袖振れ合うも多生の縁363~今日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日ですが、では12月10日は何の日かご存じでしょうか?~

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12月14日、1702年元禄15年のこの日に47士が吉良屋敷に討ち入りし主君の仇討ちを成し遂げたのは皆さん、ご存じですよね。そやけど12月10日ちゅうのは何の日やろか? それに山本太郎議員の写真がドカンと写されてるのはどういうこっちゃ???
PCで<今日は何の日>を調べてみると、「ノーベル賞授賞式」や「三億円事件の日」なんかが載ってました。あ、そうそう「世界人権デー(Human Rights Day)」なんてのもありました。
処で、世界人権デーは、1950(昭和25)年の国連総会で制定された国際デーの一つで、1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたのです。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」で始る全30条と前文からこの宣言はなっているのですが、この宣言がもっと前に、50年以上前に採択されていて且つ日本政府が遵守していたら、1901年(明治34)12月10日に元衆議院議員田中正造氏(写真下)が明治天皇に直訴するなんてこともなかったでしょうね
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いえ、今でも日本政府は人権を遵守しているとは必ずしも言い難い部分もありますから、2013年10月31日に山本太郎参議院議員(現在は元参院議員)は秋の園遊会で平成天皇に直接手紙を手渡したのでしょう。朝日新聞デジタル版によりますと、手紙の内容は、「原発事故での子どもたちの被曝や事故収束作業員の劣悪な労働環境の現状を知ってほしかった。」と山本議員は記者団に説明した由。

『れいわ新撰組』党首の山本太郎さんが話題になったのは7月の参院選挙ですから、数ヶ月後の今頃取り上げたのは、天皇陛下への直訴つながり、田中正造さんがらみなのであります。
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処で田中正造(敬称略)が明治天皇に直訴したのは、足尾鉱毒事件についてですが、この事件って名前は記憶しているものの、よく知らないのでWikipediaで検索してみました。その説明を要約しますと・・・足尾銅山は江戸時代から採掘されていたが、幕末には殆ど廃山状態となり、明治維新後民間の古河市兵衛に払い下げられ、古河が採鉱事業の近代化を進めた結果、大鉱脈を発見し足尾銅山は日本最大の鉱山となり、東アジア最大規模の銅の産地となりました。しかし精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)や排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオンなど金属イオン)は甚大な鉱毒公害ををもたらしたのです。鉱毒毒ガスやそれによる酸性雨で近辺の山は禿げ山となり、木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れ、この崩壊は21世紀となった今も続いているのです、嗚呼!

現在も続いているなんて知りませんでした!(下の写真は2005年3月撮影)

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鉱毒による被害はまず、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れ、次に渡良瀬川から取水する田園や、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出し、これに怒った農民らが数度にわたり蜂起したのですが、田中正造はこの時の農民運動の中心人物なのです。又、この鉱毒被害は渡良瀬川流域だけにとどまらず、 江戸川を経由し行徳方面、 利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大し、田畑への被害は、特に明治23年8月と29年7月21日、8月17日、9月8日の4度もの大洪水で顕著となり、明治34年には足尾町に隣接する松木村が煙害のために廃村となり、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村も前後して廃村となったのです。

公害対策工事は明治30年頃から行われ、表だった鉱毒被害は減少したものの、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなく、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県毛里田村とその周辺では、大正期以降逆に鉱毒被害が増加し、以後も昭和になった1971年(昭和46年)には毛里田で収穫された米から カドミニウムが検出され出荷が停止さました。古河鉱業はカドミウム被害を認めていませんが、群馬県はこれを断定しているのです!

又明治に戻りますが、農民の鉱毒反対運動が激化し、明治33年(1900年)2月13日、陳情団が東京へ押しかけようとしたところ警官隊と衝突し流血の惨事に至り、農民多数が逮捕されました。

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田中正造は、度々国会で足尾鉱毒について糾弾したのですが、埒があかず、明治34年(1901)12月10日、東京市日比谷において帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に直訴に及んだのです。しかしながら警備の警官に取り押さえられ、直訴そのものは失敗したものの大騒ぎになり、号外も配られるに及び、直訴状の内容は広く知れ渡りました。直訴状は幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられています。直訴未遂の結果、田中は即拘束されましたが、政府はこの件を何事もなかった如く葬る為、単に狂人が馬車の前によろめいただけだと不問にし、正造は即日釈放されたのです。

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上の写真は、田中正造直訴を報道する明治34年12月12日の野州日報ですが、12月11日の都新聞には下記のように報道されています。
 
「◎田中正造氏直訴彙報・・・・・▲現場の模様 大要号外に記しし如くなるが、なお其の詳細を記さんに氏が群衆中より?簿に向かって進むときはさすが恐?に堪えざりけん。気のみ焦りて足の進み意の如くならざるものの如く見えしが、真っ先にこの状を認めたる儀仗兵中の近衛騎兵連隊附陸軍騎兵特務曹長勲八等伊知地李盛氏は?剣を振り翳して氏の御馬車に近寄るを遮らんとしたるも乗馬逸して意の如くならざりしにぞ田中氏はこの隙に乗じて益々御馬車に接近せんとする際御道筋警戒中なりし麹町警察署の尾川彦二郎、高木八五郎の二巡査馳せ付け尾川巡査は氏を後方より抱き高木巡査は襟髪を捉え協力して一旦地上に引き倒し直ちに応援の警部巡査等と共に周囲より厳重に警戒して虎ノ門内派出所へ引致せり。
▲引致後の模様・・・・・派出所にては単に宿所氏名等を訊問せしのみにて間もなく氏を人力車に乗せ警部巡査四名付き添い麹町警察署へ拘引したるも拘留所へは入れず唯応接室の椅子によらしめ数名の巡査をして監視せしめ置き午後一時より石黒警部を立ち会わしめ同署長村島警視自ら訊問に着手せしが午後五時に至るまで引き続き取り調べ中にてその結了を告げるは十一時ごろならんとのことなりき。当日は川淵東京地方裁判所検事正も羽佐間検事を従え午後一時より三時まで同署へ出張して実況を視察せり。

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そして田中正造直訴から112年後の10月31日、山本太郎参議院議員(当時)が天皇陛下に直訴、いえ、直接手紙を手渡したのです。
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何故「直訴」を「手紙を手渡した」と書き直したのかと言いますと、『HUFFPOST』(2013・10・31)に、<請願法第3条には「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」と定められているので、もし山本太郎氏の手紙が「請願」に当たる場合には違法である可能性もネット上では指摘されている>と書かれているからです。単にご機嫌伺いのような挨拶的な親書であれば、問題ないのでしょう。又『朝日新聞』2013年11月1日付によれば・・・
参院議院運営委員会の岩城光英委員長(自民党)は1日、山本太郎参院議員(無所属)が10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を手渡したことに対し事情を聴いた。山本氏は聴取後、記者団に「マスコミが騒ぐことによって政治利用にされてしまう。政治利用なら手紙の内容を公開するはずだが、一切していない。個人として陛下に子供たちの健康被害や被曝(ひばく)労働者の切り捨ての実情を伝えたかっただけだ」と、政治利用との指摘を強く否定した。ただ、「ルールを知らずにお手紙を渡したことは事実。そのことに関する議会のお沙汰が出た時には受け止めるしかない」と述べ、同理事会が処分などの決定を出した場合は従う意向を示した。
そして、菅義偉官房長官は今回の山本太郎氏の行動について、以下のようにコメントしています。
「文書はそばにいた侍従長が預かった。内容は聞いていない。」
このコメントは、山本議員の文書は陛下に伝わっていないし、政府もその文面が請願に該当するか分からないので不問にする・・・ということを意味しているのでしょうね。なんだか田中正造の時の、<単に狂人が馬車の前によろめいただけだ>から不問にするという対応と似ていませんか?

処で、山本議員の手紙を受け取られた陛下は、この手紙をお読みになりたかったのかどうか。陛下のお気持ちを知るすべはありませんが、その後の陛下の私的ご旅行が私には些か気になるのです。同じ年の11月14日付け時事通信社の記事によりますと・・・
宮内庁の風岡典之長官は14日の定例記者会見で、秋の園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した 山本太郎参院議員について、刃物が入った封筒が同議員宛てに届いたとの新聞記事を見た陛下が心配されていることを明らかにした。
とのこと。そして5月21日の『朝日新聞』夕刊によりますと・・・
天皇,皇后両陛下は21日,東北新幹線で栃木県入りした。同日午後,足尾鉱毒事件の舞台となった渡良瀬遊水地などを訪問。22日には日光市で,足尾銅山の煙害により木々が枯れた松木渓谷などを視察する。

この記事に関する『社会科学者の随想』というブログによりますと・・・
この記事の中身は,明治帝政が日本の国土を破壊していった典型的な実例である足尾鉱毒事件の歴史に対して,現在の天皇家がわざわざ並々ならぬ関心を抱いているというものである。明治以来の日本帝国が武力でもって東アジア諸国を侵略するさい,兵器・武器の製造において重要な鉱物となる銅を採掘・精錬するための鉱山・工場が足尾にあったのである。
又『朝日新聞』2014年5月23日朝刊の報道によりますと・・・
天皇,皇后両陛下は22日,1泊2日の日程で訪れた栃木,群馬両県訪問を終えて帰京した。両陛下が自然の再生に関心を寄せつづけていることが発端となって実現した私的な旅行。栃木県では,足尾銅山跡付近の山々や,田中正造ゆかりの佐野市など「日本最初の大規模公害」とされる足尾鉱毒事件の舞台をめぐった。
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「この赤いのが訂正ね」。天皇陛下は佐野市郷土博物館(写真下。館前に佇むのは田中正造の像)で田中正造が明治天皇に宛てた直訴状を前にメガネをかけ、赤い訂正印が各所に押された推敲の跡を確かめるように見入った。正造が直訴を試みてから113年。説明役の山口明良館長は「一文字一文字を追っていらした。明治天皇が目にしなかった直訴状をみてもらい,感慨深いものを感じます」と言う。
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足尾鉱毒事件の舞台をめぐられ、田中正造の直訴状に大いに関心を寄せられた陛下は、山本太郎参院議員に手渡された福島原発被害者を思いやる手紙を開封し、文書を一読してみたいとお思いになっておられたのではないか・・・などと私は推測してしまうのですが、如何なものでしょうか。
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  山本太郎議員を如何に思うかは黙して語らぬ田中正造の像


袖振れ合うも多生の縁362~高田茜さんと平野亮一さんって、凄いバレーダンサーですね!~

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今年も慌ただしい師走ですが、にも拘わらず顔中口にして笑っている(?)のは、英国ロイヤルバレエ団のドップダンサー、ブリンシパルである高田茜さんです。先日同バレエ団の「ロミオとジュリエット」を見た、と言ってもTVでなんですが、とても感動しましたので、高田茜さんについて書きたくなったという訳なのです。

Wikipediaによりますと、高田茜さんは東京都葛飾区出身で、3歳の時高橋洋美バレエスタジオでバレエを習い始めたのですが、高田をプロ入りまで指導した高橋さんによれば、おっとりとしたやさしい少女で、天性バレエの素質があったとか。そして1999年2月小学2年の時、日本バレエ協会主催の 『ドン・キホーテ』 公演で子役のキューピッドの一人として出演し、この公演の主役吉田都さんに彼女は憧れたとか。そして2006年1月、中学3年の時NBA全国バレエコンクールで審査員特別賞を受賞し、チャコット提供の奨学金で同年9月からモスクワのボリショイ・バレエ学校に留学したのです。ボリショイ在学2年目の2008年2月、17歳の時ローザンヌ国際バレエコンクールに出場し、プロ研修賞と観客賞を受賞。研修先としてロイヤル・バレエ団を選び、同年9月に研修生として入団。2009年9月にアーティストとして正式に入団し、2010年秋にファースト・アーティスト、2011年秋にソリストに昇格。2014年のシーズン終了後にファースト・ソリストに昇格。2015年3月には 『白鳥の湖』 の主役オデット/オディールを、翌2016年3月『ジゼル』 の主役(写真下)を踊り、シーズン終了後プリンシパルに見事昇格されたのです。
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処でプリンシパルというのは、元々は英語圏のバレエ団において主役級のダンサーを指す言葉だったのですが、その後広まり世界的に使われるようになっています。バレエ団によってはファーストソリストやエトワール、プリマバレリーナとも言うそうです。普通、世間では主役を踊る女性バレエダンサーをプリマと呼んでいて、プリマの方が馴染みのある言葉ですよね。因みに英国ロイヤルバレエ団のランクは、①プリンシパル ②プリンシパル・キャラクター・アーティスト ③ファースト・ソリスト ④ソリスト ⑤ファースト・アーティスト ⑥アーティストの6段階で、正団員100名をこえる中、プリンシパルは20名弱で、まさに文字通りトップアーティストなのです。

平野亮一2.jpg右の写真も英国ロイヤルバレエ団のブリンシパル、平野亮一さんですが、平野さんは高田茜さん(ジュリエット役)の相手役ロミオで、茜さんと日本人同士が主役の作品を、生でなく録画とはいえ見ることが出来たのはとても幸いでした。
平野さんは尼崎市出身で、4歳よりお母さんの平野節子さんのもとでバレエを始め、2001年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロ研修賞を受賞し、英国ロイヤルバレエ団研修生となり、2002年英国ロイヤルバレエ団に入団。2007年ファーストアーティスト、2008年ソリスト、2012年ファースト・ソリスト、2016年プリンパルに昇格されています。
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2016年9月に、お二人は同時にブリンシパルに昇格なさっています。
この快挙は1990年代に熊川哲也さんと吉田都さんがプリンシパルに就任されて以来だそうです。
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左の写真は熊川さん、下の写真が吉田さんですが、茜さんは小学校の頃『ドン・キホーテ』で一緒に舞台を踏み、憧れた偉大なバレリーナ、吉田都さんと同じボジション、世界3大バレエ団の一つである英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルという地位にまで17年かけて辿り着き、万感胸に迫るものがあったでしょうね。
吉田都2.jpg何故そう思うかというと、茜さんはボリショイ・バレエ学校で学んいる時も、「物語バレエを踊りたい!」と英国ロイヤルバレエでの活躍を熱望していたそうですから。望めばに叶うと言うものの、実現してしまうとは!

さて、肝心の『ロミオとシュリエット』ですが、演劇性の高いバレエを踊りたいと熱望し、ローザンヌのプロ研修賞獲得を契機に、演劇の伝統色濃いイギリスのバレエ団の本拠に入団し、プリマに上り詰めた高田茜さんだけあって、さすが流石、マイムだけでなく振りのひとつひとつにもジャリエットの愛の言葉が、心のささやきが感じられ、私は、茜さんのマイムや振りに合わせて我知らず台詞を口ずさんでおりました!
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そして、彼女の踊りに対する形容として英国では、しばしば<輝き (sparkle)> という賛辞が用いられていますが、まさにSparklingだったのです!そんな茜さんの輝きの画像をもっとお見せしたいのですが、著作権に守られていてそうもいかないので・・・残念です。
そして最後に、7月の参院選挙で少しばかり話題になった、『N国』の主張するようにスクランブル放送になっても、こんな素晴らしい作品を放送し続けるのなら、私は受信料を払いますよ。(でも忖度された報道は大いに問題ありですが)
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それからもうひとつ、同番組で放送された平野亮一さん主役の『フランケンシュタイン』も凄かったことを書き加えておきます。
ではでは。


袖振れ合うも多生の縁361~親鸞聖人忌に催される報恩講で、坂東曲という不思議な読経が!?~

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報恩講とは、親鸞聖人がお亡くなりになった死の事実を深く悼む思いから始まり、親鸞聖人が今なお私達に何を願われているのかということを尋ね続けずにはおれない、一人ひとりの生の根源からの気持ちが幾重にも交わり、七百五十余年にわたり勤められてきた法会です。と、報恩講案内の冒頭に記されています。

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それはさておき、今回何故、報恩講で行われる坂東曲(ばんどうぶし)を取り上げさせて頂いたかと言いますと、普通読経は、腰骨を立て背筋を伸ばし揺らぐ事なき不動の姿勢で経典を読誦(どくじゅ。そらで唱えること)しますが、坂東曲は上体を前後左右斜めに揺らし続けて和讃(仏教の教義や仏菩薩の徳を和語で称える詠歌)を詠じ歌うのです。

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動画ではありませんが、上の写真で坂東曲を詠じている雰囲気を少しはお分かり頂けますでしょうか? さて、今年の報恩講は今月の21日から28日迄行われ、28日の結願日中に坂東曲が行われた由。この坂東曲だけをご覧になった方も大勢いらしたとか。私は所用にて残念ながら・・・でした。処で詠じられた和讃は高僧和讃と正像末和讃ですが、こない上体をゆらして恍惚三昧の如く詠じている文句が知りたい・・・と仰る方の為に、書き写してみましょう。え、誰もそんなこと思てない? そうですか、ほな、ワタシ自身の為にコピペさせて貰います。

