袖振れ合うも多生の縁328~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅱ)

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この写真は私が参加したありがとう禅ではありませんが、参禅したみんなが大きな楕円状の車座に座って始めました。最初は「ありがとう呼吸法」で、鼻から吸い胸に溜めてからお腹に落とす腹式呼吸ですが、私がずっとやっていた腹式呼吸は、鼻から吸いダイレクトにお腹に入れるやり方でした。でも女性の場合、自然にお腹に落とせず胸に溜めてしまうから、この方が良いのでしょうか。
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次は「感謝念仏」です。腹式呼吸をしながら吐く時に、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を大きな声で発声します。感謝念仏中は合掌瞑目し、お世話になった人のことを次々に思い起こし、感謝の念を捧げます。その時やや顔を上に向け、自分が光に包まれていることをイメージしながら朗々と唱えるのですが、他の人と息継ぎを合わせる必要はなく、自分のペースで悠然と称えると、それぞれが発する「あ・り・が・と・う」の音が重なりあい、途切れなく常に響きわたり倍音になるのが効果を高めるそうです。それから、眼は半眼が原則なものの、閉じても開けても構わないので半眼で始めましたが、知らず知らずの内に目を閉じていました。目を瞑っていた方が集中できるように思えたのです。
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感謝する人々の中に、憎たらしい人が浮かぶことがあれば、<赦す>という言葉を直ちに思い起こし、次に進みます。私の場合、政治家のAさんが浮かんできたので即<赦す>という言葉を思うと、Aさんの魂も本来は憎たらしいんじゃない・・・との想念が浮かびました。闇の無意識に閉ざされているAさんの心に、少しでも光の無意識が差し込むことがありますよう、唯々祈るばかりです。
それはさておき、「あ・り・が・と・う」の五音は宗教や民族を超えた素晴らしい言霊であり、みんなで唱えることにより生じる高周波音には癒しの効果がある為、念仏中自然に涙がこぼれてきたり、器楽の音や歌声が聞こえてきたりすることもあるそうです。
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次は「観音禅」です。やり方は感謝念仏とまったく同じですが、合掌でなく手を膝の上に置いて称えます。感謝の対象を思い想い起こさず、ひたすら音を観じながら、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音の中に自分を埋没させていくと、いつの間にか音の中に自分を忘れ、無我の境に浸れたように思えました。そして、ゆるやかな、やわらかな鉦の音が響き、次のステップに進みました。
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次は仰向けに寝ころび同じく、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を唱えます。
宗鳳師は立って称えながらみんなの間を歩かれるのですが、師が近づかれると、師の声が慈雨のように降り注いでくるのを感じました。心の渇いた、乾いた方にとってはまさに干天の慈雨ですね。
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そして宗鳳師は、この場の人々を涅槃の境地にいざなうかのように、光のエナジーに充ち満ちた、えも言えぬ響きの読経をなされたのです!私は今までこのよう素晴らしい読経を聞いたことがありませんでした。声明を称えるお坊さん達はとて良い声をなさっていますが、師の読経は単に声云々ではなく、言霊と音魂が完璧に融合している!と私には思えたのです。嗚呼、この読経に包まれただけでも参禅して良かった!
それから最後は、「感謝の呵々大笑」(これは私のネーミング)です。師の笑いに呼応して、或いは各人各様さまざまに腹の底から大声で笑い続けるのですが、これ又無になる貴重な時間でありました。
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処で、宗鳳師はWEBサイトで、人の心の奥底に眠る「無意識の力」に身を委ねれば、生きることはもっと気楽で創造的になると、<無意識の光>を提唱されておられます。
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では、無意識の力とはなんぞや!?
もう少し知りたくてPCを検索していますと、Kyosuke Kuwaharaなる方の<こころり中の「五重塔」>で下記のような図式を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
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普通五重塔は地上に五層積み上げられていますが、心の五重塔は地上1階地下2階なのです。シェアさせて頂いた図式の下の説明が上の図では少し読みにくいので、私なりに要約させて頂きますと・・・

1F:<自我意識>・・・色々な情報をキャッチして判断し、行動を決める。

B1:<潜在意識>・・・現実の体験から来る情報と無意識から湧き上がる記憶の交差点で、何となく感じている漠然とした状態。

B2:<個人無意識>・・・私たちが個人的に体験したことのすべての記憶、すべての出来事、そして過去世の体験も保存されている。

B3ー1:<闇の無意識>・・・個人を遙かに超えた先祖や民族・人類等、太古の記憶までも保存。飢餓・疫病・災害など否定的な記憶及び世界史に悪名を刻む悪果を生じる悪業の深淵。

B3ー2:<光の無意識>・・・無傷、無垢にして穢れ無き魂や真心、そして仏性が闇の莫大なエネルギーをも取り込み、深い闇夜の後に東の空から昇る太陽のような希望と喜び、長悦的多幸感をもたらす。


又<おばちゃんのお散歩>なるブログには、町田宗鳳さんのHPからのコピペと称して下記のような説明がありましたので、これ又シェアさせて頂きます。

人間性の核心には光の無意識(魂、仏性、聖霊、インナーチャイルド)という光の塊がありますが、それを通すレンズ(潜在意識)が歪んだり、曇ったりしていれば、現実というスクリーンに映し出される現象も激しく歪んでしまいます。従って潜在意識の歪みを是正し、それを磨いていけば、おのずから目の前に展開する現実は穏やかで幸福感に満ちたものに変化して来るのです。
「ありがとう禅」では、単に「ありがとう」と反復発声するだけで潜在意識の干渉がなくなり、顕在意識と光の無意識が直結する「精神統合」が可能となるのです。それが起きるのは、母音の共鳴音が超高周波の倍音を生み出し、それが骨伝導によって中枢脳を揺さぶり、脳波が顕著に変化するためです。
その微細振動が脳だけではなく全身の細胞に及ぶので、真剣に発声さえすれば、初心者でも短時間かつ確実に潜在意識のクリーニングが出来るのです。

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私は<ありがとう禅>をたった一回体験しただけなので、顕在意識と光の無意識が直結したかどうか定かではありません。しかし、他の座禅では色々な想念が次から次へと浮かんでくるのですが、一心に「あー、りー、がー、とー、うー」の五音と称えていると、妄想と言うべき想念は起こりませんでした。それだけは確かで、それだけでも凄い!と思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁327~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅰ)

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町田宗鳳さんのことは以前も書かせて頂きましたが、ご覧になっていない方や宗鳳師をご存じない方の為に師のプロフィールを再録致します。Webサイトによりますと・・・
1950年京都市で生まれ、幼少の頃キリスト教会に通う時期もあったが、ふとしたことから14歳で出家し、以来20年間京都の臨済宗大徳寺で修行したものの、34歳の時寺を離れ渡米し、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を修得。専門は比較宗教学・比較文明学。そして、1990 - 1998プリンストン大学東洋学部助教授、1998 - 2000国立シンガポール大学日本研究学科准教授、2001 - 2006東京外国語大学教授、2007 - 2016広島大学大学院総合科学研究科教授など日米の大学の他、東京大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、国連大学、聖心女子大学などでも教鞭をとり、 現在は退官し広島大学名誉教授。日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」、「ありがとう断食セミナー」(御殿場市)、および教養講座「そうほう塾」(東京)を開催、静岡県御殿場市に無宗派寺院「ありがとう寺」を建立。
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この3葉の写真は御殿場のありがとう寺ですが、今回<ありがとう禅>を行う<風の集い>が催されたのは茨木市にある茨木神社です。茨木までものぐさな私が行こうと思い立ったのは、予約する必要がなく、風のようにやって来、風のように去って行くという集いの趣旨が私向きと共感できたからです。しかしそれだけでなく、質問コーナーがあるならお聞きしたいことがあったのです。それは・・・
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悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で表した<十牛図>の最後、<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>とはどのような状態なのか質問したかったのです。と言いますのは数年前、夢の中で天空から「入鄽垂手!」という声が響いて来て目覚め、「そうか、俺はこの言葉のように今後生きたらえゝねんな・・・」と思ったのです。当時の私は<入鄽垂手>なんて言葉は知りませんでした。多分仏教用語やろ。PCで検索してもアカンやろから、図書館で仏教用語辞典でも引いてみるか・・・と思いつつもPCで検索すると、何と十牛図の十番目やったんです。<十牛図>は知っていましたが、<入鄽垂手>が悟りの到達すべき極致とは!
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オレ、修行なんて全然してえへんし、悟りのイロハのイにも至ってないのにどういうこっちゃろ???
因みに1から10まで、Wikipediaの解説をシェアさせて頂くと・・・

画像1.尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。




画像2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。






画像3.見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。







画像4.得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。






画像5.牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。





画像6.騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。





画像7.忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。






画像8.人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。





画像9.返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。






画像10.入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。





以上のような1~10の解説を見てみると、私の状況は良く言っても
2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
という程度でしょうね。ま、般若心経は高校生の頃から毎晩唱えてましたが・・・。<入鄽垂手>がこれからの自分の生き方と思ったのが大きな誤りで、<見跡>から<入鄽垂手>目指してじっくりと修行しなさいという指針が夢で示されたのかも・・・それとも前世で僧侶だったこともあるようですら、その時到達しなかった<入鄽垂手>に今生で至るべし!との教えなのか・・・とも思うのですが。
それは兎も角、風の集いの場に行ってみると、受付で名前を書くことすらなく、何処の誰か分からなくても良いのです。
そして、風の集いは、宗鳳師の講話から始まりました。
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お話は師がブログ「もう仮面を外しましょう」に書いておられたペルソナの話でした。師のブログを転載させて頂きますと・・・

ユング心理学では、「ペルソナ(仮面)」という重要な概念があります。
社会的動物である人間は自分の本音を隠し、社交性を維持するために、さまざまな仮面(建前)をつけて暮らしています。
しかし、その仮面が仮面であることを忘れてしまった時、大きな精神障害が生じます。現代日本人は明治維新で富国強兵のヨーロッパ的仮面をつけ、さらに敗戦で戦後民主主義というアメリカ的仮面を上乗してしまっています。
だから、すべてがうまく行かないのです。
いつ襲ってくるか分からない国家的危機に負けないためにも、このへんで二重の仮面を外す必要があります。
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                  カール・グスタフ・ユング

政治家や企業の社長、学識経験者や聖職者なども、その地位や職を全うする為に権威という仮面を被ることが多々ありますが、それ自体は致し方なくても仮面を被っていることを忘れて自分は権威ある人という認識に陥ると弊害が生じるので、気をつけたいものですね。大胆に要約させて頂くと、このようなお話でした。
そして質問コーナーにうつると、ある初老の男性が、「十牛図もそうでしょうね・・・」と尋ねました。師は「(十牛図の最後は)垂手は手を垂れてるから、(ペルソナは)離してますね」と答えられたのです。
( )内は私の補足ですが、師のこの一言で私が長い間拘っていた<入鄽垂手>への想いがストンと腑に落ちました!私が十牛図のどの境地にあるかは別にして、<入鄽垂手>の境地を生きるに於いて、<悟りを開いたら人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある>と常に意識して行動するのなら、入鄽垂手の仮面をつけていることになるのではないでしょうか。ですからその仮面を手放し、無意識にならないと・・・そう思った次第です。ま、元々大した修行はしていないのですから、十牛図や入鄽垂手のことなど忘れて無為自然に生きることに致します。
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あれ、前置きが結構長くなってしまいましたので、本編のありがとう禅については、又次回に。

袖振れ合うも多生の縁326~宇宙マッサージのプリミ恥部(チブ)さんが明日香でライヴを!

