袖振れ合うも多生の縁355~「一遍聖絵」からお笑い芸人???さん主演の映画「一遍上人」まで!~

二河白道図6.jpg
今回も又々、二河白道図が登場です。ですが、町田宗鳳師の話ではなく、一遍上人(右下イラスト)についてなのであります。
一遍上人イラスト.gif
一遍上人は今から780年前の延応元年(1239)、伊予いよ(愛媛県松山市)の没落衰退した豪族河野家の次男として誕生しますが、10歳の時に母を亡くし、父の命を受けて天台宗の継教寺で出家し、法名随縁を名乗ります。
そして如何なる経緯からか不明ですが、13歳の時、善入という僧に連れられ太宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上にわたり、浄土宗の基礎的学問を学びます。太宰府は現在の私たちからすると西の鄙びた地のイメージですが、大宰府が置かれた筑紫の地は日本と大陸の接点に位置し、国内はもとより東アジア全体の動向を敏感に反映し、歴史上重要な役割を担っていたのです。この太宰府での体験を更に飛躍させんが為、聖達は彼に更なる浄土教の教学を学ばせようと、肥前国清水の華台のもとへ派遣し、華台は彼の法名を智真と改めさせたのです。

出家した最初の継教寺は天台でしたから、善入の計らいかせなければ、彼は遊行上人となっていなかったかもしれませんね。

こうして、浄土教学に邁進し続ける智真でしたが、弘長3年(1293年)、25歳の時に父の死をきっかけに還俗して伊予に帰ります。伊予での生活は、半僧半俗、つまり僧侶として勤行などはするけれども、日常生活は家族と共に過ごすというような暮らしをされていたようです。このような生活を8年続けたものの、一族の所領争いなど親族間のいざこざで、智真が何者かに襲われるわれるという事件が起き、この事件をきっかけに一念発起、32歳で再出家して故郷伊予を旅立つのです。
そして、最初に訪れたのは、信州(長野県長野市)の善光寺でした。
善光寺1.jpg
「二河白道図」の意味は前回書きましたので省略致しますが、一遍上人は善光寺に参籠し、拝観した「二河白道図」にいたく感銘し、自ら模写しご自身の本尊となされたのです。そして、白い一筋の狭き道を往く人々と共に極楽浄土へ歩むことを堅く決意されたのです。
処で、先日と言っても半年ほど前になりますが、「二河白道図」を私は見たのであります。一遍上人がご本尊とされていた自筆の模写ではないのですが、京都国立博物館の特別展、時宗二祖上人700年御遠忌記念『国宝一遍聖絵と時宗の名宝』で鎌倉時代の作(重要文化財 島根・萬福寺蔵。写真下)をつぶさにとっくりと鑑賞させて頂きました。
大看板.jpg
二河白道図萬福寺蔵.jpg
真教上人坐像1.jpg
因みに時宗二祖とは、真教上人(しんきょうしょうにん 1237~1319 写真上)のことで、真教上人は、時宗を開かれた一遍上人が寺院を持たず全国各地を遊行し布教された後を受け、寺院を設け時宗を教団として大きく発展させた方なのです。
二祖像の掛け軸.jpg
京博の特別展は、重文「二河白道図」はじめ、奇石がそびえる伊予での修行図や熊野権現より神託を授かりし図、又上人臨終之図など一遍上人の生涯を描いた国宝『一遍聖絵(全12巻)』等、結構見応えがあり、時の過ぎゆくのを忘れて見入ったのであります。          
          <伊予で奇石によじ登っての修行図> 
一遍聖絵巻2遊行寺蔵.jpg
          <熊野権現より神託を授かりし図>
熊野権現より神託.jpg
             <那智の滝での修行>
一遍聖絵 那智の滝.gif
             <京は四條釈迦堂之図>
一遍聖絵 四条釈迦堂.jpg
              <踊らば踊れ図>
踊らば踊れ.jpg
              <一遍臨終之図>
臨終図.jpg
処で、時宗とは臨命終時宗、平生を常に命の終わりに臨む時(臨終の時)と心得る宗旨で、一遍上人を宗祖とし浄土宗から派生したものです。
一遍上人は貴族や高位の方々ではなく、貧しい農民や漁民たちに、虐げられた被差別民や癩者などにも念仏の意義を説き、寝食を共にし各地を遊行したことで知られています。ですから、上人崩御の場では、堰を切ったように貧民も癩者も一遍の亡骸のもとに押し寄せ歎き悲しみ、彼の後を追い入水自殺をするものまで現れたとか。彼らは上人と完全に結ばれ一心同体と信じ、死によって分かたれることなど考えられなかったのでしょう。これが仏教でいう真の結縁(けちえん)、「み仏と貧者の縁」なのです。
処で、救済される貧民が仏画に描かれていることはあったかもしれませんが、この臨終之図だけでなく、聖人と貧民が対等に描かれていることが、『一遍聖絵』や『一遍上人縁起絵』の特徴で、貧民が存在感をもって生き生きと描かれていますよね。