『高僧和讃』

願力(がんりき)成就(じょうじゅ)の報土(ほうど) には
自力(じりき)の心行(しんぎょう)いたらねば
大小(だいしょう)聖人(しょうにん)みなながら
如来(にょらい)の弘誓(ぐぜい)に乗(じょう)ずなり

煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)と信知(しんち)して
本願力(ほんがんりき)に乗(じょう)ずれば
すなわち穢身(えしん)すてはてて
法性(ほっしょう)常楽(じょうらく)証(しょう)せしむ

真(しん)心(じん)徹到(てっとう)するひとは
金剛心(こんごうしん)なりければ
三品(さんぼん)の懴悔(さんげ)するひとと
ひとしと宗師(しゅうし)はのたまえり

五濁悪世(ごじょくあくせ)のわれらこそ
金剛(こんごう)の信心(しんじん)ばかりにて
ながく生死(しょうじ)をすてはてて
自然(じねん)の浄土(じょうど)にいたるなれ

金剛(こんごう)堅固(けんご)の信心(しんじん)の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀(みだ)の心光(しんこう)摂護(しょうご)して
ながく生死(しょうじ)をへだてける

真実(しんじつ)信心(しんじん)えざるをば
一心(いっしん)かけぬとおしえたり
一心(いっしん)かけたるひとはみな
三信(さんしん)具(ぐ)せずとおもうべし

『正像末和讃』

三朝(さんちょう)浄土(じょうど)の大師(だいし)等(とう)
哀愍(あいみん)摂受(しょうじゅ)したまいて
真実(しんじつ)信心(しんじん)すすめしめ
定聚(じょうじゅ)のくらいにいれしめよ

他力(たりき)の信心(しんじん)うるひとを
うやまいおおきによろこべば
すなわちわが親友(しんぬ)ぞと
教主(きようしゅ)世尊(せそん)はほめたまう

如来(にょらい)大悲(だいひ)の恩徳(おんどく)は
身(み)を粉(こ)にしても報(ほう)ずべし
師主(ししゅ)知識(ちしき)の恩徳(おんどく)も
ほねをくだきても謝(しゃ)すべし
『真宗聖典』(東本願寺出版発行)より
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如何でしょうか。ワタシは後日、じっくりゆっくりとっくり味わってみようと思っております。

しかし、なんで上体を揺らすのかについてはよく分からないそうですが、親鸞聖人が越後へ流罪になる際、荒波に揺れる船の中で一心に念仏を唱えた話に由来するという説もあるとか。処で坂東曲は、他の浄土真宗々派では見られないお東さん独特のものだそうです。このあたりの経緯も知りたいところですが、多分調べても分からないのでしょうね。

話は一寸私儀に変わります。ワタシは毎朝、大払えの祝詞を唱えているのですが、気が付くと時々上体を前後に揺らして唱えていることがあるのです。坂東曲のように前後左右斜めにもということはありませんが、揺らしているとリズミカルな感じがして、スイングする波動を楽しむ気分です。坂東曲をなさる僧侶のみなさんも、スイング感を楽しんでおられるのでしょうか?
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あのな、このねえちゃんの写真、スイングの意味が違うやんか!?

袖振れ合うも多生の縁360~胎内の赤ちゃんってどんな音を聴いているのかな? そして心音治療とは?~

胎内の赤子2.jpg胎内の赤ちゃんって、どんな音を聴いているのでしょうか?
いや、待てよ・・・胎児の耳が 形成される迄は何も聞こえていないのか? そんな訳はないよな・・・
こんなクエスチョンがふつふつと浮かんだので、早速調べてみますと・・・三角泰爾先生1.jpg
現代医学に矛盾を感じ、東洋医学・整体・食養などを学ぶだけでなく、鍼灸治療の研究にも取り組み、製薬メーカーが徹底的に嫌悪する画期的な<心音治療>を確立されたみかどクリニックの三角大慈(みすみ・たいじ) 院長は、
「個体発生は系統発生(生物進化のプロセス)を繰り返す」(ドイツの学者ヘッケル)というように、胎児は35億年という生物進化の歴史を母親のお腹の中で再現させています。
単細胞の生命から始まり、心臓が動き出し、爬虫類になり、やがて刻々と人間になっていきます。耳の聴覚が形成されるのは妊娠後期で、それまで耳の聴覚は存在していません
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では成長中の胎児は一体どこでお母さんの心音を聴いているのか? おそらく全身の細胞で聴いていると思われます。それが遺伝子に記憶され、誕生した赤ちゃんの潜在意識に植え付けられているのでしょう。」
そして、胎児が胎内で聴いている音については、
「絶え間なく響くお母さんの血潮がざわめく潮騒。子宮の壁をドードーと打つ大動脈の拍動音。小川のせせらぎのような大静脈の摩擦音。そしてそれらの彼方に高らかに鳴り響く心臓の鼓動。何か宇宙空間の遠い彼方の銀河星雲の渦巻きを銅鑼にして悠然と打ち鳴らすような生命を育む絶対的な響き。生命の根幹に鳴り響く音霊、それがお母さんの心音です。」
と仰っています。
いゃあ、三角先生のこのお言葉、命の深遠さや神秘性を感じさせる凄い表現で、先生のお人柄の一端が伺えるように思います。
さて、それでは<心音治療>とは一体どんな治療法なのでしょうか。

三角医師著書1.png<心音治療>と言っても、初めて耳にする人が殆どでしょうし、お医者さん、そして小児科医さんでも知らない方が多いとか。
ワタシも今年5月にWebサイト<THINKER 日本と世界の情報ブログ「波動医学の最新情報
(14)」>を見る迄全く知りませんでした。
そのブログで興味を持ち、三角先生著の「心音治療って何?」を紐解いてみたのですが、ふーん、成る程!と感心させられたのです。という訳で、同著より抜粋させて頂きますと・・・

本来、子供の病気は治りやすい。このことを中国の古い道書では、次のように記している。<小児7歳までを神童と名づく。神是を守る。>「小児7歳までを神童」とは、なんと素晴らしい言葉だろう。そして「神がこれを守る」という。ここで言う、「神」とは宇宙の理であり、自然治癒力である。

うーん、そうなのか・・・子供は本来、神様に自然治癒力を授けられていて、7歳までは病気から守られている筈なのに、今の時代は何故健やかに育たず、病に苦しみ亡くなってしまう子たちがいるのでしょうか!?

そして又、何故、どうして児童虐待が後を絶たないのでしょうか!?

三角医師は、母子の絆が切れてしまっていることが根本的な原因と考え、母子の絆を取り戻し深めれば、子供が神様に授けられ元々持っている生命の力が甦り、子供本来の元気溌剌たる姿になる筈と確信し、母子の絆を強くする為に、母親の「心音」、子供達がお母さんのお腹の中で聞いていた心臓の音着目し、心音治療を開発されたそうです。
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そうか、お母さんの胸に抱かれ、生まれて来る迄ずっとずーっと、ひとときも耐えることなくいつもいつも体の隅々まで響いていた、力強くて頼もしい鼓動を懐かしく感じ、嬉しくて見つめ合っていると、いやが上にもお母さんも赤ちゃんも、絆を強く強く、深く深く感じるでしょうね!処で、「心音治療」はどのようにして行うのでしょうか? 三角医師によりますと・・・

「心音治療」は特殊なマイクでお母さんの心臓の血流音を採取し、その録音を患者の子供に聴かせるのですが、耳ではなく子供のツボ(経穴)に直接聴かせるのがポイントです。採録した母親の心音をマイクロ・アンペアという微弱な電流に変換し、それを子供の腰にある「命門」と「後頭部」のツボに通電するのです。

お母さんの心音を、子供にヘッドホンで聴かせると思ってましたが、そうじゃないんですね。電流を我が子に流すと聞くと、お母さん方はびっくりされるよそうですが、微弱電流なので、子供は何も感じないし、痛みや不快感も全くないそうです。なら、安心ですよね。

具体的な「心音治療」は・・・
①心音録音→お母さんの心音を録音する。「心音装置」で聴診器でも聴くことのできない心臓血流音を、特殊マイクで2分30秒録音する。
②ツボに貼付→子供の腰にあるツボ「命門」と、後頭部の直下にあるツボに電極シールを貼り付ける。
③再生送電→「心音装置」の再生ボタンを押す。すると、子どもの2つのツボに心音の情報が伝わる。勿論、子供は何も感じない。2分30秒の録音を2度再生して、合計5分間の通電で終わる。

この治療は家庭でも可能であり、「心音装置」を貸し出して、家庭で自主的に行ってもらっているそうですが、「心音を録音する時、常に意識を我が子に向けていることが絶対必要であり、子供への愛を感じながらの心音が大切です。さらに大事なことは、子供に強要しないこと。あくまでも話しかけるような気持ちで無心で我が子と戯れるような気持ちが大事です」と三角医師はポイントを強調しておられます。
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さて、実際に心音治療を行うと、子供にどんな変化が起きるのでしょうか?

「最初の変化としては、子供がお母さんに甘えるようになります。治療したその日から、妙になついてくるとか、離れなくなる。いなくなると今までは何ともなかったのに、急に泣き出すといった具合で、これは母子の絆が強まった証拠です。一方母親は、子供の甘えに母性が刺激され、子供が可愛く、愛しくなってきます。夜泣きで何度も夜中に起こされて、疲れ果て、我が子が憎らしく感じていたお母さんも同じです。お母さんのこのような心境の変化に、子供は敏感に反応し、子供はますます、お母さんに甘えてきます。すると、お母さんはますます、我が子が可愛くなってきます。後は、これの連鎖反応が起こり、母子の絆が深まっていきます。母子のコミュニケーション能力が更に高まってきます。
<子育てって、こんなに楽しかったんだ><虐待寸前だったのに、ゴメンね>というような喜びのコメントをおや母さん達から頂いています。」

と、三角先生は仰っています。

子育てに悩んでるお母さん、百聞は一見に如かずですから、物は試しに如何でしょうか。


袖振れ合うも多生の縁359~音響免疫療法、そして寺院の梵鐘並びにチベタンボウルついて、少々うんちくを。~

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上の写真が音響免疫療法チェアです。 この装置は、国家機密に関わる案件も含め約1200件もの特許を出願されている西堀貞夫先生(写真下)の開発されたもので、中国・アメリカ・ロシア・日本・EPC(ドイツ・フランス・イギリス・イタリア)・韓国など、世界各国で特許を取得しているそうです。西堀博士は、環境省・通産省・農林水産省・国土交通省の研究開発の助成金を受け、「植物による水質浄化」「コンブの海の再生」「イカ墨から液晶テレビ・電波吸収材」「透水性フィルム」「人工皮革」「衝撃吸収材」「人工木材」「最先端医療」「最先端オーディオシステム」など、最先端の世界に誇る新しい技術を開発されている由。そんな凄い先生が造り、世界中の特許を取ってるチェアってどんなものなのか、Webサイト<神楽坂ヒカルランドみらくるのセラピー>を私なりに要約させて頂きました・・・西堀貞夫博士2.jpg

在傘寿を越えられた西堀博士は、「ゼロ磁場磁気エネルギーで生命を健康に導く」ことを何としても果たしたい大きな開発テーマとして、あくなき研究を続けてこられたのです。そして、それが音響免疫チェアとして大きな実を結んだのです。ゼロ磁場を技術的に再現し、脊髄に音を響かせ自己免疫力を高め、身体を細胞から健康な状態に持っていく音響免疫療法、名付けて《羊水の響き》。このネーミングは、音響免疫チェアが母親の羊水の中で音を感じていた胎内の環境を再現しているからです。
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西堀先生は、血液の鉄イオン(強磁性)の磁気エネルギーを『気』、錆びた血液の磁気を『邪気』と捉え、『気』の衰えが病を招くと考えています。この椅子は、背もたれからCDやDVDの音が再生されますが、その音が背もたれにある柔らかい表面の密度を高めた“人工血管”のような中空ストロファイバー網構造体を震わせ、身体に伝わります。耳の鼓膜を震わせるのではなく、生命の急所、脊髄から心臓に身体共鳴で音の振動を響かせます。羊水を伝わるように波動エネルギーが身体中を震わせ、鼓動と脈動を強化、血液(強磁性鉄イオン)と血管との摩擦熱で血液の磁気を高め、血液の生体磁気作用と血液循環機能を蘇らせます。
胎内の赤子1.jpg
私たちは羊水の中に浮かんでいた胎児の頃、外界の音や母親の体内の音を耳で聴くのではなく、脊髄の感覚器官、中枢反射神経を通し、羊水を響かせる振動として感じていました。空気の振動で音が伝わる縦波と違い、羊水を伝わる横波の振動は、尿で汚れた羊水を浄化する働きもあり、水分80%の健やかな細胞を育てています。つまりこのチェアは横波により、胎内の状態を再現しているのです。
処で普通の音は縦波で、空気の伝えるスピーカー音は勿論縦波です。しかし胎児期の私たちは、羊水が伝える母親の母体音、つまり生命の響きである横波の響きを、脊髄で感じていました。ですから、このチェアの音響と通常のスピーカーとは根本的に違うのです。

話が少し逸れると思われるかも知れませんが、ワタシはバイオリンやチェロなど、弦楽器が大好きです。演奏ではなく専ら聴くのみですが。というのは、弦の響きは水の伝える波状の横波なのです。ですから私たちは、特にワタシは弦の響きを癒しと感じるのでしょうね。
下の写真はストラデイバリウスですが、西堀博士は、「音響チェアには金属の釘やネジを1本も使っていないし、合成接着剤なども一切不使用です。素材は徹底的に天然にこだわった。バイオリンの逸品ストラディバリウスは木材の接着に動物の骨から溶出したニカワで接着しています。木材と箱鳴りと弦の響きを極限まで高めるためです。このような名器の弓を弾くと弦の響きの摩擦熱で板鳴りし、木材を鳴り響かせる。羊水の響きを生きたニカワの板鳴りの響きで再現したのです。」と、音響チェアはストラディバリウスに学んでいると仰っておられます。
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さて、再び<神楽坂ヒカルランドみらくるのセラピー>によりますと・・・
この椅子が身体と心に画期的効果を起こす理由は主に3つありますが、まず、「横波による胎内の再現」については今まで述べてきました。2番目は、「磁気エネルギーが作り出すゼロ磁場」、そして3つ目は、「脊髄の刺激により分泌される脳内麻薬」です。

○「磁気エネルギーが作り出すゼロ磁場」について・・・
背面にあるストローファイバー網構造体から音が再生されると、音の持つ波動エネルギーのうねりが生み出す摩擦熱で、地球の磁気エネルギー、つまり強い地磁気を作り出すことができます。そしてこの強力な地磁気がこの椅子とその周辺に「ゼロ磁場」を創ります。「ゼロ磁場」とは、地球が持つ磁力のN極とS極がせめぎ合い、力が満ち溢れている場所のこと。数々の聖地が磁気エネルギーの強いゼロ磁場に集中して建てられており、訪れる人の磁気エネルギーバランスを整え、エネルギーの総量を上げます。

○「脊髄の刺激により分泌される脳内麻薬」について・・・
音響免疫チェアは身体の特に脊髄の感覚器官、中枢反射神経を通して振動を響かせますが、この振動が脳内麻薬にあたる脳内伝達物質の一種、アドレナリン、エンドルフィンの分泌を促します。アドレナリンには主に興奮を呼び起こす作用があり、エンドルフィンには幸福感・リラックス・鎮痛・免疫力向上をもたらす、モルヒネ同様の作用があります。

このような3つの仕組みで、音を身体で感じながら細胞レベルで呼び覚ます<癒しと覚醒のエンターテインメント音響免疫療法 羊水の響き>はフワフワとした幸福感に満たされるそうです。

ぬぬぬ、アドレナリンやエンドルフィンを分泌させるものは他にも聞いたことがありますが、このチェアは<ゼロ磁場>を造っている! 確か、地球上のパワースポットはすべてゼロ磁場なんですよ。ということは、このチェアに座ると、パワースポットにいることになりますよね!
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上の写真はゼロ磁場のパワースポット、長野県の分杭峠(ぶんくいとうげ)ですが、それはさておき、この音響免疫チェアで再生演奏される音響は一体全体、どんな音なんでしょうか!?
西堀博士が会長をなさっているNGO音響免疫療法学会の公式HPを私なりにアレンジさせて頂きますと・・・

