袖振れ合うも多生の縁377~喜寿を無事終え、仏兄(さとえ。81歳の古称)めざして!~

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本日はワタシの誕生日なのですが、一体いくつになったのでしょうか?

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あらら、オマエと多分何のカンケーもない、毒蝮三太夫さんの写真が唐突に挿入されてるのは、どないな訳ゃ!? いえ、あのですね、「クソ婆ぁ!」との毒舌で人気を博している毒蝮さんには、<年寄りに年齢を聞く>というギャグがあるのです。
「爺ぃ、アンタいくつになったんだ?」「いや、歳ってぇのは毎年変わるもんだから、よくわかんねえ!」
閑話休題致しまして、ワタシはナントカ77歳を無事に終え、78歳を迎えました。処で77歳の異称は「喜寿」ですが、78、79歳の別称ってあるんやろか? 一寸調べてみたのですが、無いようです。80歳が「傘寿」なのはよく知られていますが、81歳の「半寿(はんじゅ)」「盤寿(ばんじゅ)」「仏兄(さとえ)」はご存じない方が多いようです。「半」という字は、八と十と一から成っているから81歳は「半寿」で、「盤」とは将棋盤のことでして、棋盤には81のマス目があるから「盤寿」だとか。
でも、仏の兄と書いて「さとえ」と読ませるのは一体何なのでしょうか??? ワタシは何かの仏教書に載っていたのを読んだことがあり、とても印象に残り記憶しているのですか、今改めて検索してみると皆目ヒットしません。ワタシの記憶に間違いがなければ、「仏兄」とは、お釈迦様が80歳で亡くなられたので、お釈迦様の歳を越え、仏陀の兄になったとの意味から出来た言葉なのです。

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さて、お釈迦様の入滅された絵や像を見てみますと、どの画像も頭が左(北枕)で横たわっておられますよね。

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涅槃堂に安置されたお釈迦様の涅槃像.jpg
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インド哲学者で仏教学者でもあられる中村元(なかむら はじめ)先生が、あるインドの学識者から聞いたところによると、頭を北に向けて寝るというのは、インドでは今日なお教養ある人々の間では行われていることだそうです。北枕で右脇を下に向けて西に向かって臥すというのは、インドでは最上の寝方であるそうです。すると、ワタシはインド人並なんですね。北枕で寝ていますから。でも日本では、北枕で寝ると良くないという俗信がありますが・・・。
それはさておき、お釈迦様入滅の経緯ですが、『チュンダという鍛冶工に食物の供養を受け法を説かれたが、その時「スーカラ・マッダヴァ」という食物を食されたのが原因で、鮮血がほとばしり出る激しい下血をなされ、耐え難い苦痛が生じ、やがて死に至る重い病が生じた』とパーリー文に書かれています。「スーカラ」とは「野豚」のことであり、「マッダヴァ」とは「柔らかい」という意味で、「スーカラ・マッダヴァ」とは「野豚の肉」か「野豚の好むキノコ」などと解釈されています。激しい下痢におそわれながらも、お釈迦さまはクシーナガルを目指します。病に苦しみながらも、お釈迦さまは鍛冶工チュンダを思いやり、チュンダへの言葉をお供のアーナンダに託します。「チュンダよ、お前は私に最後の供養の食物を施したのだから、大いに功徳があるのだ。」と。

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            クシナガールの涅槃堂

お釈迦様は、チュンダの供養した食べ物で亡くなられた・・・これが釈迦入滅の定説となっていますが、スピリチュアルな世界を書いた名著『黎明』によりますと、さにあらずだそうです。
お釈迦様は解脱を求めて5年間難行苦行をなさったのですが、悟りを得る為の難行苦行は無益であり、不必要な無駄な行為であると説かれたので、難行苦行こそ真理への唯一の道であると堅く信じている行者たちの猛反発、猛攻撃に遭遇し、行者たちに唆されたチュンダがお釈迦様を毒殺したというのです。真偽の程は確かめようもないですが、この膨大な著書に記述された多くの事項は真理であるとワタシには思えますので、このこともホンマやないか・・・とワタシは思っている次第です。
ま、この『黎明』については後日、書かせて頂きます。
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それでは、そろそろ話を「仏兄」に戻しましょう。

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今、仏兄という言葉は死語になってしまっているのでしょうか、ワタシの手持ちのどの辞書にも載っていません。
でも、江戸時代迄は確かに使われていた仏語で、伊丹在住の俳人である上島鬼貫(うえじまおにつら。画像左)は、仏兄という号を使っていたことがあり、「仏兄七久留万(さとえななくるま)」という句集があるとのこと。余談ですが、鬼貫は幼くして俳諧に目覚めていた由、8才の句〚 こいこいと いえど蛍は とんでいく 〛が、新伊丹交番横の句碑に記されています。

鬼貫さんのことは兎も角、ワタシは目下、仏兄、81歳を目指して生きているのであります。何故かというと、ワタシの居住マンション管理組合の役員を来年から2年間やらないといけないので、それを終えると81歳になるのです。
とまあ、こんな義務的な雑事の為だけでなく、スピリチュアルな要件もあるのです。それは、ワタシの過去世のことなんですが、それについては次回書かせて頂きます。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁376~ありがとう禅の最後に、町田宗鳳師が得も言われる波動で唱えられているお経は?~

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ご覧の書は、哲学にとどまらず多彩な活動をされていた故梅原猛さんの邸宅に飾られていたものですが、何とも味わいのある字ですね。
それはさておき、町田宗鳳師はこの「四弘誓願(しぐせいがん)」という短いお経を「ありがとう禅」の終わりに唱えておられるのです。
処で、Wikipediaによりますと「誓願」とは・・・

仏教における誓願(せいがん。: praṇidhāna, プラニダーナ)とは、仏や菩薩が一切衆生を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓いのこと。また、大乗仏教において、仏道を志すものが願いを成就させるという誓いを立てること。

だそうです。ということは、当初仏菩薩が衆生を「必ずや救うぞ!」と決意して唱えていたのが、大乗仏教に於ける在家信者なども「必ずや救われん!」と志を立てて唱えるようになった・・・ということなのでしょうか。浅学のワタシの推測なので、間違ってているかも知れません。

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「衆生無辺誓願度」

「煩悩無尽誓願断」

「法門無量誓願学」

「仏道無上誓願成」

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)・・・・・・・地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願。
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)・・・・・・・煩悩は無尽だが、すべて断つという誓願。
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)・・・・・法門は無量だが、すべて学ぶという誓願。
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)・・・仏の道は無上だが、かならず成仏するという誓願。

各偈頌の意味は、Wikipediaによると上記の如くですが、町田宗鳳師著『「ありがとう禅」が世界を変える』では下記のように訳されています。

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)・・・・・・・生きとし生けるものが果てしなく、安らかな境地に辿り着けますように。
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)・・・・・・・尽きることのない人間の煩悩が断ち切られますように。
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)・・・・・真理の道をどこまでも深く学ぶことができますように。
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)・・・仏の道をかぎりなく達成できますように。

師が「四弘誓願」をワタシ達参禅者の為に唱えて下さっているお気持ちがあよく分かる優しい名訳ですね。ですから、得も言えぬ波動となり、ワタシ達の魂に響いてくるのだと想います。ではでは。

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袖触れ合うも多生の縁375~「ありがとう禅」って一体どんなことをするの?~

今回のブログは、町田宗鳳師の「ありがとう禅」で具体的にどんなことをするのかを書かせて頂きます。下の画像はPCを検索していて見付けたものですが、端的にまとめているのでシェアさせて貰いました。


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「風の集い」でおこなわれているのは、先ず「ありがとう念仏」です。
「ありがとう念仏」は、師のHPによりますと・・・ありがとう木魚1.png
木魚を打ちながら「ありがとう」を唱えていると自然に穏やかな気持ちになってきます。一定時間単純行為を反復すると、意識変容体験が起きる


ことは科学的に実証済みですが、「ありがとう念仏」も20分ほど継続すると脳波がβ波からα波に変化します。 このように「ありがとう念仏」の良いところは、タイマーで一定時間を設定し、淡々と機械的に唱えているだけで、雑念が湧いても邪魔にならず、自然に澄んだ心境になっていくことです。
小さな雨だれも長く落ち続けると、固い石でも穴を開けてしまいます。それと同じように、「ありがとう」を唱え続けると、その言霊が意識に浸透していき、深層意識にある頑迷な「否定的記憶」を溶かしてしまいます。そのクリーニングのプロセスには、涙が流れたり、体が温かくなったりします。その結果、自分でも気づいていなかった怒り、不安、恐怖が消え、明るい性格になっていきます。

有り難う木魚2.png

この使用している木魚は、木魚としては最小サイズなのですが、材質が本楠なので、とても心地よい音色がするのです。



ところで、この木魚は師が台湾で求められたもので、結構良い響きです。それはさておき、木魚を叩くのは各個人ではなく、師が叩かれるのですが、それに合わせて「ありがとう」を唱え続けます。そして、師の叩かれるテンポが次第に早くなるので、唱えるのも早くなり、それと相俟って意識が深く浸透していく気がするのです。

次は「感謝禅(感謝念仏)」です。

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合掌し、家族・先祖・友人・恩人・仕事・地球等々、自分が感謝したい対象を次々と思い浮かべ、それらの人や物に向かって「ありがとう」の言葉を唱えるます。私の体験では、自分はこんなに沢山の方々や諸物にお世話になっていたのだと気付かされ、まさに感謝々々!でありました。
3っ目は、涅槃禅です。これは、屍のポーズ(仰向けに寝る)になり、願望が100%実現した光景を想像しながら、「ありがとう」を唱え続けるのです。この時、クリスタルボウルの妙なる響きが奏でられ、師の読経と相俟って、得も言われぬ波動に包まれ、まさに涅槃てこうなのか、至福の一端を味わった思いでありました。
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この後1分間トークと称して参禅の感想を述べ、更に腹をかかえて体を揺さぶり、大笑いを続ける「笑い禅」があり、お開きとなります。

「風の集い」はまさに風のように来たり、風のように去る淡泊な集いですが、しかし中身の濃いひとときなのです。

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袖振れ合うも多生の縁374~「ありがとう」という言葉を唱えると、神秘体験出来るエビデンス(根拠)~

前回のブログで、町田宗鳳師が「ありがとう禅」で唱える「ありがとう」という言葉を思いついた経緯を書きましたが、再録致しますと・・・
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師がペンシルバニア大学で博士号を得られた研究テーマは法然上人(写真上)であり、その研究のプロセスで、法然上人は念仏を声に出し繰り返すことで、深い神秘体験を何度も得られたことを知ったのです。そして、声には何か不思議な力があると気付き、上人の唱えられたお念仏、「南無阿弥陀仏」に代わる宗教色のない現代のマントラはないか・・・と四六時中思い続けていた処、ある時突然唐突に何の脈絡もなく、ありがとうという言葉が稲妻のように脳裏に飛び込んできたのです!!
この言葉、「ありがとう」こそ、法然上人のお念仏「南無阿弥陀仏」に代わる現代のマントラではないか・・・そう思うと矢も楯もたまらず、仲間を集めて「ありがとう!」を大声で唱える瞑想を実験的に試みられたのです。すると、何と何と・・・!?
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体験者の多くが涙を流したり、瞑想中に光りや色を見たり、色々な音が聞こえたりする人が続出したのです! 幻視や幻聴は、意識変容体験の特徴で、その人達が明らかに意識の深いところに入っていると感じた師は、「声」には不可思議な力があると確信し、声の力について調べ始めたところ、文明科学研究所長大橋力氏の『音と文明』という著書に出逢い、
超高音周波が人間の脳に大きな影響を及ぼすことその超高音周波は自然環境の音に含まれるだけでなく、人間が母音を発した時にも生ずる>
と書かれていたのです。
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<A><U>の母音と<R+I><G+A><T+O>の子音+母音から構成される「ありがとう」という言葉を唱えると、唱えている人の脳に大きな影響があることは、大橋氏が科学的に証明されているのです。すると前々回書かせて頂いた「倍音声明」も、母音を唱えるのですから意識変容体験が出来、深いところに入っていけるわけですよね。
でもしかし、ワタシは「倍音声明」で意味を有していない単なる母音を唱えるのと、「ありがとう」という意味を有する母音を唱えるのでは、些か異なると思うのです。「ありがとう」という言葉は数ある日本語の中で、最高の言霊を持っていると言われていますが、それってなんでそない言われるのやろか?との疑問が浮かんだので「ありがとう」という言葉の語源を調べてみました。

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左の説明文は公益財団法人日本漢字能力検定協会、通称<漢検>のHPに載っている「ありがとうの由来」です。


「ありがとう」は「有り難し」、有るのが難しい、滅多に無いことから派生しているのですね。確かに清少納言が言うように、姑に褒められる嫁は有り難しですよね。でも、ワタシの知ってるある姑さん、お婆ちゃんは「ありがとう、ありかとう」と口癖のように、お念仏を唱えるように誰彼なしに呟いてる人がいてますよ。それはさておき、有り難きものの例を枕草子からあげていますが、もっと古い咄を見付けました。
『仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)』に「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」と言われるたとえ話が載っています。
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ある時、釈迦が阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねた。
「大変、喜んでおります」
と阿難が答えると、釈迦は次のような話をしている。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
「絶対にないと言い切れるか」
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、釈迦は教えている。

お釈迦様が語りかけられた弟子の阿難という方は、インド名はアーナンダで、大変な美男であったといわれています。お釈迦様の身の回りの世話をし、最も近くでその言葉を聞き続け、お釈迦様が亡くなった後、優れた記憶力で、傍で聞いていた教えを語り、経典の編纂に協力したそうです。
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          右が阿難尊者。左は迦葉(かしょう)尊者。

