袖振れ合うも多生の縁491~大フィルチェリストさんのリサイタルでもあり、チェロとピアノのデュオでもあるコンサートに行ってきました!~

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先日、わが畏友M・Y君に誘われ、大谷雄一さんのチェロ・リサイタルに行ってきました。

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大谷雄一さんのプロフィールは

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によりますと・・・

国立音楽大学卒業。チェロを小野崎純、藤森亮一、ナザニエル・ローゼン、クライヴ・グリーンスミスの各氏に師事。
在学中にELAN String Quartetを結成、第4回大阪国際音楽コンクールアンサンブル部門・優秀賞、文化奨励賞、理事長賞。第5回日本アンサンブルコンクール・グランプリ、第9回JILA音楽コンクール室内楽部門第1位などを受賞。
PMF弦楽四重奏コースにて、東京クァルテットの指導を受けるとともに、メンバーと共演。
2013年より大阪交響楽団首席チェロ奏者に就任。

会場は西宮北口の兵庫県芸術文化センター神戸女学院小ホールでした。

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芸文センターのKOBELCO大ホールと阪急中ホールには何度か、コンサートやお芝居観賞に行ったことがあるのですが、神戸女学院小ホールは初めてでした。
芸文のHPによりますと、小ホールは417席でリサイタルや室内楽、ジャズなどの小編成の公演をし、舞台を客席が取り囲むアリーナ形式のホールは関西初だそうです。
パフォーマーの一挙手一投足、息づかいまでもが聴こえてきそうな客席と舞台の一体感をもったこのホールは、床面は八角形の平面形状、天井面は花形という大変ユニークな形状で、柔らかな曲面形状の壁・天井で囲まれた小空間は、自然の音に包み込まれるような効果をもたらすとか。
音響設計は永田音響設計事務所で、どんな音響なのか、開演前からとても楽しみでありました。

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リサイタルのリーフレットによりますと、今回のテーマは「チェロを聞く」ではなく「チェロ”で”聞く」。
チェロの為に作られた楽曲ではなくても、チェロで演奏することにより、これ迄と違った作品の魅力を感じて頂きたいと、幅広い曲目を用意された由。そんな趣旨のテーマ「チェロで聞く」によるプログラムは・・・

バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
プロコフィエフ:アダージョ op.97bis(バレエ音楽「シンデレラ」より)
ラフマニノフ:交響曲第2番 Ⅲアダージョより
平井康三郎:さくらさくらによるパラフレーズ(チェロとピアノのための)
クライスラー:中国の太鼓
ウィリアムズ:シンドラーのリストのテーマ
ピアソラ:エスクアロ
     アディオス・ノニーノ

     ~~ 休憩 ~~

フランク:ヴァイオリン・ソナタ(チェロ版)

ピアノ伴奏: 田中葵
チェロ大谷雄一ピアノ田中 葵独チェロ大谷雄一ピアノ田中
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田中葵さんのプロフィールは

JZ.jpg田中独ぴあの


によりますと・・・


独特の神秘的な世界観、そしてクラシック出身の白熱のパフォーマンスを展開するピアニスト。
国立音楽大学在学中よりンサンブル活動に積極的に取り組み、日本アンサンブルコンクールを始めとする国内の室内楽コンクールで数々の賞を受賞。
これまでに星野安彦、三木香代、浅井道子の各氏に師事。現在は室内楽、伴奏、合唱などのアンサンブルを中心に、またヴァイオリン・パーカッション・ピアノによ るユニット「MODEA」のメンバーとして活動し、2010年上半期にNHK-BS2の「ザ☆スター」にレギュラー出演、日本テレビ「news every. サタデー」に楽曲提供。

また、武田真治、夏川りみ、和央ようか、花總まり、水夏希、田村亮(朗読)、中井美穂(朗読) 等の様々なアーティストのライブで共演。演奏ジャンルはクラシックからポップス、ロックまで幅広く、多くのパーティ、イベント、TV、ライブサポート等に出演している。
イ・ビョンホン来日ライブの楽曲アレンジや、NHK FMシアター、リットーミュージック出版の「クラシック名曲50選」「ショパン・ピアノ名曲30選」「超絶ヴァイオリン曲集」で付録CDの模範演奏を担当するなど、録音やアレンジの分野でも活躍の場を広げている。

2015年に「MODEA」6枚目のアルバム『Precious Moment』を発表、また全曲アレンジ、演奏を手掛けるピアノソロシリーズ『マイケルピアノセレクション』『ディズニーピアノセレクション』、2015年に最新作『ディズニープリンセスピアノセレクション』をリリース。
毎年出演している東京最大の音楽祭「ラフォルジュルネ・オ・ジャポン」や、東京タワーTV生放送ではRolandショルダーキーボードでクラシック楽曲をRockアレンジでパフォーマンスし話題となった。

2015年秋にはワンマンライブに和太鼓をフィーチャリングし、新たな世界観を演出。
2016年2月のバースデーライブシリーズ"The Birthday"は発売わずかで完売するなど、楽曲、ライブパフォーマンスにおいて定評がある。

とのことですから、こらもう、どんな演奏になるのか、楽しみでした。
そやけど、クラシックはあんまりよう知らんワタシは、「チェロの為に作られたんやない曲」を「チェロで聞く」ゆうても、その違いがいまいち認識出来ませんでした。
そらしゃあないわな・・・

そして休憩後の「 フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調」、いやもう圧巻でした!
大谷さんのチェロと田中さんのピアノが丁々発止、がっぷりと四つに組んだ大勝負で、ワタシはいつしかチェロよりもピアノ演奏に惹き付けられていたのであります。
こんなんピアノ伴奏とちゃうやんか・・・こんなんありかいな???
と思い、終演後リーフレットを見ますと、「 フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調」は、所謂独奏楽器とピアノ伴奏によるソナタではなく、お互いが密にアンサンブルを構築する大二重奏曲であると、大谷さんがプログラム・ノートに書いておられました。成る程、ナットク!!
連れのM・Y君もチェロよりピアノに聞き惚れていたとか、葵さんのピアノリサイタルを是非見たい!と仰る始末でした。

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帰宅してから調べた処、お二人は15年もデュオをやってらっしゃったとか、そんな間柄やなかったら出来へん、圧巻の演奏を聴くことが出来て、ほんまに幸せなひとときでありました!
ではでは。





袖振れ合うも多生の縁490~エレファント・カシマシの名前の由来とボーカリスト 宮本浩次さん~

前回、正司敏江さんの師匠かしまし娘さんに少しだけ触れましたので、今回はかしまし繋がりで、エレファント・カシマシの宮本浩次さんです。

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ロック・バンドやのに「エレファント・カシマシ」、象がかしましいて、なんちゅう名前やねん!
カミネクス」なるサイトによりますと、バンド名の由来は、・・・

諸説あり、なぜ諸説あるかというと、バンドのボーカルでコメンテーターの宮本浩次さん(写真下)が由来を覚えていないという噂です。

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諸説その1
(バンド結成時の)1980年に制作されたイギリス・アメリカ合作映画「エレファントマン」のタイトルと、漫才トリオ「かしまし娘」から名付けた説。

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諸説その2
「うるさいぞぅ」とよく言われていて、うるさい(かしましい)ぞう(エレファント)という説。

諸説その3
カシマという鼻のデカい同級生がいた説。

並べても分る通り、”諸説その1”が一番有力とのことです。

さて、ワタシはエレカシの名前は知っていたものの、スゴイ!と思ったのは、宮本浩次さんがソロシンガーとしてNHK-TVの『The Covers』と『Songs』に出演し、「浮世小路のblues」を熱唱・絶唱されたのを見た瞬間からなのです。
(下の写真は「浮世小路のblues」の宮本浩次さん)

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『The Covers』のMC、リリー・フランキーさんは、「浮世小路のblues」について、「エモーショナルなブルース歌謡の結晶化」と激賞されています。又、宮本浩次さんご本人はこの曲を「ブルースロックと演歌・歌謡曲の融合」とコメントされています。
いやあ、ホンマにどんぴしゃのドッキングなんですわ。

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同じくNHK『Songs』に進化を続けるシンガー宮本浩次さんが登場、番組責任者・大泉洋との対談、ギター弾き語りを披露されました。そして、昭和名曲の熱唱カバーに大泉さんの「ブラボー!」が炸裂したのです!!

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ワタシが注目したのは大泉洋さんとのトークでも、リリー・フランキーさんとのやりとりでも、宮本さんが喋りたい内容にふさわしい言葉を探しまさぐる処でした。アタマの中から適切な言葉を懸命にさぐり出そうと、手が顔の前やアタマの上を動き回る様がとても面白かったのです。

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そんな訳でトークに間が空き、大泉さんは「こんなに返事を待たないといけないのですか。司会者はじっと辛抱、辛抱」と笑いを堪えられずコメントする始末でした。
この宮本さんのトークでの<言葉探し>は、ボーカルで歌曲に内在する情感を全身で120%表現しようとする動きに通じていると思います。

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ところで、エレカシの「Listen to The Music」なる曲をご存じですか!?

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ワタシは、『THE FIGHTING MAN』という2枚組のアルバムで聴いたのですが、一発ではまってしまいました!!

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この曲にはまっているのはワタシだけではないのを、PCを検索していて発見したのです。
「ジャンボ。の普通の日々」なるブログにはこのように書かれています。ほぼ丸ごとシェアさせて貰います。

エレカシには「恋愛」をテーマにした曲がいくつかありますが、その中でも顕著に“物語性”がある曲だなと思います(あくまでも個人的見解です)。エレカシに出会うまで、私は失恋ソングとかを聴いても「何が君に会いたいだ!くんだらねぇ~~┐(´д`)┌」と思ってました。         

でも、リッスントゥザミュージックは違った・・・初めて聴いたときから「わしゃ~なんちゅうもんを聴いてしもうたんや~😢😢😢!」と部屋をのたうちまわりました。まるで一本の映画を観たような感覚に陥りました・・・何でそんなに感動したのか、歌詞を追って説明していきたいと思います。(個人的解釈です! 悪しからずm(__)m)

 リッスントゥザミュージック    僕たちの未来
  リッスントゥザミュージック   明日は晴れかい?
  ふたり並んで     腰かけていた  井の頭公園で”

序盤で泣かせにきています。 

“僕たちの未来”    “明日は晴れかい?”       

この曲のカップル、もしくは友達以上恋人未満のふたり(自分は後者で捉えています)の関係はいま天気で言うと曇り空。別れる間際なのか、喧嘩をしているのか、僕たちの~と言っているのでこれは男性目線。

 ”明日は晴れかい?“

これは誰に対して呼び掛けているんでしょう。  彼女? それとも神様? もしくは自分自身・・・いろいろ情景が浮かびます。

「今はダメかもしれないけど、明日からはきっと大丈夫だよね? 元のふたりに戻れるよね?」と、半ば諦めのような、でも希望を捨ててないようにも思えます。   

ふたり並んで    腰かけていた    井の頭公園で”

この部分がこの曲の肝だな~と思ってます。

いるんですよね、ふたりは今同じ場所に。横にいるんですよ。ミヤジ(宮本浩次さんの渾名)の歌い方もあるんですが、いつもここで心がキューーンってなります。 ふたりの間には何か溝があって、でもまだ一緒にいる。歌からは何か悲しみのような雰囲気が漂います。

“井の頭公園で” これね!! ここ魅力!!

これが例えば「思い出の公園で」とかだったら何か物足りないんですよ!「井の頭公園」という実際の地名を出すことでより曲の世界が深くなるんですよね~。 

 何より語感が良い!「いのが~しら~」だけでご飯三杯いけます。ご飯ですよもびっくり。

実際に私今年の3月、東京に行った時、真っ先に観光しに行ったのが井の頭公園でした。いや~良いですね、井の頭公園。のんびり時がゆっくり流れるのを感じました・・・また行きたい( ´∀`)

池にボートを浮かべてはしゃぐ  人をふたりは見つめていた
 本当は一緒に笑いたいのに   だけど笑えなくて”

この対比がねぇ~~・・・(泣) 公園の池でボートに乗って「キャッキャッウフフフ」ってやってる人達がいて、微笑ましい風景で、いつもだったら「仲良さそうだね~」とか言いながらのんびりしてるけど、今はそんな事を言う事もできない・・・もうね、切なさの極み。    

なぜなら 僕は僕の未来を    君は君でいくつもの夢を
 それぞれの思い溢れ始めた    出会ってから1年”

彼は恐らく、彼女とのこれからの人生を考えていたんでしょう。結婚して子供を産んで・・・という未来を。

でも彼女にはやりたい事、夢があった。それを叶えるにはまだ誰かと生活を共にするという事は難しかった。          

それぞれの考え、想いが今になって溢れてきて、いっぱいいっぱいになってしまった。

ふたりは出会って1年・・・

めっさ切ない( ;∀;)・・・

自分で勝手に解釈して勝手に泣いてます。  

別れの気配を感じていたのに
 明日の約束を今日も重ねていた”  

あぁ、もう僕たちはダメなんだな、終わってしまうんだな・・・って思ってるんですよ彼は。 それでも明日の約束をしてしまう。やっぱりこのまま終わりたくない・・・と。

リッスントゥザミュージック   僕たちの未来
 リッスントゥザミュージック   明日は晴れかい?
 ふたり並んで腰かけていた   井の頭公園で”

ここで改めてこの歌詞。ふたりの関係が分かって、ふたりの未来が見えてきたところでこの歌詞。       

“本当は一緒に笑いたいのに
 ふたりは いつもひとり”


“ふたりはいつもひとり”

これすごくないですか?  一見よくわかんない言葉の並びだけど、今までの物語が効いてるんですよ。

より一層寂しさが増すんですよ。初めて聴いたとき思わず「や、やられた・・・」と呟きましたもん。

ここからバンドが入ってくるのも良い。ライブ映像とかで見るといつもここで鳥肌立ちます。

“君が僕の事   見つめる目には
 ひとつの嘘さえも     決してなかったのに”

彼女はいつも真摯に、彼氏の事を見てたんでしょう。だから嘘をつけなかった。それがふたりを分けてしまうことになったとしても。それなのに僕はなんとかつなぎとめようとしている。必死に明日の約束を交わしてしまう。    

“リッスントゥザミュージック  僕たちの未来
 リッスントゥザミュージック 明日は晴れかい?
 へそ曲がりの未来地図は   尽きない  尽きない想い 
 尽きない  尽きない想い” 

最後はまるで彼の想いを音に乗せるように激しいストリングスのアウトロで曲が終わります。この彼氏には、幸せになってほしいな・・・といつも思います。      

この方の思いに共感しているワタシなんですが、ワタシが凄いと思ったのは、アウトロ(後奏)で様々な途切れ度切れのスキャットのシャウト、叫びです。
最後の歌詞「尽きない 尽きない思い」、言葉では語ることの出来ない、深い深い心の深淵に渦巻きうごめく、どうしょうもなく切ない君への想いは、歌詞では表現出来ないと思います。
これはミヤジさんが、歌い手であるからこそ出来る、超絶テクニックなのダ~!
今後も宮本浩次さんの進化を、熱い想いでウォッチングしたいワタシなのです。ではでは。

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袖振れ合うも多生の縁489~ 昨年5月、一世を風靡したTVコメディ「てなもんや三度笠」の澤田隆治さんが旅立たれました。合掌。~

今年も早5月半ば、半分近く終わったなんて・・・歳を取ったら歳月があっという間に過ぎていくと言いますが、本当ですね。
去年の今頃、一時期ご一緒にお笑いの仕事をさせて頂いた澤田隆治さんがお亡くなりになりました。

5月16日
澤田隆治さん テレビ・ラジオプロデューサー 88歳

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「サライ」HPに依りますと・・・

昭和30年代~40年代、“視聴率100%男”と呼ばれたテレビマンがいた。現・メディアプロデューサーの澤田隆治さんである。

澤田さんが企画した時代劇コメディ『てなもんや三度笠』(朝日放送)の最高視聴率が大阪で64.8%(東京42.9%)を叩き出し、同時期に演出した3番組の視聴率を合計すると100%に達したことから生まれた異名だ。

「当時、多くは生放送。僕らの仕事は消えていくもので、残るのは数字としての実績だけだから、誰も視聴率を意識していない頃から数字を出すことを考えていました」


昭和37年開始の『てなもんや三度笠』は、巧みなカット割りでテレビ的な表現を追求した。同43年、306話で終了。

右から澤田さん、山東昭子さん、藤田まことさん、後ろが白木みのるさん。澤田さん29歳のディレクター時代。写真提供/澤田隆治

取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆

又、別の色々なサイトの情報を纏めますと・・・1933年<大阪生まれ。戦後朝鮮から富山県高岡市に引き揚げ、高岡で観た一本の映画、喜劇の神様斎藤寅次郎監督の『東京五人男』が一生を決めた由。

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「戦後すぐだというのに、ものすごいエネルギーで作られていた。お笑い芸人は皆、元気でした。この映画で私は“お笑い”に強く惹かれたのです」

1955年、神戸大学文学部を卒業後、朝日放送に入社。ラジオの寄席番組を担当後、テレビに異動、「スチャラカ社員」や「新婚さんいらっしゃい!」など大ヒットを次々と制作する。その後東京に進出し、75年東坂企画を設立。『ズームイン朝!』『花王名人劇場』などをヒットさせ、戦後テレビ史に大きな足跡を刻んだTVお笑い界の歴史的人物と言えるようです。

さて、ワタシ今から50数年前、澤田さんがプロデュースされた「シン漫VSベテ漫」なる新人漫才師とベテラン漫才師の対抗するTVお笑い番組の構成をやらせて頂き、大いに勉強させて貰いました。

シン漫組のリーダーは北京一・京二(ゼンジー北京さんのお弟子さんで遠の昔に解散)で、ベテ漫組を率いるのはレッゴー三匹で、お三人とも全員故人になられており、半世紀の時の流れをつくづく感じる次第です。


5月某日
小沢・チンパ・新一郎君 79歳

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ご覧の写真は、わが中・高の同級生小澤・チンパ・新一郎君ではありません。
わかっとるわ、そんなこと!
それより、その小澤某と申すアンタの同級生にはミドルネームがあるのんか?
いえ、ミドルネームやのうて、ニックネームなんです。チンパとはチンパンジーの略で、彼はチンパンジーの真似が上手かったんです。
それはさておき、ごの写真はカントリーのハンク・ウィリアムスで、ハンクの生誕80年、没60年の2013年にワタシが主宰していたバリアフリー・アミューズメントシアター(BAT)で、ハンクの人生を描いた音楽劇「オール・ザッツ・ハンク」とカントリー・ライヴ公演を行ったのです。小澤クンはアマチュアのカントリーバンド、<ザ・チャージバックス>のメンバーだったので、彼のバンドにも出演して貰いました。

処で、彼とは高三の時、<ボーソク>というグループの仲間でした。
<ボーソク>とは<暴力促進倶楽部>の略で、暴力促進とはエライ仲間やなと思うでしょうが、暴力というのは「殴る蹴る」の暴力ではなくて、「暴れる力」「抑えようとしても抑えきれないみなぎる力」、つまり受験を控え勉強一辺倒に成らざるを得ない高校生活の最後を他の生徒と同じように過ごすのではなく、ガリ勉に納まりきらない溢れる力を発揮しようぜ!という意図で集まったやんちゃ集団なのです。
そんなボーソクがやったイベントの一例をあげますと、昼飯に学食であまり美味くないカレーやうどんを食うのは味気ないから、自分達でカレーを作って食べよう、しかも調理道具やお米やカレーの具も全部自宅から持ってくる、しかも電車に乗らず徒歩で登校する! そんなアホなこともやりました。

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そして、高校を卒業した直後、小澤クンと一緒に社交ダンス教室に通いました。
当時はダンスパーティがさかんで、ダンスくらい踊れな・・・という風潮だったのです。その教室に若くて上手い女の先生がいてたのですが、私も小澤クンも踊りの相手をして貰ったことがなく、いつもお婆ちゃん先生が相手でした。
はよ上手なってあの人と踊りたいなと思っていたのですが、憧れの先生と踊ることもなく、二人とも他の事が忙しくなっていつの間にか止めてしまいました。

そして同窓会でたまに会ったかもしれませんが、いつしか全くご無沙汰になり、私がBATを始めたので連絡したところ、是非呑もうや! という事になり、
2013年秋のハンク公演ライブに繋がったのです。

