袖振れ合うも多生の縁348~念仏の「念」という字は今の心、今していることに心を置き、そこに仏を感ずることが最良の念仏なのです!~

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前回に続いて、NHKの「こころの時代 法然を語る」から、私の心に残り、光り輝いている珠玉の言の葉たちを書き綴ってみます。
町田宗鳳師は、
念仏とは仏を想うことです。念仏の念という字は、今の心と書きます。現時点でしていることに心を置き、そこに仏を感ずるなら、それこそが最良の念仏となります。もっと簡潔に言うのなら「今を大切にする」ことが、忙しい現代人に課せられた念仏ではないでしょうか。
と仰っています。
成る程、念仏の<念>という字は今の心と書きますね!
そして、現時点でしていることに心を置き・・・今の私ならこれを書いていることですが、書いていることに心を置く、つまり集中して「今を大切にする」ことが、仏を感ずることであり、それが現代人に課せられた念仏である・・・というのは、どういうことなんでしょうか?
そうか、念仏というと「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」を称えることだと思いがちですが、宗鳳師の仰るには、必ずしもそのようなお念仏でなくても、例えばスポーツをする時、音楽を演奏する時、食事やお酒を飲む時など何でも良いのですが、そのやっていることに身も心も置き、心身共に今を生きると深い喜びが、「やらせて頂いている有り難さ」「生かされている有り難さ」が湧き上がり、その歓びをしみじみ感じることが念仏の心なのだと。
そうか、<念仏とは、仏を念ずるとは、み仏に生かされている有り難さを思う今の心>なんだ! 法然上人が<報恩念仏>と宣うておられることなんだ! そう分かった途端、宗鳳師が十牛図について話されていたのがあったなと思い出し、慌てて頁を繰ってみました。

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<十牛図>とは、中国北宋時代の臨済宗楊岐派禅僧、廓庵が悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で描いたもので、「真の自己」を求める自己は牧人の姿で、「真の自己」は牛の姿で表されているから十牛図と言われています。私は悟りを求めている十のプロセスではすべて禅の修行と思っていましたが、現代人に課せられた念仏は必ずしも「ナムアミダブツ」や「ナムミョウホウレンゲキョウ」を称えることだけではないのと同じだと、宗鳳師は仰っておられます。

「十牛の図」というのは、何も常に宗教的に解釈する必要はなくて、例えば牛を私たちにとって、人生の目標とか、あるいは夢というふうに理解した場合ですね、第5図「牧牛」や第6図「騎牛帰家」はその夢が実現しているわけで、自分が追い求めてきた夢がやっと手に入って、人間として本当に満足した、そういう境涯です。

そうか、以前私が夢で見た<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>は、こういう風に考えれば良かったんですね。どういうことか再録するのは煩雑なので、気になるお方は、ワタシのブログ<袖触れ合うも多生の縁327>をご覧下さい。
処で<報恩念仏>といえば、ワタシはいつの頃からか神社仏閣に詣でた時、「今日、今、此処まで来ることが出来ました。ありがとうございます。」と心の内で祈っています。そう祈る以前は、「元気でありますように」とか「今年も無事でありますように」とか祈っていました。

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上の写真は、ワタシが散歩がてらよくお参りする了徳密院、通称宝塚聖天さんの鳥居と聖天堂ですが、ここに詣でた時も勿論、報恩念仏を、報恩の気持ちを心中で呟いております。ではでは、これを読んで下さった皆様に報恩念仏を称えさせて頂きます。

本当に有り難うございました!!