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写真はプリミ恥部(プリミチブ)さんですが、彼の本名は白井剛史(しらいたけし)さんで、1975年4月2日静岡県生まれの現在43歳です。「プリミ恥部とは作家・ダンサー・演出家の白井剛史による音楽プロジェクトの総称である」とFacebookに書かれていますが、最新の著書『愛を味方にする生き方』には宇宙LOVEアーティスト・歌手となっています。ところでプリミ恥部なんて一寸ドキッとする名前は、「原型、根源的な」という意味のプリミティブと「恥部」を掛け合わせ、「頭で考えたらとてもつけられないようなこの名前には、Loveが表れている」と彼は話しており、また「恥部を解禁し、魂の感じるままに生きる」ということを表現した名前であるそうです。それは兎も角、先週の木曜日、春分の日に明日香村で開かれたブリミ恥部さんの『ライブ&舞&宇宙マッサージ』なる催しに参加してきました。処で、私が白井剛史さんを知ったのは、彼の著書に出逢ったからなのです。
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この3冊がどんな内容なのかは又その内ご紹介させて頂きますが、ブリミ恥部さんは<宇宙とつながっている方>なのです。読後の感想は「ふーん、へえぇ・・・」でした。でも一寸興味があり、白井剛史/プリミ恥部なる人物を検索してみますと、彼のTwilogに出逢い、宇宙元年とか言われている日の前日に明日香の神奈備(かんなび)ホールでパフォーマンスされるのを知り、往復5時間かけ遙々のぞきに行ってみたのですが、本当にほんまのほんまに良かった!です。
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さて、かんなびホールは明日香村の健康福祉センターにある定員120名の講演会用小ホールで、第一印象は登り窯みたいや・・・ここでライブ???の思いがしたのですが、白井さんが登場しぼそぼそ喋り始めても舞台の地明かりはつけないし、客席の明かりも落とさないし、普通と反対なのです。些か呆気にとられていると客電は白井さん自らが操作して暗くなりましたが、舞台はそのままで会場横のカーテンに覆われた窓からの自然光と廊下に面した小窓から差し込む廊下の明かりだけという、何とも不思議な雰囲気でUFO形ミラーボールを回し始めたのです。
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そしてUFOと遭遇した話を少しされた後、歌に入りましたが、曲目を紹介するわけでもなく、ギターを爪弾きすっと歌い出したのです。地明かりなしの儘で、勿論ピンスポットが当たるわけもありません。白井剛史さんの話し声は少し低めですが、歌声は結構高くクリアで良い!のです。1、2曲歌ったかと思うと、「舞いたくなってきました。見ないで目をつぶって下さい。あ、でもお子さんははしゃいでいていいですよ。」との前置きがあったので、どんな舞をされるのか見たくて目をつぶらず子供でいよう・・・と思って見ていました。ごめんなさいね、プリミ恥部さん。すると、明日香村在住の自然音楽家MIROKUさんのCDが流れ、プリミ恥部さんは舞い始めた・・・と私は思ったのです。
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しかし、CDじゃなくMIROKUさんは床に座り込んで生演奏されていたとか。これは翌日のTwilogで知ったのです。
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私の席からはMIROKUさんの姿は全く見えませんでしたし、プリミ恥部さんからの紹介もなかったのです。フツーのライブなら考えられないことですが、<見る・見せる>ライブでなく、<感じる・感じて欲しい>ライブでしょうから、これで良いのダ! さてさて、MIROKUさんの宇宙空間に共鳴するような響きに合わせるようで、合わせるようでもなく、海の彼方から幸せを招くという、こねり手・・・ 沖縄のカチャーシーや阿波踊りの原型と言われている手振りを繰り返し、プリミ恥部さんは宇宙エネルギーを呼んでいると私には思えたのですが・・・。
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でも実際に宇宙エナジーがこの場に降り注いでいるのかどうか、私には感じられませんでした。この舞が30分弱あり再び歌へ。
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舞の前後の歌は明らかに違っていると私には感じられました。矢張り宇宙エナジーはこの場に降りていて、ブリミ恥部さんは宇宙のエネルギーを受け歌っているようで、こちらの胸に迫るものがあるのです!
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この歌コーナーも曲目紹介なしですし、会場が講演用の為か音響は余り良くなく、歌詞が聞き取れないのにも拘わらずぐんぐん惹き付けられて行ったのです。そしてその後は又、舞でした。今度は目をつぶり瞑想したのですが、あれこれ雑念が脳内を駆け回落ち着きません。座禅を組んだ時も雑念が湧き上がったら、そのままにすべしと言われているのを思い出し、雑念を放置しているといつの間にか両の掌に熱いエネルギーを感じていました。そうだ、これは矢張り宇宙エナジーだ!宇宙からのエネルギーが降り注いでいて、私はそれに感応している!掌は益々、もっともっと、どんどん熱くなり、じんじんする感じで宇宙からのエナジーを放出しているようです。そや このエネルギーをブリミ恥部さんにお返して彼の働きを少しでもサポート出来たらと、そうしたつもりですが、果たして届いたかどうかは分かりません・・・。
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この後、疲れも知らぬかのように歌い続けられたのです。先程より更に一段と宇宙エネルギーを受け、いえ降臨した宇宙エナジーと一体であるとひしひし感じられました。というのは、歌詞は余り聞き取れないから言葉としてのメッセージは分からないものの、所々耳に飛び込んでくる単語自体が言霊として私の、みんなの胸に心に響き、奏でられる音は音魂となり私のみんなの魂と共鳴していたのです! 特にラストソング、ア・カペラでの『愛の讃歌』は、今まで聞いたことの無い超感動ものでした!そもそも『愛の讃歌』って結婚式で歌われるようなほのぼのした内容じゃなく、神に背いても!という愛の怨念みたい歌詞なんです。因みに私が嘗て訳詞したのを掲載してみますと・・・

 ♪貴男に愛されりゃ 神様も怖くない
  地獄にだって行くわ 悪魔も畏れずに
  貴男とナニすると 私は昇り詰め
  宇宙の涯から この世を見下げるの
  貴男が言うなら何でもやるわよ 罪さえ犯す
  友達裏切り盗みを働き 人さえ殺すわ
  大地が抜けても大空落ちても 驚きゃしない
  祖国を捨ててアカにもなるわ 言われる儘に


『愛の讃歌』は題名の響きとは裏腹に、斯くの如く凄まじくネガティブな怨念を引き起こす性欲そのものともいうべき性愛の歌ですが、プリミ恥部さんは宇宙に充ち満ちてとめどなく降り注ぐ愛を全身全霊に受け、『愛の讃歌』をタイトルに相応しいポジティブなアガペの歌に変容させ、朗々と高々と滔々と、宇宙の涯に届くばかりに歌い上げたのです!!!

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そして最後は宇宙マッサージをみんなに施されるのですが、定員120人の会場に詰めかけた150名以上の人たち殆どがマッサージ希望で舞台へ押しかけたのです。
こら大変や、なんぼ宇宙のエナジー貰ろてても、プリミ恥部さん疲れてしまうわ・・・と思ったので参加者中多分最年長の喜寿を迎えた私は遠慮し、熱い想いをかみしめながら明日香路を散策しつつ帰路についたのであります。

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袖振れ合うも多生の縁325~「3月のライオン」って不思議な題名ですが、その由来は!?

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先日TVで放映された『3月のライオン』を見ましたが、何故見る気になったかというと、『3月のライオン』て不思議なタイトルやなあ・・・と思ったから、唯それだけの理由からなのです。何しろワタシは漫画音痴ですから、この映画の原作が羽海野チカ(うみのちか)さんのコミックで、アニメにもなっていたなんて全く知りませんでした。でも見て良かった!
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この作品は、15歳でプロ棋士になった桐山零と彼を取り巻く人々の日常や成長を描いた将棋の世界を舞台にしているのですが、将棋についてはほとんど知らないワタシでも興味深く引き込まれたのです。そんな訳で『3月のライオン』について色々検索していると、<かみろぐ!>なるブログにコミックのャラクターとその役に扮する俳優さんの写真を対比させているのを見付けました。これが結構面白いので、画像を少し転載させて頂きます。コミックの登場人物と映画出演者が良く似ている、いえ、コミック愛読者のイメージを損なわないように俳優さん達が原作漫画のキャラに似通うように創意工夫されたのでしょう。

画像画像左は主人公の桐谷零。幼い時事故で両親を亡くし、父の友人の棋士幸田柾近に引き取られ弟子入りするが、棋士を目指す実娘の香子より才能がある為軋轢が生じ、一人暮らしを始める。高校に進学するも棋士の成績は低迷。そんな時、川本家3姉妹と出会い、次女ひなたを意識し始める。右は零役の神木隆之介さん。


