袖振れ合うも多生の縁346~令和最初の敗戦記念日を機に、3冊の本で日本の戦後の真の姿を見てみました!~

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8月になると、今年も戦争絡みの番組や記事が増えていますが、ワタシも2冊の対談本「誰がこの国を動かしているのか」と「株式会社化する日本」及び「日米合同委員会の研究」を読んで、いたく感じるところがありました。
対談本に出演されているのは、元総理の鳩山由紀夫さんと政治学者で鹿児島大教授の木村朗さん、そして京都精華大学講師で政治学者の白井聡さん、神戸女学院大学名誉教授で思想家にして武道家の内田樹さん(写真下)と錚々たるメンバーです。
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《BOOK☆ WALKER》で「誰がこの国を動かしているのか」を検索してみると・・・

総理でさえままならない、「対米従属」という、この国の根深い構造を明かす!元内閣総理大臣・鳩山友紀夫氏と、『永続敗戦論』がベストセラーの白井聡氏、鹿児島大学教授の木村朗氏が、新安保法制、普天間基地移設の問題から、原発再稼働、従軍慰安婦問題、拉致問題まで、そこに通底する戦後日本の深層を暴き、「戦後レジーム」からの真の脱却、真の独立を説く。また、政治主導、対米自立を掲げた鳩山政権がいかに崩壊していったのか、その真相も明らかに。
普天間基地移設問題において、「最低でも県外」を模索していた鳩山総理(当時)に、腹案である徳之島への移設案を断念させたのは、官僚がねつ造した「極秘」文書だった疑惑が浮上。国家の方針を左右し、政権をも崩壊させるきっかけとなった「極秘」文書を第4章にて掲載!
(以下、鳩山氏「まえがき」より)・・・この本は、対米従属の既得権構造にメスを入れることに失敗した者と、その失敗の事例から、国を動かしている本質を鋭く追究して明らかにした二人の新進の学者との間の鼎談をまとめたものです。この本をお読みいただき、「誰がこの国を動かしているのか」、おわかりになれると思います。そして、その根の深さを認識していただくことによって、私たち一人ひとりがどのような行動をとるべきかの指針が得られることを期待しています。

「株式会社化する日本」は・・・
私たちはいつから、株式会社・日本の従業員になったのか!? 人々に蔓延する従業員マインドと急速に劣化する政治、グローバル資本主義の末路、対米自立の幻想と蹉跌……すべてが株式会社化する「平成」という特異な時代の実像から日本の深層部を明かす。

第1章 平成時代と対米自立の蹉跌
・カネの力、国際社会の信望によって対米自立を果たすという幻想
・敗戦時のまま日本に残存する「北方領土」と「南方領土」
・天皇制と立憲デモクラシー、異なる原理が共生している本当の理由
・日本の改憲にアメリカはどう出るか

第2章 あらゆるものが株式会社化する特異な時代
・株式会社化した社会で、人々に広がる従業員マインド
・貧乏くさい日本人にジャストフィットする貧乏くさい政権
・官邸の情報統制ではなく、ほとんどは自己検閲、自主規制である
・政治家の能力とは無関係に吹く「風」の異様さ

第3章 グローバル資本主義の末路
・結局、グローバル資本主義は戦争に行き着くほかない
・全世界が模索している新しい資本主義のあり方
・トランプ登場で失われたアメリカの「真の国力」
・アメリカ衰退後、未来を示す力こそ大きな国力だ

第4章 沖縄問題からみた新しい世界地図
・日本が主権国家であるかのように偽装してきたツケ
・対米従属の記念碑的事業である辺野古基地建設
・中国、アメリカなどの大国に与しない日韓の共同体構想
・日中の連携を軸にして構れる東アジア共同体構想

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それから、「日米合同委員会の研究」(写真上)は、アジアプレス・インターナショナル所属のジャーナリスト吉田敏浩さん(写真下)が2017年に上梓され話題になったのですが、私はこの夏にやっと読むことが出来ました。
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この著書の出版元、創元社のHPによりますと・・・

日本の主権を侵害する取り決めを交わす「影の政府」の実像とは?
日本の超エリート官僚と在日米軍の軍人たちが毎月2度行う秘密の会議「日米合同委員会」。そこで合意された取り決めは日本の法律・憲法よりも、強い効力をもっている。しかし、軍事、外交、司法のさまざまな側面で、日本の主権を侵害し続けるその協議の内容は厚い秘密のベールに包まれ、ほとんど公表されることがない。米外交官から見ても「きわめて異常」と評されるその驚くべき実態に、大宅賞作家の吉田敏浩がせまる。第60回日本ジャーナリスト会議賞受賞。

それから紀伊國屋書店のHPの内容説明では・・・

日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?謎の権力構造の正体に迫る。

目次

1 日米合同委員会とは何か(銃を持った日本人警備員のいる都心の米軍基地;日本のエリート官僚とアメリカの高級軍人が集う合同委員会他)
2 なぜ日本の空は、今でも米軍に支配されているのか(「横田空域」―目に見えない空の壁;「横田空域」の法的根拠を開示しない日本政府他)
3 日本占領管理はどのようにして継続したのか―「占領管理法体系」から「安保法体系」へ(米軍の特権を認めた日米行政協定;日米合同委員会の前身にあたる予備作業班他)
4 最高裁にもあった裏マニュアル(「最高裁部外秘資料」に載っていた密約;民事裁判権に関する秘密合意他)
5 密室の協議はこうしておこなわれる―富士演習場をめぐる密約(米軍による富士演習場の優先使用権密約;アメリカ議会の議事録から明らかになった密約の存在他)

いやあ、この3冊、どれも凄いですね! 日本てほんまに独立国なんやろか??? アメリカの植民地やんか・・・と思ってしまいました。今まで知らんかったから、知らぬが仏ですね。そうそう、日米合同委員会の画像を検索してたら、こんなんが・・・!!!
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これって、嘘かホンマか、いつ作成された写真か、又出所はどこかも分かりませんが、ありそうにも思えるので、ゆっくりじっくり検証してみることにします。次はこの委員会のメンバーについてです。
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こんな米軍関係者と日本の官僚達によって日本は動かされているんですね。日本の官僚はこの委員会のメンバーに入ると出世間違いなしだそうです。特に法務省関係者でこの委員会の委員になった人は検察のトップになることが多く、米国の意向に反する政治家は、田中角栄さんのように裁判沙汰となり失脚させられていますよね。角さんの他にも、アメリカからの自主独立を目指した為に葬られた政治家は・・・古くは鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、芦田均、そして佐藤栄作、竹下登、梶山静六、鈴木善幸、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、小沢一郎、等々(何れも敬称を略させて頂きました)。桑原々々、触らぬ神に祟り無し・・・と現ソーリのアベさんはじめ政治家の皆さんは思てはるでしょうな。
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さて、「株式会社化する日本」で内田先生は、日本の対米従属についてこのように述べておられます。
敗戦後日本の国家戦略は対米従属以外選択肢がなく、アメリカの同盟国としてアメリカの信頼を獲得し、イーブンパートナーとして遇されるまでになって国土を回復し、国家主権を回復するという<対米従属を通じての対米自立>を謀ろうとしたのです。そして1951年にサンフランシスコ講和条約で占領が終わり、形式的には国家主権を回復し、68年に小笠原返還、72年に沖縄が返還され、この段階まで日本の国家戦略はそれなりに成功していたと言えるようです
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しかしこの後、本土の米軍基地が沖縄に移動しただけで、横田空域・横須賀基地・厚木基地・三沢基地(写真下)などは返還されず、今も日米合同委員会による日本のコントロールは続いています
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処で、横田空域といえば、吉田敏浩さん著の「日米合同委員会の研究」によると、

横田空域は、首都圏の1都9県上空を覆う広大な空域で、日本の領土なのに日本の飛行機は自由に飛べず、米軍が戦闘機の訓練飛行や輸送機の発着などに使用しているのです。この米軍の巨大な特権に、実は国内法上の法的根拠がまったく存在せず、日米地位協定にも法的根拠が明記されていないという衝撃の事実を、はたしてみなさんはご存じでしょうか。

と<はじめに>の部分に書かれています。私が思うにこの横田空域は、日本の主権侵害の象徴的存在ですよね。そんな横田空域から、トランプ大統領は2017年初来日の際、日本の領土に、いえ、アメリカの領土に降り立ったのです! オバマさんはそんな無法なことをしませんでしたよね。日米地位協定によれば、トランプが米軍の構成員等として入国するのであれば、日本の入管法は適用されません。(第9条)。ですから外交的に対等な立場で来日したのではなく、米軍の最高指揮官として日本に来たことになるのです。羽田の管制は飽和状態だから横田に降りた方が、民間便への影響がない。などと正当化する向きもあったようですが、多くのマスコミは殆どというか全く問題視していませんでしたよね。嗚~呼!
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トランプさんの思惑はさておき、内田先生の話に戻します。

日本の対米従属が続く中、一瞬国権回復の希望が見えたこともあったと思う。それはバブル経済の時で、1989年に三菱地所がニューヨークのワールドトレードセンターを買い、ソニーがコロンビア映画を買いました。バブル当時「日本の地価を足すとアメリカが二個買える」とよく言われました
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摩天楼とハリウッドが買えるなら、国家主権だって国土だって金で買い戻すことも出来るんじゃないか。でもアメリカが一気に日本をつぶしにかかってきた。資料的根拠は乏しいのですが、バブル崩壊にはアメリガがかなりコミットしていると僕は思っています。
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そして2005年、小泉総理の時、国連安保理の常任理事国に立候補したのです。カネで国家主権を買い戻すことが不可能になったので、今度は国際社会における信望をテコにして政治大国化しようというアイディアでした。でも久しくアメリカべったり追随で、戦争責任をむ果たしてこなかったことが災いし、アジア諸国から全く支持が得られなかった。
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政治大国になってアメリカのイーブンパートナーとして国際社会に登場するという夢もそこで消えた。そしてその後に鳩山さんが登場するわけですが、アメリカに対し切る外交カードが何もない局面で対米自立を図ろうとし、沖縄の米軍基地の移転を切り出して、国内の対米従属テクノクラートに寄ってたかって引きずり降ろされた。安倍さんさんは鳩山さんの失脚を見て、多くのことを学習したのと思うのです。
もう対米自立は無理だ。対米自立という長期的国家目標は棚上げして、これまで日本を駆動してきた<対米従属マシーン>を走らせ続けている限り、属国内での支配層という地位はアメリカが保証してくれる。そう考えて、国益を代償にして自己利益を確保しようとする人たちが日本の支配層を占めるようになり、それが第二次安倍政権以後の、恐ろしいほどの勢いでの国力の衰退と国際社会における地位低下をもたらしている、それが現実だと思います。

そうか、そやから外交は対米従属一点張りで、アメリカさんのお先棒を担いで戦争までやりかねないていたらくだし、内政では権力の独占、自己利益の増大のみで、五輪だの、万博だの、カジノだの、リニアだの、経済効果オンリーの儚い夢を煽り、格差が益々拡大するのにも知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのですな。嗚呼、この泥濘の道はいつか来た道・・・でないように祈るばかりです。
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袖振れ合うも多生の縁345~比叡山西塔別所の黒谷青龍寺に詣で、法然上人を偲びました!~

前回に続いて比叡山延暦寺ですが、今回は西塔別所の黒谷青龍寺についてです。比叡山につくなり、延暦寺の諸堂に詣でるのではなく、先ずは青龍寺!と、シャトルバスで峰道停留所で降りたのであります。
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この写真は峰道バス停の風景ですが、降りる際に、「青龍寺へはどの方面ですか?」と運転手さんに尋ねたところ、無愛想に「知らん!」と一言。知らんのはしゃーないとしても、「ワタシ知らんから、誰かに聞いてみて。」とか言うて欲しかったな・・・この人、この街を愛してないんやな・・・と些かがっくり。バス停の右手にレストランがあったので、そこで聞くと、開店前の準備で忙しそうなシェフさんが店の表まで出てきて親切に教えてくれました。上の写真の左端に白い小さな案内柱が写ってますが、そこ斜面を上っていくと黒谷への道がありますということなので、人一人が通れるかどうかという、両側は熊笹や樹木に覆われた細い道を登り始めたのです。しかしすぐ道がなくなってしまい、行く先不明になったのであります。えゝい、儘よ、と笹や木の枝を掻き分け、転ばぬよう滑り落ちぬよう足許を確かめつつ、久しぶりに山登り(という程の事もないのですが)すること小一時間、いえウソです、10分少しで、走出道(はせだしみち。西塔から法然上人御修行地黒谷青龍寺への参道)に降りることが出来ました。やれやれ。
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この走出道を暫く行くと、少し広い黒谷道に繋がりました。
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そして黒谷道をだらだらと下りに下ったのですが、この日は一人わが道を行く態で、道連れは誰一人なく、延暦寺諸堂の周辺の賑わいと余りに違い過ぎ、法然上人がお山を降りてから天台宗のみならず南都北嶺諸宗を敵に回してしまった往時を思い起こさせるのでした。それやこれやの思いに耽りつつ下り続けるとあら嬉しや、石畳の石段となり青龍寺山門が見えてきたのであります。
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ご覧の写真のように、本日はご開帳されておらず、本尊を拝むことは出来ませんでしたが、閉ざされた密やかな鄙びた佇まいが、若き日の法然さんが修行なされた頃はかくありなんと昔日にタイムトラベルさせてくれました。
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若き日の法然上人さま像はなかなか良いお顔をなされていますね。ワタシの撮った写真、デジカメなのにピントが一寸甘かった。残念!それはさておき、現在の青龍寺は、昭和51年に浄土宗総本山知恩院により、青少年修練道場として建立されたものです。
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ワタシは修練(?)の一端として、鐘は自由についてくださいと書かれていたので、思うが儘、存分に突かせて頂きました。
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鐘楼の下に鎮座ましましてた狸くんは、こいつ、いつ迄突いてんねん と思て、あきれて見てたんやないやろか???
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お線香立てのの獅子クン(?)もそやそやと相鎚を打ってたような気がしますわ。ま、それは分かりませんが、ご開扉の日やったらご本尊の阿弥陀様や天井絵なんかも見れたのにな・・・と獅子くんも狸やんも思てたんとちやうやろか。
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それから報恩蔵(写真下)に祀られておられる阿弥陀如来さま、観音菩薩さま、勢至菩薩さま、善導大師さま、法然上人さま達にもお目通り叶わなかったのは、ご縁がなかったのか、それともワタシの不徳の致す処でありましょうか。
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かくして後ろ髪引かれる思いで青龍寺を後にしたのですが、この階段を見上げますと、行きは良い良い帰りは怖くはないけれど、しんどいやろな・・・と覚悟を決めて登り始めたのです。
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上の写真はワタシが撮ったのやないので、誰一人いない静寂の中、石階段も坂道も又修行と思い直し、重い歩を運んだのでありますが、たちまち息が上がり、途中佇み杉木立などを撮りがてら息を入れたのであります。
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この杉木立、いつもなら整然とした並びを美しいと感じていたのですが、何か不自然ではないかと思ったのです。なんでやろ・・・とわが脳裏に探りを入れると、法然上人さまがこの道を歩かれた頃は杉の木ばかりでなく、色々な木々が茂っており、自然そのものだったからではないか・・・と思い至ったのです。こんな想念に囚われながら汗だくで登りに登ること30分、黒谷道から走出道への曲がり角に至りました。