袖振れ合うも多生の縁347~法然上人の思想<念声一致>に因み、体育会系部活の声出しと演劇の発声を想う~

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前回は法然上人が修行なされた青龍寺でしたから、今回は上人の思想について、私の琴線に触れたことを書かせて頂きます。8年前の平成23年に法然上人の800年大遠忌を機に放映されたNHK-TVの「こころの時代」(写真下)で、ありがとう寺の町田宗鳳師が草柳隆三アナと質疑応答されているNHKインタビュー「法然を語る」を比叡山から帰った翌日、読み直してみました。
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え、TV番組やから見直したやろとお思いでしょうが、そやのうて、町田宗鳳師のWEBサイトに文書化され掲載されているのをプリントアウトしてじっくり読んだのです。話は少し脇道にそれますが、今は平成31年、いえ令和元年ですから、法然上人の808回忌です。因みに808はエンゼルナンバーで、Webサイト「MORE THAN EVER」を見てみますと、
808のエンジェルナンバーには、『神はあらゆる手段を使ってあなたに豊かさを授けています。それらに気付き、ありがたく受け止めてください。』という意味が込められていて、あなたは自分の中心に神を位置付けることに成功しました
と書いてありました。
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私の心の中に神仏がおわすのか、私が神仏を思う人間なのか、それは兎も角、法然上人の<念声一致>という思想をみてみましょう。
“念声はこれ一なり。何をもつてか知ることを得(う)。観経(かんぎょう)の下品下生(げぼんげしょう)に云く、「声をして絶えざらしめて、十念(じゅうねん)を具足して、ナムアミダブツを称せば、仏の名を称するが故に、念々の中において八十億劫(おくこう)の生死(しょうじ)の罪を除く」と。今この文によるに、声はこれ念なり、念は則ちこれ声なり。その意明(あき)らけし。(『選択集』)”

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『選択集』(せんちゃくしゅう)とは、法然上人が撰述した2巻16章の論文の略称で、正式名称は『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)。
町田宗鳳師は選択集にある<念声一致>について書かれた一文を、以下のように解釈し説明なさっておられます。

この場合「念」というのは「仏の思い。弥陀の本願」と思えばいいんですが、私たちが声を発生した時、そこにはもう既に仏が現れている、ということなんですよ。何故そういうことがわかるかというと、観経(かんぎょう)―観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)にこういうふうに書いてあります、と。これを絶えることなく、十念を称えていけば―ナムアミダブツと声に出していけば、その声の中に仏が現れて、過去劫来私たちは輪廻を繰り返してきたわけだけども、そのカルマ(業)の罪を解くことができるんだ、と。そう書いてありますよ、と。だから私は、「声はこれ念仏なり、念は則ちこれ声なり」と、そのように確信するようになったんです、ということですよ。
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『観無量寿経』は浄土教の根本聖典の一つで、下品下生とは、能力や資質の最も劣った人が極楽浄土に生まれる、生まれ方です。

法然上人は選択集でこのように述べておられますが、宗鳳師は、法然さんが念声一致に思い至った経緯は、単に観無量寿経を読んだから、それだけで確信したのではなく、定善観―ビジュアルに浄土の光景を十三の段階に分けて見ていくという厳しい難行もし、また称名念仏、称名とは仏・菩薩の名を称えることで、「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える口称念仏をもして、その上で念と声が一つであると確信されたのだと補足説明されています。

処で、『定善観』についてもう少し調べてみますと、『観無量寿経』に説かれる,阿弥陀仏の身や浄土のありさまを思い浮べる十三種の観法で、
1.日想観(太陽が沈むのを見て極楽が西にあることを観ずること)
2.水観(水と氷の清らかさによって極楽の大地の有様を観ずること)
3.地観(極楽の大地をまざまざと観ずること)
4.宝樹観(極楽の不思議な樹木の働きを観ずること)
5.宝池観(極楽の池の水を観ずること)
6.宝楼観(極楽にある多数の建物を観ずること)
7.華座観(阿弥陀仏の台座である蓮華を観ずること)
8.像観(仏像を置き阿弥陀仏の姿を観ずること)
9.真身観(阿弥陀仏の真実の姿を観ずること)
10.観音観(阿弥陀仏に従う菩薩のうち観世音を観ずること)
11.勢至観(大勢至菩薩を観ずること)
12.普観(あまねく浄土の仏、菩薩、国土を観ずること)
13.雑観(阿弥陀仏の身相に他の様々な姿を交えて観ずること)
等々ですが、こんな煩雑な観想は誰もが出来るわけないですよね。
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                (日想観之図)

