袖振れ合うも多生の縁393~スポーツの和名って結構面白いですよ。~

明治時代の野球.jpg前回のブログで、<ベースボール>を<野球>と訳したのは、旧制一高OBの中馬庚と書きましたが、ベースは塁、ボールは球だから、
<塁球>と訳しそうなのに
<野球>としたのは、野原のような広い所でやるからでしょうね。
テニス3.jpg


では、<テニス>は庭くらいの広さが必要だから、<庭球>なのでしょう。
そんなことを思っていると、色々なスポーツ和名を知りたくなり、一寸調べてみました。

○アーチェリー:洋弓。日本の弓道、和弓に対し洋弓と表記。
○アイスホッケー:氷球。氷上でホッケーを行うので。
○ホッケー:杖球(じょうきゅう)。スティックを使うから。
○アメリカンフットボール:鎧球(がいきゅう)。プロテクター(鎧)を用いるから。
○ウォーターポロ:水球。水中での競技だから。

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アイスホッケー.jpg
ホッケー.jpg
アメリカンフットボール.jpg
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○ゲートボール:門球(もんきゅう)。日本発祥で門に球を通し点を取り合うから。○ゴルフ:孔球(こうきゅう)。球にディンプル(孔)があるので。

ゲートボール.jpg
ゴルフ.jpg
○サッカー:蹴球。足でボールを蹴るから。
○セパタクロー:籐球。セパ(蹴る)+タクロー(ボール)は籐で作るから。
○ソフトボール:塁球。ソフト(軟・柔)+ボール(球)だから、軟球か柔球では? 塁球を英訳するとベースボールやで。

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セバタクロー.jpg
ソフトボール.JPG
○テーブルテニス:卓球。日本では中国名由来のピンポンとも呼ばれています。
○ドッジボール:避球(ひきゅう)。当てられないように避けるから。

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ドッジボール.jpg
○バスケットボール:籠球。籠にボールを入れるから。
○バドミントン:羽球。羽の付いた球を打ち合うから。バトミントンでなくバドミントン(badminton)。
○バレーボール:排球。自分の陣地に来たボールを相手のボールに返すからとの説あり。でも私は、セッターがアタッカーに球を排するからと推測。
○ハンドボール:送球。中国語では手球と書く。

バスケ1.jpg
バドミントン.jpg
バレーボール.jpg

ハンドボール1.jpg
○ビリヤード:撞球(どうきゅう)。「撞」は「つく」の意で、「玉突き」とも言われる。
○ボウリング:十柱戯(じゅっちゅうぎ)。10本のピンを倒すから。ピンて柱?
○ボクシング:拳闘。拳(こぶし)で闘うから。これって名和訳!と思いませんか?

ビリヤード.jpg
ボウリング.jpg
ボクシング.jpg
○ラグビー:闘球。ワールドカップで人気絶頂、まさに闘い球を奪い合う競技!○ラクロス:棒網球・袋球。網の付いた棒を使いボールをゴールに入れるから。

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ラクロス.jpg
この他、剣道は「KENDO」、柔道は「JUDOU」と外国でも呼ばれていますが・・・

剣道.jpg柔道.jpgフェンシング.jpg
フェンシングは洋式剣術??? いえ、そうじゃなく、和名はありませんでした。
ながながとお付き合い下さり、ほんまにほんまにありがとさんでござりました。

袖振れ合うも多生の縁392~俳人正岡子規の号のひとつに野球というのがありますが、これは「やきゅう」でなく「のボール」と読むのです。~

マリアさま1.jpgプロ野球もやっと始まり、関西の糾弾はセパともに前代未聞とも言うべき惨憺たる有様ですが、それはさておき、先日いしいしんじさんの「マリアさま」を読みました。
いしいしんじさんは京都在住で、坪田譲治文学賞や織田作之助賞、河合隼雄物語賞などを受賞されているユニークな作家さんで、ワタシは結構ファンなんです。
処で、いしいさんの小学生の息子ひとひクンは、クレージーケンバンドのボーカル横山剣さんの熱烈ファンだそうです。それでひとひクンの誕生日祝いに、お父さんのしんじさんが親友である剣さんに連絡したところ、剣さんは押っ取り刀で駆けつけてくれ、ひとひクンは狂喜乱舞したとか。
普通息子の誕生日会に、剣さんのようなビッグシンガーに声をかけたりしませんわな。いしいしんじさんは、そんな風変わりな一面のある方のようです。いしいしんじさん1.jpg
さて、下の写真は俳人の正岡子規ですが、「マリアさま」に一寸面白いことが書いてありました。正岡子規1.jpg
それはミニSFで、野球大好き人間だった正岡子規が、現在のプロ野球を観戦するシーンなんです。ピッチャーの投げた球に「何という速さだ!」とたまげ、「あんなでは、棒(バット)に当たるまい。いやはや、退屈な試合になりそうだ」と嘆くのです。
明治時代の野球.jpg
と言いますのは、明治初期も投手はみな下手投げで、打者のリクエストに応じて、高め、真ん中、低めを投げ分けていたとか。気持ちよく打たせてアウトを取るのが、良い投手の条件だったそうです。こんな投手が良いピッチャーなら、マエケンもマーくんも、ど下手や・・・と言われるのでしょうね。
処で、正岡子規は本名が升(のぼる)だったので、野球(やきゅうでなくて、のボール)という雅号を使っていたこともあったとか。子規の像にもバットを持っている姿のがけっこうあるようですから、ホンマに好きやったんですね。
正岡子規像2.jpg
子規は野球という号を使っていたことがあるので、ベースボールを野球と訳したのは正岡子規と思われているようですが、さにあらず。ベースボールを「野球」と訳したのは旧制一高OBの中馬庚であり、「野球」がはじめて活字になったのは、明治28年(1895)の『一高野球部史』(中馬庚著)の由。ワタシは遠い昔、野球少年だったので、昔日を懐かしく思い出した次第です。
ではでは、今回はこの辺で。
今日こそ、タイガースもオリックスも頑張ってや! いや、雨で試合せんほうがええかもね・・・

袖振れ合うも多生の縁391~「ぼくはイエローでホワイトで、ブルー」から「ぼくはイエローでホワイトで、グリーン」へ ~

え、何、何? イエローにホワテトにブルーにグリーン!? えーと、色の三原色はCMYK(シアンcyan・マゼンタmagenta・イエローyellow)、光の三原色はRGB(赤Red・緑Green・青Blue)ですわな。
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一寸余計なことから書き始めましたが、今回は光の三原色も色の三原色もカンケーなく、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というのは、保育士・ライター・コラムニスト、ブレイディ・みかこさんの目下メチャ注目を集めているノンフィクション・エッセーなのです。
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この本がどんな中味なのかと言いますと、出版元新潮社のHPによれば・・・

優等生の「ぼく」が通う元・底辺中学は、毎日が事件の連続。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子とパンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。落涙必至の等身大ノンフィクション。
著者は、アイルランド人の夫と息子と3人で英国のブライトン在住。
“底辺託児所”で過ごした息子はカトリック系の名門小学校に進学しましたが、中学校進学が大きな転機に。名門のカトリック系中学に進学するか、地元の公立“元底辺中学校”に進学するか、その判断は息子の手に。そして息子氏は、果敢にも元底辺中学校への進学を選択するのです。そして著者は冒頭の「はじめに」にて、「中学生の日常を書き綴ることが、こんなに面白くなるとは考えたこともなかった」と記すことになるのです。
著者の言葉は誇張でも何でもなく、本当に面白い。
毎日、次々と驚くことばかり、まさに興奮尽きなし。明日は何が起きるのだろうかと、頁を繰る度にワクワクする程です。
ただ面白いというだけでなく、その中身が素晴らしい。
毎日問題にぶつかる度に息子氏が示す反応に、何と健やかな逞しさを感じさせられることか。
それらにおいて息子氏の抱く疑問もまた然り。
ただ、その疑問に適切な回答を示せる大人がいてこそ、子供は正しく育つのだ、という思いを新たにします。
(※ホント良い息子さんですよねぇ~、惚れ惚れします)
しかし、移民が多い国、地域とはこんなにも問題、課題が多いことかと思います。普通に学校に通っているだけでも、様々な問題や疑問がいくらでも湧いてくるかのよう。
大人にとっても、とても為になるなぁ、と思える一冊です。
ひとつの枠にはまった考え方しかできない大人の、何と情けないことか、とも感じさせられます。だから大人もきちんと問題、課題に向かい合わねば。
一応、息子氏が中心軸ですが、ある時は息子氏に驚かされ、ある時は息子氏と一緒に疑問を感じ、共にあれこれ考えるという著者の姿勢もお見事。
小説以上に面白く、つい興奮させられ、時に感動尽きず、という掌篇的なノンフィクション。
是非、お薦めです!

とまあ、出版社はPRしていますが、一読してホンマに面白いのです。書店の皆さんも、しゃかりきに力を入れてはります。
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書店の方だけやのうて、こんな方達もベタ褒めしてますよ。
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そやけど、流石プロの物書きさんは短い中にうまいこと、的確に中味を表現しはるなあ・・・と感心させられました。ワタシも一応プロの物書きやったこともあるんですが、いやぁ、脱帽ですわ。著者のみかこさんは、識者や書店員のみなさんにこない言うてはります。

 みなさんお忙しい中、わざわざ私のような不届き者の酒飲みババアの駄文について時間を割いて書いてくださっていて、いやちょっと泣きそうになっています(←けっして酔っているからではない)。
 ふつう、本を書いたときには「よっしゃー!」とか「うーん……」とか正直いろいろ感慨はあるんですけど、この本に関してはあまりに自分に近いところにある物事を書いているので、よくわからないというか、いったいこんなものを人様が読んでおもしろいんだろうか。という気持ちしかなかったので、励みになります。書店員のみなさま、本当にありがとうございます。サンクス・ア・ミリオンどころか、サンクス・ア・ビリオンです。

さてと、人様の感想ばかり書いてないで、ワタシもひとこと。下の写真は、同著の帯を撮った表紙ですが、このイラストって、みかこさんのお子さんですよね。で、靴を履いたというか、履きおえたというか、そんな少年の単なるポーズと最初は思っていたのですが、さに非ず!
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この子は他人の靴を履いたところなのです!なんで他人のクツやねん!? フツー自分のんを履くわな。でも、このイラストが他人のクツを履いたとワタシが言う訳は、下に掲載しました同著の目次の 5 誰かの靴を履いてみること をフィーチュアしているからなのでしょえう。

1 元底辺中学校への道
2 「glee/グリー」みたいな新学期
3 バッドでラップなクリスマス
4 スクール・ポリティクス
5 誰かの靴を履いてみること
6 プールサイドのあちら側とこちら側
7 ユニフォーム・ブギ
8 クールなのかジャパン
9 地雷だらけの多様性ワールド
10 母ちゃんの国にて
11 未来は君らの手の中
12 フォスター・チルドレンズ・ストーリー
13 いじめと皆勤賞のはざま
14 アイデンティティ熱のゆくえ
15 存在の耐えられない格差
16 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン

一読して多々感心させられるところ満載なのですが、ワタシは5が最も印象に残ったのです。

「エンパシー(empathy)とは何か」との問題が、息子の中学の期末試験に出たのです。「empathy」って普通、「共感」とか「感情移入」と訳されてますよね。あなたなら何と答えますか? ワタシなら、「sympathy」との違いについてゴチャゴチャ解答してしまいそうですが、息子さんは、「自分で誰かのクツを履いてみること」と書いたそうです。 “stand in someone's shoes”という英語の定型表現は、他人の立場に立ってみるという意味だそうです。むむむ、成る程、これこそエンパシーですね!
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スケートシューズはいてもワタシなんか手すり磨きが関の山で、スケーターの立場に立つなんてフカノーです。
ま、そんなことはさておき、息子さんは学校で先生から、<EU離脱やテロの問題など世界中で起きている混乱をキミ達が乗り越えていくには、自分と違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事で、つまり他人の靴を履いてみること。これからはエンパシーの時代である>と教わっているそうです。まさに、その通りですね。日本の中学校では、このようなことを教えているのでしょうか。
という訳で、他人の靴を履くイラストを表紙にフィーチュアした同著装画担当、中田いくみさんにあっぱれ!
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イエローでホワイトな人だから、ブルーな気分だった息子さんは、今は自分の存在をグリーンと感じていられるのです。グリーンとは、「未熟」「経験が足りない」とかの意味と彼はとらえていて、自分は今、そのカラーだと思っているそうです。今後、彼は人生経験を経るにつれて、どのようにカラーチェンジされるのでしょうか。Good luck Kids ! Good luck MIKAKOSAN !