この「盲亀浮木」の説話は、人間に生まれてくることは有り難いことと説いていますが、仏教思想が広まるとともに、神仏の力により人として誕生させて貰い、且つ生かされていることは、真に有り難いことであるとの想いから、「ありがとう」は神仏の奇蹟のような力を称える深い感謝の言葉となり、そして、その感謝の言葉は神仏だけでなく、一般に人への言葉に転化されていったのです。

ところで、「ありがとう」という言葉についてPCを検索していると、『すぐやればすぐできる』というHPで、あるデータを見付けました。一寸面白いので、どのようなアンケートなのか詳細は不明ですが、シェアさせて貰いました。<人に言われて嬉しい言葉は?>というQに対するAで、第1位:ありがとう(57.2%) 第2位:おはよう・こんにちわ(26.4%)  第3位:大好き(13.9%)だそうです。
又、『すぐやればすぐできる』さんにはこんなことも書かれていました。

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英語の「Thank You」は「(私は)あなたに感謝する」という意味ですから、人に対して感謝しているのです。
しかし「ありがとう」は本来、神仏があり得ない奇蹟を起こしてくれた事に対する感謝の言葉だったから、現在「ありがとう」と言うと、単に人に感謝するだけでなく、人を通じて神仏にも感謝しているのです。

成る程。そう考えると「ありがとう」は、法然上人の「南無阿弥陀仏」に匹敵するような、日本語の中で最も素晴らしい言霊、言葉の魂を抱いている言葉だと、ワタシには思えるのです。

袖振れ合うも多生の縁373~町田宗鳳師の「ありがとう禅」は、法然上人のお念仏「南無阿弥陀仏」から生まれました!~

ありがとう禅の本1.jpgご覧の写真は町田宗鳳さんが2018年に上梓された著書で、「ありがとう禅」というのは、町田宗鳳師が始め、普及されている祈りと瞑想の禅なのです。ワタシは、師が「ありがとう禅」を思いつかれた発想の源というか契機は、前回ブログで取り上げさせて頂いたチベット仏教の倍音声明という瞑想法をグレードアップされたのではないか・・・と思っておりました。でも、同著によりますと全く違っていたのです。
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師は中学校2年生の時に家出をし、友達が小僧をしていた臨済宗総本山の大徳寺(上の写真3葉)へ転がり込んでから、30歳過ぎ迄、禅寺で厳しい修行を続けられたのですが、伝統的な座禅が形式主義に陥り、人を救う根源的な力を失っていることに気付かれたそうです。
そして、何か新しい形がないものかと自問自答の末、34歳の時、禅堂を離れ渡米し、ハーバード大学(写真下)の神学部で比較宗教学を学び神学修士号を、ベンシルバニア大学(写真下の下)の東洋学部で比較文化論を学び哲学博士号を得られたのです。
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そして、プリンストン大学やシンガポール国立大学、東京外国語大学、広島大学大学院などで教鞭を執り、僧侶の道から学者の道へと歩みを進められたのですが、その間も仲間を募りひたすら座禅の新しい形を模索されていたのです。このようにあくなき探求を続けられていたからこそ、「求めよ、さらば与えられん。」と「マタイによる福音書」にあるように、ある啓示が閃いたのです!
そのひらめきとは・・・!
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師がペンシルバニア大学で博士号を得られた研究テーマは法然上人(写真上)であり、その研究のプロセスで、法然上人は念仏を声に出し繰り返すことで、深い神秘体験を何度も得られたことを知ったのです。そして、声には何か不思議な力があると気付き、上人の唱えられたお念仏、「南無阿弥陀仏」に代わる宗教色のない現代のマントラはないか・・・と四六時中思い続けていた処、ある時突然唐突に何の脈絡もなく、ありがとうという言葉が稲妻のように脳裏に飛び込んできたのです!!
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この言葉、「ありがとう」こそ、法然上人のお念仏「南無阿弥陀仏」に代わる現代のマントラではないか・・・そう思うと矢も楯もたまらず、仲間を集めて座禅を組み、「ありがとう!」を大声で心底から唱えてみられたそうです。すると、何と何と・・・!?
とここまで一気呵成に書き続けたのですが、些か疲れましたので、続きは又次回にさせて頂きます。ではでは。




袖振れ合うも多生の縁372~チベット仏教ニンマ派の倍音声明瞑想法について~

前回、前々回と町田宗鳳さんの『森女と一休』について書かせて頂きましたが、私は宗鳳師が始められた「ありがとう禅」に時々参加させて貰っています。
処で「ありがとう禅」と兄弟分(?)ではないかと、ワタシが勝手に思っている倍音声明という瞑想法があるのです。(「ありがとう禅」は単に瞑想するだけでなく、祈りと瞑想の両者を合わせ備えているのですが)
さて、この倍音声明はチベット密教ニンマ派の瞑想法で、この瞑想法はチベット語の母音をひたすら唱え瞑想するのです。
Wikipediaによりますと、チベット語のラサ口語には8種の短母音と、それぞれの長母音が存在するとか。
①a - ア、②e - 舌の位置を高めにして エ、③i - イ、④o - オ、⑤u - 唇を丸める ウ、⑥ä - エ /ɛ/、⑦ö - 口を o の形にして e を発音する。/ɵ/、⑧ü - 口を u の形にして i を発音する。/ʉ/  以上の8種をどの順に唱えるのを、チベットで修行されたこともあるという日本人のヨーガ行者で倍音声明の大家と称されている成瀬雅春先生にお聞きしたいと思いながら、無為に月日が過ぎているのであります。
因みに成瀬師のプロフィールは・・・
ヨーガ行者にしてヨーガ指導者であられ、1976年からヨーガ指導を始め、1977年2月の初渡印以来、インドを中心にアジア圏を数10回訪れておられます。師は、地上1メートルを超える空中浮揚やクンダリニー覚醒技法、心臓の鼓動を止める呼吸法、ルンゴム(空中歩行)、系観瞑想法などを独学で体得され、2001年に全インド密教協会からヨーギーラージ(ヨーガ行者の王)の称号を授与され、2011年6月と12年にはヒマラヤでの修行を終えられ、成瀬ヨーガグループを主宰し、倍音声明協会会長も勤めておられるのです

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成瀬雅春さん5.jpg上の写真は、ヒマラヤで修行されている成瀬雅晴春師ですが、あんな処で瞑想するとどんな気分なのでしょうか。それは兎も角、成瀬先生を招いての倍音声明瞑想会が日本でも開かれているのを、今PCを検索して初めて知りました。

成瀬雅春さん1.jpg
その瞑想会のブログによりますと・・・
倍音声明は大勢で声を出し、その音の集合体の中に身を置くダイナミックな瞑想法で、母音(ウ→オ→ア→エ→イ)を低音で連続的に発声することにより、サウンドのシャワーに包まれ無限の体内空間を感じたり、イメージや色々な音を感じたり、神秘的ともいえるスペシャルな瞑想を体験できる・・・そうです。
又、Suryamulaというヨーガ・呼吸法・瞑想法を行っている団体のHPをシェアさせて頂きますと・・・
倍音声明(オーバートーン・チャンティング)とは、チベット密教のニンマ派の行法の一つとして伝えられています。 
集団で母音を唱え続けるというのが、ダイナミックで最も簡単な実践法です。ウ→オ→ア→エ→イ→ハミング→・・・と低音を連続的に発声することで倍音が生じ、その倍音により体内に精妙な振動が発生します。その繊細な振動は、心身を浄化し、エネルギーセンターであるチャクラの活性化を促し、深い瞑想状態へいざないます。
チベット密教の倍音声明は、本来一人で滝に向かっておこないます。体内に母音振動を響かせ倍音を発生させ、滝に向かって母音をぶつけて、滝の音に自分の声を乗せて強い倍音を出します。その行法を続け、最終的には「観想法」として完成させます。つまり「音を観る」ことで倍音声明は完成しますが、最初の段階では、声を出し続けることで、制感(プラティヤーハーラ・自分の内面に意識を向ける)の実践法として最適です。母音を発声する順番はチャクラの位置と対応しています。実践するうちに、母音とチャクラの位置関係が体感としてわかるようになるでしょう。
クールでクリアーな瞑想を長時間続けるには、たいへんな集中力が必要です。その点、倍音声明は誰にでもできます。もちろん、この倍音声明に宗教色はありません。声を出し続けることで自分の内側に意識が向けられ、発生した精妙な振動によって、日常生活では味わえないさまざまな音や感覚が体験できるでしょう。たとえば、イメージが現れたり、経文や聖歌、シンセサイザーやパイプオルガン、笙などの音が聞こえる人もいます。それは、ただ坐っているだけでの瞑想では体験しがたいものです。
 私も大日霊窟(栃木県出流山満願寺)での倍音声明で、心臓の鼓動が洞窟中に響き渡り、その鼓動にすっぽり包まれるという体験がありました。胎児のとき、子宮内でいつも感じていた母の心臓の鼓動、その安らぎと至福感を再体験したのでした。
聞こえるさまざまな音や、身体的・精神的感覚を素直に楽しみましょう。
倍音声明は、体調や精神状態、参加者や会場によって、毎回違う体験ができる、ユニークかつ奥深い瞑想法でもあります。
終わったあと、スッキリ、サッパリ、晴れ晴れとした人が多いのも、浄化作用が強い倍音声明の特徴といえるでしょう。

とまあ、こんな解説がなされているのですが、「ありがとう禅」については、下記写真の町田宗鳳師著書をひもとき、次回書かせて頂きます。ではでは。

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先月25日に風の集いに参禅しました。

袖振れ合うも多生の縁371~町田宗鳳さんの小説「森女と一休」を読みました Ⅱ~

前回に続いて、町田宗鳳さんの「森女と一休」ですが、今回は一休さんに関して小説中のワタシの心に残ったエピソード2題であります。
その一:一休という道号(仏道での名)の命名理由。
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ご覧の画像は一休禅師ですが、『有漏路より 無漏路に帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け』のよく知られている句は、一休禅師が師の華叟和尚から「一休」との名を貰い、直ぐに詠んだとされていますが、このエピソードは後世江戸時代に創作されたようで、町田さんの小説では、華叟(かそう)老師が弟子の宗純に「いよいよ今生の別れだ。即今(現在のこと)の境涯をこのわしに聞かせてみよ」と言われ、宗純は一瞬言い淀んだものの、叫び返すように句を詠んだとなっています。風雨イラrs1.jpg
しかし実際は、老師から「洞山三頓棒」という公案を与えられ、これにに対する見解を示し、更に「有漏路より無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」との句を添えたので、老師から「一休」の号を授けられたそうです。「洞山三頓棒」の公案についてふれると相当難しいので、「森女と一休」では老師に「即今の境涯を聞かせよ」と迫られ詠んだとされたのでしょう。
処で、「漏」は穢れ・煩悩のことで、「有漏路」とは穢れや煩悩のある世界、つまり現世です。そして「無漏路」とは穢れも煩悩も無い世界、あの世のことなのです。つまりこの句は、「今生は現世からあの世に行くほんの一休みの間なのだから、怖いものもない。雨が降ろうと、風が吹こうと平気だ」という解釈が一般的なようですが、色々な考え方があるみたいですが、深入りするのは止めて、ワタシも一句詠みました。
『有漏路より 無漏路に帰る 時未だ
         闇彷徨(うろつ)きて 骸(むくろ)となるらん』
お粗末さまでした。

その二:一休さんと蓮如さんの往復書簡。
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宗鳳師の小説によりますと、一休禅師は浄土宗(一向宗)の開祖、専修念仏の法然上人に帰依されていて、一向宗の再興に邁進しておられた蓮如上人が、禅師さまの噂を聞かれて、酬恩庵に訪ねてこられたことがあるとか。それ以来交誼を結ばれ、文のやりとりをなさっていたのです。ある時の往復書簡は・・・

蓮如どの
 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 とかく 人とは 忙しきものなり    一休

この文に応えて蓮如上人は

一休どの
 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て
 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て
 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て
 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て 寝て食て
 かくて 人とは 死ぬものなり     蓮如

と応じられたのです。いやー、面白い遣り取りですね。
ワタシなら・・・

 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 あれして これして あれして これして あれして これして
 されど あれこれ 思い出(いだ)さず

でしようか。あれこれ、それそれ、代名詞ばかりで何を為そうとしていたのか、とんと思い出さぬ今日この頃なのです。
又々お粗末さまでした。(下の写真はボケの花で~す)
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袖振れ合うも多生の縁370~町田宗鳳さんの小説「森女と一休」を読みました~

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無宗派寺院「ありがとう寺」のご住職にして宗教学者、更に著述家でもあられる町田宗鳳さんの小説『森女(しんじょ)と一休』が上梓されたのは2014年11月20日です。11月20日という日はワタシにとって忘れられぬ特別な日なのですが、どんな日なのかはその内いつか書くことに致しますので、さておきまして、一休禅師が森女さんに出逢われたのが77歳、今のワタシと同い年なのです。更に、森女さんの本名は大原シンで、ワタシの苗字も大原なのであります。名漫才コンビダイマル・ラケットさんの「一緒や、一緒や!」というギャグがありましたが、そんなギャグどころか、ダイラケさん自体もご存じない方が多いでしょうね。又々それもさておき、この3件は心理学者ユングの提唱したシンクロニシティ、共時性、虫の知らせのような意味のある偶然の一致ではないか・・・とは毛頭思っていないのですが、なんか面白くて、この小説を取り上げさせて頂く次第です。さて、この小説について、講談社BOOK倶楽部の内容紹介をシェアさせて頂きますと・・・

