分、都合120分をてんこ盛りに歌い継いだライブは圧巻で、満腹!御馳走様!と申し上げ終わりたいと思います。画像画像ではでは。

袖振れ合うも多生の縁337~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅴ)!

今回は令和になって初めて送られてきた月報を、早速取り上げさせて貰いました。いや、ええ話が載ってたので・・・
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「いよいよ令和やけど、どんな世の中になるんやろ?」
「きっと希望あふれる時代やと思う。ブータンの言葉ゾンカ語でレイワは希望という意味やからな。」「そうなんですか!」
「そや。ブータンは国民総幸福量を国造りの根本にしてるのや。そんな国のある少女の話やけど、その子はお母さんにブローチをプレゼントされ学校にしていったら、友達にメチャ羨ましがられたんやて。」
「その子を取り囲んで、みんなワイワイはしゃいだでしょうね。」
「いや。2、3人しょんぼりしてたとか。貧乏で自分は買うてもらわれへんから悲しかったんやろ。」「可哀想に・・・」「それでその子は家に帰ってブローチをお母さんにあずけて、私に孫が出来たらあげるのや。その頃はみんながブローチ買うて貰えるように豊かになってるから。そう言うたそうな。」「その子、偉い!」「友達を思いやる気持ちだけやのうて、未来を信じてるし、未来に希望を持ってるもんな。」
「日本もわが社も未来を信じ、希望が持てるよう頑張りましょう!」


このブータンの少女の話、ワタシも読んだことがありますわ。スローライフの提唱をされたり、ブータンの国是、国民層幸福量制度を研究する為、ブータンに長年住み着いていはった、辻信一さんという明治学院大学教授の著書に書かれていたと思います。
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ところで、外務省(我が国の)HPによりますと・・・

ブータンの1人当たりの国民総所得は1,920米ドル(世界銀行,2010年)であるにもかかわらず,国勢調査(2005年)ではブータン国民の約97%が「幸せ」と回答しています。
「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」と1970年代にGNHの概念を提唱したのは,先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王でした。
(写真下はシンゲ先代国王と国王肖像画の100ニュルタム紙幣)

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再びわが国外務省のHPによりますと・・・

GNHは,経済成長を重視する姿勢を見直し,伝統的な社会・文化や民意,環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方です。その背景には仏教の価値観があり,環境保護,文化の推進など4本柱のもと,9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標が策定されています。国家がGNH追求のために努力することは憲法にも明記され,政策を立案,調整するGNH委員会が重要な役割を担っています。ブータンはGNHを基本方針とする独特の政策をとっています。例えば医療費と教育費は無料で,煙草の持ち込みや高山への登山は禁止です。伝統文化を重んじ公的な場所では民族衣装の着用を義務づけています。

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また,国土の森林面積の割合を60%以上に維持することを定め,森林や伐採業務を国有化。自然環境保護を国是とするブータンは,近年のエコロジーの流れもあって世界から注目を浴びています。絶滅危惧種であるオグロヅルが飛来するポプジカ谷では,オグロヅルを保護するために住民が地上の電線施設を一時断念しました(現在は地下ケーブルにより電化が実現)。この話はGNHの理念を象徴するエピソードです。一方で,都市への若者人口流入や雇用不足などの問題も起こっており,政府は急速な近代化ではなく持続可能な発展を目指しています。
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上記のようなブータン国紹介を、外務省の官僚さんが書かれているのですが、どのような気持ちで書かれたのでしょうか。わが国もこうありたいと思っていらっしゃるのかどうか、一度お聴きしてみたいものです。
それはさておき、ブータンの子供たちって、未来を信じているのでしょうね。
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日本の子度たちもそうであって欲しい、子供たちが未来に希望を持てる国であって欲しい・・・そう願うばかりです。

袖振れ合うも多生の縁336~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅳ)!