お釈迦様は、梵鐘の響きで悟りの境地に導かれたと阿含経に記されています。
鐘の響きは身体共鳴現象を起こし身体を発熱させ、心と身体を健康にするだけでなく、熱に弱いがん細胞を消滅させます。又、急所脊髄への響きは、脳内麻薬の麻酔覚醒作用で心と身体を幸せにし、悟りに似た和やかな安らかな境地に導きます。釈迦が感じた厳かな鐘の響きは、病を治す西洋医学の薬を超えた最善の方法だったのです。
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除夜の鐘の108つの響きは煩悩を消し去り、穏やかな安らかな境地に導きます。寺院の梵鐘や仏具の鈴(りん)、そしてチベタン・ボウルは、栄の時代に中国から日本へ渡来しました。チベット密教の音響法具であるチベタン・ボウル(別名シンギング・ボウル 写真下)はヒマラヤ・ネパールの断層地帯のゼロ磁場で誕生しました。ですからチベット密教は、ゼロ磁場の聖地で音響法具を用いて修行し、心を浄化させ、病を治していたのです。
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成る程、音響免疫チェアでの療法は、チベット仏教の修行メソッドを再現したと言えるのでしょうね。処で最近、除夜の鐘がつかれなくなったそうです。というのは、寺の近辺の住民から、喧しいから止めてくれと苦情があるからだとか。梵鐘の響きを騒音としか感じられない、情けない心の持ち主になり下がってしまっているのですね。嗚呼・・・

さて、西堀博士は日本中の名刹、寺院の梵鐘の音を探しまくり、到達したのが東大寺の梵鐘(写真下は東大寺の鐘楼)、重さ81屯の響きだったそうです。
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又西堀氏博士は、古来チベット仏教に伝わるチベタン・ボウルも高く評価されています。「急所の脊髄に鳴り響くチベタン・ボウルは頭蓋骨を緩め、その響きはモルヒネなどより、脳内麻薬の麻酔覚醒作用で、心と体を幸せにするのです」

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そして、チベタン・ボウルは、今や音響楽器シンギング・リンとして改良され、大流行の兆しを見せています。かくいう私も、音響療法家でシンギング・リンの開発者、和真音(かず しおん 写真左)さんのCDブックを購入し、生音ではないのですが、CDを再生し流れるシンギング・リンの響きに心を委ね大払えの祝詞を称えています。時々ですが自分の声とうまく共鳴する時があり、とても良い心持ちにさせて貰っております。

そしてですね、チベタン・ボウルのような音響法具の頭蓋骨に鳴り響く高音は頭蓋骨を緩め、脳神経を活性化させ、認知症やうつ病を吹き飛ばすと西堀博士が仰っていますから、毎朝シンギング・リンを聴いているワタシはボケへんやろと思っているのであります。ま、いずれにしても、音響療法チェアをワタシも一度是非体験してみたい!でーす、ハイ。ではでは、この辺で。
あれっ、心音治療はどないなってんのや!?
そうでした、長くなってきましたので、次回に致します。

袖振れ合うも多生の縁358~万能細胞とトカゲの自切(尻尾切り)及び再生、そして電磁波の脅威について~

前回、トカゲの尻尾切りについて取り上げると書きましたが、その前提として万能細胞について記したいと思います。
万能細胞と言えば、2006年に京都大学の山中伸弥教授(写真下)の研究グループが作製に成功したiPS細胞が有名ですよね。山中伸弥教授1.jpgiPS細胞.jpg




















iPS細胞は新しく作製された多能性幹細胞で、人間の皮膚等の体細胞にごく少数の因子を導入し培養する事により、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞に変化する由。処で、抑も万能細胞の大元は受精卵であることは言うまでもないことですよね。

ではでは前回に引き続き、『波動医学の最新情報 』を要約させて頂きますと・・・
万能細胞の始まりは受精卵で、その一個の単細胞が人体という複雑な精妙な身体に変化する。まさに不可思議と言うしかない。その謎を解くのが生体の固有周波数理論であり、受精卵という万能細胞は卵割、胚砲、母細胞を経て、各種の体細胞を形成する。万能細胞が様々な体細胞に変化するメカニズムは生命科学の謎だったが、そのミステリーを解明したのが固有周波数の存在だった。特定の周波数が生命形成の根本原理であった。例えば、表皮細胞の周波数刺激を受けた万能細胞は、表皮に変化していく。神経、筋肉、骨、腸、腺・・・なども、万能細胞に固有周波数の刺激を与えることで形成される。因みに切り傷がなぜ治癒するのか? 身体は傷を負うと、その瞬間に切断面に神経ネットワークが形成される。そこに第1次治癒電流が流れる。すると傷口の体細胞は、全て万能細胞に戻る。傷口を癒着させると第2次治癒電流が流れ、万能細胞をおのおのの周波数刺激で皮膚、筋肉、血管、神経‥に戻す。こうして切断面は嘘のように消え失せ、切り傷は完治するのである。

成る程、納得です。
さて、ワタシは子供の頃、トカゲが尻尾を自分で切り離し、切り離された尻尾がピクピク動いているのが不思議でした。この自切って、切り離した尻尾がしばらく動き回ることで外敵の注意を引き、その隙に逃げる為だそうです。
そして、なくなった尻尾が又生えてくるのも不思議で、人間はそんなことでけへんのに、なんでトカゲは???と疑問に思ったのを今でも覚えています。

自切1.jpgトカゲの尻尾再生1.jpg処で蜥蜴は脚や尾を自ら切っても再生する。この再生も生物学の長い間謎だった。それをロバート・ベッカー博士が理路整然と解明している。
ロバート・ベッカー博士(写真下)は電磁生体学の世界的権威であるが、博士によれば、切断面に神経ネットワークが形成され、1次治癒電流で切断面の体細胞がいったん万能細胞に戻る。次に2次治癒電流が流れ、万能細胞がおのおの体細胞に戻ることで、失われた脚は再生していくのである。

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私の子供の頃の疑問が解明されました。それでベッカー博士について一寸調べてみたところ、博士は今まで人体に安全とされていた電磁波が有害だと公表されています。では電磁波とは、一体どういうものなのか? 超低周波から高周波までの電磁波は、一般的に「電波」と呼ばれていて、電波はX線、ガンマ線などの有害放射線違って、生体に安全とみなされていたのです。しかし戦後、ベッカー博士はじめ世界中の膨大な研究により、「電波」と総称してくくられている電磁波にも、生体に有害作用があることが、科学的に立証されているのです。

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いゃあ、10の大罪、一寸、いえ大変気になりますよね。処で、私たちの身の回りで電磁波を出しているものって、どんな機器があり、どれくらいの強さというか量を出しているのでしょうか?
「船瀬俊介著書「やっぱり危ないIH調理器 三五館」によりますと・・・

電気製品の電磁波レベル.gif
身近な電化製品って結構ありますよね。電気カーペットは他の製品より強い電磁波を出しているようですが、どれくらいの強さになると危険なんでしょうか? 船瀬俊介さんの同著によりますと・・・

ロバート・ベッカー博士は、「電磁波の生体安全基準を1mG(ミリガウス)にすべきである。」と主張しています。 さらに注意すべきは、「1ミリガウス以下なら安全」とは言っていないことです。 すべての異常な人工的な電磁波は、その周波数に関係なく生理的影響をもたらす。 これらの影響は正常な機能を低下させたり潜在的に有害であるといっています。

え? え!? え!! 安全基準は1mG!!! ベッカー博士にとって、全ての電化製品は危険極まりないものなのです。でも、しかし、電化製品メーカーさんは、「そんなこと絶対ありません!」と言下に否定なさるでしょうね。科学音痴のワタシには嘘かホンマか確かめる術はありませんが、君子危うきに近寄らずとか、電気カーペットも電子レンジも電気炊飯器もスマホも、スマホどころかガラケーも使わない、古き良き昭和を遡り、原始生活(?)をめざしております。
とは言え、PCでこのブログを書いていますが、電磁波対策グッズは取り付けております。ま、効いてるかどうかは定かでなく、気休めかもしれませんが。
トカゲの尻尾切りからトンダ話になってしまいましたが、この辺で。
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袖振れ合うも多生の縁357~今知る人ぞ知る、画期的医学である<波動医学>について、その一端をご紹介致します。~

現在私が関心を寄せているもの、それは<波動>です。波動って、そもそも何なんでしょうか?
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波動とは万物が持つ、それぞれの振動であり、波形エネルギーです。波動は全ての人間、動物、物、そして感情や意識など、例外なくすべては波動なのです。
つまり、目に見えるものだけでなく、目に見えないモノも波動なのです。さて、最近私の愛読しているウェブサイト『THINKER 日本と世界の情報ブログ』の今年5月の記事、「波動医学の最新情報」によりますと・・・

これは船瀬俊介著「世界に広がる波動医学」の要約である。
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世界医学界に激変が始まっている。国連の専門機関であるWHO(世界保健機関)は、2018年初頭、突然不可解な発表を行った。「漢方など東洋医学を正式に医学として認定する」という。これまで国連は、東洋医学を「正式な医学」として認めていなかったということである。しかし、WHOはなぜ、わざわざこのような公表を行ったのか?
WHOが大転換を公表した東洋医学へのシフトを具体的に示せば、「波動」「断食」の二大潮流への方向転換と言える。

船瀬俊介さんは、環境問題を専門とするユニークなジャーナリストであり評論家ですが、私は以前から注目していて殆どの著書を読んでいます。彼は、マスコミが広告収入減を畏れて絶対取り上げないタブーをしばしば素っ破抜くので、所謂世間に名の知られた、でもその実体はブラックな企業の差し金でヤクザさんに襲われたことも一度ならずあるとか。でもしかし、書かずに死ねるか!と大胆に公言されているのです!
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船瀬さんの著にあるように、WHOが大転換した西洋医学から東洋医学へのシフトは、「波動」「断食」ですが、無芸大食で人生の大半を過ごしてきたワタシに「断食」を語る資格はありませんから、「波動」について書こうとしているのであります。では、「波動医学の最新情報」を読み進め、私流に要約しますと・・・

「波動医学」の原理は実にシンプルであり、組織、器官、臓器の各々は固有の周波数を持つ。そして、これらは固有周波数で振動している。生命活動とはこれら波動現象(バイブレーション)の総体で、生命活動している組織・器官・臓器が疲れたり病んでいるとどうなるのか?そこから発生する波動も本来の固有周波数からズレてしまい、疲弊、疾病が起こる。それが酷いほど、周波数のズレは大きくなるが、その波動のズレを調整すれば病気は治療できる。波動の調整も簡単であり、病んだ臓器に、その臓器の固有周波数を送り込んでやればいい。すると共鳴現象により臓器の乱れた波動は調律され、正常な固有振動に戻る。即ち、臓器は正常化し、臓器の治療は完結である。

ほな、波動がどない乱れてるのかを測定する機器や正しい周波を送る機器か必要ですわな。その為の機器も色々あるようです。
波動測定器AWG1.jpg波動治療器AWG.jpg
写真左は波動測定器AGW、下は波動治療器AGWです。AGWて?AWGとは段階的波動発生装置のことで、日米の医師や科学者が25年の歳月をかけて研究開発され、日本の 厚労省からも認可を受けている医療用具です。25年以上も前から、こんな研究をしてた方々がいてはったんですね。4半世紀前、波動医学なんて世間は勿論、医学会でも全く認められてなかったでしょうに、先見の明というか、先を見据えた研究をなさってたんですね! 脱帽。そして更に「波動医学の最新情報」を読み進めていると、びっくりするようなことが書かれていました。
失われた乳房が波動治癒器AWGで再生した奇跡を以前紹介したが、これもAWGの治癒電流の周波数が偶然、乳房の固有周波数と同調したため、切断された跡に乳房の芽が芽生え、それが次第に成長していったのである。その乳房は現在、若い女性のそれと同じにまで成長しているという。それはトカゲの脚の再生と同じ原理で驚く事ではない。
え、ほんまかいな!? 切断された乳房が再生!? その原理はトカゲの尻尾の再生と同じやて!? ということで、これからトカゲの尻尾の再生の原理を調べてみる事に致します。

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袖振れ合うも多生の縁356~妙好人(真宗の篤信者で最上至高の人)と言われた下駄職人の浅原才市さんについて~

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今回は、妙好人浅原才市(あさはらさいち)さんについてです。才市さんを書きたいと思った訳は、先日「風の集い」に参加したのですが、その時の集いについて、町田宗鳳師が、ブログで下記のようなことをお書きになっていたからです。

大阪の「風の集い」の懇親会で常連のお三方から、ユニークな「ありがとう禅」の実践方法を教えて頂きました。Aさんは毎朝四時半に起きて、近くの河岸で一時間あまりの「ありがとうウォーキング」を三年も続けておられます。大きな声を出すことがポイントらしく、体調も良く、心境も澄んできたそうです。Bさんは毎日のように近くのカラオケルームを500円(ドリンク付き)で貸し切り、大きな声で「ありがとう」と四句誓願を唱えているそうです。部屋を散らかすこともないので、店員さんに好感を持たれ、いつも大きな部屋を提供してもらえるようになったとのことです。Cさんは早朝から近くの公園の除草や掃除を毎日続けておられます。30年ぐらい継続する覚悟だそうですが、冬の寒い時期など大変なはずです。「継続は力なり」を実践しておられる三奇人は、まさに三貴人であり、私自身が大いに励まされます。ぜひ皆さんも、オリジナル「ありがとう禅」を編み出し、実践継続してみて下さい。浄土真宗の方で「妙好人(みょうこうにん)」というふうに呼ばれていた人たちがいるんですが、まあ大抵は学歴もなくて、地方の漁村や農村で目立たないでコツコツ働いていた、そういう市井(しせい)の人なんです。常にお坊さんの説法を聞いて、中には文字も読めない人もいましたからね。念仏の力を本当に信じて「ナムアミダブツナムアミダブツ」と日々に称えていた中で、非常に深い心境に入っていかれた方を妙好人と言うんです。

そして又、NHKのインタビュー「法然を語る」では・・・

町田: 妙好人と言われる浅原才市(あさはらさいち 1850-1932)は、島根県におられた下駄職人だったようです。この人のことをかって禅学者である鈴木大拙(すずきだいせつ)が大変注目しまして、『日本的霊性』という英語の本に、才市さんのことを紹介されて一躍世界に有名になったわけです。彼は下駄職人として常に鉋(かんな)で下駄を削って、その鉋屑に矢立で墨で自分の境地を書かれていたんですが、後になってそれは大学ノートに鉛筆で書き留めるようになって、それが膨大なノートとして残っているんです。そこから一つの詩を引用してみたいと思います。う。

“なむ仏はさいち(才市)が仏でさいちなり
さいちがさとりを開くなむぶつ
これをもろ(貰う)たがなむあみだぶつ

わしのこころは、あなたのこころ
あなたごころが、わたしのこころ
わしになるのが、あなたのこころ

わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつ

才市どこが、浄土かい
ここが浄土の、なむあみだぶつ

(鈴木大拙『日本的霊性』所収「妙好人・浅原才市」から一部抜粋)”
日本的霊性2.jpg
町田: 素晴らしいですね。これは一介(いっかい)の市井の人が、ここまで深い境地に入ったというのは驚きですよ。「なむ仏はさいち(才市)が仏でさいちなり」と。ナムアミダブツを称えているうちに才市が仏になり、仏が才市になってしまう、ということですね。自分は本当に煩悩だらけの凡夫だけども、それが「ナムアミダブツ」と称えていくうちに、悟りを開いていく、と言っているんですね。「これをもろ(貰う)たがなむあみだぶつ」お念仏を自分は頂いている。阿弥陀様から直接頂いている。それを称えているうちに「わしのこころは、あなたのこころ」阿弥陀の心になっちゃって、「あなたごころが、わたしのこころ」あなたの心が私の心になっていく。これはなかなか言えないことですね。神仏と自分が一体になったところでしょう。特に神教的な世界では、神と人というのは断絶していて、そこで信仰という契約によって、やっと神と人間が繋がっていく。この断絶がキリスト教的な世界、イスラム教的な世界では非常に大事で、だからこそ信仰が必要なんですけれども、ここで才市が言っているのは、神仏と自分が入り交じって、まったく一つになっている、というところですね。

“わしになるのが、あなたのこころ
わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつ”

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町田: お念仏称えているうちに阿弥陀様がズカズカと私の心に入ってくる、と言っているわけですからね。これは凄いですよ。特殊な厳しい行をした人が、仏と一体感を味わうというんじゃなしに、一日当たり前の職業を持って汗水垂らして働いていた人が―もともと下駄職人になる前は、才市は船大工で漁船を作っていたわけですけれども、若い時は随分荒(すさ)んだ生活をしておられた極道者と言われていた人なんですけれども、ある時から本当にお念仏の世界に入って、こういう境地になられたというのは驚きで、最後に「才市どこが、浄土かい」と。極楽浄土というのはどこだ、と。死んでから行くとこか、ということを自ら問い掛けているんだけども、「ここが浄土の、なむあみだぶつ」と。まさに体にもいろいろ不自由があったり、経済的にも不自由があったり、壺中日月長いところに生きている自分のこの世界が浄土であると、高らかに宣言しているわけですからね。これは深いですよ。
「幸せ」というのは、遠くに求める必要はなく、高いところにないと思うんですよ。何か梯子を上って行って、学歴を積んだり、資産を積んだりして、やっと掴まえるのが私は幸せと思わないんです。幸せというのは、きっと低いところにある。誰でも拾い上げることができる。そこにあると思うんです。それを今の才市の詩も歌い上げていると思うんです。これは才市さんの場合は、お念仏を通じてあの境地にいかれましたけれども、現代という時代に生きる我々は、なかなかそういう宗教的な世界に入り込んでいくわけにはいかない。だけどもあれと同じくらいの境地になる、そういう責任というか、自分に対する責任、使命があるように思っているんです。
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又、宗鳳師は同じインタビーで「十牛図」について、「悟り」を象徴する「牛」を探し求めるのは、念仏とか瞑想とか座禅など修行でなくても、それぞれが営んでいる、あるいは営んできた道(仕事や趣味)と考えても良いのじゃないか・・・と仰っておられます。私なら書くことですよね。ま、私が書くことで悟りに至ったかどうかはさておき、才市さんについて一寸だけ調べてみました。
先ず読んだのは、水上努さんの「才市」です。
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水上努さんま「才市」は才市さんの故郷など足跡を探訪するルボで、才市さんの人生のあらましを知ることが出来ました。