そして更に、町田宗鳳師はこう言及されています。
以前私は、「否定的記憶」という言葉を遣ったことがありますが、まさにみんな心の奥底に無意識、近代心理学的に言えば、個人無意識とか普遍無意識のずっと深いところに、否定的記憶を抱え込んでいるけれども、この「声の力」はそれを消していく、お掃除する力があるんだという思いに体験的に到達されていたと思うんですよ。
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宗鳳師が仰っている個人無意識とか普遍無意識というのはカール・グスタフ・ユングの提唱している深層心理で、私も大いに共感している処なのです。
もう少し宗鳳師のご意見に耳を傾けてみましょう。師は念仏でなくてもいい、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも他の単純な言葉、例えば町田宗鳳師のありがとう寺では「あーりーがーとーうー!」ですが、シンプルな言葉を繰り返し称えていくうちに非常に意識の深い層に入っていくことが出来ると仰っています。
これを私は、「ボイスメディテーション(音声による瞑想)」と呼んでいるんですけれども、黙って坐禅をするよりも遙かに雑念が入りにくくって、坐禅をしたことがない人も短時間のうちに三昧(さんまい)に入れる、ということを発見してきました。(中略)我々の聴覚は普通二十キロヘルツの周波数の音しかキャッチできないんですが、実は自然の中に入ると、風の音とか、水のせせらぎとか、動物の声とか、いろんなものが混ざって、森の中などでは百キロヘルツ以上の高周波音が出ている、と。これは専門家の研究で証明されているわけですけれども、これが実は凄い癒しの力になるんですよ。癒しというのはムードでいうんじゃなくって、実際にそういう音に触れた場合、我々の聴覚に聞こえていなくても、脳幹―脳の基幹部にそういう高周波の振動が伝わるわけで、もう少し科学的に言えば、脳内物質ドーパミンとかβエンドルフィンというものが出てきまして、でリラックスしてくるわけですよ。ですからお念仏を称えている時の境地と、ちょっとお酒を一杯飲んだ、あるいはお風呂に浸かって良い気持ちになった、そういう意識の状態とほとんど区別がないんですよ。ですから声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくるんですよね。

いゃあ、「ちょっと一杯」や「いい湯だな」が音声瞑想と同じだなんて嬉しいですね! 因みに私は、入浴中に思いもかけないような作品のアイディアが浮かんだり、友人と酒を酌み交わし歓談している時、己が考えたこともないような見解を語っていることが多々あるのです。これって音声瞑想と同じように変性意識になっているんでしょうね。処で、下のお猿サンもそうかな? それからワタシも色んなヒトと呑みましたが、ネコちゃんとはないですわ、ハイ。
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宗鳳先生が、「声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてくる。」と仰ってるので思い出しましたが、ワタシは中・高併設の学校で部活は野球部でしたが、その頃わが母校の練習は高校生と一緒やったんです。それで、おっさんみたいなキャプテンから、「声を出せ、声を出さんか!」とよう叱られました。なんであないにワァワァ、ガァガァ怒鳴って練習せなアカンねんと、時々声出しをさぼってました。でもつらつら思い出してみると、声を出してたら練習中も試合中も、結構リラックスして集中出来て結果は良かったように思えます。
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そんな部活中心の中・高生活を終え、180度転換し体育会系から文化系へ、芝居の世界に迷い込んだのです。演劇に声はつきもので、俳優なんてこっぱずかしいこと出来へんから、文芸・演出志望やったんですが、役者体験抜きにして演出は出来ないと分かり、俳優修業も少しはやらせて貰いましたが、声出しは野球部での経験が結構役に立ち、腹式呼吸や腹から声を出すのなどは楽チンでありました。
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稽古開始前や公演の開演前に声出しすることにより、リラックスして演じる役に集中出来たように思えます。部活とお芝居の声出しはこれ位にして、音声瞑想に於ける波動に話を展開しようと思っていたのですが、結構長くなってきましたので、ワタシが瞑想時に用いているシンキング・ボウルなど、色々な波動については、いつか機会をみて蘊蓄を傾けたいと思います。ではでは。