さて、これから写真下の走出道に進み、途中から道無き道を掻き分け小山を降り、元のに峰道バス停に戻るのかと思うと歩が進まず、さりとて走出道を歩き続け西塔まで辿り着くには1時間・・・さあ、どうする、どうする!?
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迷いつつふと見ると、黒谷道をそのまま行けば峰道にでると表示されているではありませんか!よし、それならこの儘黒谷道をGO!そしてものの5分位であっさりと峰道バス停の広場に戻れたのです!
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なんや、あのシェフさん、こっちの道を教えてくれてたら楽に獣道もない道無き道の小山越えせんでも良かったのに・・・と思いましたが、いや、法然上人さまが多分歩かれた走出道を歩めよと仰せられたと無理に納得させ、延暦寺諸堂巡りへ、横川へ、と歩を進めたのでした。

次回は8月17日、戦争に関する一文を取り上げたいと思っていますが、その次は法然上人の思想、というと大層ですが、ワタシの興味をひかれた点について書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁344~比叡山延暦寺に詣で、古(いにしえ)を偲びたかったのですが・・・~

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比叡山は滋賀県と京都府の県境に聳えているので、叡山へのルートは京都からと大津からとがあり、ケーブルやロープウェーなどを楽しむのも良いのでしょうが、私は乗り換えの労を省き京都駅烏丸口からドライブバスに乗り、眼下に見下ろす琵琶湖の雄大な眺めを楽しんだのであります。
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さて、比叡山は東塔(とうどう)地域、西塔(さいとう)地域、横川(よかわ)地域と3塔の地域に分けられ、これらの聡称が比叡山延暦寺なのです。
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寺社巡り.comに依りますと、東塔の中心的お堂は根本中堂、;西塔は釈迦堂、横川は横川中堂であり、3エリアの中でも中心地となっているのは根本中堂のある東塔で、比叡山が初めての方はまずはここを目指しましょう。とご親切に書いて下さっているのですが、天の邪鬼なワタシは山内シャトルバスで、先ず3塔地域ではない「峰道」に行ったのです。
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ご覧の写真は峰道駐車場で、小さく見えているのは天台宗開祖の伝教大師尊像ですが、それはさておき、今回私の叡山行きのメインイベントは法然上人の修行なされた西塔別所黒谷青龍寺参拝で、青龍寺への黒谷道は峰道から徒歩30分なのです。
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写真を見、こんな黒谷道なら大したことないわ・・・と思っていたのですが、一寸したハプニングがあり、少々パニくってしまったのであります。ま、このトラブルや青龍寺については次回ということにしましょう。この青龍寺は浄土宗の知恩院が管理している処なので、比叡山延暦寺は天台宗ですから、最澄大師に敬意を払い延暦寺から書くことに致します。青龍寺を参拝後、峰道に戻りシャトメバスで横川へ。
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横川地域は慈覚大師円仁さんによって開かれ、源信さん、親鸞さん、日蓮さん、道元さんなど後に名僧と言われるようになられた方達が修行されたそうです。横川は3塔の中で一番北エリアに在り、なんだか鄙びた感じで修行に集中できそうな趣きでしたね。
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この横川中堂は遣唐使船をモデルにした舞台造りで、横から眺めると船が浮かんでいるような姿に見えました。(下の写真は正面から見た姿です)

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横川中堂の他、元三大師堂や恵心堂などがありますが、割愛させて頂き西塔へ。
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西塔地域は杉木立に囲まれ小鳥のさえずりなどが心和ませる静寂境で、ゆるやかな階を降りると、比叡山最古の転法輪堂(ご本尊の釈迦如来に因み釈迦堂と言われている)がおわしました。
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釈迦堂の横に法然上人の修行なされた青龍寺への道があり、往時は法然さんもこの道を行き来なされたのでしょうか。
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お次は最後に真打ち登場で東塔地域です。
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西塔からシャトルバスでバスセンたーへ、センターから巡拝受付を通るとすぐ国宝殿がありましたが、諸堂巡拝券の裏をふと目にすると、伝教大師のお言葉が書かれていました。

「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。(後略)」

とありましたので、国宝殿に道心ある人間国宝は祀られていないだろうと思い、スルーして根本中堂へ急ぎましたが・・・。
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いや、建物は国宝で廻廊は国重要文化財だけのことはあって素晴らしい!・・・と思いたかったのですが、思えなかったのであります。なんで?かと言うと・・・
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大改修中でした。残念!しかし、改修工事中でも入れたので、足場の金具越しの隙間より、ご本尊薬師如来の御前で1200年灯り続けている不滅の法灯を覗き見出来たのですが、下の写真のような神秘的な雰囲気は見られませんでした。
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厳かな雰囲気は感じられなかったものの、織田信長の兵火で延暦寺が消失した時も分灯してあった山形県山形市山寺の立石寺の火を移し、絶えることなく灯され続けている不滅の法灯は紛れもなく灯されておりましたから、由とすべきなのでしょう。
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大修理中の根本中堂を出ると、嘗て信長の兵たちと僧兵が戦を繰り広げた俤はさらさらなく、東塔が西から差す眩い陽光に照り輝いておりました。

ではでは、次回は法然上人が修行なされた黒谷青龍寺について蘊蓄を傾けたいと思います。

袖振れ合うも多生の縁343~絵本「りんごかもしれない」ってメチャ面白いですよ!

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これが、ヨシタケ シンスケ(吉竹 伸介、1973年 - )さんの絵本、「りんごかもしれない」ですが、EhonNavi StyleのHPによりますと・・・

「りんごかもしれない」を出版される際、出版社の営業の方から「絵本ってそうそう売れませんので、あまり期待しないでくださいね」と言われ、ヨシタケさんもその覚悟はできていたそうです。しかしいざ出版されると、全国の子どもたち、親御さん、書店員さん、読み聞かせサークルの方々、幼稚園保育園の先生など、いたるところで大反響!

物事を多角的に考える、これまでになかった全く新しい絵本として人々を熱狂させ、第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞など、この年の絵本賞を総ナメにし、大ベストセラーとなりました。

ヨシタケ作品の大きな魅力は、どんなことでもこんな風に多角的に考えることができるんだ、というアイディアを与えてくれるところなど子供だけでなく、むしろ大人がはまってしまう新しくて少しシュールな視点かも。

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ある日、男の子が学校から帰ってくると、テーブルのうえにリンゴが置いてありました。しかし、そのりんごを見て、とある疑問を抱いてしまった男の子。
「もしかしたらこれは、りんごじゃないのかもしれない」
りんごがりんごであることを疑う男の子の想像は、とどまるところを知らずにどんどん大きくなっていきます。
これはりんご型のメカかもしれない!? 機能満載、リンゴメカの解剖図!
らんご、るんご、れんご、ろんご!? 奇妙キテレツな形のりんごの兄弟たち!
ほんとはオシャレがしたかった!? いろんな髪形、りんごのファッションショー!
はたしてこれは本当にりんごなのか??
男の子が思い切って、ひとくちかじってみると……

小さなひとつの疑問から展開される、まか不思議なアイデアと想像力の壮大な世界。りんごひとつで、こんなに話が広がるなんて!
どのアイデアもとんでもなくトッピなのに、常識も予想もぶち壊しながら、どんどん大きくふくらんでいくその発想に目が離せません。
デフォルメが強く線もとても少ないのに、見ればすぐにヨシタケシンスケさんだとわかる独特の絵。
それが、大暴走する奇妙な発想に親しみやすさを与えていて、一見すると怖いとあるアイデアも、なんだかくすりとさせられる不思議な雰囲気になっています。
表紙と裏表紙の絵も、謎が謎を呼ぶ不思議なりんごのオンパレード!
りんごひとつから展開される想像力の大暴走に、ビックリ大笑いの一冊です。
「りんご」をめぐる様々なアイディアが展開する筋立てのない絵本で、以後『ぼくのニセモノをつくるには』『このあとどうしちゃおう』と続くこのシリーズは「発想絵本」と呼ばれています。

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処で、ヨシタケシンスケさんは筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースを修了されているのですが、入学して最初のデッサンの授業の時、指導教授はヨシタケさんのデッサンを見て絶賛!?
いえ、そやなかったんです。全く逆で、「キミ、これでよく造形コースに入れたね」と言われたのです。以来、ヨシタケさんはデッサン嫌いになり、実物を見ず想像で描くようになったとか。
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ですから、りんごを描く場合、りんごてどんな形をしてたかな・・・りんごの梗窪(こうあ。上のくぼみ)や萼窪(がくあ。下のくぼみ)はどうなっているのかなど、総て想像で描き、先生に「キミ、違ってるよ」と言われたら、「見ないで描いてますから」と言い訳してたそうです。そんな彼の想像癖から「発想絵本」が生まれたと、私は思います。教授にデッサンが全くダメだと言われたら、普通自分には絵の才能はないんだ・・・と諦めますよね。でも、見て描けないのなら、見るから描けないのなら、見ないで描こうという発想の転換がヨシタケさんを成功に導いたのでしょう。ものは取りよう、前向きに捉える逆転の発想って、素晴らしいことですよね!

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因みにヨシタケさんは、「これから描きたい絵本は?」と聞かれると、「描きたいものはないんですが、描きたくないものははっきりしてるんです・・・」と答えるようにしているそうです。人間ってそうそうやりたいことばかりやってられないから、ま、やりたくないことは避けていくって結構良い生き方なんでしょうね。
そんなヨシタケさんが今後どんな作品を創ってくれるのか、あてにしないで待っていようと思います。ではでは。

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袖振れ合うも多生の縁342~朝井まかてさんの「悪玉伝」の悪玉て、ほんまは誰なんやろか!?~

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私はいつの頃からか、朝井まかさんの著書追っかけ(?)を任じており、角川書店の「野性時代」に連載されていた「悪玉伝」が上梓されたので先般読破致しました。いゃあ、面白かった! 読み進めて行くと、「はて、題名の悪玉て一体誰なんやろか?」と思ってしまうように仕組まれていて、ついつい先を読み急いだのであります。そんな歴史エンタメの最高峰と評される「悪玉伝」の梗概をKADOKAWAのHPからコピペさせて頂きますと・・・

大坂の炭問屋・木津屋の主の吉兵衛は、稼業は番頭らに任せ、自らは放蕩の限りを尽くしてきた。そこへ実の兄・久佐衛門の訃報が伝えられる。実家である薪問屋・辰巳屋へ赴き、兄の葬儀の手筈を整える吉兵衛だったが、辰巳屋の大番頭・与兵衛や甥の乙之助に手を引くように迫られると、事態は辰巳屋の相続争いに発展する。上方で起こった相続争いの噂はやがて江戸に届き、将軍・徳川吉宗や寺社奉行・大岡越前守忠相の耳に入る一大事に。将軍吉宗までも巻き込んだ江戸時代最大の贈収賄疑獄事件の結末は――。
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デビュー当時から書きたいと思ってはいたものの、「史実がフィクションみたいに面白すぎて」執筆を留め置いていたと著者が語るのは、江戸時代最大の贈収賄事件「辰巳屋一件」。大岡越前守忠相が実際に裁いたとされるこの事件は、大坂の一商人・木津屋吉兵衛が、実家の辰巳屋の相続争いに巻き込まれ、騒動はなぜか時の将軍・徳川吉宗の耳にまで届く一大事に発展していく、というもの。
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               (上は徳川吉宗、下は大岡越前)

物語は吉兵衛(大坂)と、官僚人生も下り坂に差し掛かった大岡越前(江戸)の両視点で進む。裁判制度が確立していく過渡期に起こったこの事件で炙(あぶ)り出されていくのは、当時の上方で典型的な粋な男の吉兵衛と、政(まつりごと)の第一線でバリバリ働いてきた大岡越前を取り巻く東西の文化の違いだ。人情と口八丁を武器とする吉兵衛にとっての“ご挨拶”は贈り物か、それとも賄賂か。忖度(そんたく)が忖度を呼び、事件が拡大していくさまは、さながら昨今の事件を彷彿(ほうふつ)させる。

いゃあ、うまいこと作品を要約してはりますな。私が付け加えることなんもあらしませんがな。
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それから文芸評論家の杉江松恋(写真上)さん、ほら、あのユーモラスなまん丸顔のお人は、《朝井の着眼点が優れているのは、この事件を善悪の対決図式ではなく、いくつもの大義が存在し、力を持つ者の思惑次第で白黒がいつでも塗り替えられる、政治の所産として見たことだ》(週刊新潮・書評)と評していはりますが、これ又ポイントをぐさっと突いてると思います。他に何かないかとPCを検索してたら、KADOKAWA発の文芸情報サイト カドブンに作者へのインタビュー記事がありました。これも又私が聞きたいこと、知りたいことを満遍なく網羅してくれてますので、少し長いですが全文コピペさせて貰います。(写真は私が適宜インサートさせて頂きました)
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──新作は、八代将軍・徳川吉宗の時代に、大坂の豪商・辰巳屋で実際に起きた相続争い「辰巳屋一件」を題材にされています。なぜ、この事件を選ばれたのでしょうか。

朝井:大坂の町家で起きた相続争いが、江戸であの大岡越前が裁く大騒動にまで発展したのが面白く、以前から興味を持っていました。

──辰巳屋久佐衛門が死んで、木津屋に養子に入っていた弟の吉兵衛が戻ってきたところから物語は始まります。久佐衛門は、辰巳屋を上回る豪商、唐金屋の息子・乙之助を養子にし、娘の伊波と結婚させていました。そこに乗り込んできた吉兵衛は、長くお家乗っ取りを目論む悪役とされてきましたが、朝井さんは今までとは違った見方をされていました。

朝井:舞台化された「女舞剣紅楓(おんなまいつるぎのもみじ)」も、吉兵衛の乗っ取りから辰巳屋を守った唐金屋側からの忠義の物語になっています。ただ、吉兵衛について残っている風聞を調べると、粋で趣味人で、お金の遣い方も後先を考えない、つまり典型的な上方のボンボンです。そんな鼻持ちならない二枚目がとことん追い込まれたらどんな真実を見せるのか、そこに興味があって、ワクワクしながら書きましたね(笑)。さらに大岡越前に目を転じてみたら、事件には政治や経済の問題が複雑に絡んでいたのではないかという想像が働きました。