本書は、一休が最晩年の10年間を同棲した盲目の女琵琶師・森女との物語が中心です。足利義政の時代の虚構に満ちた仏教界を嫌悪し、常識に囚われない「禅の神髄」を示そうと肉と魚を喰らい、酒をあおり、遊郭に出入りした一休が、77歳で森女と出会うことで、なぜ変わったのか。80歳で大徳寺の住職となり、応仁の乱で焼けた伽藍を復興。森女との交情のうちに一休が見出した「人の道」「無我無欲の境地」を描きます。

 室町時代に登場した一休禅師(1394~1481)は「頓智の一休さん」として子供にも知られていますが、彼の実像は、そんな「愉快なお坊さん」からほど遠いものでした。
 北朝最後の天皇・後小松帝の落胤として生まれ、南朝出身の母と嵯峨野の民家で息を潜めて暮らします。6歳で身の安全のために出家させられますが、一度は自殺を試みます。近江の堅田にいた華叟(かそう)という厳しい禅師に出会い、年老いた師に献身的に仕えます。しかし、華叟が亡くなると一転「風狂の人」となり、堺に移って放蕩のかぎりを尽くします。
 当時の禅宗は室町幕府の庇護を受け、僧侶が漢詩の巧拙を競いあう貴族的なサロンと化していました。一休は虚構に満ちた仏教界に嫌悪を抱き、足利義政と日野富子の幕政を批判します。常識に囚われない自由滑脱の禅の神髄を身をもって示そうと、あえて肉と魚を喰らい、酒をあおり、男色を貪り、遊郭に出入りし、町の娘に子供を産ませたりしました。破戒のかぎりを尽くしましたが、晩年10年間は「森女」という40歳以上も若い盲目の女芸人と同棲しました。
 本書は、この森女と一休の物語が中心となります。
 森女と出会ってからの一休は、それまでの権威を敵視するような過激さが消え、優しさを見せます。80歳で大徳寺(臨済宗大本山)の住職となり、乱で焼けた伽藍を復興します。森女との交情のうちに人の道を見出し、真に無我無欲の境地を味わったのです。
 「仏界入りやすく、魔界入りがたし」という一休の言葉があります。型通りの修行をして得る悟りなど使い物にならず、己のうちに潜む魔性に触れた時こそ、本物の悟りが開けてくる。自らの体験からそう理解したのです。そして、応仁の乱後の日本人の精神を復興し、文化人としても能、茶の湯、俳句の原型を創造するという偉業をなしました。大陸由来ではない、自然と一体となった日本独自の文化は、一休から始まるのです。
 一休の魅力は人生と思想が一致し、その生涯を知るほどに味わいが深くなる点。天皇・庶民どちらとも親しく交流し、悪を憎まず偽善を憎み、戦乱の世にひと筋の光を示した一休の愛を描きます。
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処で、『森女と一休』著者の町田宗鳳さんは、ブログで次のように書いておられます。

私の机の前面には、法然上人の肖像があり、机の背後には一休禅師の肖像があります。それぞれが生きた時代だけではなく、性格も全く異なる二人ですが、私はこの両者を深く尊敬しています。一休も、宗派の異なる法然を心から慕っていました。だから『法然の涙』と『森女と一休』(ともに講談社)という小説を二冊も書いたわけです。
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私の行動に聊か支離滅裂なところがあるのは、私の責任ではなく、この二人に受けた感化のせいです。両者の共通点は、旺盛な異端力にあり、それは時代の潮流を変えるほどのインパクトを持っていました。私はお二人ほどの大器ではありませんが、せめてこの世に去る前に一つの思想を残しておきたいと願っています。

臨済宗である一休宗純禅師が、宗派の異なる浄土宗開祖の法然上人を心底より慕っておられたように、町田宗鳳師は法然さんと一休さんを共に尊敬されているのですね。あ、そうそう、町田師は一休さんも修行されていた大徳寺で、14歳から20年間修行なさっておられたのです。それで、大徳寺では開山の大燈国師が「宗峰(しゅうほう)」という名をお持ちだったから、一山の僧侶は皆全て「宗」の字を受け継いでおられる由。
さて、大徳寺を出られた宗鳳さんは、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を得られ、比較宗教学・比較文明学の学者として日米の大学で教鞭をとられた後、現在は天台宗の大阿闍梨にもなられているのですが、「森女と一休」の扉裏に<この小説は私にとって禅の卒業論文である>と書いておられます。師のめざしておられるところは、神仏習合ではなく神仏融合、洋の東西を超えた各宗教各宗派を超えた結びの思想こそ、人類の希望があると夢を託しておられるようです。
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私は師の思想に深く共感致しておりまして、その日が早く来るのを、真摯に祈り続けようと思っております。











袖振れ合うも多生の縁369~知恩院の七不思議ってご存じですか?~

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毎月25日は法然上人の祥月命日なので、先月25日に浄土宗総本山の華頂山知恩院にお詣りし、一月遅れですが、そのことを書こうと思います。月命日にお詣りするなんて、えらい信心深いと思われるかも知れませんが、実は知恩院の七不思議と言われているものを見てみたかったからなのです。では、その七不思議を見た順にご案内しましょう。

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先ず、案内図の右下、円山公園側から入り直進し、黒門への登り口の路上にある<瓜生石>へ。
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《七不思議7 瓜生石 -はげみー》
黒門への登り口の路上にある大きな石は、知恩院が建立される前からあると言われ、周囲に石柵をめぐらしてあります。この石には誰も植えた覚えがないのに瓜の蔓が伸び、花が咲いて瓜が青々と実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜の内に瓜が生え実ったという説が伝えられています。また石を掘ると、二条城まで続く抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、様々な話が言い伝えられている不思議な石です。

この解説は知恩院のHPからシェアさせて頂きました。誰も植えないのに瓜がはえて、茄子が実ったら、もっと不思議やのに・・・なんてしょーもないことを思いつつ、山門前からシャトルバスで御影堂まで乗りました。ホンマは歩いた方がえゝのにね。

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御影堂は平成大修理中で、見ることが出来ず、残念無念、ラムネンサイダーなんて子供の頃言うてたのを思い出しました。閑話休題で、七不思議のひとつ、御影堂の軒裏にある忘れ傘も見ることはあたわずでした。

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《七不思議3 忘れ傘 ―知恩・報恩ー》
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえます。当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説とが伝えられています。いずれにしても傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災から守るものとして今日も信じられています。

修理中の御影堂を後にし、右手の阿弥陀堂(写真下)の外観を眺めつつ直進し、武家門をくぐり法然上人御堂(写真下の下)に。

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そして、法然上人御堂をつつと通り抜け、方丈庭園へ。庭園の景観を眺めるのもそこそこに、一目散に七不思議の展示へ急いだのであります。

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案内にざっと目を通し、鶯張りの廊下へ。

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           上の写真は鶯張り廊下の裏側

《七不思議1 鴬張りの廊下 -仏の誓いー》
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550メートルもの長さがあります。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされています。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれています。

成る程、忍び足で歩いても音がするのです。知恩院さんのHPには、<鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれています。>と書かれています。しかし、この廊下を歩いた時にする音が、「ホー、ケキョ」と聞こえるのなら、不思議な仏様の法(のり)を聴いたとも言えるのですが、ワタシには、足音は鶯の鳴き声のようには聞こえませんでした・・・。

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《七不思議4 抜け雀 ―心をみがくー》
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたものです。紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたのですが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていませんが、狩野信政の絵の巧みさをあらわした話といえるでしょう。

雀の飛び去った跡しか残っていないと書かれていますが、ワタシにはその跡が何処なのか、よく分かりませんでした・・・

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《七不思議5 三方正面真向の猫 -親のこころー》
方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名があります。親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしています。

ワタシは猫派やのうて犬派なので・・・


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《七不思議6 大杓子 -仏のすくいー》
大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子です。大きさは長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいものとしてこんにちでも拝観の方が見上げます。
伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったということです。
「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしています。

こんな大杓子なら、悪人も善人も必ずや救って下さるでしょうね。そう安堵しつつ方丈を出て、勢至堂・千姫のお墓・濡髪大明神・御廟・経蔵・大鐘楼・友禅苑と駆けめぐり、三門へ。

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そして、残る七不思議の一つである、白木の棺を見上げたのであります。

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《七不思議2白木の棺 -不惜身命ー》
三門楼上に二つの白木の棺が安置され、中には将軍家より三門造営の命をうけた造営奉行、五味金右衛門夫婦自作の木像が納められています。彼は立派なものを造るとを心に決め、自分達の像を刻み命がけで三門を造りました。やがて、三門が完成しましたが、工事の予算が超過し、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられています。この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれ、見る人の涙を誘います。

瓜生石から白木の棺まで・・・というのは『能因も 草鞋胼胝には 気が付かず』であります! え、何のこっちゃ!? お分かり頂けませんか??? ほな、ぼちぼち説明させて貰いますわ。

1能因法師.jpg能因とは、納因法師のことで、貴族や武士、僧侶の間で和歌が流行った平安時代の中期の有名な歌人で、百人一首の「あらしふく 三室の山の もみぢばは 龍田の川の 錦なりけり」と「都をば、霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」が代表作でしょう。

この「都をば・・・」の歌を作った逸話ですが、彼は春に奥州に旅に行くと言って姿を消し、人里離れた山奥に隠遁し、太陽で肌を焼き晩秋に姿をあらわしたのです。そしてこの歌を人々に見せたとか。日焼けした肌であたかも長い旅から帰ってきたように装ったのです。
多分、能因は都でこの歌を思いつき、気に入ったのか、その為に一芝居打つたのですが、でも何ヶ月に及ぶ長い旅をすれば、日焼けに加えて草鞋だこが出来ることには気付かなかった・・・というのが、この川柳のイミするところなのです。
つまり、ワタシも又知恩院には詣でずに、このブログを書いたのであります。いゃあ、行くつもりだったのですが、御影堂の落慶法要が今春だと知り、ほな、春になってから行った方がええやんと思った次第なのです。それで能因法師の挿話を思い出し、一寸ふざけて書いてみたわけで、エライすんませんでした。
ではでは。

袖振れ合うも多生の縁368~与謝蕪村の句「菜の花や 月は東に 日は西に」と「菜の花の沖縄日記」のカンケーは?~

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菜の花の季節にはまだ早いのですが、春よこい、早く来いの心境なのでしょうか、ワタシのアタマに「菜の花や 月は東に 日は西に」という句が浮かんで来ました。いや、前回謡曲「羽衣」で満月のことを書いたから・・・というのもこの句を呼び起こした原因のひとつなのでしょうか。という訳で、今回のブログは「菜の花」2題です。先ず『菜の花 月は東に 日は西にの句ですが、この句は江戸時代の画家でもあり俳人でもある与謝蕪村によって詠まれました。
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安永3年(1774年)、蕪村が神戸市灘区にある摩耶山を訪れた時の句です。西の空に夕日が沈む頃、空は茜色に染まり、摩耶山から見下ろすと一面に黄色い菜の花、そして東の空を見やれば月がぽっかりとおぼろに浮かんでいる・・・こんな景色ほワタシはまだ見たことがないのですが、菜の花が咲いている春、東に月、西に夕日、月と太陽が共に見える状況は、一体いつ頃でしょうか。又、この月はどんなお月様なのでしょうか?
tenki.jpによりますと・・・

この句は、安永3年(1774年)3月23日に詠まれたといわれています。当時は旧暦でしたから、今の暦で考えると5月3日になります。しかし月の位置を詳しく調べてみると、この日には実際に、東に満月、西に夕日が見えてはいませんでした。菜の花が咲いている時期で、東に満月、西に夕日が見えるのは、旧暦の3月10日~15日くらい、今の暦でいくと、4月20日~4月25日となります。つまり、蕪村は実際に旧暦の3月23日に、東に満月、西に夕日を目にしてこの俳句を詠んだのではなく、その10日くらい前に見た光景を思い出しながら、3月23日にこの句を詠んだのではないかといわれています。(「日刊☆こよみのページ」2009/04/09号)

それから、この月についての説明もありました。それもシェアさせて頂きますと・・・

太陽が西に沈む夕暮れ時に、月が東に見えるということは、その月は満月です。つまり、地球を挟んで月と太陽が、ほぼ一直線に並んでいるということです。これは菜の花が咲く春だけでなく、雪が積もる冬でも、紅葉がきれいな秋でも言えることです。ただ、この3つの星がピッタリ一直線に重なってしまうと、月食になってしまいます。反対に、夕暮れ時に月が西に見えれば、それは三日月です。月も太陽も西の方角にあると、月の一部にしか太陽の光が当たらないので満月にはなりません。つまり、この句の月は満月ということになります。
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ところでワタシは生まれも育ちも葛飾柴又・・・じゃなく神戸なんですが、摩耶山の麓に菜の花畑なんてありません。昔はあったんやろか? そう思い調べてみますと、摩耶山がある神戸市灘区では、昔は菜種油を生産するために菜の花が栽培されていたそうです。当時のこの地は一面の菜の花畑が美しかったとか。へぇ、そら知りませんでした。
さて、お次は「菜の花の沖縄日記」ですが、沖縄でも菜種油を栽培していて、この日記はその原料である菜の花の栽培記録・・・というのは真っ赤な嘘でありまして、菜の花というのはある女の子の名前なのです。下の写真は著書ですが、著者の坂本菜の花という名前は芸名ではなく本名だそうです。
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この本についてのあらましは、上の写真の帯を読めば、ほぼお分かり頂けますが、出版社ヘウレーカのHPによりますと・・・
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「菜の花の沖縄日記」について書く前に、出版社の「ヘウレーカ」という社名をワタシは初めて目にしましたので、調べてみますと、同社の操業ご挨拶に・・・