その後、何度かカントリーのライブハウスで呑みましたが、次第に足が遠のき、
FACEBOOKで近況を知るだけでした。
そうそう、彼は熱烈な阪神タイガースファンでしたが、タイガースが低迷していたある年、彼がFacebookに書き込んだコメントを見ると、クソミソ、ボロクソに監督や選手を貶していたのです。エライ荒れてるな・・・とシンパイしていたのですが、その頃最愛の奥様が亡くなられたのを後に知りました。

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そして昨年、阪神が快進撃!しているのに亡くなるとは・・・せめて優勝を見届けてから旅立てよ・・・と思ったのですが、阪神は急ブレーキ、ヤクルトに栄冠をさらわれました。彼は、そんな阪神のていたらくを見たくなくて、早々とさよならしたのでしょうか。
小澤チンパ君は今年もタイガースをあの世から熱烈応援していることでしょう。合掌。


8月17日
笑福亭仁鶴さん 落語家 84歳 
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「生活笑百科」での「四角い仁鶴がまあるく」、「ボンカレー」のCM「ジッと我慢の子であった」や「どんなんかな~」など、数々の名言(?)を遺した上方落語の重鎮、笑福亭仁鶴さん(本名・岡本武士=おかもと・たけし)が17日に骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなっておられたそうです。

80歳を超えても高座やテレビで活躍されておられたそうですが、17年に隆子姫(ご夫人)を亡くされてから、精神的に落ち込む日々も多かったとか。

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ワタシが仁鶴と出逢ったのは、1970年秋だったと思いますが、毎日放送TVの『奥さん!2時です』というワイドショーの構成をやらせて頂いた時でした。

毎日放送は、1969年10月よりワイドショー番組『ファミリースタジオ』(14時からの1時間枠で放送)を関西ローカルで独自編成していましたが、これを東京12チャンネルと共同の主婦向けワイドショー番組に改編する形で1970年4月2日より『ファミリースタジオ230』(放送枠は14時30分 - 15時25分)として放送を開始。番組は月・火・水曜が大阪・毎日放送発、木・金曜は東京12チャンネル発という形を取っていたのです。そして、これをさらに1970年10月から2時開始にしたのが、この『奥さん!2時です』で、東京版は歌手の江利智恵美チエミさんを、大阪版は月曜・桂三枝さん(後の6代目桂文枝)、火曜・笑福亭仁鶴さん、水曜・森乃福郎さんと毎日放送アナウンサー藤本永治さんを司会進行役に起用し、主婦向けの生活情報やゲストとのインタビューで構成していたのです。

仁鶴師匠は、若輩者のワタシの書いた台本通り進めるだけでなく、時に、いえ、頻繁に台本より面白くして下さいました。50数年たってしまいましたが、御礼申し上げるとともにご冥福をお祈り致します。謝々謝々。合掌



8月某日
大野・ジャガ・和夫君 79歳

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大野和夫さんて、えらい風貌してはるんやな・・・と思われたかも知れませんが、ごの写真はワタシの中・高同級生、大野和夫君ではありません。
10数年前103歳で亡くなられた舞踏家の大野一雄さんなのです。同姓同名で大違いですね。でも、ジャガ君にももっともっと長生きして欲しかった。ジャガというのは彼の渾名で、顔がジャガイモに似ているから名付けられたのです。
彼もチンパ君と同じく、<ボーソク>の仲間でした。彼はボーソクメンバーとして、「オオミネ」をよくやっていましたね。
「オオミネ」とは、大峰山で行の一つ、所謂、「西の覗き」を真似たものです。「西の覗き」とは、そそり立つ絶壁から命を断つ覚悟で身をのり出し、仏の世界を覗く修行です。

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「ボーソク」の「オオミネ」は、仏道修行とは程遠く、4Fにあるワタシ達の教室の窓から身を乗り出させる乱暴な遊びです。ようまあ、落ちへんかったこっちゃ。
それからジャガ君は、BAT公演にお誘いすると、「演劇てむつかしいやろ。そやから苦手やねん」と宣うて、チケット代だけ送ってくれていましたが、ラスト公演 夢幻太閤記『あの世のことは夢のまた夢』は見に来てくれ、ある女優さんが上手かったと褒めそやしていましたが、可愛かったのでお気に入られたようです。下の写真がその女優さんです。

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ジャガ君を偲んで、写真を出させて頂きました。おーい、ジャガァ~、あの世からちゃんと見えてるかぁ~ 合掌。


9月18日
正司敏江 漫才師・タレント 80歳 

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正司敏江さんとは、澤田隆治さんプロデュースのTV番組「シン漫 vs ベテ漫」でご一緒させて頂きました。当時人気絶頂でしたが、余り高ぶることもなく、舞台での暴れぶりとは少し違う印象でした。
あちこちの訃報を要約シェアさせて貰いますと・・・

夫婦漫才コンビ「正司敏江・玲児」として人気を博した正司敏江(しょうじ・としえ)さん(本名・及川キミコさん)が18日、脳梗塞のため大阪市内の病院で亡くなられた由。

敏江さんは1940年、香川・小豆島生まれ。57年に女性音曲漫才トリオ「かしまし娘」に弟子入りし、62年に正司利江の芸名で、芳江・春江とのトリオ「ちゃっかり娘」を結成するが、64年に正司玲児(しょうじ・れいじ)さんと結婚。68年に敏江に改名し夫婦漫才コンビ「敏江・玲児」を結成。大阪・道頓堀角座でデビューした。

新作漫才披露時にかみ合わず、舞台上で本気のどつき合いになって大ウケしたことを機に、「どつき漫才」へ発展。ボケの敏江さんにツッコミの玲児さんが平手打ちし、お互い殴りけり合う芸風の第一人者で、69年には上方漫才大賞新人賞を受賞した。

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76年に玲児さんの浮気が一因となり2人は離婚されたそうですが、その後もコンビを継続し、離婚をネタにして芸をスケールアップさせた。

10年に玲児さんが71歳で死去。その後はピン芸人として活動していた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で活動を控えていたため、20年2月の心斎橋角座での漫談が最後の仕事となった。

師匠のかしまし娘さんは、お3人とも健在で、弟子に先立たれたことを嘆き悲しんでおられるでしようね。かしましさんとご一緒に、合掌。

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昨年は、ワタシが仕事で袖振れ合い多生の縁のあった方達でお亡くなりになられたのは、お3人と少なかったのですが、それは、多くの方達が既に旅立たれておられるからなのでしょう。その方達皆様に、合掌。

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袖振れ合うも多生の縁488~伊藤比呂美さんがお経を詩的に翻訳(?)されたお経、心にしみますよ!~

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伊藤比呂美さんの数々の著書を愛読していましたが、先日「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」に出会いました。

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『好書好日』なるサイトによりますと、伊藤比呂美さんは・・・

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英国出身の夫や子どもと暮らすカリフォルニアと、両親が晩年を過ごした熊本を行き来する激しい日々をへて、2018年に帰国。
現在は熊本で犬2匹、猫2匹と生活する。コロナ禍で移動は極端に減った。
古い鏡台を見て、気が合わなかった母の顔を思い出す。
犬と歩きながら追う夕日に父や夫の死が重なる。
巣をかけた鳥など小さな生死に心を奪われる。
穏やかな暮らしの風景を織り交ぜながら「般若心経」や「阿弥陀経」を読み解いていく。
気づけばこの10年ほど、仏教の言葉に向き合ってきた。
10年の『読み解き「般若心経」』(朝日文庫)に始まり、
12年には『たどたどしく声に出して読む歎異抄』(河出文庫で『伊藤比呂美の歎異抄』に改題)、15年に『新訳 説経節』(平凡社)を出した。
池澤夏樹さんが個人編集した日本文学全集(河出書房新社)では、仏教の説話集『日本霊異記』と『発心集』の新訳を担当した。

遠距離介護で両親を見送り、6年前には夫の死を見届けた。
老いと死を目の当たりにした詩人は、お経の現代語訳に夢中になった。
伊藤比呂美さんの『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)は、仏典を自身の言葉に置き換えることで、生きること、死ぬことをのみ込むように受け入れる。

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どのようなお経が詩的現代語に訳されているかを、目次から見てみますと・・・

開経偈「今、出遭いました」
三帰依文「仏教に出遭えたミラクル」
三宝礼「みをかがめます」
般若心経「完成に向かって」
二河白道「河を渡る」
源信の白骨観「ホラホラ、これがおれの骨だ」
九相詩「死体のあと」
源氏物語表白「紫式部の往生」
風信帖「一通の手紙、空海から最澄へ」
法華経薬草喩品偈「大きな木や小さな木」
阿弥陀経「浄土とはこんなところです」
四誓偈「四つの誓い」
本誓偈「ただおこなえ」
聞名得益偈 「みんないける」
法華経従地涌出品偈(部分)「涌き出したボサツたち」
法華経方便品(部分)「なぜ仏は世にあらわれたか」
法華経如来寿量品偈(自我偈)「私が目ざめてからこのかた」
一切精霊偈「一切のたましいは」
発願文「ねがっています」
摂益文「み名をよぶ」
仏遺教経「最後のおはなし」
総回向偈「あまねくひとしく」
総願偈「あるいてゆきます」

等々であります。
なかでも、ワタシの心に留まったのは、発願文(ほつがんもん)なのです。
発願文は、中国で浄土教を確立させた善導(613~681)の「往生礼賛」に入っている偈文です。

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発願文の前半では、臨終の時必ず往生できる、浄土に生まれ変わるようにという願いを、後半では、浄土に往生した姿が描かれているのですが、浄土宗のHPでは以下のように訳しています。

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願わくは弟子でしとう 命終みょうじゅうときのぞんで、こころ顚倒てんどうせず、こころ錯乱しゃくらんせず、こころ失念しつねんせず。身心しんじんもろもろつうなく、身心しんじんらくにして、ぜんじょうるがごとく、

私ども往生浄土を期している者は、このように願っております。
「命が終わる時には、どうか心がうろたえませんように、どうか心が乱れませんように、どうか心がおぼろげになりませんように。そして、どうか身心ともに何の苦痛もなく、喜びに満ち、あたかも禅定に入ったようにおだやかでありますように。

しょう衆現前じゅげんぜんしたまい、ほとけ本願ほんがんじょうじて、阿弥陀あみだ仏国ぶっこくじょう品往ぼんおうじょうせしめたまえ。

阿弥陀仏はじめ、多くの菩薩方を現前に拝することができ、阿弥陀仏の本願(他力)の船に乗せていただいて、極楽世界の最高の位に往生させていただきますように」と。

くにいたおわって、六神通ろくじんずうて、十方界じっぽうかいかえって、衆生しゅじょうしょうせん。

極楽浄土に往生したなら、六つの優れた能力を得て、あらゆる迷いの世界に還って、悩み苦しんでいる人々を救い、お念仏にご縁を結ばしめ、皆をお浄土に導こうと思います。

空法界くうほうかいきんや、がん亦是またかくごとくならん。発願ほつがんおわんぬ。しん阿弥陀あみだぶつみょうしたてまつる。

すべてを包みこんでいるこの広大な世界には際限というものがあるでしょうか(いやありません)。それと同様に、私どもの願いもまた際限などございません。以上、私どもの願いと誓いを申し述べました。
心から阿弥陀仏にお願いし、おまかせいたします。

この訳が、伊藤比呂美さんの手にかかると、どうなるのか。

わたくしは願っています

命の終わるときには
心あわてず
心さわがず
心うしなわず
いたみくるしみもなく
ゆったりとここちよく
なやみわずらいは身からはなれ
しんとしずまる心をもてば
目にうかぶのは
みちびいてくださる
おひじりさまや
ぼさつさま
(むげんのひかり)さまの
お救いくださるみこころに
この身をゆだねます
どうかわたくしを
(むげんのひかり)さまのみ国へ
生まれさせてください
お国へついたら
自由な力を得て
元の世界にたちもどり
こんどはわたくしが
苦しむ人々を
たすけます
虚空のように
果てのないこの世界
わたくしもまた
いつもでも
どこまでも
願いつづけてゆくのです

身も心もなげだし
(むげんのひかり)さまに
おすがりいたします

いゃあ、将にこの通りです、ワタシの気持ち。
そやけど最後のフレーズ、「身も心もなげだしおすがりする」というのが些か心に、素直にしみこまないというか、馴染まないというか、こだわりがあるというか、「自力」をたのもうとするのが、今のワタシなのです。

ではでは。

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袖触れ合うも多生の縁487~何年ぶりか、観音経を毎朝、称え始めました~

前回は、生涯大切なのは「キョウヨウ」、「教養」でなく、「今日する用」があることだという話でしたが、ワタシは有り難いことに、この歳になつても毎日することが仰山あるのです。
毎朝、祝詞とお経を唱えさせて頂いておりますが、祝詞もお経もあれこれ唱えるようになり、先日から観音経を復活させました。
観音経は随分前に、日々唱えていたのですが、いつの間にか止めていたのです。
それを何故再開する気になったのか、自分でも分からないのです。
そんなアホなと思われるかも知れませんが、それは兎も角、「観音経」とは、曹洞宗近畿管区教化センターさんのHPによりますと・・・

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法華経(全28品)の第25品にある経典。観音経と呼ばれることも多い。本文(長行)と詩(偈文)から構成されている。特に後半の偈文の部分を普門品偈という。
偈文では「念彼観音力」と繰り返えされ、「かの観音の力を念じれば」観音菩薩の力により様々な災いが去ると書かれている。

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又、別のサイトでは・・・

『観音経』は法華経のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」という一章で、観世音菩薩が、私たちの人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈 悲の力を信じ、その名前を唱えれば、必ずや観音がその音を聞いて救ってくれると説い ています。

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意訳

仏は優れた姿をしておられるが、私は今重ねて次のことをお尋ねしたい。仏子は、どうして観世音と名づけられるのか。

優れた姿の仏は詩の形で次のように無尽意菩薩に答えられた。

観音の修行がどんなに優れているかをよく聞くがよい。広き誓願は海のように深く、どれ程の時間をかけても人間の知恵には思いもおよばない。何千億の仏たちのもとで、大いなる清らかな願いを起こした。

今私は、あなたのために簡単に説明しよう。

この菩薩の名を聞き、その姿を見て、心にしつかりとどめて空しく生きることがなければあらゆる苦しみは消滅する。
例え悪人が悪意をもって燃えさかる火の穴に落とされても、観音の救いを心から念ずれば火の穴はたちまち池に変わる。

あるいは大海の中を漂流して龍や怪魚や鬼などに襲われても、この観音の救いを心から念ずれば波の中に溺れることはない。

あるいは人に高い山の項きから落とされても、観音の救いを心から念ずれば太陽のように空中にとどまることが出来る。

あるいは悪人どもに追われ高い山から落ちても、この観音の救いを心から念ずれば髪の毛一本傷つかない。
また強盗に囲まれ刀で殺されそうになっても、観音の救いを心から念ずれば彼らの心はたちまち優しくなってしまう。

あるいは国王に捕えられ刑場で処刑されそうになっても、この観音の救いを心から念ずれば刀がばらばらに折れてしまう。

あるいは牢屋に入れられ鎖につながれても、この観音の救いを心から念ずればたちまちに鎖は解けて自由となる。

あるいは呪いや毒薬のために命が危険にあっても、この観音の救いを心から念ずれば殺そうとした人にそれらが戻っていく。

あるいは悪鬼や毒龍などさまざまな怪物に出会っても、この観音の救いを心から念ずればどれもが害を与えないようになる。

もし猛獣に囲まれて牙や爪で殺されそうになっても、この観音の救いを心から念ずればどこかへ走り去ってしまう。
とかげ・ヘび・まむし・さそりなどが毒気を吐いても、この観音の救いを心から念ずれば、念ずる声を聞くやはたちまちいなくなってしまう。

天がとどろき、いなずまが光り、ひょうが降り、大雨が降っても、この観音の救いを心から念ずれば、たちまちそれらは消散してしまう。

人々が困難にあい、さまざまな苦しみにさいなまれるとき、この観音の優れた力が、人々の苦しみを救ってくれる。

神通力を全部そなえ、智恵に富んださまざまな手段によって、あらゆる方角にある国に姿を現わし、どんな国でも現われないことはない。

観音菩薩はさまざまな悪趣に出向き、地獄・餓鬼・畜生などによる苦しみと、生老病死の苦しみを、神通力と方便によって滅ぼしていく。

観音菩薩は真実の観、清浄の観があり、広大な智恵の観、憐れみと慈しみの観が備わっている。

だからいつも観音菩薩の出現を願い、その姿を仰ぎみるべきである。

観音菩薩は汚れなく清らかな光に包まれ、太陽のごとき智恵の輝きがすべての闇を取り除き、よく炎の風や火を吹き消し、世間を照らす。

あわれみの心は雷のように人々を守り、いつくしみの心が雲のように人々覆う。

永遠の教えの雨を降らし、人々の煩悩の炎を鎮める。

争いにまきこまれ法廷に連行され戦場で死の危険にさらされた時、この観音の力を念ずればあらゆる敵はみな逃げてしまう。

観音菩薩は優れた音、世間を観る音、梵天の音、大海の音を持ち、世界のあらゆる音に勝る音を持っている。

したがって常にこの観音を念ぜよ。一念一念に念じて決して疑ってはならない。

この観世音という浄い聖者は、苦しみや死の苦難が訪れたときに、最後のよりどころとなるのである。

あらゆる功徳を持ち、慈悲の目をもって人々を眺めている。その福の集まる姿は無量であり、だからこそ礼拝すべきである。

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ところで、観音様のお顔をを拝んでおりますと、優しさに溢れているので、観音様は女性じゃないかな・・・と思えてきました。今まで中性だと思っていたのですが・・・。
ということで、Wikipediaに観音様の性別について記されていましたので、シェアさせて頂きます。

性別[編集]


古代より広く信仰を集め、日本では各地に建立されることが多い観音像

観世音菩薩は、本来男性であったと考えられる。

例えば松原哲明は、梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であったと述べている。また中村元に依れば、

Avalokiteśvara、即ち観音から発信されるイメージは男性名詞である、貴族・勇者を意味すると言う。

しかしながら、中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。

また、例えば地蔵菩薩を観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い

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観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。


また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなった。


これは中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山(浙江省・)から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や道教媽祖信仰などの女神と結び付いたためと考えられている。


また、妙荘王の末女である妙善という女性が尼僧として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、『香山宝巻』の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もある


成る程、男女定かならずで、将に現代風というべきなのでしょうか。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁486~「忘己利他(もうこりた)」と「生涯大切なキョウイクとキョウヨウ」、最近心に留まった二つの言葉!~

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昨年11月、99歳でお亡くなりになられた瀬戸内寂聴さんの最新出版本を読みました。

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生きる楽しみのすべてを犠牲にして、ひたすら書き通した百年ばかりの人世は、一応筋を通したことになろうか」
──著者が亡くなる直前まで書きつづけた朝日新聞連載を緊急文庫化。単行本未収録の15本を新たに加えた最後のエッセイ集。

と『版元ドットコム』に紹介されています。
一読して、ワタシの心に残った言葉が数々あるのですが、なかでも「忘己利他(もうこりた)」という言葉が愛の最高形というお話でした。
人の為に働くなんて、もう懲りたと言わずに、「己のことを忘れ、他を利する為に尽くす」、これこそ愛の中の愛なのでしょう。そやけど、なかなか出来ることやないですけどね。人間て、どないしても自分のことを勘定に入れてしまいますもんね。
宮沢賢治さんも、アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ・・・と仰ってますけど、なかなかね。

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次にワタシの心に留まったのは、「生涯大切なキョウイクとキョウヨウ」という言葉です。
これは赤松良子さんの言葉なんですが、赤松良子(あかまつ りょうこ、1929年生まれ)さんは、官僚としては労働省初代婦人局長を、外交官としては在ウルグアイ大使や国連日本代表部公使を歴任、細川・羽田両内閣では文部科学大臣を勤められ、現在は日本ユニセフ協会会長・女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表をなさっておられます。

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こんな経歴の方のコメントで、「キョウイクとキョウヨウ」というと「教育と教養」と思いますよね。ところがそやないんです。ほな、皆さんはなんやと思いはりますか? そのナゾが書かれていたのは・・・

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湯川れい子さんの『時代のカナリア』という本なのです。

湯川さんが赤松先生と対談された時、
「湯川さん、人生は生涯、教育と教養が大切なのよ」と仰ったので、
「はい、わかりました! 一生懸命勉強します。」と応えると、先生はこう続けられたのです。
「違うのよ。キョウイクは『今日行くところ』、キョウヨウは『今日の用事』よ」と。

成る程、若い頃は今日行くところと今日する用事が多々ありまいが、老後になると、歳を取ると、次第に無くなってきますよね。
ところで、ワタシはどないなんやろか?
有り難いことに、今日行くところはコロナのせいで、朝の散歩の他は少なくなりましたが、今日する用事は仰山あるのです。
朝のお勤め(?)を始めた頃は、「大祓祝詞」だけだったのが、「造化三神報恩之祝詞」、「ひふみ祝詞」、それから「般若心経」、更に「あわ歌」と次第に多岐に亘るようになっているのですが、最近、「観音経」も唱えるようになったのです。
なんで「観音経」を唱えるようになったかは、よう分からへんのです。何故か唐突に突然唱えてみよかなと思ったのです。ま、その内、唱えるようになったイミが分かるかな?