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上左は、零がひそかに想いを寄せている川本ひなた。右はひなた役の清原果那さん。彼女は2000年大阪生まれで現在19歳ですが、私は彼女の女優デビュー作、NHK2015年下半期朝ドラ「あさが来た」の女中ふゆ役から注目していて、この子は絶対売れると思っていました。
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このドラマで、ふゆは中番頭さん(三宅弘城)と結婚し、夫を支えるしっかり者の妻を演じたのですが、この時なんと15歳!と知ってびっくり仰天でした。上の写真では年相応というか、15才に見えますが画面を通して見ると、とても15才の演技とは思えませんでした。
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その翌年にはNHK大河ファンタジー「精霊の守り人」で綾瀬はるかさんの少女期を、2018年には同局の「透明なゆりかご」で主演・青田アオイ役を、と順風満帆な女優の道を歩み続けています。
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「透明なゆりかご」の役は、産婦人科でバイトする看護学生で、堕胎など出産にまつわり揺れる繊細な女心を的確に演じていましたので、ワタシはこの人、将来はどんな凄い女優さんになるんやろか・・・と戦慄しつつも楽しみにしているのであります。映画作品も、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(2016年12月17日公開、東宝)の福寿愛美(中学時代)、「3月のライオン 前編 / 後編」(2017年3月18日公開 / 4月22日公開、アスミック・エース・REBOOT)の川本ひなた、「ユリゴコロ」(2017年9月23日公開、東映・日活)の美紗子(中学生時代)・「ちはやふる -結び-」(2018年3月17日公開、東宝)の我妻伊織。
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そして「愛唄 -約束のナクヒト-」(2019年1月25日公開、東映)ヒロイン伊藤凪。
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更に「デイアンドナイト」(2019年1月26日公開、NIKKATSU)のヒロイン大野奈々など。
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ヒロインの少女期役からヒロイン役へと着実に歩み続けているようです。
あ、清原果那さんについてのコメントが長くなりましたので、次に進めましょう。

画像画像左は桐山零の義父で師匠の幸田柾近。彼は零の父親の友人で、昔から零の才能に気付いていたのです。零より少し年上である幸田の娘香子は、幸田が将棋の才あれとの願いを込め名付けたからか、父の願望通り棋士を目指すものの、引き取った零が香子の実力を抜き去り、家庭内の不和となるだけでなく、香子は妻が病がちな後藤9段と不倫に陥るのです。右は幸田役の豊川悦司さん。
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香子は義理の弟である零に、後藤との不倫を止めるよう懇願されるものの、意地になって益々深みにはまり、溺れるかのように、後藤にのめり込んでいくのですが、果たして・・・



右は香子(きょうこ)役の有村架純さん。不倫に走る役ですが、汚れの見えない彼女のお芝居が救いです。画像画像





左は後藤正宗。
後藤は桐山零に、香子との関係を止めるよう迫られるが聞く耳持たず、零と対局前であったので、「俺に勝ったら別れてやる。でもな、勝てるわけないよな。」とあざ笑うのです。
零は義姉の為にも絶対勝ってやる!と決意するが、あえなく敗北・・・。
右は後藤9段役の伊藤英明さん。
英明さんのふてぶてしい演技が良いですね。

この映画では、勝負がつき敗者が投了する時、「負けました・・・」と必ず言っているのですが、ほんまにそない言うんやろか? とふと思い調べてみますと、
<自分の手番で「負けました」等と発声するか、頭を下げて駒台に手を置くことによって投了の意思を表示することができる>とWikipediaに書いてありました。
閑話休題。
零は義父且つ師匠の幸田と対局して打ち破り、更なる飛躍を求め島田研究会に入るのですが、その主催者島田開8段に佐々木蔵之介さん。
零の高校で彼をバックアップしてくれる林田高志先生に高橋一生さん。
川本ひなたの姉川本あかりに倉科カナさん。
ひなたの妹川本モモに新津ちせちゃん。
3姉妹のお爺ちゃん相米二に前田吟さん。
零は多くの人たちに見守られて成長していくのですが、この映画も主役神木隆之介さんを支えるバイプレーヤーさんたちにより支えられているのです。
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「コミックのキャラクターとその役に扮する俳優さんが似てるのはわかったけど、タイトルの『3月のライオン』てどないな意味なんか、早よ書かんかい!」
「あ、そやそや忘れてましたわ。ではでは最後にそれを。」
という訳で、コミックのサブタイトルに書かれている英題は「「March comes in like a lion」ですが、これはイギリスの天気に関する諺「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」から取られているのです。荒々しい天気から段々と穏やかになる3月の気候を表しているこの諺を、コミック作者の羽海野チカは、「物語が作れそうな言葉」だと感じたとか。又、コミックの監修を務めた棋士の先崎学は、「昇級は6月、降級をかけた最終局は3月に行われるため、3月は棋士がライオンになる」と語っています。「3月のライオン」は苦しい道を歩いていく棋士の戦う姿を象徴するタイトルなのです。
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ところで今年、関西地方の3月はライオンのようにはやって来なかったと思いますが、果たして子羊のように去っていくのでしょうか。
ながながとお疲れ様でした。

袖振れ合うも多生の縁324~「題名のない音楽会」って本編にCMがないんですよ!~

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今回も「題名のない音楽会」についてですが、私が特筆したいのは番組中にCMがないことです!これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三が「芸術には中断はない」と考えていることからだそうで、このため冒頭とエンディングにはCMを流していますが、本編はCMなしで放送されています。これって暖かな心遣いですね。最近ドラマを見ていると、ドラマの出演者がCMにも出ているので、ドラマ本編かCMか紛らわしいのが時々ありますよね。録画して見る人がCMを早送りしとばさない為にやっているのかも知れませんが、そんなあざといと私には思える遣り口だと、早送りせずちゃんとCMを見ても効果があるんかいな?と訝ってしまいますが・・・それは兎も角、私は「出光さん、おおきにありがとさん」と思いながら見てますわ。そやけどワタシはクルマを運転せえへんから、ガソリン使いませんねん。愛想なしでスンマセン。
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さて、話を「題名・・・」に戻しますと、本編の多彩な素晴らしい演奏や楽曲の解説もさりながら、エンディングCMの後のMESSAGE~偉人たちが残した言葉~にも注目しています。例えば・・・
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オノ・ヨーコさんの「ひとりで見る夢は夢でしかないが、だれかとともに見る夢は現実だ」
私はオノ・ヨーコさんや世界中の人々と地球が平和になる夢を見たいですね!この国が<戦争のできる国>から<戦争をしたい国>、更に<戦争のしたくて堪らない国>にならない為に。
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童話作家アンデルセンの「言葉でうまく伝えられなくても、音楽なら伝えられる」
このアンデルセンの言葉と同じニュアンス、いえもっと深い言葉を古代ギリシャの哲学者ソクラテスは残しています。
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「音楽だけが魂の奥深くまで入ることができる」
このソクラテスの言葉とアンデルセンの言葉に触発されて、ストレートプレイのお芝居を書いていた私はミュージカルに転身したのです。
それから次のユーミンの言葉にも、「そや、そや、そうや!」と意を強くしているワタシなのです。
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松任谷由実さんの「私の目標は自分のつくった歌が<詠み人知らず>になること」
詠み人知らずって良いですね。実はワタシ、高校時代に作った歌詞が誰の作詞か分からず広まったことがあるんですよ。<やめちまえ節>という歌がありますね。アメリカ民謡『リパブリック讃歌』のメロディで歌われる『おたまじゃくしはカエルの子(お玉杓子は蛙の子)』の節で歌われる替え歌です。
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♪孔子や孟子が酒飲んで 一杯気分でくだまいた 論語や孟子がわかるけえ 嫌な漢文やめちまえ♪
♪アリストテレスやシムソンが どたまををひねった問題が どうしておいらに分かるかえ 嫌な数学やめちまえ!♪

なんて高校生が怒鳴るようにダミ声で咆哮するが如く歌ったストレス発散の曲ですが、色々な教科の歌詞を書いて同窓生たちと遠足のバスの中で歌いまくり楽しんでいたのです。
♪この寒空に上着脱ぎ 腹の減るのに歩かされ ルンペン修行じゃあるまいし 嫌な体操やめちまえ♪
♪東大京大一橋 勉強勉強で青瓢箪 イチャイチャする間もありません 嫌な大学やろちまえ♪

等々。これを聞いた担任のKセンセイは真面目くさって、「大学が無くなったらキミらすることのうて困るやろ。そやからそんな歌、歌うたらイカン」とのたもうてましたが、大学が無くなったら受験校教師の方が困りますわな。
それはさておき、上記の他色々作ったのですが、ある時某ラジオ局の深夜番組でリスナーの高校生の投稿が読まれ、上記の歌詞がその子の高校で流行ってるとか。それ聞いた時、なんか嬉しかったのを覚えています、ハイ。
しかしもう少し高尚な歌で詠み人知らずになれたらよかったのですが・・・。
ではでは。 

袖振れ合うも多生の縁323~「題名のない音楽会」って古くて新しい番組ですよね!~

私は昨年に引き続き今もクラシック音楽浸りになっています。という訳で、今回は1964年スタートし50年以上も続いている超長寿番組「題名のない音楽会」です。私はこの番組を初代司会者の黛敏郎さんがやっている頃は見ていたのですが、いつからか見なくなっていました。でも昨年半ばからクラシックにUターンし、毎週鑑賞しています。
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処でWikipediaによりますと、1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られ苦境に陥っていた東京交響楽団に活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まり、当初の司会は作曲家の黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートしたとか。
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その後東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮の影響で放送継続が困難になり、「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍先を探したのです。番組提供スポンサーの出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針で、「優良スポンサーつきの番組ですから、是非放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたのですが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり]、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートしたのです。「題名のない音楽会」歴代の司会者は、故黛敏郎さん、故永六輔さん、武田鉄矢さん、故羽田健太郎さん、佐渡裕さん、五嶋龍さん、そして現司会者のミュージカル俳優石丸幹二と7代に及んでいます。(因みに現アシスタントはテレ朝アナの松尾由美子さんです)亡くなられた方が3人いらっしゃるのも番組の長寿を物語っていますよね。
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50周年記念の写真に司会者として永六輔さんが写っていませんが、永さんは黛さんが急逝され4ヶ月足らず代理司会者をされただけなので、正式司会者ではないそうです。処で、この番組のゲスト主演者の中で最近凄いと思ったのは2CELLOSです。
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“2本のチェロでロックする”2CELLOSは、クロアチア出身のルカ・スーリッチとステファン・ハウザーによるチェロ・デュオで、クラシック界で将来を有望視されていた2人が偶然留学先のロンドンで再会し、2011年1月マイケル・ジャクソンの「スムーズ・クリミナル」をカバーした演奏映像をYouTubeにアップしたところ、無名のチェリスト2人による超絶・情熱のパフォーマンス映像は瞬時に世界中で話題となりCDデビューとなったのです。全米クラシカル・クロスオーヴァー・チャートとアマゾンUSクラシカル・チャートで1位を記録した超絶チェロ×渾身のパフォーマンスは更なる進化を遂げ、今やNYラジオシティ・ミュージックホール、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール等世界各地でソールド・アウト公演を行っているとか。上の写真はロックする2CELLOSですが、「題名の・・・」では、♪1:「スムーズ・クリミナル」、♪2:「ムーン・リヴァー」、♪3:「ヴィヴァルディ・ストーム」、♪4:「パイレーツ・オブ・カリビアン」、♪5:「ハレルヤ」などを演奏してくれましたが、トーキョー スター オーケストラ ヴィルトゥオーソとのクラシック曲演奏も素晴らしいものでした!(写真下)
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処で昨年11月19日には、日本武道館公演もありましたし、5枚目の最新アルバム『レット・ゼア・ビー・チェロ~チェロ魂~』も10月17日に日本先行で発売されているんです。
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因みに今、私は2CELLOSのCDを聴きながら、このブログを書いているので、気持ちが2CELLOSの演奏に惹き付けられ筆が、いえキーボードを叩く手が止まりがちなのです。ですから、ここらで終わりたいと思います。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁322~大祓祝詞と般若心経がワタシの心の安らぎなのです!