2018年に創業したばかりの出版社です。社名のヘウレーカとは、古代ギリシアの科学者、アルキメデスが「アルキメデスの原理」を発見した際に叫んだことばといわれています。日本語にすると「あ、そうか」「わかったぞ!」という意味です。読書を通じて、そのような体験をしてもらいたい、という思いをこめてこの名前をつけました。「あ、そうか」の前には問いがあります。一人ひとりがそれぞれの問いについて考え、それをだれかと自由に共有できる社会、一人ひとりの問いが大事にされる社会。そんな社会であるために、小社は、さまざまないと発見、人々の対話を生みだすきっかけとなるような本をていねいにつくっていきたいと考えています。

と書かれていました。「ヘウレーカ」ってギリシャ語だったんですね。この創業趣旨はまさにワタシにとって「ヘウレーカ!」です。そして「菜の花の沖縄日記」は、様々な問いと発見をもたらしてくれると思いますので、同著についてヘウレーカ社のHPをシェアさせて頂きます。

高校生になったら沖縄で暮らしてみたい。
そう考えた少女、坂本菜の花は、15歳で故郷・石川県を離れ、ひとり沖縄にやってきました。
高校は無認可学校「珊瑚舎スコーレ」。
クラスメートがお互いをサポートしあい、ともに成長する場が学校、教員はその手助けをする存在。そんな教育方針を掲げる珊瑚舎で、彼女はさまざまな人に出会い、経験を積み重ねていきます。

ユニークな授業、併設する夜間中学に通うおじいさん、おばあさんとの交流、街で出会った人との何気ない会話。そんな日常を楽しみながら、しかし一方で、基地のある島、地上戦のあった島ゆえの現実にも真正面から向き合い、自分には何ができるのかを深く考えます。その貴重な記録が本書です。

本書のもとになっているのは、北陸中日新聞で2015年4月~2018年3月まで31回にわたって連載された「菜の花の沖縄日記」。それに卒業後の文章3本と、珊瑚舎スコーレの星野校長、遠藤事務局長との座談会を加えて1冊にまとめました。

「菜の花の沖縄日記」は連載時から静かな反響をよんでいましたが、あるとき、沖縄テレビのディレクターの目に留まります。沖縄の基地問題をこれまでとは異なる方法で伝えたいと考えていたディレクターは、彼女を主人公にドキュメンタリー番組「菜の花の沖縄日記」を制作。その番組は「地方の時代映像祭2018」のグランプリに輝き、全国でも放送され、話題となりました(映画化され、2020年2月に沖縄で、4月には東京で、その後順次、全国公開の予定です)。
それと同時に、この原作である北陸中日新聞の「菜の花の沖縄日記」にも注目が集まり、書籍化を待ち望む声が多数あがりました。

日記に出てくる沖縄の歴史や言葉、時事的な問題については注もつけました。
沖縄にはじめてふれる人にとってもわかりやすい内容で、中学生、高校生、菜の花さんと同世代の若い人たちにもぜひ読んでほしい一冊です。

まえがき

Ⅰ 沖縄日記

目をひらいて、耳を澄まして

2015年4月~2016年3月
おじい、なぜ明るいの?
三線、もっと弾きたい!
一年の振り返りの日
悔しい、でも楽しい。ハーリーに燃えた6月
「がんまり」で生きていることを再確認
島を守る小さな叫び
辺野古きっと希望ある
戦争は、人を守らない
まだ見つかっていない家族の遺骨
海を越えて見えること
違う空気を吸って元気になる
昼の生徒と夜の生徒で作り上げた舞台
自分の核をつくりたい

2016年4月~2017年3月
アンテナを張って自分の場所で生きよう
なぜ、繰り返されるの?
お供えが並ばなくなったら……
必要とされる働き手になりたい
白装束を着て、神人になった夜
私の軸ってなんだろう?
月を見上げて生きよう
また、どこかで会おうね
あの世のお正月を体験
一緒につくることのむずかしさ
私と沖縄がつながった

2017年4月~2018年3月
記憶を風化させてはいけない
初めて知ったハーリーの醍醐味
どうすれば自分ごとにできる?
心地いい金細工の音、いつまでも
どう自立するか考える
どんな社会を望むの?
石垣のいま、耳傾ける旅へ
事故のたびに浮かびあがる現実
なぜ明るいのか、そのわけ

Ⅱ  沖縄を離れてからも

追悼 翁長雄志さん
辺野古で涙がとまらなくなった
あなたもわたしも無力じゃない

Ⅲ 珊瑚舎スコーレゆんたく  星野人史×遠藤知子×坂本菜の花
学校は一つの文化。それを体験することによって
人間が解放されていく。そういう学校にしなくちゃいけない

著者について
坂本菜の花(さかもと・なのはな)。1999年、石川県珠洲市生まれ。中学卒業後、沖縄の無認可学校「珊瑚舎スコーレ」に進学。2018年3月卒業。現在は実家の宿を手伝う。ときどき家出してあちこち訪ね歩く。好きなことは畑作業とつまみ食い。

これをお読み頂ければ、大体どんな本かお分かり頂けると思いますが、目次項目を赤字にした、<おじい、なぜ明るいの?><なぜ明るいのか、そのわけ>についてだけ、書き添えてみます。
坂本菜の花さんは、沖縄に住むようになり、先ずこう思ったそうです。
多くの人たちは、米軍基地のあることを必死に反対しているのに、全く聞き入れられないし、米軍関係の人間による犯罪など嫌なニュースが多いのにもかかわらず、出逢ったおじい達はよく冗談を言い、笑わせてくれるのです。どうしてこんなに明るくいられるんだろう? このことが不思議です。なぜだかわかりません。
そして3年後、菜の花さんはこう結論づけておられます。なせ明るいか。それは明るくないとやっていけないくらい暗いものを知っているから、だと思います。粘り強さには明るさと楽しさがくっついているんだと思います。
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19歳の菜の花さんが、このように感じた沖縄の暗さと明るさを、77歳のワタシもじっくり考えてもみようと思います。
学校で菜の花さんは下級生から菜あ姉(なあねえ)と呼ばれているそうです。

なあなあ(呼びかけ)なあねえ(菜あ姉)、ねえねえ(呼びかけ)なあねえ(菜あ姉)、なあなあ(適当)やのうて、ヤマトンチューのおじいもよーんなぐわぁ(ゆっくり)考えてみるさあ。にふぇーでーびる(ありがとう)。

袖振れ合うも多生の縁367~今宵は当年(とうのとし)初つの満月なれば、謡曲「羽衣」について蘊蓄をば傾けん~

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今夜は今年初めての満月ですね。満月でワタシがふと思い出したのはお団子、いえ、謡曲の「羽衣」です。「羽衣」のあらすじは・・・

春のある日、漁夫白龍は三保浦で一枚の美しい衣を拾う。そこへ現れた持ち主の天女が衣を返してくれと言うが、天人の羽衣と知った白龍はこれを惜しみ返すのを渋る。天女は衣が無くては天界へ帰ることが出来ず、月の都を懐かしみ涙する。その姿に同情した白龍は、名高い“天人の舞楽”を舞うてくれるならと衣を返す。天女は羽衣を身にまとい、富士山を背に三保浦で天人の舞を舞い、円く丸く満ち翳ることのない望月を舞う天女は、人々の幸せを叶えようと数々の宝を降らせ、人と大地を祝福し天に帰り往くのでしした。

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処で、お能では、漁夫が天女に返している羽衣は上の3葉目の写真で分かるように、練色(ねりいろ。漂白する前の絹糸の色)のようですが、謡曲を読んでいるとその羽衣は黒衣であることが分かったのです。え、黒い羽衣!?
皆さん、一寸信じられないでしょうから、その部分の詞章を抜き書きしてみます。冒頭、ワキの漁夫白龍の名乗りは・・・
『これは三保の松原に。白龍と申す漁夫にて候。萬里乃好山に雲乍ちに起り。一樓の明月に・・・』
この頃は名月、つまり満月だったのですね。そして、その後シテの天女が現れ、漁夫に羽衣を返して欲しいと懇願するシーンなどあって・・・
地謡『白衣黒衣の天人の。数を三五にわかつて。一月夜々の天乙女。奉仕を定め役をなす。』(白衣と黒衣の天女がそれぞれ3×5=15人ずつ住み、交代で舞うことで月を満ち欠けさせている)
シテ『我も数ある天少女』(私もこの三十人の天人の一人です)
このように記されています。つまり、この天女は黒組で非番だったから、美保の松原に降りて来て、脱いだ黒衣の羽衣を漁夫に取られたのです。でも、白衣の羽衣を着た15人の天女が舞っているのが満月で、白衣14人黒衣1人、白衣13人黒衣2人、白衣12人黒衣3人・・・と順次交代していくにつれ月が欠けていくなんて、なんだかロマンチックですよね。
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下の写真のような新月になると、黒衣の天女達15人が舞っているという訳です。
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この謡曲「羽衣」が出来たのは、多分鎌倉時代の末でしょうが、その時代に月の満ち欠けが28日でなく30日とされてたなんて、結構暦は進んでいたのですね。
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さあ、今宵月をとっくりと眺め、白衣を纏うた天女たちが舞う姿を、眼(まなこ)で、いえ、心でイメージしてみましょう。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁366~ハピバースデー、サーロー節子さん。そして夫君のジム・サーローさんは、私の心に残る先生です。~

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昨年最後のブログに除夜の鐘を取り上げ、小谷一夫さんの『おんおんと 被爆地渡る 除夜の鐘』と言う句を特筆させて頂きましたのは、昨秋サーロー節子さん(写真上)の著書『光に向かって這っていけ ~核なき世界を追い求めて~』を読んでいたからです。
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サーロー節子(Setsuko Thurlow)さんは、1932年1月3日 広島県広島市生まれの被爆者で、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN アイキャン)を中心に反核運動に没頭されているのです。そして、そのICANが2017年のノーベル平和賞を受賞したのです!
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       ノーベル平和賞を授与され、笑顔のサーローさん。
       右はICAN事務局長のベアトリス・フィンさん。

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ICANは核兵器を禁止し廃絶するために活動する世界のNGO連合体で、スイスのジュネーブに国際事務局があり、2017年10月現在、101カ国から468団体が参加していて、その活動が大きく評価され、2017年のノーベル平和賞を受賞し、授賞式がノルウェーのオスロ市庁舎であり、メダルと証書が贈られました。ICANのベアトリス・フィン事務局長とカナダ在住のサーロー節子さんが登壇し、核廃絶の実現を「あきらめるな」と、各国に改めて協力を呼びかけたのです。

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節子さんは13歳の時、被爆し瓦礫の中に閉じ込められました。暗闇の中で、「あきらめるな。遠くに光が見えているだろう。瓦礫を押し続けろ。光に向かってはって行きなさい」と同じく閉じこめられた軍人さんが声をかけてくれたので、遠くかすかに見えている光をめざし、諦めることなく這い続け倒れた建物の下からはい出ることが出来、一命を取り留めたのです。
(この忘れる事の出来ない体験を、著書の題名にされているのです)

このようにして節子さんは命拾いされましたが、しかし節子さんの4歳だった甥御さんは、無残にも誰なのか判別できない、溶けた肉の塊に変わってしまったそうです。
「毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を危機にさらしている。この異常さをこれ以上、許してはならない!」
「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪だ!」
「私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい!」
と呼びかけ、広島と長崎に落とされた原爆を正義の戦争を終わらせたよい爆弾だったと信じる人々や核軍備の開発競争をしている国々を強く非難し、講演の最後に、被爆直後に聞いた「あきらめるな」という言葉を何度も何度も繰り返し、世界の人々に行動を求めたのです。
そんな節子さんの必死の願いは多くの国の多くの人々の琴線に触れ、心を、魂を揺さぶりましたが、哀しいかな日本国政府だけでなく、日本の保守政治家たちを動かすことが出来ませんでした。この哀しい有様については、又いつか触れたいと思います。
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さて、『光に向かって這っていけ』を手にし、著者がサーローという苗字であるのを知り、もしやこの著者のハズバントは、私が袖振れ合ったあの方では・・・と思ったのです。あの方とはサーロー節子さんの夫君ジム・サーローさんのことなのですが、同著を読み進めると、節子さんの夫君であるジムさんは、カナダの宣教師で教団から日本の関西学院大学に派遣されたことが書かれていました。やはりそうなんだ! 60年ほど前のことですが、私は関西学院大学生で、1回生の頃、ジム・サーロー先生さんに教えを受けていたのです。サーロー先生はチャペルの講話や英会話の授業を担当なさっておられました。大学事務局からのアンケートで、心に残った授業はとの項目があり、私はサーロー講師と書いたのですが、私だけでなく何人かの友人も、サーロー講師と書いたと言っていたのを、今でも覚えています。多分、チャペルでの講話が私たち学生の心をとらえたのでしょう。残念ながらどんな話をされたのかは忘れてしまっているのですが・・・。
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突然、洋服に下駄て何やねん!?と思われるでしょうが、サーロー先生は日本の不思議のひとつとして、洋服を着ているのにクロップクロップ下駄(下駄でカラコロ)がわからない・・・と仰っていました。確かに私も学生の頃、シャツを着てスボン(今はパンツと言うのですね)を履き、下駄を突っかけて電車に乗り通学していました。こんな些細なことを覚えているのに、チャペルの講話を忘れるなんて・・・でも、私にはサーロー先生との触れ合いで、忘れられないと言うか、ゴメンナサイ、スミマセン・・・と未だに忘れかねていることがあるのです。それは、先生の英会話の授業に余り出席しなかったのです。前期は皆勤でしたが、夏休み前(当事は7・8月が夏期休暇)に芝居の世界にのめり込み、芸術学部のある大学に転入しようかと思う程で、経済学部の勉強をしなければならない時間がもったいないと焦っていました。ですから後期になってからはずっと欠席続きで、試験を受けるに必要な出席回数を得る為、期末の頃出席したら、先生にこう言われたのです。
「ミスターオハラ、ユー、シケンOKデモ、アブセント、アブセント、ダカラ点、アゲラレナイ」
「アイムソリー ストマックエイク ソウ アブセント」
私は思わず、そう答えてしまったのです。すると先生は、「アイシー」とつぶやき、出席簿の私の欠席印を全部消して下さったのです。ストマックエイク、胃痛は嘘ではなく、ある夜親父の晩酌につきあい小さなお猪口で4、5杯、日本酒を飲んだだけなのに血を少し吐いたのです。軽い胃潰瘍でした。
でも、欠席続きの本当の理由ではないのです。それを先生は信じて下さった・・・申し訳ないとの思いは今もずっと続いていますが、先生は2011年にお亡くなりになってしまったそうで、嗚呼、いかんともしがたし・・・です。
ですから、唯々、先生のご冥福をお祈りするばかりです。合掌。