──吉兵衛は、大坂の役人に賄賂を渡して裁判を有利にしたとされていますが、本書ではまったく違った解釈になっていました。

朝井:当時は儀礼社会ですから、賄賂と通常の交際の区別がつきにくいんです。しかも奉行所に訴えて出るのが無料だったので民事裁判の件数が多く、ひどく待たされます。手続きも煩雑ですから、裁判にかかわった町人は役人にうまく取り計らってもらうために包みを渡しました。ごく日常的な習慣ですね。吉兵衛の賄賂が問題になったのは、日頃の遊蕩ゆうとうや奢侈しゃしも一因でしょう。江戸の役人にしたら、最も嫌いなタイプの大坂人ですから(笑)。

──吉兵衛だけでなく、登場人物全員が一癖も二癖もありました。ほとんどが実在の人物なのに、小説のキャラクターより個性的で、こちらの期待以上のことをやってくれます。

朝井:実際の事件がフィクションのように面白いので、そのぶんキャラクターの造形も派手にしました。これまでなら抑えて書くところを抑えずに、存分に弾けさせてもらいました。ただ、事件の推移は史実に基づいています。たとえば姪の伊波は、大坂の裁判で吉兵衛に都合の良い証言をします。その後に死んでいるので吉兵衛は証言を翻される危険がなくなり有利になるのですが、これも史実です。さらにその後、久佐衛門の妾腹しょうふくの娘・じうが現れ、吉兵衛は自分の息子と結婚させます。なんとあれも史実なんです。

──じうはいかにも怪しいので、架空の人物かと思っていました。

朝井:本当に怪しいですよね。でも実際にいたんです。歴史小説の読者の方はどこまでが史実かを気にされるようで、サイン会などで「あれは史実ですか」と聞かれることがあります。「そこは私が作ったんです」と答えるとがっかりされることがあるので、今回は「作り話みたいですが、すべて実話です」と堂々と言えますが、作家としては複雑です(笑)。

──大坂での判決に不服だった乙之助は、目安箱に訴状を入れ、江戸で裁判になります。吉兵衛は江戸に送られ、牢ろうに入れられていて、かなりのページを割いて牢内の苦労話を書かれていましたね。
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朝井:江戸時代の牢が牢名主を頂点とする階級社会だったことなどは、時代小説を読んでいる方はご存知ですが、よく分からない読者も多いと思うので、そこを知っていただきたいというのもありました。吉兵衛が、牢名主とのやり取りを通して、いかに命とお尻を守りながら(笑)、生き残るかを書くのは楽しかったですね。
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──吉兵衛が、金と口先で牢名主と渡り合い、牢内をサバイバルするところは、大坂商人の面目躍如でした。

朝井:はい。彼は牢内で最も成長しましたね(笑)。事件の裏に、江戸VS.大坂の構図が・・・

──事件そのものはシリアスなのに、出てくるのが濃いキャラクターばかりで、思いもよらない言動をするので全編がユーモラスになっていました。

朝井:執筆前はもっとシリアスにする予定だったんです。全員が大真面目なのに、やはり何がしかの欲が働いて、それに向かって進むことで事態を悪化させていったので、完成したら、あら、ブラック・コメディになっている!って。

──「辰巳屋一件」は、大坂と江戸で裁判になっているので、法廷サスペンス色が強くなると思っていましたが、上方の町人文化や、大岡越前が行った経済政策なども複雑にからんでくるので驚きました。

朝井:吉兵衛は、江戸で訴状に書かれた内容を認めるように強要されます。自白優先という日本の司法の問題点はこの頃からあったのかと思っていたら、吉兵衛だけが自白を拒否していることが分かりました。なぜ吉兵衛が粘ったのかを探っていたら、事件の裏側が見えてきたんです。

──その裏側の一つが、貨幣改鋳問題でした。江戸時代の経済は、江戸は金立て、大坂は銀立てで動き、金と銀の交換レートは常に変動していました。長く銀高基調だったので、大岡は銀安、金高にしようと貨幣の改鋳を断行します。辰巳屋の事件の背景に、江戸(金)VS.大坂(銀)の構図があったというのは興味深かったです。
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朝井:大坂は幕末まで「天下の台所」だったと言われますが、時代が下ると江戸に送られる米も増え、大坂経済は傾いていきます。この事件は、将軍が大坂の動向を気にし始めたことで大坂と江戸の均衡が崩れ、江戸が台頭する切っ掛けになったとの解釈もできるんです。また享保時代は、唐金屋のような朱印船貿易をしていた頃からの老舗と、五代将軍・綱吉の時代に台頭してきた新興勢力が混在していました。老舗の唐金屋と新興の辰巳屋の戦いも吉宗の時代を象徴していたので、起こるべくして起こったのかもしれません。ただ私は数字に弱いので、経済問題には、あまり踏み込みたくなかったんですが(笑)。
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──珍しい牡丹ぼたんを媒介にして、吉宗と唐金屋が結び付いていきます。(ですから著書表紙に善玉と悪玉を思わせる牡丹が描かれているのでしょう・・・ブログ筆者注釈。)この二人が結託したことで、吉兵衛は次第に追い込まれていきますが、これは史実なんですか。
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朝井:吉宗は植物好きで有名で、だから上方の商人が珍しい牡丹を献上したという記録が残っています。実は「辰巳屋一件」を書きたいと思ったのは、この牡丹がそもそものきっかけなんです。牡丹を贈ったのが、吉兵衛と敵対する乙之助の父・唐金屋だと知った時、事件には裏があると確信しました(笑)。当時の珍しい植物は現代まで伝わっていないものも多いので、そこはフィクションを広げやすかったです。
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──作中では、徳川将軍家には代々「花癖かへき」があったとされていましたが、この指摘にも驚きました。

朝井:江戸に入った家康は城やその周辺を開発しますが、その次に作ったのがお花畑なんです。しかも武家風の庭ではなく、草花を植えた〝ガーデン〟だったんです。

──この事件が不可解なのは、寺社奉行だった大岡が商家の相続争いという管轄外の案件を裁いたことでした。この謎の背景に、将軍と唐金屋には親密さがあったという朝井さんの説を読んで納得できました。

朝井:「大岡日記」を読むと、本当に辰巳屋を気にかけていたことが分かります。何を想っていたかは書いてありませんが、とにかく回数が多いんです。吉宗は唐金屋と結び付き、左遷されていた大岡は復権の機会をうかがっていたはずなので、そこに「忖度」の構図が見えてきました。
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──大岡が痔だったとありましたが……これは史実なんですか。

朝井:史実です(笑)。史料を読んで、大岡がスーパー官僚だったと実感しました。吉宗は江戸市中に桜を植えるように命じますが、実務を指揮したのは大岡なんです。そのほかにも土木事業や貨幣改鋳などを手掛けていますから、あれだけ仕事をしていればお尻も悪くなるだろうと思って書いていたら、後で史実と分かって驚きました(笑)。

──「忖度」「中間管理職の悲哀」、現代日本に続くひな形がすでに・・・。将軍には無理難題を押し付けられ、部下の尻拭いもしている大岡には、現代の中間管理職と重なる悲哀を感じました。

朝井:権力を握った人間が考えることや部下が上役の思惑を忖度する構図など、人は変わらないということなんでしょうね。感情や物事の捉え方も、あの頃に現代まで続く日本人のひな形ができたのかもしれません。

──中盤以降は、巨大な権力が結託して吉兵衛という小さな個人を圧殺していきます。これは現代でも起こりうるので、恐ろしく感じました。

朝井:そう言っていただけると嬉しいです。私は、物語が現代に通じていると判断するのは読者であって、自分がそう考えて書くのは違うと思っているのですが、連載中に森友問題が起きました。事件が大きくなる過程は辰巳屋一件と似ていて、権力の構造が事件を悪化させるし、トカゲの尻尾切りは今も昔も変わらないですね。森友問題はすぐに下火になると思っていたので、単行本が出る頃まで続いているとは想像もしていませんでしたが。

──吉兵衛は終盤になると、お白洲で最後まで抵抗し、自分を窮地に追い込んだ黒幕とその弱点を推理します。法廷サスペンスとしても、本格的なミステリとしても面白かったです。土壇場にまで追い込まれた吉兵衛が一矢報いるラストは、痛快でした。
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朝井:本当に一矢だけですけどね(笑)。江戸時代のお白洲は、事前に取り調べた書面だけで審議を進めるので、下手人が証言することはありませんでした。ただ吉兵衛は最後まで書面の内容を拒否し続けたので、法廷での尋問があったのでは、そこで黒幕と対決をしたのではないかと考えました。吉兵衛の支援者が法廷の外で奉行所の役人に賄賂攻勢をかけたのも史実で、それがゆえに江戸の官僚も巻き込んでの大疑獄事件に発展してしまったんです。

──本書は、朝井さんの作品では、一番エンタメ色が強くなっていませんでしたか。

朝井:ええ、舞台も登場人物も派手で大仕掛けですから、書いていて痛快でした。読者の皆様にも、存分に楽しんでいただきたいです!
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ところで、この「悪玉伝」は、第22回司馬遼太郎賞を受賞していますが、贈賞理由は・・・
元文五年(一七四〇)に起こった辰巳屋騒動に取材した物語。従来悪人と評されることが多かった吉兵衛を主人公に事件をとらえ直し、当時の大坂商人の洒脱で粋で度胸あふれる生き様を描き出した。事件の年には大岡越前による貨幣の改鋳が行なわれたように、江戸経済は大きな曲がり角にさしかかっていた。そうした金銀貨幣事情も背景とし、大坂と江戸との経済的なせめぎ合いもうまくとらえている。濡れ衣を着せられて投獄された吉兵衛のシーンは出色で、息を呑むばかりである。その中を生き抜く吉兵衛の姿に、大坂商人の心意気と懐の深さが現れていて、ラストのカタルシスにつながっている。物語性の豊かさや面白さと共に、批判されがちだった大坂商人の気質を肯定的にとらえ直したことや、ディテールの描写、実感の把握が優れていることも高く評価された。
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いゃあ、司馬遼さんも朝井さんのような作家が大阪で頑張っているのをきっと喜んでおられるとでしょうね。今回は私が蘊蓄を傾けるより皆さんの書かれたのを引用させて頂きました。多謝々々!
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袖振れ合うも多生の縁341~ABC朝日放送には女子アナがいなかった時代もあったのです。

ここ数年ずっと寝ながらNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたり、早朝は局を替えて朝日放送の「朝も早よから芦沢誠です」や「・・・桂紗綾です」を愛聴しています。
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「朝も早よから・・・」を聴くようになったのは、昨年まで中原秀一郎さんがやっており、中原さんとはずっと前、「トヨタさわやかパトロール」という番組を一緒にやらせて貰っていたので懐かしくてほぼ毎朝聴くようになり、彼がこの番組を卒業しても習慣として継続してしまっているのです。(「さわパト」は当初小田壽一さんでしたが、一週間だけ村井守さんだったこともありました)
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そういえば、ワタシはTV・ラジオの仕事は朝日放送とご縁が深く、ABCのアナウンサーさん達とも色々袖振れ合わせて頂きました。振り返ってみますと、まず、後に国会議員になられた故中村鋭一さん。
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その次はイギリスのBBCに出向されていたダンディな慶応ボーイの面影が幾つになっても漂っていた松倉一義さん。そして今も現役の道上洋三さん。
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それから「エキスタ女学院」(ラジオでなくTV番組)で故安倍憲幸さんと金木賢一さん。アベロクさんとはラジオの「アベロクのドンマイサンデー!」でもご一緒した飲み友達でした。
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最後は「東西南北 龍介が行く!}で秘書室長からアナに復帰された乾龍介さん。
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このような諸氏と袖振れ合わせて頂いたのですが、中村の鋭ちゃんや松倉さんとやらせて貰っていた頃のABCには女子アナが居なかったのです。女性の喋り手さんが数名、TTB(TVタレントビューロー)から派遣されていましたが、ニュースを読むこともなく、イベント告知のアナウンスぐらいしか声出しはなかったと思います。
処でワタシは2006年頃からABCとのおつきあいがなくなり今日に至っていますが、ABCもいつの頃からか女子アナを採用されるようになりました。そして2008年入社の女子アナ、桂紗綾さんにワタシは目下注目しているのであります。
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実は今年の1月、「朝も早よから・・・」の金曜バージョンを聴いた時、彼女が局アナとは知りませんでした。桂紗綾さんて噺家さんか、パーソナリティさんか・・・と思っていたのです。と言いますのは、私の知人にOSK出身で劇団四季を経てミュージカル女優の他、多方面で色々活躍されている竹内早苗さんという方がいて、彼女のニックネームが「さーな」でしたから、「さーや」という名前が本名とは思えず、芸名と思ったのです。しかし入社して10年、勤続10年の表彰をされた女子アナさんだったとは!
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ワタシがABCに出入りしなくなって、そんな月日がたってしまっているのですね。それは兎も角、「朝も早よから・・・」の冒頭部分で、紗綾さんはこの一週間にあった出来事についてトークしているのですが、それを聴いていると、彼女のパーソナリティというか、人物模様というか、人間性が良くわかり好ましく注目するようになったのです。
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例えば、平成から令和への大型連休で夫はヨーロッパ旅行、自分は仕事で留守番、夫が出発する朝、「土産は何が良い?」と聞かれたのに対し、「何もいらんわ。アンタさえ無事に帰って来てくれたら。」と答えた・・・と思わせて、「アンタさえ無事に帰って来てくれたらとは、心で思っても言いませんでしたけどね・・・」とさらっと躱すところや、お土産に買って貰ったワンピースを翌日早速着て夫を喜ばせたものの、それをお気に入りの白いブラウスと洗ってしまい、ブラウスにワンピースの色が染まってしまって、お土産は嬉しいもののブラウスが台無しになった恨みがましさなど、心の細やかなひだを語る喋り口に惹かれたのです。それからもうひとつ、区役所に結婚届けを夫と出しに行くクルマの中で泣いてしまった話も考えさせられました。
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桂紗綾という苗字と名前は、自分が生まれた時からずっと遣ってきた、自分そのものであり、自分のアイデンティテイなのに、苗字が変わってしまうと何か自分が自分じゃなくなるような気がする・・・そんな気持ちを訥々と話されていたと記憶しています。夫に桂姓を名乗って貰うことなど考えもしなかったので、戸籍上は夫の姓になったものの、ワーキングネームとして桂紗綾を遣い続けているそうです。ま、会社が、ABCが、ワーキングネームを認めてくれたから少しは救われたのでしょうが、日本も夫婦別姓の問題を真剣に考えるべきなのでしょうね。
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私は現在喜寿ですが、夫婦別姓は賛成です。処で、ワタシの名前である原彰というのはペンネームで、本名でなく筆名で物書きを始めた60年前、親父に「お前は大原を棄てるのか・・・}と言われたことがありました。因みに私の本名は大原久雄ですが、ずっと原彰でやっている頃は、役所とかで、「大原さん。」と呼ばれると、誰のこっちゃ。あ、オレや・・・と自分の事と気付くのに若干間があったのを覚えています。しかし、仕事を殆どリタイアした今、原でも大原でも、どっちゃでもえゝやないか、という塩梅です。ま、私事はさておき、桂紗綾さんて名前を聞いた時、噺家さんやないかと思ったのですが、彼女はプロではないものの、結構上手いアマチュア落語家なのだそうです。
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昨年、「第10回社会人落語日本一決定戦」に参加し、特別賞にあたる池田市長賞を受賞した由。
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では、彼女は落語の何がそんなに好きなのか。ABCのHPで彼女はこう語っています。
落語ってね、人と人との繋がりがとても濃くて深いんです。
登場人物はアホでどうしようもない人ばかりだけど、みんな愛おしいんです。
悪い人でも許してしまうくらい可愛らしくて笑いに溢れている。
かと思えば、ぐっと心を引き込んで泣かせるような良い噺もあったりして。
人の温かさを感じる世界なんですね。
何となく今の社会に足りないものが落語の世界には優しく漂っている気がするんです。
落語の世界に移住したい!と、わけわらん願望を抱くようになりました(笑)

このコメントで、桂紗綾さんに益々惹かれたワタシなのです。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁340~古参講釈師、一龍斎貞心師匠とは50年来の旧知です!