ということで最後に、蛇足かも知れませんが、湯川れい子さんと瀬戸内寂聴さんのビフォー・アフターをご覧頂き、このブログをしめたいと思います。

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袖振れ合うも多生の縁485~伐られた桜顛末記~

現在ワタシの住んでいるマンションの北側の道に3本の桜の樹がありますが、その内の一本は数年前に害虫のせいかダメになり、伐られてしまい、可哀想だな・・・と泪までは流しませんでしたが、惜別の情ひとしおでありました。
しかし、翌年切り株の端から、芽生えてそして、なんて歌の文句か題名ではありませんが、新芽が出てすくすくと成長し、今やワタシの背丈を越え2m以上になっているのです。

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これが、その伐られた切り株から芽生えてそして・・・のサクラちゃんです。
処でワタシは、以前にも伐られた桜の切り株から芽生えてそして・・・という体験をしたことがあるのです。それは、ワタシがOSK日本歌劇学校の校長をしていた頃のことです。下の写真は旧校舎で、駆け出しの頃この稽古場に通っていたこともありましたが、唱和53年にあやめ池円系大劇場裏に移転した、新校舎でのことなんです。
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校門横の桜の樹木が秋台風で倒れ、仕方なく伐ったのですが、暫くすると芽生えてきたのです。呑み友達の植木屋さんも、「桜は精が強いから、よう生えてきますねん」と言うてはりましたわ。このことを卒業式の校長講話で話したのですが、ご来賓の朝日放送社長Sさんは、式後「校長、その桜、何処にありますか」と尋ねられたので案内した処、しげしげとご覧になり、「いや、私は新聞記者あがりなんで、未だに現場へ足を運びたなるんですわ」と仰っておられました。昔の記者さんて今と違って(?)、足で記事を書くと言われてましたですもんね。
それはさておき、わがマンション裏のサクラちゃん、去年の春からチラホラながらも花を咲かせてくれていたのですが、昨秋枝に白い綿帽子のようなものが巻き付いているやおまへんか。あ、これカイガラムシちゃうか・・・

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駆除したらなアカンなとは思うものの、どないしたらええか、よう分からへんので、こら行政にお願いすべきと思い付き、市役所のHPを開いてみました。
そして公園河川課への要望蘭というのがあったので、おそるおそるメールしてみました。
行政のこっちゃから、なかなか動いてくれへんやろと思ていたのですが、なんのなんの、翌日場所確認の電話があり、その2、3日後「確認しました処、やはりカイガラムシでした」と電話で知らされ、「近日中に駆除しておきます」とのことでした。
そして又、それから数日後、散歩がてらにふと見てみると、枝についたカイガラムシの綿帽子はキレイになくなっており、心なしかサクラちゃんの枝はつやつやして元気になったようなのです!
公園河川課の係の方、素早い対応有り難うございました。
ワタシ、宝塚市に引っ越してきてホンマ良かったです!!

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これ、わが宝塚市役所ですが、それはさておき、下の写真は今年、そのさくらちゃんが花を咲かせた晴れ姿(?)なのであります!

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そして、今は葉桜となっていますが、来年また、元気に健気に花を咲かせてくれることでしょう。

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このさくらちゃんのように、ワタシももう一花咲かせたい・・・なんて思ってはいませんが、このさくらちゃんの晴れ姿を幾春も見続けたいものです。
ではでは。

袖振れ合うも多生の縁484~不可思議な微笑の主、寒山拾得とは?~

前回、前々回と笑う日本美術について書かせて頂き、寒山拾得の不可思議な笑みの画がとても印象に残っているので、これを機に森鴎外や井伏鱒二の「寒山拾得」と「寒山子詩集」(久須本文雄氏 訳・注・解説)を読んでみました。

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先ず「文学ブログ」なるサイトによりますと・・・

森鴎外の『寒山拾得』(かんざんじっとく)は、一九一六年に発表された短編小説です。
 寒山と拾得は、七、八世紀ごろに、中国浙江省東部に位置する霊山・天台山の国清寺に出入りしていたと言われる二人の僧です。彼らはいつもみすぼらしい格好で、奇声を発しながら寺の廊下を歩くといった奇行の持ち主であった一方で、仏教の教理に深く根ざした詩を、山林の石、竹、民家の壁などに書き連ねていました。
 伝説では、寒山が文殊菩薩の化身、拾得が普賢菩薩の化身、そして二人の師の豊干(ぶかん)が釈迦の化身であると言われており、本国では、彼らのことを『三隠』と呼んでいるようです。

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昔から描かれている寒山と実得の画像は、寒山が巻物を、拾得が箒を手にしていて、巻き軸は文学・思想・知恵を意味し、箒は実践・行動を意味しているので、寒山は知徳を司る文殊菩薩の化身であり、拾得は行徳を司る普賢菩薩の化身であるとされている。

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と、「座右版 寒山拾得」に久須本文雄さんは書いておられます。
更に「文学ブログ」には・・・

閭丘胤(りょきゅういん)という長安の官吏が、三人が残した詩を編纂し『三隠詩集』として後世に残したとされていますが、実は寒山、拾得、豊干だけでなく閭丘胤も、実在の人物であるかはわかっていません。
しかし、とにかく『三隠詩集』というのが残っていて、閭丘胤が書いたとされるその序文には、台州(現在の浙江省東部)に赴任することになった彼が、頭痛をまじないの力で治してくれた豊干に勧められ、国清寺の寒山と拾得を訪れた時の顛末が書かれています。

鴎外は、この顛末を短編小説にしたのですが、鴎外の「寒山拾得縁起」によりますと・・・
「三隠詩集」が活字本にして出されるとの広告を鴎外の子が見、買って貰いたいとねだったので、
「それは漢字ばかりで書いた本で、お前にはまだ読めない」と言うと、
「どんなことが書いてありますか。寒山という人だの、一緒にいる拾得という人だのは、どんな人でございますか。」
と熱心に聞くので、寒山拾得の話をしてやり、その後、その子供にした話を殆どそのまま書いたのである。と、創作の経緯を披露しています。

処でこの子は、鴎外の何番目の子供なんでしようか。

鴎外の長男「於菟(おと)」は、ドイツ人男性に多い「Otto(オットー)」という名に因んで名付けた由。於菟は1890年生まれですから、当時20半ばで漢字は読めたでしょうから、違いますよね。

鴎外の第三子で次男「不律は(ふりつ)」は「Fritz(フリッツ)」というドイツ人男性に多い名前に由来だとか。しかし、生後半年で亡くなっているから該当外です。

森鴎外の第五子で三男の「類(るい)」は、欧米男性の名前「Luis(ルイ)」から。類は1911年生まれで、当時4、5歳だから漢詩を読みたいというには幼く、該当外。

長女「茉莉(まり)」は鴎外の2番目の子で、名前の由来は「Marry(マリー)」です。彼女は1903年生まれで当時12歳だから該当する年頃ですね。又、茉莉は鴎外に溺愛されていて、鴎外のことを「パッパ」と呼び、16歳まで父親の膝の上に座っていたそうです。
鴎外は「寒山拾得縁起」に、「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みにこないのだよ。」とその子に言ったことを書いていますから、多分、いえきっと、寒山の漢詩本をねだつたのは、茉莉だったのでしよう。

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因みに、次女「杏奴(あんぬ)」は鴎外の4番目の子で、「Anne(アンヌ)」というフランス系の女性の名が由来です

閑話休題・・・。

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さて、鴎外の「寒山拾得」ですが、粗筋は・・・

唐の(じょう)(がん)の頃、(りょ)(きゅう)(いん)という官氏がいたそうです。
閭は日本の府県知事くらいの官吏でした。その閭が今度は台州という土地に着任することになります。着任早々、多くの下役が訪ねて来て謁見(えっけん)をします。その慌ただしさに、地方長官の威勢の大きさを味わい、閭は上機嫌でした。
この日、閭は、天台県の国清寺に出かける予定です。これは長安にいたときから決めていたことです。一人の乞食坊主との出逢いがきっかけでした。
閭がこれから任地へ旅立とうとしていたときのことです。その乞食坊主が屋敷を訪ねて来ました。閭はこのとき、酷い頭痛に苛まれていて、旅立ちの日を延ばさなくてはなるまいかと、女房と相談していたのです。
閭はしばらく考え、乞食坊主と逢ってみることにします。閭は、科挙に受かるための学問はしてきましたが、仏典を読んだこともなく、老子を研究したこともありません。ですから、僧侶や道士というものに対して、尊敬の念を持っていたのです。

まもなく入って来たのは、(あか)のついた(やぶ)れた法衣(ほうえ)を着た、背の高い僧でした。
僧に対し、閭は「わたしに逢いたいと言われたそうだが、なんのご用かな」と、聞きます。

僧は答えます。
「あなたは頭痛に悩んでいるそうですね。わたくしはそれを治して進ぜようと思って参りました」そして僧は「清浄な水があれば、まじないで治して進ぜます」と、言います。閭はそのまじないを受けることにしました。水一杯でするまじないなら危険なこともあるまいと思ったからでした。僧は水を口に含んで、突然、ふっと閭の頭に吹きかけます。

僧の行動に閭はびっくりしますが、頭痛は見事に治っていたのでした。そのまま帰ろうとする僧を閭は「お礼がしたい」と、呼び留めます。しかし、僧はそれを拒みます。
閭はせめて、身元だけでも明かして欲しいと言います。僧は、台州・天台山国清寺の()(かん)と名乗ります。続けて閭は、「台州には逢いに行くべき偉い人はいませんか」と訊ねます。
僧は、「国清寺には、普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身、拾得(じっとく)と申す者と、文殊菩薩の化身、寒山(かんざん)と申す者がいます」と、言い残して、去って行きました

そんな理由で閭は、天台県の国清寺に出かけるのです。
閭は輿に乗り、従者を数十人引き連れて、路を進んで行きます。路で出合う人々は皆、輿を避けてひざまずきます。閭にとっては、とても良い気分の旅路でした。こうして、二日かけて国清寺に着いたのです。

国清寺では、道翹(どうぎょう)という僧が出迎えて、案内をしてくれました。閭は道翹に「豊干という僧がおられましたか」と、聞きます。道翹の話を聞くところ、豊干はまるで活きた阿羅漢(あらかん)のような僧でした。
そして閭は、拾得や寒山についての話を聞きます。ちょうどその二人が台所にいると言うので、対面を希望します。台所に行くと道翹は「おい、拾得」と、呼びかけました。

その視線の向こうには、(かまど)の前で火に当たっている、二人のみすぼらしい小男の僧がいました。閭は二人のそばのそばに歩み寄り、まるで聖人に対する拝礼をし、自らの官職を述べます。そのとき、寒山と拾得は、同時に閭を一目見て、大声で笑ったかと思うとその場から逃げ去ってしまいました。逃げるときに寒山が、「豊干がしゃべったな」と言ったのが聞こえました。
驚いてあとを見送っている閭が周囲には、飯や菜や汁を盛っていた僧らが、ぞろぞろと来てたかった。道翹は(まっ)(さお)な顏をして立ちすくんでいた。

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これが、鴎外の「寒山拾得」で1916年に発表されていますが、井伏鱒二の「寒山拾得」は10年後の1926年に書かれています。

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「小品日録」なるサイトには・・・

旅先で偶然に再会した学生時代の級友の佐竹は、あやしげな旅絵師となっていた。ある町に泊まり、部屋の掛け軸や襖の絵を模写しては、次の町でその絵を売り歩いて旅を続けているというのである。
夜になって絵を売りに出かけた佐竹から、「私」は電話で呼び出され、絵の代金で酒を飲み、酔っぱらった二人は、町をさまよう。
そして、売れ残った寒山拾得の絵をポストに貼り付けて、拾得先生の笑いに近づくべく、競って「げらげらげら、げらげらッ」と、笑い合います。
可笑しさの中にたんだんと寂しさが滲んでくる、秋の夜が舞台の短篇です。

このサイトの粗筋に書かれているように、二人は拾得の笑いに近づくべく「げらげら」笑いあうのです。鴎外は、大声で笑うとしか書いていませんが、井伏鱒二さんにとって拾得の笑いは「げらげら」と思えるのですね。しかし、ワタシは寒山拾得の色々な画を見ても、げらげら笑っているようには思えないのです。

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笑い声は「は ひ ふ へ ほ」で書き表すことが多いようですが、寒山と拾得の笑いは、「ははははは」か「ふふふふふ」か「ほほほ」とワタシには思えるのですが、みなさんは如何お思いでしようか。
これはまあ、個々人の感性の問題でしようから、とやかく言ってもしょうがないことなのでしょう。
という訳で(どんな訳やねん?)次は、久須本文雄氏の「寒山子詩集」について。

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収録されている寒山詩306篇、拾得詩55篇、豊干詩2篇の内、特にワタシの心に留まった寒山詩2篇を、久須本文雄さんの訳と共に転載させて頂きます。

凡読我詩者 心中須護浄  
凡(およ)そ我が詩を読む者は 心中須(すべから)く護浄(ごじよう)すべし

慳貪継日廉 諂曲登時正  
慳貪(けんどん)は日に継いで廉(きよ)く 諂曲(てんごく)は時を登(お)うて正しからん

駆遺除悪業 帰依受真性  
駆遺(くけん)して悪業(あくごう)を除き 帰依して真性を受けよ

今日得佛心 急急如律令  
今日仏心を得んことを 急急律令(きゅうきゅうりつりょう)の如し

およそ、私(寒山)の詩を読もうとするお方は、まず心を清浄にしなければいけない。
心が清浄でなければ、どれほど詩を読んでも役にはたたない。
心が清浄無垢であつたならば、貪る欲望は日に日に清廉になり、諂(へつら)いおもねる心持ちも、時がたつに従って公明正大な心に変わっていく。
また、煩悩・妄想をおい払って悪業を滅除し、仏道に帰依することによって、具(そな)わっている本然の性、すなわち本具の仏性を現前さすことができれば、即今直下に仏身を成就することは、あたかも律令鬼の走るが如くである。

ワタシは心を清浄にしない儘、読んでしまったから、数編しか心に留まらなかったのかも知れませんね。でも、自分の詩を読む時は心を清らかに浄らかにすべしと、すんなり詠めるのは、俗人のワタシなんかだと驕りなのですが、寒山さんのような出世、世間的な地位についているという意味でなく、世俗を離れ悟りに至っている菩薩の化身のお方なら、至極当然のことなのでありましょう。
それから、もう1篇は、輪廻転生というか、生と死についです。

欲識生死譬 且将氷水比  
生死の譬(たとえ)を識(し)らんと欲せば 旦(しば)らく氷水を将(も)って比(たと)えん

水結即成氷 氷消返成水  
水結べば即ち氷となり 氷消ゆれば返って水となる

已死必応生 出生還復死  
已(すで)に死せば必ず応(まさ)に生(う)まるべく 出生せば還(かえ)って復(ま)た死す

氷水不相傷 生死還雙美  
氷と水と相い傷(そこな)わず 生と死と還(ま)た雙(ふたつ)ながら美(よ)し

生と死について、これを喩えで知りたいのであるなら、とにかく氷と水とで喩えて述べることにしよう。
水は凝結すると氷となり、氷が融(と)けると水に還る。
人間もそれと同じく、死んでしまっても必ず生まれるものであり、生まれ出たらまた死ぬものである。
氷と水は互いに損(そこ)なうことが無いのと同じように、生と死も両者共に善い関係にあるものである。

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「寒山拾得」から「生」と「死」へ、思わぬ展開となってきましたが、生死の輪廻を掘り下げていくとキリがないので、今回はこの辺りにてシツレイ致します。ではでは。


袖振れ合うも多生の縁483~パリで笑いをテーマにした美術展があつたとか、見たかったですね!~

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パリ日本文化会館において、「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」(WARAI : L’humour dans l’art japonais de la préhistoire au XIXe siècle)を開催いたします。
本展は、2007年に東京の森美術館で開催され、30万人以上の入場者から好評を得た「日本美術が笑う」展を、再構築したものです。
2012年はパリ日本文化会館の開館15周年にあたり、その記念テーマ「笑い」をめぐって一年間にわたり数々の事業が計画されています。
本展はそのなかでも中核となる事業として計画されました。禅的な精神性、またはマンガ、ポップといったステレオタイプな面が強調される日本文化の受容傾向に対して、日本の古美術における「笑い」をユニークな視点で探る本展は、日本美術そして日本の再発見の場となることが期待されます。
展示作品の4分の3はフランス向けに新たにセレクトされ、日本国内においても展示されたことがない、新発見作品も多数含まれます。
縄文時代から幕末・明治時代までの日本美術における「笑い」を、土偶や埴輪などの古代遺物、お伽草子などの絵巻物、庶民的な大津絵や浮世絵、禅画、円空や木喰の仏像など約100点で構成します。
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上記の文は国際交流基金のHPですが、『パブリック リレーションズ オフィス』なるサイトには、このように書かれていました。

日本では古くから、独自の「笑い」が絵画や造形で表現されてきた。そのルーツをたどれば縄文時代(15,000~2,300年前)、日本全国でつくられた土製品の「土偶」にたどり着く。土偶がつくられた目的は、子どものおもちゃ、神像、護符など諸説あり、笑みを浮かべた女性のように見えるものが多い。
2007年に森美術館で開催された展覧会「日本美術が笑う」、2012年にパリ日本文化会館で開催された国際交流基金主催の展覧会「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」のキュレーター(展覧会の企画者:筆者注)を務めた広瀬麻美さんは、日本美術史における笑いの表現についてこう語る。

「日本には“笑う門には福来たる”ということわざがあり、にこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るといわれてきました。つまり、笑いには邪気を追い払うパワーがあると信じられてきました。そのことを明確に語っているのが、古墳時代につくられた“埴輪”です」

 埴輪とは家や器材、人物や動物などの形につくられた素焼きの土製品で、権力者の墓所である“古墳”に並べ置かれた。埼玉県で出土された高さ1mほどの大きな「埴輪 盾持人」は、外敵からの侵入を守るため、盾を持ち、大きな笑みを浮かべて立っている。笑いが邪気の侵入を防ぎ、外敵から主人を守ると信じられていたからだ。

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「埴輪 盾持人(笑う埴輪)」

室町時代から近代にかけて、日本では、中国唐時代の伝説的な僧、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)が数々の有名な画家たちによって繰り返し描かれ、いわば人気のキャラクターとなって親しまれた。2人のトレードマークといえるのが、意味深で不気味な笑みだ。

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「狩野山雪 寒山と拾得」

実は彼らは、仏教で信仰される仏の姿のひとつ“普賢”と“文殊”の生まれ変わりとされる。日本人の宗教観の一面を物語るアイコンともいえるかもしれない

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「普賢菩薩(高野山霊宝館)」

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「文殊菩薩(高野山霊宝館)」

「“笑う神仏”は、日本で生まれた独自の表現だと思います。寒山と拾得のような意味深な笑みとは対照的に、仏教の禅宗の一派である臨済宗の高僧、白隠(1685~1768)は、禅の難解な教えを広く、文字も読めない民衆に仏の教えを伝えるために、“笑い”という手法を使いました」