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袖振れ合うも多生の縁365~昔は毎朝夕、108の鐘をついていたとか。それが除夜だけになったそうです。~

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今年もいよいよ押し詰まりあと3日で大晦日ですから、今年最後のブログは除夜の鐘についてです。除夜とは、除日(じょじつ)の夜のことで、「除」には古いものを捨てて新しいものに移るという意味があり、除日とは一年の一番最後の日、大晦日(おおみそか)のことをさすのです。
処で除夜の鐘は108回撞かれますが、この108という数の由来は、複数の説があり、煩悩説、一年間を表す説、四苦八苦を表す説などがありますが、煩悩説がポピュラーのようです。

【煩悩説】
人間には<六根>と呼ばれる6つの器官、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)があり、これらの六根の各器官には、好(こう。気持ちが良い)、悪(あく。気持ちが悪い)、平(へい。どちらでもない)という3つの人間の心の状態が反映されていると考えられています。ですから、煩悩の数は6✕3で18種類ということになり、更に上記3つの心の状態は、浄(じょう。きれい)、染(せん。きたない)の2種類に細分化されます。つまり、煩悩の数は18✕2=36種類となります。更に人は転生するので、36の煩悩は前世・今世・来世と変化し、36✕3=108種類となるのです。
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【一年間を表す説】
月の総数(12)と二十四節気(24)及び七十二候(72)を加算した数が108となることが由来とされています。
二十四節気というのは、春(立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨)、夏(立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑)、秋(立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降)、冬(立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒)の4つの季節をそれぞれ6つの分けた、4✕6=24の期間です。そして七十二候は、二十四節気を約5日ずつ3つの期間に分け、24✕3=72となり、12+24+72=108となる訳なのです。
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四苦八苦を表す説

四苦八苦を取り払うという説もあり、4×9+8×9=108ですね。因みに、四苦八苦における「苦」というのは「苦しみ」ではなく「思うようにならないこと」を意味し、生・老・病・死の四苦を根本的な苦とし、更に、愛別離苦(あいべつりく。愛する者と別離すること)、怨憎会苦(おんぞうえく。怨み憎んでいる者に会うこと)、求不得苦(ぐふとくく。求める物が得られないこと)、五蘊盛苦(ごうんじょうく。五蘊、人間の肉体と精神が思うがままにならないこと)の4つの「思うようにならないこと」を加え、全部で八苦と呼ばれています。

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色々な理由から除夜に108つ鐘をつく訳ですが、新しい年を迎えるぎりぎりに煩悩を払い落としすっきりして迎春しようというのでしょうか。これって節季仕舞のように、その年一年の決算を済ますようなものなのか・・・と思てましたが、本来は毎朝夕108つ鐘をつかなアカンのやったそうです。

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江戸中期の禅宗用語辞典『禅林象器箋』に「仏寺朝暮ノ百八鐘、百八煩悩ノ睡ヲ醒ス」とあり、寺の百八の鐘は毎日の朝暮の鐘のことだったようです。それがどんな理由からか(怠慢からか?)除夜だけ百八鐘を撞くようになったのは、江戸後期からだとか。このことを私は『増殖する俳句歳時記』なるHPで知りました。
そのHPで小笠原高志さんという方が、江戸文学の泰斗で西鶴研究の第一人者で、暉峻康隆(てるおかやすたか。写真下)さんの除夜の鐘の句について述べておられます。
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百八は ちと多すぎる 除夜の鐘

というのが暉峻さんの句ですが、米寿の頃詠まれたそうで、「実感である。煩悩を根こそぎ清算されると、いくら因業爺でも来る年が淋しい。」と添え書きされ、更に、

新しき 煩悩いずこ 除夜の鐘

で締めておられます。いゃあ、暉峻さんは88歳にしてまだまだ人間味溢れるお方だったのですね。ワタシなんか77歳にして煩悩が早よ無くなったらええのに・・・と思いますから、少しは枯れかかっているのでしょうか。

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それはさておき、『増殖する俳句歳時記』に清水哲男さんと仰る方が、山口青邨さん(写真上)の割と知られている除夜の鐘の句、

おろかなる 犬吠えてをり 除夜の鐘

についてコメントされていますので、シェアさせて貰います。

時ならぬ深夜の鐘の音に、びっくりした犬が吠えている。いつまでも吠えたてている。その犬を指して、作者は「おろかなる」と言ったわけだが、しかし、この「おろかなる犬」は単純に「馬鹿な犬め」ということではないだろう。ただ、犬は人間世界の事情を解していないだけのことなのであって、彼にとっては吠えるほうが、むしろ自然の行為なのだ。そんなことは百も承知で、あえて作者が「おろか」と言っているのは、むしろ犬の「おろか」を羨む気持ちがあるからである。「おろかなる犬」なのだから、人間のように百八つの煩悩などはありえない。ありえないから「除夜の鐘」などはどうでもいいのだし、はじめから理解の外で生きていられる。だから、素朴に驚いて吠えているだけだ。ひるがえって、人間はなんと面倒な生き方をしていることか。犬のごとくに「おろか」ではないにしても、犬よりももっと「おろか」に生きているという認識が、除夜の鐘に吠える犬に触発されて出てきたというところ……。静かに句を三読すれば、句の奥のほうから、除夜の鐘の音とともに犬の吠える声が聞こえてくる。このときにほとんどの読者は、句の「おろかなる犬」にこそ好感を抱くだろう。

この論評にワタシも概ね納得です。犬は人間のように怒りや憤りや儘ならぬこの世の愚痴など煩悩を、脳内でぐちゃくぢゃ繰り返し増幅することなくすぐ忘れ去ることが出来、禅的生き方をしているそうですから。

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しかし、わが家の愛犬スオミくん(写真上)は、耳をつんざくような雷鳴にも全く反応せず何処吹く風ですから、多分除夜の鐘にも無関心だと思います。一度スオミに除夜の鐘を聞かせてみたいものです。と言いますのは、わが家には除夜の鐘が聞こえてこないのです。以前西宮に住んでいた時は、近くの山麓にある神呪寺(かんのうじ)の鐘が鳴っていて、それを聴きながらその年ひととせを回顧していたのです。
でも今は、わが家から歩いて15分くらいの所に、通称聖天さんと言われる東寺派真言宗の七宝山了徳密院があるのですが・・・。高浜虚子の句にあるように、

町と共に 衰へし寺や 除夜の鐘

なのでしょうか。あ、師(坊さん)も走るせわしない年の瀬なのに、結構長くなってきましたので、除夜の鐘の句を検索していて、心に残った2句を掲載させて頂き、今年最後のブログを締めくくりたいと思います。
今年一年、有り難うございました。

おんおんと 被爆地渡る 除夜の鐘 小谷一夫
除夜の鐘 看取り日誌の 筆をおく  正木光子

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袖振れ合うも多生の縁364~平成の田中正造とも言える山本太郎さんの『れいわ新撰組』に注目しています!~

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日本を守る、とは
あなたを守ることから始まる。

あなたを守るとは、 あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、
胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治の上に成り立つ。

あなたに降りかかる不条理に対して、
全力でその最前に立つ。
何度でもやり直せる社会を構築するために。

20年のデフレで困窮する人々、
ロスジェネを含む人々の生活を根底から底上げ。
中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、
将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る。

私たちがお仕えするのは、
この国に生きる全ての人々。

それが、
私たち「れいわ新選組」の使命である。

これが「れいわ新撰組」結党の決意です。
「日本を守る」とは、「外国の侵略から我が国の国民、財産及び領土(領海・領空を含む)を守る事」と言われています。でも、先の戦争ではそうではなかった!いや、今もそうかも知れません。自衛隊という名のわが国の軍隊の、第12代陸上幕僚長にして第10代統合幕僚会議議長であった栗栖 弘臣(くりす ひろおみ)氏は、栗栖弘臣.jpg
「自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。政治家やマスコミも往々この言葉を使う。しかし国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は国の独立と平和を守るのである。警察法と自衛隊法に書いてある。『国』とは、わが国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享受する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない」
と著書に明記しています。ここまで断言しなくても、多くの政治家たちや幹部自衛官は、似たり寄ったりの考えなのではないでしょうか。
この国を牛耳る人達が右へ右へと草木も靡く、そんなヤバイ(本来の意味での)危険極まりない時代にあって、<日本を守る、とはあなたを守ることから始まる>と冒頭で断言されている大胆さに、まさに感嘆したのであります。そして、7月の参院選挙で重度障害者の方を見事に当選に導いたのです。ふなごやすひこ氏.png

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今まで重度障害者の方が議員に選出されたことはありませんし、多分立候補されたこともなかったのではないでしょうか。何たる快挙!!
結党の決意に「中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る。」と宣言されていることの第一歩を踏み出されたのです。そして傷害物だらけだった議場のバリアフリー化が早速始まりました。
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又木村英子議員は、重度訪問介護の早急な見直しに関する質問主意書を参議院に提出しました。
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現行の重度訪問介護制度では、経済活動が除外されている、つまり仕事に関する介護費用は公的負担ではないので、木村議員の議員活動に対する介護費用は自分で負担しなければならないのです。参議院は、木村議員の議員活動介護費用は参議院で負担するとしていますが、これに対し木村議員を特例とするのではなく、すべての重度障害者が仕事する場合の介護費用を公的負担にすべきであるとの主意書を提出したのです。
これに対する答弁書は、検討中とのことですが、政治に於ける検討中とは検討するだけで改善しないという意味だそうですが、早急に改善、実施して欲しいものです。
処で、プレジデントオンライン編集部 2019/07/29のmsn ニュースによりますと・・・
安倍晋三首相は、早ければ今秋にも衆院解散する選択肢を持っていたが、今は「来年の五輪後」に傾いてきた。これは「れいわ」の実力を慎重に見定めようという判断によるものだという。「1強」が、たった2議席の新政党におびえていているのか。参院選で「れいわ」が獲得したのはわずか2議席だが、安倍氏はその存在感を過小評価していない。特に都市部での爆発力には脅威を感じているのだ。例えば東京都では、比例代表で「れいわ」は45万8151票獲得した。これは日本維新の会の47万9908票とほぼ同じ。社民党はもちろん、国民民主党よりも多い。もはや主要政党と言っていい。今の勢いのまま衆院選に突入したら「れいわ」は、無党派の若者層から大量得票して多くの議席を獲得する。その場合、最近の選挙では若者層の支持が高い自民党に対する影響は甚大だ。
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成る程、憲法改悪を何としても成し遂げたいアベソーリとしては、衆院選は五輪後にせざるをえませんわな。国威発揚の五輪後の衆院選まで、政界の闇にうごめく輩は山本太郎さんを、れいわ新撰組を失脚させるべく、スキャンダル探しに躍起となっていることでしょうね。姑息な手段で折角芽生えた弱者の為の政治の流れを途絶えさせないよう願うばかりです。共同通信の世論調査では、れいわ新選組の政党支持率が4・3%で参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2・1ポイント増え、野党では第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で共産党に並んでいます。れいわの支持層を年代別で見ると、若年層(30代以下)が7・4%、中年層(40~50代)は4・6%、高年層(60代以上)は1・9%ですから、未来を担う人たちの為に、現在は負け組に甘んじている人たちや弱者を余儀なくされている人たちの為、希望の党のようにぽしゃらないで貰いたいものです。

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袖振れ合うも多生の縁363~今日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日ですが、では12月10日は何の日かご存じでしょうか?~

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12月14日、1702年元禄15年のこの日に47士が吉良屋敷に討ち入りし主君の仇討ちを成し遂げたのは皆さん、ご存じですよね。そやけど12月10日ちゅうのは何の日やろか? それに山本太郎議員の写真がドカンと写されてるのはどういうこっちゃ???
PCで<今日は何の日>を調べてみると、「ノーベル賞授賞式」や「三億円事件の日」なんかが載ってました。あ、そうそう「世界人権デー(Human Rights Day)」なんてのもありました。
処で、世界人権デーは、1950(昭和25)年の国連総会で制定された国際デーの一つで、1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されたのです。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」で始る全30条と前文からこの宣言はなっているのですが、この宣言がもっと前に、50年以上前に採択されていて且つ日本政府が遵守していたら、1901年(明治34)12月10日に元衆議院議員田中正造氏(写真下)が明治天皇に直訴するなんてこともなかったでしょうね
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いえ、今でも日本政府は人権を遵守しているとは必ずしも言い難い部分もありますから、2013年10月31日に山本太郎参議院議員(現在は元参院議員)は秋の園遊会で平成天皇に直接手紙を手渡したのでしょう。朝日新聞デジタル版によりますと、手紙の内容は、「原発事故での子どもたちの被曝や事故収束作業員の劣悪な労働環境の現状を知ってほしかった。」と山本議員は記者団に説明した由。

『れいわ新撰組』党首の山本太郎さんが話題になったのは7月の参院選挙ですから、数ヶ月後の今頃取り上げたのは、天皇陛下への直訴つながり、田中正造さんがらみなのであります。
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処で田中正造(敬称略)が明治天皇に直訴したのは、足尾鉱毒事件についてですが、この事件って名前は記憶しているものの、よく知らないのでWikipediaで検索してみました。その説明を要約しますと・・・足尾銅山は江戸時代から採掘されていたが、幕末には殆ど廃山状態となり、明治維新後民間の古河市兵衛に払い下げられ、古河が採鉱事業の近代化を進めた結果、大鉱脈を発見し足尾銅山は日本最大の鉱山となり、東アジア最大規模の銅の産地となりました。しかし精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)や排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオンなど金属イオン)は甚大な鉱毒公害ををもたらしたのです。鉱毒毒ガスやそれによる酸性雨で近辺の山は禿げ山となり、木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れ、この崩壊は21世紀となった今も続いているのです、嗚呼!