袖振れ合うも多生の縁346~令和最初の敗戦記念日を機に、3冊の本で日本の戦後の真の姿を見てみました!~

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8月になると、今年も戦争絡みの番組や記事が増えていますが、ワタシも2冊の対談本「誰がこの国を動かしているのか」と「株式会社化する日本」及び「日米合同委員会の研究」を読んで、いたく感じるところがありました。
対談本に出演されているのは、元総理の鳩山由紀夫さんと政治学者で鹿児島大教授の木村朗さん、そして京都精華大学講師で政治学者の白井聡さん、神戸女学院大学名誉教授で思想家にして武道家の内田樹さん(写真下)と錚々たるメンバーです。
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《BOOK☆ WALKER》で「誰がこの国を動かしているのか」を検索してみると・・・

総理でさえままならない、「対米従属」という、この国の根深い構造を明かす!元内閣総理大臣・鳩山友紀夫氏と、『永続敗戦論』がベストセラーの白井聡氏、鹿児島大学教授の木村朗氏が、新安保法制、普天間基地移設の問題から、原発再稼働、従軍慰安婦問題、拉致問題まで、そこに通底する戦後日本の深層を暴き、「戦後レジーム」からの真の脱却、真の独立を説く。また、政治主導、対米自立を掲げた鳩山政権がいかに崩壊していったのか、その真相も明らかに。
普天間基地移設問題において、「最低でも県外」を模索していた鳩山総理(当時)に、腹案である徳之島への移設案を断念させたのは、官僚がねつ造した「極秘」文書だった疑惑が浮上。国家の方針を左右し、政権をも崩壊させるきっかけとなった「極秘」文書を第4章にて掲載!
(以下、鳩山氏「まえがき」より)・・・この本は、対米従属の既得権構造にメスを入れることに失敗した者と、その失敗の事例から、国を動かしている本質を鋭く追究して明らかにした二人の新進の学者との間の鼎談をまとめたものです。この本をお読みいただき、「誰がこの国を動かしているのか」、おわかりになれると思います。そして、その根の深さを認識していただくことによって、私たち一人ひとりがどのような行動をとるべきかの指針が得られることを期待しています。

「株式会社化する日本」は・・・
私たちはいつから、株式会社・日本の従業員になったのか!? 人々に蔓延する従業員マインドと急速に劣化する政治、グローバル資本主義の末路、対米自立の幻想と蹉跌……すべてが株式会社化する「平成」という特異な時代の実像から日本の深層部を明かす。

第1章 平成時代と対米自立の蹉跌
・カネの力、国際社会の信望によって対米自立を果たすという幻想
・敗戦時のまま日本に残存する「北方領土」と「南方領土」
・天皇制と立憲デモクラシー、異なる原理が共生している本当の理由
・日本の改憲にアメリカはどう出るか

第2章 あらゆるものが株式会社化する特異な時代
・株式会社化した社会で、人々に広がる従業員マインド
・貧乏くさい日本人にジャストフィットする貧乏くさい政権
・官邸の情報統制ではなく、ほとんどは自己検閲、自主規制である
・政治家の能力とは無関係に吹く「風」の異様さ

第3章 グローバル資本主義の末路
・結局、グローバル資本主義は戦争に行き着くほかない
・全世界が模索している新しい資本主義のあり方
・トランプ登場で失われたアメリカの「真の国力」
・アメリカ衰退後、未来を示す力こそ大きな国力だ

第4章 沖縄問題からみた新しい世界地図
・日本が主権国家であるかのように偽装してきたツケ
・対米従属の記念碑的事業である辺野古基地建設
・中国、アメリカなどの大国に与しない日韓の共同体構想
・日中の連携を軸にして構れる東アジア共同体構想

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それから、「日米合同委員会の研究」(写真上)は、アジアプレス・インターナショナル所属のジャーナリスト吉田敏浩さん(写真下)が2017年に上梓され話題になったのですが、私はこの夏にやっと読むことが出来ました。
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この著書の出版元、創元社のHPによりますと・・・

日本の主権を侵害する取り決めを交わす「影の政府」の実像とは?
日本の超エリート官僚と在日米軍の軍人たちが毎月2度行う秘密の会議「日米合同委員会」。そこで合意された取り決めは日本の法律・憲法よりも、強い効力をもっている。しかし、軍事、外交、司法のさまざまな側面で、日本の主権を侵害し続けるその協議の内容は厚い秘密のベールに包まれ、ほとんど公表されることがない。米外交官から見ても「きわめて異常」と評されるその驚くべき実態に、大宅賞作家の吉田敏浩がせまる。第60回日本ジャーナリスト会議賞受賞。