白隠が残した仏画のひとつ、「蛤蜊観音図(はまぐりかんのんず)」には、カメを頭に乗せた老婆など、エビやタコといった海の生き物たちが擬人化して描かれ、ハマグリから立ち上る観音様を囲んで拝んでいる様子が描かれている。たとえ文字が読めなくても、海の生き物たちの楽しそうな笑顔から、「生きとし生けるものすべてを救う」という、仏教のありがたい教えを白隠は伝えようとした。

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「蛤蜊観音図」

<ハマグリから立ち上る観音様を囲んで拝んでいる様子が描かれている。たとえ文字が読めなくても、海の生き物たちの楽しそうな笑顔から、「生きとし生けるものすべてを救う」という、仏教のありがたい教えを白隠は伝えようとした>と、当展覧会のキュレーターさんは発言しておられますが、それだけではなく、蛤は女陰に例えられることから、蛤から立ち上がっている観音様は総ての女性(にょしょう)を意味しているだゾと、暗喩しているようにワタシには思えるのですが。そんな諧謔、戯れ、おどけた滑稽さも、ふふふ・・・と笑えますね。

同じく白隠が描いた「布袋すたすた坊主図」は、七福神の一神である布袋が、最下層の宗教者である乞食坊主となり、腰にしめ縄をまいただけの姿で祈祷しながら歩く姿が描かれている。ニコニコと満面の笑みを浮かべて歩く様子は、限りないやさしさに満ちている。

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「布袋すたすた坊主図」

また、修行の旅の中で人々のために、生涯で12万体ともいわれる膨大な仏像を彫り続けた円空や、やはり各地を巡って仏教の教えを広めた僧侶の木喰は、「笑う仏像」をつくり続けた。これらの仏像には人々に信仰されてなでられ、表面がツヤツヤするほど、なめらかになったものもある。崇拝の対象となる聖像に笑いの要素を取り込んだのは日本独特の表現といえる。

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「そのほか、動物を擬人化し、人間のような振る舞いをさせるのも日本らしい表現です。最近、特に人気のある江戸時代の画家、伊藤若冲の『鼠婚礼図』では、ネズミの結婚披露宴に酔っぱらって遅れてきたネズミが、ユーモアたっぷりに描かれています」
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伊藤若冲『鼠婚礼図』

日本人はこうした笑いのもつ効能を古くから体感し、さまざまな形で表現し、そして今日に伝えてきている。

どの画像も、そこはかとなく可笑しみが漂っていて、ホンマにいいですね。
あ、そうそう、上記の文に画像をインサートしたのはワタシであることをお断りしておきます。
『パブリック リレーションズ オフィス』様、勝手な事を致しましたが、ご了承下さい。
更に、美術ジャーナリスト鈴木芳雄さんのブログ『フクヘン』なるサイトをシェアさせて頂きます。
こちらは文も画像も、『フクヘン』さんのものであります。

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日本美術はとりわけ海外では、「わび・さび」で紹介されることが多いが、愉快で愛らしい、笑いの美術が紹介されることは大きな意味がある。

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中央:埴輪 盾持人(埼玉県本庄市/前の山古墳出土)古墳時代(6世紀)

左:人面土器(茨城県/女方遺跡出土)弥生時代(紀元前5世紀〜3世紀)

右:埴輪 笑う埴輪(埼玉県本庄市児玉町/生野山出土)古墳時代後期(5世紀末〜6世紀末)

手前左:分銅形土製品(山口県田布施町/明地遺跡出土)弥生時代 中期後半(1世紀)

手前右:土面(大阪府/仏並遺跡出土)縄文時代後期(紀元前2000年〜紀元前1000年)


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河鍋暁斎《百鬼夜行図屏風》明治4年(1871)以降 六曲一双/紙本彩色


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《築嶋物語》室町時代(16世紀)二巻/紙本着色

上巻36.0×774.0cm/下巻36.0×710.0cm 日本民藝館

図録の解説の一部抜粋。

「『築嶋物語』は絵と詞書きが交互に描かれた、上下巻合わせて14メートルにも及ぶ絵巻物。

愛らしい画風に相反して、そこに描かれるのは自己犠牲を題材とした悲しい物語である。

平清盛が新都の沖に築嶋(人工島)を築く計画を立て、から岩を運ぶが、何度沈めても波にさらわれ工事がはかどらない。

そこで30人の人柱を立て、造成を妨害する神に捧げることとなる。関所を設け人柱となる人を捕らえるが、侍童松王は自ら進んで30人の身代わりになったという。

民藝運動の提唱者である柳宗悦は、この絵巻について以下のように書き記している。

『見ていて厭きない。見る毎に何かを貰ふ。見る者に終わりなく夢を贈る。此の絵巻は形で描くよりも更に心で描く。』

(『工藝』第63号、昭和11年より抜粋)」


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白隠のちょっとおもしろい絵。

白隠慧鶴《朝鮮曲馬団》江戸時代(18世紀)一幅/紙本着色 47×64.8cm

江戸時代には将軍が交代する度に、数百人規模の朝鮮通信使が訪れた。

そのとき曲芸団も随行し、日本とは違った服装や持ち物を持つ行列は大変な人気だったらしい。

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井江雲《朱達磨図》江戸時代(18世紀)一幅/絹本着色 49.8×97.1cm

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左:伊藤若冲《伏見人形図》江戸時代 一幅/紙本着色 104.0×27.8cm

右:南天棒《雪達磨図》1914年 一幅/紙本墨画 112.4×32.8cm

美術ジャーナリスト鈴木芳雄さんが指摘されたように、わび・さびでなく、笑いの美術が海外に紹介されたのは、とても素晴らしいことだとワタシも思います。

ワタシは美術畑ではありませんが、若き頃は<お笑い>の分野も手がけていたこともあるのですが、笑いの才の乏しきことに気付き、笑いからは撤退したのです。しかし、見る・聞く・楽しむサイドの人間として、笑いを大いに楽しみたいと思っております。

色々なジャンルのお笑い作家さん、造形家さんたちにエールを贈る次第でありま~す! ではでは。

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袖振れ合うも多生の縁482~2007年に開催された「日本美術が笑う展」見たかったですね。~

前回ふれました『日本美術が笑う展』は、2007年に六本木のMORI ART MUSEUMで開催されました。

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2007年といえばワタシは5年にわたり担当させて頂いたパルケ・エスパーニャの総合演出を終え、ほっと一服という時節で、のんびりぼんやり暮らしておりましたから、こんな美術展が開催されていたとは全く知りませんでした。
いゃあ、見たかったなぁ! という訳で、どのような作品が展示されていたのか、少し調べてみました。

先ずは「青い日記帳」なるサイトから、殆ど丸ごとシェアさせて頂きます。

日本美術の中には意外にも多くの「笑い」があります。本展は、土偶や埴輪などの考古遺物から20世紀初頭までの未紹介作品を含む絵画、木彫を展覧し、日本美術における「笑い」をユニークな視点で探る展覧会です。
“笑っているように見える”紀元前数千年の土偶や、明らかに「笑い」を表現した埴輪から本展は始まります。

そしてユーモアを基調にした寒山拾得図に、20世紀の岸田劉生「麗子像」が対比されます。

豊穣なストーリーが描かれた中世から近世の絵巻に続き、若冲、蕭白、蘆雪ら、近年注目が集まる18世紀京都の画家たちが表現した「笑い」の数々。白隠、円空、木喰など江戸庶民信仰の宗教者が「手段」として用いた「笑い」の造形も注目すべきものです。
建築家・千葉 学氏による展示ケースデザインで森美術館は日本美術の新たな魅力を伝える「笑い」に包まれます。

展覧会の構成は以下の通り。

1.土の中から~笑いのアーケオロジー:土偶、埴輪
2.意味深な笑み:寒山拾得、近世初期、風俗画、麗子像
  雪村、円山応挙、長澤蘆雪、曾我蕭白、甲斐庄楠音、岸田劉生
3.笑うシーン曾我蕭白、英 一蝶、池 大雅、河鍋暁斎
4.いきものへの視線:狩野山雪、俵屋宗達、円山応挙、伊藤若冲
5.神仏が笑う~江戸の庶民信仰:伊藤若冲、白隠、円空、木喰 


それじゃー珍しい作品から。
円山応挙の「三美人図」

初公開作品だそうです。
応挙らしくありません。描かれているのは実際にいた芸者さんたち。
しかも中央は応挙の愛人「雪」さん。右は応挙の愛妓「富」さん。
応挙も隅に置けません。まったくもう。。。
あんな可愛い犬からこんな愛人まで描いてしまう応挙の幅の広さに感服。

曽我蕭白の「美人画」
こちらは打って変わってなんとも怖ろしげな姿です。
遊女を怒らすようなことしちゃったのでしょうか。情念が画面全体に溢れています。
小指立てながら手紙?を口にしています。肌蹴た足がなんとも艶かしいです。
足の指をこんな風に表現するなんて蕭白ったら。。。脚フェチだな。

曾我蕭白―荒ぶる京の絵師
曾我蕭白―荒ぶる京の絵師
狩野 博幸

酔っ払いが勢いで描いたような作品です。
長澤蘆雪の「寒山拾得図」

で、キャプション読んだらまさにその通りでした。
酒の席で酔いにまかせて勢いでささっと描いたとか。
いやはや何とも。。。でも今まで観た「寒山拾得図」の中ではこれが一番かな。
芦雪のセンスは大好きです。

いきものへの視線ではほのぼのとした笑みが自然とこぼれます。


伊藤若冲「白象図」、長澤蘆雪の「牛図」
どうして正面向いているの!!
どうして目を合わせてくるの!!
どうしてそんな狭い空間に描かれているの!!
(しかも窮屈じゃん明らかに!)笑。


俵屋宗達「犬図」、「双犬図」
よくあなたは「猫派と犬派?」なんてこと聞かれますが
その質問宗達にしたら即答でしょうね。犬派と。
このヌルさがたまらないです。「犬図」のワンちゃん耳の垂れ具合最高!
宗達が現代に居て、コーヒー煎れてくれたとします。
きっと冷めてしまってもとっても美味しいと思います。
宗達さんお燗しましょうか?
「ぬる燗でね!」

この展覧会はそういえば琳派琳派している作品ありませんでした。

それでは、そろそろ「今日の一枚」
(まだいっぱいあるのですが、また今度。明日も仕事あるので)

ぬる~い雰囲気から一気に転じて曾我蕭白「仙人図屏風」

四曲屏風の右隻

これ実物やっと観ることできました。念願叶って。
それだけでも嬉しかったのですが、やっぱり実物は思っていた以上に妖しい。
画面右の女官もかなり妖しく何企んでいるのか分らない顔つきしていますが
更に際立っているのが左側に描かれた孔雀?鳳凰?妖鳥?

拡大してみるとこんな様子。

若冲が描くハートの鳳凰とはまるで違いますが
でも何故だか惹かれるものあります。どうしてかな~

ゴメン若冲。決して浮気心ではないんだけど…

伊藤若冲「旭日鳳凰図」

色々書きましたが、笑う土偶で始まり、円空で終わるこの展覧会。
展望台のオマケではもったいない展覧会です。

次は、「IM internet musium」なるサイトです。

会場は5つのセクションで構成し、冒頭にはニッコリ微笑んだ紀元前数千年の土偶が展示されます。
しかし、この土偶が笑っているのかどうかを確かめる術はありません。古墳時代には、明らかにゲラゲラ笑っている埴輪が現れ、笑いの力で邪気を飛ばすことを造形化していたことがわかります。

中世に入ると、禅宗の導入とともに、ユーモアを基調とした公案が尊ばれ、たとえば寒山拾得は、日本で繰り返し描かれました。
ohまた、中世から近世の絵巻においては、仏教的な約束事を一応守りながら、見る人が思わず笑ってしまうような、豊饒なストーリーが量産されました。展示ではこれらのストーリーもデジタルメディアを駆使して、ご覧いただけます。

若冲、応挙、蘆雪、蕭白ら近年注目されている18世紀京都の画家たちが、動物にたくした「笑い」の表現は、あらためて注視されることでしょう。 また、白隠、円空、木喰といった、江戸の庶民信仰に命を捧げた尊い宗教者たちがつくりだした造形も登場します。彼らは「笑い」を目的としてではなく「手段」として用いたのです。

本展では、岸田劉生旧蔵の屏風、寒山拾得図、そしてそれらを元に描かれたと言われる麗子像を同じ空間に配し、鏑木清方や甲斐庄楠音の日本画も合わせて展示する予定です。 意図されて描かれたもの、そしてまた偶然見る側がそう思ってしまうものなど、日本美術には古来より様々な笑い、ユーモア、おかしみの要素が含まれています。
本展では縄文から20世紀初頭までの未紹介作品を多く含む約100点で展覧します。
建築家・千葉学氏による展示ケースデザイン、そして会場構成で、森美術館の空間は日本美術の新たな魅力を伝える「笑い」に包まれます。

更に「いづつやの文化記号」から。
2007年に森美術館で開催された“日本美術が笑う展”に予想を上回るいい絵が出ていた。
笑いの表情が大昔の土偶や埴輪にみられることに驚かされる。でも、争いごともそう熾烈でなく、木の実や魚を食べたり、歌をうたい踊りを楽しんだりして生きていたのだから、笑顔の人間を造形するのはごく自然な創作行為だったかもしれない。

長澤芦雪と伊藤若冲の“寒山捨得図”。
芦雪の絵からは二人の仲の良さが伝わってくるのに対し、若冲のは子供顔の捨得がうずくまっているのは可愛いにしても、寒山の姿は一見人間だろうかと戸惑うくらいデフォルメされている。

江戸の絵画のなかに思わず笑ってしまう絵がいくつかある。まず、英一蝶の“一休和尚酔臥図”。手桶をもっている男に較べて眠りこけている一休和尚のデカイこと。一蝶の頭のなかには大江山の酒呑童子があったにちがいない。
この絵を所蔵する板橋区立美術館からはもう一点“酔李白図”が出品される。まさに“THE笑う日本画”。
同じ笑いでもちょっと不気味なのが曽我蕭白の“仙人図”。手に亀をもち舌を出して笑う仙人。無頼派、蕭白の手にかかると仙人はまさに真正の妖術使いに変身する。
下の白隠が描いた“布袋すたすた坊主図”は長らく追っかけていた絵。上手い絵ではない。墨の線はたどたどしく二重になったりしてるところもある。でも、超二頭身のはだか坊主の姿がユーモラス。これは手に笹と手桶をもってすたすたと走り、物乞いをしているところ。
今回、駿河自慢に“富士の御山と白隠さん”と謡われた白隠の禅画が7点あった。
はだか坊主のほかで観入ったのは“蛤蜊観音図”と大作“七福神と鼠の正月図”。鼻が大きく馬面の蛤蜊観音の下で拝んでいる人たちの頭にたこ、えび、タツノオトシゴなどが乗っかっているのが面白い。

最後のコーナーに愉快な“三福神吉原通い図巻”が展示してある。
これを描いた浮世絵絵師は鳥文斎栄之。最初の柳橋で恵比寿、大黒、福禄寿が舟に乗り込む場面と俯瞰の構図で描かれた隅田川の一部しか見れないが、ビデオに全場面が流れるので、吉原で自分も三福神と一緒に遊女と宴を楽しんでいるような気分になる。三福神がいつもふくよかな笑みをたたえていたのは吉原へ毎晩通ってたからだったのか!納得した。
ワクワク度の一番は芦雪の“岩上猿・唐子遊図屏風”と狩野典信の“大黒図”。

3つのサイトは実際にご覧になった方の所見ですが、ワタシはワタシなりに、PCで画像検索して見た感想を細々と書いてみましょう。
誰の作品か、作品そのものの画像か、出展作品図録からの画像なのか定かではないものの、そこのところは曖昧模糊とさせた儘アットランダムに並べておりますので、描かれた人物や動植物が笑っているか、又それを眺めたあなたが笑えるかどうか、それだけをお楽しみ下されば・・・と思っております。

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図録表紙

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土面(縄文後期 仏並遺跡出土)

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盾持ち人物埴輪(笑う埴輪)

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笑う展11の1.jpg
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寒山拾得

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百鬼夜行図屏風 河鍋暁斎2.jpg
百鬼夜行図屏風

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伏見人形図

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南天棒の雲水托鉢図

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伊藤若冲の白象図

おっ、伊藤若冲の象サンが登場しましたね。
でも、若冲の象なら他にもっと色々あるのに・・・
そんな思いにとらわれたワタシなので、勝手気儘に「私のお気に入り若冲象サン図」展を開催してみました。

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白象図

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白象群獣図の白象

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樹花鳥獣図屏風

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象と鯨図屏風

いゃあ、やっぱり若冲はんはええですなぁ。
ほな、自己満足したとこで、さいなら。




袖触れ合うも多生の縁481~笑ろてる埴輪があるのを初めて知りました!~

前回は土器・土偶・埴輪の三題噺で、色々調べていた処、埴輪で笑ろてるのを見付けたんです。笑ろてる埴輪なんて、ワタシは今まで見たことなかったんで、今回はその笑う埴輪の話をしたいと思います。

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本庄早稲田の杜ミュージアム 笑う埴輪(盾持人物埴輪).png
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この笑っている埴輪3基は、本庄早稲田の杜ミュージアム(旧本庄市立歴史民俗資料館)に展示されているものですが、1999年に古墳時代後期(6世紀後半)の「前の山古墳」(埼玉県本庄市小島)から出土し、2007年に「東京の森美術館」で「日本美術が笑う」展に出展され、30万人もの人たちがわんさかワンサカと詰めかけたそうです。

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又、この「日本美術が笑う」展を基に、2012年にパリの日本文化会館で開かれた「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」展に出品され、全国的な話題になったとか。

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いゃあ、そない評判になってたとは、知りませんでした。知らんことて、多いもんですね。
ところで、身長110cm強であるこの埴輪は、いずれも身体の前面に盾を抱えているので、「盾持人物埴輪」と呼ばれていますが、盾を持っているということは、誰か貴人を防御しているのか、それとも自分を護っているのでしょうか。
でも、なぜこの埴輪が笑っているのかは、明らかにはなっていない由。

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本庄早稲田の杜ミュージアム 笑う埴輪(盾持人物埴輪)の1.png
本庄早稲田の杜ミュージアム 笑う埴輪(盾持人物埴輪)の2.png
ワタシが思うに、この埴輪を造ったお人は、しかめつらしい人物埴輪ばかり造るのに飽きて、ちょっと違うもんにしたろと気紛れをおこしたのでしょうか。
それとも昨今、笑いは健康にプラスする力があることが取り沙汰されているように、笑いの効能を知っていて、その力を活かすべく造形したのでしょうか。
そんな思いから笑いの効能を検索していますと、「ゆがふ」というサイトが見つかりましたので、シェアさせて頂きます。

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人は小さな子どもの時には一日に300回くらい笑っているのに、大人になるとせいぜい10〜15回になるそうです^-^;

最近は、「笑い」には「がん細胞」をやっつけるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)を活性化する働きがあって、がん細胞は、健康な人でも毎日数千個ずつも発生するのだそうですが、一回笑うことでがん細胞が100個程消滅するそうです。

又、笑うだけで免疫力が上がり、ガンだけでなく、糖尿病や生活習慣病、リウマチや心臓病、アレルギーにまで改善が見られるという実験結果まで出ています。

笑うことで、脳内には快感物質であるドーパミンを始め、心が穏やかになる幸福ホルモンとも呼ばれるセロトニン、モルヒネ以上の鎮痛効果があると言われる脳内麻薬とも言われるエンドロフィンなど、人間に「快」や「幸せ感」を感じされる様々な脳内物質が分泌されることが確認されています。

(出典:WANDERLUST ‘The Science of Laughter’)

赤ちゃんの笑顔1.jpg
赤ちゃんの笑顔は、見ているだけでこちらも心ほのぼの、笑えてきますよね。

笑ろてる赤ちゃんの画像を見ていたら、ふと、こんなことが思い浮かびました。それは・・・
「笑い」という言葉には、

「笑殺(しょうさつ。笑って問題にせずの意)」
「一笑(いっしょう)に付す」
「笑い飛ばす」

などという言い回しもあるように、笑う埴輪は、古墳に忍び寄る悪霊や邪気を笑いで打ち払おうとしてるのではないでしょうか。
ではでは。



袖振れ合うも多生の縁480~埴輪・土偶・土器の三題噺であります。~

三題噺(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出して貰い、出された題目3つを折り込み即興で演じる落語ですが、それとは全然カンケーなく、単に3つの話というだけのことなのであります。なんや・・・ま、そないがっかりせんと、読んでおくれやす。ほな、ボチボチ始めますわ。
先ず、土偶と埴輪から。
ワタシは何の気なしに、「土偶」とか「埴輪」という言葉を使っていましたが、もしかして同じ意味なのか、違うのでしょうか?