才市の家.jpg才市の家2.jpg
才市の仕事場3.png
次は「仏教人生大学」という一般社団法人のHPなのですが、2014年8月の「今月の法語」に才市さんの言葉が取り上げられていて、就活中、いえ終活中である(?)ワタシは心ひかれたのです。その取り上げられ論じられている言葉は、「平生に臨終すんで 葬式すんで なむあみだぶつの中におる」なのであります。この言葉味は意味が何となく想像できるぐらいでしたが、船橋昭和浄苑支坊の加藤順節師の解説されているのを読み納得でした。それをシェアさせて頂きます。

才市さんは自分が老・病・死を迎えることを知りながら、思うように成らない苦悩から解放されませんでした。才市さんの持っている知識では老・病・死の苦悩を解決は出来なかったのです。何故かと言うと釈尊は、老・病・死は縁に因って起こる、「縁起」を説かれているのです。縁に因って起こるのですから、才市さんが得ている知識では通用しません。このことを知らないまま、しかも教えを聞くとことがなければ永遠に真理を知ることは出来ません。真理に暗いことを「無明(むみょう)」と言い、教えを聞く前の才市さんは「無明の闇の中にいた」のです。しかし福岡県万行寺の住職、七里(しちり)恒順(こうじゅん)師と出遇い、七里先生の教えを繰り返し聞法することにより、才市さんは真理を求めずにはおれない求道心が芽生え、阿弥陀仏の智慧の働きによって、無明の闇が崩壊されたのです。崩壊した闇は最早阿弥陀仏の智慧の働きに抵抗出来ず「葬られる」ことになります。これを才市さんは「葬儀の葬」ととらえたと思います。そして「葬儀の儀」とは、このことに気が付かず煩悩の欲するままに生きていたことで、老・病・死の苦悩を解決出来無い愚かな有様を「私儀(私のこと)」と自覚し、これを自覚する迄の仏事と仏縁を才市さん独自の解釈として「葬儀すんで」と言われたと思います。又「臨終(りんじゅう)すんで」の臨終の「臨」を辞書では「良く見える」。「終」とは「ついに」と言う意味ですから、才市さんの言う「臨終」とは医師が告げる死亡の意味では無く、「ついに才市は聞法によって、縁起のままにしか生きることが出来ないことが、良く見えるように成った」ことが才市さんの臨終であり、このことが死後では無く、平生であるから「平生に臨終すんで、葬式すんで」と言われたと思います。そして最後の「なむあみだぶつの中におる」とは、才市さんが縁起する命に身を任せて、今命が才市さんを生きていることに感謝出来るように成ったので、今まで無明の闇の中にいた才市さんが、今度は阿弥陀仏の働きの中いる。それを「なむあみだぶつのなかにおる」と言われたと思います。私はこの言葉こそ、仏教終活の内容であると気付かされたのです才市の像2.jpg
このように船橋昭さんは仰っています。でも「臨」という字に「良く見える」という意味があると書いておられますが、ホンマやろか?私は知りませんでしたので、手持ちの漢和辞典で調べてみますと・・・ありました!でも「良く見える」じゃなくて、「良く見る」なのです。「臣」とは、「目を見開いて俯く姿」であり、「品(ひん)」は「浜(ひん)で、つまり「臨」は「岸辺にのぞんで下を見おろす」意を示しているそうです。小さな蟹さんを見てるんでしょうか。それは兎も角才市さんは、「縁起の儘にしか生きることが出来ないことが、良く見えるように成った」のではなくて、「縁起の儘にしか生きることが出来ないことを、良く見るように成った」のではないでしょうか。悟りに到ったのではなく、鋭意努力中なのではないかと思います。それから「臨」の字を調べていて、私が面白いと思ったのは「臨」に易の64卦の一つである「地択臨」という意味があることなのです。
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「地択臨」の卦は、<新しいことに臨む、新しい出発、運気が上昇していく希望の卦>なのだそうです。つまり「臨終」は医者が「ご臨終です」と告げるように、命の終わりに臨むことですが、命は終わりであっても、魂は永遠ですから、「臨終」希望あふれる新たな首途で、前途洋々たるものなのでしょう。このようにワタシの終活は、日々楽しく明るいもので、あの世も又楽し!であります。

















袖振れ合うも多生の縁355~「一遍聖絵」からお笑い芸人???さん主演の映画「一遍上人」まで!~

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今回も又々、二河白道図が登場です。ですが、町田宗鳳師の話ではなく、一遍上人(右下イラスト)についてなのであります。
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一遍上人は今から780年前の延応元年(1239)、伊予いよ(愛媛県松山市)の没落衰退した豪族河野家の次男として誕生しますが、10歳の時に母を亡くし、父の命を受けて天台宗の継教寺で出家し、法名随縁を名乗ります。
そして如何なる経緯からか不明ですが、13歳の時、善入という僧に連れられ太宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上にわたり、浄土宗の基礎的学問を学びます。太宰府は現在の私たちからすると西の鄙びた地のイメージですが、大宰府が置かれた筑紫の地は日本と大陸の接点に位置し、国内はもとより東アジア全体の動向を敏感に反映し、歴史上重要な役割を担っていたのです。この太宰府での体験を更に飛躍させんが為、聖達は彼に更なる浄土教の教学を学ばせようと、肥前国清水の華台のもとへ派遣し、華台は彼の法名を智真と改めさせたのです。

出家した最初の継教寺は天台でしたから、善入の計らいかせなければ、彼は遊行上人となっていなかったかもしれませんね。

こうして、浄土教学に邁進し続ける智真でしたが、弘長3年(1293年)、25歳の時に父の死をきっかけに還俗して伊予に帰ります。伊予での生活は、半僧半俗、つまり僧侶として勤行などはするけれども、日常生活は家族と共に過ごすというような暮らしをされていたようです。このような生活を8年続けたものの、一族の所領争いなど親族間のいざこざで、智真が何者かに襲われるわれるという事件が起き、この事件をきっかけに一念発起、32歳で再出家して故郷伊予を旅立つのです。
そして、最初に訪れたのは、信州(長野県長野市)の善光寺でした。
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「二河白道図」の意味は前回書きましたので省略致しますが、一遍上人は善光寺に参籠し、拝観した「二河白道図」にいたく感銘し、自ら模写しご自身の本尊となされたのです。そして、白い一筋の狭き道を往く人々と共に極楽浄土へ歩むことを堅く決意されたのです。
処で、先日と言っても半年ほど前になりますが、「二河白道図」を私は見たのであります。一遍上人がご本尊とされていた自筆の模写ではないのですが、京都国立博物館の特別展、時宗二祖上人700年御遠忌記念『国宝一遍聖絵と時宗の名宝』で鎌倉時代の作(重要文化財 島根・萬福寺蔵。写真下)をつぶさにとっくりと鑑賞させて頂きました。
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因みに時宗二祖とは、真教上人(しんきょうしょうにん 1237~1319 写真上)のことで、真教上人は、時宗を開かれた一遍上人が寺院を持たず全国各地を遊行し布教された後を受け、寺院を設け時宗を教団として大きく発展させた方なのです。
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京博の特別展は、重文「二河白道図」はじめ、奇石がそびえる伊予での修行図や熊野権現より神託を授かりし図、又上人臨終之図など一遍上人の生涯を描いた国宝『一遍聖絵(全12巻)』等、結構見応えがあり、時の過ぎゆくのを忘れて見入ったのであります。          
          <伊予で奇石によじ登っての修行図> 
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          <熊野権現より神託を授かりし図>
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             <那智の滝での修行>
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             <京は四條釈迦堂之図>
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              <踊らば踊れ図>
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              <一遍臨終之図>
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処で、時宗とは臨命終時宗、平生を常に命の終わりに臨む時(臨終の時)と心得る宗旨で、一遍上人を宗祖とし浄土宗から派生したものです。
一遍上人は貴族や高位の方々ではなく、貧しい農民や漁民たちに、虐げられた被差別民や癩者などにも念仏の意義を説き、寝食を共にし各地を遊行したことで知られています。ですから、上人崩御の場では、堰を切ったように貧民も癩者も一遍の亡骸のもとに押し寄せ歎き悲しみ、彼の後を追い入水自殺をするものまで現れたとか。彼らは上人と完全に結ばれ一心同体と信じ、死によって分かたれることなど考えられなかったのでしょう。これが仏教でいう真の結縁(けちえん)、「み仏と貧者の縁」なのです。
処で、救済される貧民が仏画に描かれていることはあったかもしれませんが、この臨終之図だけでなく、聖人と貧民が対等に描かれていることが、『一遍聖絵』や『一遍上人縁起絵』の特徴で、貧民が存在感をもって生き生きと描かれていますよね。

一遍の布教スタイルは日本各地を遊行(ゆぎょう。教えを説きながら歩く事)し、鉢や太鼓など楽器を打ち鳴らし阿弥陀仏の名号を、「南無阿弥陀仏」を唱え、賦算(ふさん。念仏札を配る事。下写真は左から一遍上人・真教上人・一鎮上人・託何上人・太空上人筆の賦算)するという行動様式です。
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このような布教スタイルは、京都国立博物館近くの六波羅蜜寺に保管されている、口から六体の阿弥陀仏が出ている《空也上人像》で知られている空也上人が元祖で、「空也上人はわが先達なり」と一遍上人は仰っておられます。ですから、この特別展の展示物冒頭に《空也上人像》が展示されていて、強烈なインパクトを放っていました!
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いゃあ、この立像、ほんまに強烈なインパクトがあり、暫し見惚れてしまいましたわ。

さて、空也上人について調べていると、『京都トリビア×Trivia in Kyoto』にこんな興味ある一文が・・・

空也上人が説いた念仏は民衆の間に広がり、多くの信者を集めるようになったのです。しかし、これを脅威に思った鎌倉幕府に、念仏は弾圧されることとなるのです。念仏を唱えるだけで、捕らえられてしまうために、唱えていることをわからないようにするにはどうすれば良いかと考えた空也上人は、普通に念仏を唱えるのではなく、踊り歩きながら鐘を叩いて念仏を唱えることを思いつきました。それが後に有名となる「空也踊躍念仏(くうやゆやくねんぶつ)」、いわゆる“踊念仏(おどりねんぶつ)”です。
「踊る」とあるので、飛び跳ねるように体を動かすように思われるかもしれませんが、そうではなく、一歩一歩、踏みしめるようにズシズシと地面を強く踏み歩きながら、念仏を唱えるやり方です。しかも、普通に「南無阿弥陀仏」と唱えるのではなく、念仏を“モウダ・ナンマイト”という隠語にして、わかりにくく唱えます。また、念仏というものは、普通は一度唱え出すと途中で止めてはいけないものなのだそうですが、踊念仏の最中に、万が一見つかることもあることを考えて、すぐに念仏を終わらせることができるような念仏になっていたのです。

こんな一文が記述されていたのです。<飛び跳ねるのではなく、ずしずしと地面を踏み歩く>や<念仏を隠語にして>など、ホンマなのでしょうか!? という訳で、Wikipediaにて「空也」を検索してみますと・・・

空也は平安時代中期の僧。阿弥陀聖、市聖、市上人と称される。口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者と評価される。空也流の念仏勧進聖は鎌倉仏教の浄土信仰を醸成したとされる。 踊り念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれるが、史実を推定するに足る一次史料は少なく、空也自身
がいわゆる踊念仏を修したという確証はない。

『京都トリビア×Trivia in Kyoto』の上記記述は、どの資料に準拠されたものなのか、知りたいものです。

あ、そうそう、余談かも知れませんが、現在もお盆に行われる盆踊りはこの踊り念仏が元となっているとか。ご存じでしたか? ワタシは知りませんでした。
でも、いつの頃から踊るだけになり、阿弥陀様の名号を称えなくなったのでしょうか・・・誰かご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると有り難いです。それから、下の写真は盆踊りではありません。一遍上人の遺徳ならびに偉業を顕彰する為、一遍の故郷伊予に創設された<一遍会>なる一遍研究会のパフォーマンス法要なのです。
一遍会.jpg
踊り且つ念仏を高唱するみなさんの脳裏は、念声一致で阿弥陀如来様が来迎され極楽浄土が浮かびあがっているのでしょうか。

話は一遍、いや一変し、映画の話題なんですが、あ、「一遍上人」の映画の話やから一変してないですね。
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チラシをご覧になって、一一遍上人を演ずる主演俳優さんは誰か、おわかりでしょうか? なな何と、キャイーンのウド鈴木さんなんですよ!
ウド鈴木 一遍上人1.jpg
ウド鈴木 一遍上人2.jpg
映画com.の解説をシェアさせて頂きます。

お笑いコンビ「キャイ~ン」のウド鈴木が映画初主演を果たし、鎌倉時代に各地で「踊り念仏」を行った時宗の開祖・一遍上人の姿を描くドラマ。監督は、「斜陽」「蜘蛛の糸」など文芸作品の映画化を多数手がけてきた秋原北胤(正俊)。「仏との結縁」を万人に説くため遊行を始めた一遍(ウド鈴木)は、妻や娘らとともに旅に出る。その途中に立ち寄ったとある武家屋敷で念仏を唱えていると、妻の超一(宮下今日子)が突然踊り始め、これをきっかけに一遍は「踊り念仏」を始める。鎌倉を目指して旅を続ける一遍はさまざまな人との出会いを果たしていくが……。

この映画は2012年製作でとっくの昔に公開されているのですが、ワタシは製作されたことしら知りませんでしたから、当然見ていないのですが、監督さんの発言されているのを読んでみますと、一遍上人と共に日本各地を渡り歩き、踊り念仏に狂う時衆をやって頂く大勢のエキストラさん達と村から町へ町から村へ、延々と続く撮影の旅をやりたいので、主演はとにかく旅の大好きな人をということでウドさんに白羽の矢を立てたとか。実際、ウドさんはエキストラさんたちと和気藹々、家族同然の旅を続けられたそうです。ですから、多分エネルギーあふれる踊り念仏のシーンが撮れているんじゃないでしょうか。是非見てみたい!と思っています。
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今回のブログの旅、結構長くなってきましたので、この辺で。ではでは。


袖振れ合うも多生の縁354~悟るということは、ただの人になることなのです!~

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唐突ですが、この絵は浄土教の教えを説く「二河白道図(にがびゃくどうず)」です。どのような教えなのか、PCのコトバンコクを検索してみますと・・・
<浄土教で阿弥陀仏の救いを説く比喩。火の河と水の河を人の貪欲と怒りにたとえ、この間にある白い道が極楽に通じる道で、往生を願う信心にたとえる>
と説明されていました。極楽往生を願う浄らかな信仰心を白い道に例えているのですね。ま、何となく分かるのですが、私は前回のブログで書かせて頂いた<風のつどい>の町田宗鳳師が、以前放映されたNHKの「心の時代 法然を語る」で仰っていたことの方がストンと納得出来たので、それを紹介させて貰いますが、このような訳で、今回も町田宗鳳師の話なのであります。
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さて、「こころの時代 法然を語る」の最終回「日々新た」、師はこのように仰っています。

浄土教の方に「二河白道(にがびゃくどう)」という非常に分かり易いたとえ話があって、一方には水の河があり、一方には炎の河があり、その中に一本の白い細い道が通って仏の世界に行くというお話なんです。私たちは劣等感という水の河、優越感という炎の河(火の河)、その両方に落ち得ることなく、本当に自分の進むべき道を真っ直ぐ進んでいく。それによってやっと彼岸に達する。彼岸に達するというのは、「ただの人になる」ということです。

師は又、「あなたを救う法然のことば」という著書で、このように書かれています。
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仏教には、「増上慢(ぞうじょうまん)」「卑下慢(ひげまん)」という2種類の慢心があると教えられています。前者は、自分が他人よりも偉いと思い込むことであり、後者は自分が他人よりも劣っていると思い込むことです。二つとも、エゴにこだわる者が陥る心の奢りなのです。

そうか、思い上がったり、へりくだり過ぎんと、ただの人になったらえゝえんや・・・そやけど、ただの人になるって、簡単なようで難しく、難しいようで簡単かも・・・。処で、師は同番組の5回目「念仏とは何か」で、西田幾多郎(写真下)の哲学概念のひとつについて述べておられます。
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「逆対応」、それはどういうことかと言えば、人間が小さければ小さいほど、エゴが小さくなればなるほど神の力が大きく現れてくるという。自分を小さくすればするほど、神の救いが大きく現れてくる、というのを、西田幾多郎は禅の実践者でしたから、禅の世界で言えば、自分が無になった時に、仏法というものは如実に現れてくる、と。そういう体験から彼が生み出した言葉だと思うんです。

成る程、この逆対応という仏法の真実をご理解されてない宗教者って結構多いですよね。ワタシの実家の旦那寺のお住持さんなんかも法事の時の説教が上から目線で、聴いててホンマしんどかったですわ。いやいや、お住持さんの悪口やなしに、他山の石とせなあきませんわな。

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そやけど、西田幾多郎さんて凄いですね。切手になってるし、漫画にも描かれてるんですね。よーし、漫画から西田哲学に入門してみるか・・・。

袖振れ合うも多生の縁353~50年来の朋を誘い、町田宗鳳師の『風の集い』で「ありがとう禅」に参禅してきました!~

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先週の土曜日、友人K君と『風のつどい』の「ありがとう禅」に参禅してきました。と言っても、御殿場にあるありがとう寺(写真上)ではなく、茨木市の茨木神社で開かれた集いなのですが。
この集いは、富士山麓の「ありがとう寺」なる無宗派寺院のご住職で、比較宗教学の学者さんで、日米の大学教授(現在はリタイアされ名誉教授)で、何十冊もの著書を上梓されている著述家で、尚かつ禅宗のお坊様で天台宗の大阿闍梨でもあられる町田宗鳳師が主催されているのです。
大体宗教的会合は、出来るだけ大勢の人たちを集め組織化しょうとするものが多いのですが、この「風の集い」は名前が示してるように、風の如く来て風の如く去るのが趣旨で、予約も住所氏名の登録も必要なしなのです。こんな会は珍しく、風来坊的なワタシにぴったしやと思てます。

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さて、左の写真はありがとう寺で瞑想修行に励むメエメエさんです。

お前、何言うてんねん、山羊がそないなことする訳ないやろ!?