袖振れ合うも多生の縁390~Do You 能? レバノンから来た能楽師の妻、素晴らしき新作能をサポート!~

レバノンと言えば、何かニュースで聞いたことがあるような・・・えーと、何やったかな? あ、そうそう、元日産会長のカルロス・ゴーンさんが逃亡した国ですよね。
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それはさておき、内戦の勃発し続けているシリアの隣国が、レバノンなんです。このレバノンもシリア同様内戦が繰り広げられており、そんなレバノンから日本にやってきて、しかもお能の観世流シテ方、梅若猶彦さんの奥方になられた方がいらっしゃいます。

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ご覧の写真がそのお方、梅若マドレーヌさんですが、マドレーヌさんの書かれた『レバノンから来た能楽師の妻』で彼女のことを知りました。

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2014年2月18日の日本経済新聞朝刊にマドレーヌさんについての記事が掲載されているのでシェアさせて頂きますと・・・
Do you 能?
世界に発信
能楽師の外国人妻、
欧米・アジアで公演や
イベント企画
梅若マドレーヌ
室町時代からの能の歴史で初めての外国人妻として観世流シテ方の夫、梅若猶彦を支えて30年余り。内戦を逃れて祖国レバノンから来日、結婚後は海外公演やイベント制作を通して能の魅力を世界に発信している。

戦火避けレバノンから
ベイルートで1958年に生まれた。
今はほとんど撤退しているが、当時は日本企業の中東における拠点都市で、40社ほどが進出していた。73年には姉が日本人の元駐在銀行員と結婚して日本で暮らし始めていた。
レバノンで内戦が起きたのが75年。激化する戦闘を避けるために翌年、姉を頼って17歳で兵庫県に移り住んだ。神戸市のインターナショナルスクール、カナディアン・アカデミーに入学。そこで同級だったのが同い年の猶彦だ。14歳で父の梅若猶義を亡くし、母親の方針で同校に入った日本人生徒第1号だった。
日本の古典芸能の中では能に面白さを感じてはいたが、猶彦と高校時代に特別親しくなることもなく、コンピューターサイエンスを学ぶため英国の大学に進学。米国の大学院を経て81年、再び来日して大阪大学大学院に入った。再会した猶彦は伯父の二世梅若万三郎のもとで修業を重ねていた。交際を始めて83年に結婚することとなった。
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前代未聞の国際結婚
能の世界で前代未聞の国際結婚。日本人でも敬遠するくらい厳しい伝統の世界だ。しかし夫は「心配ない」と断言し、結婚に際して和服の着付けを習わせたり、能楽師夫人としての作法を教えたりはしなかった。
とはいえ実際にこの世界に足を踏み入れてみると、驚くことは多かった。楽屋では夫の後を歩く。和室ではひざまずいてお辞儀をする。夫の和服をたたむ――。一部の能楽師とそのご夫人から注意を受けることもあったが、夫は「うちの問題だから」と言って私には何もさせなかった。
周囲からは「1年もたない」などと言われたが、自分なりにできることは身に付けた。日本語を改めて勉強し、和服もなるべく着るようにした。84年に生まれた長女ソラヤが3歳で初舞台を踏んだころは、和服に身を包んで楽屋で奮闘していた。
子供に衣装を着せる.jpgしかし次第に、自分が能楽師の妻としてできることは日本語を話すことや和服を着ることではないのではないかと考えるようになった。
能の魅力を外国の人々にも知らせたいと思い、在日大使館を通して外国人を招待する催しを始めた。レバノンの家族からは「大学院まで行ったのに」と言われたが、その経歴を捨ててでも能の魅力を広め、日本人には自国の文化に自信を持ってほしいと思って取り組んだ。そうして続けた公演が功を奏して、外国政府から海外公演を開くよう声が掛かるようになる。

ローマ法王臨席で舞台
忘れられないのは88年、バチカン宮殿内の謁見(えっけん)の間で当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世臨席の舞台を実現したことだ。上演したのは夫の母校の上智大学で教授を務める門脇佳吉神父が創作した能「イエズスの洗礼」。私のアドバイスも加味して完成した。戦時中に俳優や脚本家としてポーランドの地下演劇を担っていたという法王は熱心にご覧くださり、キリストの物語が能の舞台に現れたことについて「(日本におけるキリスト教の)聖なる土着化である」と喜んでいただいた。
また91年から4年間は夫がロンドン大学の誘いで客員研究員となり一家で英国に移り住んだ。英国内だけでなく近隣の欧州各国で簡単な公演やレクチャーの機会を設けることもあった。
9.11の1カ月後に予定されたニューヨーク公演も思い出深い。上演を諦めかけたとき、当時のジュリアーニ市長から「芸術は屈してはいけない。やるべきだ」とメッセージをもらい、予定通り実現した。
英国留学の縁で夫は後に同大学ロイヤルハロウェー校演劇学部の客員教授に就任。また現在は静岡文化芸術大学教授のほかフィリピン大学国際研究センターの客員教授も務め、欧米やアジアに能の魅力を伝えている。

能舞台や教壇に立つのは夫だが、二人三脚で能の新たなチャレンジを進めてきた。国内外の方々が私に「あなたの努力のおかげで能が受け入れやすいものになった。ありがとう」と声をかけてくださる。がんばってきた甲斐があった。
伝統的な能はもちろん大好きだ。しかし私たちはより親しみやすい新しい能の世界を、若い人たちと一緒にもっと作っていきたい。

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又、日本語で読むアラビアニュースに、ダイアナ・ファラーさんなる方がマドレーヌさんについてこんな記事を載せておられます。
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岩波新書より発売されたばかりの『レバノンから来た能楽師の妻』の著者、マドレーヌ・ジャリル・梅若氏は、レバノンから逃れ来日した後の自身の「人は己の困難に打ち勝つことができ、己を見つけることができる」ことを読者に示したいと考え自伝を書いたと話す。(中略)
梅若氏は約600年の歴史のある家系、梅若猶彦氏との結婚がきっかけでその伝統の世界に入っていった。能楽は日本伝統の舞劇で、コンテンポラリーダンスのような動きと歌を通して物語を演じる。
能の話のあらすじは大抵の場合、歴史や文学が題材である。
「この600年の伝統を持つ能楽は保守的な世界に適応するだけでなく、国内の外国人コミュニティーと海外に能を広めなくてはならなかった」と著者は話す。また、梅若氏は、夫と子供たちと共にレバノンで新作能を3つをプロデュースしたことにも言及した。(後略)

同著の読後、彼女がプロデュースした新作能について調べてみましたが、いゃあ、とても面白そうで、上演される機会が有れば是非観たい!と強く思った次第です。ですから、そんな新作能の一端をご紹介させて頂きます。

国際交流基金企画制作舞台作品『リア』
リア2.jpg 演出 シンガポールのオン・ケンセン。脚本 日本の岸田理生。
インドネシア・シンガポール・タイ・中国・マレーシア・日本など、各国の出演者及びスタッフ達逸材が結集!

リア3.jpgシェークスピア「リア王」の王と娘の構図を借りるも、長女に父を殺させ、女性側から父権性を鋭く描く。リアに能の梅若猶彦、長女に京劇の江其虎。

リア4.jpg次女にタイの現代舞踊家ピーラモン・チョムダワット。
リアの世界に侵入し掻き乱す女には片桐はいりなど、異色で多彩な才能を結集させた。

又、音楽にはシンガポールのワールド・ミュージックの旗手マーク・チャン。
振付にはインドネシア・コンテポラリー・ダンスの精鋭ボーイ・ワサクティ。
小道具には小竹信節など、創作スタッフも個性溢れるメンバーとなった。
1995年9月からまる2年をかけて制作され、97年9月に日本初演、99年1月~2月にアジア・豪州ツァー、同年6~7月に欧州ツァーを敢行した。各地でおおいにメディアを沸かせ、欧州では、文化・芸術を専門とするテレビ・ネットワークARTEによって数カ国で全編放映された。(国際交流基金HPより要約)
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能とブラジルコルデル文学にテクノロジーを融合させた創造的マルチメディア現代能『地獄の門を叩く男』
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ブラジル民衆詩「コルデル文学」を題材にした現代能「地獄の門を叩く男」は、両国の伝統文化の交流を促進しようという企画で、ブラジル伝統のコルデル文学は恋愛から英雄、社会風刺などさまざまテーマがあり、ランピオンという盗賊の物語は特に人気だとか。
20世紀の詩人ジョゼ・パシェコが著した「ランピオンの地獄訪問」が今回の現代能の原作で、悪事の末に処刑されたランピオンは、地獄入りをサタンに拒まれる。黄金色の能衣装をまとった梅若猶彦さんが演じるランピオンは、「悪人の自分がどうして地獄に行けないのか!」とばかりに戸惑いつつ怒り、ついに地獄を焼き払う。その抑制された端正な舞いが、盗賊の激しく憤怒する心中を伝えたそうです。
〝静〟の能に対し、ランピオンと対するサタンの兵士たちは〝動〟で応じ、空手家の中町美希、ブラジル格闘技「カポエリスタ」の森陽子が登場し、突きや蹴りといった攻撃の型を軽やかに演武されます。
お囃子はサンバのリズム楽器の演奏。
舞台装置として最新鋭のプロジェクターが使われ、光と影が織りなす幽玄の世界をつくり出し、芸術のあらゆる破天荒な遊びが展開される遊戯場のようだとか。最後は「Opa(オーパ)!」(ブラジルの言葉で「あらまあ」との意味)、笑みがこぼれる大団円を迎える。
演出・脚本の梅若ソラヤ(猶彦とマドレーヌの長女)さんはじめ出演者やスタッフに、観客から祝福の拍手が両国の観客から浴びせかけられたそうです。(47文化プログラムHPより要約)

SUAC×SPAC連携シンポジウム公演現代劇『イタリアンレストラン』                       
(SUACは静岡文化芸術大学、SPACは静岡舞台芸術センターの略)

『イタリアンレストラン』は、能のシテ役者であり文芸大の教授でもある梅若猶彦の作・演出である。
「現代劇」と付けているのは、能のシテによる作・演出というと、能作品かと間違う人もいるかも・・・という配慮から。

物語;
大文字マリコという名の能楽師、名は女性のようだが男で、大文字は能楽の様式に心身とも呑み込まれ、生と死の境界に生きている。
能では一般的にシテは既に死んだ者で、この世に残した何らかがある為、亡霊となって現れる。
ワキは僧等の役が多く、亡霊の思いを聴いてやり、弔って彼をあの世に送る。
大文字は、常に能面(般若)を被っていて、もう何年も不眠生活を送っており、食も水も摂らないで生きている。つまり、生と死の境界に生きているのである。そんな大文字はある日、長野県野尻湖畔の超高級イタリアンレストラン「ベリビーヨストラスブルク」に行く。女主も客も風変わりな人物ばかり。
大文字はそこでひっそりともの静かな女性と出会い、一緒に食事をする。食事をすると言っても、大文字は面を被っているから、実際はステーキをナイフで切って口迄運んでも食べる事はできない、ワインも飲む事はできない。

彼女とは不思議に気が合い、映画を観るなどデートを重ねるようになり、遂に肉体関係も結ぶ。その最中も大文字は面を被ったままである。
ある日も同じレストランで遅い時間に食事を楽しんでいるうちに、彼女はトイレに立ったまま、いくら待っても帰ってこない。 奇妙に思った大文字は、店の女主に訊く。すると、あなたはいつも1人でここに来ていて、同伴者などいた事はない、との返事が返ってくる。
彼女と昔アパートで同居していた女性の許に、警察が訪ねて来て、行方不明だった同居女性の焼死体が発見されたというエピソードが挟まれる。
大文字は、一緒にいた女性はどうしたのか、彼女は何だったのか、困惑する。
最後に大文字は赤いワインを実際に呑む。すると、それはまるで血のように喉元を流れ、厳粛な音楽の中、彼は意識を失い倒れ死に至る。大文字の死は何故か、幸福に満ちているように見えた。
生死定まらぬ境界の上に生きてきたが、やっと死という安定した涯に落ち着く事ができたのである。彼は能シテ役者を生き、そしてそのシテの役柄通りに死んだのである。
(ソーシャル・ネットワーキング・サービス mixi より要約)
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パリ日本文化会館公演創作能『オンディスーヌの呪い』

「私は呼吸生理学者として長年呼吸の研究を行って来ました。呼吸と心の関係を見出してからは呼吸の美しさを表現したい!と思うようになり、呼吸と情動の繋がりを芸術美として魅せる為に、新作能「オンディーヌ」を創作しました。」(本間生夫)

(筆者注:中枢性無呼吸症候群は別名、「オンディーヌ」と呼ばれています)

泉の世界の妖精オンディーヌは、人間の世界の男に恋をし、泉の世界の王の忠告も聞かず、その男ハンスと結ばれる。
王は、もしその男がオンディーヌを裏切ると死ぬ、という呪いをかけた。