違いは?1.gif
1分で読める!![違いは?]
モノ・コトの違いを1分で解説!!



上記サイトによりますと・・・

「土偶」は、紀元前145世紀~紀元前10世紀の縄文時代に製作された土製品です。北海道から九州まで、約15,000点が出土しており、最古の土偶は三重県から出土した縄文時代初期のものとされています。
ほとんどの土偶は、乳房や臀部などの女性的な身体特徴を強調した造形をしており、一部が故意に破壊されたと見られる状態で出土することが多いため、祭祀などで呪術的な用途として使われたとする説があります。

「はにわ」は、3世紀半ば過ぎ~7世紀末頃の古墳時代に製作された土製品です。漢字では「埴輪」と書き、埋葬施設を区画するために古墳上やその周辺に並べられたと考えられており、日本各地の古墳に分布しています。
埴輪には、円筒の形をした円筒埴輪と、人や物などの形につくった形象埴輪があり、形象埴輪には馬、犬、猪などの動物埴輪、鎧、冑、刀といった器財埴輪、人や家など様々な形状のものがあります。
埴輪は元々古墳に葬られる人物の権威を示すもの、あるいは霊に対しての捧げものとして製作されていましたが、5世紀中頃からは葬儀の様子などを表すものへと性格が変化していったと考えられています。

そうか、縄文時代、祭祀の呪術に用いられたのが土偶で、古墳時代、葬送人物の為に造られたのが埴輪なんですね。

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上の写真は、滋賀・東近江市の相谷熊原遺跡から日本で最古のものの一つとみられる縄文時代の土偶で、下は、奈良県桜井市の茅原大墓(ちはらおおはか)古墳で、古墳時代中期初め(世紀末)に作られたとみられる武人の埴輪です。

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ワタシが知っている遮光器土偶や仮面の女神とか縄文ヴィーナスなどの埴輪、それから縄文期の火焔型土器などは、装飾的で上の画像に見られる初期の物とはかなり違っていますよね。

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(遮光器土偶)

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(仮面の女神)

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(縄文ヴィーナス)

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(縄文ヴィーナス背面)

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(縄文ヴィーナス側面と背面)

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火焔型土器1.jpg
(火焔型土器)

この火焔型土器は、縄文時代中期の代表的土器で、燃え上がる焔を造形したと思われているから、火焔型土器と呼ばれているのでしょうが、ホンマに炎を形取っているのでしょうか?
Wikipediaから要約シェアさせて貰いますと・・・

上部の4か所には、粘土紐によって装飾された大ぶりの複雑な形の突起(把手)が付いていますし、把手以外の口縁部は鋸の歯状に形作られています。これらの装飾が何を表したものかは不明だが、全体の形状が燃え上がる炎を思わせることから「火焔型」土器と呼ばれているそうです。
それから、集落内の特定の場所で発見される傾向はなく、またオコゲがついている物も出土することから、煮炊きに使われたとの考察もあるものの、その形状から見て何らかの祭祀的目的に使われることがあったとの考えもあるそうです。

こんな複雑な飾りが付いてたら、普段の炊事には一寸使いにくいですわな。下の色んな画像を見ても、ワタシには祭祀目的としか思えないのですが・・・。

火焔型土器2.jpg火焔型土器3.jpg火焔型土器6.JPG火焔型土器5.jpg  







処で土器とは、Wikipediaによりますと・・・

土器とは小石や砂などの混ぜ物をつなぎとした粘土を素材に、形づくり焼き上げた容器で、日本の縄文土器や弥生土器、土師器(はじき)などがその実例です。土器の焼成温度は600~900℃で一般に低く、後代の構造的な窯で焼いた陶磁器とは異なり、多くは平地または簡単な凹地(くぼち)で焼いたと推定される。

弥生式土器1.jpg
弥生式土器2.jpg

 上の2葉の写真は、弥生式土器ですが素朴で、縄文のような装飾性は失われているようです。

弥生時代になると、祭祀性や呪術性が希薄になっていくからなのでしようか。この辺りは後日、ゆっくりと調べてみたいと思います。

ではでは。



袖振れ合うも多生の縁479~みつばちマーヤの冒険やのうて、蜜蜂の集団失踪の原因も雄性不稔、つまり子孫を残せない一代限りのタネから実った食べ物が原因なのか!? ~

前回は、草食系男子の精子の数が少ないのではないか・・・という危惧すべき話でしたが、今回は蜂群崩壊症候群の話です。
蜂群崩壊症候群とは・・・

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チェンジ・エージェントなるサイトによりますと・・・

植物と昆虫の共生関係が、最近欧米でとても大きな話題となり、また日本でもにわかに関心が高まってきています。

その発端となったのは、2006年秋から現在にかけて起きている蜂群崩壊症候群(CCD)という現象です。ミツバチの働き蜂が、コロニーに女王と幼虫、食糧を残して突然失踪してしまうのですが、コロニーの周辺には死骸も見あたりません。働き蜂のいなくなったコロニーはその後崩壊にいたります。

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この不思議な失踪事件によって、北米では2006年の一冬の間にミツバチの4分の1もがいなくなってしまいました。

ヨーロッパの一部の国々やインド、ブラジル、台湾なども報告されており、最近は日本でも起こっていると言われています。

さて、ミツバチがいなくなってしまって大騒ぎなのは養蜂家ばかりではありません。実は、農業で栽培する野菜、果物などの作物の多くは、ミツバチなどの昆虫によるの花粉媒介によってその果実をつけることができるのです。アーモンド、桃、大豆、リンゴ、サクランボ、イチゴ、キュウリ、メロン、スイカなどの多くの作物が、ハチの失踪によってその生産量を落とすことになりかねません。

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ミツバチをはじめハチの花粉媒介に依存する作物は全米には100種近くあって、食物の3分の1を占め、その経済影響は数千億円にもなりうると言われています。

ミツバチの数はまだ回復しておらず、そしてもっとやっかいなことに、蜂群崩壊症候群の原因は解明されていません。

ウィルスやダニによる疫病、栄養失調、殺虫剤、過労働や環境変化によるストレスなどの諸説が出されていますが、どの原因も決め手を欠き、どうやらそれらの複合的な要因や養蜂のあり方が失踪の原因ではないかと考えられています。

そやない、蜂群崩壊症候群の原因は、雄性不稔株による野菜や果物の栽培によるのでは!?と警鐘を鳴らしておられるのが、前回も登場して頂いた野口種苗研究所代表の野口勲さんです。

野口さんが、崎農業研究所「耕」134号に書かれたものを。ワタシなりに要約シェアさせて頂きます。

野口勲さん3.jpg

ミツバチ大量死の問題は、日本やヨーロッパでは、ネオニコチノイド系農薬が原因という説が、ほぼ定説となっているようです。
騒ぎの発端のアメリカで起きた「蜂群崩壊症候群(CCD=Colony Collapse Disorder)」は、2007年2月の時事通信による最初の報道によると、「イナイイナイ病(disappearing-disappearing illness)」と名付けられていました。
「前日まで大量にいたミツバチがある日突然女王蜂と数匹のハチを残して忽然と消えてしまう」という事件でした。
「巣の外で大量死したのではないかと見られているが、巣の周りに大量のミツバチの死骸があるわけでもなく、いまだはっきりした原因は分っていない」と、続いています。
ミツバチの権威、玉川大学の吉田忠晴教授によると「アメリカでは2006年冬からと2007年冬からの2年連続でCCDが発生し、それぞれ全米に240万群もいるミツバチの3割以上が失われた」そうです。

玉川学園ミツバチ研究会1.jpg
玉川学園ミツバチ研究会シンポジウム

また、アメリカのCCDを扱ったドキュメンタリー映画「Colony(2009)」の中では、養蜂家で生物学者のランディ・オリバー(Randy Oliver)氏が「CCDと似た現象は、約20年ごとに繰り返し起きている」と語っています。2007年の時事通信による最初の報道でも、「1960年代にも同様の現象が起こったことがあるらしい」と、養蜂家の間で語られているようだとの伝承を伝えていました。
つまり、1960年代から約20年ごとに起こるという周期性があるのです。周期があるということは、いまだに主因不明といわれるCCDと、ミツバチの生態との間に特定の原因があるということではないでしょうか。少なくとも1990年代から販売開始されたネオニコチノイド系農薬が20年周期を生んでいないことは間違いありません。
そして、CCDが最初に起こった1960年代というのは、雄性不稔のF1タマネギ種子が販売開始された1940年代から約20年後なのです。

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F1タマネギ

 ミツバチの一生は、働きバチと雄バチは1年ですが、女王蜂は2年生きます。そして2年目に次の世代を託す女王蜂と雄バチを生みます。
この時女王蜂が産んだ卵の中の無精卵が雄バチになります。つまり雄バチが持つ遺伝子は、母系遺伝によるミトコンドリア遺伝子だけでなく、細胞核の中の遺伝子も、女王蜂から受け継いだ一組の染色体しか持っていません。女王蜂の遺伝子は雄バチに凝縮して受け継がれます。
 20年周期というのは、20年間、代々の女王蜂に蓄積された「何か」が作用して、10世代目の女王蜂が生んだ雄ハチが、無精子症になって生まれたのではないか。オカマの雄バチの誕生に驚いた数万の働きバチたちが、コロニーに未来が無いことを悟り、未来のない巣箱を見捨てて虚空に飛び去ったのではないか。というのが、CCDに関する私の仮説です。

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ある機会にお逢いした農大の某先生に、
「近年、女王蜂の自然受精率が減っていて、玉川大学では雄バチの精子を人工受精して産卵率を上げているそうです。これも、雄性不稔植物の蜜が、雄バチを無精子症にしている傍証。ということも、考えられませんか?」と私が言うと、
「もしかすると、そんなことがあるのかもしれない。しかし、それを認めたら、現代の育種学が崩壊してしまう」
と首をひねり、困惑されておられました。

現代の育種学が崩壊しても、真実を突き止めることが大切で、それこそが、学問のほんまのあり方やないんでしょうか!?
蜜蜂たちの集団失踪を、みつばちマーヤくんはどない思てるんでしょうね!?

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袖振れ合うも多生の縁478~草食系男子が多くなったのは、雄性不稔、つまり子孫を残せない一代限りのタネから実った食べ物が原因なのか!? ~

いつ頃からか、草食系男子なんてことが言われてますね。それで一寸調べてみると、Wikipediaには・・・

「草食系」に関わる用語が使用された最初の例は、2006年、コラムニスト・編集者の深澤真紀が『日経ビジネス』オンライン版で連載している「U35男子マーケティング図鑑」の中で「草食男子」と命名したものである
深澤は「草食男子」を、『恋愛に「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」』と定義している。

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草食系男子1.png
左の画像は『情報・知識&オピニオン imidas』さんのHPからシェアさせて頂いているものです。

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ご覧のように、草食系男子の特徴が色々列記されていますが、ワタシが注目しているのは6番目の
「エッチは恋愛の必須ではない」
という項目です。
ワタシくらいの世代の健康な若い男やったら、
<好き・愛してる=やりたい!>
ちゅうのがフツーやおまへんやろか。
今時の草食系男子クンが、恋愛とセックスは別やというのは、恋とは肉欲やのうて、精神的スピリットやと思てはるんでっしゃろか?
ワタシには一寸考えられませんわ。

このように性に淡泊な草食系男子は、精子の数が少ないのではないか・・・と仰っている方がおられます。

それは、野口種苗研究所代表の野口勲さんです。
野口さんは、全国の在来種・固定種の野菜のタネを取り扱う種苗店を親子3代にわたり、埼玉県飯能市にて経営されており、伝統野菜消滅の危機を感じ固定種のインターネット通販を行うとともに、全国各地で講演を行っておられます。著書は「いのちの種を未来に」「タネが危ない」など。

野口勲さん2.jpg
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先日、この本を読んだのですが、なかなか面白い、いえ、ちょっとコワイ話が書かれていました。ワタシの認知症寸前の脳みそで要約するよりも、的確にまとめているサイト「NEXT WISDOM FOUNDATION」がありましたので、有り難くシェアさせて貰います。

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精子の数というのは1940年代に最初の統計があるのですが、この時期に人間の精液1cc(ml)あたり平均1億5000万いたそうです。
しかし、いまは4000万、しかも年々減り続けています
これが2000万以下になると、無精子症と呼ばれるレベルで、性交しても自然には受精させることができない。

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無精子症はミトコンドリア(写真下)の異常で、精子の尻尾の付け根にはミトコンドリアが棲んでいて、尻尾を振るエネルギーをミトコンドリアが作っている。

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これによって精子は自分で卵子に向かっていく。この運動量、睾丸で生まれて卵子に辿り着くまで、人間のスケールに直すと100km、だいたいマラソンを2回走るくらいのエネルギーを尻尾の付け根にいる100匹くらいのミトコンドリアが生んでいるんです。

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そのミトコンドリアの力が弱くなってる、精子が泳ぐ事もできなくなってる。

いまの人間の精子を顕微鏡で見るとノタノタしていますね。牛の精子を選んで人工授精をしている人によると、人間の精子なんてもうほとんどが牛だったら使えないレベルだそうです。これは食べ物からきてるんじゃないでしょうか?

もともと動物は脳を持っていなくて腸で全て判断していました。だからクラゲのような腔腸動物には脳がなくて、腸がその役割をしています。食べたものを腸で判断して、その中で大事なものを次世代に残すために生殖器官へ渡す。

人間の精巣や卵巣が変化しているのも食べた物のミトコンドリアに原因があるのではないのかと思っているんです。

動物が最初に目を持ったのは、腔腸動物のような生き物が植物プランクトンを食べて、その光を感じる遺伝子を生殖細胞に取り込むことで初めて目を持った。

食べたものが子孫を変えていくんです。

そうか、しからば何を食べ続けたから精子の数が減少し、精子を動かすミトコンドリアが不活発になったのか!? 野口さんはこのように推測されています。再び「NEXT WISDOM FOUNDATION」から。

世界の人口が70億人を超え、膨大な人口を限られた資源で支えるためにさまざまな品種改良や農薬や化学肥料の開発、生産方法の開発が行われてきました。その究極とも言えるのが作物の遺伝子や種子に手を加えること。
現代の農業では、おなじ規格のものを大量に作ることが農家に求められています。そして、

規格通りの野菜を作るためには「F1」のタネを使わなければならない。

「F1(雑種第一世代)」のタネから育った野菜は、みんな同じ成育のしかたをし、型にはまったようなかたちになり、そして同じ時期に収穫できます。つまり、出荷しやすく、売りやすいということです。

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かたちのそろった野菜たち1.jpg
一方で、

「在来種」や「固定種」と呼ばれる、昔から使われているタネは一粒一粒に特徴があり、多様性があり、早く育つものもあれば遅く育つものもある

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葉の形を見たり、成育の状況を見ながら、大きくなったものから収穫します。
一度タネをまけば長い間収穫できますが、需要に合わせてまとまった量を定期的に出荷することができないから、お金にするのは難しい。

でも味も昔の野菜そのままで美味しいので家庭菜園に向いています。そして、いくら無農薬や有機肥料で育てても、味を決める8割はタネ、本当に昔ながらの美味しい野菜を食べたいなら在来種を自分で育てるしかありません。

ただ、F1野菜はいまの社会に必要なんですよ。昔は日本の8割の人がなんらかの農業をやっていました。

お侍だって自分の畑を耕して野菜を育てていました。それがどんどん工業化が進み、高度成長期になると農村部に残って食べ物を育てる人が少なくなった。

いまの日本では、215万軒(H27時点、農水省統計)の農家が1億2000万人の食べ物を作っているわけです。だから効率が良くないといけないし、周年栽培(1年中栽培すること)して供給しなければならない、だから

社会全体の食の需要を賄うにはF1のタネが必要

なんです。

ただ、そのF1の作りかたにもいろいろあって、人工授粉でやっていた時代や、アブラナ科の自家不和合性(自家受粉しない性質)を利用してやったり、自然の植物が持つ特性を活かして作られるF1に対しては、私も反対なんてしてなかったのですが。
いま、どんどん

「雄性不稔」というオシベを持たない異常な株を利用して作られたタネ

が増えて、花粉ができない、子孫ができない、そういう野菜が増え続けていて、これが危険なのではないかと訴えている、危惧しているんです。

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雄芯がないイチゴの花

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クロレラ工業という会社が私の講演会を主催してくれたのですが、彼らから面白い話を聞きました。

種無しぶどうは花が咲いたらジベレリンという植物ホルモンにどぶ漬けして、ホルモン異常を起こすことでタネをできなくするのです。

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ジベレリン処理作業
しかし・・・その、
種無しぶどうにクロレラを散布するとタネが復活する
というんです。要するに、
クロレラの持っているミトコンドリアがタネをつくれるように修復する
んだね。雄性不稔もミトコンドリア異常によって起こるものなので、ミトコンドリアの力が強いタネのちゃんとした野菜を食べていたら、人間の無精子症のようなことにも効くのかもしれないと思っています、まだ証明されたわけじゃないのですが。

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このまま雄性不稔株を使った野菜や果物を食べ続けていくと、人の精子は、人は、人類は、一体どうなっていくのでしょうか。
ワタシなんかはもう老い先長くはないので、100年先200年先の人類を見るのはあの世からですが、それにしてもシンパイですね。
あ、余談ながら上の写真、野口さんの後ろに不死鳥である火の鳥が飾られているのは、野口さんは家業のタネ屋を継ぐまで、虫プロにおられたからなのです。
さて、人類は不死鳥のように死に絶えることなく、永遠の命を保ち長らえることが出来るのでしょうか!?