それから紀伊國屋書店のHPの内容説明では・・・

日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?謎の権力構造の正体に迫る。

目次

1 日米合同委員会とは何か(銃を持った日本人警備員のいる都心の米軍基地;日本のエリート官僚とアメリカの高級軍人が集う合同委員会他)
2 なぜ日本の空は、今でも米軍に支配されているのか(「横田空域」―目に見えない空の壁;「横田空域」の法的根拠を開示しない日本政府他)
3 日本占領管理はどのようにして継続したのか―「占領管理法体系」から「安保法体系」へ(米軍の特権を認めた日米行政協定;日米合同委員会の前身にあたる予備作業班他)
4 最高裁にもあった裏マニュアル(「最高裁部外秘資料」に載っていた密約;民事裁判権に関する秘密合意他)
5 密室の協議はこうしておこなわれる―富士演習場をめぐる密約(米軍による富士演習場の優先使用権密約;アメリカ議会の議事録から明らかになった密約の存在他)

いやあ、この3冊、どれも凄いですね! 日本てほんまに独立国なんやろか??? アメリカの植民地やんか・・・と思ってしまいました。今まで知らんかったから、知らぬが仏ですね。そうそう、日米合同委員会の画像を検索してたら、こんなんが・・・!!!
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これって、嘘かホンマか、いつ作成された写真か、又出所はどこかも分かりませんが、ありそうにも思えるので、ゆっくりじっくり検証してみることにします。次はこの委員会のメンバーについてです。
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こんな米軍関係者と日本の官僚達によって日本は動かされているんですね。日本の官僚はこの委員会のメンバーに入ると出世間違いなしだそうです。特に法務省関係者でこの委員会の委員になった人は検察のトップになることが多く、米国の意向に反する政治家は、田中角栄さんのように裁判沙汰となり失脚させられていますよね。角さんの他にも、アメリカからの自主独立を目指した為に葬られた政治家は・・・古くは鳩山一郎、石橋湛山、重光葵、芦田均、そして佐藤栄作、竹下登、梶山静六、鈴木善幸、細川護煕、橋本龍太郎、鳩山由紀夫、小沢一郎、等々(何れも敬称を略させて頂きました)。桑原々々、触らぬ神に祟り無し・・・と現ソーリのアベさんはじめ政治家の皆さんは思てはるでしょうな。
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さて、「株式会社化する日本」で内田先生は、日本の対米従属についてこのように述べておられます。
敗戦後日本の国家戦略は対米従属以外選択肢がなく、アメリカの同盟国としてアメリカの信頼を獲得し、イーブンパートナーとして遇されるまでになって国土を回復し、国家主権を回復するという<対米従属を通じての対米自立>を謀ろうとしたのです。そして1951年にサンフランシスコ講和条約で占領が終わり、形式的には国家主権を回復し、68年に小笠原返還、72年に沖縄が返還され、この段階まで日本の国家戦略はそれなりに成功していたと言えるようです
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しかしこの後、本土の米軍基地が沖縄に移動しただけで、横田空域・横須賀基地・厚木基地・三沢基地(写真下)などは返還されず、今も日米合同委員会による日本のコントロールは続いています
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処で、横田空域といえば、吉田敏浩さん著の「日米合同委員会の研究」によると、

横田空域は、首都圏の1都9県上空を覆う広大な空域で、日本の領土なのに日本の飛行機は自由に飛べず、米軍が戦闘機の訓練飛行や輸送機の発着などに使用しているのです。この米軍の巨大な特権に、実は国内法上の法的根拠がまったく存在せず、日米地位協定にも法的根拠が明記されていないという衝撃の事実を、はたしてみなさんはご存じでしょうか。