現在も続いているなんて知りませんでした!(下の写真は2005年3月撮影)

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鉱毒による被害はまず、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れ、次に渡良瀬川から取水する田園や、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出し、これに怒った農民らが数度にわたり蜂起したのですが、田中正造はこの時の農民運動の中心人物なのです。又、この鉱毒被害は渡良瀬川流域だけにとどまらず、 江戸川を経由し行徳方面、 利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大し、田畑への被害は、特に明治23年8月と29年7月21日、8月17日、9月8日の4度もの大洪水で顕著となり、明治34年には足尾町に隣接する松木村が煙害のために廃村となり、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村も前後して廃村となったのです。

公害対策工事は明治30年頃から行われ、表だった鉱毒被害は減少したものの、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなく、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県毛里田村とその周辺では、大正期以降逆に鉱毒被害が増加し、以後も昭和になった1971年(昭和46年)には毛里田で収穫された米から カドミニウムが検出され出荷が停止さました。古河鉱業はカドミウム被害を認めていませんが、群馬県はこれを断定しているのです!

又明治に戻りますが、農民の鉱毒反対運動が激化し、明治33年(1900年)2月13日、陳情団が東京へ押しかけようとしたところ警官隊と衝突し流血の惨事に至り、農民多数が逮捕されました。

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田中正造は、度々国会で足尾鉱毒について糾弾したのですが、埒があかず、明治34年(1901)12月10日、東京市日比谷において帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に直訴に及んだのです。しかしながら警備の警官に取り押さえられ、直訴そのものは失敗したものの大騒ぎになり、号外も配られるに及び、直訴状の内容は広く知れ渡りました。直訴状は幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられています。直訴未遂の結果、田中は即拘束されましたが、政府はこの件を何事もなかった如く葬る為、単に狂人が馬車の前によろめいただけだと不問にし、正造は即日釈放されたのです。

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上の写真は、田中正造直訴を報道する明治34年12月12日の野州日報ですが、12月11日の都新聞には下記のように報道されています。
 
「◎田中正造氏直訴彙報・・・・・▲現場の模様 大要号外に記しし如くなるが、なお其の詳細を記さんに氏が群衆中より?簿に向かって進むときはさすが恐?に堪えざりけん。気のみ焦りて足の進み意の如くならざるものの如く見えしが、真っ先にこの状を認めたる儀仗兵中の近衛騎兵連隊附陸軍騎兵特務曹長勲八等伊知地李盛氏は?剣を振り翳して氏の御馬車に近寄るを遮らんとしたるも乗馬逸して意の如くならざりしにぞ田中氏はこの隙に乗じて益々御馬車に接近せんとする際御道筋警戒中なりし麹町警察署の尾川彦二郎、高木八五郎の二巡査馳せ付け尾川巡査は氏を後方より抱き高木巡査は襟髪を捉え協力して一旦地上に引き倒し直ちに応援の警部巡査等と共に周囲より厳重に警戒して虎ノ門内派出所へ引致せり。
▲引致後の模様・・・・・派出所にては単に宿所氏名等を訊問せしのみにて間もなく氏を人力車に乗せ警部巡査四名付き添い麹町警察署へ拘引したるも拘留所へは入れず唯応接室の椅子によらしめ数名の巡査をして監視せしめ置き午後一時より石黒警部を立ち会わしめ同署長村島警視自ら訊問に着手せしが午後五時に至るまで引き続き取り調べ中にてその結了を告げるは十一時ごろならんとのことなりき。当日は川淵東京地方裁判所検事正も羽佐間検事を従え午後一時より三時まで同署へ出張して実況を視察せり。

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そして田中正造直訴から112年後の10月31日、山本太郎参議院議員(当時)が天皇陛下に直訴、いえ、直接手紙を手渡したのです。
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何故「直訴」を「手紙を手渡した」と書き直したのかと言いますと、『HUFFPOST』(2013・10・31)に、<請願法第3条には「天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない」と定められているので、もし山本太郎氏の手紙が「請願」に当たる場合には違法である可能性もネット上では指摘されている>と書かれているからです。単にご機嫌伺いのような挨拶的な親書であれば、問題ないのでしょう。又『朝日新聞』2013年11月1日付によれば・・・
参院議院運営委員会の岩城光英委員長(自民党)は1日、山本太郎参院議員(無所属)が10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を手渡したことに対し事情を聴いた。山本氏は聴取後、記者団に「マスコミが騒ぐことによって政治利用にされてしまう。政治利用なら手紙の内容を公開するはずだが、一切していない。個人として陛下に子供たちの健康被害や被曝(ひばく)労働者の切り捨ての実情を伝えたかっただけだ」と、政治利用との指摘を強く否定した。ただ、「ルールを知らずにお手紙を渡したことは事実。そのことに関する議会のお沙汰が出た時には受け止めるしかない」と述べ、同理事会が処分などの決定を出した場合は従う意向を示した。
そして、菅義偉官房長官は今回の山本太郎氏の行動について、以下のようにコメントしています。
「文書はそばにいた侍従長が預かった。内容は聞いていない。」
このコメントは、山本議員の文書は陛下に伝わっていないし、政府もその文面が請願に該当するか分からないので不問にする・・・ということを意味しているのでしょうね。なんだか田中正造の時の、<単に狂人が馬車の前によろめいただけだ>から不問にするという対応と似ていませんか?

処で、山本議員の手紙を受け取られた陛下は、この手紙をお読みになりたかったのかどうか。陛下のお気持ちを知るすべはありませんが、その後の陛下の私的ご旅行が私には些か気になるのです。同じ年の11月14日付け時事通信社の記事によりますと・・・
宮内庁の風岡典之長官は14日の定例記者会見で、秋の園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡した 山本太郎参院議員について、刃物が入った封筒が同議員宛てに届いたとの新聞記事を見た陛下が心配されていることを明らかにした。
とのこと。そして5月21日の『朝日新聞』夕刊によりますと・・・
天皇,皇后両陛下は21日,東北新幹線で栃木県入りした。同日午後,足尾鉱毒事件の舞台となった渡良瀬遊水地などを訪問。22日には日光市で,足尾銅山の煙害により木々が枯れた松木渓谷などを視察する。

この記事に関する『社会科学者の随想』というブログによりますと・・・
この記事の中身は,明治帝政が日本の国土を破壊していった典型的な実例である足尾鉱毒事件の歴史に対して,現在の天皇家がわざわざ並々ならぬ関心を抱いているというものである。明治以来の日本帝国が武力でもって東アジア諸国を侵略するさい,兵器・武器の製造において重要な鉱物となる銅を採掘・精錬するための鉱山・工場が足尾にあったのである。
又『朝日新聞』2014年5月23日朝刊の報道によりますと・・・
天皇,皇后両陛下は22日,1泊2日の日程で訪れた栃木,群馬両県訪問を終えて帰京した。両陛下が自然の再生に関心を寄せつづけていることが発端となって実現した私的な旅行。栃木県では,足尾銅山跡付近の山々や,田中正造ゆかりの佐野市など「日本最初の大規模公害」とされる足尾鉱毒事件の舞台をめぐった。
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「この赤いのが訂正ね」。天皇陛下は佐野市郷土博物館(写真下。館前に佇むのは田中正造の像)で田中正造が明治天皇に宛てた直訴状を前にメガネをかけ、赤い訂正印が各所に押された推敲の跡を確かめるように見入った。正造が直訴を試みてから113年。説明役の山口明良館長は「一文字一文字を追っていらした。明治天皇が目にしなかった直訴状をみてもらい,感慨深いものを感じます」と言う。
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足尾鉱毒事件の舞台をめぐられ、田中正造の直訴状に大いに関心を寄せられた陛下は、山本太郎参院議員に手渡された福島原発被害者を思いやる手紙を開封し、文書を一読してみたいとお思いになっておられたのではないか・・・などと私は推測してしまうのですが、如何なものでしょうか。
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  山本太郎議員を如何に思うかは黙して語らぬ田中正造の像


袖振れ合うも多生の縁362~高田茜さんと平野亮一さんって、凄いバレーダンサーですね!~

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今年も慌ただしい師走ですが、にも拘わらず顔中口にして笑っている(?)のは、英国ロイヤルバレエ団のドップダンサー、ブリンシパルである高田茜さんです。先日同バレエ団の「ロミオとジュリエット」を見た、と言ってもTVでなんですが、とても感動しましたので、高田茜さんについて書きたくなったという訳なのです。

Wikipediaによりますと、高田茜さんは東京都葛飾区出身で、3歳の時高橋洋美バレエスタジオでバレエを習い始めたのですが、高田をプロ入りまで指導した高橋さんによれば、おっとりとしたやさしい少女で、天性バレエの素質があったとか。そして1999年2月小学2年の時、日本バレエ協会主催の 『ドン・キホーテ』 公演で子役のキューピッドの一人として出演し、この公演の主役吉田都さんに彼女は憧れたとか。そして2006年1月、中学3年の時NBA全国バレエコンクールで審査員特別賞を受賞し、チャコット提供の奨学金で同年9月からモスクワのボリショイ・バレエ学校に留学したのです。ボリショイ在学2年目の2008年2月、17歳の時ローザンヌ国際バレエコンクールに出場し、プロ研修賞と観客賞を受賞。研修先としてロイヤル・バレエ団を選び、同年9月に研修生として入団。2009年9月にアーティストとして正式に入団し、2010年秋にファースト・アーティスト、2011年秋にソリストに昇格。2014年のシーズン終了後にファースト・ソリストに昇格。2015年3月には 『白鳥の湖』 の主役オデット/オディールを、翌2016年3月『ジゼル』 の主役(写真下)を踊り、シーズン終了後プリンシパルに見事昇格されたのです。
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処でプリンシパルというのは、元々は英語圏のバレエ団において主役級のダンサーを指す言葉だったのですが、その後広まり世界的に使われるようになっています。バレエ団によってはファーストソリストやエトワール、プリマバレリーナとも言うそうです。普通、世間では主役を踊る女性バレエダンサーをプリマと呼んでいて、プリマの方が馴染みのある言葉ですよね。因みに英国ロイヤルバレエ団のランクは、①プリンシパル ②プリンシパル・キャラクター・アーティスト ③ファースト・ソリスト ④ソリスト ⑤ファースト・アーティスト ⑥アーティストの6段階で、正団員100名をこえる中、プリンシパルは20名弱で、まさに文字通りトップアーティストなのです。

平野亮一2.jpg右の写真も英国ロイヤルバレエ団のブリンシパル、平野亮一さんですが、平野さんは高田茜さん(ジュリエット役)の相手役ロミオで、茜さんと日本人同士が主役の作品を、生でなく録画とはいえ見ることが出来たのはとても幸いでした。
平野さんは尼崎市出身で、4歳よりお母さんの平野節子さんのもとでバレエを始め、2001年ローザンヌ国際バレエコンクール・プロ研修賞を受賞し、英国ロイヤルバレエ団研修生となり、2002年英国ロイヤルバレエ団に入団。2007年ファーストアーティスト、2008年ソリスト、2012年ファースト・ソリスト、2016年プリンパルに昇格されています。
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2016年9月に、お二人は同時にブリンシパルに昇格なさっています。
この快挙は1990年代に熊川哲也さんと吉田都さんがプリンシパルに就任されて以来だそうです。
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左の写真は熊川さん、下の写真が吉田さんですが、茜さんは小学校の頃『ドン・キホーテ』で一緒に舞台を踏み、憧れた偉大なバレリーナ、吉田都さんと同じボジション、世界3大バレエ団の一つである英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルという地位にまで17年かけて辿り着き、万感胸に迫るものがあったでしょうね。
吉田都2.jpg何故そう思うかというと、茜さんはボリショイ・バレエ学校で学んいる時も、「物語バレエを踊りたい!」と英国ロイヤルバレエでの活躍を熱望していたそうですから。望めばに叶うと言うものの、実現してしまうとは!