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    (上の写真は空海・橘逸勢と共に日本三筆である嵯峨天皇の写経)

大祓祝詞と般若心経について書き始めようとしたところ、ふと以前ブログで取り上げたのでは・・・と思い、サイト内検索したら、2016年の4月9日に公開していましたので、その一部をコピペ致します。
般若心経は中学生の頃、何を思ってか、母親が私に毎晩唱えて欲しいと言ったのです。お寺の小僧でもないのに「ふん。えゝよ。」と何故か返事し、以来毎晩就寝前に唱えていますから、もうかれこれ50年になるでしょうか。この般若心経についての想い出は、確か以前に書いたと思いますが、幼児の頃母方の祖母の家で遊んでいたら、お婆ちゃんが仏壇に向かってお経を上げていたのです。聞くともなしに聞いていると、「ギャーテーギャーテーハラギャーテーハラソウギャーテーポジソワカ」という謎のような意味不明の文句が耳に残り、その文句はずっとアタマに残り続け、これって一体何やろ?不思議な言葉やなあ・・・といつも思っていましたが、いつの頃だったかそれが般若心経の真言であると分かったのです。その後演劇の世界に身を投じ、OSKで演出するようになり、薬師寺の玄奘三蔵院落慶法要記念公演として、「SANZO」をやらせて頂きました。
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そして打ち上げの宴席で薬師寺の管長であられた高田好胤さんにその話をすると、「えゝ、話ですなあ。」と喜んで下さいました。
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そうそう、今思い出しましたが、その時のOSKの社長などは抹香臭い作品やと仰っていたのですが、その公演を小学校6年生の女の子が見て何処が気に入ったのか、OSKに入ろうと思ったそうです。この女の子は夢乃さよさんなのです。

こんなブログを以前書いていたんですね。それはさておき、今回般若心経の画像を検索していたら色んな写真がありました。上から、梵字の般若心経・玄奘三蔵が漢訳したものの拓本・英語版・字の読めない人の為の絵文字般若心経、そして何と刺青にしてるヒトもいるんですね。この方って矢張りやーさんなのかな?
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それから、下の写真の卒塔婆みたいな板が林立しているのは、香港のランタオ島の心経簡林(wisdom path)という般若心経が彫られた柱で、全部で38本あり、それぞれに般若心経が彫られています。その柱が「空」を意味する八の字に並べられているのは、風水上の理由からと言われているそうですが、別の説では無限大のマーク状に立てられているとも言われてます。私は2度香港に行ったのですが、残念ながら見ていません。
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さて、般若心経はこの辺にして、大祓えについて以前のブログではどない書いてましたかな?
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大祓えの祝詞は、昨年春から古神道の勉強をするようになり、祝詞の大本とも言える<大祓詞>の事を知り、外科医にして春日大社の神官であられた葉室頼昭さんのCDブックに出逢ったのです。そして気が付くと毎朝唱えていました。
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葉室さんは2009年にお亡くなりになりましたが、葉室さんや春日大社の神職さん達に合わせて毎朝唱えていますが、清々しくてなかなかえゝもんですよ。ところで、大祓えは何を払うのかと言えば、罪・穢れです。抑も人の心の内には神が宿っていて浄いものですが、その浄らかなものを包み隠してしまうのが罪、
<つつみかくす>が<罪>
の語源であり、包み隠すことにより本来の浄らかな<気>が<枯れる>ことが<穢れ>なのです。
それから英語の罪、<SIN>の語源は矢が的を外れるという意味だそうで、弓道では矢を射る瞬間に当てようとする己の気持ち、我欲が入ると外れるとか。キリスト教では人間は生まれながらの罪、原罪を背負っているということになっていますが、イエス・キリストは、<人は皆、神の子である>と言っているのです。人間の性は本来善と私は思っています。でもしかし、日々俗世にまみれていると、罪を犯し穢れてしまうのは致し方ない事なのでしょう。ですから心の平安を保つ為、心が安らかになるよう、浄め祓うのでしょう。私は毎朝罪や穢れを祓うつもりで、大祓祝詞を唱えているのではないんですが、その日によって声の調子は微妙に違い、自分で納得できる日や、いまいちやったなぁ・・・と思う日などがあったりして、健康のバロメーター、いや、身体もさることながら、矢張り心の平安、安らぎの様が表れてくるのでしょうか。


大祓祝詞については、こんなとを書いていたんですね。大祓祝詞を称え出した頃と今と少し違っているのは、最初の頃は称えると清々しい気持ちになっていた、いや、今でも清々しいのに変わりはないのですが4年間毎朝、つまり1500回近くやってますと、10分位の詞を自然に覚えてしまい、春日大社神官の皆さん声に従い独りでに、意識しなくても勝手に口をついて詞が出てくるようになっています。こういう状態を神道では何というのか知りませんが、天空にまします神々の声に導かれて和しているような感覚になることもあるのです。仏教(浄土宗)でいうところの<聞名(もんみょう)>とは違うのでしょうか?ところで抑も<聞名>とは何やったかいな?分からん時はすぐ調べる癖なので早速検索した結果・・・
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『無量寿経』(下)に「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」とあり、意味は「阿弥陀仏の本願の力は、み仏の名を聞いて往生したいと思えば浄土に往生できる」という意味である。との一文を見つけましたが、<称名(しょうみょう)>でなく何故<聞名>で救われるのか?称名とは「仏・菩薩の名を称えること、特に阿弥陀仏の名号である南無阿弥陀仏を称えること」ですよね。御仏の名を称えると救われるというのは、法然上人や親鸞上人の説かれた教えで分かるのですが、御仏の名を聞くと往生できるというのは??? ようわからんわ・・・腑に落ちないので、もう少し調べてみますと・・・当初は御仏の御名を呼ぶのは失礼になると考えられたからだとか。お経を称える時、一般庶民、衆生は御仏の名を呼ぶことなく、他の仏様方が仏を称えるのを聞く、つまり聞名でよいとされていたのだそうです。ま、何とはなしに<称名>と<聞名>の違いは分かったのですが、私が大祓祝詞を称えていると、時々感じる心持ちとは些か異なるようです。それは兎も角、大祓祝詞の原文となる典型は平安時代(794~1192年 鳴くよ鶯平安京て覚えましたよね)に編纂された「延喜式」に「六月晦大祓」として入っているように、千年も前から伝わっているのです。
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大祓詞は日本人が古来から持つ考え方の「穢れ」「罪」を祓う祝詞であり、言葉には霊力、「言霊」が宿ると言われています。そのお陰なのか、喜寿を迎える私は無病息災、血圧60~120台、ピロリ菌なし、血液検査数値オールセーフのパーフェクトに近い健康状態なのです!
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袖振れ合うも多生の縁321~明後日25日の世界平和念仏の日に、お十念を!

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この写真は浄土宗総本山の知恩院です。知恩院は京都府京都市東山区にある寺院で、正式名称は「華頂山 知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)」と言い、京都の人々の多くは「ちおいんさん」「ちよいんさん」と親しみを込めて呼んでいるそうです。それはさておき、浄土宗では平成15年1月より、宗祖法然上人のご命日である25日を「世界平和念仏の日」と定め、法然上人のお亡くなりになられた正午に、お十念をとなえる運動を展開しています。これは、すべての人の幸福と世界の平和を願い、一人ひとりが安心して暮らせる明るい社会になるよう祈念するものです。
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この世界平和念仏の日については、以前ブログに書いたことがあるので、それをコピペしますと・・・

世界念仏平和の日は、法然上人の祥月命日が25日なので、毎月この日の正午に戦争が無くなるよう祈ろうと、法然上人が開祖の浄土宗が提唱してるのです。私の家は親父の代迄浄土真宗が宗旨で、私自身は仏教のどの宗派、いえ、仏教だけでなくキリスト教も近しいですし、今はイスラム教も勉強中なのですが、25日お昼には私なりに平和を祈りたいと思っています。

でもお十念を唱えるとは書かなかったし、「お十念」とは何かご存じない方もいらっしゃると思いますので、再び取り上げさせて頂いた次第です。
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「お十念」とは何かをPCで検索してみますと、お念仏を称える作法であり、称え方は「なむあみだぶ」と4遍称え、息を継いでもう4遍称える。そしてもう一度息を継いで9遍目だけ「なむあみだぶつ」と発声し、最後の10遍目は「なーむあみだぶ」とゆっくりお称えしながら頭を下げると説明されていました。しかし、別の唱え方もあるようです。
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一息で「なむあみだぶ」を8回称えるのは出来ない人もあるでしょうね。だから4遍で息継ぎするやり方になったのでしょうか。それとも本来4遍称えて息継ぎするのに、肺活量大のヒトが8回称えたのでしょうか。ま、どっちゃでもえゝですけどね。

因みにワタシは朝大祓祝詞を、夜寝る前に般若心経を称えて数十年になるでしょうか、これが私の心の安らぎのもとなんです、ハイ。
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     (上の写真は画家森田明子さんが描かれた紋様色彩画の大祓祝詞)
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処で、大祓詞(おおはらえことば)とは、神道の神様に奏上する祝詞の中の一つで・・・あ、話がお十念から外れて行きそうですので、今回はこの辺りで。合掌。
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袖振れ合うも多生の縁320~女優武井咲(タケイエミ)と関取阿武咲(オウノショ)のカンケーは!?