と<はじめに>の部分に書かれています。私が思うにこの横田空域は、日本の主権侵害の象徴的存在ですよね。そんな横田空域から、トランプ大統領は2017年初来日の際、日本の領土に、いえ、アメリカの領土に降り立ったのです! オバマさんはそんな無法なことをしませんでしたよね。日米地位協定によれば、トランプが米軍の構成員等として入国するのであれば、日本の入管法は適用されません。(第9条)。ですから外交的に対等な立場で来日したのではなく、米軍の最高指揮官として日本に来たことになるのです。羽田の管制は飽和状態だから横田に降りた方が、民間便への影響がない。などと正当化する向きもあったようですが、多くのマスコミは殆どというか全く問題視していませんでしたよね。嗚~呼!
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トランプさんの思惑はさておき、内田先生の話に戻します。

日本の対米従属が続く中、一瞬国権回復の希望が見えたこともあったと思う。それはバブル経済の時で、1989年に三菱地所がニューヨークのワールドトレードセンターを買い、ソニーがコロンビア映画を買いました。バブル当時「日本の地価を足すとアメリカが二個買える」とよく言われました
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摩天楼とハリウッドが買えるなら、国家主権だって国土だって金で買い戻すことも出来るんじゃないか。でもアメリカが一気に日本をつぶしにかかってきた。資料的根拠は乏しいのですが、バブル崩壊にはアメリガがかなりコミットしていると僕は思っています。
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そして2005年、小泉総理の時、国連安保理の常任理事国に立候補したのです。カネで国家主権を買い戻すことが不可能になったので、今度は国際社会における信望をテコにして政治大国化しようというアイディアでした。でも久しくアメリカべったり追随で、戦争責任をむ果たしてこなかったことが災いし、アジア諸国から全く支持が得られなかった。
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政治大国になってアメリカのイーブンパートナーとして国際社会に登場するという夢もそこで消えた。そしてその後に鳩山さんが登場するわけですが、アメリカに対し切る外交カードが何もない局面で対米自立を図ろうとし、沖縄の米軍基地の移転を切り出して、国内の対米従属テクノクラートに寄ってたかって引きずり降ろされた。安倍さんさんは鳩山さんの失脚を見て、多くのことを学習したのと思うのです。
もう対米自立は無理だ。対米自立という長期的国家目標は棚上げして、これまで日本を駆動してきた<対米従属マシーン>を走らせ続けている限り、属国内での支配層という地位はアメリカが保証してくれる。そう考えて、国益を代償にして自己利益を確保しようとする人たちが日本の支配層を占めるようになり、それが第二次安倍政権以後の、恐ろしいほどの勢いでの国力の衰退と国際社会における地位低下をもたらしている、それが現実だと思います。

そうか、そやから外交は対米従属一点張りで、アメリカさんのお先棒を担いで戦争までやりかねないていたらくだし、内政では権力の独占、自己利益の増大のみで、五輪だの、万博だの、カジノだの、リニアだの、経済効果オンリーの儚い夢を煽り、格差が益々拡大するのにも知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのですな。嗚呼、この泥濘の道はいつか来た道・・・でないように祈るばかりです。
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袖振れ合うも多生の縁345~比叡山西塔別所の黒谷青龍寺に詣で、法然上人を偲びました!~