二人はしばらく、愛し合って暮らすが、あるときハンスはオンディーヌを裏切り、ハンスは呪いによって死んでしまう。
物語は、ここから始まる。時が過ぎ、人間の世界に降りたオンディーヌは老女となり、森の中、泉のほとりの苫屋でひとり、ハンスを思い続けていた。
オンディーヌは純粋なただひとつの魂(息)をもつ、心優しい妖精である。
オンディーヌを心配する泉の王は、オンディーヌのためにハンスをこの世に甦らせる。
但し、再びオンディーヌを裏切ると、ハンスの息は止まり、オンディーヌからハンスの記憶がすべて失われるという呪いをかけて・・・。(「本間生夫の呼吸ワールド」を要約)

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他にも色々あるのですが、この辺にしておきましょう。みなさんはどの作品をご覧になりたいですか? ワタシはやはり『イタリアンレストラン』ですね。と言いますのは・・・いや、再演されるのを待ち、感激してから又ブログに取り上げさせて頂きたいと思います。
ではでは。

袖触れ合うも多生の縁389 ~深く静かに哀しみが心の奥底から湧き上がる絵本、それが「ZENOBIA」です。~

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『ZENOBIA(ゼノビア)』は、シリア内戦を生きる少女を描いグラフィックノベル(長いストーリーを備えたコミック)で、2016年11月にデンマークで出版されて以来、世界15カ国で翻訳され数々の賞を受賞しています。そして、この本を日本でも翻訳出版したいと、クラウドファンディングが始まり、2019年10月に出版されました。発起人は、『ZENOBIA』の著者であるデンマークのMorten Dürr(モーテン・デュアー。写真下)さんの留学時代からの友人、荒木美弥子さん(写真下の下)で、偶然SNSでモーテンさんに再会し、彼が児童書作家になったことを知り、本や海外アートが好きな荒木さんは、「どんな絵本なの? 見せてほしい!」と連絡したところ、送られてきたのが『ZENOBIA』でした。

ゼノビア作者1.png

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【あらすじ】
シリアのある小さな村の少女アミナは、大好きなパパとママと3人で、貧しくても幸せに暮らしていた。でも、シリア内戦が刻々と近づいてきていた。
ある日、アミナはひとりでお留守番をしていた。パパとママが帰ってきたら食べて貰おうと、食事の支度をして待ち続けた。ずっと、ずっと待っていた・・・。
家の扉がノックされた。パパとママが帰ってきたんだ!
ドアを開けるとおじさんだった。
「パパとママはもう帰ってこない。おじさんと船に乗って外国に逃げるんだ!」

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でもお金が足りなくて、アミナひとりボートに乗ることになった。
そしてボートは荒波に襲われ転覆し、アミナは深い深い海に沈んで行った。
「広くてなんにもない」
「ここならだれにもみつからない」
アミナはママとかくれんぼしたことを思い出していた。
「アミーナ、わたしのアミーナはどこ?」
「ここだよ ママ 」「わたしは海の中」
ママがわたしをみつけて、一緒にお料理したことを思い出していた。

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そして、勇敢なシリアの女王ゼノビアは、ローマ帝国にも屈しなかったと話してくれたことも思い出していた。
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アミナがくじけそうになった時、お母さんはよく「ゼノビアのように強くなりなさい」と元気付けてくれたのだ。
でも・・・
「広くてなんにもない」
アミナが見たのは、様々な藻が絡み魚たちの住処、撃沈された艦船ゼノビア号の残骸だけだった。

子どもの目線で描かれた不条理が、静かな哀しみとともに、ワタシの胸にじわじわっと迫ってきました。言葉を出来るだけ少なく抑え、繊細なイラストで紡がれた『ZENOBIA』のメッセージは、国を超えあらゆる世代の人々の心に、戦争の哀しさ愚かさを投げかけてきます。

『ZENOBIA』の著者デュアーさんは、この本の制作動機を次のように語っておられます。

第1に、人々に立ち止まってゆっくり考えさせることです。
ソーシャルメディアで難民について議論する代わりに、この本を読んで静かに考える時間を持って欲しいのです。ただ立ち止まって考えてみて欲しい。「難民になるとはどういう意味だろうか?」「自分がそのような状況にあったとしたらどのように感じるだろうか?」と。
第2に、私は子どもたちにも読んでもらえる本にしたかったのです。
なので、絵が大きく文字の少ない、とてもシンプルな本にしました。世界で何が起こっているのかについて子どもたちと話すことは非常に大切だと思います。子どもたちはどんな方法あっても、情報を見つけることはできます。例えば、インターネットで難民や世界の他の問題についてのニュース記事を見つけるでしょう。しかし、オンライン記事は彼らを混乱させたり怖がらせたりするかもしれません。
ですから、本がいいかもしれませんね。彼らはこの本を読んで、「この本は何について書かれているのか」、「この本の中で何が起こっているのか」について、大人に尋ねることができます。
これら2つの理由で私は本を書きたかったのです。

そう、デュアーさんの意図されたことは、この本のどの頁にも見られると思います。ですからワタシに孫がいるなら、是非ともプレゼントしたいですね。
ではでは。
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袖振れ合うも多生の縁388~シリア内戦の殺戮は果てしなく哀しく・・・~

グラフィック・ノベル『ZENOBIA』は、シリア内戦で故国を捨てざるを得なかった少女の物語です。

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先ず、シリア内戦が勃発した経緯について、「honcierge(ホンシェルジュ)」という現代社会の様々な社会的課題を5分で分かるようにわかりやすく解説してくれているHPからシェアさせて頂きますと・・・

2011年3月から始まった「シリア内戦」。
きっかけは2010年末から2011年のはじめにチュニジアで約1ヶ月間続いた「ジャスミン革命」と呼ばれるものです。
26歳の青年モハメド・ブアジジが、政府への抗議を表すために焼身自殺を図り、20年以上大統領を務めていたベン・アリーが亡命、政権は事実上崩壊しました。抑圧的な独裁者が長期政権を敷くアラブ諸国に、大きな影響を与えます。
エジプトではその数日後から反政府デモが発生。翌2月には30年以上続いたムバラク大統領の独裁政権が倒れ、リビアでも40年以上続いたカダフィ政権に終止符が打たれました。これら国境を超えた大規模な反政府運動を「アラブの春」と呼びます。アラブの春の波はシリアにも届きました。

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初期はデモ行進やハンガーストライキなど市民による抵抗運動でしたが、毎週金曜日におこなわれる礼拝のたびにインターネット上でデモが呼び掛けられ、運動は過激化していきます。
2011年3月15日、シリア各地の都市で一斉にデモがおこなわれ、抗議者と治安部隊が衝突。この日がシリア内戦の始まった日だとされています。
反政府側の要求は、すべての政治犯の釈放と、抗議者を殺害した者への裁判の実施、令状なしで容疑者を拘束できる「非常事態法」の撤廃、汚職の根絶、さらなる自由です。政府側は、政治犯の釈放や非常事態法の撤廃、内閣の辞職など要求の一部を受け入れて譲歩を示しましたが、市民の行動は収まりません。政府側が軍を投入して鎮圧を図ると、市民も武装して対抗するようになりました。
さらに政府軍の大佐だったリヤード・アスアドが離反し、「自由シリア軍」という反政府武装勢力を結成。兵士たちも次々に合流しました。

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「政府」対「市民」という構図から、「政府軍」対「反政府軍」という構図へ発展し、シリア内戦が深刻化していったのです。

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ホンシェルジュの解説には記述されていませんが、下図のようにアメリカ及びロシアの他、諸外国や様々なテロ組織が絡み、シリア内戦は代理戦争の様相を呈していて複雑怪奇なのです。

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内戦が始まってから8年が経った2019年3月15日に発表された、英国で活動する反体制NGOのシリア人権監視団の報告によりますと、シリア内戦による死者は約37万人、難民は約1300万人にのぼると考えられています。内戦前の人口が約2250万人だったので、実に約6割の人が難民になっている計算で、その後も犠牲者の数は刻々と増加し続けているというのが悲しい現実です。

上記死亡者数(2011年3月15日から2018年12月10日までの7年9ヶ月間に確認された死者総数は36万7965人)の内訳を調べてみますと・・・
市民:11万1330人18歳以下の子供2万819人、18歳以上の女性1万3084人
死亡した民間人11万1330人の死亡状況の内訳は・・・
●シリア軍、親政権民兵が殺害:4万3575人(うち男性2万7171人、子供1万166人、女性6238人)
●シリア軍の爆撃で死亡:2万5581人(うち男性1万6196人、子供5742人、女性3643人)
●シリア当局が拘置中に死亡:1万6063人(うち男性1万5874人、子供125人、女性64人)
●ロシア軍の爆撃で死亡:7988人(うち男性4853人、子供1936人、女性1199人)
●米主導の有志連合の爆撃で死亡:3709人(うち男性2080人、子供942人、女性687人)
●トルコ軍の攻撃で死亡:836人(うち男性539人、子供181人、女性116人)
●トルコ国境警備隊の狙撃で死亡:415人(うち男性303人、子供75人、女性37人)
●反体制諸派の殺害:7807人(うち男性5894人、子供1185人、女性728人)
●ダーイシュの殺害:5356人(うち男性4517人、子供467人、女性372人)
なお、シリア当局の拘置所で拷問によって死亡したとされる約8万8000人、ダーイシュ(シリアを中心に活動するテロ組織)に拉致された行方不明者5200人以上、シリア軍兵士・親政権民兵の行方不明者4700人以上、反体制諸派、シャーム解放機構、ダーイシュなどが拘置している政権支持者2000人以上など、消息が確認できない者は上記の内訳に含まれていない。

イスラーム主義者を含む反体制諸派、シリア民主軍などのシリア人戦闘員:6万3561人
離反将兵:2619人
シリア軍将兵:6万5048人
親政権シリア人民兵:5万296人
親政権外国人民兵、シーア派民兵:8049人
旧シャームの民のヌスラ戦線、ダーイシュ(イスラーム国)、トルキスタン・イスラーム等、ジュンド・アクサー機構、ジュンド・シャーム機構、ハドラー大隊、チェチェン・シャームの兵、そのほかレバノン人、イラク人、パレスチナ人、ヨルダン人、アラブ湾岸諸国出身者、北アフリカ諸国出身者、エジプト人、イエメン人、イラン人、アフガン人、スーダン人などの戦闘員:6万5108人
身元不明:279人

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政府軍にも反政府軍にも、それぞれを支援する諸国にも、それぞれの言い分はあるのでしようが、国内に留まっている国民が4割とはまさに国家崩壊の危機ではないのでしょうか。何とかならないものか・・・切歯扼腕するばかりのワタシなのです・・・。

ではでは、次回はそんなシリア内線に翻弄されたひとりの少女のものがたり『ZENOBIA』をご紹介させて頂きます。

袖振れ合うも多生の縁387~シリア内戦とパルミラ王国の女王ゼノビアと~

今回のタイトルは、「シリア内戦とバルミラ王国の女王ゼノビア」ですが、シリアで内戦が長期間続いていることは知っていても、どのような経緯で戦いになったのかをワタシは知りませんでしたし、ましてパルミラ王国なんて帝国があったことも、その王国の女王ゼノビアのことも全く知りませんでした。なのにこの2つを取り上げたのは、『ZENOBIA』というグラフィック・ノベルと袖触れ合ったからなのです。

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シリア内線下に生きる少女アミナ。アミナの大好きなお母さんは、「ローマ帝国にも屈しなかった私達の国の勇敢な女王、ゼノビアのようにあなたも強くなりなさい。」といつも励してくれていたのです。そしてお母さんが亡くなり、アミナひとり故国を離れ難民ボートに乗り込み、地中海を漂流することになるのです・・・。このようなあらすじなんですが、この本はとても良くて、深く静かに感動させてくれました!
という訳で、このグラフィツク・ノベルの蘊蓄を傾ける前に、シリア内戦とパルミア王国の女王ゼノビアについて、少し触れたいと思います。

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パルミラ王国(上の地図緑色部分)とは、3世紀頃通商都市パルミラを首都とし、シリア・アラビア・エジプトなどを支配していた国家で、ゼノビアとは、パルミラ王国の女王と呼ばれていた人物なのです。『やまとなでしこめざします ~退屈な人生を色彩やかに~』なるブログにゼノビアの一生をダイジェストしていましたので、シェアさせて頂きます。

3世紀、シリアの都市国家パルミアにゼノビアという美しい女王がいた。
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ゼノビアの美貌に関しては、19世紀イギリスの歴史家、エドワード・ギボンが、
ゼノビアの美貌はクレオパトラに劣らず、貞節と勇気は遥かに勝り、全ての女性の内で最も愛らしく、そして英雄的とされた。彼女の歯は真珠のように美しく、大きな両目は不思議な輝きに満ち、魅力的な甘美さがこれを和らげていた。』
と称えているように、〝オリエント屈指の女傑〟とまで言われた女性ゼノビア。
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240年に生まれたゼノビアは、シリア語や古代エジプト語・ラテン語・ギリシア語・アラビア語を話し、学問にも秀でホメロスとプラトンの比較論や歴史書を著したほどの才色兼備な女性で、騎馬術にも優れた才能を見せ、贅沢好きで美貌と英知を兼ね備えていました。そんなゼノビアは、自らをカルタゴの女王やアッシリアの女王、絶世の美女クレオパトラ7世の後継者と自称する程自尊心の高い女性でした。