前回は落語家の笑福亭銀瓶さんでしたが、今回は好男子、いえ講談師、講釈師でワタシと袖触れ合った、一龍斎貞心さんの話です。
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師匠のプロフィールは、講談協会のオフィシャルウェブサイトによりますと・・・


○一龍齋 貞心(いちりゅうさい ていしん)
○本  名 大友 良雄
○階  級 真打
○役  職 協会理事・事務局長
○生  年 昭和17年(1942年)
○出身地 東京・池袋

○芸  歴 昭和32年3月 映画「異母兄弟」に次男剛次郎役で出演。
     NHK「おいらの町」「若い季節」等レギュラー出演他、多数出演。
     昭和45年2月 六代目一龍齋貞丈師に師事。貞司を名乗る。
    昭和55年4月 真打に昇進。貞心と改め現在に至る。

○読 物 「赤穂義士伝」 「玉菊灯籠」 「は組小町」 「八百蔵吉五郎」 「中村仲蔵」
○趣 味 野球、ゴルフ、テニス、スキー
○講 演 【見直そう日本の文化】をテーマに「生活(くらし)の中の江戸文化」等

○受 賞 昭和56年度 文化庁芸術祭優秀賞
     平成12年度 文化庁芸術祭優秀賞

○著 書 「講釈・江戸史跡めぐり」

師匠はワタシと同い年で、彼の本名は大友良雄、ワタシは大原久雄、二字違いで大違い、そんなに余計なことはさておいて、協会のプロフィールには書かれていませんが、彼は子供の頃劇団こまどりで活躍した子役さんでした。そして劇団造形(新劇の劇団ですが、この名前を知ってる人も少なくなったでしょうね)に入団した後だったか前だったか定かではありませんが、知人に紹介されすぐに意気投合、ワタシが友人とやっていた劇団黒(現在フランスの特殊メイク第一人者クルッペ・麗子さんも在籍していました)の公演に東京から来演してくれたこともありました。
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あれは20歳過ぎだったかな。上演時間1時30分くらいの本でしたが、彼は一読したら自分の役の台詞の半分くらいは覚えているという、凄い記憶の持ち主でした。
ですから、その後、話芸に生きると決意し、講談師となってもネタを覚えるのはさほど苦労しなかったのではないでしょうか。処で彼は6代目一龍斎貞丈師匠に入門したのですが、貞心さん、その頃は貞司さん(俳優の芸名が若杉幸司だったので、貞司に)でしたが、彼の最初の独演会にゲスト出演された故立川談志さんは、彼の語り口が先代の貞丈大師匠に似ていて期待の持てる奴と評していました。
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先代の貞丈師匠(写真上)は、お笑い三人組(江戸屋猫八・一龍斎貞鳳・三遊亭小金馬)で名をはせ、後に国会議員になった一龍斎貞鳳さんや、怪談話の第一人者一龍斎貞水さんなど優れた門下生が輩出した偉大な大師匠なんですよ。
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そんな貞心師匠が二つ目の頃、私は彼の読み物の本を書いたことがありました。1971年だったと思いますが、当時毎日放送TVの『奥様2時です!』というワイドショーの構成をやらせて頂いており、「世相演芸会」なる企画をブレゼンし、GOになったのです。それは、世の中の出来事にとんちんかんな難癖をつけ、「責任者出てこい!」の決めゼリフを吐く、ぼやき漫才の人生幸朗・生恵幸子(じんせい こうろ・いくえ さちこ)ご両人を中心に、漫才や漫談などで世相を叱りまくったり、或いは笑いのめしたりという、硬派軟派ごちゃ混ぜの演芸会でした。
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この番組に友人の貞司さんを招きたく、安達ヶ原の鬼婆が赤子を取って食う伝説と子供の虐待をオーバラップさせた『古今東西安達ヶ原譚』なる新作講談をやっていると偽り、プロデューサーとディレクターにOKさせたのです。
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GOになったので、私はそれ迄講談の読み物なんて書いたことはないのですが、ままよ!と慌てて台本を書き上げ至急送付し、彼は即覚えて出演してくれたという訳でした。いやあ、ようあんな離れ業やりましたなぁ。あの番組のスタッフがもしご存命で、万一このブログを読まれたとしても、遠い昔の話やと笑い話ですませて貰えると思います。あれから50年、貞司さん、いや貞心師匠は講談協会の理事であり事務局長をも兼務し、一門外の若手にも仕事を回したり様々な面倒を見たりされているとか。又ご自身は2人のお弟子さん、それも女流を抱えておられるのです。
筆頭弟子一龍斎貞寿さん(写真下)のブログによれば、<貞心一門はいつも仲良し>だとか。
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ある日、鶴賀若狭掾師匠の会に行ってみると・・・今回、うちの師匠が司会なんですが。あら、まあ!どうしたんですか!師匠、突然、劇老け!!
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玉手箱でも開けたんですか!!…というのは冗談で。今回は「初代鶴賀若狭掾生誕三百年」を記念する演奏会。ということで、初代若狭掾師匠に扮して司会をなさるという趣向、だそうで。当人、この恰好が、かなりお気に入りの御様子。

(ちなみに衣装は自前です)
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ちゃっかり、妹弟子(一龍斎貞奈)に写真とらせてました(笑)
うちの妹弟子も一言。
「わあ、師匠、いいですねえ、おじいちゃん感、半端ないです」
…それ、褒めてるの?ねえ、褒めてるの?(笑)
彼女のこういうところ、好きです。
ほどなくして、師匠、お召し変え。
「あれ、洋服に着替えるんですか?」
「そりゃそうだよ、ずっと、このままじゃ進行しにくいし、今日は舞台上みんな着物だからな」
なるほど。洋服の方が、かえって舞台では目立つことでしょう。
しかし、師匠。いくら目立ちたいとはいえ…
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このスーツはどうでしょう。
疲れた私を笑わそうと云う、そういうお心遣いなんでしょうか。
うちの妹弟子が一言。
「わあ、師匠、こんなネクタイ、締めてる人いませんよ」
…それ、褒めてるの?ねえ、褒めてるの?(笑)
彼女のこういうところ、好きです。私が調子にのりまして、
「師匠、ちょっとナナメにポーズお願いします」
とリクエストすると、嬉しそうに
「モデル立ち?モデル立ち?」
とポーズを決めてくださる師匠。
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うん、師匠、ばっちりっす!
Vシネ感、半端ないっす!
このスーツを着こなせるのは、竹内力か一龍齋貞心だけっす!
このまま、マルベル堂で販売したいくらいっす!
普通、弟子と師匠って、こんな感じじゃないと思いますし、
もちろん私も、時と場所を選んで、くだけさせて頂いているつもりではありますが。
調子にのった弟子を叱るでもなく、一緒に楽しんでくださる。
師匠の元に弟子入りして良かった、と思います。
貞心一門は、今日も仲良しです(笑)

このように貞心一門は和気藹々なんですね。でも師匠の為に一言。
貞心師匠はこんなスーツ、普段着てませんから、ご安心下さい。
ではでは。




袖振れ合うも多生の縁339~昼TVをつけると笑福亭銀瓶さんが、夜ラジオをつけると又銀瓶さんが!~

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先日の昼間、TVをつけるとNHKだったか、笑福亭銀瓶さんが落語を演ってました。演目は「ちはやぶる」やったと思います。そして夜、ベッドサイドのラジオをつけると又々銀瓶さんが落語「天災」を・・・!
どちらも番組表を見て、銀ちゃんが出演していると知っててつけたんやないんです。全くの偶然なんですが、こんなことてあるんですね。
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銀ちゃんとは14、5年前になりますが、ABCラジオの「東西南北龍介が行く!」という番組でご一緒させて貰ろてました。この番組で一緒に何をやってたかというと、リスナーから寄せられた疑問・質問を番組終了迄に調べて答える<お調べ隊>なるお役目をUプロデューサーから仰せつかっていたのです。
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私はこの番組の数年前にも、「トヨタさわやかパトロール」なる番組で、Uさんに喋り手としてスカウトされ、同様のお役目、お調べ隊長をやらせて頂いておりましたが、「東西南北・・・」では銀ちゃんに隊長を譲り、私は隊員でありました。
そんな昔のことは兎も角、銀瓶さんがOBCラジオで「笑福亭銀瓶の銀ぎんワイド」(月~金)をやってはる時も、私が主宰していたBATの舞台公演PRに何度か出演させて貰いました。その節はほんまにおおきに、ありがとさん!
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処で、偶然にも単なる偶然と意味のある偶然があるそうですが、一日に二度もスイッチ・オンするや否やTVもラジオにも銀瓶さんが登場するなんて・・・何かの予兆なのか、それとも単に銀ちゃんが売れっ子だという証なのでしょうか?

あ、そういえば昔、河島英五さんともそんなことがありましたよ!
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河島英五さんの数々の唄の中では「酒と泪と男と女」に籠められた男の、女の、人間の哀愁がワタシは堪らなく好きなのであります。
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それはさておき、多分20年以上も前だたと思いますが、たまたまTVをつけると河島英五さんが出ていて、「歳の離れた妹に、『お兄ちゃん、霊界ってあるんやろか? 』 と聞かれて・・・」云々という話をされていたのです。その歳の離れた妹さんというのは、当時OSKに在籍していた橘サラさんで、「霊界」というのは故丹波哲郎さんの霊界を私がミュージカルにし、橘サラさんは初舞台で出演していたのです。
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そして又ある時、たまたまTVをつけると、又英五さんが出ていて、「この劇場は(今は閉鎖された森ノ宮の青少年会館)娘のあみるが初舞台を踏んだ劇場で、『秘密の花園』というミュージカルやったけど、これがえゝ本で・・・」という話をされていたのです。
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このえゝ本を書いたのは私で、何気なくTVをつけた途端に一度ならず二度も河島英五さんが映り、しかも私に関係のある話をされている! というので何か不思議な縁のようなものを感じてしまったことがあったのです。処で、英五さんの妹の橘サラさんとはOSKで何度もご一緒しましたが、彼女の最後の舞台は、故佐野洋子さんの絵本『百万回生きたねこ』をミュージカルにした作品でした。
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そして15年程前、私はテーマパーク、パルケエスパーニャのエンタテイメントの総合演出を任されていて、キャラクターショーやパレードの振付を誰に頼もうかと思案中、ジャズダンス協会の公演で、偶然会った橘サラさんとご主人の大向井隆夫さんに依頼したのです。
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その初日、大向井クンとサラさんの息子、隆太クンが遊びに来ていて、当時幼稚園児だった隆太クンはワタシの孫のような年頃でしたから、カレが甘えてくるのでずっとだっこしていたのを覚えています。この隆太クンともあるご縁があるのですが、それは秘密の花園に隠しておきます。でも今回の銀瓶さんとの偶然が、何か意味のあることだと分かったらブログに書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁338~竹原ピストルさんのシアターライブ、超圧巻でした!~

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昨年から見たい見たいと想いながらチケットが全然取れなかった竹原ピストルさんのライブに先日、といっても大分前のことですが、勇躍行ってきました!チケットの取り扱いはe+なんですが、昨年は先行発売に3度申し込んだものの全部外れで、一般発売日の発売時間に即申し込んでも既にソールドアウトだったのです。でも、今年は最初の先行発売の抽選で見事当たりました。やった!
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この日のピストルさんのライブを一言で言と、
ひたすら歌う! とにかく歌う! 寸暇を惜しんで歌いまくる!
この言葉に尽きるのではないでしょうか。さだまさしさんや故やしきたかじんさんのように、歌より喋りの方が多いのんとちゃうか・・・と思わせるようなことは全くなく、1曲を全力振り絞って歌い切ると、汗を拭く間も惜しんで顔をささっと拭ったタオルを投げ捨て、ペットボトルの水を口にほりこみ、間髪入れず次の曲にうつるのです。休憩なしの90分、何曲歌ったのか数えられない程次から次へと歌い続ける有様で、まさに獅子奮迅、全力疾走なのです!そんなピストルさんの姿に私は何故か、遮二無二走る公務員ランナー川内優輝選手を思い浮かべていました。
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川内選手のことはさておき、このライブはドラム&パーカッションのあらきゆうこさん、ベースギターのサトウヨウスケさんとのトリオで重厚なサウンドを叩き出しているのですが、途中あらきさんとサトウさんを休ませても、ピストルさんはその間3曲独りで歌っているのです。いゃあ、これって感動ものでした。
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ところでドラムのあらきゆうこさん、小柄な女性なのに何とまあパワフルにしてエネルギッシュで、男性ドラマーなんて目じゃないと思わせるド迫力なのです!
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又、ギターのサトウヨウスケさんも超テクニシャンにしてエネルギッシュ、重低音からハイトーンまで、聴覚をこえる高周波が体感をしびれさせるのです!
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さて、ピストルさんのボーカルでどなん曲が良かったかというと、ラップまがいの曲やロックっぽい曲も素晴らしかったのですが、私の琴線に触れた、心の糸を掻き鳴らし高揚させたのは、<For Ever Young>と<Amazing Grace>でした。以前CDやYouTubeで見聴きした時より高音のファルセットのパートが進化しているように思わせてくれました。
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<For Ever Young>の歌詞に
満ち満ちた若葉はいつだって 色褪せた枯れ葉の上にひらくのさ

とありますが、彼の歌声もそうなんですね。又<Amazing Grace>の歌詞のワンフレーズは、
ミジンコくらいにちいさくなって あなたのおなかの中に出陣したい たとえ刺し違えても あなたを蝕むがん細胞を ぶっ殺してやりたい』
なのですが、これってSF映画<ミクロの決死隊>のようですね。
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<ミクロの決死隊>の粗筋は、物体を細菌大に縮小し長時間体内に浮遊しうる研究を完成した博士が脳内出血を起こしたので、潜行艇に医師と科学者を乗せミクロ大に縮小し、博士の頚動脈に注射し、博士の脳内出血部に到達させてレーザー光線で治療しようというお話なのです。
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<ミクロの決死隊>は1966年、ピストルさんが生まれる10年前に製作されたアメリカ映画で、50年以上も前に公開された旧作を知ってる人も少ないでしょうし、多分ピストルさんはご覧になっていないでしょうね。私はピストルさんの<Amazing Grace>をCDで聴いた時、こんな古いSFを思い出しましたすが、それは兎も角、原曲の作詞は奴隷商人から牧師になったイギリス人ジョン・ニュートンで、己の犯した罪の悔悟と赦し賜うた神への感謝を歌っているのです。
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一寸長いですが原詩と意訳をworldfolksong.comからコピペさせて頂きますと・・・

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから心を解き放ち給う
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった

The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
命の続く限り

Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りある命が止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎの時を手に入れるのだ

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

やがて大地が雪のように解け
太陽が輝くのをやめても
私を召された主は
永遠に私のものだ

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

何万年経とうとも
太陽のように光り輝き
最初に歌い始めたとき以上に
神の恵みを歌い讃え続けることだろう

原詩と比べると、ミジンコがアメージングな驚くべき神の恩寵を歌いあげた曲に登場するのが何とも面白く、ピストルさん面目躍如と思うのであります。でもピストルさんは大真面目に歌詞を書き、切々とシャウトし、絶叫するが如く歌い上げたのに、私は胸を打たれたのでありま~す。処でこの曲はアンコールで歌われたのですが、本編90分、更にアンコールで30分、都合120分をてんこ盛りに歌い継いだライブは圧巻で、満腹!御馳走様!と申し上げ終わりたいと思います。画像画像ではでは。

袖振れ合うも多生の縁337~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅴ)!