前回に続いて比叡山延暦寺ですが、今回は西塔別所の黒谷青龍寺についてです。比叡山につくなり、延暦寺の諸堂に詣でるのではなく、先ずは青龍寺!と、シャトルバスで峰道停留所で降りたのであります。
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この写真は峰道バス停の風景ですが、降りる際に、「青龍寺へはどの方面ですか?」と運転手さんに尋ねたところ、無愛想に「知らん!」と一言。知らんのはしゃーないとしても、「ワタシ知らんから、誰かに聞いてみて。」とか言うて欲しかったな・・・この人、この街を愛してないんやな・・・と些かがっくり。バス停の右手にレストランがあったので、そこで聞くと、開店前の準備で忙しそうなシェフさんが店の表まで出てきて親切に教えてくれました。上の写真の左端に白い小さな案内柱が写ってますが、そこ斜面を上っていくと黒谷への道がありますということなので、人一人が通れるかどうかという、両側は熊笹や樹木に覆われた細い道を登り始めたのです。しかしすぐ道がなくなってしまい、行く先不明になったのであります。えゝい、儘よ、と笹や木の枝を掻き分け、転ばぬよう滑り落ちぬよう足許を確かめつつ、久しぶりに山登り(という程の事もないのですが)すること小一時間、いえウソです、10分少しで、走出道(はせだしみち。西塔から法然上人御修行地黒谷青龍寺への参道)に降りることが出来ました。やれやれ。
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この走出道を暫く行くと、少し広い黒谷道に繋がりました。
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そして黒谷道をだらだらと下りに下ったのですが、この日は一人わが道を行く態で、道連れは誰一人なく、延暦寺諸堂の周辺の賑わいと余りに違い過ぎ、法然上人がお山を降りてから天台宗のみならず南都北嶺諸宗を敵に回してしまった往時を思い起こさせるのでした。それやこれやの思いに耽りつつ下り続けるとあら嬉しや、石畳の石段となり青龍寺山門が見えてきたのであります。
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ご覧の写真のように、本日はご開帳されておらず、本尊を拝むことは出来ませんでしたが、閉ざされた密やかな鄙びた佇まいが、若き日の法然さんが修行なされた頃はかくありなんと昔日にタイムトラベルさせてくれました。
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若き日の法然上人さま像はなかなか良いお顔をなされていますね。ワタシの撮った写真、デジカメなのにピントが一寸甘かった。残念!それはさておき、現在の青龍寺は、昭和51年に浄土宗総本山知恩院により、青少年修練道場として建立されたものです。
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ワタシは修練(?)の一端として、鐘は自由についてくださいと書かれていたので、思うが儘、存分に突かせて頂きました。
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鐘楼の下に鎮座ましましてた狸くんは、こいつ、いつ迄突いてんねん と思て、あきれて見てたんやないやろか???
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お線香立てのの獅子クン(?)もそやそやと相鎚を打ってたような気がしますわ。ま、それは分かりませんが、ご開扉の日やったらご本尊の阿弥陀様や天井絵なんかも見れたのにな・・・と獅子くんも狸やんも思てたんとちやうやろか。
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それから報恩蔵(写真下)に祀られておられる阿弥陀如来さま、観音菩薩さま、勢至菩薩さま、善導大師さま、法然上人さま達にもお目通り叶わなかったのは、ご縁がなかったのか、それともワタシの不徳の致す処でありましょうか。
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かくして後ろ髪引かれる思いで青龍寺を後にしたのですが、この階段を見上げますと、行きは良い良い帰りは怖くはないけれど、しんどいやろな・・・と覚悟を決めて登り始めたのです。
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上の写真はワタシが撮ったのやないので、誰一人いない静寂の中、石階段も坂道も又修行と思い直し、重い歩を運んだのでありますが、たちまち息が上がり、途中佇み杉木立などを撮りがてら息を入れたのであります。
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この杉木立、いつもなら整然とした並びを美しいと感じていたのですが、何か不自然ではないかと思ったのです。なんでやろ・・・とわが脳裏に探りを入れると、法然上人さまがこの道を歩かれた頃は杉の木ばかりでなく、色々な木々が茂っており、自然そのものだったからではないか・・・と思い至ったのです。こんな想念に囚われながら汗だくで登りに登ること30分、黒谷道から走出道への曲がり角に至りました。

さて、これから写真下の走出道に進み、途中から道無き道を掻き分け小山を降り、元のに峰道バス停に戻るのかと思うと歩が進まず、さりとて走出道を歩き続け西塔まで辿り着くには1時間・・・さあ、どうする、どうする!?
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迷いつつふと見ると、黒谷道をそのまま行けば峰道にでると表示されているではありませんか!よし、それならこの儘黒谷道をGO!そしてものの5分位であっさりと峰道バス停の広場に戻れたのです!
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なんや、あのシェフさん、こっちの道を教えてくれてたら楽に獣道もない道無き道の小山越えせんでも良かったのに・・・と思いましたが、いや、法然上人さまが多分歩かれた走出道を歩めよと仰せられたと無理に納得させ、延暦寺諸堂巡りへ、横川へ、と歩を進めたのでした。

次回は8月17日、戦争に関する一文を取り上げたいと思っていますが、その次は法然上人の思想、というと大層ですが、ワタシの興味をひかれた点について書くことに致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁344~比叡山延暦寺に詣で、古(いにしえ)を偲びたかったのですが・・・~

