袖振れ合うも多生の縁348~念仏の「念」という字は今の心、今していることに心を置き、そこに仏を感ずることが最良の念仏なのです!~

法然を語る下.jpg
前回に続いて、NHKの「こころの時代 法然を語る」から、私の心に残り、光り輝いている珠玉の言の葉たちを書き綴ってみます。
町田宗鳳師は、
念仏とは仏を想うことです。念仏の念という字は、今の心と書きます。現時点でしていることに心を置き、そこに仏を感ずるなら、それこそが最良の念仏となります。もっと簡潔に言うのなら「今を大切にする」ことが、忙しい現代人に課せられた念仏ではないでしょうか。
と仰っています。
成る程、念仏の<念>という字は今の心と書きますね!
そして、現時点でしていることに心を置き・・・今の私ならこれを書いていることですが、書いていることに心を置く、つまり集中して「今を大切にする」ことが、仏を感ずることであり、それが現代人に課せられた念仏である・・・というのは、どういうことなんでしょうか?
そうか、念仏というと「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」を称えることだと思いがちですが、宗鳳師の仰るには、必ずしもそのようなお念仏でなくても、例えばスポーツをする時、音楽を演奏する時、食事やお酒を飲む時など何でも良いのですが、そのやっていることに身も心も置き、心身共に今を生きると深い喜びが、「やらせて頂いている有り難さ」「生かされている有り難さ」が湧き上がり、その歓びをしみじみ感じることが念仏の心なのだと。
そうか、<念仏とは、仏を念ずるとは、み仏に生かされている有り難さを思う今の心>なんだ! 法然上人が<報恩念仏>と宣うておられることなんだ! そう分かった途端、宗鳳師が十牛図について話されていたのがあったなと思い出し、慌てて頁を繰ってみました。

十牛図2.jpg
<十牛図>とは、中国北宋時代の臨済宗楊岐派禅僧、廓庵が悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で描いたもので、「真の自己」を求める自己は牧人の姿で、「真の自己」は牛の姿で表されているから十牛図と言われています。私は悟りを求めている十のプロセスではすべて禅の修行と思っていましたが、現代人に課せられた念仏は必ずしも「ナムアミダブツ」や「ナムミョウホウレンゲキョウ」を称えることだけではないのと同じだと、宗鳳師は仰っておられます。

「十牛の図」というのは、何も常に宗教的に解釈する必要はなくて、例えば牛を私たちにとって、人生の目標とか、あるいは夢というふうに理解した場合ですね、第5図「牧牛」や第6図「騎牛帰家」はその夢が実現しているわけで、自分が追い求めてきた夢がやっと手に入って、人間として本当に満足した、そういう境涯です。

そうか、以前私が夢で見た<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>は、こういう風に考えれば良かったんですね。どういうことか再録するのは煩雑なので、気になるお方は、ワタシのブログ<袖触れ合うも多生の縁327>をご覧下さい。
処で<報恩念仏>といえば、ワタシはいつの頃からか神社仏閣に詣でた時、「今日、今、此処まで来ることが出来ました。ありがとうございます。」と心の内で祈っています。そう祈る以前は、「元気でありますように」とか「今年も無事でありますように」とか祈っていました。

了徳密院(宝塚聖天)鳥居.jpg
聖天堂.jpg
上の写真は、ワタシが散歩がてらよくお参りする了徳密院、通称宝塚聖天さんの鳥居と聖天堂ですが、ここに詣でた時も勿論、報恩念仏を、報恩の気持ちを心中で呟いております。ではでは、これを読んで下さった皆様に報恩念仏を称えさせて頂きます。

本当に有り難うございました!!




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