今回は令和になって初めて送られてきた月報を、早速取り上げさせて貰いました。いや、ええ話が載ってたので・・・
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「いよいよ令和やけど、どんな世の中になるんやろ?」
「きっと希望あふれる時代やと思う。ブータンの言葉ゾンカ語でレイワは希望という意味やからな。」「そうなんですか!」
「そや。ブータンは国民総幸福量を国造りの根本にしてるのや。そんな国のある少女の話やけど、その子はお母さんにブローチをプレゼントされ学校にしていったら、友達にメチャ羨ましがられたんやて。」
「その子を取り囲んで、みんなワイワイはしゃいだでしょうね。」
「いや。2、3人しょんぼりしてたとか。貧乏で自分は買うてもらわれへんから悲しかったんやろ。」「可哀想に・・・」「それでその子は家に帰ってブローチをお母さんにあずけて、私に孫が出来たらあげるのや。その頃はみんながブローチ買うて貰えるように豊かになってるから。そう言うたそうな。」「その子、偉い!」「友達を思いやる気持ちだけやのうて、未来を信じてるし、未来に希望を持ってるもんな。」
「日本もわが社も未来を信じ、希望が持てるよう頑張りましょう!」


このブータンの少女の話、ワタシも読んだことがありますわ。スローライフの提唱をされたり、ブータンの国是、国民層幸福量制度を研究する為、ブータンに長年住み着いていはった、辻信一さんという明治学院大学教授の著書に書かれていたと思います。
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ところで、外務省(我が国の)HPによりますと・・・

ブータンの1人当たりの国民総所得は1,920米ドル(世界銀行,2010年)であるにもかかわらず,国勢調査(2005年)ではブータン国民の約97%が「幸せ」と回答しています。
「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」と1970年代にGNHの概念を提唱したのは,先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王でした。
(写真下はシンゲ先代国王と国王肖像画の100ニュルタム紙幣)

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再びわが国外務省のHPによりますと・・・

GNHは,経済成長を重視する姿勢を見直し,伝統的な社会・文化や民意,環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方です。その背景には仏教の価値観があり,環境保護,文化の推進など4本柱のもと,9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標が策定されています。国家がGNH追求のために努力することは憲法にも明記され,政策を立案,調整するGNH委員会が重要な役割を担っています。ブータンはGNHを基本方針とする独特の政策をとっています。例えば医療費と教育費は無料で,煙草の持ち込みや高山への登山は禁止です。伝統文化を重んじ公的な場所では民族衣装の着用を義務づけています。

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また,国土の森林面積の割合を60%以上に維持することを定め,森林や伐採業務を国有化。自然環境保護を国是とするブータンは,近年のエコロジーの流れもあって世界から注目を浴びています。絶滅危惧種であるオグロヅルが飛来するポプジカ谷では,オグロヅルを保護するために住民が地上の電線施設を一時断念しました(現在は地下ケーブルにより電化が実現)。この話はGNHの理念を象徴するエピソードです。一方で,都市への若者人口流入や雇用不足などの問題も起こっており,政府は急速な近代化ではなく持続可能な発展を目指しています。
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上記のようなブータン国紹介を、外務省の官僚さんが書かれているのですが、どのような気持ちで書かれたのでしょうか。わが国もこうありたいと思っていらっしゃるのかどうか、一度お聴きしてみたいものです。
それはさておき、ブータンの子供たちって、未来を信じているのでしょうね。
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日本の子度たちもそうであって欲しい、子供たちが未来に希望を持てる国であって欲しい・・・そう願うばかりです。

袖振れ合うも多生の縁336~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅳ)!

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「今月は世阿弥の<初心忘るべからず>についてや。」
「物事を始めた時の気持ちを忘れたらアカンゆうことですね。」
「そうやけど、本当の意味は一寸違うねん。<初>という字は<衣>偏に<刀>で、着物を仕立てる時、一枚の布を裁ち次々と刀を入れ布の形を変えて仕上げるから、初心とは変わる事、変えていく事で、それを忘れるなというのが真意やそうや。」
「えー、知りませんでした。」
「世阿弥は、お能の稽古は一生をかけての修行で、もうこれでえゝちゅうことはない、常に自己変革すべしと教えてるのや。」
「そうか、能楽だけやのうて何事もそうですよね。」
「そや。脳科学者の茂木健一郎さんは、人生最高の創造は自己変革やと言うてはる。私も三代目社長になった時より少しは成長してるやろけど、これから益々変わろと思てる。来年から、いや来月から、いやいや今日から変わります!」
「どない変わりはるのか楽しみや。よーし、ボクも変身する象!」


この月報見るまでは、私も<初心忘るべからず>は<物事を始めた時の気持ちを忘れるな>ということやと思てましたから、青天の霹靂でした!
成る程<初>という字は<衣偏に刀>ですから、着物を仕立てる時の裁断から来たのでしょう。
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誰もが能楽のお稽古をしてるわけやないですけど、生涯学習というように学びは一生ものですから、私も日々勉強し続けて変わり続けますわ。そやけど茂木健一郎さんもえゝこと言うてはりますな。そうか、自己変革が人生最高の創造か・・・
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ほな、昨秋ガラ携を廃棄し古き良き昭和に立ち返ったワタシは人生最高のクリエイトをしたっちゅう訳ですな。
これ、自己満足でしょうね。それはさておき、次も私は目から鱗でした。
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「今月は<鶴の恩送り>についてや。」
「あれ、<鶴の恩返し>やないんですか。」
「普通知られてるのは、鶴が助けて貰ろた恩を機織りして返すのやけど、元々は受けた恩を返すのやのうて、鶴から人へ、人間が自然から受ける恵みの話しやった。」
「知りませんでした。」
「あのな、恩返しは二人だけのやり取りやけど、恩送りは誰かから受けた恩を送り渡すように別の人に対してする、そしてその別の人が又誰かにする。」
「成る程、そしたら二人だけやのうて、次々広がりますよね!」
「そやろ。鶴から受けた恵みを道端の草に返すのも良し、人に返してもえゝのや。私もお得意様はじめ色々な方にご恩を受けてるから、それをデフバスケやアイバンクなど福祉に返させて貰ろてる。英語で言うと、恩を、恵みを未来まで届ける幸せのぐるぐる巡りや。」
「えゝですね!その恵みの輪を、幸せの輪を、社長からボクが受け継ぎますわ!」
「嬉しいな! これも立派な、次代へつなぐ新たな挑戦や!」


私は長年演劇をやってましたけど、木下順二さん作・山本安英さん主演の「夕鶴」を何度も観劇して感激しましたので(安易な語呂合わせですナ)、
人間に助けられた鶴が機織りして恩を返すとアタマにこびりついてましたけど、本来は<恩送り>やったとは!
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考えてみますと、<恩返し>より<恩送り>の方がずっとずーっと広がりがあるし、エンドレスになりそうですよね。
そうそう、月報でもにふれてますが、これってワーナーブラザーズの映画なんです。
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あらすじは・・・
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。 中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
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私も今まで長い人生を歩んでた間に色々な人のお世話になってここまでやって来られましたから、そのペイ・フオワードを始めたいと思います。
さて、私のファーストステップがどのように広がるのでしょうか。それは神のみぞ知るですが・・・。
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袖振れ合うも多生の縁335~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅲ)!

4月26日のブログで次回は2017年の<Say象のつぶやきます象!>を取り上げると予告しましたが、令和がらみで一ヶ月過ぎてしまいました。今日、久しぶりに<Say象のつぶやきます象!>を取り上げさせて頂きます。
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「新年も早、松の内を過ぎましたね。」
「今迄キミに印刷と出版とITの話をしてきたけど、今年は福祉について聞いて貰おと思てるのや。」
「福祉て、一昨年夏に始めたセブン中桜塚事業所の事ですか?」
「そや。そやけどそれだけやないで。去年、障がい者は生きる価値が無いて殺そうとした哀しい事件があったよな。」「はい、メチャ可哀想でいつの間にか泪が・・・」
「私は障害を抱えてる人をもっともっと大切にせなアカンと思てる。古代文明を誇ったインカには、6本指の掌の周りを囲んだ5本指の掌が、障害のある掌を大切そうに優しく守ってる図柄の織物があるのや。」
「うわー、それってスゴイ!」
「障がい者は神様に選ばれた人という考え方がインカにはあったのや。この精神を私達も学んだらええのにな。」「ボクもそう思います。いや、思うだけやのうて出来る事があったら何かやりたいです!」
「私もそや!そんな思いで取り組んでますが詳細は追々お話し致しますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます!」


私もインカの6本指タペストリーを見て思うところ大でした。この月報の筆者さんが仰るように、障がいを持って生まれた人や人生の道すがら障がいに出逢った人達は、神様に選ばれ重荷を背負った偉い存在なんだと敬う風潮が少しでも広まれば・・・と思います。
ところで、この月報を出してはる日本印刷出版の小林社長は、長年大阪アイバンに協賛する他、色々福祉に貢献されていて、わが友ながら偉い!と思います。こない言うと社長は、「いゃあ、エライのは身体の方ですわ」と照れ笑いされるでしょうね。
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お次は東京オリンピック・パラリンピック開幕まであと500日の先日、全33競技の「ピクトグラム」50種類が発表されましたね。ピクトグラムとは各競技や施設を絵文字で表す記号で、競技用はTVなどでも取り上げられていましたが、施設は紹介されていませんでしたから、ここで少し取り上げてみましょう。
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上図の左列下から二番目に<オストメイト用設備>がありますが、オストメイトとは癌や事故などにより消化管や尿管が損なわれ、人工肛門や人工膀胱を持っている人のことなのです。
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それから上図左列一番下の<カームダウン クールダウン>は、障害のある人が落ち着ける、暗くて静かな部屋なのです。
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ところで、前からパラリンピックのパラて何やろと思てたんですが、下の月報で分かりました。皆さんはご存じでしたか?ご存じなかったら、読んでみて下さい。
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「風薫る季節です。」
「はい。ボク、風切って飛ばすブーメラン大好きなんです。あ、先日赤と青と緑のブーメランみたいなマークを見たんですが、あれって何ですか?」
「それはパラリンピックのシンボルマークで、人間の心(スピリット)と身体(ボディ)と魂(マインド)を赤・青・緑の三色で表してるのや。」
「そうか、3つの内どれが欠けても困るもんね。」
「そや。私はな、<福祉は文化>が信条やからパラリンピックはスポーツであり文化でもあると思てる。」
「成る程。そやから2020年の東京パラリンピックは是非成功して欲しいですね。処で、パラリンピックのパラって?」
「パラプレジア(Paraplegia:脊髄損傷で下半身が不自由な症状)のパラで、そんな人達の競技会という意味やったけど、今はパラレル(Parallel:平行)なオリンピック、同時期に行われる<もう一つのオリンピック>と意味づけをしてるのや。」
「パラレルの方がずっとえゝですね!」
「異次元世界(パラレルワールド)でもパラリンピックやってるかも???????」


Say象クンやないけれど、<パラ>の意味は<バラレル>の方が勿論良いし、世界中の人々の意識が本当にオリンピックと同じで、パラレルに行われる競技会であることを切に切に願っております。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁334~真紅組の新元号初公演「慶應不思議草子」は本当に不思議な作品でした!~