今回のブログは武井咲(たけいえみ)さんと阿武咲(おうのしょう)さんのカンケーは・・・なんてタイトルになっていますが、書きたかったのは漢字<笑>と<咲>のカンケーについてなんです。こう思い立ったのは、絵描きサリーさんの2019年2月のカレンダーに描かれた咲く花々が、まるで笑っているように見えたからです。そして前回、そのことを書く為にサリーさんの詩と絵をシェアさせて頂きましたが、今日彼女のブログをよくよく見ると下記のように転載禁止と明記されていました。ワタシとしたことが、よく調べずにシェアしてしまい大変失礼致しました。という訳で、前回のプログは直ちに削除致しましたのでお許し下さいますよう。

※転載禁止※
恐れ入りますが
当ブログ掲載画像や文章、詩の引用、
二次使用はご遠慮下さいませ。


さて、<笑>と<咲>についてPCで色々検索してみたところ、田川吾郎さんという書家の方のブログにこんなことが書いてありました。
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古くは「ほほ笑む」ことと「花が咲く」ことはともに同じ言葉、「えむ」と表現されていたそうです。ほほ笑みをあらわす「えむ」という言葉を、比喩的につぼみが開く様子と重ねあわせたのが起源だとか。漢字はあくまで大和言葉の「えむ、えみ」に後からあてたものですが、確かによく見れば「咲」という字は、口へんに「笑」の略字を合わせた字。今の日本では「咲」を「笑」と同義では使いませんが、漢字の本家中国では今でも「笑」の意味で使われているそうです。女優の武井咲さんの「咲(えみ)」という名前はこのエピソードから名づけられたとか。
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あ、武井咲さんて某ルーペのCMでクラブのママをやってるヒトですよね。
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処で、『大漢和辞典』(諸橋轍次)を見ると、「咲」は元々「笑」と同じ文字であると書かれています。
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【笑】
(一)わらふ。(ニ)花さく。
『大漢和辞典 巻八』(諸橋轍次, 大修館書店) p.748より
【咲】
わらふ。笑の古字。
[邦]さく。花の蕾が開く。
『大漢和辞典 巻二』(諸橋轍次, 大修館書店) p.991より

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次に、漢文学者で漢字の生い立ちと背景研究の第一人者でいらっしゃる白川静(しらかわしずか)先生によりますと、<笑>は、「象形文字で巫女が両手をあげ、身をくねらせて舞いおどる形。神に訴えようとするとき、笑いながらおどり、神を楽しませようとする様子を<笑>と言い、“わらう、ほほえむ” の意味となる」。そして<咲>は、「形声文字。关は人が両手をあげている形で、笑い興ずる姿である。咲は古い用例はなく、もとの字は笑で、“わらう” の意味であった。花がひらくことを、古くは花開(さ)くと言ったが、花咲くのように“さく”の意味に使うようになったのは、花の開く様子を人の口もとのほころびる様子に例えたのであろう」と解字されています。
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巫女さんが神に訴える時、笑いながら踊るのかどうか、これは一寸調べてみたいと思いますが、<笑>と<咲>のカンケーが何となく分かったような、分からないような気分です。
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次は阿武咲ですが、この字を『おうのしょう』と読むのって、難しいですよね。因みに、阿武咲関の本名は<打越奎也>、『うてつふみや』と読むらしいですが、こちらも難しい!ですよね。そして 『奎』の意味は?何と何と、<二十八宿の一。西方の第一宿。アンドロメダ座から魚座にまたがる一六星をさす。とかきぼし。奎宿。>とか。もしかして阿武咲関は宇宙人?それは兎も角、『阿武』は親方の阿武松親方から頂いたものです。
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そして『咲』は武井咲さんの『咲』から・・・んな訳ないやろ!『咲』は地元の恩師中泊道場監督小山内誠さんが「土俵の上で花が咲くように」と願っておられるので、『咲』を頂いたとか。画像画像





































いずれにしても、武井咲さんと阿武咲さん、えみさんとしょうさんはムカンケーというカンケーなのであります。そんなん初めからから分かっとるわ!
ハイ、お疲れ様でした。



袖振れ合うも多生の縁~318~「お経は坊さんに頼まなくても自分で読めばよい」と法然上人が・・・!!

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先日「百四十五箇条問答(いっぴゃくしじゅうごかじょうもんどうしゅう)」を読みました。この問答集の背景を簡単に書きますと、仏教が日本に伝来した当初は貴族や学問僧だけのもので、仏教が本当に民衆化し人々心の支えになったのは鎌倉時代だったと言われています。その先駆けとなったのは浄土宗の開祖法然上人で、当時多くの人は字を読むこともできず、仏教の難しい教義を理解することもできませんでしたし、様々な迷信や因習にとらわれ意味のない女性差別やタブーが横行していました。そんな状況の中で、人々は本当の救いがどこにあるのかと悩んでおり、その悩みや疑問に法然上人が答えた問答集が『一百四十五箇条問答』なのです。
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上記写真はちくま学芸文庫から出版されているものですが、その138Pに問答の四七:
一つ、経をば僧に受け候べきか。答う、我と読みつべくば僧に受けずとも。
と書かれています。そして著者の石上善應さんは、こう訳しておられます。
「お経は、僧侶から教えを受けるべきでしょうか」「お答えします。自分で読むことができそうならば、僧から教えてもらわなくても」
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Wikipediaによりますと、石上善應(いしがみ ぜんのう 1929年-)さんは日本の仏教学者で大正大学名誉教授、前淑徳短期大学学長にして浄土宗僧侶であられる由。ですから現在の仏教界では、問答四七の解釈はこのようになっているのでしょうか?でもしかし、このブログの前回に書かせて頂いた町田宗鳳さんはご著書「あなたを救う法然の言葉」(多分この本だったと思いますが違っていたらごめんなさい)でこう訳しておられます。
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「お経は僧侶にあげてもらわないといけないのでしょうか?」
「いえ自分で読めるなら自身であげればよいのです。」

「経をば僧に受け候べきか」の「受け」を素直に受け取ると、「お経の教えを受ける」でなく、「お経をあげて貰う」と読めるのです!ですから、「答う、我と読みつべくば僧に受けずとも」は「僧からお経の教えてもらわなくても」じゃなく、「お経をあげてもらわなくても」「自身であげれば良い」と読めるのです。
いや、それ以外に解釈するのは無理なんじゃないでしょうか。
そやけど、そやけどですね、
「坊さんにあげてもらわんでもえゝ」
「自分であげたらえゝ」

なんこと法然上人が宣うたとなると、お寺さんは商売あがったりですわな。
しかし私は思うのです。読経だけやのうて、有り難い!と受ける人が感じるようなお説教しはったらえゝののに・・・と思ってしまうのですが、私の実家に来てはったお住さんなんかは全くの上から目線で、本来の「経を説く」お説教やのうて、お小言的なお説教ばかりで、私は辟易してましたです、ハイ。
あらら、実家の檀那寺の愚痴になってきましたので、この辺で。合掌。
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袖振れ合うも多生の縁317~町田宗鳳さんとの出逢いは私の人生の節目になるかも?~

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去年の秋、町田宗鳳(まちだそおう)さんと出逢い、と言っても著書に親しませて貰っただけですが、ご覧のような宗鳳さんの本を読破しました。画像画像画像画像画像画像画像画像
宗鳳さんのプロフィールですが、Webサイトによりますと・・・
1950年京都市で生まれ、幼少の頃キリスト教会に通う時期もあったが、ふとしたことから14歳で出家し、以来20年間京都の臨済宗大徳寺で修行したものの、34歳の時寺を離れ渡米し、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を修得された由。専門は比較宗教学・比較文明学だとか。
そして、1990 - 1998プリンストン大学東洋学部助教授、1998 - 2000国立シンガポール大学日本研究学科准教授、2001 - 2006東京外国語大学教授、2007 - 2016広島大学大学院総合科学研究科教授など日米の大学の他、東京大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、国連大学、聖心女子大学などでも教鞭をとられたのです。
現在は退官され広島大学名誉教授であられますが、日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」、「ありがとう断食セミナー」(御殿場市)、および教養講座「そうほう塾」(東京)を開催、静岡県御殿場市に無宗派寺院「ありがとう寺」を建立されています。
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ありがとう寺については又別の機会にふれさせて頂きますが、私は宗鳳さんの初めて書かれた小説「法然の涙」に心を奪われました。
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HP「講談社BOOK倶楽部」によりますと粗筋は・・・

法然は、平安末期から鎌倉初期にかけての混迷する時代、「寒湿貧」の叡山で学問研鑽に努め、専修念仏を追究しますが飽きたらず、さらに苦難な道を選びます。それは、戦乱に翻弄されて苦しむ人たちの中に入りこみ「癒しと救い」の光を老若男女・貴賤の別なく与える道でした。後世に名を残す弟子たちを育て、多くの人たちに愛されて亡くなるまでの、法然上人の一生を描いています。

それから著者のメッセージは・・・

宗教の本質というのは、学問的な研究書ではとうてい描き切れない。なぜなら歴史的文献に記されていないことを憶測してしまっては、科学的研究として成立しないからだ。
そもそも宗教とは、人間の想像力の所産に過ぎない。だから、その核心を掴みたければ、同じ生身をもつ人間として想像力を駆使していくよりほかない。となれば、フィクションこそが宗教の核心に迫るベストな表現手段ということになる。
今まで私は、十二世紀という乱世に生きた宗教家・法然の思想を客観分析し、それを思想史上に位置づけることに、比較宗教学者としての使命を感じてきた。
しかしいつからか、法然という一人の男の中に飛び込んで、彼の眼から世界を見渡してみたいという衝動に駆られるようになった。そういう思いで書き下ろしたのが、小説『法然の涙』である。
なぜ涙なのか。それは、過酷な人生が人間の眼から絞り出す血の涙と、その過酷さを生き抜いた先に見えてくる仏の光が人間の眼に溢れさせる歓喜の涙の双方を描きたかったからである。