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比叡山は滋賀県と京都府の県境に聳えているので、叡山へのルートは京都からと大津からとがあり、ケーブルやロープウェーなどを楽しむのも良いのでしょうが、私は乗り換えの労を省き京都駅烏丸口からドライブバスに乗り、眼下に見下ろす琵琶湖の雄大な眺めを楽しんだのであります。
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さて、比叡山は東塔(とうどう)地域、西塔(さいとう)地域、横川(よかわ)地域と3塔の地域に分けられ、これらの聡称が比叡山延暦寺なのです。
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寺社巡り.comに依りますと、東塔の中心的お堂は根本中堂、;西塔は釈迦堂、横川は横川中堂であり、3エリアの中でも中心地となっているのは根本中堂のある東塔で、比叡山が初めての方はまずはここを目指しましょう。とご親切に書いて下さっているのですが、天の邪鬼なワタシは山内シャトルバスで、先ず3塔地域ではない「峰道」に行ったのです。
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ご覧の写真は峰道駐車場で、小さく見えているのは天台宗開祖の伝教大師尊像ですが、それはさておき、今回私の叡山行きのメインイベントは法然上人の修行なされた西塔別所黒谷青龍寺参拝で、青龍寺への黒谷道は峰道から徒歩30分なのです。
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写真を見、こんな黒谷道なら大したことないわ・・・と思っていたのですが、一寸したハプニングがあり、少々パニくってしまったのであります。ま、このトラブルや青龍寺については次回ということにしましょう。この青龍寺は浄土宗の知恩院が管理している処なので、比叡山延暦寺は天台宗ですから、最澄大師に敬意を払い延暦寺から書くことに致します。青龍寺を参拝後、峰道に戻りシャトメバスで横川へ。
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横川地域は慈覚大師円仁さんによって開かれ、源信さん、親鸞さん、日蓮さん、道元さんなど後に名僧と言われるようになられた方達が修行されたそうです。横川は3塔の中で一番北エリアに在り、なんだか鄙びた感じで修行に集中できそうな趣きでしたね。
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この横川中堂は遣唐使船をモデルにした舞台造りで、横から眺めると船が浮かんでいるような姿に見えました。(下の写真は正面から見た姿です)

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横川中堂の他、元三大師堂や恵心堂などがありますが、割愛させて頂き西塔へ。
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西塔地域は杉木立に囲まれ小鳥のさえずりなどが心和ませる静寂境で、ゆるやかな階を降りると、比叡山最古の転法輪堂(ご本尊の釈迦如来に因み釈迦堂と言われている)がおわしました。
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釈迦堂の横に法然上人の修行なされた青龍寺への道があり、往時は法然さんもこの道を行き来なされたのでしょうか。
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お次は最後に真打ち登場で東塔地域です。
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西塔からシャトルバスでバスセンたーへ、センターから巡拝受付を通るとすぐ国宝殿がありましたが、諸堂巡拝券の裏をふと目にすると、伝教大師のお言葉が書かれていました。

「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。(後略)」

とありましたので、国宝殿に道心ある人間国宝は祀られていないだろうと思い、スルーして根本中堂へ急ぎましたが・・・。
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いや、建物は国宝で廻廊は国重要文化財だけのことはあって素晴らしい!・・・と思いたかったのですが、思えなかったのであります。なんで?かと言うと・・・
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大改修中でした。残念!しかし、改修工事中でも入れたので、足場の金具越しの隙間より、ご本尊薬師如来の御前で1200年灯り続けている不滅の法灯を覗き見出来たのですが、下の写真のような神秘的な雰囲気は見られませんでした。
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厳かな雰囲気は感じられなかったものの、織田信長の兵火で延暦寺が消失した時も分灯してあった山形県山形市山寺の立石寺の火を移し、絶えることなく灯され続けている不滅の法灯は紛れもなく灯されておりましたから、由とすべきなのでしょう。
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大修理中の根本中堂を出ると、嘗て信長の兵たちと僧兵が戦を繰り広げた俤はさらさらなく、東塔が西から差す眩い陽光に照り輝いておりました。

ではでは、次回は法然上人が修行なされた黒谷青龍寺について蘊蓄を傾けたいと思います。