さて、肝心の『ロミオとシュリエット』ですが、演劇性の高いバレエを踊りたいと熱望し、ローザンヌのプロ研修賞獲得を契機に、演劇の伝統色濃いイギリスのバレエ団の本拠に入団し、プリマに上り詰めた高田茜さんだけあって、さすが流石、マイムだけでなく振りのひとつひとつにもジャリエットの愛の言葉が、心のささやきが感じられ、私は、茜さんのマイムや振りに合わせて我知らず台詞を口ずさんでおりました!
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そして、彼女の踊りに対する形容として英国では、しばしば<輝き (sparkle)> という賛辞が用いられていますが、まさにSparklingだったのです!そんな茜さんの輝きの画像をもっとお見せしたいのですが、著作権に守られていてそうもいかないので・・・残念です。
そして最後に、7月の参院選挙で少しばかり話題になった、『N国』の主張するようにスクランブル放送になっても、こんな素晴らしい作品を放送し続けるのなら、私は受信料を払いますよ。(でも忖度された報道は大いに問題ありですが)
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それからもうひとつ、同番組で放送された平野亮一さん主役の『フランケンシュタイン』も凄かったことを書き加えておきます。
ではでは。


袖振れ合うも多生の縁361~親鸞聖人忌に催される報恩講で、坂東曲という不思議な読経が!?~

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報恩講とは、親鸞聖人がお亡くなりになった死の事実を深く悼む思いから始まり、親鸞聖人が今なお私達に何を願われているのかということを尋ね続けずにはおれない、一人ひとりの生の根源からの気持ちが幾重にも交わり、七百五十余年にわたり勤められてきた法会です。と、報恩講案内の冒頭に記されています。

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それはさておき、今回何故、報恩講で行われる坂東曲(ばんどうぶし)を取り上げさせて頂いたかと言いますと、普通読経は、腰骨を立て背筋を伸ばし揺らぐ事なき不動の姿勢で経典を読誦(どくじゅ。そらで唱えること)しますが、坂東曲は上体を前後左右斜めに揺らし続けて和讃(仏教の教義や仏菩薩の徳を和語で称える詠歌)を詠じ歌うのです。

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動画ではありませんが、上の写真で坂東曲を詠じている雰囲気を少しはお分かり頂けますでしょうか? さて、今年の報恩講は今月の21日から28日迄行われ、28日の結願日中に坂東曲が行われた由。この坂東曲だけをご覧になった方も大勢いらしたとか。私は所用にて残念ながら・・・でした。処で詠じられた和讃は高僧和讃と正像末和讃ですが、こない上体をゆらして恍惚三昧の如く詠じている文句が知りたい・・・と仰る方の為に、書き写してみましょう。え、誰もそんなこと思てない? そうですか、ほな、ワタシ自身の為にコピペさせて貰います。

『高僧和讃』

願力(がんりき)成就(じょうじゅ)の報土(ほうど) には
自力(じりき)の心行(しんぎょう)いたらねば
大小(だいしょう)聖人(しょうにん)みなながら
如来(にょらい)の弘誓(ぐぜい)に乗(じょう)ずなり

煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)と信知(しんち)して
本願力(ほんがんりき)に乗(じょう)ずれば
すなわち穢身(えしん)すてはてて
法性(ほっしょう)常楽(じょうらく)証(しょう)せしむ

真(しん)心(じん)徹到(てっとう)するひとは
金剛心(こんごうしん)なりければ
三品(さんぼん)の懴悔(さんげ)するひとと
ひとしと宗師(しゅうし)はのたまえり

五濁悪世(ごじょくあくせ)のわれらこそ
金剛(こんごう)の信心(しんじん)ばかりにて
ながく生死(しょうじ)をすてはてて
自然(じねん)の浄土(じょうど)にいたるなれ

金剛(こんごう)堅固(けんご)の信心(しんじん)の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀(みだ)の心光(しんこう)摂護(しょうご)して
ながく生死(しょうじ)をへだてける

真実(しんじつ)信心(しんじん)えざるをば
一心(いっしん)かけぬとおしえたり
一心(いっしん)かけたるひとはみな
三信(さんしん)具(ぐ)せずとおもうべし

『正像末和讃』

三朝(さんちょう)浄土(じょうど)の大師(だいし)等(とう)
哀愍(あいみん)摂受(しょうじゅ)したまいて
真実(しんじつ)信心(しんじん)すすめしめ
定聚(じょうじゅ)のくらいにいれしめよ

他力(たりき)の信心(しんじん)うるひとを
うやまいおおきによろこべば
すなわちわが親友(しんぬ)ぞと
教主(きようしゅ)世尊(せそん)はほめたまう

如来(にょらい)大悲(だいひ)の恩徳(おんどく)は
身(み)を粉(こ)にしても報(ほう)ずべし
師主(ししゅ)知識(ちしき)の恩徳(おんどく)も
ほねをくだきても謝(しゃ)すべし
『真宗聖典』(東本願寺出版発行)より
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如何でしょうか。ワタシは後日、じっくりゆっくりとっくり味わってみようと思っております。

しかし、なんで上体を揺らすのかについてはよく分からないそうですが、親鸞聖人が越後へ流罪になる際、荒波に揺れる船の中で一心に念仏を唱えた話に由来するという説もあるとか。処で坂東曲は、他の浄土真宗々派では見られないお東さん独特のものだそうです。このあたりの経緯も知りたいところですが、多分調べても分からないのでしょうね。

話は一寸私儀に変わります。ワタシは毎朝、大払えの祝詞を唱えているのですが、気が付くと時々上体を前後に揺らして唱えていることがあるのです。坂東曲のように前後左右斜めにもということはありませんが、揺らしているとリズミカルな感じがして、スイングする波動を楽しむ気分です。坂東曲をなさる僧侶のみなさんも、スイング感を楽しんでおられるのでしょうか?
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あのな、このねえちゃんの写真、スイングの意味が違うやんか!?

袖振れ合うも多生の縁360~胎内の赤ちゃんってどんな音を聴いているのかな? そして心音治療とは?~

胎内の赤子2.jpg胎内の赤ちゃんって、どんな音を聴いているのでしょうか?
いや、待てよ・・・胎児の耳が 形成される迄は何も聞こえていないのか? そんな訳はないよな・・・
こんなクエスチョンがふつふつと浮かんだので、早速調べてみますと・・・三角泰爾先生1.jpg
現代医学に矛盾を感じ、東洋医学・整体・食養などを学ぶだけでなく、鍼灸治療の研究にも取り組み、製薬メーカーが徹底的に嫌悪する画期的な<心音治療>を確立されたみかどクリニックの三角大慈(みすみ・たいじ) 院長は、
「個体発生は系統発生(生物進化のプロセス)を繰り返す」(ドイツの学者ヘッケル)というように、胎児は35億年という生物進化の歴史を母親のお腹の中で再現させています。
単細胞の生命から始まり、心臓が動き出し、爬虫類になり、やがて刻々と人間になっていきます。耳の聴覚が形成されるのは妊娠後期で、それまで耳の聴覚は存在していません
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では成長中の胎児は一体どこでお母さんの心音を聴いているのか? おそらく全身の細胞で聴いていると思われます。それが遺伝子に記憶され、誕生した赤ちゃんの潜在意識に植え付けられているのでしょう。」
そして、胎児が胎内で聴いている音については、
「絶え間なく響くお母さんの血潮がざわめく潮騒。子宮の壁をドードーと打つ大動脈の拍動音。小川のせせらぎのような大静脈の摩擦音。そしてそれらの彼方に高らかに鳴り響く心臓の鼓動。何か宇宙空間の遠い彼方の銀河星雲の渦巻きを銅鑼にして悠然と打ち鳴らすような生命を育む絶対的な響き。生命の根幹に鳴り響く音霊、それがお母さんの心音です。」
と仰っています。
いゃあ、三角先生のこのお言葉、命の深遠さや神秘性を感じさせる凄い表現で、先生のお人柄の一端が伺えるように思います。
さて、それでは<心音治療>とは一体どんな治療法なのでしょうか。

三角医師著書1.png<心音治療>と言っても、初めて耳にする人が殆どでしょうし、お医者さん、そして小児科医さんでも知らない方が多いとか。
ワタシも今年5月にWebサイト<THINKER 日本と世界の情報ブログ「波動医学の最新情報
(14)」>を見る迄全く知りませんでした。
そのブログで興味を持ち、三角先生著の「心音治療って何?」を紐解いてみたのですが、ふーん、成る程!と感心させられたのです。という訳で、同著より抜粋させて頂きますと・・・

本来、子供の病気は治りやすい。このことを中国の古い道書では、次のように記している。<小児7歳までを神童と名づく。神是を守る。>「小児7歳までを神童」とは、なんと素晴らしい言葉だろう。そして「神がこれを守る」という。ここで言う、「神」とは宇宙の理であり、自然治癒力である。

うーん、そうなのか・・・子供は本来、神様に自然治癒力を授けられていて、7歳までは病気から守られている筈なのに、今の時代は何故健やかに育たず、病に苦しみ亡くなってしまう子たちがいるのでしょうか!?

そして又、何故、どうして児童虐待が後を絶たないのでしょうか!?

三角医師は、母子の絆が切れてしまっていることが根本的な原因と考え、母子の絆を取り戻し深めれば、子供が神様に授けられ元々持っている生命の力が甦り、子供本来の元気溌剌たる姿になる筈と確信し、母子の絆を強くする為に、母親の「心音」、子供達がお母さんのお腹の中で聞いていた心臓の音着目し、心音治療を開発されたそうです。
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そうか、お母さんの胸に抱かれ、生まれて来る迄ずっとずーっと、ひとときも耐えることなくいつもいつも体の隅々まで響いていた、力強くて頼もしい鼓動を懐かしく感じ、嬉しくて見つめ合っていると、いやが上にもお母さんも赤ちゃんも、絆を強く強く、深く深く感じるでしょうね!処で、「心音治療」はどのようにして行うのでしょうか? 三角医師によりますと・・・

「心音治療」は特殊なマイクでお母さんの心臓の血流音を採取し、その録音を患者の子供に聴かせるのですが、耳ではなく子供のツボ(経穴)に直接聴かせるのがポイントです。採録した母親の心音をマイクロ・アンペアという微弱な電流に変換し、それを子供の腰にある「命門」と「後頭部」のツボに通電するのです。

お母さんの心音を、子供にヘッドホンで聴かせると思ってましたが、そうじゃないんですね。電流を我が子に流すと聞くと、お母さん方はびっくりされるよそうですが、微弱電流なので、子供は何も感じないし、痛みや不快感も全くないそうです。なら、安心ですよね。

具体的な「心音治療」は・・・
①心音録音→お母さんの心音を録音する。「心音装置」で聴診器でも聴くことのできない心臓血流音を、特殊マイクで2分30秒録音する。
②ツボに貼付→子供の腰にあるツボ「命門」と、後頭部の直下にあるツボに電極シールを貼り付ける。
③再生送電→「心音装置」の再生ボタンを押す。すると、子どもの2つのツボに心音の情報が伝わる。勿論、子供は何も感じない。2分30秒の録音を2度再生して、合計5分間の通電で終わる。

この治療は家庭でも可能であり、「心音装置」を貸し出して、家庭で自主的に行ってもらっているそうですが、「心音を録音する時、常に意識を我が子に向けていることが絶対必要であり、子供への愛を感じながらの心音が大切です。さらに大事なことは、子供に強要しないこと。あくまでも話しかけるような気持ちで無心で我が子と戯れるような気持ちが大事です」と三角医師はポイントを強調しておられます。
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さて、実際に心音治療を行うと、子供にどんな変化が起きるのでしょうか?