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そして258年、18歳の時、パルミラ王オダェナトスの後妻となり、息子ウァバッラトゥスを産み、267年に夫オダェナトスが甥のマエオニウスに暗殺されると(夫の暗殺はゼノビア自身が権力を握るため仕組んだとの説もあるようです)、幼い息子を従えて広大な領土を統治し、すぐさまパルミラの勢力拡大をひたすら目指し、軍勢を周囲に差し向けて、エジプト、小アジアを征服し、更に大胆な野望を抱いたのです。
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今までパルミラはローマ帝国に対し恭順政策をとっていたのですが、ローマ帝国に反旗を翻し、完全な独立を目論んだ結果、267年にローマ帝国より事実上独立を果たし、パルミラ帝国とまで呼ばれるようになったものの、270年に戦術家として知られるアウレリアスがローマ皇帝になると状況は一転、ゼノビアはアウレリアスを一度は撃退したのですが、ローマ帝国の大軍には勝てず、ゼノビアはローマ軍に捕らえられ捕虜になりローマへ連行され、274年アウレリアス皇帝の凱旋式でローマ市内を捕虜として屈辱的な市中引き回しの辱めを受けたのです。しかし、ゼノビアは自らを黄金の鎖で縛らせ、その美貌と威厳をローマ市民に示してみせたのです。

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その後、ゼノビアは亡くなった(処刑された?)とされてきましたが、事実はローマ近郊にある高価な別荘を与えられ、社交界で活躍し大変贅沢に暮らしたとか。又更に驚くべきことに、ゼノビアはローマの元老院議員と再婚していたのです!
そしてゼノビアは数人の娘を産み、その娘もまたローマの高貴な身分の人々と結婚したとか。キラキラキラキラ
皮肉なことにゼノビアに勝利したローマ皇帝アウレリアスは、275年に暗殺されたので、ゼノビアは皇帝アウレリアスよりは長生きしたとされていますニコニコラブラブラブラブ

このようにゼノビアの一生を要約した『やまとなでしこめざします』さんは、
精神科医曰く 「人は、受け身の我慢で不幸になる」
主体性を持って自分の人生を切り開いていくこと。
ということを、メッセージとして伝えたかったようです。

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では、お次はシリア内戦ですが、長くなってきましたので次回と言うことに致します。でではでは。




袖振れ合うも多生の縁386~瞑想で心の内に集中していたら、世間には火事場泥棒が!?~

前回は歩行瞑想で心安らかになったことを書きました。
しかし歩行瞑想をし、心の内に意識を向けているだけではいけない問題が今、世間では起こっています!

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そう、新型コロナとそのどさくさ紛れ、この国のエライ人が起こしている火事場泥棒です!
コロナは人災ではないかも(もしかして生物兵器?)しれませんが、カジドロは紛れもなく人間の悪意のなせる業なす!

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検察庁法改正案については、ツィッターで700万以上もの猛烈な反対の声があげられているにも関わらず、強行採決されようとしています。この法案が如何にあってはならない改悪法案なのか、ワタシが縷々述べなくても、皆さんもよくご存じでしょうから、画像をシェアするにとどめておきます。

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安倍ソーリが、ソーリの用心棒と巷間噂されている黒川某氏を検事総長にしたいのは、森友・加計・桜に続く、第4の隠された闇!を暴かせない為ではないか・・・と政界では憶測されているそうです。その真偽は知る由もありませんが、もしこの法案が可決され、安倍ソーリの「恣意的な人事をすることなど毛頭あり得ない」という内閣委員会での答弁が真っ赤な嘘で黒川氏が検事総長になっても、これ程世論の反対が燃え上がった現状では、河合夫妻を不起訴にすることの他、検察を歪めることは出来ないのでは・・・という見方もあるようです。
しかし、今後どんな政権が出てくるかも知れませんし、もし検察庁改悪法案が可決されたなら、ワタシは来年秋の総選挙で、改悪法案を改正する公約を掲げる政党に一票を投じたいと思っております。
と、ここまで書いたのは5/17日(日)でしたが、翌日5/18(月)21:53配信の朝日新聞DIGITALに、「やった!」と一寸だけ思える記事が載っていました。
    
政府・与党は18日、検察庁法改正案について今国会での成立を断念することを決めた。幹部ポストを退く「役職定年」の年齢を過ぎても、政府の判断で検察幹部にとどまれる規定の新設が、ツイッター上などで強く批判されていた。ただ、次期国会で同法改正案の成立をめざす姿勢は崩していない。(中略)
政府は「必要、そして重要な法案」(菅義偉官房長官)との認識は変えていない。次期国会でも法案の修正や撤回はせず、役職定年の特例を適用する基準をわかりやすく示すことで国民の理解を得たいとするが、野党側は今後も特例削除などを求める方針だ。立憲の枝野幸男代表は「恣意的な役職定年の延長ができる仕組みは、切り離してやめさせるという最終ゴールに向けて、さらに頑張っていきたい」と語った。

廃案でなく、継続審議というのが不気味ですね。ですから、喉元過ぎれば・・・でなく、しつこく執拗にウォッチングし、国民の意見を吐き続けないといけませんね。それから、政府が恣意的に運用できる特例はとんでもないことですが、高齢化社会の今日、国家公務員や検察官も定年延長というのは、あながち悪い事とは言えません。でも、コロナ騒動で倒産が相次ぎ死活をかけて営業自粛している最中に、国家公務員の定年延長を決めようだなんて、お役人って結構なご身分だよな・・・とやっかみたくなる人達もいることを、忘れないで欲しいものですね。

あ、それから、もひとつ火事場泥棒があるようで、それも用心しないといけませんね。
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年金の受給開始年齢を75歳まで繰り下げる年金改革法案について、政府は75歳まで受給を引き延ばせば「毎月の受給額が84%も増え、お得になる」とアピールしていますが、実際には所得税や保険料がその分高くなり、生涯に受け取る総年金額はむしろマイナスになるケースもあるとの試算も出ているのです。
この国の、高度経済成長に貢献してきた高齢者たちの老後の福祉については、平時に堂々と時間をかけて、議論を尽くすべきやおまへんか?
ま、ソーリはじめエライ政治家皆さんは、年金なんかアテにしておられないのでしょうが。私は既に65歳から国民年金を取っているので、我が身に火の粉が降りかかることはないでしょうが、でも、一言書かずにはいられませんでしたので、最後に取り上げさせて頂いた次第です。ではでは。

おっとっと、5月19日に、「今国会で検察庁法改正案強行採決断念、継続審議」云々と書いたのですが、またまた急転、黒川某氏が緊急事態宣言下、賭麻雀をしていたとかで、辞表を提出せざるを得ないようになりました。ワタシはこの速報に唖然とせざるを得ませんでした!

「賭けマージャンをしていたのなら、緊急事態宣言下でなくても、黒川氏自身が検察の幹部どころか検事である資格すらなく、法律家としての資格はない!」

と、『羽鳥慎一モーニングショー』の辛口正論コメンテーター、玉川徹さん(写真下左。右は羽鳥さん)は断じておられます。

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ワタシは、麻雀など賭け事は一切やりませんが、世間には多少金銭を懸けて麻雀をやっているようです。でも、これって賭博罪、ホンマは犯罪なんですよね。ま、そないカタイこと言わんと、ほんの遊びやないかちゅうご意見もあるでしょうが、黒川氏が常習犯か、又反社会的組織の資金源になるような高額を懸けていたかどうかは判りませんが、法に触れる人を裁判にかけるかどうかを決める立場のお人が、そないなことしたらアカンわな! 法務省の対処も、人事院の決まりと異なり一番軽い訓戒ですませ、辞表はすんなりと受理されたのです。今年一月末、検察庁法の解釈を強引に変え、黒川氏なしでは検察業務に重大な支障をきたすと称して、黒川氏の定年延長を閣議決定したのに、あっさり認めるてどういうこっちゃろ??? 黒川氏退職後、検察業務は大いに困るのとちゃいますのん?

それから、黒川はんは軽いお咎めの訓告を受けての退職やから、退職金が減額されることはおまへんのや。因みに黒川某氏の退職金は7000万円を超えるとか・・・ま、人様の懐を云々するのはどうかと思うお方もいてはるでしょうが、これって国民の税金から支払われるのやからな。

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最後にもう一言。
黒川さんと同期だった弁護士の若狭勝さんと郷原信朗さんによりますと、黒川さんは出世欲に取り憑かれたガリガリ猛者(亡者?)でもなく、冗談も面白いし、人当たりの柔らかな、人間味のある人物だったそうです。
そんなお人か何故、政権に操られ利用されるような、法律家として最悪の事態に陥ってしまったのか・・・。
きっと、いえ多分、何処かで人間性が変わってしまったのでは・・・。
もし、そうなら、これを機に本来の自分に立ち返って、心安らかに心穏やかに、第二第三の人生を歩んで欲しいと、一面識もないワタシですが、烏滸がましくも願っております・・・。
ではでは。





袖振れ合うも多生の縁385~歩きながら、散歩しながら、瞑想出来るんですよ!~

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ご覧の写真は競歩で、ワタシは競歩をやったことないのですが、メチャしんどそうですね。走った方が楽やないんかな。
それはさておき、ワタシは現在、歩行瞑想をやっています。普通の散歩は10数年、毎朝欠かさずやっていましたが、5年前から散歩旁々ゴミ拾いをやっていたのです。でもゴミ拾いって、ずっとやってると結構腹が立つことが多いんですよ。「何でこないににボイ捨てするんや!? ええ加減にせえ!」 と心中毒づいてしまうんで、こらイカンと思い直し、ゴミ捨て人がゴミを捨てる時に、その人の心に生じる思いがその場に残っている筈なので、その残留思念に向かって、「ジョイナス、 一緒に拾おうよ。」 と心の中で呼びかけたりしていました。すると何故か腹立ちが治まるのです。
しかし、又別の不具合に気付きました。それは、四六時中下ばかり向いて歩いてしまい、路傍に咲く花や梢にとまっている小鳥、そして悠々と流れる雲ゃ遠くの山々を眺めることが、皆無になってしまうのです。

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この儘では近視眼的思考に陥り、遠い眼差しでものを見ることが出来なくなるのでは・・・と些か畏れ、ゴミ拾い散歩は丁度5年でビリオドを打ちました。その時、一つのことを終えると又何かが始まるやろな・・・と思っていたのですが、何が始まるのかは考えてもみませんでした。処が先日どういう理由もないのに突然、歩行瞑想をしようと思い立ったのです。瞑想というと下の写真のように座って行うと思いがちですが、歩いていても出来るのです。

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では、歩行瞑想というのは一体どんな瞑想なのでしょうか。『マインドフルネス・イニシャティブ』なるHPに歩行瞑想の解説がありましたので、シェアさせて頂きます・・・。

歩く瞑想(歩行瞑想)とは、マインドフルネス瞑想の一つで、歩くときの身体の感覚を観察することにより、意識を「今、ここ」に向けて、マインドフルネスを養います。「マインドフルネス (mindfulness)」とは、英語で「気が付いているということ」という意味で、何に気が付いているかというと、「今、ここ」で起こっていることについてです。
「今、ここ」で起こっていることに気が付くのは簡単なことに思えますが、いつもそうとは限りません。私達はよく、すでに終わってしまったことを何度も思い返して悔やんだり腹を立てたり、あるいは、将来のことが不安で、考えが堂々巡りしていることがあります。そのようなときは、「今、ここ」で起こっていることに気が付いていません。マインドフルネスとは言えません。心ここにあらずの「マインドレス」な状態です。過去のことや将来のことをつらつらと考えているときは、無意識のうちにネガティブな感情に傾いて、強いストレスを受けることがあります。マインドフルネスを学ぶことによって、意識的に「今、ここ」で起こっていることに注意を向けて、ストレスを減らすことができるのです。
ところで「マインドフルネス」は、仏教用語の「正念 (Sati)」 の訳語でもあります。マインドフルネスの意味は、もとは仏教やヨガの修行法から来ていて、意識的に、今の瞬間に、価値判断せずに、注意を払うことなのです。

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又、マインドフルネスについては、この道の大家であられるジョン・カパット・ジン博士によるものが最も有名で、博士は『意識的に、今の瞬間に、価値判断せずに、注意を払うこと』と定義されています。(下記博士略歴はWikipediaより)

カバットジン博士1.jpg1944年~。マサチューセッツ大学医学大学院教授・同大マインドフルネスセンター創設所長。国際観音禅院の崇山行願に師事。ケンブリッジ禅センター創設。仏教の修行法と教理を科学と統合。ストレス、悩み事等の対応術としてマインドフルネス瞑想を広める。

