袖振れ合うも多生の縁349~68年前の9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ占領は終わった筈なのに・・・!~

フィガロ紙の平和条約.jpg
この平和条約の写真は仏・フィガロ紙のものですが、上部に書かれているキャプションが凄いですよね。でも、今から68年前の9月8日、私は9才でしたから殆ど覚えていないものの、独立を勝ち取れなかったなんて認識は全くなく、日本に真の平和が訪れたという、希望の光が満ち溢れるような明るい世相だったのではないでしょうか。下は1951年9月8日講和条約調印の報道と翌52年4月28日同条約発効の報道記事ですが、「主権は完全回復」「晴れて独立を迎う」との見出しが躍っているようです。
講和条約調印の報道1.jpg
講和条約発効の報道1.jpg
でもしかし、講和条約の条文をよく読んでみると、日本は独立国ではなく、アメリカの属国になっているのです。え、ほんまかいな???
因みにサンフランシスコ講和条約の第1条(a)項は・・・

第一条(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

しかし第6条(a)項は・・・

第六条(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

90日以内に撤退せなアカンと一応決めてるけど、国同士お互いがえゝ言うのやったらかまへんと但し書きれてますわな。「この条項を入れな、占領は終わらへんぞ!」て脅されたら、当時の日本はゼッタイ反対出来へんですよね。そやからアメリカさんの意向で、日本全土北から南まで、何処にでもアメリカ軍が駐屯OKやなんて、こらアメリカが日本を属国にすることやんか。それが今でも続いてるっちゅう訳ですね。なんでこんな屈辱的な講和条約を結ばなアカンかったかは、「株式会社化する日本」での内田樹さんの言によりますと、歴史的に見てもここまで負けた
国はないくらいの酷い敗戦だったからだとか。

1942年のミッドウェー海戦で敗れた時点でか、遅くとも43年に絶対国防圏が敗れた時点で講和していれば、310万人の戦死者を出さずに済んだし、東京や大阪の大空襲も原爆投下もなかった。早めに講和していれば、日本人が自分たちの力で戦争責任を追及することも出来たし、自力で改憲し政治形態を刷新することもできた。

と、内田樹さんは同書で仰っています。ふむふむ、ほな、第2次大戦時に連合国と戦った枢軸国、ドイツやイタリアはどうだったのか?
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ご覧の写真は映画「ワルキューレ作戦」の1コマですが、ヴァルキューレ作戦とは国内予備軍の結集と動員に関する命令で、このヴァルキューレ作戦をヒトラー暗殺及びその後のクーデターに利用できると踏んだ反ヒトラー派は、ナチ党の政策への反対や連合国との和平を目的として1944年7月20日にドイツ総統アドルフ・ヒトラー暗殺とナチ党政権に対するクーデターを起こしたが、何れも未遂に終わったのです。
7月20日事件1.jpg
7月20日事件.jpg
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上の3葉の写真は何れも7月20日事件の実写で、日本と異なりドイツではこのようにナチスと戦っていた人々が相当数国内にいたのです。又、ドイツの半分である東ドイツは、戦勝国として敗戦を迎えたので、東ドイツにはナチスの戦争犯罪を告発する権利を有していても、謝罪したり責任を負う必要が無く、この2点が日本と同じ無条件降伏でありながら、大いに違っていたのです。
それからイタリアですが、イタリアも実は敗戦国ではないのです。え、そんな、嘘やろ!? とお思いでしょうが、そうなんですよ。

1943年春、北アフリカ戦線でのイタリア軍敗北が明らかとなり、ファシズム体制に対する批判が国内で高まり始めたので、イタリアの独裁者である首相ベニート・ムッソリーニ(写真下の下)は、ファシスト体制より国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(写真下)に忠誠であると思われる人物をイタリア政府内から何人か取り除いた。この決定の後、エマヌエーレ3世はムッソリーニの排除と講和に向けた対抗手段を検討し、紆余曲折あって1943年9月8日にイタリア王国は連合国との休戦協定締結を発表、枢軸国から離脱し降伏に至ったのです。
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日本の昭和天皇がもしこの国王のような動きをなされていたら・・・歴史にIFはないと言いますが、そう思わずにはいられません。昭和天皇はなさろうとされたのだが、呼応する臣下がいなかったのでしょうか。内田先生の言われるように、42年か43年に降伏していれば、原爆を落とされることもなかったし、戦後昭和天皇は「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中である事ですから、広島市民に対しては気の毒であるが、や無負えない事と私は思っています」なんて、被爆者にこれ以上ない極めてむごいお言葉を発せられることもなかったでしょうに。因みに私が思うに、原爆投下によりアメリカはソ連より軍事的に優位であると見せつけたから、ソ連による国土(北海道)侵攻がなかったし、戦後日本が共産主義化せず国体(天皇制)を護持できたのだから、原爆投下は致し方ない・・・というのが昭和天皇のお思いなのでありましょう。それはさておき、イタリアは形式的には戦勝国として終戦を迎えることが出来たのです。それから枢軸国ではありませんが、フランスが戦勝国になれたのは、シャルル・ド・ゴール個人のお陰なのです
ド・ゴールがロンドンに亡命政府をつくった時、殆ど実態はなく、第3共和制の正当な政体はアンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン元帥(写真下。寿限無みたいに長~い名前やなぁ)のヴィシー政府で、ヴィシー政府は独仏休戦協定を締結し、ド・ゴールに欠席裁判で死刑判決を下しています。しかし、ド・ゴール(写真下の下)の亡命政府や海外領土に残った軍隊、それに国内の様々なレジスタンスなど、飽くなき戦いを続けた結果、戦勝国として戦後の国際社会に登場できたのです。
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日本も、4選の噂チラホラのアベソーリのもと、アメリカ従属国家としてアメリカのお先棒を担いで、国連決議を経ず有志連合とか称してホルムズ海峡とかどこかに出兵し、第3次世界大戦に巻き込まれるような、この道はいつか来た道を進軍する時、国内に抵抗勢力のあらんことを、私は唯々祈るばかりです。嗚呼!祈り2.jpg祈り1.jpg