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zoom RSS 袖擦りあうも他生の縁137 〜伝える! 伝わる! 伝えたい!〜

<<   作成日時 : 2015/08/15 06:31   >>

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今日は終戦記念日で、戦後70年ですね。
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私は当時3歳で戦争の記憶は殆どありませんから、ま、戦争を知らない子供達(老人達)の一人でしょう。そんな私でも、戦争法案は困ったものだ! と日々憂いています。この国が戦後70年にして大きく右にカーブを切り、何処へ行こうとしているのでしょうか!? この事については多くの識者達が縷々述べておられますので、私は戦後70年は70年でも下記屏風みられる戦さ、そう、関ヶ原の合戦70年後、1670年に思いを馳せてみましょう。
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関ヶ原の合戦後70年、あるお触れが出されています。それは<大髭禁止令>です。抑も江戸時代以前、男は武勇を鼓舞し敵を威圧する為、或いは宦官でない事の象徴として髭をたくわえていたのですが、江戸初期には徳川幕府も大目に見ていました。
画像画像しかし、江戸期も寛文年間になると戦乱はなくなったものの、旗本や御家人が、博徒や侠客が、かぶきものとして異様な風体で徘徊したり、辻斬りを行うようになるのです。そんな風紀粛正の為、度々服装取り締令の如きお触れを出していましたが、4代将軍徳川家綱は大髭禁止令を出したのです。大髭とは頬並びに口の上下に髭を長く伸ばす事をさしたようですが、アゴ先だけは何故かおめこぼしされていたとか。この取り締まりは町人はじめ武士・大名に至る迄、殆どの人を対象としたのですか、医師(町医者は町人故別)・山伏・神官・人相見・隠居(還暦過ぎた老人)は対象外だったそうです。私も古希すぎたから対象外ですナ。処でこの禁止令が出た為か、徳川時代の肖像画でヒゲをたくわえているのは徳川斉昭だけだったとか。
さて、かくいう私も長年ヒゲを生やしており、私をヒゲさんと呼ぶ人もいるのです。下の写真は冬のもので暑苦しくてスミマセン。
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それはさておき、戦後70年の今年、この<大髭禁止令>に従った訳ではないのですが、私もヒゲを鼻の下だけにしました。というのは、アゴの下一面に生やしていたのですが、それを切り揃えるのがおっくうになってきたのがひとつの理由です。もう一つの理由は・・・これは深遠な(?)高邁な理由なので(ホンマかいな?)又の機会に書くことにしましょう。それはそうと、鼻の下だけのヒゲにしたのに、会う人は誰も気付きませんでした。ま、そんなもんでしょうな、オジンのヒゲに注目する物好きな人なんかいてませんから。

ではでは。








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