では、マインドフルネス瞑想の一つである歩行瞑想について話を進めましょう。再び『マインドフルネス・イニシャティブ』からシェアさせて頂きます。

片方の足の裏に意識を集中し、この部分の感覚を観察します。車椅子や杖を使っていて、足の裏を観察できない場合は、手や膝など、別の部分を観察してもかまいません。ゆっくりと一歩づつあるきながら、各動作の足裏の感覚を観察します。好奇心と優しい気持ちを持って観察しましょう。最初のうちは「片足を上げる」「空中を前に進める」「床に下ろす」のそれぞれについて分けて観察します。慣れてきたら、さらにゆっくりと、細かく動作を分けて、「片足を上げる」「前に進める」「床に下す」「床に足がつく」「体重をかける」の個々の動作の感覚を観察します。

いゃあ、これは大変だ!
でも、ワタシのやっている歩く瞑想はもっと簡単です。
平地と下り坂を歩く時は「歩(阿 あ)・る・い・て・い・る・よ・吽(うん)! 歩(阿 あ)・る・い・て・い・る・よ・吽(うん)! あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す!」を、上り坂の時はだ・い・ち(大地)・を・ふ・み・し・め・歩(阿 あ)・る・い・て・い・る・よ・吽(うん)! あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す!」を一言ずつ区切って、一歩毎に心の中で称え続けます。これで結構、歩いていることに意識を集中出来るのですが、しかし称えていながら他のことに意識が移っている場合もあるのです。それをチェックする為、上り坂は「大地を踏みしめ歩いているよ、うん」、下り坂と平地は「歩いているよ、うん」と違う言葉にし、上り坂なのに「大地を~~」と称えていなかったり、平地や下り坂なのに「大地を~~」と称えていたりするのに気付くよう、チェックする仕掛けにしている他、必ず左足からスタートし、「歩(あ)」か「だ」か「ありがとう」の「あ」の時は左足を、「うん!」か「す!」の時は右足を出しているのをチェックするようにもしているのです。
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このやり方は、歩行瞑想をしようと思い立った際、ほな、どないなやり方をしたらええやろか、と予め考えたのやのうて、歩き始めたら、ふと思いついたのです。でも現在はこのやり方で、意識が「今、ここ」、歩くことから離れていても、すぐに「今、ここ」、歩くことに立ち戻ることが出来ています。そしてこの歩行瞑想で少しは身についた(?)心を切り替えるすべで、過ぎ去ったことを思い返し悔やんだり、過去に遭遇した理不尽な出来事に腹を立てたりすることが少なくなり、穏やかに安らかに日々過ごしております、ハイ。
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袖振れ合うも多生の縁384 ~葦原瑞穂さんのスピリチュアルな名著『黎明』再び!~

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今回も霊性に関する名著『黎明』についてですが、下の画像はいずれも<日本は世界の雛形>との説に基づくものです。
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九州がアフリカ大陸に、四国がオーストラリア大陸、紀伊半島はアラビア半島、本州はユーラシア大陸、北海道は北米大陸という具合に、日本の地形の各部が、世界地図の各所のかたちと相似であり、このように日本地図が世界地図によって表現できるということ、日本と世界の地形が相似的関係にあるということは、「日本の国土は世界全土の縮図であり、日本は世界の命運を担っている特別な国である!というのが、「日本は世界の雛形論」なのです。
日本のカタチは世界の縮図やなんて、そんなん偶然やないかと皆さんは思われるでしょうね。ワタシもそう思いますわ。
しかし、この論は「竹内文書」にも見られます。
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一寸横道にそれますが、竹内文書とは、神代文字の記された文書と、それを武烈天皇の勅命により、武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石や鉄剣など一連の総称で、アカデミズムからは古代文書を装った偽書とされています。
それは兎も角、古神道的文脈では雛形とは霊的モデルという意味合いをもち、その雛型が出現することには、神的な経綸が働いていることを暗示している」と解釈されるのです。つまり日本は神的な経綸に基づく神の定めに依り、長大な時間をかけ地理地形のみならず、あらゆる意味で世界の縮図になるよう、仕組まれていたと言うのです。
実は、この「日本は世界の雛形である」というのは、大本教聖師・出口王仁三郎のことばで近年に広まりました。大本神歌の外八州・内八州史観を見てみますと・・・
「日出る国の日の本(日本国)は、全く世界の雛型ぞ。神倭磐余の君(神武天皇)が大和なる、火々真の岡に登り坐、蜻蛉の臀甞せる国と、詔せ給ふも理や。我九州は亜弗利加に、北海道は北米に。台湾嶋は南米に、四国の嶋は豪州に、我本州は広くして、欧亜大陸其儘の、地形を止むるも千早振、神代の古き昔より、深き神誓いの在すなり…」
「日本は世界一、地の中枢である。熱帯に枕し寒帯に足を延し、あらゆる気候、あらゆる土質風土の凝聚地である。すなわち世界一切の小宿写である。否、世界万邦の中つ国として、万国統治の中府である。霊域であるこの霊域、日本国の中府に大御柱アオウエイの母音なす金龍海が神示に因りて、築づかれたのである。名づけて大八洲と称し、世界の縮写とす」

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           国常立尊に扮した出口王仁三郎

『黎明』のことでなく、日本雛形論について書き連ねてきましたのは、葦原瑞穂さんの『黎明』もこの論に言及されているからで、葦原さんはこの論を是とされています。ですが葦原さんが是とされたから、このブログに取り上げたのではありません。このような根拠を求めようもない問題は真か偽りかでなく、信じるか信じないかだと思うワタシなのですが、このことに関しては半信半疑、いえ、六信四疑なのであります。では何故、書く気になったかと申しますと・・・

『地球人類の霊的指導に(日本人が)携わるという任務は、あらゆる人々の僕(しもべ)となり、人類に仕えるということですから、他の人達よりも自分が勝(すぐ)れていると思うような迷いは、自我そのものの性質から生じる自惚れであり、人を導くどころか、最も未熟な意識状態を露呈するものだということを、肝に銘じておいて欲しいと思います。』

『黎明』の中で葦原さんは、「日本人は世界中の人達より、はるかに勝れた優秀な唯一の民族である!」と国粋主義に陶酔している無知蒙昧な輩に厳しく警告を発しておられますから、この戒めを一人でも多くの方達に是非とも知って欲しいと思い、敢えてシェアさせて頂いた次第であります。

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袖振れ合うも多生の縁383~葦原瑞穂さんのスピリチュアルな名著『黎明』とわが過去生~

ここ5回、ワタシの過去生について書かせて頂きました。その過去生が真実であるという根拠は皆無ではないものの、オマエの妄想やと言われれば、その根拠は確たる証拠ではないのでワタシの脳が造りだした妄想かも・・・と言うしかありません。でも、以前このブログで紹介させて頂いた葦原瑞穂さんの著書『黎明』にこんな記述があるのです。
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J・レナードは『スピリチュアリズムの真髄』(日本語版 近藤千雄 訳 国書刊行会)の中で述べています。「この生まれ変わりに関して意味深長な事実がある。それは、前世を思い出す人達のその前世というのは、王様とか女王とか皇帝とか皇后であって、召使いのような低い身分だったという者が一人もいないのである。」

レナードさんにお言葉を返すようですが、ワタシの過去生はどれもが王様でもないし皇帝でもなく、明らかに身分の低い奴隷とか召使われる執事だったのです。だからといって、ホンマにそやったということにはならないのですが、この問題はホンマかウソかというよりも、信じるか信じないかだと思うので、ワタシは信じているのであります、ハイ。処で、『黎明』にはこんな記述もあるのです。

過去世に言及する場合、自分は覚者や大天使の生まれ変わりである等と自称する人達の話には根拠が無く、意識の未熟な人達が自己顕示欲から言っているに過ぎないと診て、まず間違いありません。(中略)
しかしケース・バイ・ケースで、必ずしもそうとも言えない場合があるのです。時に現在その人が抱えている問題が、過去世の原因と拘わっているような時には、その背後関係を明らかにしてやることが、問題解決のために非常に役立つことがあります。

ワタシの場合、このケースに類似していると言えなくはないのです・・・。
ワタシが過去生で出逢い、今生でも出逢っている方達の現在抱えている問題が、過去生でワタシのし残したことに端を発している場合ゃ、そうでなくワタシの過去生と関係がなく、その人自身の問題の場合など、ケース・バイ・ケースですが、袖触れ合っている人達の抱えているそのような問題がワタシに見えて来て、その問題解決の為些かながらサポートするようになり、嬉しいことにクリア出来つつあるのです。

それから『黎明』にはもう一カ所、ワタシが「むむむ!? ワタシもこやないか!?」と思わず我が身を顧みた記述があったのです! それは・・・

スピリチュアルな意識が進化すると、意識が宿っている肉体の波動がUPするプロセスで、従来の低いレベルの波動が消えていくのであるが、その時肉体は対応できず体調が悪化し、消滅するエネルギーが風邪などの病いという形で肉体に顕れることがあり、その病いが癒えると、持病があるのであれば、その慢性的症状が改善される。

・・・というのです! ワタシのスピリチュアルな意識が進化したとは烏滸がましくて言い難いのですが、敢えて申しますと、毎朝歩行瞑想を続けているので、なんだか穏やかな安らかな幸せ感に包まれ、心身共に健やかになっている心持ちなのです。このようなメンタル状態も些か精神世界的な意識の進化と言えるのではないかと思っています。処でワタシの慢性的症状とは、ピロウな話、便秘です。
便秘薬2.png
数年前、お酒を止めた数ヶ月後から通じがコンスタントでなくなり、この薬を服用していました。しかし、自然なカタチにはなかなか戻らず、これは禁酒による水分代謝不足のせいかもと思い、再び飲み始めたのですが状態は相変わらずで、悪戦苦闘することも多々ありました。ところが歩行瞑想を初めてからどれ位たったか覚えていませんが、『黎明』の意識進化云々の記述を読み、そしてその数日後から、何と何とわが通じはコンスタントな自然状態に復活したのです。でも、いつこの嬉しい状態が途絶えるか・・・と心配していましたが、一月以上も続いているのです。よし、よーし、よしよし!と喜んでいると、あらら、ある日途絶えてしまい、元の木阿弥です・・・。あーあ、アカンかったと一瞬気落ちしたのですが、いや、もっとスピリチュアルな意識を進化させて、再度通じを自然に戻そうと思い直しているワタシなのです。

取り留めもないことを書き綴ってしまいましたが、最後に『黎明』についてもう少し書かせて頂きます。

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著者の葦原瑞穂というのは勿論筆名で、本名は永留祥男さん・・・だそうです。と、伝聞形で書きましたのは、葦原瑞穂氏はプライベートを殆ど公表されていなくて、下の写真もご本人かどうか分かりかねる曖昧なスナップしか、PCで検索しても見付けることが出来ませんでした。葦原さんは経歴を明かしておられませんが、インドなどで相当修行された方のようだとワタシは思っています。でも『黎明 下巻』の終章に、
『著者がプロフィールを明かさない理由は、読者の皆様が著者のパーソナリティという幻影に関心をお持ちになることは本書が書かれた目的のひとつに反するからです。著者にしてみましても、まだ修行中の身の上ですから、大勢の取り巻きの旁々に「先生」「先生」とちやほやされたりすれば、いつ地獄に転落するか判らないので、転ばぬ先の杖ということであります』
と、冗談まじりでしょうが書いておられるのです。

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しかし、めげることなく更に検索を続けると、数年前にはこの著書に基づくセミナーを開かれていたのです。そのセミナーのHPによりますと・・・

セミナー案内HP.png
「黎明」という本をご存じでしょうか? 知る人ぞ知るこの本は、13年と8ヵ月の年月ををかけて、本質について慎重かつ丁寧に書かれた、数少ない素晴らしい本です。ほとんどの場合、この本に出会い感銘を受けた人が人に伝えるカタチで広まり続けています。これまで、少しずつ増補され、新版が出る度に進化している本です。
あまりに内容が深いので、ページによっては、数行進んでは戻って、読み返すというような部分もあったりしますが、思考を超えて、魂に語りかけてくるような味わいと響きがあり、まさにご縁に引き寄せられてこの本と出会うそんな本です。
私たちが存在しているこの宇宙、物質とは何か、地球の生命系、誕生と死の意味、私たちをサポートする存在、人間の能力、人生やこの世に生まれてきた意味などなど、今世界で起こっている出来事の意味から生き方、そして宇宙人まで、本当に興味深い内容が語られます。
著者の葦原瑞穂さんは、出版後現在に至るまで15年もの間、ほとんど表に出てお話しされることはありませんでしたが、時代の要請で講演活動をされるようになりました。

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          岡山のセミナーで講演される葦原瑞穂さん