画像画像左の写真は、真紅組プロデュース公演2019「慶應不思議草子」のチラシ(表)です。
一寸見にくいですが、左上に目をこらしてご覧下さい。

紫雲(?)に乗ったどや顔の猫が、『慶應三豊年踊之図』と旧漢字で書かれたお札を持ち、小判を撒いています。

そして大勢の猫たちが、お札の舞い散る中、無我夢中で狂喜乱舞していますよね。

それから下の写真はチラシの裏面で、中央左に大書されたタイトルの近辺に作品概要のコピーが書かれています。

慶應三年の夏。
元号が明治になる前年。
土佐藩の顕助たちは、京の白川にいた。
慎太郎の作った「陸援隊」に入るために。

京の街は志士たちを中心に大騒動。
街に流行るは奇妙な踊り。

ええじゃないか、よいじゃないか、 えーじゃないか

京に住むものたちも、その行く末を固唾を呑んで見守っていた。
維新前夜、京の町に起こった、ちょっと不思議な物語。




そうか、今回の作品は、中岡慎太郎が組織した倒幕の軍事組織である陸援隊とええじゃないか騒動の話なんやなと、チラシを見て思ったのです。<ええじゃないか>はWikipediaによると、江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。と説明されています。
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上の画像はええじゃないか踊りの絵図ですが、これをじっと見ていると、真紅組のはなんで猫が踊ってるんや???と思ったのであります。でも観劇前にリーフレットを貰い、一見して納得!でした。
というのは登場人物が紹介されており、先ず岩倉具視。(写真下)
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              お次は陸援隊長中岡慎太郎(写真下)
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           そして陸援隊士の顕助(後の陸軍少将田中光顕)
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さらに慎三(大橋慎三。後に明治政府に出仕して式部佑・開拓判事・太政官大議生を歴任)と精一郎(後の石川・愛知・福岡・広島知事を歴任した岩村高俊)
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中岡慎太郎の陸援隊に先んじて、坂本龍馬が中心となり結成した会社組織、海援隊の隊士陽之助(後の外務大臣・農商務大臣、陸奥宗光)
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同じく海援隊士与三郎(竹中与三郎。龍馬暗殺の黒幕紀州藩士三浦休太郎を討つ為、天満屋への斬り込みを志願し参加。手首を斬り落とされ、股部にも傷を負うなど満身創痍になりながらも奮戦。後の消息は不明)
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同じく宗七(加納宗七。与三郎らと共に三浦を襲撃したが失敗に終わり、追手を逃れ開港直後の神戸に移住し、材木商・廻船・舟宿などを営んだ)
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陸援隊及び海援隊に敵対する新撰組の斉藤(斎藤一。沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣と言われた剣術の達人。後に警察官となり、警部まで昇進)
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同じく新撰組の梅戸(梅戸勝之進。戊辰戦争の甲州勝沼の戦い後、仙台で降伏。以後の消息は不明)
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同じく大石(大石鍬次郎。組の内部抗争で伊東甲子太郎を殺害し罪に問われ斬首刑に処された)
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続くは宮川(宮川信吉。龍馬と晋太郎暗殺の黒幕三浦休太郎襲撃の天満屋事件により戦死と伝えられている。下は信吉の墓)
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龍馬・慎太郎暗殺の疑惑から逃れる為か、町人に身をやつす三浦(元紀州藩士三浦休太郎。後に貴族院議員・東京府知事)
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等々、史実に基づく維新の志士達が織りなすドラマを描くとなると、男優中心となり、女優は志士を取り巻く女達の役でしか演じる場がなく、芝居に真紅組の誇る華と彩りが薄れてしまうのです。そこで、そこでですね、作者の阿部遼子さんは、志士たちの集う茶屋や屯所に棲まいする化け猫や飼われている猫たちをフィーチュアしたのでしょう。何たる慧眼!
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ワタシは商業ベースのドラマ創りを長年やっていましたから、出演者たち、特に女優さんを活かす気配りは劇作上必要不可欠でした。因みに、ワタシは中岡遼太郎が愛猫家で猫を飼っていたのか、史実かどうかを一寸調べてみたのですが、残念ながら不明でした。阿部さん、これってホンマですか?
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ま、それは兎も角、若木志帆さん扮する玉野宮を化け猫の女頭領に頂く眷属たちの四天王は、古田里美さんの萩野・猪谷洋子さんの桐野・阿部遼子さんの梅野・八田亜哉香さんの藤野、そして化け猫修行中のメイに和田明日香さん、ミケに山本美和子さん、トラに野村ますみさん、モモに服だ真紀子さん、クロにたもつさん、コトラに松本祐子さんの6人衆など、キャット軍団がとてもとっても良いんですよ、ハイ! いえ、猫仲間たちだけでなく、志士たちの群像を演じる男優さんたちも活気があってなかなかグーなんですよ、ハイハイ!!ま、舞台空間一杯にエネルギーが満ち溢れているのが真紅組のお芝居なんですよ、ハイハイハイ!!!
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あ、それからこのブログを書くべしで、PCをいろいろ検索していると、観劇の感想を綴っているブログがあり、

おかだまるひさんの岩倉具視はちょっと配役ミスかな 。。(苦笑) 台詞回しは公家を意識されてゆっくり話されてましたね。そこは良かったですが岩倉具視は小男ですからね(笑) 西郷隆盛役ならピッタリですけど(笑)・・・

と書かれていました。
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西郷どんなら・・・というのは分かりますが、ワタシは岩倉具視がミスキャストとは思いませんでした。というのは、岩倉具視が小柄だとは知らなかったし、ホンマに小男かどうか調べてみますと、

公は身長五尺三寸(約160cm)。『岩倉具視公』より

との記述がみつかりました。『岩倉具視公』なる文献は、徳富猪一郎(明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰。号は蘇峰で徳富蘇峰として著名)著で昭和7年に刊行されており、国立国会図書館デジタルコレクションに蔵書が収められています。
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                   (上の写真は徳富蘇峰)

幕末当時、身長160㎝というのは、今と違って小男でなく、むしろ大きいと言えるかも。それに岩倉公のアクティングエリアは、志士たちを見下ろす高所に限定されていて、志士たちが仰ぎ見るような、志士たちを束ねるような存在が見事に演出されていました。そして岩倉公を演じるおかださんの巨漢は圧倒的な存在感があり、ワタシはこの配役になんら違和感を抱かなかったのであります。ま、人それぞれの感じ方があるのですね。

そしてドラマが終わった後にフィナーレとして、幕末・明治・大正・昭和・平成のヒット曲をメドレーにして歌い踊るショーがあり、そのラストに令和の幕が振り落とされたのですが、このフィナーレショーは全員溌剌としてエネルギー全開で、出演者の皆さん達もエンジョイされていたようです。中でも巨漢をゆさぶり踊るおかださんの存在は、ユーモラスで好感100%でした。ワタシはかってレビューもやっていましたから、とても懐かしく楽しめましたよ。
とりとめなく、大した感想を書かない内に結構長くなってきましたので、最後に、真紅組の出演者さん達の中で、いつもワタシが注目している古田里美さんですが、今回は口上風の口跡がビリリとキリッと場を引き締めていましたし、客にどんどん飲ませる映像早回しのようなコミカルな一寸したシーンも見事でした。
ではでは。
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あ、忘れてた。
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真紅組初めてのクラウド・ファンディングも、心温まる優しいステキな試みですね!

袖振れ合うも多生の縁333~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・(Ⅲ)

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先週の土曜日、真紅組のお芝居、新元号初公演「慶應不思議草子」にご招待頂いたので、今日はその迫力満点のお芝居を取り上げるべきなのですが、平成最後の日のワタシの行動について書き残しておりますから、令和元年に相応しい真紅組の力作については次週にさせて頂きます。ゴメンナサイネ。
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さて、今日より18日遡りタイムトラベル致しまして、平成31年4月30日早朝、ワタシは朝毎二紙を買い求め、つぶらな瞳(?)でつぶさに読み続けておりますてぇと、はたとは気付いたらぶつぶつつぶやいておりました。つぶやくのならツィッターでありましょうが、ワタシは某大統領と異なりツィッターはやりませんので、プログに書き綴る次第であります。
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さてさて毎日新聞はてぇと、<202年ぶり 憲政史上初>との見出しを掲げ、3面にクローズアップ、退位に至る諸問題を詳細に報じておりましたので、早速3面に目をやりますと・・・

2016年8月の退位の意向がにじむ天皇陛下のビデオメッセージから、退位の実現まで2年9カ月。(中略)陛下はメッセージの中で、地方や被災地への訪問などで国民と触れ合う「天皇の象徴的行為」を重視してきたことを振り返られた。当時82才の陛下は「身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもつて象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」との考えを示した。(中略)天皇の活動は①国事行為②公的行為③その他の行為ーに分類される。

そして、その記事の左に<天皇の役割を巡る論点>についての一覧が掲載されて居ますので。その画像をシェアさせて頂きます。
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公的行為は、天皇が憲法1条の「象徴」としての地位に基づき行う活動で、メッセージで陛下が重視した国民との交流が該当する。(中略)

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因みに日本国憲法第一条は、『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』です。従って陛下は、日本国民の総意に基づくであろうと思われる象徴としての活動を地方や被災地への訪問等とお考えになり、そのように行動なされ続けてこられたのでしょう。

有識者会議の専門家ヒアリングでは退位支持の声が多数を占める一方で、反対論も出た。(中略)高橋和之・東京大名誉教授は「憲法上、想定されていない象徴的行為が困難になったという退位の要件を定めることは、憲法の趣旨に合わない」と制度化は困難だと指摘した。
安倍晋三首相に近い保守系の識者は「その他の行為」に当たる宮中祭祀を重視する考え方を主張。「天皇の仕事は祈ることで、国民の前に姿を見せなくても任務を怠ることにならない」(故渡部昇一・上智大名誉教授)などの声が出た。


身体が衰えたら宮中祭祀だけしてりゃええやんかという、このご意見の方は、祈りという行為がどれ程全知全能を注ぎ込まなければならないかを全くご存じないのでしょうね。陛下のメッセージでは身体の衰えによって宮中祭祀が全う出来にくいとのお言葉は有りませんでしたが、元宮内庁書陵部編修課長の米田雄介さんによれば、昭和天皇は70歳ぐらいから新嘗祭の夕べの儀と暁の儀の二度出座すべきところを夕べの儀のみにされていたり、今上陛下も神事奉仕の一部を既に削除されている由。(吉川弘文館 「本郷」2019.5 NO.141)
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            (元宮内庁書陵部編修課長米田雄介氏)
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                (陛下在位中最後の新嘗祭)

陛下が取り組んできた象徴天皇像と、保守派が描く伝統的天皇像の食い違いが表面化した。
新たな天皇像に基づく退位が実現すれば、国家の中心に天皇を据えた明治時代以降の天皇制が変化することを意味する。


戦前まで現人神であられた明治以降の天皇像が変化するのは保守派にとっては大問題なのでしょう。例えば自民党の憲法改正草案(2012.4.27決定)をみると・・・
現行憲法第一条が、
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』
であるのに対し、自民党憲法改正草案の第一条は
『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』

となっています。
自民党案では天皇を元首と明確に定めていますが、元首というのは熟成した儘の日本酒、あ、これはシツレイ、元首とは外部に対して一国を代表する資格を持つものでありまして、現在の日本では定められておらず、天皇か内閣総理大臣がつとめているのです。ほな、憲法で天皇さんに決めても別にええんやないか・・・と思うお方もおられるかも知れませんが、天皇を元首と定めた暁には、大日本帝国第一條『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』や第三條『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』のように、<天皇は国家元首であり、主権は天皇に存し、天皇は神聖不可侵(おかすべからず。天皇の尊厳や名誉を汚してはならないこと)>というような現人神としてなし崩し的に祭り上げ移行したいのではありますまいか!?これって、杞憂やおまへんで。
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報道各社の世論調査では退位を支持する意見が多数だった。「国民と共に」を実践してきた陛下の姿勢が国民の共感を得たと言える。退位自体や制度化への反対論がある中、政府は政権運営に影響を与えないよう細心の注意を払った。安倍首相が当初から「特別立法しかない」と周辺に語っていた通り、「国民の共感」を立法の根拠とする緊急避難的な折衷案で対応することになった。17年6月、(中略)退位特別法は成立。

緊急避難の付け焼き刃やのうて、本当はキチンと議論を重ね、<超高齢化時代における天皇退位>を国民の総意を踏まえた議員立法で法制化(皇室典範改正)すべきやったのと違いますやろか。(因みに、退位特例法は内閣提出法案)
さて、特例法で陛下に退位して頂くことになった訳ですが、退位の儀式をどのようにするか、安倍首相や菅官房長官は憲法を睨みつつ暗中模索し平成最後の日を迎えたのであります。

退位は1817年の光格天皇以来で、神社本庁など保守派は伝統を踏襲するよう求めた。(中略)退位礼正殿の儀の日程を巡り、保守派は退位と即位の儀式を同じ日に同じ場所で行うべきだと主張していた。陛下から皇太子さまに剣と璽を直接受け継ぐことで、「三種の神器」の継承者として、神話に基づく地位を強調する考え方に沿ったものだ。

その言い分はようわかるし、そうしたいのはやまやまやけど、そうすると憲法上マズイことになってしもて政権がぶっとぶかも・・・そないならへんように、言葉は悪いけど、どないしてつじつまを合わせるか・・・
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退位礼正殿の儀のTV中継を見ていて、あ、そうか、陛下から皇太子様に直接受け渡ししやはらへんのや、剣と璽は侍従が持ち込み陛下のそばに置き、儀式後侍従が持ち帰ってましたわな。それで翌日、「剣璽等承継の儀」で新天皇の前に侍従が置き、直接授受を避けたのですね。この他、辻褄合わせの苦心の策略、<退位の儀と憲法整合性>を対比させた一覧が3面に掲載されていましたので、これも又シェアさせて貰います。
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そうそう、退位礼正殿の儀に於ける剣璽の件よりも、ワタシは安倍首相の表明内容が些かひっかかるものがありましたので、それについて・・・
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写真は、「退位礼正殿の儀」で天皇陛下に謝意を伝える安倍晋三首相ですが、その挨拶は・・・

謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、皇室典範特例法の定めるところにより、本日をもちましてご退位されます。
平成の30年、「内平らかに外成る」との思いの下、私たちは天皇陛下と共に歩みを進めてまいりました。
この間、天皇陛下は、国の安寧と国民の幸せを願われ、一つ一つのご公務を、心を込めてお務めになり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。
わが国は、平和と繁栄を享受する一方で、相次ぐ大きな自然災害など、幾多の困難にも直面しました。そのようなとき、天皇陛下は、皇后陛下とご一緒に、国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ、国民にあすへの勇気と希望を与えてくださいました。
本日ここにご退位の日を迎え、これまでの年月(としつき)を顧み、いかなるときも国民と苦楽を共にされた天皇下のみ心に思いを致し、深い敬愛と感謝の念をいま一度新たにする次第であります。
私たちは、これまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、さらに最善の努力を尽くしてまいります。
天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません。
ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層のご繁栄をお祈り申し上げます。

朱色にした処が問題点なのですが、先ず冒頭部分について、毎日新聞はこう論じています。

退位礼正殿の儀では、まず安倍晋三首相が国民の代表として特例法の定めで陛下が退位すると表明する。退位は陛下の意志によるものではなく、国権の最高機関である国会が制定した法律によるもの、と明確にする狙いだ。

あ、そうか、そうなんや。確かに、陛下の退位のご意向を国民が賛同したから・・・と言及してませんですよね。
もしこう問いつめられたら安倍首相は、「特例法第1条に、ご指摘の趣旨が明記してありますので、私の挨拶で改めて述べる必要はないのであります。」と答えるでしょうね。

平成二十九年法律第六十三号
天皇の退位等に関する皇室典範特例法

第一条(趣旨) この法律は、天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。


成る程、特例法の第1条には、<国民は陛下のお気持ちを理解し、これに共感している>と明記されていますが、安倍首相が、この国民の賛同こそ何より大切にしなければとの思慮から特例法を制定したのであれば、国民を代表しての挨拶にも、その旨を盛り込んで欲しかったですね。でも首相は、国民が陛下の退位のご意向を是としたのを是としたくなかったのではありますまいか。ま、それは定かではありませんが、挨拶の終わりの方の、平和で云々という部分ですが、積極的平和主義なんて羊頭狗肉を掲げてアメリカの先兵となり、近い将来戦争しようとしているのに、「平和日本を創り上げるため最善の努力を尽くす」なんてよう言うわ!
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とぶちぶち言うてたら、今回も結構長くなってきましたね。ということで、最後は202年前に生前退位された光格天皇について少々。
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光格天皇が退位なされたのは40歳半ばですから、上下の写真の中間くらいでしょうが、なかなか迫力あるご尊顔であらせられたのですね。光格天皇即位早々に天明の大飢饉々が起こります。京の人々は京都所司代に訴えたものの、太平の御代のせいか危機管理能力の失せていた役人達は、何ら対応することが出来なかったので、人々は天皇のおわす御所に向かったのです。
勿論中には入れず、門のあたりで天皇の御座所の方角に向かって祈り、賽銭を投げるという人々が出はじめたたのです。当初は数人だったでしょうが、10日後には7万人を超える民衆が集まったとか。しかしながら当時、皇室や貴族が民衆に何かを施すこと、そして幕府の政に物申す指示を出すことは、【禁中並公家諸法度】で禁じられていました。「禁中」とは御所(天皇やその住まい。実質的には皇族)、「公家」=貴族、「諸法度」=法律で、第一条は、天皇が先ず為すべきは学問である。要するに政治に嘴を突っ込むなちゅうことですわな。現行憲法4条が、「天皇は国政に関する権能を有しない」というのとまさにセームセームですね。
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ところが光格天皇は10歳でありながら、幕府に「民を助けよ。お助け米を出されよ」と要請したのです。幕府は喧々囂々(けんけんごうごう)、侃々諤々(かんかんがくがく)の大議論の末、天皇の要請に応ずるのではないとしつつ、お助け米を特例として出したのです。幕府は例外のつもりだったのでしょうが、「朝廷が幕府を動かした」という事実が語り継がれ、約100年後、維新の柱の一つである尊王論となり、倒幕の流れの源流となったのです。
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このような202年前の光格天皇が投じた幕府に物申す一石を、平成の御代の天皇陛下はご存じであられせられたのか・・・それは定かに非ず、なのであります。長々とお疲れ様でした。
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袖振れ合うも多生の縁332~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・(Ⅱ)