<フィクションこそが宗教の核心に迫るベストな表現手段>と宗鳳さんは仰っていますが、長年舞台ドラマという虚構世界を描き続けてた私は、「そやそや、近松はんも言うてはるように、虚実皮膜こそ真実に迫る近道なんや!」と我が意を得たりの思いなのであります。それに宗鳳さんの文章には、私の書く台詞と同じようなリズム感が溢れていて、宗鳳さんはきっと口中で呟きながら書かれたのではないかと思っています。そんなこんなで、宗鳳さんのWebサイトを見ていると、ありがとう禅「風の集い」について記されていました。
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「風の集い」は組織ではありませんので、風のように来て、風のように去って下さることを趣旨としているとか。聖書の「風」という言葉はプネウマ(聖霊)を意味し、宗鳳の「鳳」にも「風」という意味があり、「風の集い」は、自分の中の魂と対話する場だそうですが、この集いにどこからともなく心地よい風が、そよそよと吹いてくることを私は祈っています。

風のように来て、風のように去っていく・・・なんてワタシの好みにぴったしなんで、春風のそよ吹く頃に茨木神社で催される「風の集い」をふらっと覗いてみようと思っております。
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ではでは。

袖振れ合うも多生の縁316~山岳写真家でもあるポーマンさん、熊に遭遇、あわや!?~

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3回にわたってご紹介させて頂いているチェリストにして宣教師のベアンテ・ポーマンさんは山岳写真家でもあられ、下の写真はポーマンさんの山岳写真です。
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さて、昨年のクリスマス・イブ・コンサートで、苗場山の撮影時、下山途中に熊と遭遇した話をされていました。
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苗場ってスキー場で知られていますが、ポーマンさんの登られたのはスキー場よりもっと上で、「熊に注意!」の警告板が立てられてるんですね。
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ほら、少しピントが甘いですが、苗場の熊が撮影されていますよ。
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ポーマンさんが撮影を終え、下山途中水場に立ち寄り一服している時の話ですが、ふと何気なく振り返ると熊サンが水場目指してスタコラサッサと降りてくるではありませんか!? むむ、むむむ、熊除けの鈴も持ってないしどうすれば・・・こそこそーっと逃げ隠れる所はないか・・・と見渡しても繁みも木立も何もない・・・熊はだんだん迫ってくる・・・やはり逃げよう。水場を離れるしかない。そう思ったのですが、全く予期しないことをやってしまったとか!?そのポーマンさんが取った行動というのは敢然と熊に立ち向かい、大声で喚き倒したのです。熊はぎょっとした面持ちで立ち止まり、ポーマンさんをギロッと凝視し、こいつ何者や!?何わめいてるんや!?ワシを誰やと思るんや!? と熊サンが思ったかどうか分かりませんが、ポーマンさんは再び前にも増して有らん限りの大声で怒鳴るように暫し喋りまくったとか。すると熊サン、お前の脅しなんかに負けへんぞ!と猛攻撃をかけてくるかと思いきや、すたこらすたこらすたこらさっさと水場を避けて駆け下りたそうです。やれやれ助かったと、安堵のため息をついた時、自分の知らない言葉を喋っていたと気づいたのです。「一体私は何語を喋ったのか・・・スゥエーデン語じゃないし、ドイツ語でもフィンランド語でもない・・・英語でもないし日本語でもない・・・まして熊語ではない。そう、そうか、私は神様の言葉を喋っていたのだ!」とポーマンさんはユーモラス且つ真面目に話されたのです。
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皆さんは、熊サンを退散させたのは神様の言葉と思われますか? 私は神様の言葉に違いないと思うのですが・・・真実は神のみぞ知るということですね。
ではでは。

袖振れ合うも多生の縁315~ポーマンさん、二足の草鞋(?)を神様に授かる!?~

今日のブログは宣教師にしてチェリストのベアンテ・ポーマンの著書、「神の奏でるメロディ」から、ポーマンさんが来日した頃のお話です。
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ポーマンさんはチェリストとして生きていくより、イエス・キリストのための証しと奉仕に生きたいと考え、これからは音楽を止めて宣教師になろうと決心され来日されたのです。彼の表現によれば、<音楽を神様に捧げた>のです。ポーマンさんは奥様が日本人だから・・・と観光ビザで入国し、ビザ変更申請すれば良いと簡単に考えていたのです。
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でもそう簡単ではなく、行政書士 i タウン事務所さんのHPによると、

日本の在留資格(ビザ)制度についてのルールを定めている法律に「出入国管理及び難民認定法」いわゆる「入管法」というものがありまして、その第20条にこういうことが書かれております。
第20条(在留資格の変更)
1.在留資格(つまりビザ)を有する外国人は、その者の有する在留資格(ビザ)の変更を受けることができる。
2.在留資格(ビザ)の変更を受けようとする外国人は、法務省令で定める手続きにより、法務大臣に対し、在留資格の変更の申請をしなければならない。
☆重要
3.在留資格変更の申請があった場合に法務大臣は、外国人が提出した文書により、在留資格(ビザ)の変更を適当と認めるに足る相当の理由がある時に限り、これを許可することができる。但し、短期滞在の在留資格(つまり観光ビザ)を持って在留する者の申請については、やむを得ない特別な事情に基づくものでなければ、許可しないものとする。
つまり、「短期滞在」いわゆる観光ビザから他の在留資格、この場合には配偶者ビザ(正式名:日本人の配偶者等)へのビザ・チェンジは原則としてできません、ということが書かれているのです。 もともと、在留資格変更許可申請(ビザ変更申請)とは、観光ビザ(正式名・短期滞在)以外のビザ、例えば就労ビザや留学ビザなどから他の在留資格(ビザ)に変更するために設けられている申請なのです。

ポーマンさんは神戸YMCAで日本語を学んでいると言っても在留資格変更は難しく、そこでオーケストラに就職すればワーキングビザで日本に滞在できるのでは・・・と考え、東京交響楽団のチェリスト(トゥッティ)募集に応募したのです。トゥッティ」(tutti)とはイタリア語で、英語だと「all」とか「together」に相当し、「全部」という意味ですが、この場合ソロを弾くことのないチェリストということです。
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さて、オーディションには何人かの応募者がいましたが、ポーマンさんが課題曲と自由曲を演奏し終わると、オーケストラ曲のソロがリクエストされ、それも無事終了し結果発表となりました。そして東響の団長に「あなたをトゥッティとして入団させたくない」と冷たく言われたのです。あゝ、ダメか・・・とがっくりしかけたところ団長は微笑みこう言葉を続けたのです。「首席チェリストとして入団して貰いたいのですが、いいですか?」「ブラボー!」かくしてポーマンさんは東京交響楽団の首席チェリストになり、ワーキングビザを得て日本での生活が始まったのです。
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東響の演奏活動は年に170回から180回あり、トゥッティは110から120回演奏しなければならないのですが、首席チェリストなら半分くらいで良く、伝道活動も十分に出来るのです。そう、宣教師と音楽家の二足の草鞋を神様が与えて下さったのです!
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処で、<二足の草鞋>という言葉は私が勝手に用いたのであって、ポーマンさんはこの意味をご存じかどうか?因みに<二足の草鞋>とは江戸時代、博打打ちが十手を預かり、同じ博徒を取り締まる捕吏を兼ねていたことから生まれた諺で、一人の人間が二足の草鞋を同時に履けないように同じ人が普通は両立しない仕事を一人ですることを言うのですが、ポーマンさんの場合、伝道活動と音楽活動は立派に両立しますから、私の言葉使いは大いに誤りであります。という訳で訂正させて頂き、お詫び申しあげます。嘗て物書きやったのにホンマに鈍なことですわ。ま、敢えて諺的な言葉を用いるなら、「全(すべ)ての道(みち)はローマに通(つう)ず」でしょうか。
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この諺は、<どのような経路を通っても、真理は必ず行き着くものである>との意味で、ポーマンさんの神への愛は宣教師としての伝道活動もチェリストとしての音楽活動もすべて神の許に届き、神様はボーマンさんに愛を、慈しみを返して下さっているのでしょう。その顕れであるポーマンさん奏でるチェロのメロディが、私の胸を心を、魂を揺さぶったのです!
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3回にわたりポーマンさんのことを書いてきましたが、次回も又々そうなんですよ。もうえゝわと言わないでご覧下さいね。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁314~神の奏でるメロディを弾くチェリスト、ベアンテ・ポーマンさん!~