『黎明』を書き上げた葦原さんは、自分の使命は果たしたと思われたのか、八ヶ岳の別荘で隠遁するが如き暮らしで、表に立たれることは皆無だったようです。しかし日本の、世界の、荒廃し続ける世の中を憂い、「自ら語ることで、少しでも地球が変わるお役に立てるのなら・・・」と決意され、自著を基にしたセミナーで講演されるようになったそうです。この岡山のセミナーは2015年3月。そして、それから1年半後、2016年10月2日、酒とクルマを愛した葦原瑞穂さんは、自動車事故で旅立たれたのです。この世でのお役ご免となられたのか、あの世で為すべきことが待ち受けておられたのか・・・。

ワタシは葦原瑞穂さんと袖触れ合うことはなかった、いえ、著書『黎明』に出逢えたのも何かのご縁、ワタシの魂の奥底に眠っている真理を、普遍意識を目覚めさせてくれる、魂の黎明、夜明けをもたらせてくれる、この著書を深く々々読み込めるようになりたい、ならないと・・・そう思うワタシなのです。

夜明け2.png




袖振れ合うも多生の縁382~過去生(英国の執事)を超えて、仏兄(さとえ)を超えて Ⅴ~

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ご覧の写真は、英国の大邸宅を取り仕切る執事さん達ですが、ワタシは過去生で執事をやっていたことがあるのです。この過去生が判明したのは『ワイス博士の過去生退行瞑想』CDで、H・Hさんと過去生でどんな関わりがあったのかを知りたくて試みた処、ワタシはイギリスの執事の服装をし、細くきっちり巻いたアンブレラを右手に持ち、左手は金髪の幼い女の子と手をつなぎ、仲良く歩いている光景が浮かんできました。そしてこの女の子はワタシの娘で、今生でも袖触れ合っているH・Hさんだったのです。
H・Hさんというのは、あるタレント養成所の生徒さんで、私はそこの演劇講師でした。彼女との関わりは、後程触れることに致しますが、執事であったワタシの死に様は、フィンランドの女性歌手で舞台装置の下敷きになり亡くなった過去生と類似していて、所謂畳の上で死ねない類のものなのです。

プロペラ旅客機2.jpg
これは世界で初めて商業的に成功したプロペラ旅客機の傑作、ダグラス(現ボーイング)DC-3ですが、それはさておき・・・
英国での過去生の最後は、乗っていたプロペラ機が爆発したのです。娘連れでなくワタシひとり、窓際の席でぼんやり外を、雲上快晴を眺めていると突然爆発炎上し、気付くとワタシは窓の外に浮かんでいました。でも肉体はなく、燃える機体を外から眺め、「あ、オレ、魂になってる、霊魂てやっぱりあるんだ!」と霊魂のあることを再確認し、ナットクしたのでした。因みにこれは昨今流行のテロではなく、事故だったようです。でもプロペラ旅客機に搭乗しているのですから、そんなに昔ではなく、比較的最近でワタシの一番新しい過去生なのでしょう。この霊魂はある!という直感から、ワタシのスピリチュアルな道の確信犯的旅立ちが始まり、そして今生に今日に続いているのでしょう。

処で、英国での過去生でワタシの娘だったH・Hさんは、いつの頃からかワタシのことをお父さんと呼ぶようになっていました。彼女とは一緒に飲む機会が多く、演劇以外の話も色々するようになり、プライベートな相談にものるようになっていたのです。彼女の実家は東北でしたが、ある年の年末、「お正月にはいつも実家へ帰るんですが、帰ったらお父さんに(ワタシでなく実父)一緒に飲もうと誘われるんです。飲もうと思うんですが、何故かイヤ!と返事をしてしまうんです・・・」と、何か心因的な訳ありの相談があったので、「なんか、お父さんとのトラウマ抱えてるみたいやげと、一緒に飲むことでもつれた糸が解けるかも・・・。」と答えたのでした。そして年が明け、彼女から来た年賀状に、年末お父さんと飲みました! でも、大阪のお父さんと飲む方が楽しいです!なんてことが書いてありました。
賀状1.jpgそんな賀状を貰ってから5、6年後に、H・Hさんは過去生で娘だったと分かったのですが、その翌年、彼女はワタシがアフリカのシャーマンだった過去生で、新入りの見習いシャーマンだったという想念が、突然唐突に降りてきたのです。

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シャーマンだった私は踊ることにより神を降ろしていたのですが、村長と衝突し村を去る決意をした時、今後生涯踊ることは金輪際ないと誓い村を捨て、見習いシャーマンをも捨てたのです。その後、見習いシャーマンだったH・Hさんは、どのようにして一生を過ごしたたのかは知る由もないのですが、かくして私は彼女を見放したカルマを背負い、今生でそれを果たすべく再会したのです。H・HさんはH・Hさんで、自分の今生は父親とのカルマをクリアすべきだと思い、舞台人をやめ親元に帰ったこともあったのですが、折り合いがつかなかったのか、某博覧会での舞台イベントに誘われて、大阪に舞い戻ったこともありました。

菓子博1.jpg
そんな彼女は、自分の行動を正当化する為に「自分は踊る為に生まれてきた!」とワタシに訴えるように言い募っていましたが、ワタシは非情に、「それは違うと思う。舞台に立ちたい、何としても立ちたい、という舞台に飢えた心を如何に癒やし、魂が本当に望んでいる姿に還るべきだ!」とお説教したこともありました。でも、聞き入れられなかったのですが、数年後彼氏を見つけ結婚し、あっさり舞台を離れたのです。かくしてワタシはH・Hさんとのカルマをクリアできたようで、やれやれです。処で、H・Hさんの夫君は、彼女の父親そっくりの性格だとか。H・Hさんも今は、お父さんとわだかまりなく飲んでいるそうです。めでたし めでたし.png







袖振れ合うも多生の縁381~過去生(フィンランドの女性歌手)を超えて、仏兄(さとえ)を超えて Ⅳ~

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ご覧の写真はアイルランドの歌手であり、作曲家・音楽プロデューサーでもあるエンヤの写真ですが、ワタシは過去生でエンヤのような高い声で歌う女性歌手だったのです。でもアイリッシュではなく、フィンランド国籍のサーミ人だったようです。サーミ人とはフィンランド・スウェーデン・ノルウェーの北部、ラップランドに住む人々で、サーミの人々にはヨイクと呼ばれる霊的な歌唱があり、ワタシもヨイクを歌っていたのかも知れません。
余談ですが、ラップランドはオーロラが神秘的に輝く観光スポットであり、サンタクロースが住んでいる場所とされています。

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神秘的なオーロラの写真をもっとお見せしたいのですが、切りがないので切り上げて、この過去生が分かった経緯に話を変えましょう。
フィンランドの女性歌手だった過去生は、以前ブログに取り上げた『ワイス博士の過去生退行瞑想』CDで今生のヨメさんと過去生でどんな関わりがあったのかとの想いを念頭に置いて試みた処、浮かんできたのです。ワタシは女性歌手で、ヨメさんは伴奏してくれている男性ピアノ奏者でした。
そして、そしてですね、ある舞台公演中に装置が倒れ、ワタシはその下敷きとなって亡くなったのです、嗚呼! この過去生が分かったのは2006年でした。

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何でここに突然、ワンちゃんの写真が出てくるんや!?
この老犬は、私たち夫妻と老いの身を寄せ合い暮らしている愛犬スオミ君ですが、彼がわが家にやってきたのは2007年、フィンランドでの過去生が分かった半年後でした。(ブログ冒頭プロフィール欄の写真は若かりし頃のもの)

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スオミ (Suomi) とは、フィンランド語で、フィンランドのことやフィンランド語、フィンランド民族(スオミ人)を表す言葉なんです。

ちゅうことは、このワンちゃんも過去生で一緒やったんか!?
そう、そう、そうなんです!
この子を見た途端、あ、ワタシが舞台事故で亡くなった後、ずっと悲しげな声で鳴いていた、哭いていた、泣いていた・・・との想念が降りてきたのです。

という訳で、スオミと名付けました。
でも、スオミという言葉をご存じない方も結構おられるようで、動物病院のカルテにスミオくんと書かれたこともありましたね。

過去生で、ワタシの死を嘆いてくれたのは、スオミくんだけでなく、パートナーのピアノ弾きさんも、無論です。
ですから、今生はワタシがスオミくんとヨメさんを見送らなアカンのかも・・・と想っていましたが、昨年の11月にスオミくんは精一杯命を燃やし尽くして旅立ちました。そんなスオミの生き様死に様は、見事!であり、ワタシに哀しみだけでなく、ある種の感動すら与えてくれました。こんなスオミくんの旅立ちについては、又別の機会に書きたいと思っております。
処で、スオミを見送るとペットロス症候群になるかも・・・と少し心配していたのですが、ナントカ持ちこたえています。
そやけどもし、ヨメさんを見送るとなると、野球の故野村監督、ノムさんのように「なんで、わしを残して先に逝くんや・・・」とぼやき続けるのでしょうか・・・。
ワタシが妻に先立たれるかどうかは神のみぞ知る、ですが、もしそうなったら、飲んだくれにならないように気を付けないと・・・。

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いや、生きている限り、何かしなければならないことがある筈だ!と思い、人生を最後まで全うせなあきませんよね。
待てよ、ヨメさんより先に逝くけど、不慮の事故で先立った歌手の過去生と違い、生ある限り命を燃やし尽くして旅立つのなら、前世の轍を踏んでいることにはならへんのと違いますか?
ま、いずれにしても定かでない明日を思い煩い憂うより、今日、今を精一杯、生きることに致します、ハイ。

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袖振れ合うも多生の縁380~過去生(古代ローマの奴隷剣士)を超えて、仏兄(さとえ)を超えて Ⅲ~

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ご覧の画像は古代ローマの剣士で、ワタシは過去生で奴隷剣士だったことがあるのですが、今回のブログではその過去生について書き記したいと思います。
ところで私は、生れてから今日に至るまで「命」への思いがとても強く、現在も蚊など虫も殺せないし、雑草を抜かなければならない時は、「折角生えてるのにゴメンな。又何処かに生えておいで。」と声をかけてから草引きする有様です。
それで2006年のはじめの頃、かくも命に拘泥するのは前世の所以ではないかと思い、その前世を知るべく「ワイス博士の過去生退行瞑想」を試みた処、古代ローマの奴隷剣士であり、子供の頃から殺すか殺されるかの日々を過ごし、相手を殺すことなど毫も意にかけない一生だったと判明したのです。
しかしこの時は、現世で関わりのある人は何も出てきませんでした。

そしてそれから10数年たった昨年の1月、ミュージシャンのMさんから「あなたとは過去生を共にしたことがあると思います。」とのメールを貰ったのです。Mさんとはあるライブで知り合い、コンサートなどで出逢うくらいのつきあいで、過去生での出逢いがあったとは考えてもみなかったのですが、もしや? と思い、前記の過去生退行瞑想CDで、どのような繋がりがあったのか見てみようと試みた結果、古代ローマ剣士とナースだったことが分かったのです。

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そして更に、その過去生の繋がりが分かってから数ヶ月後、早朝散歩中、過去生のことなど何も考えていないのに、突然意識が変成し啓示(?)が降りてきたのです。ネイティブのシャーマン達は神のお告げを聞く際、様々な香料を燃やし意識を変成させるようです。しかし、精神世界に詳しい作家、田口ランデイさんが何かに書かれていたように、香料などを炊かなくても簡単に変性意識は起こる・・・とワタシも思っています。ランディさんは作品を書いていると、何の脈絡もなしに簡単に変性意識になり、自分が考えもしないような文章が書けるそうです。

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このような変性意識をワタシも多々経験していますが、私の場合は執筆中でなくても、散歩中とか入浴中とか、突然全く思いもしないような概念が降りてくるのです。それはさておき、散歩中降りてきた古代ローマ剣士絡みの啓示(?)とは・・・。

古代ローマ時代の私は、幼少の頃より奴隷剣士として、生きるか死ぬかの刹那的な突っ張った生き方で日々をやり過ごしていました。ですから戦いで多少怪我をしても、唾でもつけておけば直ると治療を拒んでいました。そんな私をナース達は、怪我していても見て見ぬふりでした。ですが新入ナースのM・Uさんはほっておけず、強制的に治療してくれたのです。はじめは拒んでいた私も、人の情けに触れたというか、彼女の治療を受け入れ、そんなナースの優しさが私を少しは人間的な気持ちにさせてくれたのです。
そして、私よりずっと格下の剣士との試合がマッチされ、大方の予想は99、9%、私の勝利で賭が成立し難いような勝負と人々に思われていました。
しかし私はその戦いで敗れ、殺されたのです。
というのは剣を交えた時、相手は極度に怯えていて、「あ、こいつ、死にたくないんだ。可哀想に・・・」と仏心が起き、切っ先が鈍り、相手の盲滅法斬りつける剣をかわせなかったのです。
賭で大損した人々は、負ける筈のない私が敗れたのは相手に同情したからだ。
そんな仏心を起こさせたのは、治療してやったあのナースだと非難したのです。かくして新入りナースさんは、優しく傷の手当てをすることが良いとは限らないのかも・・・と心を閉ざしがちになってしまったのです。でも、しかし、私は情け容赦なく相手を殺戮していた頃と違い、彼女がもたらしてくれた人間的な心を抱いてあの世に往ったので、天国に入れたのです。
「お陰で私は、あの世の良い世界に行くことが出来たのですから、ですから心を閉ざさないで!」
あの世から彼女にこう伝えたかったのですが、あの世からでは伝える術は最早なく、古代ローマ時代の私のし残した事として現世に持ち越したのです。