一遍の布教スタイルは日本各地を遊行(ゆぎょう。教えを説きながら歩く事)し、鉢や太鼓など楽器を打ち鳴らし阿弥陀仏の名号を、「南無阿弥陀仏」を唱え、賦算(ふさん。念仏札を配る事。下写真は左から一遍上人・真教上人・一鎮上人・託何上人・太空上人筆の賦算)するという行動様式です。
六字名号5様.jpg
このような布教スタイルは、京都国立博物館近くの六波羅蜜寺に保管されている、口から六体の阿弥陀仏が出ている《空也上人像》で知られている空也上人が元祖で、「空也上人はわが先達なり」と一遍上人は仰っておられます。ですから、この特別展の展示物冒頭に《空也上人像》が展示されていて、強烈なインパクトを放っていました!
空也上人像2.jpg
空也上人像32.jpg
いゃあ、この立像、ほんまに強烈なインパクトがあり、暫し見惚れてしまいましたわ。

さて、空也上人について調べていると、『京都トリビア×Trivia in Kyoto』にこんな興味ある一文が・・・

空也上人が説いた念仏は民衆の間に広がり、多くの信者を集めるようになったのです。しかし、これを脅威に思った鎌倉幕府に、念仏は弾圧されることとなるのです。念仏を唱えるだけで、捕らえられてしまうために、唱えていることをわからないようにするにはどうすれば良いかと考えた空也上人は、普通に念仏を唱えるのではなく、踊り歩きながら鐘を叩いて念仏を唱えることを思いつきました。それが後に有名となる「空也踊躍念仏(くうやゆやくねんぶつ)」、いわゆる“踊念仏(おどりねんぶつ)”です。
「踊る」とあるので、飛び跳ねるように体を動かすように思われるかもしれませんが、そうではなく、一歩一歩、踏みしめるようにズシズシと地面を強く踏み歩きながら、念仏を唱えるやり方です。しかも、普通に「南無阿弥陀仏」と唱えるのではなく、念仏を“モウダ・ナンマイト”という隠語にして、わかりにくく唱えます。また、念仏というものは、普通は一度唱え出すと途中で止めてはいけないものなのだそうですが、踊念仏の最中に、万が一見つかることもあることを考えて、すぐに念仏を終わらせることができるような念仏になっていたのです。

こんな一文が記述されていたのです。<飛び跳ねるのではなく、ずしずしと地面を踏み歩く>や<念仏を隠語にして>など、ホンマなのでしょうか!? という訳で、Wikipediaにて「空也」を検索してみますと・・・

空也は平安時代中期の僧。阿弥陀聖、市聖、市上人と称される。口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者と評価される。空也流の念仏勧進聖は鎌倉仏教の浄土信仰を醸成したとされる。 踊り念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれるが、史実を推定するに足る一次史料は少なく、空也自身
がいわゆる踊念仏を修したという確証はない。

『京都トリビア×Trivia in Kyoto』の上記記述は、どの資料に準拠されたものなのか、知りたいものです。

あ、そうそう、余談かも知れませんが、現在もお盆に行われる盆踊りはこの踊り念仏が元となっているとか。ご存じでしたか? ワタシは知りませんでした。
でも、いつの頃から踊るだけになり、阿弥陀様の名号を称えなくなったのでしょうか・・・誰かご存じの方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると有り難いです。それから、下の写真は盆踊りではありません。一遍上人の遺徳ならびに偉業を顕彰する為、一遍の故郷伊予に創設された<一遍会>なる一遍研究会のパフォーマンス法要なのです。
一遍会.jpg
踊り且つ念仏を高唱するみなさんの脳裏は、念声一致で阿弥陀如来様が来迎され極楽浄土が浮かびあがっているのでしょうか。

話は一遍、いや一変し、映画の話題なんですが、あ、「一遍上人」の映画の話やから一変してないですね。
チラシ2.jpg映画チラシ1.jpg
チラシをご覧になって、一一遍上人を演ずる主演俳優さんは誰か、おわかりでしょうか? なな何と、キャイーンのウド鈴木さんなんですよ!
ウド鈴木 一遍上人1.jpg
ウド鈴木 一遍上人2.jpg
映画com.の解説をシェアさせて頂きます。

お笑いコンビ「キャイ~ン」のウド鈴木が映画初主演を果たし、鎌倉時代に各地で「踊り念仏」を行った時宗の開祖・一遍上人の姿を描くドラマ。監督は、「斜陽」「蜘蛛の糸」など文芸作品の映画化を多数手がけてきた秋原北胤(正俊)。「仏との結縁」を万人に説くため遊行を始めた一遍(ウド鈴木)は、妻や娘らとともに旅に出る。その途中に立ち寄ったとある武家屋敷で念仏を唱えていると、妻の超一(宮下今日子)が突然踊り始め、これをきっかけに一遍は「踊り念仏」を始める。鎌倉を目指して旅を続ける一遍はさまざまな人との出会いを果たしていくが……。

この映画は2012年製作でとっくの昔に公開されているのですが、ワタシは製作されたことしら知りませんでしたから、当然見ていないのですが、監督さんの発言されているのを読んでみますと、一遍上人と共に日本各地を渡り歩き、踊り念仏に狂う時衆をやって頂く大勢のエキストラさん達と村から町へ町から村へ、延々と続く撮影の旅をやりたいので、主演はとにかく旅の大好きな人をということでウドさんに白羽の矢を立てたとか。実際、ウドさんはエキストラさんたちと和気藹々、家族同然の旅を続けられたそうです。ですから、多分エネルギーあふれる踊り念仏のシーンが撮れているんじゃないでしょうか。是非見てみたい!と思っています。
映画シーン1.jpg
映画シーン2.jpg
エキストラの人々.jpg
今回のブログの旅、結構長くなってきましたので、この辺で。ではでは。


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