あけましておめでとうございます。お正月は如何でしたでしょうか。私は小林一茶の<めでたさも 中くらいなり おらが春>か、一休の狂歌<門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし>状態で相変わらずでありますが、本年もよろしくお願い申し上げます。
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さて、今年最初のブログは昨年末書きましたように、神の慈しみを受け神のメロディを奏でるチェリスト ベアンテ・ポーマンさんについてですが、前回のブログをコピペしますと・・・
ポーマンさんの奏でる音色は、深く々々とてつもなく優しく々々、まろやかで暖かく安らかで、神への愛を奏でておられるのか、神からの愛、神様の慈しみを受け奏でておられるのかと私には思えてしまうのです。そんな演奏に身も心も魂も包まれて至福のひとときでした!
この感想はコンサート直後の私の正直な想いで、当然「神の奏でるメロディ」なる著書も存じませんでした。そして帰宅してからPCでポーマンさんのことを検索し、下記写真の著書があることを知り、至急アマゾンで取り寄せたのです。神様に導かれたご自身の半生を淡々と綴られた薄い小冊子なのですぐ読み終えましたが、何とポーマンさんは<自分の力で演奏しているのではない>と書いておられるのです!
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前回のブログにポーマンさんのプロフィールをWikipediaからコピペ致しましたが、著書に基づき神様に導かれた人生模様を概略させて頂きますと・・・
1951年、スウェーデンのストックホルムから250キロほど北のファールン市に生まれ、幸いにも両親がクリスチャンで、生まれた時から教会に行っていたけれど、本当の信仰が芽生えたのは10歳だったとか。
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ある青少年キャンプでクリスチャンの集会リーダーに、「救われたい人は前に出なさい」という招きがあり、<イエス・キリストを信じて救われたい>という強い内的求めが矢庭に湧き上がり、ためらわず前に進み出た途端、心が軽くなったのを今でも覚えておられるとか。そしてその時から信仰は次第に強く深くはぐくまれ、揺るぎなく確固たる信念に至ったと確信したので、12歳の時洗礼を受けられたのです。処でボーマンさんが最初に習った楽器はリコーダーでしたが、ある先生が青少年オーケストラのチェロ演奏者を探しにリコーダーのクラスに来、チェロを弾いたとのないボーマン君を何故かチェリストに指名したのです。それが12歳の時でした。この12歳の二つの出来事は、ポーマンさんの人生を決める神様の計らいだったのです。下の写真はポーマン少年ではありませんが、こんな雰囲気の子供だったのでしょうか。
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かくしてチェロを学び始めたのですが、ストックホルムからスゥエーデンNO1のチェロ奏者で王立オペラオペラ劇場の首席チェリストであり且つ王立音楽大学教授であるグスタフ・グレンダールさんという凄い先生が教えに来られ、しかもボーマンさんの両親に「息子さんをストックホルムに送って私に教えさせて欲しい」と頼んで下さったのです!かくしてポーマン少年は勇躍ストックホルム王立音楽大学(下の写真は大学の外観とホール)に進学し、恵まれた環境でめきめき腕をあげ1971年に最優秀賞を授与され卒業したのです。
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そして暫しの間、ヨーテボリ国立歌劇場の首席チェロ奏者を勤めたのものの、当時師事していたフランスのポール・トゥルトゥリエ先生がドイツ国立フォルクヴァンク音楽大学で教鞭をとられることになったので、迷ったものの歌劇場の首席チェリストを止め、ポール先生を追って同大学のマスタークラス、大学院に入学したのです。この決断も神様の計らいなのでしょう、前回のブログに書いたように、神様はボールさんと生涯の伴侶となるべきルリ子さんを引き逢わされたのです。
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ルリ子さんとの巡り逢いの他に神様はもうひとつの計らいをなさいました。
それは師事していたトゥルトゥリエ教授がフランスに帰国されることになり、教授の一番弟子アルト・ノラスさんに引き合わされ、ノラス先生について学ぶべくフィンラント唯一の音楽大学、シベリウス・アカデミーの大学院(写真下)で学ぶことになったのです。
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このフィンランドに住むようになった事が大きなターニングポイントになりました。それはこの頃フィンランドのキリスト教界で大きな変革が起こったのです。それは<リバイバル>と言われ、人々の心に眠っていた信仰が覚醒され、人々の生き方を根底から変える大きなムーブメントが津波の如く全土に広がりました。この頃迄ポーマンさんはそれ程熱心な信者ではありませんでしたが、<リバイバル>に深く啓発され、クリスチャンとしての活動を音楽より優先するようになったのです。
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        (上の写真は<リバイバル>の中核、トゥルク大聖堂)

かくしてポーマンさんは信仰第一の生活を送るようになり、教会での奉仕や聖書学校での学びに没頭し、その余暇として毎日1時間くらいしかチェロの稽古はしていなかったとか。そんな音楽そっち除けに近い状態でシベリウス・アカデミー・マスタークラスの卒業試験を迎えなければなりませんでしたから多分落第・・・だろうと観念していたのですが、何と何と25点満点の24点をゲットしたのです!完璧な演奏はあり得ないから24点というのは最高点なのです。指導教授のノラス先生は試験後、「今日の演奏は今迄の君の演奏の中で一番うまかった。あのような演奏は聴いたことがない。」と絶賛して下さり、この卒業試験の奇跡でポーマンさんは確信したのです!
「あの演奏は自分の力ではない!」
この時からポーマンさんは、先ず神の国を求めること、そうすれば他のものは神様がそれに添えて与えて下さると心底より信じて行動するようになりました。このようにして1979年にフィンランドのシベリウス・アカデミー・ マスタークラスを卒業したポーマンさんは、神様の為に働きたいと思い奥様の故国日本での伝道を決意して来日されたのです。

とここまで書いてきましたが、大分長くなりましたから、来日後東京交響楽団入団での神様の計らいは次回に致します。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁313~生まれて初めてXマスイブに教会へ行きました。~

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今年最後のブログです。本年もおつきあい下さり本当に有り難うございました。
さて、ご覧の写真は宝塚栄光教会ですが、私はこの歳になってクリスチャンになった訳ではないのにXマスイブに教会へ行ったのです。何故かというと拙宅の郵便受けにチェロコンサートの案内が入っていたからです。しかもチェリストが何とベアンテ・ポーマンさん!
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ベアンテ・ボーマンさん(1951年 - )はスウェーデン生まれのチェリストにして宣教師、神学校教師、神学博士であり、且つ登山写真家で、東京交響楽団首席チェリストを31年も勤められた方なのです。Wikipediaによれば、スウェーデンのファールン市生まれで、キリストを信じたのは10歳、そして12歳で洗礼を受け、その歳にチェロを始め16歳でストックホルム王立音楽大学に入学、卒業後に奨学金を得てドイツのフォルクヴァング音楽大学に学び、同大学在学時に同じく留学されていたピアノのルリ子さんと運命的に出会い挙式、ルリ子夫人は今なおポーマンさんのピアノ伴奏をなさっておられ、まさに二人三脚おしどり夫婦なのです
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ルリ子さんとの出逢いがなければポーマンさんが来日されることもなかったでしょうね。ポーマンさんは1971年にストックホルム王立音楽大学を卒業されたのですが、最優秀賞を授与され将来を嘱望されての旅立ちで、ヨーテボリ国立歌劇場の首席チェロ奏者などを経て、1980年に東京交響楽団の首席チェロ奏者として入団、31年間の長きにわたり楽団の牽引者として数々の演奏活動をなさり、定年を迎え惜しまれつつ退団、現在はチャペルコンサートやチャリティコンサートなどに活動の場をうつしておられるのです。宝塚栄光教会でのXマスイブコンサートも18年連続とか。私は初めてですが栄光教会の信者さん達は、アドベントキャンドルに灯を点し、この日を待ち望んでおられたそうです。
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アドベントは「到来」を意味するラテン語Adventus(=アドベントゥス)から来ていてキリスト到来のことで、アドベントキャンドルとはクリスマスイブ直前の日曜日を基準にしてその4週間前から、毎週日曜日に1本ずつキャンドルに火をつけ、クリスマス当日までの準備期間を大切にして待ちわびる準備期間を充実したものにしようという慣習なのです。ポーマンファンの教会員の方々は、毎週ローソクに灯を点しコンサートを待ちわびられたことでしょう。そして、アドベントキャンドルに迎えられるようにポーマンさんが登場され演奏が始まりました。。
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演奏曲数は10数曲、トークを交えて2時間、十二分に堪能させて頂きました!教会でのコンサートですから、「アヴェマリア」など神を称える曲がふんだんに奏でられ、クリスチャンじゃない私も暫し天上にたゆとう心持ちでした。
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でもしかし、私の心を一番揺さぶったのは。「無伴奏チェロ組曲」です。「無伴奏チェロ組曲」といえば、バッハのがよく知られていますが、ポーマンさんが演奏されたのはレーガーの「無伴奏チェロ組曲」でした。
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マックス・レーガー(1873~1916)は、史上最も不健康な作曲家の名を欲しいままにしている豪傑で、強い葉巻を日に20本以上、酒は浴びるほどに飲み、食事は脂っこいものをたらふく、おまけに気は短くてかんしゃく持ちで写真でお分かりのように肥満体。その為か心筋梗塞となり43歳でお亡くなりになりました。この人の音楽がまた重厚で長大、錯綜する対位法、執拗な変奏、やたら分厚い和声などを駆使し、「音楽形式と自身の体格がドイツ最大の音楽家」と言われたそうです。そんなレーガーはバッハを尊敬していたのか、「バッハへ帰れ」をモットーとしていただけに組曲第1番の第1曲「前奏曲」は、「これバッハの無伴奏第何番だっけ?」と思ってしまうほどなのです。第2曲アダージョは、ほとんど重音が途切れることのない難曲で、チョー美しい。抒情的であると同時に情熱的、これはまぎれもないロマン派の音楽。そして第3曲(終曲)はなんと「フーガ」。チェロ独奏で4声のフーガ! 聴く方は面白いけど、弾く方は大変でしょうね。と、「いろりばた」掲示板さんがPCに書いておられるのをコピペさせて貰いました。でも、「いろりばた」さんだけでなく、私も第3曲はめちゃ大変と思いますので、大変さの度合いを知り合いのチェリスト植木美帆さんに聞いてみようかな。次なる第2番では第1曲ラルゴの悠然たる情感が素晴らしい。何というロマンティックな歌!作曲者の顔からは想像もできません。
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第3番では7分を超える終曲「アンダンテと変奏」が圧巻。味わい深く、滋味にあふれ、長さを感じさせません。心に沁み入ります。と「いろりばた」さん。
私もほぼ同感でーす。
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ポーマンさんはいつも熱演ですから、上衣を着ての演奏は一曲目だけで、暑くってすぐ脱いでしまうのです。上衣を持ってるゾということを示すために着用してコンサートを始めるのだとか。それは兎も角、ポーマンさんの奏でる音色は、深く々々とてつもなく優しく々々、まろやかで暖かく安らかで、神への愛を奏でておられるのか、神からの愛、神様の慈しみを受け奏でておられるのかと私には思えてしまうのです。そんな演奏に身も心も魂も包まれて至福のひとときでした!
今年のブログはこの辺でおしまいにして、来年はポーマンさんがXマスコンサートで語られた神様への想いや著書「神に奏でるメロディー」についての雑感を記したいと思います。
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ではでは、良いお年を!