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次に『みつばちマーヤの冒険』は・・・

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児童文学者のワルデマル・ボンゼルスが1912年に発表した『みつばちマーヤの冒険』(原題:Die Biene Maja und ihre Abenteuer、直訳すると『みつばちマーヤとその冒険』)。

粗筋

ある古城の下に蜜蜂の巣(お城)があった。そこで生まれ育ったマーヤはやがて、外の世界に出てみたいと思いが生まれてきたのだった。彼女は、毎日毎日同じ事の繰り返しのお城での生活が、馴染めないのだった。ある日マーヤは、隙をついて逃げ出し親友のウイリーと一緒に外の世界で生活していくことに。バッタのフィリップとの出会い、自然の中で繰り広げられる騒動などいろいろな事を通してマーヤとウイリーは、一歩ずつ成長してゆく…。やがてスズメバチがミツバチの城を襲ったとの知らせを聞き城に戻ったマーヤとウイリーは他のミツバチ達とスズメバチ相手に共闘し勝利、マーヤは新しく生まれてくるミツバチの教育係となるのであった。

袖振れ合うも多生の縁477~柴咲コウさんがツイッターで種苗法改正に待ったをかけたって、ご存じでしたか?~

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2020年5月、小泉今日子さんのツイッター発言が切っ掛けで、検察幹部の定年延長を可能にする検察庁法改正(改悪)案への抗議が続々と広まり、黒川検事の賭け麻雀が発覚したこともあって、廃案になったのは知っていましたが、同じ頃に女優柴咲コウさんがツイッターで種苗法について発言されていたのは知りませんでした。前回、稲の非脱粒性などを書いた際に知ったのですが、この種の問題も大切ですので、聊か旧聞と思われるかもしれませんが、今回はこの件を取り上げさせて頂きます。

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柴咲さんは2020年4月30日に、

「皆さん、『種子法」「種苗法」をご存知ですか?新型コロナの水面下で、「種苗法」改正が行われようとしています。自家採取禁止。このままでは日本の農家さんが窮地に立たされてしまいます。 これは、他人事ではありません。自分たちの食卓に直結することです。」

と公式ツイッターに投稿し、種苗法改正が一躍注目を集めることになったのです。この柴咲さんのツイートに対して、賛否両論の様々なコメントが寄せられた由。その為かツイートは削除されましたが、柴咲さんは更に次のようにツイートしています。

「種の開発者さんの権利等を守るため登録品種の自家採種を禁ずるという認識ですが、何かを糾弾しているのではなく、知らない人が多いことに危惧しているので触れました。きちんと議論がされて様々な観点から審議する必要のある課題かと感じました」。 

この主張は現在の種苗法改正をめぐる議論でまっとうな指摘やないかとワタシには思えますが・・・。そこで一寸いろいろな意見を拾ってみますと、「Smart FLASH」なるサイトに、うまくまとめられていたのでシェアさせて頂きます。

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 種苗法とは、一体どのような内容なのか。

まず、種苗とは、植物の種や苗のことを指す。誰でも知っている「コシヒカリ」をはじめ、農作物にはさまざまなブランドがある。このブランドを守ろうというのが「種苗法」の根本だ。勝手に栽培されないように、勝手に外国に持ち出されないようにするため、今回、法改正が目指された。

 日本が誇る品種は、これまで数多く海外流出している。「シャインマスカット」や「とちおとめ」は、すでに韓国や中国で栽培されている。

シャインマスカット1.jpg
とちおとめ1.jpg
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2018年2月の平昌五輪で、カーリング女子日本代表が韓国のイチゴを食べる場面が話題になったが、当時の斎藤健農水相は「日本から流出した品種をもとに、韓国で買われたものだ」と指摘している。つまり、日本の財産が勝手に持ち出された、ということだ。

 今回の法改正で大きく変わるのは2つある。1つは、新品種を登録する場合、輸出先や栽培地域を自分で決定できること。これにより、意図しない海外流出が防げる。

もう1つは柴咲が、「日本の農家が窮地に立たされる」と指摘した自家採種の禁止。

 農作物を育てれば、当然、種ができる。その種を再び使う場合、開発者に許諾が必要になるのだ。このため、農家は種や苗のコストが余分にかかってしまう。ただし、禁止される品種はコメの16%、みかんの2%、ぶどうの9%程度で、残りは自由に自家採種してかまわない。具体的には、お米の「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「あきたこまち」はOKだが、「ゆめぴりか」は許可がいるということだ。

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 種苗法改正案に対し、当事者はどのような見方をしているのか。賛成と反対の意見を聞いてみた。

■賛成派の意見

 民間でぶどうの育種を20年続けてきた「林ぶどう研究所」の林慎悟さんは、「今回の法改正は、育種家の立場としてはメリットが多い」と話す。

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「私自身、『マスカットジパング』という新品種のぶどうを作った経験がありますが、開発には10年かかりました。品種登録の手続きは膨大ですし、その権利を守ることは容易ではありません。新品種の開発には、ものによっては数千万円、数億円かかるんです。

 それでも、果樹の民間育種では、利益は数十万程度。100万円を超えて返ってくるケースはほとんど見たことがありません。現状、育種家の方で、開発にかかった費用を回収できている人は、民間では少ないでしょう。私自身、育種の恩師から『育種をすると貧乏になる』と言われたこともありました。

 農業の生産現場は共支えです。育種によって、環境の変化に対応したり、生産管理しやすい品種を開発すれば、生産現場はコストダウンできて、リスクを減らして生産できる。育種する人間と生産する人間が揃ってこそ、初めてお互いに利益を生み出せるんです。

 そういった意味で、今回の法改正は、育種家サイドに今よりも適切な利益をもたらしながら、いい意味での自由競争を促そうとしているものだと考えています」

 柴咲に対して、ツイッターで「アーティストの楽曲をパクってもコピーしてもいいってことかな」といったコメントがあったが、要は、農作物の著作権を認めてほしい、という立場なのだ。

■反対派の意見

 種苗法改正に反対する、市民セクター政策機構の代表専務理事・白井和宏さんは、「食糧自給率を高めるためにも、自家採種は認めるべきだ」と話す。

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「新型コロナの影響で、海外では食糧の輸出を禁止し始めています。たとえばロシアは、6月末まで穀物の輸出停止を表明しています。世界で特に小麦は状況が厳しく、スパゲッティの生産もままならなくなってきた。日本では、家畜のエサとなるトウモロコシも大豆もはほとんど輸入ですから、これらが今後入ってこなくなれば、日本で家畜を育てることも難しくなるでしょう。

 今までは輸入に頼ってきたし、これからもどんどん頼っていく方針でした。しかし、今後これまでどおりに輸入ができるかは不透明です。そのために、自家増殖の禁止などせず、国内の農家が自由に生産できるようにすべきです。

 そして、外国人観光客が戻ってくれば、日本の種の価値が上がってくる。種を育成するための助成をおこない、地域を活性化していく施策を進めるべきなんです」

 白井さんが、種苗法改正では日本の品種を守れないと考えるのは理由がある。それは、農水省に日本の農業を守る意思が感じられないからだ。

「今回の種苗法改正案は、2017年の『種子法』の廃止とセットで考えなければいけないんです。
 種子法の廃止で、公的機関による種苗事業が民間に移され、種子の開発が止まりました。同時に、『農業競争力強化支援法』により、日本の財産である種苗を、外国企業も含めた民間企業に提供を促すことが決まったんです。

 そこにきて、今回の種苗法改正案です。自家採取に規制をかければ、国内の自由な生産が抑制され、日本の農業は衰退する一方です。でも、政府としたら、日本の種子を日本企業や海外企業に買ってもらって、海外で生産してもらえばいい。海外の大規模な生産でより大きな利益が出ますから」

 SNSでは、種苗法改正で「海外企業に日本の農業が乗っ取られる」という意見が頻出した。たとえば、海外の種子メーカーが、最初は安く種子を売り、その後、一気に値段を上げたとしても、農家はそれを買うしかない。実際に海外では、農民が種子メーカーに隷属するような状況も起きている。

 賛成派の林さんは、「実際問題、僕らも苗が売れなければ収入はない。苗の値段を法外に引き上げることにはならないと考えています。農業も、市場原理のなかで動いていますから」と話す。

■日本の農業力を強くしたい

 反対派の白井さんは、「もし海外での生産を防ごうとした場合、向こうで裁判を起こし、商標登録して戦うしかない。現実には種苗法で日本の種子は守れない」とも話す。賛成派の林さんも「コストを考えれば、裁判なんかやらないだろう」との意見だ。

 実は、林さんも白井さんも、「日本の農業力を高めたい」という思いは一緒なのだ。

「農業は、平均年齢が60代、70代になってしまうような業界です。国内で生産を完結させるためにも、新規就農者が少ない現状を変え、ほかの業種からの参入も含めた振興が必要だという国の意図を、種子法廃止から一連の法改正で感じています。今の状況が10年続けば、日本の農業人口はおそらく10分の1になってしまう。そうなったとき、国民全員の食料を担保できるのか、僕は非常に疑問です」(林さん)

「農業人口は高齢化していますし、近年は異常気象も著しい。リスクを減らすという意味で、もう一度国内の生産力を高めることが大事になってくるでしょう」(白井さん)

 目指す地点は一緒だが、賛成派と反対派の議論がかみ合わないのは、この法案がほとんど国民の間で議論されてこなかったからだ。柴咲コウも、「賛成、反対だけでなく、その間にある声も聞きながらベストを探っていく。その時間が必要だと思うのです」とツイートしている。

 政府は通常国会の会期を延長しない方針を固めたため、今国会での種苗法改正は絶望的となった。

米穀店店頭1.jpg
青果店店頭1.jpg

上記の状況は2020年5月頃ですが、現在はどうなっているのでしょうか。

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国に新品種として登録された果物等の種や苗を海外へ無断で持ち出すことを規制する改正種苗法が、2020年12月2日の参議院本会議で可決成立しました。

「THE OWNERなるサイトによりますと・・・

なぜ種苗法は改正されたのか?

種苗法はもともと1998年から施行されている法律だが、2021年4月からは改正された新種苗法の施行が決まっている。では、なぜ種苗法はこのタイミングで改正されたのだろうか。

従来の種苗法には、登録品種を海外に持ち出すことを規制する内容が含まれていなかった。その影響で、日本で開発された品種が海外に持ち出されるケースが増えており、輸出量の減少などにより開発者の利益が大きく損なわれていた。

具体例としては、ブドウの登録品種である「シャインマスカット」が挙げられるだろう。シャインマスカットは日本の研究機関が開発した品種だが、実はアジアには中国産や韓国産の製品が多く存在している。

これらの製品は日本のものより安く販売されており、もともとの開発者である日本は大きなダメージを受けてしまった。このような品種の流出を防ぐために、種苗法は改正されたのである。

ここからは、種苗法の改正内容について。主な改正点としては、以下の2つが挙げられる。

1.登録品種の育成者が、許諾なしで輸出国や栽培地域を選べるようになる

ひとつ目の改正点は、登録品種の輸出先に関する内容だ。新種苗法が施行されると、種苗の育成者(開発者)が輸出国や栽培地域を許諾なしで指定できるようになり、これに違反し指定の栽培地以外に持ち出した者には罰則が科せられる。

指定できる範囲は国内のみ、もしくは特定の都道府県のみとなるが、種苗が海外に持ち出されるリスクを抑えられる意味合いは大きい。また、育成者には差し止め請求をする権利も付与されるため、種苗の持ち出しに後から気づくようなケースにも対応可能だ。

2.登録品種の自家増殖をする場合に、育成者からの許可が必要になる

登録品種の自家増殖が制限される点も、農業関係者が押さえておきたいポイントになる。

これまでは、自治体などが優良な種苗を安く販売しており、その種苗を自家増殖させて利益を得る農家が存在していた。しかし、2021年4月からは育成者の許可を得ない限り、登録品種を自由に自家増殖させることができなくなる。

ちなみに、この制限の対象には個人も含まれるが、食べることのみを目的とした栽培は規制の対象外だ。あくまで、登録品種の持ち出しによる利益を規制するための改正なので、その点は誤解せずに覚えておきたい。

種苗法改正で日本はどうなる? 

では、実際に種苗法が改正されると、日本にはどのような変化が生じるだろうか。

1.農家への影響

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種苗法が改正されると、まず登録品種の育成者の権利がますます強まる。

例えば、個人的に種苗を開発する農家は長年にわたって独占的な販売体制を築けるので、育成者の利益は増える可能性が高い。また、ほかの農家による自家増殖を許可する代わりに、金銭を受け取れる可能性がある点も育成者にとっては大きなメリットになる。

その一方で、登録品種の自家増殖によって生計を立てていた農家は、経済的に大きなダメージを受ける。特に登録品種の割合が多い農作物を育てている農家は、別の農作物への転換を余儀なくされるケースも出てくるだろう。

2.一般家庭への影響

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種苗法の改正によって農作物を転換する農家が増えると、特定の農作物の供給量が減ってしまう。その結果、これまで普通に購入していた食材が高騰したり、近所のスーパーに陳列されなくなったりといった影響は十分に想定されるので、一般家庭への影響も軽視はできない。

また、種苗の多様性が失われると、特定地域の食文化が衰退していく恐れもある。なお、前述の通り自家消費を目的とした栽培は規制対象外であるため、家庭菜園に関しては特に影響は生じないと予想される。

文・片山雄平(フリーライター・株式会社YOSCA編集者)

この改正種苗法は、種苗の開発者にとっては有り難いことでしょうが、登録された品種を自家栽培している農家は金銭を払わなければならないケースもあるでしようから、経済的負担になるかも。しかしわが国のみならす多くの国で、どの分野の世界でも知的財産権は認められつつあるようで、種苗だけさおざりにするちゅう訳にもいきませんから、難しい問題ですね。

そう、難しいといえば「F1」の問題でしょうね。
「F1」ゆうてもカーレースやおまへんで。

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その「F1種」の中でもオシベがない「雄性不稔」と呼ばれる、生物学的には異常なタネが増えているそうです。今、世界の農家で使われている殆どのタネが「F1」と呼ばれる一世代限りしか使えないタネなのです。
次回は、この「F1種」について取り上げたいと思います。
ではでは。

袖振れ合うも多生の縁476~熟しても種を地上に落とさない稲は、神様の贈り物なのでしょうか~

前々回は「もちきびご飯」でしたが、今回は銀シャリ、いえ、稲についてです。先ず昨秋の某印刷会社社報から。

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「今年の稲作、豊作で有り難いな。」
「よし、腹一杯ご飯食べたろ!」
「腹も身の内やで。あ、そうそう、『大事なことは植物が教えてくれる』(植物学者稲垣栄洋さん著)ちゅう本にこんな事が載(の)ってた。植物は普通、種を大地に落とし発芽させ次世代を育(はぐく)むけど、稲は種を落とさへん。稲も本来は種を落としてたけど変異して、その変異株を人間が栽培して食料としてるそうや。」
「へぇ~。もし種を落とす稲を刈り取るのやったら、結構忙(せわ)しないですね。」
「そやろな。稲は私達人間の為に変異してくれた。私はそう思いたい。」
「ほな、稲さんに有り難う!言わなアカンですね。」
「そや。キミもご飯は最後の一粒まで食べるようにしょうな。」
「はい!ボク、稲さんに負けんようアマビエに変異、いや変身しま~す!」

そうか、稲って本来は種子を大地に落とす脱粒性やったのが、非脱粒性に変異したんですか。全く知りませんでした。非脱粒性、種を大地に落とさへんのやったら、次世代をはぐくむのは大変ですね。そやけど、種子が落ちずにそのまま残っていれば、人間はたやすく収穫して食料に出来ますわな。それで人間は変異して非脱粒性になった種子だけを蒔き育て、稲作農業を始めたんですね。

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夕日を受けて輝く稲穂、お月見してるかのような稲穂、なんて画像を眺めてると、ええなあと思いますが・・・蓄えることが可能な稲作農業は「富」を産みだし、貧富の格差をうみだし、今日益々格差が広がっている訳です。
ま、そやけど、稲さんは人間社会でどうしょうもなく広がっている貧富の格差なんて、知ったこっちゃないでしょうね。いや、一粒のお米には7柱の神様が宿っていらっしゃると申しますから、その神々様はお怒りになっておられるかも・・・。
ところで、7柱の神様ってどんな神様なのでしょうか。

七神米.png

ななしん米」さんのHPによりますと・・・

七人の神様というのは、嚙み砕いて言うとお米を作る過程において必要な自然の恵みの事です。
「太陽」「雲」「風」「水」「土」「虫」「人」

そうか、古代日本人は自然の中にも神はおわしますとの思想でしたから、自分たちの命の根である稲(「いね」の語源は「いのちね」だそうです)を、お米をはぐくんで下さる力には、神様が宿っておられると考えるのは当然ですよね。
最後の作り手である「人」も神様なんですね。古代の人達は「農」を営む人達を敬っていたんですね。今の私達もこのことを忘れてはいけませんよね。忘れているから、他国に比べて自給率がメチャ低いのでしょう。

それから次に、Yahoo智慧袋にはこう書かれています。

「お米一粒の中の7人の神様」については大体次の3説あります。

①:7福神であるという説

お米に宿る7柱の神々2.jpg
②:五穀豊穣祭の「七貴神」(しちきじん)、 大国主命の御子神七人であるという説、 農神の舞、姿も十二ヶ月を表すもんでんを負う親神は六尺の杖を持つ

この説明、一寸わかりにくいですね。五穀豊穣祭の「七貴神」(しちきじん)というのは、高千穂神楽などて行われる舞で、 大国主命が七人の御子を鍛え育てる様子を表したもので、「七鬼神」とも「七奇神」とも言われているそうです。裁着袴姿で六尺の荒神杖を持った親神が、舞を知らない御子たちの動きを止め、引っ込ませる様子がコミカルで笑いを誘うとか。(高千穂神楽HPより)
処で、大国主命の御子神(子供)は、事代主神(ことしろぬしのかみ)や建御名方神(たけみなかたのかみ)と申される由。この神々はどんなお方かを書き出すと長くなるので、その内又いつか。

七尊神2.jpg

③:②の大国主命の7つの別名という説(大国魂神、顕国魂神、大国主神、大物主神、大己貴神、志固男神、八千穂神)

大国主命1.jpg

ここで、どの説にも大国主命である大黒様が含まれています。
つまり、①大黒様と七福神の仲間の神様、②大黒様の七人の御子神、③大黒様の7つの別名

大黒さんって、元はマハーカーラと呼ばれるヒンドゥー教の神で、創造と破壊を司るシヴァ神の化身やそうです。
仏法守護の神として伝来したが、後に日本神話の大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき、福の神として信仰されたとか。
大黒さんは打ち出の小槌と大きな袋を持ち、米俵と白鼠を従えた姿で描かれていますよね。

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冒頭の月報に書かれているように、大国様が人間たちのために、稲を非脱粒性に変異させて下さったのでしょう。そう思いたいワタシなのであります。
ではでは。




袖振れ合うも多生の縁475~子供たちにコロナワクチンを接種させて、本当にいいのでしょうか!?~

オミクロン入国1.jpg
オミクロン株が昨秋、日本でも確認されてから早3月、益々蔓延しつつありいますが、ピークアウトはいつになるのでしようか。
それにつけても、ワタシが???と思っているのは、子供へのワクチン投与です。

子供へのワクチン1.jpg
サーズでもマーズでも、コロナワクチンて、そない簡単に出来へんとお医者さんたちも言うてたのに、緊急承認とかで、あっという間に認可されてしましいしたわな。ホンマに大丈夫なんやろか !?
大人はともかく、子供は ???????????????????? とワタシには思えてなりません。
という訳で、????????? と思てるだけやのうて、一寸調べてみました。

まず、公益社団法人日本小児科医会の2022年1月19日の提言です。

5歳~11歳の小児への新型コロナウイルスワクチン接種の意義と必要性

わが国の小児における新型コロナウイルス感染症の状況は、成人に比べ感染者数がはるかに少なく、感染者においても症状は極めて軽いか無症状の場合が多い。
一方、5歳~11歳の小児に本ワクチンを接種した場合の効果や副反応に関するデータはわが国には存在せず、諸外国においてもその数は限定的である。
現在接種が想定されているワクチンにおいては、その効果はかなり高いといえるが、副反応としての、接種部位の疼痛・発熱・頭痛・倦怠感などは、この年齢に接種されている他のワクチンと比べ、むしろその発現率は高いと想定され、接種時に一定数起こる血管迷走神経反射、接種後に稀に起こる可能性のある心筋炎・心膜炎などについても十分な注意と対応が必要である。
本ワクチンの効果は感染予防のためというよりは、むしろ発症時の重症化予防のためのワクチンとの意味合いが大きいことから、そもそも重症化することが稀な小児期の新型コロナウイルス感染症においてのワクチン接種の意義は成人・高齢者への接種と同等ではないといえる。
一方で年齢が低い小児であっても、感染してしまった場合の他者への感染リスクの増加、10日以上にも渡る行動制限の必要性と困難性などを考慮すると、新型コロナウイルスの感染は今以上に小児の日常的な生活や環境を奪うことにもつながり、子どもたちの心身への影響は計り知れない。
これらを総合的に勘案した場合、具体的な接種方法などについて十分な議論と準備の上で本ワクチン接種を実施することが求められる。

この提言て、おかしいことおまへんか!?