いや、「風の集い」は最初に宗鳳師の法話と質疑応答があるのですが、その時の話をご披露します。

「うちの寺に来た山羊のめいちゃんは寝てる時以外、いつも黙々と口を動かし美味しそうに草を反芻してますが、これはまさに<食べる瞑想>だと思う。」

と宗鳳師はこう仰ったのです。
又、師はブログにこのように書かれておられます。

朝、護摩堂で木魚を打ちながら読経していると、「めいちゃん」がガラス越しに私の顔を見つめています。その光景を見ていると、人殺しをして平気な人間もいるのに、むしろヤギに仏性があるのではないかと思えてきます。禅の有名な公案に、「狗子(子犬)に仏性有りや無しや」というのがありますが、正解は「ヤギに仏性あり」でした。

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しかし、臨済宗妙心寺派福聚寺のご住職で芥川賞作家の玄侑宗久さんは・・・

「わが寺の愛犬(写真上)を見ていると、禅宗の坊さんよりずっと禅的な生き方をしてると思う。食べるものも毎日同じドッグフードなのに、いつも今日初めて食べるかのように新鮮な感覚で食べているし、散歩も毎日同じコースなのに日々是新た、初めての道のように喜んで歩いてるのを見ると、感動すら覚える。」

と何かの本に書かれていました。

ですから犬にも仏性はあるのでしょうね。いえ、生きとし生けるものすべて、仏性を持って生まれついている・・・ワタシはそう思うのであります。
さて、法話と質疑応答が終わると、休憩をはさんでいよいよ「ありがとう禅」ですが、その模様は以前、確か今年3月頃書きましたので割愛させて頂き、今回ワタシに起こった現象を書いておきます。
それは、参禅しておられる皆さんの声がF・Oし、やがて消えてしまい、その後自分の声も聞こえなくなってしまったのです! これってワタシの耳の錯覚なのか、それとも老化による難聴なのでしょうか・・・?
このことを禅が終わり、各人が感想を述べる時に申しますと、宗鳳師は、無音マイクのしくみと同じことが起こったのでしょう。と仰ったので、帰宅後一寸調べてみました。
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上の図は、無音マイクのノイズキャンセリングの仕組みを表したものですが、音は音波ですから、この音波に対して形がそのまま正反対の音波(逆位相という)をぶつけると、2つの音波は打ち消しあって消滅するのです。プラス1とマイナス1を足すとゼロになるようなもので、騒音の音波に対して、逆位相の音波を重ね合わせることで、騒音の音波を消してしまい、騒音を拾わないマイクになるというわけだそうです。
つまり皆さんの声の音波に対して、ワタシが逆位相の音波を出していたということなのです。このような現象は、私は毎朝大払えの祝詞を称える時、心に染みいるようでお気に入りであるクリスタルボウルの演奏CDをかけているのですが、CDから流れてくるクリスタルボウルのサウンドが消えてしまうことがあったので、これも同じ原理なのだ!と納得した次第です。(しかし、この現象と逆の共鳴が起きる時もあり、ワタシの声とクリスタルボウルの響きが共鳴・増幅し、快い波動に包まれることもあるのです)
クリスタルボウル3.jpg
酒井知里さん2.jpgさて、私を癒してくれるクリスタルボウルは、ありがとう禅でも使われています。
クリスタルボウル演奏家の酒井知里さん(写真右)が要所々々で奏でて下さっているのですが、ありがとう禅の締め括りとして、師が菩薩を褒め称える言葉である偈(げ)というか、頌(じゅ)というか、有り難い詩句を称えて下さるのです。
私たちは黙してひたすら聴くのですが、師のおごそかにして暖かく又厳しいお声が、クリスタルボウルの神秘的な響きと相俟って、私たちはえも言えぬ荘厳な波動に包まれるのです!
この波動に包まれ、私は本当に参禅して良かったと思うのであります!

そうそう、リスタルボウル演奏家の酒井知里さんは、先日越前市で開かれた武生国際音楽祭に参加された由。この武生国際音楽祭は世界的名声のミュージシャンが集結し、超一流の演奏が奏でられたのですが、酒井さんは音楽祭の第二会場である天台宗寺院で、生け花に合わせ、サクソフォーン、笙、クリスタルボウルの三重奏にジョイントし、細川俊夫音楽監督をはじめ、多くの方々から絶賛の言葉を頂いたとか。(写真下は宗鳳師と酒井さん)
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最後に、「ありがとう禅」の根本理念を、師のHPからワタシなりにまとめさせて頂きます。

人間性の核心には真意識(魂・仏性・聖霊・インナーチャイルド)という光の塊がありますが、それを通すレンズ(潜在意識)が歪んだり、曇ったりしていれば、現実というスクリーン(潜在意識)に映し出される現象も激しく歪んでしまいます。 したがって潜在意識の歪みを是正し、それを磨いていけば、おのずから目の前に展開する現実が、穏やかで幸福感に満ちたものに変化してきます。
「ありがとう禅」は、只ひたすら「あ~」「り~」「が~」「と~」「う~」と反復発声するだけで潜在意識の干渉がなくなり、顕在意識と真意識が直結する「精神統合」が可能となる、「声の力」によるメモリー・クリーニングなのです。

袖振れ合うも多生の縁352~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅲ)

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2018年11月末に出版された佐藤愛子さんの『冥界からの電話』は、現在もひそかなブームになっているようです。この世にとどまっている死者から電話が、又あの世から電話がかかってくるという、このノンフィクションは果たして本当なのか、それともあの世に行けない地縛霊からの電話やあの世に行った霊からの電話と称する嘘をつき続け、その虚構を真実と思う心を病む人間が為す茶番なのか、私なりに考えてみたいと思います。
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死んだひふみなる女の子から電話がかかり続けている高林先生の友人で精神科医池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に嘘つき病と言われている精神病であるひふみが、自身と兄の二役を演じているとのことですので、このケースの場合、ひふみはどんな心理であるのかを先ず考えてみましょう。

ひふみは高林先生の講演を聞き、

<感動したので教師になろうかと思っていたが、進路を変更し医師になりたいと決意した>

との手紙を書き送ってたとのことですが、赤字の部分は嘘ではないでしょうか。殆どの生徒がダサイ話・・・と白けて聞こうともしないのに、汗をかきかき懸命に話し続ける高林先生を、ひふみはちょっとカワイイじゃんと思った程度でしょうが、でも思慕の念のファーストステップだったのは間違いなく、日がたつにつれ初めの想いが膨らみ、恋する乙女の虚構を生き始めたのでしょう。そして手紙に苗字を書かず名前だけを書き、そして携帯の番号をさりげなく書き添え、繋がりを持ち続けようとしたと思われます。
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医者を志望するひふみを励ますべく高林先生は時々電話し、二人の会話の中で虚構は少しずつふくらんでいくのです。ひふみが電話で先生に話したことを要約すると・・・

<自分にはK大医学部在学中の兄がいて、親は二人も医大にやるのは学資が大変だから、自分は国公立の大学でないとやらせて貰えない。だから頑張って偏差値を上げないといけない・・・と猛勉強を始め、ぐんぐん偏差値がアップし、見事国公立の某医大に合格した>

と彼女は誇らしげに語るのです。

これって、一寸可哀相な私を頑張って超え、ステキな私になったという、よくあるパターンですよね。でも、ひふみか先生か、どちらが言い出したのかわかりませんが合格祝いに食事を・・・ということになるものの、ひふみは待ち合わせにやって来なかったのです。高林先生は、いまどきの若い子にからかわれたのかな・・・と苦笑せざるを得ませんでした。しかしこの後、虚構は爆発的に広がります。

ひふみの兄と名乗る人物から高林先生に電話がかかり、

<妹は先生との待ち合わせの日に交通事故で死亡した>

と青天の霹靂、思いもかけぬ事態が告られ、先生は驚愕するのです!
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ひふみは電話でなら、俳優が役を生きるように、医大合格の虚構を事実のように信じ込んで演じ、合格祝いの待ち合わせを約束出来たのでしょうが、電話を切ると逢って嘘をつきとおす程には精神を患っていなかったので、待ち合わせに出かけられなかったのでしょう。しかし、そのままコンタクトを断つには心残りで兄と偽り電話し、事故死した悲劇のヒロインにジャンプしたのでしょう。兄からその後も電話があり、ある夜かかってきた電話の最中、兄は気を失いひふみがとって代わったのです。

ひふみは、
<自分が死んだことは分かっているものの、この世を去り難く親の家に居着いている。そして先生とお話したいけど、兄の声を借りないと電話出来ないので、実家を離れ下宿している兄を家に呼び戻し電話させている>
と、心霊研究をしている高林先生の興味を掻き立てるのです!

しかも、ひふみは地縛霊になっているというのです!

死んだらハイそれまでと思っておられる方も多々いらっしゃるでしょうから、そんな方達には地縛霊なんて眉唾でしょうね。でも、偶然下の写真を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
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亡くなった浮浪児の地縛霊が写っていたというもので、「ボクを見捨てないで」とキャプションがついていますが、少年の身体と階段が折り重なって写り、これって信憑性大(?)かな?

話を元に戻しますと、筆者は上記のひふみの言(赤字部分)は虚構だと思うのですが、あながち嘘とは言えない状況で、それは兄の電話の声がひふみに代わる直前、

バキーンと大木の倒れるような音が響き、電話を受けている高林先生の部屋の灯りが消えたのです。先生はブレーカーが落ちたのかとチェックしたのですがそうではなく、他の部屋もご近所の灯りも消えていないのです。

部屋の電気は消えたものの、すぐ元通りに点灯し、そして何と、ひふみの声が聞こえてきたのです!

ミュンヒハウゼン症候群の人が電話先の家の灯りを消すなど、超常現象を起こす力があるとは考えられませんから、高林先生も相談にのっている佐藤愛子さんも、この超常現象故にひふみは本当に亡くなり電話してきたと思えてならなかったのです。それだけでなく、兄は先生にひふみの気持ちを語っていたのです。

以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・

好きな人がいる云々は本当だけど、兄に語ったのは虚構ですし、高林先生の名は圭吾で兄の名は圭太郎という一字が同じというのも勿論ウソで、先生と何か因縁づけたい、繋がりを持ちたいという思慕の表れでしょうね。

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それから又ある時、高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのです。
10日後にかかってきた電話でひふみは、

先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・

と話し出したのです!驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・東京ばな奈とお茶」と答え、ひふみの家は何処か知らないが、あの子は私が供えたお茶と菓子の香りを感じてくれたんだ・・・と感嘆したとか。

とても甘い、おいしいお茶でしたそれに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生は、ひふみにも兄にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのと、先生の声(読経の声か?)がして・・・というのは本当なのか、幻聴なのか分かりませんが、東京ばな奈が大好きというのはウソっぽいですね。

それから兄に代わり母親が電話してきた事もあり、これは母親ではなくひふみが母親を演じているのでしょう。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったから母親にかけさせたとひふみは言ったのですが、これはひふみが;霊媒師の漫画本を読みかじり、霊媒をすると疲労する事を知ったからなのか、それとも自分が兄を演じた後はかなり疲れると思ったからなのでしょうか。
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高林先生はひふみが母親をも霊媒として使うようになったので何とかしなければと決意し、電話のかかるのを待ち続けていました。そして待ち受けた電話がかかったので、精一杯力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く説いたのです。

わかった、わたし、行くわ。

ひふみは先生の熱意に打たれ、地縛霊を止めようと本当に思ったのでしょう。
この後、ひふみからは長らく電話がなく、先生は本当にあの世に旅立った・・・と安堵したのです。
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ですが、数ヶ月後電話がかかってきたのです。しかも兄や母親が媒介でなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!そして彼女の語るところによれば、

なんだか先生に呼ばれてるような気がしたので、電話したの

と言うのです。「呼ばれてる気がしたから電話した・・・」と言うのは自分からかけると安っぽく見られると思ってのことでしょうし、兄や母を演じないで自ら電話したのは、自分はあの世のランクが高い処に上がっているから兄や母を媒介としなくてもよい霊力を持っている・・・と考えてのことでしょうか。私がそう思う根拠は、

・・・わたしを導いてくれてるのは、見上げるように大きく、髪を長く背中に垂らして黒い舟のような形の木の靴を履いて、勾玉の首飾りをしているの

と言うひふみの言葉からです。ひふみにそう言われて高林先生は、そのお方は天照る大神ではないのか!? 彼女は霊界よりずっと上の階層である神界にいる!と興奮してしまいます。

先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの途中、電話が唐突に途切れてしまいます。根掘り葉掘り聞かれひふみは戸惑い、神界のことを用意周到に調べてなかったので答えられなくなり電話を切ってしまったのでしょう。
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神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていたのですが、数週後電話がかかってきたのです。でもひふみではなく兄からでした。自分からでなく兄を装い電話してきたのは、前回唐突に会話を打ち切ってしまった心のわだかまりなのでしょうか? それは兎も角先生は、

「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」

そう意気込んで言ったものの、良い歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、エクスキューズを口にしたのです。

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だから彼女からの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来ました。兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし先生とお話しするのが楽しかったから・・・楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・

この彼女の述懐は本音ですね。

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、

これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!?