このように啓示の概念を書き綴ると、ストーリー的にならざるを得ず物語めいてしまいますが、降りてきたのは一瞬なのです。

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それはさておき、ワタシはMさんの演奏って結構良いんだけれど、何故か、何処か頑なところがある・・・。個人的にお付き合いしたことはなく、仲間たちと一緒の飲み会では喋ったことがあるのですが、Mさんは人並みにフツーに喋っているように見えて、心をオープンにしていないのでは・・・と思えたのでした。
このワタシの勘は当たっていたのが、後日分かりました。というのは、Mさんはご自分のプログに、「これからは心を閉ざさないで、どんどん前に進もう!」と書かれていたのです。良かった、良かった!
ワタシはさしてMさんの背中を押した訳でもないのに、なんだか嬉しく、過去生でし残したことをやりとげた!?
そない大層な思いやないんですが、古代ローマの剣士の過去生をクリアした気分で、ほっとしています。
ではでは、次回は「フィンランドの女性歌手」だった過去生についてですが、果たして・・・。
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袖振れ合うも多生の縁379~過去生(古代ギリシャの狩人)を超えて、仏兄(さとえ)を超えて Ⅱ~

アテナイのアクロポリス1.jpg左の写真はアテナイのアクロポリスです。アクロポリス(ἀκρόπολις)とは、古代ギリシャのポリス(都市・都市国家)のシンボルである小高い丘のことで、アクロポリスは「高い処の城市」を意味し、多くは防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれています。

ワタシは、アテナイかどうか分かりませんが、過去生で古代ギリシャの狩人だったことがあるのです。このことが明らかになったのは、アフリカのシャーマンであった過去生が分かった翌2005年でした。その判明した経緯は・・・
奥山輝美さんという、催眠でトラウマを抱えた患者を前世に戻し、心因を探り治療するという前世療法をなさっておられる著名なお医師さん(写真下)の公開パフォーマンスがあり、ヨメさんに「行かへん?」と誘われたのです。ワタシは常日頃なら「そんなもん行かへん。」とすげなく断るのですが、この時は何故か行く気になり、夫婦して守口市民会館大ホールへ出かけました。

奥山輝実医師1.jpg
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結構大勢の人たち、4、5百人はいたでしょうか、その人達と奥山医師の誘導に従ったのですが、過去生へ降りていくと、弓を肩にかけて海岸沿いを歩く私の姿が浮かび、古代ギリシャの狩人だったのです。そしてその時、男の子と手を繋いで歩いていたのです。「まわりに今生で知っている人はいませんか?」との奥山医師の声に促され、この子誰やろ・・・と思案したところ、Tクンやないか・・・と思い当たったのです。Tクンというのは、ワタシが27、8歳の頃友人とやっていた企画会社『日本企画JPスタジオ』の仲間、Mさんの息子なのですが、「あ、違う・・・Rクンや、そや、そうに違いない!」と思い直したのです。
そして、奥山医師の誘導は、過去生の終焉になり、ワタシは穏やかなエーゲ海の浜辺に横たわり、沈み往く夕日を眺め、「オレの人生、まあ幸せやったな・・・」としみじみ思いつつ息を引き取ったのです。

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ところで、古代ギリシャでワタシの子供だったRクンは、今生では、結構名の知られたシンガーソングライターE・Kさんの甥御さんなのです。E・Kさんが亡くなられて何年になるでしょうか。E・Kさんのことを偲ぶと、いつもワタシとの不思議なコンタクトを思い出すのです。

霊界の書.jpgいつの頃か、はっきりとは覚えていませんが、ある時TVをつけると、E・Kさんが写り、いきなり『年の離れた妹に、「お兄ちゃん、霊界ってあるんやろか?」 と尋ねられてどう返事したものか困ったんだ・・・』と話し出したのです。
E・Kさんの妹さんは、優秀な、素敵なダンサーであり女優さんで、ワタシが作・演出した丹波哲郎さんの霊界本をベースにした舞台作品でご一緒していたから、そんな疑問をお兄ちゃんにぶつけてたんですね。これが不思議コンタクトの第一弾でした。
そして・・・又ある時TVをつけると、彼が出ておられて「森ノ宮の青少年ホールは娘が幼稚園の時、初舞台を踏んだ思い出の劇場なんです。その作品は<秘密の花園>というミュージカルで、脚本がとても良かった。それで娘はこの世界に入ることになったんです。」
この脚本を書いたのはワタシにんです。
秘密の花園1.jpg
TVをつけた途端、E・Kさんが写り、そしてワタシ絡みのことを二度も言うなんて・・・こら、なんかご縁かあるんかなと思っていましたが、どんなご縁なのかはずっと???のまま数年がたち、某テーマパークの総合演出をすることになり、振り付けを誰に頼もうか迷ったのです。
親しい振付師は何十人もいましたが、E・Kさんの妹さんとはその頃、何のコンタクトもなかったのに何故か急に思い立ち、彼女に振り付けを依頼しました。
そして初日を迎え、彼女は長男の幼稚園児Rクンを連れて来ていて、Rクンは何故か妙に私になついてしまいました、ワタシは孫のように思えて、時間の過ぎるのを忘れ一緒に遊んだのです。
これってやはり、過去生からの情がつながっているからなのでしょうね。このRクンとのつながりが判明したのは、テーマパークで彼と出逢った3年後なのです。かくして長年の謎だった、E・Kさんとの不思議コンタクトもやっとナットク出来た次第です。
処で幼稚園児だったRクンも今は20歳を過ぎ、結構イケメンで、ドラマーとしてそこそこやっているそうです。Rクンも立派に成人しているし、「古代ギリシャの狩人」だった過去生でワタシがし残し、今生で為さねばならぬ事もなさそうで、安堵しています。
ではでは、次回は「古代ローマの奴隷剣士」だった過去生を。










袖振れ合うも多生の縁378~過去生(アフリカのシャーマン)を超えて、仏兄(さとえ)を超えてⅠ~

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ご覧の写真は、ワタシの居住しているマンションですが、フツーのとは少し違い、一つの建物でなくA~G棟と七つに分かれていて、ワタシの棟は2軒しかなく、玄関ドアは直接外に面している戸建て風なのです。
それは兎も角、このマンションの管理組合役員を来年から2期勤めなければならないので、仏兄(81歳)迄元気でいたいと、前回のブログに書きました。
でも、唯それだけではないのです。実は・・・

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唐突に並べた画像は、上から、「アフリカのシャーマン」・「エーゲ海の夕日」・「古代ローマのコロッセウム」・「北欧の歌姫エンヤ」・「英国の執事たち」で、何の脈絡も皆無であるように見えますが、実は・・・ワタシの過去生絡みの写真なのです、
今から15、6年前、還暦を過ぎた頃から、なな何と、次々過去生が分かってきたのです。いや、ホンマですよ!

フラメンコ1.jpg
最初はスペインのマドリッドでした。
その頃テーマパークのパルケエスパーニャ(スペイン村)で、エンタテイメントの総合演出を担当させて頂いていて、スペイン人ダンサーやエンタテイナーのオーディションを毎年現地で行っていたのですが、その4年目、さして広くない会場で大勢の男性フラメンコダンサー達が課題の振りを情熱的に踊り続け、床を突き破らんばかりのサパテアード(床を踏み鳴らすスデップ)を狂うばかりに踏み続け、いやもう喧しいの、部屋中ワンワン響き渡り、ダンサー達の踊りを熱く見詰め続けていたワタシのテンションも相当ヒートアップしていたのでしょうか、ふと気付くと、椅子に腰掛けた儘、ワタシの脚がサパテを踏み続けているのです!
ワタシはフラメンゴどころか盆踊りもロクに踊れないのに!?
こら、一体全体どないしたんや!? どういうこっちゃ!? と瞬時訝ったと思う間もなく、どわーっとある概念が脳裏に飛び込んできたのです!!

アフリカンシャーマン1.jpg
ワタシは、アフリカのある村の女シャーマンで、踊ることによってトランス状態となり神の声を聴いて村長(むらおさ)に降ろし、村のまつりごとをサポートしていたのです。
しかしある時、村長はワタシが降ろした神の声を、自分が村を統べるのに有利なように変えてくれと懇願してきたのですが、ワタシは神意を曲げることはならぬと突っぱね、衝突した挙げ句、今後は金輪際この村の為に神の声を降ろすことはない、天命であるシャーマンを止め二度と踊ることはないと固く誓って村を出、地中海を渡りスペインはバルセロナに辿り着き、物乞いをし細々と生きながらえたものの、やがて野垂れ死にしたのです。

スペイン地図1.gif
そういえば、バルセロナでのオーディションの後、地中海岸沿いの公園にいた時、女性の物乞いさんが近寄ってきたことがあったのです。外国ではよくあることで、いつもは小銭くらいはあげるのですが、この時はもの凄く嫌で、追い払うのではなく、自分が早々に逃げたのを覚えています。きっと前世の自分を見たような気がしたのかも・・・。
処で、ワタシが捨てた村は、村人たちは散り散りバラバラとなり荒廃して廃村となったそうです。
この過去生の咄は、こうして書き綴ると結構長いですが、ワタシのアタマに降りてきたのは概念ですから、まさに一瞬でした。はっと我に帰ると、サパテを踏んでいたワタシの脚は、もう動いてはいませんでした。

この過去生が降りてきた年から過ぎること6年、シャーマンのワタシが訣別した村長だったという人物が分かったのです!
その人物はワタシの古い知人というか友人S・Kさんで、出逢ったのはお互い20代でした。年賀状だけのおつきあいだった頃もありますが、今は衝突しないよう、スピリチュアルな成長目指してサポートしあい、ぼちぼち歩んでいます。
彼と前世で為すべきだった和解は最早既に果たしていますし、ゴールも目途がたっていると思っています。ゴールインできるのは、1、2年先、ワタシが仏兄を迎える頃でしょうか・・・。
少し長くなってきましたので、「エーゲ海の夕日」は次回ということに致します。ではでは。




袖振れ合うも多生の縁377~喜寿を無事終え、仏兄(さとえ。81歳の古称)めざして!~

ハピバースデー1.jpg

本日はワタシの誕生日なのですが、一体いくつになったのでしょうか?

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あらら、オマエと多分何のカンケーもない、毒蝮三太夫さんの写真が唐突に挿入されてるのは、どないな訳ゃ!? いえ、あのですね、「クソ婆ぁ!」との毒舌で人気を博している毒蝮さんには、<年寄りに年齢を聞く>というギャグがあるのです。
「爺ぃ、アンタいくつになったんだ?」「いや、歳ってぇのは毎年変わるもんだから、よくわかんねえ!」
閑話休題致しまして、ワタシはナントカ77歳を無事に終え、78歳を迎えました。処で77歳の異称は「喜寿」ですが、78、79歳の別称ってあるんやろか? 一寸調べてみたのですが、無いようです。80歳が「傘寿」なのはよく知られていますが、81歳の「半寿(はんじゅ)」「盤寿(ばんじゅ)」「仏兄(さとえ)」はご存じない方が多いようです。「半」という字は、八と十と一から成っているから81歳は「半寿」で、「盤」とは将棋盤のことでして、棋盤には81のマス目があるから「盤寿」だとか。
でも、仏の兄と書いて「さとえ」と読ませるのは一体何なのでしょうか??? ワタシは何かの仏教書に載っていたのを読んだことがあり、とても印象に残り記憶しているのですか、今改めて検索してみると皆目ヒットしません。ワタシの記憶に間違いがなければ、「仏兄」とは、お釈迦様が80歳で亡くなられたので、お釈迦様の歳を越え、仏陀の兄になったとの意味から出来た言葉なのです。

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さて、お釈迦様の入滅された絵や像を見てみますと、どの画像も頭が左(北枕)で横たわっておられますよね。

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入滅像2.jpg
涅槃堂に安置されたお釈迦様の涅槃像.jpg
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インド哲学者で仏教学者でもあられる中村元(なかむら はじめ)先生が、あるインドの学識者から聞いたところによると、頭を北に向けて寝るというのは、インドでは今日なお教養ある人々の間では行われていることだそうです。北枕で右脇を下に向けて西に向かって臥すというのは、インドでは最上の寝方であるそうです。すると、ワタシはインド人並なんですね。北枕で寝ていますから。でも日本では、北枕で寝ると良くないという俗信がありますが・・・。
それはさておき、お釈迦様入滅の経緯ですが、『チュンダという鍛冶工に食物の供養を受け法を説かれたが、その時「スーカラ・マッダヴァ」という食物を食されたのが原因で、鮮血がほとばしり出る激しい下血をなされ、耐え難い苦痛が生じ、やがて死に至る重い病が生じた』とパーリー文に書かれています。「スーカラ」とは「野豚」のことであり、「マッダヴァ」とは「柔らかい」という意味で、「スーカラ・マッダヴァ」とは「野豚の肉」か「野豚の好むキノコ」などと解釈されています。激しい下痢におそわれながらも、お釈迦さまはクシーナガルを目指します。病に苦しみながらも、お釈迦さまは鍛冶工チュンダを思いやり、チュンダへの言葉をお供のアーナンダに託します。「チュンダよ、お前は私に最後の供養の食物を施したのだから、大いに功徳があるのだ。」と。