①大人に比べて子供の感染者数は遙かに少なく、症状も軽い。
②子供に接種した場合の副反応データは我が国にはない。
③コロナの他のワクチンに比べるとコロナワクチンは発現率が高いと想定されるし、副反応に十分な注意と対応が必要。
しかし感染した場合、他者へ移すことがあるし、10日も行動制限されると心身への影響は計り知れないから、接種する必要がある。

こないに接種せんほうがええというマイナス要素があるのに比べて、したほうがええというメリットは僅かしかあげてませんな。
それに10日の行動制限がメチャ子供の心身への影響をもたらすて、ホンマですか??? むしろ堂々とお休み出来るて、喜ぶ子もいてるのと違いますやろか。
つまる処、政府よりの提言にせなしゃあないということやないでしようか。

他に何かないやろかと調べ続けると、「こどもコロナプラットフォーム」という一般社団法人が見つかりましたので、ご紹介させて頂きます。

こどもコロナプラットフォーム.png「こどもコロナワクチンプラットフォーム」は子供達を新型コロナウイルスワクチンのあらゆるリスクから守る為に立ち上げました。

現在、政府やメディア、自治体などによる情報発信が、ワクチンを積極的に推進する情報に異常に偏っています。

ワクチン接種は自己判断と言いながら、国民がワクチン接種のリスクとベネフィットを正しく判断するための情報が得られない状況に、私たちは大きな危機感を抱いています。

新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンに関する正確な情報を国民目線で皆様にお届けし、こどもたちがリスクを背負うことがないようにするため、点在する声や動きをこのプラットフォームに集約し、大きな声とあたらしい波を作ります。
ぜひご協力ご賛同をお願いいたします。

このプラットフォームには、
ワクチンに反対する人も、
ワクチンに賛同する人(特に高齢者向 けなど)も参加しています。

私たちに共通することは、

『新型コロナワクチンの長期安全性が確立されるまで、日本の将来を 託すこどもにワクチンを接種してはならない』

そして情報の統制を受けることなくガラス張り にして、

『ワクチンの正確な情報をしっかりと世の中に伝えていかなければならない』

というこ とです。

「こどもたちにコロナワクチンを打たせてはいけない」という私たちの主張には、3つの理由があります。

  1. こどもがコロナに感染しても、重症化や死亡するリスクはほぼ0%

    ワクチンは「感染による重症化や死亡を防ぐ」目的で接種します。
    しかしこどもがコロナに感 染しても無症状か軽症で治癒し、
    重症化や死亡するリスクはほぼゼロです。
    従ってこどもにワクチンを接種する意味も必要性もありません。
    もしも高齢者を含む大人を守るために、
    こどもにワクチンを接種するというのなら、
    それは非倫理的なあり得ない考えです。

  2. 開発してからまだ1年のワクチン。どのような影響があるかわかっていない。

    開発してからまだ1年のワクチンに
    どのような有害な影響があるのか、
    あるいはないのかは分 かっていません。
    例えば
    「ワクチンによる心筋炎や心膜炎が若い人に見られるが、
    その頻度は非常に少ない」
    と 発表されています。
    しかし、軽症や無症状のケース、有症状でも診断を見逃しているケースが
    何倍もいることは容易に想像できます。
    なぜなら心筋炎や心膜炎は専門医が自覚症状から疑い、
    心臓超音波検査によって確定するのですが、
    現状のワクチン接種の現場では
    このような十分な 観察と対応はとても不可能です。
    心筋炎や心膜炎の多くは自然軽快しますが、
    まれには長期的 に不整脈や心不全を起こすケースがあり得ます。
    年齢の若いこどもに接種した場合に
    心筋炎や 心膜炎がさらに増えるのではと懸念されます。

  3. このワクチンには中長期の安全性データがない。

    日本の未来を託すこどもに接種するワクチンの安全性は、
    高齢者よりもはるかに厳しくすべき です。
    数年以上かけて安全性を確立しなければなりませんが、
    現状はほど遠い状況です。
    予防 接種にはリスクを明確に上回ると予想される利益が必要です。
    しかし、このワクチンがこどもならず将来の母親となるべく若者にも、
    高い利益をもたらすこ とはありません。
    尚、ワクチン接種が本格化していない20歳未満の接種者で、
    すでに重篤な副反応疑いが18件、
    厚生労働省に報告されています(令和3年7月21日時点)。
    このまま未成年者への接種が進んでいくと
    重篤な副反応事例が増えるだけでなく、
    死亡事例が出てきかねないことに強い危機感 を抱いています。

私たちは、
『新型コロナワクチンの長期安全性が確立されるまで、日本の将来を託すこどもに接 種してはならない』
と国民に伝え、その活動に邁進します。

このプラットフォームには、様々な知見を持つ方が参画してくださっています。
このサイトや動画を通じて、皆様に様々な角度からより正確な情報をお伝えしてまいります。

ーーーーーーーーーーーーーー

私たちの言う新型コロナワクチンの接種を慎重に考えてもらいたい「こども」とは、接種に保護者の同意署名が必要な15才以下、そして保護者の影響力が大きい17才以下を指しています。
またワクチン接種を自分で決める18才以上の若者にも、自分自身の大切な問題として慎重に考え、接種するか否かを判断してもらいたいと願っています。

ーーーーーーーーーーーーーー

※状況は変化します。
 状況が変化した場合は、状況に合わせた記事修正等を行います。

一般社団法人こどもコロナプラットフォーム
大阪府泉大津市東雲町13番11号

少し長いですが、全文シェアさせて貰いました。ワタシにはとてもまっとうに思えますが、皆様は如何お考えでしょうか。
処で、この「こどもコロナプラットフォーム」の代表発起人は、医師の柳澤厚生さんと大阪府泉大津市長の南出賢さん一です。

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柳澤厚生(やなぎさわ あつお)プロフィール

国際オーソモレキュラー医学会会長
杏林大学医学部卒、同大学院修了。 医学博士。
米国ジェファーソン医科大学研究員、 杏林大学医学部内科助教授、同大保健学部教授を経て、国際統合医療教育センター所長。アメリカ心臓病学会特別正会員。2009年第10回国際統合医学会会頭。
2012年より国際オーソモレキュラー医学会会長(本部:カナダ)、2018年一般社団法人日本オーソモレキュラー医学会代表理事。
これまでに国際オーソモレキュラー医学会殿堂入り(2011年, カナダ), アントワーヌ・ベシャン賞(2014年,フランス)、パールメーカー賞(2014年, アメリカ)などを授与される。
2018年第47回国際オーソモレキュラー医学会東京大会会長、2019年日本オーソモレキュラー医学会第1回会頭。「新型コロナウイルスはビタミンC、D、亜鉛で克服できる」(主婦の友)など著書多数。

オーソモレキュラー医学は、50年前、2度のノーベル賞を受賞したアメリカのライナス・ポーリング博士により、「ビタミン、ミネラル、アミノ酸などの栄養素を、分子レベルで最適な量で投与し、病気の予防や治療をする医学」として提唱されました。「オーソモレキュラー」は、(修正、正しい)と(分子)を組み合わせた同博士による造語です。

■オーソモレキュラー医学会について
国際オーソモレキュラー医学会は1968年、オーソモレキュラー医学という栄養療法を人々の健康に関わる医師・歯科医師・薬剤師・栄養士・指導士そして一般の人々に伝えることを目的として、エイブラム・ホッファー医師により、カナダで設立されました。現在、傘下にはアメリカ・カナダ・日本を含め21カ国の学会が加盟し、栄養療法による病気の治療や予防の普及を目指して国際的に活動しています。また、日本でも、約800名の医療・ヘルスケア従事者が、日本オーソモレキュラー医学会の会員として活動しています。
本学会は、いわゆる予防目的での栄養療法にとどまらず、最新のエビデンスに基づく治療レベルの栄養療法の普及を目指しています。オーソモレキュラー医学は、現代の医療を取り巻く様々な課題に対する1つの答えとして、患者様をはじめこれからの社会に必要とされる概念であると考えます。

『代表発起人としてのご挨拶』

子どもコロナワクチンプラットフォームは、

「子どもに対する新型コロナワクチンの接種は、必要性、安全性などから慎重に判断するべきである」
と考える政治家、医師、大学教員など様々な分野の有志が集まって立ち上げました。

子どもたちは日本の未来です。

子どもたちが心身共に健康に成長するのを見守り、手を差し伸べ、あらゆる危機から守っていくのが親であり、地域の住民、自治体、そして国の役割です。

今、新型コロナによるパンデミックに対し、国主導で高齢者と成人に向けてワクチンの接種が進められてきました。

ところが、厚生労働省はワクチン接種対象年齢を当初16歳以上であったものを令和3年6月1日より12歳まで引き下げました。

さらに、生後6ヶ月~11歳を対象とした臨床試験が海外で実施されています。

成人や高齢者の場合とは違い、子どもにワクチンを接種するためには次の3つの条件が満たされなければなりません。

①ワクチンを接種する意義と必要性がある

②ワクチン製剤の中長期の安全性が担保されている

③ワクチンを接種するリスクを大きく上回るメリットがある

ところが、政府が積極的に進めている子どもへのワクチン接種は、この条件を一つたりとも満たしていません。

[1]子どもにワクチンを接種する意義と必要性はありません

ワクチンは「感染による重症化や死亡を防ぐ」目的で接種します。

子どもは新型コロナに感染しても無症状か軽症で治癒し、死亡するリスクはほぼゼロです。

また、ワクチンを接種しても感染の拡大を防ぐことはできません。

感染の拡大防ぐにはワクチンよりも手洗い、マスク、ソーシャルディスタンスです。
従って、子どもにワクチンを接種する意味も必要性もありません。

[2]ワクチン製剤の中長期の安全性が担保されていません

開発してからまだ1年しかたっていないワクチンに、どのような有害な影響があるのか、あるいはないのかは分かっていません。

例えば、血栓症や若い人の心筋炎などは、そもそも想定外の副反応でした。

その頻度は非常に少ないと発表されていますが、軽症や無症状のケース、有症状でも診断を見逃しているケースがどれだけいるかわかりません。

そもそもこのワクチンには中長期の安全性データがありません。日本の未来を託す子どもに接種するワクチンの安全性は高齢者よりもはるかに厳しくすべきです。

数年はかけて安全性を確立しなければなりませんが、現状はほど遠いです。

[3]ワクチンを接種するリスクを大きく上回るメリットがありません

予防接種はリスクを明確に上回ると予想される利益がなければなりません。

まして、子どもへの接種はリスクを極力少なくしなければなりません。

しかし、[1][2]から見て、このワクチンが子どもならず、将来の母親となるべく若者にも、高い利益をもたらすとは言えません。

『子どもコロナワクチンプラットフォーム』は、ワクチン推進派でも反対派でもなく、ワクチン慎重派です。

ワクチン慎重派の私たちは医学的、社会的、倫理的に検討し、
『新型コロナワクチンの長期安全性が確立されるまで、
日本の将来を託す子どもに接種してはならない』と結論しました。

私たちはこれを政府と国民に訴え、
バランスの取れた情報を社会に配信します。

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南出賢一(みなみで けんいち)プロフィール

1979年大阪府泉大津市生まれ。中学生と高校生の娘を持つ父親。
浪速高校、関西学院大学商学部卒。
(株)ニチロ(現 マルハニチロ)、(有)南出製粉所時代を経て、平成19年泉大津市議会議員選挙でトップ当選(連続3期当選)。
平成29年1月より泉大津市長に就任し、現在二期目。
人財育成をライフワークとし、人の健康を考える上で自然環境が切っても切り離せないことや、医食同源、身土不二の考えを大切にしている。

『代表発起人としてのご挨拶』

「メディアの偏った情報に違和感がある」
「声をあげたいけどあげられる雰囲気でない」
「副反応で父が亡くなった」
「厚労省公表の事実に基づいた市長動画をみた。もっとこういう情報を発信してほしい」
日々、こうした声が泉大津市内だけではなく
全国各地から寄せられます。
こういう声の中に、
実は医師や政治家から届けられるものがとても多いのです。

現在接種が進められている新型コロナワクチンは
治験中(特例承認されているが、ファイザーワクチンの治験は2023年5月に完了予定)のため、
中長期の安全性等、まだまだわからないことが多くあります。
そのため、推進派でも、反対派でもなく、
慎重派です。
だからこそ、いいことも悪いことも
その時々でわかってくる事実を伝えることが
大切だと考えます。

そして、特に若年層、
とりわけ未成年者への接種に関しては
「極めて慎重」にすべき
という考えです。

現在明らかになっているワクチン副反応疑い状況から、
このまま接種が進んでいくと
若年層におけるワクチン副反応による犠牲者が増えるのが
想像に難くありません。

ぼくは自治体の長として、
接種を推進する立場にありますが、
2週間に一度、厚労省から公表される
副反応疑いの状況をしっかりと確認し続け、
都度事実に基づいて発信することを心がけています。
特に若年層、未成年者における副反応の報告件数や
症例をチェックしていると本当に大丈夫なのか、
という気持ちを偽ることができなくなっています。

いわゆる感染した時のリスクが高いとされる年代から順に
接種をすすめていますが、年代も徐々に若くなり、
いよいよ「子どもへの接種」という段階に入ってきます。
接種は個々の判断になりますので、
事実として判明している情報に触れていただき、
納得のいく判断をされることを願ってやみません。
子どもへの接種は親の判断によるところが大きいので
特に心配をしています。

この度、
「未来ある子どもたちをワクチンリスクから守る」
「子どもへの接種については極めて慎重に判断してもらいたい」
という錦の御旗のもと、
医師や政治家等が中心となり全国の同志が結集するに至りました。

同じように思っていたけど声を上げられなかった!
そういう皆さんお一人お一人の声を集めて、
より良い方向へと動かしていく力にしていきたいと思います。

このサイトではその時々で判明する事実に基づいた情報を発信し、
提言も行っていきます。
また、活動の主旨に賛同いただける方を募り、
大きな声にしていきます。
自ら考え、自らが納得のいく判断ができ、
その判断が尊重される社会の風潮を取り戻したく思います。

一人の力は微力かもしれないが、無力ではない。

子どもから、学生、子を持つ親、様々な職種、高齢者の方まで、
一人一人の賛同の輪が、未来ある子どもたちを守る
大きな力になります。

どうか、情報の拡散と
賛同の輪が広がりますよう
皆さまのお力添えを心からお願いします。

ワタシは、何がええと思もてるかと言うと、

『子どもコロナワクチンプラットフォーム』は、ワクチン推進派でも反対派でもなく、ワクチン慎重派である。
そして『新型コロナワクチンの長期安全性が確立されるまで、日本の将来を託すこどもにワクチンを接種してはならない』

という点です!
みなさんは、どない思いはりますか?

袖振れ合うも多生の縁474~『プロ農夢花巻』の「もちきびご飯」を食べていますが、12穀が配合されていてホンマに良いですよ!~

今日は早1月末、正月料理も三が日だけで、ワタシはいつものように「もちきびご飯」を美味しく頂いております。
え、「もちきびご飯」って何?
「もちきびご飯」は「プロ農夢花巻」の製品なんですが、先ず「「プロ農夢花巻」とはなんぞや? 同社のHPによりますと・・・

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本来の心と体を取り戻す雑穀

「五穀豊穣」という言葉があるように、日本人の先祖は米以外にも多くの雑穀を食べていました。縄文時代前期(今から約5千年前)には、日本でも、あわ、きび、ひえ、はと麦、もろこし、シコクビエなどが栽培され、稲作の前には雑穀栽培されていたと推定されています。

日本人の主食が「白米」に落ち着いたのは戦後豊かになってからで、昭和20年ごろまで都市部や上流階級以外のひとたちは雑穀を日常食としていました。戦後から高度成長期にかけて何百年も続いてきた日本の食生活は急激に変化しました。
急激に変化した生活のなかで、さまざまな現代人の食べ物が人間の体に負担をかけないわけがありません。便利さとひきかえに、生活習慣病の増加は年々深刻さを増し、日本は世界に類をみない医療費大国になってしまいました。

今よりもずっと粗食だった昔の人々が健康を維持できたのは雑穀を食べていたからかもしれません。白米では不足するビタミン・ミネラルなどの栄養分や食物繊維を、雑穀により補うことが出来ていたのです。そんなすばらしい食物ですが、国内で流通している雑穀の9割以上は輸入に頼っているのが現状です。

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貴重な国内産雑穀の5割以上を生産しているのは岩手県。
岩手県は雑穀生産量日本一なのです。中でも花巻市はその6割を占めています。

岩手県では、栄養豊富な雑穀・古代米を見直し、たくさんの方に知っていただきたいという思いから、県内生産者・農協・行政が一体となり安全・健康な土作り、栽培技術の確立、良質な雑穀の生産に積極的に取り組んでいます。

山間・盆地…と花巻の豊かな地形に合わせて、あわ・ひえ・きび・はと麦・アマランサス…十種類以上の様々な雑穀・古代米を、できるだけ農薬や化学肥料に頼らず、大切に育てています。

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安心・安全・健康な心とカラダのために。それがプロ農夢花巻の願いです!

そうか、そんな農夢花巻さんの想いに共感したワタシ達夫妻は、同社の商品のひとつ「もちきびご飯」を定期的に購入し、白米1合に大さじ1杯の割合で加えて、毎日美味しく食しています。

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ところで、この「もちきびご飯」の産みの親は、雑穀のプロで同社の高橋一矢さんなのです。

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高橋一矢さんは、20種類以上の雑穀を栽培し、雑穀の栄養と味について10年にわたり研究を続けておられる雑穀のプロだとか。そんな高橋さんは「栄養価とおいしさのバランスを考え、もちきびご飯に配合する雑穀はこの12種のに行き着きました」と仰っています。
その12種とは・・・

①もちきび:イネ科の一年生草本の雑穀で、いなきびとも呼ばれています。穀物の中で一番低カロリーと言われ、良質なミネラル・たんぱく質を含み、特に鉄分・亜鉛・マグネシウムが多く含まれます。

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もちきび
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②ヒエ(稗):縄文時代から食べられている日本最古の穀物。ヒエはイネ科の作物で、アワと並んで古くから食べられてきました。その始まりは、縄文時代に中国から伝来したとする説や、日本が起源という説があります。ヒエという名前は「冷え」に由来するともいわれるほど寒さに強く、土質を選ばないため、稲や麦が不作のときに代用される救荒作物(きゅうこうさくもつ)としても利用される重要な穀物でした。
最近になって見直された理由の一つは、栄養価の高さです。イネ科の穀類ですが、栄養バランスの良さは白米よりもずっと上。動物実験で血中のHDLコレステロール値を高める作用が報告されているほか、タンパク質、腸の働きを整える食物繊維、骨や歯を作る助けとなるマグネシウムなどの栄養素が白米と比べて豊富に含まれています。
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ひえ
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③黒米(くろまい):は古代米の一種で、日本のお米のルーツといわれています。黒い色が特徴ですが、これは、ぬかの部分にアントシアニンという青紫の色素を含んでいるため。白米と混ぜて炊くと鮮やかな紫色になり、その色合いから「紫米」や「黒紫米」とも呼ばれていますよ。黒米には、たんぱく質や脂質が多く含まれています。一方で、カロリーや糖質量はもっとも低いです。これは、食物繊維を白米や玄米の2倍以上も含んでいるため。ほかの食品と比べると、黒米は栄養価が高く、ヘルシーな食材であることが分かります。

黒米0.png
黒米
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④赤米(あかごめ、あかまい):イネの栽培品種のうち、玄米の種皮または果皮の少なくとも一方(主に種皮)にタンニン系の赤色色素を含む品種を指し、野生のイネのほとんどは赤米である。古代米イコール赤米とされることもあるが、科学的根拠はない。黒米を赤米に含める場合もある。民俗学者の柳田國男は、赤飯の起源は赤米であると主張している玄米(げんまい)の種皮の部分にタンニン系の赤色色素を含むイネの品種群を赤米といい、色素米の一種です。野生のイネのほとんどが赤米であったといわれ、縄文時代に日本に伝わったイネも赤米であったといわれています。赤米は、野生に近いので環境変化にも強く、日あたりの悪い田んぼでも丈夫に育ち、減肥料、減農薬でも栽培可能なイネです。
着色米飯や赤酒、菓子などの原料として、芒(ぼう)が赤くてきれいなためドライフラワーなどの観賞用にも使用されています。
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赤米
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⑤⑥うるち米ともち米:この2つの大きな違いはお米の成分です。詳しくいうと、お米に含まれるデンプンの成分の違いなのです。デンプンはアミロペクチンとアミロースの2種類が存在します。 アミロペクチンは水に溶けないデンプンで、アミロースは水に溶けるデンプンです。うるち米に含まれるデンプンの多くはアミロペクチンですが、アミロースも20%ほど含まれます。 一方のもち米にはアミロースがほとんど含まれず、多くがアミロペクチンです。 アミロペクチンは多いほど食感はもちもちします。 ごはんとして普段食べている普通のお米のことを「うるち米」といい、「もち米」はお餅やお赤飯、おこわなどに使われるお米で、うるち米が半透明なのに比べて、もち米は白く不透明で見た目も違いますが、大きな違いはでんぷんの成分にあるのです。

ところで「うるち玄米」とか「もち減摩」の「玄米」とは、稲の果実である籾(もみ)から籾殻を取り除いた状態で、食品としては精白されていない状態の米であることは誰もがよく知られています。玄米の「玄」は「暗い」または「色が濃い」という意味で、精白されていないからベージュ色または淡褐色をしています。精白とは、玄米から糠(ぬか)を取り除き白米にすることで、精白されていない玄米は白米よりビタミン、ミネラル、食物繊維を豊富に含むため、栄養が豊富な健康食品として用いられています。