高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大の知人に調べて貰うと、そんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまう有様でした。それやこれやを考えると、高林先生も愛子先生も、ひふみは矢張りミュンヒハウゼン症候群だったのではないか・・・と悔しいけれど、残念だけど、そう思えてしまうのです・・・。

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その後、ひふみから電話がかかってくるとはなかったのですが、兄から電話があり、その際高林先生は、キミはK大に在籍していないじゃないか!?と問いつめたのです。すると兄はしれっと中退したんですと・・・そんな態度に些か腹が立ち、退学したことをご両親はご存じなのか!と詰問すると、ぶすっと無断で・・・との返答。親の心子知らずとはこのことだ!と些かならず立腹し、勝手気儘も程々にしなさい!と怒鳴りつけてしまったそうです。それで電話が切れたのですが、ひと月近く経った頃兄から電話があり、今迄と違い真面目に礼儀正しく謝ったとか。

先生のようにあんなに一生懸命怒ってくれる人は、今まで一人もいませんでした。生まれ初めて怒られました。親父からあんなふうに怒られたことはありません・・・

と涙声になり絶句したそうです。この謝罪は嘘でなく、真摯なものでしょう。

尤も兄であるというのは虚構でしょうから、ひふみの本当の心情でしょう。高林先生は今ならまだ復学可能だよとやり直しを勧めたのですが、

ぼくは・・・もう後戻りできません。進むしかないんで・・・このまま進みます。

と涙ながら決意を語ったとか。これも兄の言葉ではないから復学するしないの問題ではなく、高林先生にすべてを明らかにすることなく、このまま進む、先生とさよならする、でも嘘つきは止めます・・・というひふみの告白だと私には思えるのです。これ以後、兄からは勿論ひふみからも連絡は無いそうです。

此処まで結構長くなってきましたが、最後に、私にはこの「冥界からの電話」が、ミュンヒハウゼン症候群という心を些か病んだ女の子の演じた虚構に過ぎないとは思えないのです。然らば何なのかというと、

『高林圭吾よ、審神者(サニワ)たれとの神意に依る虚実皮膜なる疑似体験及びミュンヒハウゼン症候群治癒、癒しへの歩みである』

と推論したいのです。つまり、舟木ひふみちゃんは高林先生がサニワになる為に遣わされ、先生はサニワの道を歩み始め、ひとみは虚言症から癒されるという、すべてのことには意味があるという精神世界のスピリチュアルな事例ではないでしょうか。

え、そんな推測、ワンちゃんも笑ろてるがな。そらどうも、スイマセン。

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あ、そうそう、佐藤愛子さんは締めくくりに「チベット死者の書」の一文を書かれています。

死ぬことを学ぶことによって
汝は生きることを学ぶだろう。
死ぬことを学ばなかったものは
生きることを何も学ばずに死ぬことになるだろう。

これって深~い意味がありますよね。現在日本は平均寿命が益々のびているものの、<生きること>のみを想い、<死ぬこと>に想いを馳せていません。ワタシは佐藤愛子さんの「冥界からの電話」を読みブログを書くにあたって、<死>について少しは考えさせられました。ではでは、長々とお疲れ様でした、ハイ。


袖振れ合うも多生の縁351~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅱ)

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前回に引き続き、佐藤愛子さんの『冥界からの電話』です。著書の帯にありますように、信じるも信じないもあなたの自由です。
さて、前回は死んだひふみという女の子の霊が、高林先生という霊魂の研究者にして医師の説得で、この世に別れをつげあの世に旅立ったところ迄でした。彼女の霊魂は無事あの世に行き着けたのか、ひふみから電話がなく、高林先生は、「やっぱり本当に行ったんですなあ・・・何も言ってきません」と佐藤愛子さんに述懐し、安堵しているけれど一抹の寂しさを隠せないようでした。
しかし数ヶ月後、電話がかかってきたのです。しかもお兄ちゃんを媒介にしてではなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!

そして彼女の語るところによれば、先生に呼ばれてる気がしたので電話したと言うのです。そう言われてみると、ひふみちゃんどうしてるかな・・・と高林先生はぼんやり思っていたような気もするのです。彼女は地上にいる人の気持ちに呼応出来るようになっている・・・と些か感心したのですが、そんなことよりもっと感心した、いえ感嘆した、いえ感動したのは彼女が霊界より上の階層である神界にいるようなのです!

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高林先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの最中、電話が唐突に途切れてしまいました。根掘り葉掘り聞かれてひふみは戸惑い、交信を打ち切ってしまったのでしょうか。

神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていました。数週後かかってたのですがひふみではなく、兄からでした。
「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」
そう意気込んで言い、いい歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だからひふみちゃんからの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来たのです。
兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

「先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし、先生とお話しするのが楽しかったから・・・生きてた時も、死んでからも、先生とお喋りするのが、大好きだった・・・先生と喋ってると、やっぱり昔生きてた頃のことが思い出されて楽しいの、楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・」

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、
「これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。
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そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。
あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!? 高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大問い合わせるとそんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまうのでした。
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これはもしや、嘘???と訝った高林先生は、友人で精神科医の池上先生に相談したのです。すると池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に言う<嘘つき病><法螺吹き男爵病>を患う人物の仕業の可能性大だと言うのです!? ミュンヒハウゼン症候群とは、法螺話が面白く法螺吹き男爵として読み物にもなっているミュンヒハウゼン男爵の名をとった心の病いで、自分が吐いた嘘が本当のように思えて、虚構を現実として生きる精神病なのです。
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しかも池上先生は、「女一人の仕業だ。ひふみと名乗る女が兄との二役を演じているんだろう。」と推測するのです。

「一切合切嘘、すべて、全部、何から何まで嘘だったというのか!? そんな、そんな、ひふみちゃんがそんなことを!? 私がひふみちゃんの為に東京ばな奈を供えたのをあの子は言い当てたじゃないか! お芝居でそんなこと出来る筈がない!」

高林先生は納得出来ませんでした。佐藤愛子先生と繰り返し何度も話し合いましたが、どうにも真相を推し量ることがでないのです。そんな訳で愛子先生は、『冥界よりの電話』を書き上梓し、広く意見を求めておられるようです。
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ほら、著書の装幀は、この写真では分かりにくいですが、渦巻き模様になっていて、疑惑が渦を巻いていることを表そうとしているのです。ですから、次回は私なりにこの騒動を分析してみたいと思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁350~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?

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「これで最後。書かずにいられなかった」と仰る95歳の現役作家佐藤愛子さんの『冥界からの電話』(新潮社)を一気飲み、いえ超スピードで読破してしました! スピリチュアル人間のワタシには興味津々、但し4章迄で、最後の5章はどんでん返しというか、えーってな感じではぐらかされたというか、うーむ、そうか・・・総て記述は事実、内容にはいささかの虚構も誇張もありませんと筆者が冒頭に書かれているのですから、この終末もしゃあないわなぁと思った次第であります。こんなことをいきなり書いても、このブログを今読んでる方には何のこっちゃようわかりませんわな。そやからぼちぼち分かるように書き進めて参ります。この本は佐藤愛子さんが友人の高林医師(仮名)からお聞きになった、死んだ人から電話がかかってくるという摩訶不思議な体験談です。


処で、佐藤愛子さんは40数年前にアイヌの人々の霊地ともいうべき大事な北海道浦河町の大地を切り崩し山荘を建てた為、その山荘で数々の超常現象に悩まされた経験があり、それ迄は神も仏もあるもんかと思っておられたそうですが、人知の及ばぬ霊的な神仏の世界に目を開かされたとか。
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『冥界からの電話』の主人公高林医師は、心霊現象に関する科学的研究を目的に設立された日本心霊科学協会の会員で、心霊現象に造詣深く、心霊を盲目的に信じるのではなく科学的に研究しておられたので、山荘の超常現象に苦しんでいた愛子先生の相談に乗り、長年にわたり支えて下さったのです。ですから愛子先生は、死者からの電話という話を打ち明けられた時、それを信じて相談相手となり、その顛末を綿密に書き綴り、『冥界からの電話』を上梓されたのです。

さて、ことの発端は高林先生が教育委員会に頼まれ高校生達に、自分が医師を志した動機について講演から始まります。
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唐突に、宮沢賢治さんの写真と賢治の詩「この夜半おどろきさめ」が出てきましたが、高林医師は17才の時、この詩に出逢い感動して医者になろうとしたのです。


この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
ああまたあの児が咳しては泣き
また咳しては泣いて居ります
その母のしづかに教えなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます

あの室(へや)は寒い筈でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくぐり
昭和三年の十二月
私があおの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私のこの日照る広いじぶんらの室を与へ
自分らはその暗い
私の四月病んだ室へ入って行ったのです

そしてその二月
あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡そ(およそ)倒れたり落ちたり
そんなことで泣きませんでした

私が去年から病やうやく癒え(いえ)
朝顔作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾(つぼみ)ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたたび東京で病み
向ふで骨になろうと覚悟してゐましたが
こたびも父母の情け(なさけ)に帰って来れば
この子は門に立って笑って迎へ
また階子(はしご)から
お久しぶりでごあんすと
声をたえだえ叫びました

ああいま熱とあへぎのために
心をととのへるすべをしらず
それでもいつかの晩は
わがないもやと云って
ねむってゐましたが
今度はただただ咳き泣くばかりでございます

ああ大梵天王
こよひはしたなくもこころみだれて
あなたに訴え参ります
あの子は三つでございますが
直立して合掌し
法華の首題も唱えました
如何なる前世の非にもあれ
ただかの病かの痛苦をば
私にうつし賜わらんこと

(法華の首題とは「南無妙法蓮華経」のこと)

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         梵天(ぼんてん)は仏教の守護神である一柱


高林先生は、聴衆の高校生と同じ年頃、この詩に強く心を動かされたことを熱っぽく語ったのですが、今時の高校生はしらーっとしていて講演は大失敗だった・・・と失意の内に講演後の日々を過ごしていたのですが、一通の手紙が届いたのです! 高林医師の話を聞いて感動し、国語の教師になろうと思っていたが、進路を変え医師を目指すことにしたという内容でした。

そしてこれをきっかけに、ひふみという名の少女と高林医師はときおり電話で話すようになるのです。ひふみは猛勉強の甲斐あって、医学部に合格し、入学祝いの為に二人は初めて会うことになるのですが、当日高林医師がいくら待っても待ち合わせの場所に彼女は現れず、後日兄と名乗る人物から電話があり、彼女が交通事故で亡くなったと知らされます。

ひふみの兄からその後も電話がかかり、「私はK大医学部に在籍中で下宿していて、殆ど実家に帰っていなかったのですが、今はどういうわけか家に帰りたくなり、帰宅すると何故か先生に電話してしまうのです・・・」と兄はひふみの死後の心境変化を訝っていました。そして三度目の電話の最中、突然バチッと木の裂けるような鋭い音がし部屋の照明が消え、兄の声が途絶えたかと思うと、「先生・・・ひふみです・・・」と耳に馴染んでいたあの声が、ひふみの声が聞こえて来たのです! その後も度々兄から電話があると必ず、兄に憑依したようにひふみが喋り出すのです。」
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ある時高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのですが、10日後にかかってきた電話でひふみは、「先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・」と話し出したのです!

驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・お茶とお菓子」と答えた儘、暫く何も言えなかったそうです。

「とても甘い、おいしいお茶でした。それに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生はひふみには勿論、ひふみの兄にも誰にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのです!

「何なんでしょうな、これは・・・ こんなことってあるんですかねぇ!? 兄の声に取って代わるのは他の誰でもない。あの物の言い方はひふみちゃんが生きてる時と全く同じです。」高林先生は、何度も何度も愛子先生にそう言い続けるのでした。


ここで、兄とひふみからの電話で分かったことを纏めますと・・・

〇ひふみは自分が死んでいるのを自覚していること。

〇ひふみは両親の家にいて兄を呼び寄せ、兄の身体を借りないと先生に電話出来ないこと。

〇希望した大学に合格出来、医学の道に歩み出そうという矢先、前途が突然断たれた無念さにひふみが凝り固まっている気配はないこと。

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そうであるなら、ひふみのこの世への執着は高林先生への思慕が原因・・・と愛子先生は考えずにいられませんでした。高林先生は、「それ程の執着に捕らわれるような関係ではない。僕はむこうの顔も知らないし、向こうだって夜更けまでの受験勉強の気晴らし程度の気持ちで電話をかけていたのだろうから。そんな執着されるようなことは何もしていないですよ。」と力説されるのです。しかし佐藤先生には、兄が言った言葉、「以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。お兄ちゃん、わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・」が大きな意味を持つように思えるのです。高林先生の名は圭吾、兄の名は圭太郎で、単なる偶然でも恋する乙女にとっては何かの因縁のように思えてしまう筈。だから深い恋愛感情ではなかったとしても、高林先生はひふみが初めて思慕した異性で、ひふみの霊がこの世に留まり続け地縛霊であり続けては、高林先生の身にどんなことが起こるかも知れないし、それではひふみの魂も浮かばれないから、彼女の霊魂をあの世に送ってやらば・・・そうするのは高林先生の役目、高林先生は審神者(サニワ)になるべきだと愛子先生は思うのです。

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        審神者(サニワ)の元祖武内宿禰(たけうちのすくね)

審神者(サニワ)とは、神功皇后の新羅遠征の時、皇后に降りた神のお告げの真偽をただした武内宿禰が始まりとされていて、本来は神のお告げを承る人でしたが、いつの頃からか浮遊霊や地縛霊などを説得し霊界に送る役目をするようになっているのです。高林先生の父親も神仏習合である御岳教の主宰者で、審神者の役目もなさっており、息子にも審神者たれとと促していたのですが、高林先生は医師という仕事への拘りからか尻込みしていたのです。
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               御岳教大和本宮


それからもひふみから数回電話があり、高林先生はそれなりに楽しく彼女とお喋りをしてしまっていたのですが、兄に代わって母親が電話してきたのです。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったからなのです。それを知った高林先生は、心霊を勉強した者としては何とかしなければ・・・と精一杯意志の力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く激しく説いたのです。

「わかった、わたし、行くわ。」

かくして、ひふみの霊魂は霊界へと旅立っていったのです。
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『冥界からの電話』は、これにて一件落着ですかいな?

いやいや、まだ続くんですが長うなりましたから、お後は次回ということで。

ではでは。

袖振れ合うも多生の縁349~68年前の9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ占領は終わった筈なのに・・・!~

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この平和条約の写真は仏・フィガロ紙のものですが、上部に書かれているキャプションが凄いですよね。でも、今から68年前の9月8日、私は9才でしたから殆ど覚えていないものの、独立を勝ち取れなかったなんて認識は全くなく、日本に真の平和が訪れたという、希望の光が満ち溢れるような明るい世相だったのではないでしょうか。下は1951年9月8日講和条約調印の報道と翌52年4月28日同条約発効の報道記事ですが、「主権は完全回復」「晴れて独立を迎う」との見出しが躍っているようです。
講和条約調印の報道1.jpg
講和条約発効の報道1.jpg
でもしかし、講和条約の条文をよく読んでみると、日本は独立国ではなく、アメリカの属国になっているのです。え、ほんまかいな???
因みにサンフランシスコ講和条約の第1条(a)項は・・・

第一条(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

しかし第6条(a)項は・・・

第六条(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

90日以内に撤退せなアカンと一応決めてるけど、国同士お互いがえゝ言うのやったらかまへんと但し書きれてますわな。「この条項を入れな、占領は終わらへんぞ!」て脅されたら、当時の日本はゼッタイ反対出来へんですよね。そやからアメリカさんの意向で、日本全土北から南まで、何処にでもアメリカ軍が駐屯OKやなんて、こらアメリカが日本を属国にすることやんか。それが今でも続いてるっちゅう訳ですね。なんでこんな屈辱的な講和条約を結ばなアカンかったかは、「株式会社化する日本」での内田樹さんの言によりますと、歴史的に見てもここまで負けた
国はないくらいの酷い敗戦だったからだとか。

1942年のミッドウェー海戦で敗れた時点でか、遅くとも43年に絶対国防圏が敗れた時点で講和していれば、310万人の戦死者を出さずに済んだし、東京や大阪の大空襲も原爆投下もなかった。早めに講和していれば、日本人が自分たちの力で戦争責任を追及することも出来たし、自力で改憲し政治形態を刷新することもできた。

と、内田樹さんは同書で仰っています。ふむふむ、ほな、第2次大戦時に連合国と戦った枢軸国、ドイツやイタリアはどうだったのか?
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ご覧の写真は映画「ワルキューレ作戦」の1コマですが、ヴァルキューレ作戦とは国内予備軍の結集と動員に関する命令で、このヴァルキューレ作戦をヒトラー暗殺及びその後のクーデターに利用できると踏んだ反ヒトラー派は、ナチ党の政策への反対や連合国との和平を目的として1944年7月20日にドイツ総統アドルフ・ヒトラー暗殺とナチ党政権に対するクーデターを起こしたが、何れも未遂に終わったのです。
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上の3葉の写真は何れも7月20日事件の実写で、日本と異なりドイツではこのようにナチスと戦っていた人々が相当数国内にいたのです。又、ドイツの半分である東ドイツは、戦勝国として敗戦を迎えたので、東ドイツにはナチスの戦争犯罪を告発する権利を有していても、謝罪したり責任を負う必要が無く、この2点が日本と同じ無条件降伏でありながら、大いに違っていたのです。
それからイタリアですが、イタリアも実は敗戦国ではないのです。え、そんな、嘘やろ!? とお思いでしょうが、そうなんですよ。

