袖触れ合うも多生の縁169 ~伝える!伝わる! 伝えたい!~

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今日のフログは前回の続きで蘇我馬子についてですが、2、3日前にこんな本を見つけ夢中になって読んでいます。
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この本は幕末に徳川家茂に降嫁された孝明天皇の妹、皇女和宮の秘密を解き明かす衝撃的歴史小説なんですが、和宮の話はおいといて、この本の199頁に蘇我一族についての記述がありました。

『蘇我蝦夷の四代前を遡れば、蘇我韓子(からこ)という名が出て来る。(中略)紀元前四世紀、シナ大陸を見渡すと秦(しん)の隣には偉大なる「韓」(から)という強国があった。紀元前二世紀には、朝鮮半島にも押し出しのよい「韓」があり、その後の二世紀には、「馬韓(ばかん)」「弁韓(べんかん)」「辰韓(しんかん)」の三大「韓」勢力が朝鮮半島中南部を三分している。』
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『(中略)望月(この小説の主人公である歴史作家)は、この馬韓勢力が蘇我氏を名乗り、辰韓の養蚕、製鉄、綿布技術を持った連中が秦(ハタ)氏を名乗ったのではないかと思っている。(中略)さらに下って、蘇我蝦夷の曾祖父が蘇我高麗(こま)、本名蘇我馬背(うませ)で、父が蘇我馬子ときたひにゃ、隠しようのない騎馬系、もしくは馬韓系だ。』
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とまあ、この本の記述から推測すると蘇我馬子という名は、「我、馬の子として蘇る」ではなく、「我は<蘇(そ)>なる苗字を戴く馬韓の子孫、又は騎馬民族の子孫である」という事なのでしょうか。「蘇」という漢字を中国語辞典で調べると、苗字の一つと載っています。
こう考えると、キリストを思わせる厩戸皇子(聖徳太子)との関係は薄れますが、しかし辰韓は万里の長城を築いた秦(しん)の過酷な労働から逃れて来た人々(失われたユダヤ10支族のひとつ)が造った国で、その人達が我が国に渡来し秦(はた)と名乗ったと『三国志』の「魏書」に書かれています。又、辰韓は馬韓の辰王が、自国の東の領土を秦からの亡命者に分け与えて建国せしめたと言い伝えられているとか。処で、秦一族の大立て者秦河勝は聖徳太子のブレーンと言うか太子を全面的にバックアップしていたのですから、日ユ同祖論に傾いている私としては、単に馬子は騎馬民族の子孫と言うより、馬韓の子孫であって欲しいものです。

このように、今のところ蘇我馬子はキリスト生誕とは無関係だったし、蘇我馬子=聖徳太子という説も矢っ張り違ってたんや・・・と思っています。
ではでは、今回はこの辺で。



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