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平成最後の日の早朝、ワタシはコンビニで朝日・毎日と二つの新聞を買い求め、改元関係の記事をじっくりと読んでみたのあります。
先ず朝日新聞から。この画像では見出しすら一寸見づらいですが、メインの大見出しは、<元号案 首相指示で追加>、そのサブとして<3月下旬「令和」提出>とあり、冒頭概要あって、<皇太子さまへ事前に原案>となっています。
ナニナニ、新天皇になられる皇太子様に新元号案をお見せしたのか・・・そらまあ、新元号の時代の新天皇さんやから・・・と思ったのですが、待てよ、憲法や元号法上、そないなことしてええのやろか?と疑問に思い、記事を読んでみると<「令和」改元をめぐる流れ>が一覧されていましたので、それをシェアさせて頂きます。
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そして1・2面の記事をまとめますと・・・
首相は3月28日の首相官邸幹部らによる協議で「令和」などを原案とする方針を決定。
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政府関係者によると、翌29日首相は皇太子さまと一対一の面会で六つの原案を説明したという。そしてその後の4月1日、有識者による元号に関する懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議を経て元号は「令和」と決定されたが、首相はこうした国民代表に意見を聴く前に、新天皇となる皇太子さまに事前説明していたことになる。政府(内閣法制局幹部)は「意見を求めず状況報告するだけなら、憲法上の問題は生じない」としているが、憲法学者高見勝利上智大名誉教授は、「皇太子への事前説明は元号の制定を天皇から切り離した元号法の運用を誤るものだ」と指摘し、「憲法4条は天皇は国政に関する権能を有しないだけでなく、政治の側が天皇の権威を利用することも禁じている。こうした首相の行為は皇太子に意見を求めるかどうかに関係なく、新天皇の政治利用にあたり、違憲の疑いがある」と批判している。
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          (憲法のご意見番といわれている高見勝利氏)

では首相は、皇太子さまにご意見を伺ったのではなくても、何故事前説明をしたのでしょうか!? このワタシの疑問について1面では、<日本会議など保守派が求めており、自らの政治基盤に対する政治的配慮>とあり、更に2面では更に詳しく説明されていました。

首相は通常、天皇に国政報告を行う内奏は行っても、皇太子に個別に会うことはない。このためまずは天皇陛下に、そのあと皇太子さまのもとへ向かった。「首相は新元号が自らのおくり名となる皇太子さまだけに元号案を説明した」。政府関係者の一人は、そう明かす。(中略)憲政史上初の天皇退位にとなった今回、政府は新元号を事前公表する方針を固めた。新元号を天皇陛下の在位中に決めれば、新元号を記した改元の政令に署名・押印して公布するのも、いまの陛下になる。これに対し日本会議などの保守派は「新天皇による公布」を求め、強く反発した。

このような記事なのですが、ワタシが思うに、<皇太子さまだけに元号案を説明した」というのはホントなのか?皇太子に会う前に天皇に会っているのに、ホンマに元号案を説明しなかったのかな? ま、それはえゝとして、
政府が<新元号を事前公表する方針を固めた>のは、国民生活への影響を最小限に抑える為とのことですから理解出来ますよね。これに対し日本会議などの保守派は、元号は諡(おくりな。令和元年5月1日に即位された新天皇陛下が崩御されると令和天皇の名をおくられる)であるから、天皇のものであるという強固な思想を持ち、皇太子さまの5月1日新天皇即位後に新元号を公表し、新天皇が改元政令に署名すべきであると強く主張していたのです。首相官邸内では「日本会議」国会議員懇談会幹部の衛藤晟一首相補佐官が「事前公表反対」を主張、官邸事務方は「国民生活への影響が大きい」と反論し、事務方トップの杉田和博官房副長官が衛藤氏と折衝を繰り返した由。 画像画像

左写真の左端が杉田和博官房副長官。












右写真は靖国神社参拝をする衛藤晟一首相補佐官。









保守派は政権の固い支持基盤で、こじれれば安倍晋三首相が目指す憲法改正に影響が出かねないので、交換条件として皇太子さまに事前説明を行ったというのです。

今回、首相は(新元号令和の)発表日ではなく、3日前に「事前説明」という全く別の形で新天皇への配慮をしたことになる。(新天皇だけでなく、支持基盤の国民会議への配慮も) その上で4月1日当日は閣議決定後に天皇陛下と皇太子さまに伝えた。記者会見の最後には「閣議決定を行った後に、今上陛下および皇太子殿下にお伝えいたしました」と強調した。しかし、発表3日前に複数案を提示した首相の行為は、閣議決定直前に「平成」を伝達した前回よりも「新天皇が元号の選定過程に関与したのではないか」という違憲の疑いを強く招く結果をもたらした。( )内は筆者補足。

とこのように結んでおり、2面の見出しも、
「新元号 濃い政治色」「事前説明 違憲の指摘も」「保守派に配慮 交換条件」
となっています。
あれ、朝日新聞だけで結構長くなってしまいましたから、毎日新聞の改元記事については次回に。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁331~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・

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平成から令和になって4日目ですが、昭和から平成になった時と違って、新しい時代が来る!という期待ムードがあるように思えます。昭和から平成の際は昭和天皇が崩御され、喪に服すというか、民放TVはCM自粛など歌舞音曲を控えようとしていたから、新しい時代に浮かれることなど出来なかったのでしょう。
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昭和天皇は1989年1月7日午前6時33分に皇居・吹上御所で崩御され、午前8時に天皇陛下崩御の知らせを受けた小渕官房長官は依頼していた数人の学者から「新元号の候補名」の提出を受け、午後1時03分首相官邸で「元号に関する懇談会」を開き各界の意見を聞き、午後2時18分臨時閣議を開催し新元号を「平成」と決定し、午後2時36分新元号・平成を発表したのです。
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昭和天皇崩御により、憲法と皇室典範に基づき皇太子明仁親王が皇位を継承し即位され、新天皇陛下初の公務、「元号を改める政令」に御名御璽なされたのですが、その政令によると、『公布:昭和64年1月7日』『施行:平成元年1月8日』と定められていますから、昭和天皇崩御の日で昭和はエンド、翌日平成がスタートしたのです。
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処で、昭和最後の日を迎えた31年前、私はABC朝日放送で『トヨタさわやかパトロール』という月~金番組のレギュラー出演をしており、その日の早朝、プロデューサーから特番の為『さわパト』はお休みと電話があったのです。それで私はその頃左肩の痛みがひどく、番組休止をもっけの幸いと病院に行ったのです。レントゲンを診た医者は、「これ、50肩や。」と言いつつカルテにチラリと目をやると、私の年齢が47才だったので、「ほな、40肩にしとこか」と宣うたのです。
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ま、病名なんてどっちゃでもええですけど、薬を貰い、「肩を温めるとええで」と奨められたので、帰宅するなり風呂に入ったところみるみる痛みが失せたのです。すっかり気を良くして晩酌に一杯やったら夜寝てから痛みがぶり返し難儀したものの、翌朝平成初日には何処吹く風だったのであります。これが昭和から平成への思い出ですが、私の左肩の痛みはこのようにして消えたのですが、それから7年後、平成7年に右肩が四十肩、いえ歴とした五十肩になってしまったのです。平成7年といえば1995年。そう阪神・淡路大震災の年ですよね。
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私のマンションは半壊にも至らなかったのですが、部屋の中は食器棚が倒れ器は散乱しメチャメチャ、書斎の壁一面に設えた本棚の本は総て飛び出し床から天井までうづ高く積み重なっている有様でした。それを火事場の馬鹿力で必死に片づけてホッ・・・としたら肩の痛みがどこかに飛んでしまっていたのです。
そして、その日から平成最後の今日まで再発することもなく、地震が五十肩を治してくれた怪我の功名(?)なのでしょうか? 怪我の功名という言葉の使い方が間違ってるかも知れませんが、ま、ええか。
しかし平成時代には、阪神・淡路大震災だけやのうて、新潟県中越地震、東日本大震災・原発事故・熊本地震など色んな天災・人災がありましたよね。令和の時代には天災は仕方ないとしても人災はあって欲しくないと強く祈る次第です。
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あれ、シメの言葉のようになってしまいましたので、今回はこの辺にしましょう。
平成最後の日については次回ということで。ではでは。






















袖振れ合うも多生の縁330~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅱ)!

前回は2015年の<Say象のつぶやま象!>でしたが、今回は2016年のからピックアップ致します。
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お正月も早や過ぎました。
「正月の酒と言えば<おとそ>やけど、お屠蘇(とそ)て屠(ほふ)り蘇(よみがえ)ると書く物騒な名前やで。」
「ホンマ、屠るて殺す事やもんね。」
「それで一寸謂われを調べたんやけど、お屠蘇て中国は唐の時代に始まったそうで、都の長安には景教(ネストリウス派キリスト教)が広ま ってて、屠られ蘇ったキリストさんの復活を祝う酒を屠蘇と言うたのや。」
「ほぉ、社長物えらい知りやな!」
「まあな。いや、幾つになっても学ぶ気持ちを持ってるのは親爺を見習うてるからや。親爺は土佐堀の大石堂いう印刷屋に偶々(たまたま)勤めるようになり、働きながら苦学して会社を興したんやけど、英文印刷の格調高いオックスフォードルールを完璧に実施したのが商売繁盛の切っ掛けやったのや。」
「親爺さん偉い!」
「そや、何しろその頃から未だにご贔屓にして下さるお得意さんがいてるのはメチャ有り難いで。」
「お得意様万歳!創業者万歳!三代目社長万歳!」
「万歳は万歳でもお手上げにならんよう、今年も初志を忘れず精一杯を超えて気張りますので、何卒よろしうお頼申します!」


お屠蘇って、成る程、屠り蘇るですよね。それがキリストの復活だとは!? うーむ、これってメチャ面白いやんか。この月報書いてる人て物知りちゅうか、雑学にたけてますなぁ。

お次は6月の月報を見てみましょ。
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六月、水無月です。
「梅雨で雨が多うて鬱陶(うっとう)しい頃やのに、水が無い月てどういうことですか?」
「水無月の無は<ない>やない。これは助詞の<な>で<の>の意味やから水の月ということや。」
「そら、知りませんでした。」
「六月は田植えの月で田んぼに水を仰山引くからなんぼ水があっても足らへん。そやから水が無い月とも言えるわな。私の若い頃、お金でも何でもジャンジャン使うのを湯水のように使うと言うてたけど、今や水は買う物で大切な地球の資源や。勿体ないの精神で節約して使こてや。それともう一つ、雨続きで鬱陶しいなんて言うたらアカン。晴天やったら良いお天気ですねと言うけど、ほな雨降りは悪い天気かいな。雨にしたら気ィ悪いで。」
「成る程。雨が降らんとお百姓さん困るもんね。あ、雨の日の挨拶で<いいお湿りですね>というのがあるよ。」
「そらえゝな。照る日曇る日雨の日雪の日、どんなお天気でも心は快晴や!」


水無月て、梅雨の頃やのになんで水の無い月やと私も思てました。そやけど水の月やったんですね。又ひとつ賢こなりましたわ。この月報、会社のイメージアップだけやのうて、昔タモリさんがやってたTV番組「トリビアの泉」みたいに面白い雑学ネタが盛り込まれてるから、私にとては貴重で毎月楽しみに待っているのであります。
ほな、次回は2017年のを。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁329~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ!!!

4年前の春にこの月報のことを取り上げましたが、皆さんは覚えていらっしゃらないでしょうから、先ずそれを再録してみましょう。
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この象さんの子供、何処の動物園で生まれたんや? いえ、そやないんです。
Say象クンの素性をバラしちゃうと、彼は私達の演劇プロデュース集団BATを旗揚げ以来ずっとバックアップしてくれている日本印刷出版小林誠造社長の分身なんですヨ。というのは、小林社長がクライアントに自社の情報を載せた月報を出すに辺り、フツーの、貴社益々ご清祥につき云々・・・というのではオモロないんで、自分の名前の誠造に因んでSay象というキャラクターを創り、彼に喋らせることにしたのだとか。ですから月報のタイトルが<Say象のつぶやきます象!>

この月報は2015年4月22日に始まり、今も続いており丸4年を越えています。
当初から毎月、この月報が私にも送られてくるので、いつも到着を心待ちにしているのです。この月報を読む楽しみの一端を皆さんにご紹介したいと思いブログに取り上げる次第であります。
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処で、上の写真は月報発行人の小林社長ですが、私は彼とは50年来の友人で、そうそう大阪関西万博が決定しましたが、♪1970年のこんにちわ~~♪と三波春夫さんが唄った前回の大阪万博で知り合ったのです。彼はまだ大学生で、お祭り広場のスタッフにバイトとしてきていました。万博は3月半ばから9月半ばの6ヶ月でしたが、お祭り広場スタッフの内、小林さんとだけ行き来が途絶えず今に至っていjます。それは彼の人柄による所が大ですから、小林社長がどんなキャラクターなのか、最初の月報に書かれてるので月報の画像と全文をご覧頂きましょう。
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ハーイ、どうもどうもSay(セイ)象でーす。2015年4月22日、今日たった今、生まれたばかりなんやけど、もう、仰山(ぎょうさん)喋れるで! なんでかと言うと、ボクは日本印刷出版小林誠造社長と誕生日がおんなじで、そんでもって社長の分身やから日本語と関西弁のバイリンガル、ぺらぺらなんや。そやけどお喋りしすぎるとうるさいって言われそうやから、そっとつぶやくことにしますわ。
あ、そうそう、今から69年前の今日、漫画のサザエさんが夕刊フクニチに連載開始されたんやて。ボクもサザエさんのようにずっとずーっと長生きして国民的人気者になる象(ぞう)! いや、一寸待ってんか。今から69年先やと社長は135歳かァ。 いつ迄皆さんにこのつぶやきをお届け出来るか分からへんけど、とにかく頑張りますわ! なんでかと言うと、会社の行く末を決めるのは<経営者の熱意>というのが、小林社長のモットーやもんね。あの人ならやり続けてるかも!?
それにここだけの話やけど、インターネットの性格占いによれば、4月22日生まれの人は<決して嘘をつけず、ずるい事も出来ず、人を出し抜くことも出来ず、念には念を入れて丁寧に物事を処理し、何事にも手を抜くことのない実直で誠実>やて。そやからひょっとして百年後も二百年後もやり続けてるかも知れませんなぁ。
ま、それはおいといて、ボクも社長に負けんように、有象無象の取るに足らんしょうもない象にならんよう気張りますわ。
何しろ4月22日には、歴史的漫才師エンタツさん、映画監督・シナリオ作家の新藤兼人さん、服飾デザイナーの三宅一生さん、侍ジャパン(野球)の大砲中田翔クンが生まれてるから。アレ、これカンケーないか?