1943年春、北アフリカ戦線でのイタリア軍敗北が明らかとなり、ファシズム体制に対する批判が国内で高まり始めたので、イタリアの独裁者である首相ベニート・ムッソリーニ(写真下の下)は、ファシスト体制より国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(写真下)に忠誠であると思われる人物をイタリア政府内から何人か取り除いた。この決定の後、エマヌエーレ3世はムッソリーニの排除と講和に向けた対抗手段を検討し、紆余曲折あって1943年9月8日にイタリア王国は連合国との休戦協定締結を発表、枢軸国から離脱し降伏に至ったのです。
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日本の昭和天皇がもしこの国王のような動きをなされていたら・・・歴史にIFはないと言いますが、そう思わずにはいられません。昭和天皇はなさろうとされたのだが、呼応する臣下がいなかったのでしょうか。内田先生の言われるように、42年か43年に降伏していれば、原爆を落とされることもなかったし、戦後昭和天皇は「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中である事ですから、広島市民に対しては気の毒であるが、や無負えない事と私は思っています」なんて、被爆者にこれ以上ない極めてむごいお言葉を発せられることもなかったでしょうに。因みに私が思うに、原爆投下によりアメリカはソ連より軍事的に優位であると見せつけたから、ソ連による国土(北海道)侵攻がなかったし、戦後日本が共産主義化せず国体(天皇制)を護持できたのだから、原爆投下は致し方ない・・・というのが昭和天皇のお思いなのでありましょう。それはさておき、イタリアは形式的には戦勝国として終戦を迎えることが出来たのです。それから枢軸国ではありませんが、フランスが戦勝国になれたのは、シャルル・ド・ゴール個人のお陰なのです
ド・ゴールがロンドンに亡命政府をつくった時、殆ど実態はなく、第3共和制の正当な政体はアンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン元帥(写真下。寿限無みたいに長~い名前やなぁ)のヴィシー政府で、ヴィシー政府は独仏休戦協定を締結し、ド・ゴールに欠席裁判で死刑判決を下しています。しかし、ド・ゴール(写真下の下)の亡命政府や海外領土に残った軍隊、それに国内の様々なレジスタンスなど、飽くなき戦いを続けた結果、戦勝国として戦後の国際社会に登場できたのです。
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日本も、4選の噂チラホラのアベソーリのもと、アメリカ従属国家としてアメリカのお先棒を担いで、国連決議を経ず有志連合とか称してホルムズ海峡とかどこかに出兵し、第3次世界大戦に巻き込まれるような、この道はいつか来た道を進軍する時、国内に抵抗勢力のあらんことを、私は唯々祈るばかりです。嗚呼!祈り2.jpg祈り1.jpg

袖振れ合うも多生の縁348~念仏の「念」という字は今の心、今していることに心を置き、そこに仏を感ずることが最良の念仏なのです!~

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前回に続いて、NHKの「こころの時代 法然を語る」から、私の心に残り、光り輝いている珠玉の言の葉たちを書き綴ってみます。
町田宗鳳師は、
念仏とは仏を想うことです。念仏の念という字は、今の心と書きます。現時点でしていることに心を置き、そこに仏を感ずるなら、それこそが最良の念仏となります。もっと簡潔に言うのなら「今を大切にする」ことが、忙しい現代人に課せられた念仏ではないでしょうか。
と仰っています。
成る程、念仏の<念>という字は今の心と書きますね!
そして、現時点でしていることに心を置き・・・今の私ならこれを書いていることですが、書いていることに心を置く、つまり集中して「今を大切にする」ことが、仏を感ずることであり、それが現代人に課せられた念仏である・・・というのは、どういうことなんでしょうか?
そうか、念仏というと「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」を称えることだと思いがちですが、宗鳳師の仰るには、必ずしもそのようなお念仏でなくても、例えばスポーツをする時、音楽を演奏する時、食事やお酒を飲む時など何でも良いのですが、そのやっていることに身も心も置き、心身共に今を生きると深い喜びが、「やらせて頂いている有り難さ」「生かされている有り難さ」が湧き上がり、その歓びをしみじみ感じることが念仏の心なのだと。
そうか、<念仏とは、仏を念ずるとは、み仏に生かされている有り難さを思う今の心>なんだ! 法然上人が<報恩念仏>と宣うておられることなんだ! そう分かった途端、宗鳳師が十牛図について話されていたのがあったなと思い出し、慌てて頁を繰ってみました。

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<十牛図>とは、中国北宋時代の臨済宗楊岐派禅僧、廓庵が悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で描いたもので、「真の自己」を求める自己は牧人の姿で、「真の自己」は牛の姿で表されているから十牛図と言われています。私は悟りを求めている十のプロセスではすべて禅の修行と思っていましたが、現代人に課せられた念仏は必ずしも「ナムアミダブツ」や「ナムミョウホウレンゲキョウ」を称えることだけではないのと同じだと、宗鳳師は仰っておられます。

「十牛の図」というのは、何も常に宗教的に解釈する必要はなくて、例えば牛を私たちにとって、人生の目標とか、あるいは夢というふうに理解した場合ですね、第5図「牧牛」や第6図「騎牛帰家」はその夢が実現しているわけで、自分が追い求めてきた夢がやっと手に入って、人間として本当に満足した、そういう境涯です。

そうか、以前私が夢で見た<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>は、こういう風に考えれば良かったんですね。どういうことか再録するのは煩雑なので、気になるお方は、ワタシのブログ<袖触れ合うも多生の縁327>をご覧下さい。
処で<報恩念仏>といえば、ワタシはいつの頃からか神社仏閣に詣でた時、「今日、今、此処まで来ることが出来ました。ありがとうございます。」と心の内で祈っています。そう祈る以前は、「元気でありますように」とか「今年も無事でありますように」とか祈っていました。

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上の写真は、ワタシが散歩がてらよくお参りする了徳密院、通称宝塚聖天さんの鳥居と聖天堂ですが、ここに詣でた時も勿論、報恩念仏を、報恩の気持ちを心中で呟いております。ではでは、これを読んで下さった皆様に報恩念仏を称えさせて頂きます。

本当に有り難うございました!!




袖振れ合うも多生の縁347~法然上人の思想<念声一致>に因み、体育会系部活の声出しと演劇の発声を想う~

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前回は法然上人が修行なされた青龍寺でしたから、今回は上人の思想について、私の琴線に触れたことを書かせて頂きます。8年前の平成23年に法然上人の800年大遠忌を機に放映されたNHK-TVの「こころの時代」(写真下)で、ありがとう寺の町田宗鳳師が草柳隆三アナと質疑応答されているNHKインタビュー「法然を語る」を比叡山から帰った翌日、読み直してみました。
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え、TV番組やから見直したやろとお思いでしょうが、そやのうて、町田宗鳳師のWEBサイトに文書化され掲載されているのをプリントアウトしてじっくり読んだのです。話は少し脇道にそれますが、今は平成31年、いえ令和元年ですから、法然上人の808回忌です。因みに808はエンゼルナンバーで、Webサイト「MORE THAN EVER」を見てみますと、
808のエンジェルナンバーには、『神はあらゆる手段を使ってあなたに豊かさを授けています。それらに気付き、ありがたく受け止めてください。』という意味が込められていて、あなたは自分の中心に神を位置付けることに成功しました
と書いてありました。
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私の心の中に神仏がおわすのか、私が神仏を思う人間なのか、それは兎も角、法然上人の<念声一致>という思想をみてみましょう。
“念声はこれ一なり。何をもつてか知ることを得(う)。観経(かんぎょう)の下品下生(げぼんげしょう)に云く、「声をして絶えざらしめて、十念(じゅうねん)を具足して、ナムアミダブツを称せば、仏の名を称するが故に、念々の中において八十億劫(おくこう)の生死(しょうじ)の罪を除く」と。今この文によるに、声はこれ念なり、念は則ちこれ声なり。その意明(あき)らけし。(『選択集』)”

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『選択集』(せんちゃくしゅう)とは、法然上人が撰述した2巻16章の論文の略称で、正式名称は『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)。
町田宗鳳師は選択集にある<念声一致>について書かれた一文を、以下のように解釈し説明なさっておられます。

この場合「念」というのは「仏の思い。弥陀の本願」と思えばいいんですが、私たちが声を発生した時、そこにはもう既に仏が現れている、ということなんですよ。何故そういうことがわかるかというと、観経(かんぎょう)―観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)にこういうふうに書いてあります、と。これを絶えることなく、十念を称えていけば―ナムアミダブツと声に出していけば、その声の中に仏が現れて、過去劫来私たちは輪廻を繰り返してきたわけだけども、そのカルマ(業)の罪を解くことができるんだ、と。そう書いてありますよ、と。だから私は、「声はこれ念仏なり、念は則ちこれ声なり」と、そのように確信するようになったんです、ということですよ。
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『観無量寿経』は浄土教の根本聖典の一つで、下品下生とは、能力や資質の最も劣った人が極楽浄土に生まれる、生まれ方です。

法然上人は選択集でこのように述べておられますが、宗鳳師は、法然さんが念声一致に思い至った経緯は、単に観無量寿経を読んだから、それだけで確信したのではなく、定善観―ビジュアルに浄土の光景を十三の段階に分けて見ていくという厳しい難行もし、また称名念仏、称名とは仏・菩薩の名を称えることで、「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える口称念仏をもして、その上で念と声が一つであると確信されたのだと補足説明されています。

処で、『定善観』についてもう少し調べてみますと、『観無量寿経』に説かれる,阿弥陀仏の身や浄土のありさまを思い浮べる十三種の観法で、
1.日想観(太陽が沈むのを見て極楽が西にあることを観ずること)
2.水観(水と氷の清らかさによって極楽の大地の有様を観ずること)
3.地観(極楽の大地をまざまざと観ずること)
4.宝樹観(極楽の不思議な樹木の働きを観ずること)
5.宝池観(極楽の池の水を観ずること)
6.宝楼観(極楽にある多数の建物を観ずること)
7.華座観(阿弥陀仏の台座である蓮華を観ずること)
8.像観(仏像を置き阿弥陀仏の姿を観ずること)
9.真身観(阿弥陀仏の真実の姿を観ずること)
10.観音観(阿弥陀仏に従う菩薩のうち観世音を観ずること)
11.勢至観(大勢至菩薩を観ずること)
12.普観(あまねく浄土の仏、菩薩、国土を観ずること)
13.雑観(阿弥陀仏の身相に他の様々な姿を交えて観ずること)
等々ですが、こんな煩雑な観想は誰もが出来るわけないですよね。
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                (日想観之図)

そして更に、町田宗鳳師はこう言及されています。
以前私は、「否定的記憶」という言葉を遣ったことがありますが、まさにみんな心の奥底に無意識、近代心理学的に言えば、個人無意識とか普遍無意識のずっと深いところに、否定的記憶を抱え込んでいるけれども、この「声の力」はそれを消していく、お掃除する力があるんだという思いに体験的に到達されていたと思うんですよ。
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宗鳳師が仰っている個人無意識とか普遍無意識というのはカール・グスタフ・ユングの提唱している深層心理で、私も大いに共感している処なのです。
もう少し宗鳳師のご意見に耳を傾けてみましょう。師は念仏でなくてもいい、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも他の単純な言葉、例えば町田宗鳳師のありがとう寺では「あーりーがーとーうー!」ですが、シンプルな言葉を繰り返し称えていくうちに非常に意識の深い層に入っていくことが出来ると仰っています。
これを私は、「ボイスメディテーション(音声による瞑想)」と呼んでいるんですけれども、黙って坐禅をするよりも遙かに雑念が入りにくくって、坐禅をしたことがない人も短時間のうちに三昧(さんまい)に入れる、ということを発見してきました。(中略)我々の聴覚は普通二十キロヘルツの周波数の音しかキャッチできないんですが、実は自然の中に入ると、風の音とか、水のせせらぎとか、動物の声とか、いろんなものが混ざって、森の中などでは百キロヘルツ以上の高周波音が出ている、と。これは専門家の研究で証明されているわけですけれども、これが実は凄い癒しの力になるんですよ。癒しというのはムードでいうんじゃなくって、実際にそういう音に触れた場合、我々の聴覚に聞こえていなくても、脳幹―脳の基幹部にそういう高周波の振動が伝わるわけで、もう少し科学的に言えば、脳内物質ドーパミンとかβエンドルフィンというものが出てきまして、でリラックスしてくるわけですよ。ですからお念仏を称えている時の境地と、ちょっとお酒を一杯飲んだ、あるいはお風呂に浸かって良い気持ちになった、そういう意識の状態とほとんど区別がないんですよ。ですから声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくるんですよね。

いゃあ、「ちょっと一杯」や「いい湯だな」が音声瞑想と同じだなんて嬉しいですね! 因みに私は、入浴中に思いもかけないような作品のアイディアが浮かんだり、友人と酒を酌み交わし歓談している時、己が考えたこともないような見解を語っていることが多々あるのです。これって音声瞑想と同じように変性意識になっているんでしょうね。処で、下のお猿サンもそうかな? それからワタシも色んなヒトと呑みましたが、ネコちゃんとはないですわ、ハイ。
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宗鳳先生が、「声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくる。」と仰ってるので思い出しましたが、ワタシは中・高併設の学校で部活は野球部でしたが、その頃わが母校の練習は高校生と一緒やったんです。それで、おっさんみたいなキャプテンから、「声を出せ、声を出さんか!」とよう叱られました。なんであないにワァワァ、ガァガァ怒鳴って練習せなアカンねんと、時々声出しをさぼってました。でもつらつら思い出してみると、声を出してたら練習中も試合中も、結構リラックスして集中出来て結果は良かったように思えます。
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そんな部活中心の中・高生活を終え、180度転換し体育会系から文化系へ、芝居の世界に迷い込んだのです。演劇に声はつきもので、俳優なんてこっぱずかしいこと出来へんから、文芸・演出志望やったんですが、役者体験抜きにして演出は出来ないと分かり、俳優修業も少しはやらせて貰いましたが、声出しは野球部での経験が結構役に立ち、腹式呼吸や腹から声を出すのなどは楽チンでありました。
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稽古開始前や公演の開演前に声出しすることにより、リラックスして演じる役に集中出来たように思えます。部活とお芝居の声出しはこれ位にして、音声瞑想に於ける波動に話を展開しようと思っていたのですが、結構長くなってきましたので、ワタシが瞑想時に用いているシンキング・ボウルなど、色々な波動については、いつか機会をみて蘊蓄を傾けたいと思います。ではでは。







袖振れ合うも多生の縁346~令和最初の敗戦記念日を機に、3冊の本で日本の戦後の真の姿を見てみました!~

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8月になると、今年も戦争絡みの番組や記事が増えていますが、ワタシも2冊の対談本「誰がこの国を動かしているのか」と「株式会社化する日本」及び「日米合同委員会の研究」を読んで、いたく感じるところがありました。
対談本に出演されているのは、元総理の鳩山由紀夫さんと政治学者で鹿児島大教授の木村朗さん、そして京都精華大学講師で政治学者の白井聡さん、神戸女学院大学名誉教授で思想家にして武道家の内田樹さん(写真下)と錚々たるメンバーです。
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《BOOK☆ WALKER》で「誰がこの国を動かしているのか」を検索してみると・・・

総理でさえままならない、「対米従属」という、この国の根深い構造を明かす!元内閣総理大臣・鳩山友紀夫氏と、『永続敗戦論』がベストセラーの白井聡氏、鹿児島大学教授の木村朗氏が、新安保法制、普天間基地移設の問題から、原発再稼働、従軍慰安婦問題、拉致問題まで、そこに通底する戦後日本の深層を暴き、「戦後レジーム」からの真の脱却、真の独立を説く。また、政治主導、対米自立を掲げた鳩山政権がいかに崩壊していったのか、その真相も明らかに。
普天間基地移設問題において、「最低でも県外」を模索していた鳩山総理(当時)に、腹案である徳之島への移設案を断念させたのは、官僚がねつ造した「極秘」文書だった疑惑が浮上。国家の方針を左右し、政権をも崩壊させるきっかけとなった「極秘」文書を第4章にて掲載!
(以下、鳩山氏「まえがき」より)・・・この本は、対米従属の既得権構造にメスを入れることに失敗した者と、その失敗の事例から、国を動かしている本質を鋭く追究して明らかにした二人の新進の学者との間の鼎談をまとめたものです。この本をお読みいただき、「誰がこの国を動かしているのか」、おわかりになれると思います。そして、その根の深さを認識していただくことによって、私たち一人ひとりがどのような行動をとるべきかの指針が得られることを期待しています。

「株式会社化する日本」は・・・
私たちはいつから、株式会社・日本の従業員になったのか!? 人々に蔓延する従業員マインドと急速に劣化する政治、グローバル資本主義の末路、対米自立の幻想と蹉跌……すべてが株式会社化する「平成」という特異な時代の実像から日本の深層部を明かす。

第1章 平成時代と対米自立の蹉跌
・カネの力、国際社会の信望によって対米自立を果たすという幻想
・敗戦時のまま日本に残存する「北方領土」と「南方領土」
・天皇制と立憲デモクラシー、異なる原理が共生している本当の理由
・日本の改憲にアメリカはどう出るか

第2章 あらゆるものが株式会社化する特異な時代
・株式会社化した社会で、人々に広がる従業員マインド
・貧乏くさい日本人にジャストフィットする貧乏くさい政権
・官邸の情報統制ではなく、ほとんどは自己検閲、自主規制である
・政治家の能力とは無関係に吹く「風」の異様さ

第3章 グローバル資本主義の末路
・結局、グローバル資本主義は戦争に行き着くほかない
・全世界が模索している新しい資本主義のあり方
・トランプ登場で失われたアメリカの「真の国力」
・アメリカ衰退後、未来を示す力こそ大きな国力だ

第4章 沖縄問題からみた新しい世界地図
・日本が主権国家であるかのように偽装してきたツケ
・対米従属の記念碑的事業である辺野古基地建設
・中国、アメリカなどの大国に与しない日韓の共同体構想
・日中の連携を軸にして構れる東アジア共同体構想