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うるち玄米
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もち玄米
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⑦たかきび:色がダークレッドでお米くらいのサイズの雑穀です。熱帯アフリカ原産の雑穀で、食用にするのはモチ種です。炊きあがりはふっくらとした赤茶色になり、歯ごたえと弾力があり、ひき肉のような見た目です。
日本では別名モロコシとも呼ばれ、英語名はソルガム(sorgum)、中国名はコウリャン、韓国ではススと呼ばれています。世界中で栽培されていますが、牛のエサ、資料としての栽培が主になっています。日本では古くから粉にして団子を作り、食べてきました。桃太郎のキビ団子も、じつは高キビの粉を練って茹でたものです。

たかきび0.png
たかきび
たかきび稲1.jpg
⑧あわ:原型は雑草のエノコログサ(ねこじゃらし)と推定されています。原産地は中央から西アジアで、シベリア、オーストリアを経て、ヨーロッパに石器時代に伝わったとされ、日本においては、縄文時代から栽培されていたひえと並ぶ日本最古の穀物です。あわは、風味が淡いことに由来しており、あっさりとクセがなく上品で食べやすいのが特長です。

もちあわ0.jpg
もちあわ
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⑨⑩⑪もち麦・丸麦(大麦)・割麦:米に「うるち米」と「もち米」があるように、大麦にも粘りが少ない「うるち性」と粘りが強い「もち性」があります。「もち麦」はこの「もち性」の大麦の総称です。大麦には食物繊維が豊富に含まれていますが、中でも一般的にもち性品種はうるち性品種よりも繊維量が多く、ぷちぷち・冷めてももちっとした食感がおいしいと人気を集めています。

昔の日本人は、貴重だった白米を補充する主食として大麦を米に混ぜていましたが、白米の生産が増えると大麦の消費量は減ってきました。しかし近年では、食物繊維が多い「健康食」として大麦が見直され、積極的に食べられるようになりました。大麦が脚光を浴びるようになった背景には、2006年にアメリカにおいて、大麦のβ-グルカン(水溶性食物繊維)が冠状動脈心疾患のリスクを下げる働きをするというヘルスクレーム(健康強調表示)が認められたことが大きな要因としてあります。さらに日本でも、β-グルカンを豊富に含むもち麦がテレビ番組などで健康食として取り上げられることが増え、もち麦への注目度が高まりました。

割麦とはひきわり麦の略で、石臼などで粒が割れる程度に粗くひいた大麦のことです。

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もち麦
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丸麦(大麦)
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割麦

⑫はと麦:川辺で見かける多年生植物「ジュズダマ」の変種とされています。起源は東南アジアで、日本には江戸時代に中国から薬用として渡来しました。中国では古くから漢方薬や滋養強壮食として重んじられています。雑穀の中でも独特の粉っぽく硬めの噛み応えで、素朴な雑穀らしさがあります。栄養成分の特徴は、別名「ヨクイニン」とも呼ばれ、中国では古くから漢方や薬膳料理に利用されてきました。
他の雑穀と比べるとたんぱく質が多く、そのアミノ酸バランスも優れていることから、美容におすすめの雑穀です。ビタミンB2は精白米の2倍以上含んでいます。
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はと麦
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以上の12種を大さじ1杯加えたご飯を頂くようになって半年、結構通じが良くなっています。
今後どう体調が変わるのか、体の声を良く聞きながら食したいと思っております。ではでは。






袖振れ合うも多生の縁473~オペラ「蝶々夫人 ハイライト公演」が開演し閉幕し、わが畏友M・Y君は・・・~

今回もオペラ歌手平野雅世さん主演の「蝶々夫人ハイライト販」公演です。

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さあ、開幕です。
最初に登場したのは、落語・語り 歌曲亭文十弁と下のチラシに書かれている噺家風のいでたちのお人です。

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オペラに落語家さんが出演するなんて珍しいやおまへんか。ま、この方が語り手として話しを進めるのやろけど、うまくマッチするんやろか、こんな趣向もなかなか面白いな・・・と思てましたが、そや、開幕前に見ていたリーフレットには、演出/台本/ゴロー(語り) 橋本恵史(歌曲亭文十弁)と書いてありましたな。

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リーフレットによれば、この方は歴としたテノール歌手にして6代目桂文枝さん(桂三枝と言うた方がお分かりかも)のお弟子さんだとか。
さて、文十弁さん、「文枝」の「文」の一字を貰ろて、「ぶんとうべん」との芸名を名乗ってはるのですが、「ぶんとうべん」て「ベートーベン」の洒落でしょうね。
それはさておき、文枝やのうて弁士さんの軽やかな語りで始まったのですが、歌詞は当然イタリア語ですから、上下にある逆円錐形の大臣柱に日本語字幕が投映されるのです。

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イタリア語がチンプンカンプンなワタシ(多くの観客はそうでしょう)は出演者の演じるのを見ながら聞きながら、字幕を見なければならず、それが些かですが煩わしかった。
洋画の字幕は殆ど目線を動かさなくてもいいのですが、ワタシの席は上手よりだったので、上下どちらの字幕を見るにしても、演技者から目線を移さないといけなかったのです。
しかし、このホールでは字幕投映はあの場所しかなかったでしょうから、致し方ないですね。
ところで、「蝶々夫人」のあらすじはご存じの方も多いでしょうが、念のため『ムジカ クラシカ』からワタシの要約でシェアさせて頂きます。

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第一幕:長崎の丘の上の家

結婚紹介人ゴローが、アメリカ海軍のピンカートンに新居の説明をしています。
ピンカートンは見慣れぬ日本の住まいに驚きます。

ピンカートンは、蝶々さんと新たにこの家で暮らすことになっています。
ゴローがピンカートンに、スズキ(蝶々さんの女中)を紹介します。

そこに長崎にいるアメリカ領事シャープレスが登場します。
ピンカートンはシャープレスに「いつでも破棄できる条件で、日本式に結婚する。」と軽い気持ちで結婚することを語ります。
シャープレスは軽薄だと警告するが、ピンカートンは全く気にしません。
ピンカートンは「アメリカよ永遠に!」と叫びます。
シャープレスが「本当に好きなのか?」と尋ねると、「愛か気まぐれかわからないが、私の心を捉えたのです。」と、ピンカートンは楽観的に答えます。

この辺りまで芝居人間のワタシはオペラに興ずるというより、芝居に気が走っていました。
例えば、ピンカートンさんの場合、ワインか何かアルコールを呑む仕草をされたのに、喉仏は全く動かない、つまり飲み込んでないんですね。ま、すぐ歌い出さないといけなかったので、仕方なかったのかも。
しかしシャープレス領事片桐直樹さんは、そのようなことはなく、キチンとお酒を飲み込むお芝居をされていました。
流石ベテラン、片桐直樹さん!

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余談ですが、以前ワタシは片桐さんにお逢いしたことがあるのです。前回書いた某ピアニストさんが主宰し、ワタシの中・高同窓生であるI・Fさんが代表社員を務めておられる法律事務所がバックアップしていた「クラシックファンのためのコンサート」の演奏会を見たことがあり、その時オペラ好きでもないワタシなのに、出演されていた片桐さんや平野さんに強く惹かれ、片桐さんとは何か舞台をご一緒したい!と強く思ったのです。

平野さんには申し訳ないですが、片桐さんのようには思わなかったのですが、それは何故かというとワタシは歌劇、といってもオペラではなく、タカラヅカでもない松竹近鉄系のOSK日本歌劇団という女性集団で長らく仕事をしてきたので、その頃は男性と舞台を創りたかったのであります。

という訳で、I・Fさんにコンサート後の打ち上げに同席させて貰い、片桐さんに名刺をお渡しし「何か舞台企画を考えますので、宜しければ・・・」云々とご挨拶させて頂いたのでした。
しかし片桐さんとの舞台企画を立てることなく、ワタシは芝居の世界からリタイアし、今日に至っているのであります。

閑話休題。

そこに蝶々さんの一行が到着します。
蝶々さんは「裕福な家が傾いて芸者になりました。」と身の上話をし、ピンカートンとシャープレスは彼女が15歳だと聞くと、「玩具を持つ歳ではないか!?」と驚きます。
更に蝶々さんは、「親戚に内緒で昨日、教会でキリスト教に改宗しました。」と家の宗旨を捨てたことを告げます。

そして、蝶々さんとピンカートンの結婚式がとりおこなわれ、蝶々さんとピンカートンの二人になります。
ピンカートンは蝶々さんを慰め、蝶々さんは「宗旨を捨てたので親戚に捨てられたけれど、私は幸せです。」と語ります。

蝶々さんが婚礼衣装から着物に着替える間、ゴローが間を繋ぎます。その話のネタにギャグを織り込むのですが・・・

「蝶々さんとピンカートンさんの恋、よろしいですな。そうそう、あるお方なんか、100歳やのに未だに恋をしてはるとか。で、好みのタイプはとお聞きしたところ、年上の人・・・やそうな。」

お客さんは笑てはりましたけど、ワタシは笑えませんでした。なんでかと言うと、このギャグ知ってましたから。

この他のギャグもワタシは知ってましたから笑えませんでした。何か新ネタが欲しかったですね。

さあ、蝶々さんが着替え庭に出てきました。夕暮れの中二人の美しい愛の二重唱が奏でられ、1幕は終わります。(休憩15分)

この辺りになりますと、ワタシはお芝居に拘ることなく、気が付くといつの間かオベラに浸っておりました。
これはひとえに平野雅世さん、藤田卓也さん、片桐直樹さん、井上美和さんたち出演者皆さんの、圧倒的に素晴らしい歌唱力のなせる技でありしょう! ブラボー!!
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休憩15分の後、第2幕が始まりましたが、この始め方がシャレてました。

普通、あれから早3年・・・とかナレーションが流れたり、進行役がそのことを告げるのですが、ゴローが、

「みなさん、長いことどこへ行ってたんですか? 15分言うたのに3年も戻って帰って来はらへんやなんて・・・」

というような喋りで軽く笑いを取り、2幕へ引き込んでいったのです。

さあ、第2幕です。

第二幕:第1幕から3年が経過

ピンカートンはアメリカに帰ってしまいました。
スズキが(日本の)神に祈りを捧げています。

スズキが「外国人の夫が戻ってきた例はない。」と言うと
蝶々さんは怒って「彼はコマドリがヒナをかえす頃に戻ってくると言った。」と返します。
そして有名なアリア「ある晴れた日に」(ピンカートンが戻ることを夢見ている)を歌いあげます。

シャープレスがピンカートンからの手紙を持って現れます。
しかし蝶々さんの余りの喜びように、手紙の中身を話すきっかけがつかめません。

会話の途中でゴローが登場し、蝶々さんの新しい結婚相手として金持ちのヤマドリ公爵を紹介しようとします。
ピンカートンを信じている蝶々さんは、怒ってゴローを追い返します。

ゴローが去ると、シャープレスは手紙の内容を伝え始めます。
ピンカートンが戻ってこないことを察した蝶々さんは、「(ピンカートンが戻らないなら)私は芸者に戻るか死ぬだけです。」と決意を語ります。

シャープレスが新しい結婚を勧めると、蝶々さんはピンカートンとの間にできた子供を連れてきます。
子供は、ピンカートンが去った後に生まれた子供でした。
シャープレスは残酷な運命に涙し、「ピンカートンに"子供がいる"ことを伝える」と約束して去っていきます。

港で大砲が鳴り、アメリカの軍艦が入ってきます。
遠眼鏡で軍艦を見た蝶々さんは「彼が戻ってきた!私の愛が勝った!」と歓喜に包まれます。
そして「部屋を花で一杯にしましょう」と、スズキと子供と花びらを摘んで部屋にまきはじめます。(花の二重唱)

蝶々さんはスズキとピンカートンの帰りを待ちます。

やがて夜が明け朝になります。一睡もせずに待ち続けた蝶々さんは体を横たえるため寝室へ・・・。

そこにピンカートンとシャープレスが現れます。
スズキは「蝶々さんは一晩中起きて待っていたのよ。」と語りますが、ピンカートンの新たな妻ケイトが庭先にいることに気付き、蝶々さんの一縷の望みが絶え果てたことに絶望します。

蝶々さんが目を覚まし、「アメリカ人の女性が立っている」のを見つけます。
スズキの涙を見、蝶々さんは、あの女性がピンカートンの妻で、彼はもう戻ってこないことを察し、この子をあの人に預けようと決意するのです。

このくだりは、ゴローがしんみりした話芸で語り・・・そしてオールラストへ・・・

蝶々さんは、父の形見の短刀で、ハラキリを・・・

障子の向こうで、シルエットにて腹切りを見せるのですが、女性の場合、喉を刺すのでは・・・と違和感がありました。
でも西欧人にとって、日本人の自死はハラキリだと思っているでしょうから、オペラ「蝶々夫人」の自死は切腹という型があるのかな・・・と、ふと浮かびましたが、どうなんでしょうか。下の画像のように喉を刺す写真が結構あるようですが・・・

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いずれにせよ、皆さん、本当にお疲れ様でした。ブラボー!と讃辞の声こそあげませんでしたが、オペラ好きでないワタシも充分堪能させて頂きました!

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それから、エレクトーンと打ち込みでオーケストラを思わせる豊かな響きを奏でられた神田将さん、ワタシのエレクトールのイメージを払拭してくれました。
将に獅子奮迅の大活躍!この一言です。

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ではでは、長らくお付き合い頂き、アリガトウゴザイマス。
これにてシツレイ致します。

おーい、終わってる場合やないやろ。
このブログのタイトル、「蝶々夫人 ハイライト公演」が開演し閉幕し、わが畏友M・Y君は・・・やろ。
M・Y君はどないしたんや!?

はいはい、M・Y君のことを忘れてたわけやないんですが・・・
あのですね、席を立ち表に出た処で、彼の姿を見付けたんですが、なななんと、滂沱の泪をハンカチでしきりに拭っておられたのです。

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このイラストはちとオーバーで、これ程やないですが、男前がわやでした。
「いやぁ、泣けたわ」とテレもせず宣うM・Y君て、少年のような感受性をいまだに保っているんでしょうね。
泣かなかった、泣けなかったワタシは、彼が些か羨ましくもありました。
ワタシが泪すら催さなかったのは、「蝶々夫人」という作品は植民地主義時代の偏見に基づいたストーリーを未だに演じることへの批判や反論が根強くあることを知っていたからです。そう、数年前、英国の音楽教授にしてプッチーニの研究者であるロジャー・パーカー氏が人種差別的だと批判したことがありました。
M・Y君もそのことはご存じのようでしたが、それでも泣けるてなんでやろ?
80歳にして未だに枯渇していない豊かな感受性の賜物だけとは思えず、思考を巡らした結果、思い当たりました。

それは、プリマ平野雅世さんへの、
熱い篤い思い入れ!
もたらしたものなのでしょう。
平野さんをサポートしようとしている彼はきっと今も、幸せなんでしょうね。
又、そんなM・Y君や多くのサポータに支えられておられる平野さんもお幸せな方なのでしょう。
支え、支えられるお二人に、平野雅世さんとM・Y君に、巷で結構人気の絵描き、サリーさんの絵詞を贈ります。

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オペラに果てしなき情熱を燃やし続けられておられる平野雅世さんは、池田市制80周年公演のように少しは崩れることがあるかも知れませんが、必ず必ずやご自分の道を伐り広げられると、ワタシは強く深く思い願い、ひたすら祈っております。
ワタシが祈ったところで何の効果もないかも知れませんが、でも平野さんには、強~い守護神がついておられるようです!
そのお方は、音楽・芸術の女神ミューズです。と、ワタシは思っております、いやホントに!

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因みに余談ながら、音楽を意味するミュージックという言葉は、ミューズからきているのです。
ではでは。

袖振れ合うも多生の縁472~オペラ歌手平野雅世さんの「蝶々夫人」を昨年末に見たのですが、わが友人M・Yクンは・・・!~

前回は「停雲止水」、歌が超上手いという意味の言葉についてでしたが、今回は本当に歌上手な方のご紹介です。
先ずは下のチラシから。

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同じチラシの画像をなんで2枚・・・と訝られる方もおられるかと思いますが、よくご覧頂きますと違うんです。
ほら、下は追加公演決定完売御礼の嬉しい文字が躍っているでしょ。上のチラシは公演日を間違えて印刷したんやないんです。わかってるわ、そんなこと。

自死する蝶々夫人1の1.jpg当初の公演は29日のみで150席限定、満席でも7千円×150=105万円、つまり諸経費を100万円内に収めないと赤字つまり持ち出し、自腹を切らなアカンのです。
蝶々夫人」やから、切腹てシャレになりません。


オペラでは、ハイライト公演とは言え100万予算はしんどいでしょうな。ワタシがお芝居(ストレートプレイ)してた時でも、1本では出来ませんでしたもん。

でも、この「蝶々夫人」は思いの外チケットの売れ行きが良く、有り難いことに翌日も公演できる!という僥倖で、関係者一同、特にプロデューサー的存在の平野雅世さんは、愁眉をひらく思いであられたことでしょう。本当に良かったですね!

何故冒頭にこの話を持ってきたかと言いますと、そらコロナのせいですわ。

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多くのイベントと同じく、オペラ公演も中止につぐ中止で、惨憺たる有様でした。
平野さんの場合も・・・

2021年2月27日(土)

オペラ「ラ・ボエーム」

兵庫県立芸術文化センター​ KOBELCOホール(兵庫)

コロナ感染症拡大防止のため中止


2021年4月11(日)  

池田市制80周年記念オペラ「三部作」

『外套』『修道女アンジェリカ』『ジャンニ・スキッキ』

池田市民文化会館・アゼリアホール(大阪)

コロナ感染症拡大防止のため昨年から何度かの延期の末中止


2021年8月9日(月)祝

東日本大震災チャリティーコンサート

大阪ドーンセンター​(大阪)

コロナ感染症拡大防止のため中止


この他、多々キャンセルがあった由。

ワタシの同級生で友人の平野雅世後援会員と自称している(?)M・Yクンによりますと、池田市制80周年公演中止の打撃は計り知れないものがあったそうです。

と申しますのはこの公演、彼女は三作ともプリマの大役を務めるだけでなく、プロデュース的役も担っておられたとか。

このように大きな公演が延期を重ねて中止になれば、既に諸経費は飛ぶように支出されていたでしょうし、販売済みのチケッチトは払い戻しせなアカンし、泣きっ面に蜂とはまさにこのことでしょう。


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そんな災難にもめげることなく、オペラの炎を絶やしてはならじと、彼女はオペラ公演を企画し、実現すべく蛮勇、向こう見ずに突進する勇気を蛮勇と言い、余り褒め言葉やないんですが、ワタシは敢えて讃辞の言葉として、蛮勇ををふるわれておられると書かせて貰います。
そして、そんな平野さんの熱い想いに賛同しているわが畏友M・Y君から、「アンタやったら、舞台活動の大変さは骨身にしみて分かってるやろ。そやから是非々々、観に来て欲しい! その後、忘年会をやるから。」と熱情溢れる誘いを受け、オペラ好きではないものの重い腰をあげたのです。
実は、オペラを敬遠していたのには訳があるのですが、それは兎も角、ワタシは平野さんの舞台を10年ほど前に見たことがあるのです。某ピアニストさん主宰の「クラシックファンのためのコンサート」10周年特別記念演奏会『椿姫ハイライト』で、それ以来、平野さんのサポーターを自認している同級生たちの集いで2、3度お逢いし、少しお話したことはあるのですが、観劇(観オペ)は『椿姫』からずっとご縁がありませんでした。

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そんなワタシですが、チラシを見て結構楽しみにしていたことがあり(呑み会も楽しみでしたが)、年の瀬も押し詰まった29日、大阪は梅田のドルチェホールに赴いたのであります。

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管楽器専門店のB1にあるコンパクトな音楽ホールで、演奏会なら兎も角、「蝶々夫人」のような大曲を、出演者も小人数に絞り、しかもオーケストラは到底有り得ないのは当然ですが、エレクトーンでの伴奏なんて、一体全体どないなるんやろか・・・
と些かシンパイであり、それが逆に楽しみでもありました。

さて、開演時間となり・・・どなん舞台だったかは、次回と言うことにさせて頂きます。悪しからず。