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            クシナガールの涅槃堂

お釈迦様は、チュンダの供養した食べ物で亡くなられた・・・これが釈迦入滅の定説となっていますが、スピリチュアルな世界を書いた名著『黎明』によりますと、さにあらずだそうです。
お釈迦様は解脱を求めて5年間難行苦行をなさったのですが、悟りを得る為の難行苦行は無益であり、不必要な無駄な行為であると説かれたので、難行苦行こそ真理への唯一の道であると堅く信じている行者たちの猛反発、猛攻撃に遭遇し、行者たちに唆されたチュンダがお釈迦様を毒殺したというのです。真偽の程は確かめようもないですが、この膨大な著書に記述された多くの事項は真理であるとワタシには思えますので、このこともホンマやないか・・・とワタシは思っている次第です。
ま、この『黎明』については後日、書かせて頂きます。
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それでは、そろそろ話を「仏兄」に戻しましょう。

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今、仏兄という言葉は死語になってしまっているのでしょうか、ワタシの手持ちのどの辞書にも載っていません。
でも、江戸時代迄は確かに使われていた仏語で、伊丹在住の俳人である上島鬼貫(うえじまおにつら。画像左)は、仏兄という号を使っていたことがあり、「仏兄七久留万(さとえななくるま)」という句集があるとのこと。余談ですが、鬼貫は幼くして俳諧に目覚めていた由、8才の句〚 こいこいと いえど蛍は とんでいく 〛が、新伊丹交番横の句碑に記されています。

鬼貫さんのことは兎も角、ワタシは目下、仏兄、81歳を目指して生きているのであります。何故かというと、ワタシの居住マンション管理組合の役員を来年から2年間やらないといけないので、それを終えると81歳になるのです。
とまあ、こんな義務的な雑事の為だけでなく、スピリチュアルな要件もあるのです。それは、ワタシの過去世のことなんですが、それについては次回書かせて頂きます。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁376~ありがとう禅の最後に、町田宗鳳師が得も言われる波動で唱えられているお経は?~

梅原邸に飾られた書 四弘誓願.jpg
ご覧の書は、哲学にとどまらず多彩な活動をされていた故梅原猛さんの邸宅に飾られていたものですが、何とも味わいのある字ですね。
それはさておき、町田宗鳳師はこの「四弘誓願(しぐせいがん)」という短いお経を「ありがとう禅」の終わりに唱えておられるのです。
処で、Wikipediaによりますと「誓願」とは・・・

仏教における誓願(せいがん。: praṇidhāna, プラニダーナ)とは、仏や菩薩が一切衆生を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓いのこと。また、大乗仏教において、仏道を志すものが願いを成就させるという誓いを立てること。

だそうです。ということは、当初仏菩薩が衆生を「必ずや救うぞ!」と決意して唱えていたのが、大乗仏教に於ける在家信者なども「必ずや救われん!」と志を立てて唱えるようになった・・・ということなのでしょうか。浅学のワタシの推測なので、間違ってているかも知れません。

四弘誓願1.jpg
「衆生無辺誓願度」

「煩悩無尽誓願断」

「法門無量誓願学」

「仏道無上誓願成」

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)・・・・・・・地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願。
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)・・・・・・・煩悩は無尽だが、すべて断つという誓願。
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)・・・・・法門は無量だが、すべて学ぶという誓願。
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)・・・仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願。

各偈頌の意味は、Wikipediaによると上記の如くですが、町田宗鳳師著『「ありがとう禅」が世界を変える』では下記のように訳されています。

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)・・・・・・・生きとし生けるものが果てしなく、安らかな境地に辿り着けますように。
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)・・・・・・・尽きることのない人間の煩悩が断ち切られますように。
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)・・・・・真理の道をどこまでも深く学ぶことができますように。
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)・・・仏の道をかぎりなく達成できますように。

師が「四弘誓願」をワタシ達参禅者の為に唱えて下さっているお気持ちがあよく分かる優しい名訳ですね。ですから、得も言えぬ波動となり、ワタシ達の魂に響いてくるのだと想います。ではでは。

人生はありがとうに気付く旅.jpg









袖触れ合うも多生の縁375~「ありがとう禅」って一体どんなことをするの?~

今回のブログは、町田宗鳳師の「ありがとう禅」で具体的にどんなことをするのかを書かせて頂きます。下の画像はPCを検索していて見付けたものですが、端的にまとめているのでシェアさせて貰いました。


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「風の集い」でおこなわれているのは、先ず「ありがとう念仏」です。
「ありがとう念仏」は、師のHPによりますと・・・ありがとう木魚1.png
木魚を打ちながら「ありがとう」を唱えていると自然に穏やかな気持ちになってきます。一定時間単純行為を反復すると、意識変容体験が起きる


ことは科学的に実証済みですが、「ありがとう念仏」も20分ほど継続すると脳波がβ波からα波に変化します。 このように「ありがとう念仏」の良いところは、タイマーで一定時間を設定し、淡々と機械的に唱えているだけで、雑念が湧いても邪魔にならず、自然に澄んだ心境になっていくことです。
小さな雨だれも長く落ち続けると、固い石でも穴を開けてしまいます。それと同じように、「ありがとう」を唱え続けると、その言霊が意識に浸透していき、深層意識にある頑迷な「否定的記憶」を溶かしてしまいます。そのクリーニングのプロセスには、涙が流れたり、体が温かくなったりします。その結果、自分でも気づいていなかった怒り、不安、恐怖が消え、明るい性格になっていきます。

有り難う木魚2.png

この使用している木魚は、木魚としては最小サイズなのですが、材質が本楠なので、とても心地よい音色がするのです。



ところで、この木魚は師が台湾で求められたもので、結構良い響きです。それはさておき、木魚を叩くのは各個人ではなく、師が叩かれるのですが、それに合わせて「ありがとう」を唱え続けます。そして、師の叩かれるテンポが次第に早くなるので、唱えるのも早くなり、それと相俟って意識が深く浸透していく気がするのです。

次は「感謝禅(感謝念仏)」です。

合掌2.jpg
合掌し、家族・先祖・友人・恩人・仕事・地球等々、自分が感謝したい対象を次々と思い浮かべ、それらの人や物に向かって「ありがとう」の言葉を唱えるます。私の体験では、自分はこんなに沢山の方々や諸物にお世話になっていたのだと気付かされ、まさに感謝々々!でありました。
3っ目は、涅槃禅です。これは、屍のポーズ(仰向けに寝る)になり、願望が100%実現した光景を想像しながら、「ありがとう」を唱え続けるのです。この時、クリスタルボウルの妙なる響きが奏でられ、師の読経と相俟って、得も言われぬ波動に包まれ、まさに涅槃てこうなのか、至福の一端を味わった思いでありました。
涅槃禅1.jpg
この後1分間トークと称して参禅の感想を述べ、更に腹をかかえて体を揺さぶり、大笑いを続ける「笑い禅」があり、お開きとなります。

「風の集い」はまさに風のように来たり、風のように去る淡泊な集いですが、しかし中身の濃いひとときなのです。

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袖振れ合うも多生の縁374~「ありがとう」という言葉を唱えると、神秘体験出来るエビデンス(根拠)~

前回のブログで、町田宗鳳師が「ありがとう禅」で唱える「ありがとう」という言葉を思いついた経緯を書きましたが、再録致しますと・・・
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師がペンシルバニア大学で博士号を得られた研究テーマは法然上人(写真上)であり、その研究のプロセスで、法然上人は念仏を声に出し繰り返すことで、深い神秘体験を何度も得られたことを知ったのです。そして、声には何か不思議な力があると気付き、上人の唱えられたお念仏、「南無阿弥陀仏」に代わる宗教色のない現代のマントラはないか・・・と四六時中思い続けていた処、ある時突然唐突に何の脈絡もなく、ありがとうという言葉が稲妻のように脳裏に飛び込んできたのです!!
この言葉、「ありがとう」こそ、法然上人のお念仏「南無阿弥陀仏」に代わる現代のマントラではないか・・・そう思うと矢も楯もたまらず、仲間を集めて「ありがとう!」を大声で唱える瞑想を実験的に試みられたのです。すると、何と何と・・・!?
風の集い風景1.png
体験者の多くが涙を流したり、瞑想中に光りや色を見たり、色々な音が聞こえたりする人が続出したのです! 幻視や幻聴は、意識変容体験の特徴で、その人達が明らかに意識の深いところに入っていると感じた師は、「声」には不可思議な力があると確信し、声の力について調べ始めたところ、文明科学研究所長大橋力氏の『音と文明』という著書に出逢い、
超高音周波が人間の脳に大きな影響を及ぼすことその超高音周波は自然環境の音に含まれるだけでなく、人間が母音を発した時にも生ずる>
と書かれていたのです。
音と文明1.jpg
大橋力さん1.jpg
<A><U>の母音と<R+I><G+A><T+O>の子音+母音から構成される「ありがとう」という言葉を唱えると、唱えている人の脳に大きな影響があることは、大橋氏が科学的に証明されているのです。すると前々回書かせて頂いた「倍音声明」も、母音を唱えるのですから意識変容体験が出来、深いところに入っていけるわけですよね。
でもしかし、ワタシは「倍音声明」で意味を有していない単なる母音を唱えるのと、「ありがとう」という意味を有する母音を唱えるのでは、些か異なると思うのです。「ありがとう」という言葉は数ある日本語の中で、最高の言霊を持っていると言われていますが、それってなんでそない言われるのやろか?との疑問が浮かんだので「ありがとう」という言葉の語源を調べてみました。

ありがとうの語源 漢検のHP.png
左の説明文は公益財団法人日本漢字能力検定協会、通称<漢検>のHPに載っている「ありがとうの由来」です。


「ありがとう」は「有り難し」、有るのが難しい、滅多に無いことから派生しているのですね。確かに清少納言が言うように、姑に褒められる嫁は有り難しですよね。でも、ワタシの知ってるある姑さん、お婆ちゃんは「ありがとう、ありかとう」と口癖のように、お念仏を唱えるように誰彼なしに呟いてる人がいてますよ。それはさておき、有り難きものの例を枕草子からあげていますが、もっと古い咄を見付けました。
『仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)』に「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」と言われるたとえ話が載っています。
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ある時、釈迦が阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねた。
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、釈迦は次のような話をしている。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
「絶対にないと言い切れるか」
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、釈迦は教えている。

お釈迦様が語りかけられた弟子の阿難という方は、インド名はアーナンダで、大変な美男であったといわれています。お釈迦様の身の回りの世話をし、最も近くでその言葉を聞き続け、お釈迦様が亡くなった後、優れた記憶力で、傍で聞いていた教えを語り、経典の編纂に協力したそうです。
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阿難尊者(右)と迦葉(かしょう)尊者.jpg
          右が阿難尊者。左は迦葉(かしょう)尊者。

この「盲亀浮木」の説話は、人間に生まれてくることは有り難いことと説いていますが、仏教思想が広まるとともに、神仏の力により人として誕生させて貰い、且つ生かされていることは、真に有り難いことであるとの想いから、「ありがとう」は神仏の奇蹟のような力を称える深い感謝の言葉となり、そして、その感謝の言葉は神仏だけでなく、一般に人への言葉に転化されていったのです。

ところで、「ありがとう」という言葉についてPCを検索していると、『すぐやればすぐできる』というHPで、あるデータを見付けました。一寸面白いので、どのようなアンケートなのか詳細は不明ですが、シェアさせて貰いました。<人に言われて嬉しい言葉は?>というQに対するAで、第1位:ありがとう(57.2%) 第2位:おはよう・こんにちわ(26.4%)  第3位:大好き(13.9%)だそうです。
又、『すぐやればすぐできる』さんにはこんなことも書かれていました。

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英語の「Thank You」は「(私は)あなたに感謝する」という意味ですから、人に対して感謝しているのです。
しかし「ありがとう」は本来、神仏があり得ない奇蹟を起こしてくれた事に対する感謝の言葉だったから、現在「ありがとう」と言うと、単に人に感謝するだけでなく、人を通じて神仏にも感謝しているのです。

成る程。そう考えると「ありがとう」は、法然上人の「南無阿弥陀仏」に匹敵するような、日本語の中で最も素晴らしい言霊、言葉の魂を抱いている言葉だと、ワタシには思えるのです。