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それから、「日米合同委員会の研究」(写真上)は、アジアプレス・インターナショナル所属のジャーナリスト吉田敏浩さん(写真下)が2017年に上梓され話題になったのですが、私はこの夏にやっと読むことが出来ました。
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この著書の出版元、創元社のHPによりますと・・・

日本の主権を侵害する取り決めを交わす「影の政府」の実像とは?
日本の超エリート官僚と在日米軍の軍人たちが毎月2度行う秘密の会議「日米合同委員会」。そこで合意された取り決めは日本の法律・憲法よりも、強い効力をもっている。しかし、軍事、外交、司法のさまざまな側面で、日本の主権を侵害し続けるその協議の内容は厚い秘密のベールに包まれ、ほとんど公表されることがない。米外交官から見ても「きわめて異常」と評されるその驚くべき実態に、大宅賞作家の吉田敏浩がせまる。第60回日本ジャーナリスト会議賞受賞。

それから紀伊國屋書店のHPの内容説明では・・・

日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?謎の権力構造の正体に迫る。

目次

1 日米合同委員会とは何か(銃を持った日本人警備員のいる都心の米軍基地;日本のエリート官僚とアメリカの高級軍人が集う合同委員会他)
2 なぜ日本の空は、今でも米軍に支配されているのか(「横田空域」―目に見えない空の壁;「横田空域」の法的根拠を開示しない日本政府他)
3 日本占領管理はどのようにして継続したのか―「占領管理法体系」から「安保法体系」へ(米軍の特権を認めた日米行政協定;日米合同委員会の前身にあたる予備作業班他)
4 最高裁にもあった裏マニュアル(「最高裁部外秘資料」に載っていた密約;民事裁判権に関する秘密合意他)
5 密室の協議はこうしておこなわれる―富士演習場をめぐる密約(米軍による富士演習場の優先使用権密約;アメリカ議会の議事録から明らかになった密約の存在他)

いやあ、この3冊、どれも凄いですね! 日本てほんまに独立国なんやろか??? アメリカの植民地やんか・・・と思ってしまいました。今まで知らんかったから、知らぬが仏ですね。そうそう、日米合同委員会の画像を検索してたら、こんなんが・・・!!!
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これって、嘘かホンマか、いつ作成された写真か、又出所はどこかも分かりませんが、ありそうにも思えるので、ゆっくりじっくり検証してみることにします。次はこの委員会のメンバーについてです。
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こんな米軍関係者と日本の官僚達によって日本は動かされているんですね。日本の官僚はこの委員会のメンバーに入ると出世間違いなしだそうです。特に法務省関係者でこの委員会の委員になった人は検察のトップになることが多く、米国の意向に反する政治家は、田中角栄さんのように裁判沙汰となり失脚させられていますよね。角さんの他にも、アメリカからの自主独立を目指した為に葬られた政治家は・・・古くは鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、芦田均、そして佐藤栄作、竹下登、梶山静六、鈴木善幸、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、小沢一郎、等々(何れも敬称を略させて頂きました)。桑原々々、触らぬ神に祟り無し・・・と現ソーリのアベさんはじめ政治家の皆さんは思てはるでしょうな。
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さて、「株式会社化する日本」で内田先生は、日本の対米従属についてこのように述べておられます。
敗戦後日本の国家戦略は対米従属以外選択肢がなく、アメリカの同盟国としてアメリカの信頼を獲得し、イーブンパートナーとして遇されるまでになって国土を回復し、国家主権を回復するという<対米従属を通じての対米自立>を謀ろうとしたのです。そして1951年にサンフランシスコ講和条約で占領が終わり、形式的には国家主権を回復し、68年に小笠原返還、72年に沖縄が返還され、この段階まで日本の国家戦略はそれなりに成功していたと言えるようです
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しかしこの後、本土の米軍基地が沖縄に移動しただけで、横田空域・横須賀基地・厚木基地・三沢基地(写真下)などは返還されず、今も日米合同委員会による日本のコントロールは続いています
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処で、横田空域といえば、吉田敏浩さん著の「日米合同委員会の研究」によると、

横田空域は、首都圏の1都9県上空を覆う広大な空域で、日本の領土なのに日本の飛行機は自由に飛べず、米軍が戦闘機の訓練飛行や輸送機の発着などに使用しているのです。この米軍の巨大な特権に、実は国内法上の法的根拠がまったく存在せず、日米地位協定にも法的根拠が明記されていないという衝撃の事実を、はたしてみなさんはご存じでしょうか。

と<はじめに>の部分に書かれています。私が思うにこの横田空域は、日本の主権侵害の象徴的存在ですよね。そんな横田空域から、トランプ大統領は2017年初来日の際、日本の領土に、いえ、アメリカの領土に降り立ったのです! オバマさんはそんな無法なことをしませんでしたよね。日米地位協定によれば、トランプが米軍の構成員等として入国するのであれば、日本の入管法は適用されません。(第9条)。ですから外交的に対等な立場で来日したのではなく、米軍の最高指揮官として日本に来たことになるのです。羽田の管制は飽和状態だから横田に降りた方が、民間便への影響がない。などと正当化する向きもあったようですが、多くのマスコミは殆どというか全く問題視していませんでしたよね。嗚~呼!
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トランプさんの思惑はさておき、内田先生の話に戻します。

日本の対米従属が続く中、一瞬国権回復の希望が見えたこともあったと思う。それはバブル経済の時で、1989年に三菱地所がニューヨークのワールドトレードセンターを買い、ソニーがコロンビア映画を買いました。バブル当時「日本の地価を足すとアメリカが二個買える」とよく言われました
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摩天楼とハリウッドが買えるなら、国家主権だって国土だって金で買い戻すことも出来るんじゃないか。でもアメリカが一気に日本をつぶしにかかってきた。資料的根拠は乏しいのですが、バブル崩壊にはアメリガがかなりコミットしていると僕は思っています。
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そして2005年、小泉総理の時、国連安保理の常任理事国に立候補したのです。カネで国家主権を買い戻すことが不可能になったので、今度は国際社会における信望をテコにして政治大国化しようというアイディアでした。でも久しくアメリカべったり追随で、戦争責任をむ果たしてこなかったことが災いし、アジア諸国から全く支持が得られなかった。
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政治大国になってアメリカのイーブンパートナーとして国際社会に登場するという夢もそこで消えた。そしてその後に鳩山さんが登場するわけですが、アメリカに対し切る外交カードが何もない局面で対米自立を図ろうとし、沖縄の米軍基地の移転を切り出して、国内の対米従属テクノクラートに寄ってたかって引きずり降ろされた。安倍さんさんは鳩山さんの失脚を見て、多くのことを学習したのと思うのです。
もう対米自立は無理だ。対米自立という長期的国家目標は棚上げして、これまで日本を駆動してきた<対米従属マシーン>を走らせ続けている限り、属国内での支配層という地位はアメリカが保証してくれる。そう考えて、国益を代償にして自己利益を確保しようとする人たちが日本の支配層を占めるようになり、それが第二次安倍政権以後の、恐ろしいほどの勢いでの国力の衰退と国際社会における地位低下をもたらしている、それが現実だと思います。

そうか、そやから外交は対米従属一点張りで、アメリカさんのお先棒を担いで戦争までやりかねないていたらくだし、内政では権力の独占、自己利益の増大のみで、五輪だの、万博だの、カジノだの、リニアだの、経済効果オンリーの儚い夢を煽り、格差が益々拡大するのにも知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのですな。嗚呼、この泥濘の道はいつか来た道・・・でないように祈るばかりです。
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袖振れ合うも多生の縁345~比叡山西塔別所の黒谷青龍寺に詣で、法然上人を偲びました!~

前回に続いて比叡山延暦寺ですが、今回は西塔別所の黒谷青龍寺についてです。比叡山につくなり、延暦寺の諸堂に詣でるのではなく、先ずは青龍寺!と、シャトルバスで峰道停留所で降りたのであります。
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この写真は峰道バス停の風景ですが、降りる際に、「青龍寺へはどの方面ですか?」と運転手さんに尋ねたところ、無愛想に「知らん!」と一言。知らんのはしゃーないとしても、「ワタシ知らんから、誰かに聞いてみて。」とか言うて欲しかったな・・・この人、この街を愛してないんやな・・・と些かがっくり。バス停の右手にレストランがあったので、そこで聞くと、開店前の準備で忙しそうなシェフさんが店の表まで出てきて親切に教えてくれました。上の写真の左端に白い小さな案内柱が写ってますが、そこ斜面を上っていくと黒谷への道がありますということなので、人一人が通れるかどうかという、両側は熊笹や樹木に覆われた細い道を登り始めたのです。しかしすぐ道がなくなってしまい、行く先不明になったのであります。えゝい、儘よ、と笹や木の枝を掻き分け、転ばぬよう滑り落ちぬよう足許を確かめつつ、久しぶりに山登り(という程の事もないのですが)すること小一時間、いえウソです、10分少しで、走出道(はせだしみち。西塔から法然上人御修行地黒谷青龍寺への参道)に降りることが出来ました。やれやれ。
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この走出道を暫く行くと、少し広い黒谷道に繋がりました。
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そして黒谷道をだらだらと下りに下ったのですが、この日は一人わが道を行く態で、道連れは誰一人なく、延暦寺諸堂の周辺の賑わいと余りに違い過ぎ、法然上人がお山を降りてから天台宗のみならず南都北嶺諸宗を敵に回してしまった往時を思い起こさせるのでした。それやこれやの思いに耽りつつ下り続けるとあら嬉しや、石畳の石段となり青龍寺山門が見えてきたのであります。
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ご覧の写真のように、本日はご開帳されておらず、本尊を拝むことは出来ませんでしたが、閉ざされた密やかな鄙びた佇まいが、若き日の法然さんが修行なされた頃はかくありなんと昔日にタイムトラベルさせてくれました。
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若き日の法然上人さま像はなかなか良いお顔をなされていますね。ワタシの撮った写真、デジカメなのにピントが一寸甘かった。残念!それはさておき、現在の青龍寺は、昭和51年に浄土宗総本山知恩院により、青少年修練道場として建立されたものです。
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ワタシは修練(?)の一端として、鐘は自由についてくださいと書かれていたので、思うが儘、存分に突かせて頂きました。
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鐘楼の下に鎮座ましましてた狸くんは、こいつ、いつ迄突いてんねん と思て、あきれて見てたんやないやろか???
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お線香立てのの獅子クン(?)もそやそやと相鎚を打ってたような気がしますわ。ま、それは分かりませんが、ご開扉の日やったらご本尊の阿弥陀様や天井絵なんかも見れたのにな・・・と獅子くんも狸やんも思てたんとちやうやろか。
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それから報恩蔵(写真下)に祀られておられる阿弥陀如来さま、観音菩薩さま、勢至菩薩さま、善導大師さま、法然上人さま達にもお目通り叶わなかったのは、ご縁がなかったのか、それともワタシの不徳の致す処でありましょうか。
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かくして後ろ髪引かれる思いで青龍寺を後にしたのですが、この階段を見上げますと、行きは良い良い帰りは怖くはないけれど、しんどいやろな・・・と覚悟を決めて登り始めたのです。
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上の写真はワタシが撮ったのやないので、誰一人いない静寂の中、石階段も坂道も又修行と思い直し、重い歩を運んだのでありますが、たちまち息が上がり、途中佇み杉木立などを撮りがてら息を入れたのであります。
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この杉木立、いつもなら整然とした並びを美しいと感じていたのですが、何か不自然ではないかと思ったのです。なんでやろ・・・とわが脳裏に探りを入れると、法然上人さまがこの道を歩かれた頃は杉の木ばかりでなく、色々な木々が茂っており、自然そのものだったからではないか・・・と思い至ったのです。こんな想念に囚われながら汗だくで登りに登ること30分、黒谷道から走出道への曲がり角に至りました。

さて、これから写真下の走出道に進み、途中から道無き道を掻き分け小山を降り、元のに峰道バス停に戻るのかと思うと歩が進まず、さりとて走出道を歩き続け西塔まで辿り着くには1時間・・・さあ、どうする、どうする!?
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迷いつつふと見ると、黒谷道をそのまま行けば峰道にでると表示されているではありませんか!よし、それならこの儘黒谷道をGO!そしてものの5分位であっさりと峰道バス停の広場に戻れたのです!
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なんや、あのシェフさん、こっちの道を教えてくれてたら楽に獣道もない道無き道の小山越えせんでも良かったのに・・・と思いましたが、いや、法然上人さまが多分歩かれた走出道を歩めよと仰せられたと無理に納得させ、延暦寺諸堂巡りへ、横川へ、と歩を進めたのでした。

次回は8月17日、戦争に関する一文を取り上げたいと思っていますが、その次は法然上人の思想、というと大層ですが、ワタシの興味をひかれた点について書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁344~比叡山延暦寺に詣で、古(いにしえ)を偲びたかったのですが・・・~

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比叡山は滋賀県と京都府の県境に聳えているので、叡山へのルートは京都からと大津からとがあり、ケーブルやロープウェーなどを楽しむのも良いのでしょうが、私は乗り換えの労を省き京都駅烏丸口からドライブバスに乗り、眼下に見下ろす琵琶湖の雄大な眺めを楽しんだのであります。
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さて、比叡山は東塔(とうどう)地域、西塔(さいとう)地域、横川(よかわ)地域と3塔の地域に分けられ、これらの聡称が比叡山延暦寺なのです。
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寺社巡り.comに依りますと、東塔の中心的お堂は根本中堂、;西塔は釈迦堂、横川は横川中堂であり、3エリアの中でも中心地となっているのは根本中堂のある東塔で、比叡山が初めての方はまずはここを目指しましょう。とご親切に書いて下さっているのですが、天の邪鬼なワタシは山内シャトルバスで、先ず3塔地域ではない「峰道」に行ったのです。
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ご覧の写真は峰道駐車場で、小さく見えているのは天台宗開祖の伝教大師尊像ですが、それはさておき、今回私の叡山行きのメインイベントは法然上人の修行なされた西塔別所黒谷青龍寺参拝で、青龍寺への黒谷道は峰道から徒歩30分なのです。
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写真を見、こんな黒谷道なら大したことないわ・・・と思っていたのですが、一寸したハプニングがあり、少々パニくってしまったのであります。ま、このトラブルや青龍寺については次回ということにしましょう。この青龍寺は浄土宗の知恩院が管理している処なので、比叡山延暦寺は天台宗ですから、最澄大師に敬意を払い延暦寺から書くことに致します。青龍寺を参拝後、峰道に戻りシャトメバスで横川へ。
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横川地域は慈覚大師円仁さんによって開かれ、源信さん、親鸞さん、日蓮さん、道元さんなど後に名僧と言われるようになられた方達が修行されたそうです。横川は3塔の中で一番北エリアに在り、なんだか鄙びた感じで修行に集中できそうな趣きでしたね。
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この横川中堂は遣唐使船をモデルにした舞台造りで、横から眺めると船が浮かんでいるような姿に見えました。(下の写真は正面から見た姿です)

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横川中堂の他、元三大師堂や恵心堂などがありますが、割愛させて頂き西塔へ。
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西塔地域は杉木立に囲まれ小鳥のさえずりなどが心和ませる静寂境で、ゆるやかな階を降りると、比叡山最古の転法輪堂(ご本尊の釈迦如来に因み釈迦堂と言われている)がおわしました。
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釈迦堂の横に法然上人の修行なされた青龍寺への道があり、往時は法然さんもこの道を行き来なされたのでしょうか。
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お次は最後に真打ち登場で東塔地域です。
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西塔からシャトルバスでバスセンたーへ、センターから巡拝受付を通るとすぐ国宝殿がありましたが、諸堂巡拝券の裏をふと目にすると、伝教大師のお言葉が書かれていました。

「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。(後略)」

とありましたので、国宝殿に道心ある人間国宝は祀られていないだろうと思い、スルーして根本中堂へ急ぎましたが・・・。
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いや、建物は国宝で廻廊は国重要文化財だけのことはあって素晴らしい!・・・と思いたかったのですが、思えなかったのであります。なんで?かと言うと・・・
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大改修中でした。残念!しかし、改修工事中でも入れたので、足場の金具越しの隙間より、ご本尊薬師如来の御前で1200年灯り続けている不滅の法灯を覗き見出来たのですが、下の写真のような神秘的な雰囲気は見られませんでした。
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厳かな雰囲気は感じられなかったものの、織田信長の兵火で延暦寺が消失した時も分灯してあった山形県山形市山寺の立石寺の火を移し、絶えることなく灯され続けている不滅の法灯は紛れもなく灯されておりましたから、由とすべきなのでしょう。
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大修理中の根本中堂を出ると、嘗て信長の兵たちと僧兵が戦を繰り広げた俤はさらさらなく、東塔が西から差す眩い陽光に照り輝いておりました。

ではでは、次回は法然上人が修行なされた黒谷青龍寺について蘊蓄を傾けたいと思います。