「最初の変化としては、子供がお母さんに甘えるようになります。治療したその日から、妙になついてくるとか、離れなくなる。いなくなると今までは何ともなかったのに、急に泣き出すといった具合で、これは母子の絆が強まった証拠です。一方母親は、子供の甘えに母性が刺激され、子供が可愛く、愛しくなってきます。夜泣きで何度も夜中に起こされて、疲れ果て、我が子が憎らしく感じていたお母さんも同じです。お母さんのこのような心境の変化に、子供は敏感に反応し、子供はますます、お母さんに甘えてきます。すると、お母さんはますます、我が子が可愛くなってきます。後は、これの連鎖反応が起こり、母子の絆が深まっていきます。母子のコミュニケーション能力が更に高まってきます。
<子育てって、こんなに楽しかったんだ><虐待寸前だったのに、ゴメンね>というような喜びのコメントをおや母さん達から頂いています。」

と、三角先生は仰っています。

子育てに悩んでるお母さん、百聞は一見に如かずですから、物は試しに如何でしょうか。


袖振れ合うも多生の縁359~音響免疫療法、そして寺院の梵鐘並びにチベタンボウルついて、少々うんちくを。~

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上の写真が音響免疫療法チェアです。 この装置は、国家機密に関わる案件も含め約1200件もの特許を出願されている西堀貞夫先生(写真下)の開発されたもので、中国・アメリカ・ロシア・日本・EPC(ドイツ・フランス・イギリス・イタリア)・韓国など、世界各国で特許を取得しているそうです。西堀博士は、環境省・通産省・農林水産省・国土交通省の研究開発の助成金を受け、「植物による水質浄化」「コンブの海の再生」「イカ墨から液晶テレビ・電波吸収材」「透水性フィルム」「人工皮革」「衝撃吸収材」「人工木材」「最先端医療」「最先端オーディオシステム」など、最先端の世界に誇る新しい技術を開発されている由。そんな凄い先生が造り、世界中の特許を取ってるチェアってどんなものなのか、Webサイト<神楽坂ヒカルランドみらくるのセラピー>を私なりに要約させて頂きました・・・西堀貞夫博士2.jpg

在傘寿を越えられた西堀博士は、「ゼロ磁場磁気エネルギーで生命を健康に導く」ことを何としても果たしたい大きな開発テーマとして、あくなき研究を続けてこられたのです。そして、それが音響免疫チェアとして大きな実を結んだのです。ゼロ磁場を技術的に再現し、脊髄に音を響かせ自己免疫力を高め、身体を細胞から健康な状態に持っていく音響免疫療法、名付けて《羊水の響き》。このネーミングは、音響免疫チェアが母親の羊水の中で音を感じていた胎内の環境を再現しているからです。
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西堀先生は、血液の鉄イオン(強磁性)の磁気エネルギーを『気』、錆びた血液の磁気を『邪気』と捉え、『気』の衰えが病を招くと考えています。この椅子は、背もたれからCDやDVDの音が再生されますが、その音が背もたれにある柔らかい表面の密度を高めた“人工血管”のような中空ストロファイバー網構造体を震わせ、身体に伝わります。耳の鼓膜を震わせるのではなく、生命の急所、脊髄から心臓に身体共鳴で音の振動を響かせます。羊水を伝わるように波動エネルギーが身体中を震わせ、鼓動と脈動を強化、血液(強磁性鉄イオン)と血管との摩擦熱で血液の磁気を高め、血液の生体磁気作用と血液循環機能を蘇らせます。
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私たちは羊水の中に浮かんでいた胎児の頃、外界の音や母親の体内の音を耳で聴くのではなく、脊髄の感覚器官、中枢反射神経を通し、羊水を響かせる振動として感じていました。空気の振動で音が伝わる縦波と違い、羊水を伝わる横波の振動は、尿で汚れた羊水を浄化する働きもあり、水分80%の健やかな細胞を育てています。つまりこのチェアは横波により、胎内の状態を再現しているのです。
処で普通の音は縦波で、空気の伝えるスピーカー音は勿論縦波です。しかし胎児期の私たちは、羊水が伝える母親の母体音、つまり生命の響きである横波の響きを、脊髄で感じていました。ですから、このチェアの音響と通常のスピーカーとは根本的に違うのです。

話が少し逸れると思われるかも知れませんが、ワタシはバイオリンやチェロなど、弦楽器が大好きです。演奏ではなく専ら聴くのみですが。というのは、弦の響きは水の伝える波状の横波なのです。ですから私たちは、特にワタシは弦の響きを癒しと感じるのでしょうね。
下の写真はストラデイバリウスですが、西堀博士は、「音響チェアには金属の釘やネジを1本も使っていないし、合成接着剤なども一切不使用です。素材は徹底的に天然にこだわった。バイオリンの逸品ストラディバリウスは木材の接着に動物の骨から溶出したニカワで接着しています。木材と箱鳴りと弦の響きを極限まで高めるためです。このような名器の弓を弾くと弦の響きの摩擦熱で板鳴りし、木材を鳴り響かせる。羊水の響きを生きたニカワの板鳴りの響きで再現したのです。」と、音響チェアはストラディバリウスに学んでいると仰っておられます。
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さて、再び<神楽坂ヒカルランドみらくるのセラピー>によりますと・・・
この椅子が身体と心に画期的効果を起こす理由は主に3つありますが、まず、「横波による胎内の再現」については今まで述べてきました。2番目は、「磁気エネルギーが作り出すゼロ磁場」、そして3つ目は、「脊髄の刺激により分泌される脳内麻薬」です。

○「磁気エネルギーが作り出すゼロ磁場」について・・・
背面にあるストローファイバー網構造体から音が再生されると、音の持つ波動エネルギーのうねりが生み出す摩擦熱で、地球の磁気エネルギー、つまり強い地磁気を作り出すことができます。そしてこの強力な地磁気がこの椅子とその周辺に「ゼロ磁場」を創ります。「ゼロ磁場」とは、地球が持つ磁力のN極とS極がせめぎ合い、力が満ち溢れている場所のこと。数々の聖地が磁気エネルギーの強いゼロ磁場に集中して建てられており、訪れる人の磁気エネルギーバランスを整え、エネルギーの総量を上げます。

○「脊髄の刺激により分泌される脳内麻薬」について・・・
音響免疫チェアは身体の特に脊髄の感覚器官、中枢反射神経を通して振動を響かせますが、この振動が脳内麻薬にあたる脳内伝達物質の一種、アドレナリン、エンドルフィンの分泌を促します。アドレナリンには主に興奮を呼び起こす作用があり、エンドルフィンには幸福感・リラックス・鎮痛・免疫力向上をもたらす、モルヒネ同様の作用があります。

このような3つの仕組みで、音を身体で感じながら細胞レベルで呼び覚ます<癒しと覚醒のエンターテインメント音響免疫療法 羊水の響き>はフワフワとした幸福感に満たされるそうです。

ぬぬぬ、アドレナリンやエンドルフィンを分泌させるものは他にも聞いたことがありますが、このチェアは<ゼロ磁場>を造っている! 確か、地球上のパワースポットはすべてゼロ磁場なんですよ。ということは、このチェアに座ると、パワースポットにいることになりますよね!
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上の写真はゼロ磁場のパワースポット、長野県の分杭峠(ぶんくいとうげ)ですが、それはさておき、この音響免疫チェアで再生演奏される音響は一体全体、どんな音なんでしょうか!?
西堀博士が会長をなさっているNGO音響免疫療法学会の公式HPを私なりにアレンジさせて頂きますと・・・

お釈迦様は、梵鐘の響きで悟りの境地に導かれたと阿含経に記されています。
鐘の響きは身体共鳴現象を起こし身体を発熱させ、心と身体を健康にするだけでなく、熱に弱いがん細胞を消滅させます。又、急所脊髄への響きは、脳内麻薬の麻酔覚醒作用で心と身体を幸せにし、悟りに似た和やかな安らかな境地に導きます。釈迦が感じた厳かな鐘の響きは、病を治す西洋医学の薬を超えた最善の方法だったのです。
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除夜の鐘の108つの響きは煩悩を消し去り、穏やかな安らかな境地に導きます。寺院の梵鐘や仏具の鈴(りん)、そしてチベタン・ボウルは、栄の時代に中国から日本へ渡来しました。チベット密教の音響法具であるチベタン・ボウル(別名シンギング・ボウル 写真下)はヒマラヤ・ネパールの断層地帯のゼロ磁場で誕生しました。ですからチベット密教は、ゼロ磁場の聖地で音響法具を用いて修行し、心を浄化させ、病を治していたのです。
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成る程、音響免疫チェアでの療法は、チベット仏教の修行メソッドを再現したと言えるのでしょうね。処で最近、除夜の鐘がつかれなくなったそうです。というのは、寺の近辺の住民から、喧しいから止めてくれと苦情があるからだとか。梵鐘の響きを騒音としか感じられない、情けない心の持ち主になり下がってしまっているのですね。嗚呼・・・

さて、西堀博士は日本中の名刹、寺院の梵鐘の音を探しまくり、到達したのが東大寺の梵鐘(写真下は東大寺の鐘楼)、重さ81屯の響きだったそうです。
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又西堀氏博士は、古来チベット仏教に伝わるチベタン・ボウルも高く評価されています。「急所の脊髄に鳴り響くチベタン・ボウルは頭蓋骨を緩め、その響きはモルヒネなどより、脳内麻薬の麻酔覚醒作用で、心と体を幸せにするのです」

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そして、チベタン・ボウルは、今や音響楽器シンギング・リンとして改良され、大流行の兆しを見せています。かくいう私も、音響療法家でシンギング・リンの開発者、和真音(かず しおん 写真左)さんのCDブックを購入し、生音ではないのですが、CDを再生し流れるシンギング・リンの響きに心を委ね大払えの祝詞を称えています。時々ですが自分の声とうまく共鳴する時があり、とても良い心持ちにさせて貰っております。

そしてですね、チベタン・ボウルのような音響法具の頭蓋骨に鳴り響く高音は頭蓋骨を緩め、脳神経を活性化させ、認知症やうつ病を吹き飛ばすと西堀博士が仰っていますから、毎朝シンギング・リンを聴いているワタシはボケへんやろと思っているのであります。ま、いずれにしても、音響療法チェアをワタシも一度是非体験してみたい!でーす、ハイ。ではでは、この辺で。
あれっ、心音治療はどないなってんのや!?
そうでした、長くなってきましたので、次回に致します。

袖振れ合うも多生の縁358~万能細胞とトカゲの自切(尻尾切り)及び再生、そして電磁波の脅威について~

前回、トカゲの尻尾切りについて取り上げると書きましたが、その前提として万能細胞について記したいと思います。
万能細胞と言えば、2006年に京都大学の山中伸弥教授(写真下)の研究グループが作製に成功したiPS細胞が有名ですよね。山中伸弥教授1.jpgiPS細胞.jpg




















iPS細胞は新しく作製された多能性幹細胞で、人間の皮膚等の体細胞にごく少数の因子を導入し培養する事により、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞に変化する由。処で、抑も万能細胞の大元は受精卵であることは言うまでもないことですよね。

ではでは前回に引き続き、『波動医学の最新情報 』を要約させて頂きますと・・・
万能細胞の始まりは受精卵で、その一個の単細胞が人体という複雑な精妙な身体に変化する。まさに不可思議と言うしかない。その謎を解くのが生体の固有周波数理論であり、受精卵という万能細胞は卵割、胚砲、母細胞を経て、各種の体細胞を形成する。万能細胞が様々な体細胞に変化するメカニズムは生命科学の謎だったが、そのミステリーを解明したのが固有周波数の存在だった。特定の周波数が生命形成の根本原理であった。例えば、表皮細胞の周波数刺激を受けた万能細胞は、表皮に変化していく。神経、筋肉、骨、腸、腺・・・なども、万能細胞に固有周波数の刺激を与えることで形成される。因みに切り傷がなぜ治癒するのか? 身体は傷を負うと、その瞬間に切断面に神経ネットワークが形成される。そこに第1次治癒電流が流れる。すると傷口の体細胞は、全て万能細胞に戻る。傷口を癒着させると第2次治癒電流が流れ、万能細胞をおのおのの周波数刺激で皮膚、筋肉、血管、神経‥に戻す。こうして切断面は嘘のように消え失せ、切り傷は完治するのである。

成る程、納得です。
さて、ワタシは子供の頃、トカゲが尻尾を自分で切り離し、切り離された尻尾がピクピク動いているのが不思議でした。この自切って、切り離した尻尾がしばらく動き回ることで外敵の注意を引き、その隙に逃げる為だそうです。
そして、なくなった尻尾が又生えてくるのも不思議で、人間はそんなことでけへんのに、なんでトカゲは???と疑問に思ったのを今でも覚えています。

自切1.jpgトカゲの尻尾再生1.jpg処で蜥蜴は脚や尾を自ら切っても再生する。この再生も生物学の長い間謎だった。それをロバート・ベッカー博士が理路整然と解明している。
ロバート・ベッカー博士(写真下)は電磁生体学の世界的権威であるが、博士によれば、切断面に神経ネットワークが形成され、1次治癒電流で切断面の体細胞がいったん万能細胞に戻る。次に2次治癒電流が流れ、万能細胞がおのおの体細胞に戻ることで、失われた脚は再生していくのである。

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私の子供の頃の疑問が解明されました。それでベッカー博士について一寸調べてみたところ、博士は今まで人体に安全とされていた電磁波が有害だと公表されています。では電磁波とは、一体どういうものなのか? 超低周波から高周波までの電磁波は、一般的に「電波」と呼ばれていて、電波はX線、ガンマ線などの有害放射線違って、生体に安全とみなされていたのです。しかし戦後、ベッカー博士はじめ世界中の膨大な研究により、「電波」と総称してくくられている電磁波にも、生体に有害作用があることが、科学的に立証されているのです。

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いゃあ、10の大罪、一寸、いえ大変気になりますよね。処で、私たちの身の回りで電磁波を出しているものって、どんな機器があり、どれくらいの強さというか量を出しているのでしょうか?
「船瀬俊介著書「やっぱり危ないIH調理器 三五館」によりますと・・・

電気製品の電磁波レベル.gif
身近な電化製品って結構ありますよね。電気カーペットは他の製品より強い電磁波を出しているようですが、どれくらいの強さになると危険なんでしょうか? 船瀬俊介さんの同著によりますと・・・

ロバート・ベッカー博士は、「電磁波の生体安全基準を1mG(ミリガウス)にすべきである。」と主張しています。 さらに注意すべきは、「1ミリガウス以下なら安全」とは言っていないことです。 すべての異常な人工的な電磁波は、その周波数に関係なく生理的影響をもたらす。 これらの影響は正常な機能を低下させたり潜在的に有害であるといっています。

え? え!? え!! 安全基準は1mG!!! ベッカー博士にとって、全ての電化製品は危険極まりないものなのです。でも、しかし、電化製品メーカーさんは、「そんなこと絶対ありません!」と言下に否定なさるでしょうね。科学音痴のワタシには嘘かホンマか確かめる術はありませんが、君子危うきに近寄らずとか、電気カーペットも電子レンジも電気炊飯器もスマホも、スマホどころかガラケーも使わない、古き良き昭和を遡り、原始生活(?)をめざしております。
とは言え、PCでこのブログを書いていますが、電磁波対策グッズは取り付けております。ま、効いてるかどうかは定かでなく、気休めかもしれませんが。
トカゲの尻尾切りからトンダ話になってしまいましたが、この辺で。
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