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「今月は世阿弥の<初心忘るべからず>についてや。」
「物事を始めた時の気持ちを忘れたらアカンゆうことですね。」
「そうやけど、本当の意味は一寸違うねん。<初>という字は<衣>偏に<刀>で、着物を仕立てる時、一枚の布を裁ち次々と刀を入れ布の形を変えて仕上げるから、初心とは変わる事、変えていく事で、それを忘れるなというのが真意やそうや。」
「えー、知りませんでした。」
「世阿弥は、お能の稽古は一生をかけての修行で、もうこれでえゝちゅうことはない、常に自己変革すべしと教えてるのや。」
「そうか、能楽だけやのうて何事もそうですよね。」
「そや。脳科学者の茂木健一郎さんは、人生最高の創造は自己変革やと言うてはる。私も三代目社長になった時より少しは成長してるやろけど、これから益々変わろと思てる。来年から、いや来月から、いやいや今日から変わります!」
「どない変わりはるのか楽しみや。よーし、ボクも変身する象!」


この月報見るまでは、私も<初心忘るべからず>は<物事を始めた時の気持ちを忘れるな>ということやと思てましたから、青天の霹靂でした!
成る程<初>という字は<衣偏に刀>ですから、着物を仕立てる時の裁断から来たのでしょう。
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誰もが能楽のお稽古をしてるわけやないですけど、生涯学習というように学びは一生ものですから、私も日々勉強し続けて変わり続けますわ。そやけど茂木健一郎さんもえゝこと言うてはりますな。そうか、自己変革が人生最高の創造か・・・
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ほな、昨秋ガラ携を廃棄し古き良き昭和に立ち返ったワタシは人生最高のクリエイトをしたっちゅう訳ですな。
これ、自己満足でしょうね。それはさておき、次も私は目から鱗でした。
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「今月は<鶴の恩送り>についてや。」
「あれ、<鶴の恩返し>やないんですか。」
「普通知られてるのは、鶴が助けて貰ろた恩を機織りして返すのやけど、元々は受けた恩を返すのやのうて、鶴から人へ、人間が自然から受ける恵みの話しやった。」
「知りませんでした。」
「あのな、恩返しは二人だけのやり取りやけど、恩送りは誰かから受けた恩を送り渡すように別の人に対してする、そしてその別の人が又誰かにする。」
「成る程、そしたら二人だけやのうて、次々広がりますよね!」
「そやろ。鶴から受けた恵みを道端の草に返すのも良し、人に返してもえゝのや。私もお得意様はじめ色々な方にご恩を受けてるから、それをデフバスケやアイバンクなど福祉に返させて貰ろてる。英語で言うと、恩を、恵みを未来まで届ける幸せのぐるぐる巡りや。」
「えゝですね!その恵みの輪を、幸せの輪を、社長からボクが受け継ぎますわ!」
「嬉しいな! これも立派な、次代へつなぐ新たな挑戦や!」


私は長年演劇をやってましたけど、木下順二さん作・山本安英さん主演の「夕鶴」を何度も観劇して感激しましたので(安易な語呂合わせですナ)、
人間に助けられた鶴が機織りして恩を返すとアタマにこびりついてましたけど、本来は<恩送り>やったとは!
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考えてみますと、<恩返し>より<恩送り>の方がずっとずーっと広がりがあるし、エンドレスになりそうですよね。
そうそう、月報でもにふれてますが、これってワーナーブラザーズの映画なんです。
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あらすじは・・・
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。 中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
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私も今まで長い人生を歩んでた間に色々な人のお世話になってここまでやって来られましたから、そのペイ・フオワードを始めたいと思います。
さて、私のファーストステップがどのように広がるのでしょうか。それは神のみぞ知るですが・・・。
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袖振れ合うも多生の縁335~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅲ)!