いゃあ、ほんまに小林社長てIT占いのように、<嘘をつけず、ずるい事も出来ず、人を出し抜くことも出来ない実直で誠実>なお人ですわ。そやから長年大阪アイバンクの賛助会員をされたり、還暦過ぎてから障がい者の福祉事業所を始めたり、デフバスケットボールをサポートされたりし、福祉は文化と言うお考えをお持ちの方なんですよ。
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              (デフバスケ選手を激励する小林さん)

次は2015年6月、梅雨の頃の月報を見てみましょう。<梅雨>とか<仕舞た屋>などの蘊蓄が傾けられていて、ワタシはこんなのを面白いと思うんです。
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先日、社長に連れられ初めて出社したんです。雨やったけどルンルン気分でした。あ、梅雨という言葉、中国から入ってきたそうで、黴(かび)が生えやすいから黴雨(ばいう)やったのを、日本人は梅の実の熟す頃に降る雨、梅雨にしたそうです。さて、会社はビルやと思てたけど、大きなフツーの家でした。社長は「仕舞た屋や。<しもたや>言うのは、昔お商売してたけど儲けたから店仕舞した家のことなんや。」と教えてくれました。「そうかァ、店じまいしたから仕舞た屋か。」
<梅雨>も<仕舞た屋>も優しくてえゝ言葉やなァ。ところで、その仕舞た屋の和風社屋にはピッカピカの印刷機が何台もあって、そんなえゝ感じの日本語を印刷してるのを見ると何だか嬉しくなりました。
「日本語だけやない。英語もやってるで。英文書籍は関西で十本の指に数えられる実績や!」と社長も嬉しそうでした。「それもこれも皆お得意様のお陰や。ホンマにありがたいこっちゃ。それを忘れたらアカン。」社長の口癖を又聞かされましたが、ボクもそう思います。もしかして社長の人柄て、この仕舞た屋ではぐくまれたんやろか。ほな、蒸し暑い毎日ですけど、お体に気ィつけておくれやす。さいなら。


<梅雨>と<黴雨>では全然イメージが違いますね。<黴雨>という漢字表記にしていたら、日本人はもっと6月の蒸し暑い長雨の季節を嫌っていたのではないでょうか。今は4月の半ば過ぎで梅雨にはまだ間がありますが、6月になったら、<黴雨>でなく<梅雨>と書くようにした日本人のメンタリテイを味わい、雨も又楽し、良いお湿りを楽しみたいと今から思っております。ではでは。
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袖振れ合うも多生の縁328~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅱ)

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この写真は私が参加したありがとう禅ではありませんが、参禅したみんなが大きな楕円状の車座に座って始めました。最初は「ありがとう呼吸法」で、鼻から吸い胸に溜めてからお腹に落とす腹式呼吸ですが、私がずっとやっていた腹式呼吸は、鼻から吸いダイレクトにお腹に入れるやり方でした。でも女性の場合、自然にお腹に落とせず胸に溜めてしまうから、この方が良いのでしょうか。
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次は「感謝念仏」です。腹式呼吸をしながら吐く時に、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を大きな声で発声します。感謝念仏中は合掌瞑目し、お世話になった人のことを次々に思い起こし、感謝の念を捧げます。その時やや顔を上に向け、自分が光に包まれていることをイメージしながら朗々と唱えるのですが、他の人と息継ぎを合わせる必要はなく、自分のペースで悠然と称えると、それぞれが発する「あ・り・が・と・う」の音が重なりあい、途切れなく常に響きわたり倍音になるのが効果を高めるそうです。それから、眼は半眼が原則なものの、閉じても開けても構わないので半眼で始めましたが、知らず知らずの内に目を閉じていました。目を瞑っていた方が集中できるように思えたのです。
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感謝する人々の中に、憎たらしい人が浮かぶことがあれば、<赦す>という言葉を直ちに思い起こし、次に進みます。私の場合、政治家のAさんが浮かんできたので即<赦す>という言葉を思うと、Aさんの魂も本来は憎たらしいんじゃない・・・との想念が浮かびました。闇の無意識に閉ざされているAさんの心に、少しでも光の無意識が差し込むことがありますよう、唯々祈るばかりです。
それはさておき、「あ・り・が・と・う」の五音は宗教や民族を超えた素晴らしい言霊であり、みんなで唱えることにより生じる高周波音には癒しの効果がある為、念仏中自然に涙がこぼれてきたり、器楽の音や歌声が聞こえてきたりすることもあるそうです。
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次は「観音禅」です。やり方は感謝念仏とまったく同じですが、合掌でなく手を膝の上に置いて称えます。感謝の対象を思い想い起こさず、ひたすら音を観じながら、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音の中に自分を埋没させていくと、いつの間にか音の中に自分を忘れ、無我の境に浸れたように思えました。そして、ゆるやかな、やわらかな鉦の音が響き、次のステップに進みました。
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次は仰向けに寝ころび同じく、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を唱えます。
宗鳳師は立って称えながらみんなの間を歩かれるのですが、師が近づかれると、師の声が慈雨のように降り注いでくるのを感じました。心の渇いた、乾いた方にとってはまさに干天の慈雨ですね。
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そして宗鳳師は、この場の人々を涅槃の境地にいざなうかのように、光のエナジーに充ち満ちた、えも言えぬ響きの読経をなされたのです!私は今までこのよう素晴らしい読経を聞いたことがありませんでした。声明を称えるお坊さん達はとて良い声をなさっていますが、師の読経は単に声云々ではなく、言霊と音魂が完璧に融合している!と私には思えたのです。嗚呼、この読経に包まれただけでも参禅して良かった!
それから最後は、「感謝の呵々大笑」(これは私のネーミング)です。師の笑いに呼応して、或いは各人各様さまざまに腹の底から大声で笑い続けるのですが、これ又無になる貴重な時間でありました。
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処で、宗鳳師はWEBサイトで、人の心の奥底に眠る「無意識の力」に身を委ねれば、生きることはもっと気楽で創造的になると、<無意識の光>を提唱されておられます。
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では、無意識の力とはなんぞや!?
もう少し知りたくてPCを検索していますと、Kyosuke Kuwaharaなる方の<こころり中の「五重塔」>で下記のような図式を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
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普通五重塔は地上に五層積み上げられていますが、心の五重塔は地上1階地下2階なのです。シェアさせて頂いた図式の下の説明が上の図では少し読みにくいので、私なりに要約させて頂きますと・・・

1F:<自我意識>・・・色々な情報をキャッチして判断し、行動を決める。

B1:<潜在意識>・・・現実の体験から来る情報と無意識から湧き上がる記憶の交差点で、何となく感じている漠然とした状態。

B2:<個人無意識>・・・私たちが個人的に体験したことのすべての記憶、すべての出来事、そして過去世の体験も保存されている。

B3ー1:<闇の無意識>・・・個人を遙かに超えた先祖や民族・人類等、太古の記憶までも保存。飢餓・疫病・災害など否定的な記憶及び世界史に悪名を刻む悪果を生じる悪業の深淵。

B3ー2:<光の無意識>・・・無傷、無垢にして穢れ無き魂や真心、そして仏性が闇の莫大なエネルギーをも取り込み、深い闇夜の後に東の空から昇る太陽のような希望と喜び、長悦的多幸感をもたらす。


又<おばちゃんのお散歩>なるブログには、町田宗鳳さんのHPからのコピペと称して下記のような説明がありましたので、これ又シェアさせて頂きます。

人間性の核心には光の無意識(魂、仏性、聖霊、インナーチャイルド)という光の塊がありますが、それを通すレンズ(潜在意識)が歪んだり、曇ったりしていれば、現実というスクリーンに映し出される現象も激しく歪んでしまいます。従って潜在意識の歪みを是正し、それを磨いていけば、おのずから目の前に展開する現実は穏やかで幸福感に満ちたものに変化して来るのです。
「ありがとう禅」では、単に「ありがとう」と反復発声するだけで潜在意識の干渉がなくなり、顕在意識と光の無意識が直結する「精神統合」が可能となるのです。それが起きるのは、母音の共鳴音が超高周波の倍音を生み出し、それが骨伝導によって中枢脳を揺さぶり、脳波が顕著に変化するためです。
その微細振動が脳だけではなく全身の細胞に及ぶので、真剣に発声さえすれば、初心者でも短時間かつ確実に潜在意識のクリーニングが出来るのです。

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私は<ありがとう禅>をたった一回体験しただけなので、顕在意識と光の無意識が直結したかどうか定かではありません。しかし、他の座禅では色々な想念が次から次へと浮かんでくるのですが、一心に「あー、りー、がー、とー、うー」の五音と称えていると、妄想と言うべき想念は起こりませんでした。それだけは確かで、それだけでも凄い!と思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁327~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅰ)

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町田宗鳳さんのことは以前も書かせて頂きましたが、ご覧になっていない方や宗鳳師をご存じない方の為に師のプロフィールを再録致します。Webサイトによりますと・・・
1950年京都市で生まれ、幼少の頃キリスト教会に通う時期もあったが、ふとしたことから14歳で出家し、以来20年間京都の臨済宗大徳寺で修行したものの、34歳の時寺を離れ渡米し、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を修得。専門は比較宗教学・比較文明学。そして、1990 - 1998プリンストン大学東洋学部助教授、1998 - 2000国立シンガポール大学日本研究学科准教授、2001 - 2006東京外国語大学教授、2007 - 2016広島大学大学院総合科学研究科教授など日米の大学の他、東京大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、国連大学、聖心女子大学などでも教鞭をとり、 現在は退官し広島大学名誉教授。日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」、「ありがとう断食セミナー」(御殿場市)、および教養講座「そうほう塾」(東京)を開催、静岡県御殿場市に無宗派寺院「ありがとう寺」を建立。
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この3葉の写真は御殿場のありがとう寺ですが、今回<ありがとう禅>を行う<風の集い>が催されたのは茨木市にある茨木神社です。茨木までものぐさな私が行こうと思い立ったのは、予約する必要がなく、風のようにやって来、風のように去って行くという集いの趣旨が私向きと共感できたからです。しかしそれだけでなく、質問コーナーがあるならお聞きしたいことがあったのです。それは・・・
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悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で表した<十牛図>の最後、<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>とはどのような状態なのか質問したかったのです。と言いますのは数年前、夢の中で天空から「入鄽垂手!」という声が響いて来て目覚め、「そうか、俺はこの言葉のように今後生きたらえゝねんな・・・」と思ったのです。当時の私は<入鄽垂手>なんて言葉は知りませんでした。多分仏教用語やろ。PCで検索してもアカンやろから、図書館で仏教用語辞典でも引いてみるか・・・と思いつつもPCで検索すると、何と十牛図の十番目やったんです。<十牛図>は知っていましたが、<入鄽垂手>が悟りの到達すべき極致とは!
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オレ、修行なんて全然してえへんし、悟りのイロハのイにも至ってないのにどういうこっちゃろ???
因みに1から10まで、Wikipediaの解説をシェアさせて頂くと・・・

画像1.尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。




画像2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。






画像3.見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。







画像4.得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。






画像5.牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。





画像6.騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。





画像7.忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。






画像8.人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。





画像9.返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。






画像10.入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。





以上のような1~10の解説を見てみると、私の状況は良く言っても
2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
という程度でしょうね。ま、般若心経は高校生の頃から毎晩唱えてましたが・・・。<入鄽垂手>がこれからの自分の生き方と思ったのが大きな誤りで、<見跡>から<入鄽垂手>目指してじっくりと修行しなさいという指針が夢で示されたのかも・・・それとも前世で僧侶だったこともあるようですら、その時到達しなかった<入鄽垂手>に今生で至るべし!との教えなのか・・・とも思うのですが。
それは兎も角、風の集いの場に行ってみると、受付で名前を書くことすらなく、何処の誰か分からなくても良いのです。
そして、風の集いは、宗鳳師の講話から始まりました。
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お話は師がブログ「もう仮面を外しましょう」に書いておられたペルソナの話でした。師のブログを転載させて頂きますと・・・

ユング心理学では、「ペルソナ(仮面)」という重要な概念があります。
社会的動物である人間は自分の本音を隠し、社交性を維持するために、さまざまな仮面(建前)をつけて暮らしています。
しかし、その仮面が仮面であることを忘れてしまった時、大きな精神障害が生じます。現代日本人は明治維新で富国強兵のヨーロッパ的仮面をつけ、さらに敗戦で戦後民主主義というアメリカ的仮面を上乗してしまっています。
だから、すべてがうまく行かないのです。
いつ襲ってくるか分からない国家的危機に負けないためにも、このへんで二重の仮面を外す必要があります。
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                  カール・グスタフ・ユング

政治家や企業の社長、学識経験者や聖職者なども、その地位や職を全うする為に権威という仮面を被ることが多々ありますが、それ自体は致し方なくても仮面を被っていることを忘れて自分は権威ある人という認識に陥ると弊害が生じるので、気をつけたいものですね。大胆に要約させて頂くと、このようなお話でした。
そして質問コーナーにうつると、ある初老の男性が、「十牛図もそうでしょうね・・・」と尋ねました。師は「(十牛図の最後は)垂手は手を垂れてるから、(ペルソナは)離してますね」と答えられたのです。
( )内は私の補足ですが、師のこの一言で私が長い間拘っていた<入鄽垂手>への想いがストンと腑に落ちました!私が十牛図のどの境地にあるかは別にして、<入鄽垂手>の境地を生きるに於いて、<悟りを開いたら人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある>と常に意識して行動するのなら、入鄽垂手の仮面をつけていることになるのではないでしょうか。ですからその仮面を手放し、無意識にならないと・・・そう思った次第です。ま、元々大した修行はしていないのですから、十牛図や入鄽垂手のことなど忘れて無為自然に生きることに致します。
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あれ、前置きが結構長くなってしまいましたので、本編のありがとう禅については、又次回に。