4月26日のブログで次回は2017年の<Say象のつぶやきます象!>を取り上げると予告しましたが、令和がらみで一ヶ月過ぎてしまいました。今日、久しぶりに<Say象のつぶやきます象!>を取り上げさせて頂きます。
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「新年も早、松の内を過ぎましたね。」
「今迄キミに印刷と出版とITの話をしてきたけど、今年は福祉について聞いて貰おと思てるのや。」
「福祉て、一昨年夏に始めたセブン中桜塚事業所の事ですか?」
「そや。そやけどそれだけやないで。去年、障がい者は生きる価値が無いて殺そうとした哀しい事件があったよな。」「はい、メチャ可哀想でいつの間にか泪が・・・」
「私は障害を抱えてる人をもっともっと大切にせなアカンと思てる。古代文明を誇ったインカには、6本指の掌の周りを囲んだ5本指の掌が、障害のある掌を大切そうに優しく守ってる図柄の織物があるのや。」
「うわー、それってスゴイ!」
「障がい者は神様に選ばれた人という考え方がインカにはあったのや。この精神を私達も学んだらええのにな。」「ボクもそう思います。いや、思うだけやのうて出来る事があったら何かやりたいです!」
「私もそや!そんな思いで取り組んでますが詳細は追々お話し致しますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます!」


私もインカの6本指タペストリーを見て思うところ大でした。この月報の筆者さんが仰るように、障がいを持って生まれた人や人生の道すがら障がいに出逢った人達は、神様に選ばれ重荷を背負った偉い存在なんだと敬う風潮が少しでも広まれば・・・と思います。
ところで、この月報を出してはる日本印刷出版の小林社長は、長年大阪アイバンに協賛する他、色々福祉に貢献されていて、わが友ながら偉い!と思います。こない言うと社長は、「いゃあ、エライのは身体の方ですわ」と照れ笑いされるでしょうね。
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お次は東京オリンピック・パラリンピック開幕まであと500日の先日、全33競技の「ピクトグラム」50種類が発表されましたね。ピクトグラムとは各競技や施設を絵文字で表す記号で、競技用はTVなどでも取り上げられていましたが、施設は紹介されていませんでしたから、ここで少し取り上げてみましょう。
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上図の左列下から二番目に<オストメイト用設備>がありますが、オストメイトとは癌や事故などにより消化管や尿管が損なわれ、人工肛門や人工膀胱を持っている人のことなのです。
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それから上図左列一番下の<カームダウン クールダウン>は、障害のある人が落ち着ける、暗くて静かな部屋なのです。
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ところで、前からパラリンピックのパラて何やろと思てたんですが、下の月報で分かりました。皆さんはご存じでしたか?ご存じなかったら、読んでみて下さい。
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「風薫る季節です。」
「はい。ボク、風切って飛ばすブーメラン大好きなんです。あ、先日赤と青と緑のブーメランみたいなマークを見たんですが、あれって何ですか?」
「それはパラリンピックのシンボルマークで、人間の心(スピリット)と身体(ボディ)と魂(マインド)を赤・青・緑の三色で表してるのや。」
「そうか、3つの内どれが欠けても困るもんね。」
「そや。私はな、<福祉は文化>が信条やからパラリンピックはスポーツであり文化でもあると思てる。」
「成る程。そやから2020年の東京パラリンピックは是非成功して欲しいですね。処で、パラリンピックのパラって?」
「パラプレジア(Paraplegia:脊髄損傷で下半身が不自由な症状)のパラで、そんな人達の競技会という意味やったけど、今はパラレル(Parallel:平行)なオリンピック、同時期に行われる<もう一つのオリンピック>と意味づけをしてるのや。」
「パラレルの方がずっとえゝですね!」
「異次元世界(パラレルワールド)でもパラリンピックやってるかも???????」


Say象クンやないけれど、<パラ>の意味は<バラレル>の方が勿論良いし、世界中の人々の意識が本当にオリンピックと同じで、パラレルに行われる競技会であることを切に切に願っております。ではでは。