袖振れ合うも多生の縁312~今上天皇陛下は象徴天皇を全うなされましたが、昭和天皇は・・・?~

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明日は天皇誕生日で、12月23日の天皇誕生日は今年でおしまいですね。現在、4月29日はみどりの日ですが、昭和の時代は天皇誕生日でした。こんな具合に12月23日は何かの祝日になるのでしょうか。私なら畏れ多いことですが、象徴の日とネーミングしたいです。そんな訳で以前にも書かせて頂きましたが、もう一度陛下が生前退位を表明なされたお言葉を振り返ってみたいと思います。

(前略)私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。(後略)

陛下は<象徴的行為>を<鎮魂>と<慰藉>であるとお考えで、<鎮魂>とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮める為の祈りですから、陛下は死者が息絶えた現場まで足を運び、御霊よ安らかなれと真摯に祈りを捧げられているのです。また、<慰藉>としては災害地を見舞い、床に膝をついて直接被災者と言葉をかわされましたが、歴代天皇で言葉をかわされる際に床に膝をつかれたのは初めてでした。
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陛下がなされた<鎮魂>と<慰藉>を、皇太子時代も含めて抜粋してみますと・・・
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1975年(昭和50年)、沖縄県祖国復帰(沖縄返還)実現後の沖縄国際海洋博覧会に際し、立太子後初めて訪問されただけでなく、琉歌を研究し琉歌8首を発表。
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1987年(昭和62年)、沖縄海邦国体を前に病臥した父・昭和天皇(昭和天皇が在位中の天皇として史上初めて沖縄を訪問する予定だった)の名代として沖縄を訪れ、同年10月24日南部戦跡の平和祈念堂で、
「先の大戦で戦場となった沖縄が、島々の姿をも変える甚大な被害を被り、一般住民を含むあまたの尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思う時、深い悲しみと痛みを覚えます」
との天皇の言葉を代読。

この皇太子が代読された昭和天皇のお言葉に私は違和感を禁じ得ないのです。何故なら太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、天皇の重臣である近衛文麿が昭和天皇に対し奏上した即時戦争終結すべしとの進言、所謂「近衛上奏文」に対し、「もう一度戦果を挙げてからでなければ終結できぬ」と取り上げず、その6ヶ月後太平洋戦争最後の地上戦である沖縄戦となり、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、その内94,000人が民間人だったのです!
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因みに近衛上奏文は・・・
『敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存侯 以下此の前提の下に申述べ侯、敗戦は我国体の瑕瑾たるべきも、英米の輿論は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず、(勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)随て敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存侯。 国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に侯。』
口語訳で大略しますと・・・
『敗戦はもはや避けられない。しかし米英の世論は天皇制の廃止にまでは至っていないため、今のうちに米英 と講和するべきである。敗戦によっても国体は維持できるが、それより敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきである。』

昭和天皇がこの近衛文麿の上奏を受け入れていたなら、沖縄の悲劇は無かったのです!
それだけでなく、戦後昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた、「米軍による沖縄占領状態を長期間継続させることを依頼する」という所謂沖縄メッセージが厳然と存在しているからです。昭和天皇は1947年9月に<米軍が沖縄や琉球列島その他の島に米軍が占領状態を50年間より更にもっと長期間継続させることを希望する>考えを示し、当時天皇の御用掛であった寺崎英成が占領軍の政治顧問のシーボルトの事務所を訪れて昭和天皇の考えを伝え、マッカーサー元帥にその内容を送ってもらうように依頼し、その文章の記録が残されているのです。しかし、この前年の1946年11月に日本国憲法が公布され、既に象徴天皇が確定し、天皇は政治的な権力を行使できない立場になっていたのですが、にも拘わらず政府を通さず直接アメリカ側に政策要望を出していたのです。
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豊下楢彦氏の「昭和天皇・マッカーサー元帥会見」によれば、この沖縄メッセージだけでなく、昭和天皇はマッカーサー元帥との11回に及ぶ会談や米国のダレス国務長官への文書などで極めて政治的な発言をされているます。例えば、1947年5月6日に行われた第4回目会見での発言は・・・
「日本の安全保障を図るためには、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待しております」
この発言には、憲法9条も国連もおよそ期待せず、アメリカの武力によって日本の天皇制を守ってほしいとする昭和天皇の本音が露骨に現れていると豊下氏は論じておられます。

また、1950年の天皇のダレス宛の文書メッセージでは、公職追放の緩和についても強く主張しています。
「(追放の緩和によって)多くの有能で先見の明と立派な志を持った人々が、国民全般の利益のために自由に働くことができるようになるであろう。現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、大衆の心に極めて深い影響を及ぼすであろう多くの人々がいる。仮にこれらの人々が、彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、基地問題をめぐる最近のあやまった論争も、日本の側からの自発的なオファによってさけることができたであろう」

ここで「最近のあやまった論争」というのは、「わたしは軍事基地は貸したくないと考えております」といった吉田茂首相の議会発言などをさしているものと豊下氏は推測しています。天皇は吉田の姿勢に強い不満を感じ、アメリカによる日本の保護を得るためには、日本の側から積極的に基地のオファをするくらいでないといけないと考えていたので、このような発言が出て来たと言うのです。実際この発言を踏まえ、天皇の側近たちを介在させた影の交渉ルートが出来上がり、吉田による公式なルートと天皇による非公式なルートとが併存する二重外交の構図が出現した。これが一国の政治にとって非常に由々しい事態であることはいうまでもないでしょう。国体護持と冷戦時代の共産化を防ぐ為の行為で、昭和天皇は超法規的措置とお考えだったかも知れませんが、これって紛れもなく矢張り憲法違反ですよね。しかし、そんな昭和天皇を反面教師としたからこそ、平成天皇は見事なまでの象徴天皇であらせられたのでしようか。
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話を平成天皇陛下の<慰藉>に戻しますと・・・
1991年雲仙普賢岳噴火被災地のお見舞い。
2008年(平成20年)9月8日新潟県行幸の折、被害の大きかった被災当時の山古志村(現・長岡市山古志)を視察なされた後、山古志の被災者と懇談され、励ましのお言葉を。中越地震発生4日後に救出された男児(当時2歳)が無事に成長していることを知り、その成長を喜こばれた由。
2011年(平成23年)3月11日発生の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)については異例のビデオメッセージを送られたほか、各地の避難所を皇后と共に歴訪。この他枚挙に暇がありません。

そして<鎮魂>ですが、終戦70年にあたっては・・・
平成26年6月26日~6月27日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成26年10月11日~10月12日 天皇皇后両陛下 長崎県行幸啓
平成27年4月8日~4月9日 天皇皇后両陛下 パラオご訪問(西太平洋戦没者の碑等)
平成27年4月16日 天皇皇后両陛下 高尾みころも霊堂行幸啓
平成27年5月26日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓
平成27年6月10日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成27年6月17日 天皇皇后両陛下 宮城県行幸啓(蔵王町北原尾地区開拓地)
平成27年7月20日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成27年8月11日 天皇皇后両陛下 広島市被爆70周年記念事業 広島交響楽団 平和の夕べコンサートご鑑賞
平成27年8月22日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(軽井沢町大日向開拓地)
平成28年1月26日~1月30日 天皇皇后両陛下 フィリピンご訪問(比島戦没者慰霊碑等)
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終戦60年にあたっては・・・
平成17年6月27日~6月28日 天皇皇后両陛下 サイパン島ご訪問(中部太平洋戦没者の碑等)
平成17年7月4日 天皇皇后両陛下 終戦60周年記念行事「戦没殉職船員遺族の集い」
平成17年8月29日~8月30日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(南牧村野辺山地区開拓地)
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成17年10月11日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成17年12月13日 天皇皇后両陛下 日本遺族会婦人部「新たなる出発の集い」
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終戦50年にあたっては・・・
平成6年2月12日 天皇皇后両陛下 硫黄島行幸啓(天山慰霊碑,鎮魂の丘)
平成7年7月26日~7月27日 天皇皇后両陛下 長崎県・広島県行幸啓
平成7年8月2日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成7年8月3日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓
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とこれ又枚挙に暇がなく、長の歳月にわたり象徴天皇としてのお務め、言葉のつくしようもございません。

さて、最後に余談ですが、陛下らしいエピソードを見つけましたので、それを書かせて頂きます。
今上天皇陛下は、昭和天皇崩御にあたり相続税4億2800万円を納められておられますし、また皇居のある千代田区には住民税を納められているのです。

袖振れ合うも多生の縁311~BS日テレの「恋するクラシック」って結構面白いですよ。~

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写真のご両人、小倉智昭(おぐらともあき)さんと佐田詠夢(さだえむ)さんがMCを務める新番組「恋するクラシック」がBS日テレでスタートして早9か月になろうとしています。ワタシは春から見ていたのではなく、この秋から「ららら♪クラシック」や「題名のない音楽会」などと共に見始めたのですが、この「Love Classical Msic 恋するクラシック」が「ららら・・・」や「題名のない・・・」よりバラエティっぽいです。というのはこの番組のコンセプトは、敷居の高いイメージを持たれがちなクラシック音楽を親しみやすく届けることだそうで、クラシック界を代表するような演奏家を招いての<マエストロさんいらっしゃい>、将来有望とされる音楽家の卵たち(音大生たち)によるぶっちゃけトーク<蜂蜜とのだめ茶論(サロン)>、今巷で噂もちきりのYou Tuber Pianist 横内愛弓さんが名曲の謎を解きあかす<えにぐまPorori>、ピアノ芸人まとばゆうさんの偉人小咄<アイネクライネ まとばムジーク>など、クラシックをネタに一寸ひねったコーナが満載です。そんなお笑いっぽい味つけだけでなく、本物の演奏もムロンあるので、ワタシは結構面白く見ておるのであります、ハイ。
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ところで小倉智昭さんは、誰もがご存じのハードイメージな司会者ですが、佐田詠夢さんて一体誰なのかご存じですか?
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「佐田」を「さだ」と書くと分かるかも・・・
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そう、さだまさしさんのお嬢さんなのです。詠夢さんはこの番組の司会を担当するにあたり、下記のようにコメントされています。

小さいころからクラシックピアノを演奏してきました。今までコンサートにお越しいただいたお客さまにもクラシックを難しいと感じている方が多くいらっしゃいます。そのような方たちのために、自分のコンサートではトークで解説をしてから演奏に入るなどの工夫をしています。クラシックしか聴いてこないで育ちましたので、父(さだまさし)の曲は普段聴いてません(笑)。コンサートでは鑑賞する機会はありましたが、LP(CD)などでは鑑賞したことがありません。父はどちらかというと“はなし家”っぽいですけどね(笑)。家でもずっと話しています(笑)。家で父は、音楽や仕事の話は一切しません。ピアノを演奏していても、私に対して意見は一切口にしませんでした。時折リズムの解釈を「こう考えてみたら?」という程度でした。
今までテレビ出演の経験があまりないので、番組においてもコンサートのお客さまと同様に、クラシックにたくさんの楽しいエピソードがあることを知っていただけたら幸いです。


それから小倉さんは、

クラシックとの出会いは小学校5年生のときです。音声もモノラルの時代でした。学校の視聴覚教室でラヴェル「ボレロ」を先生に聞かせていただいたのがきっかけです。あの次第に音が膨れ上がっていく構成に感銘を受けてすぐレコードを買いに行き、「ラヴェルのボレロをください」とお願いしたら、お店の方が「(種類が)たくさんありますよ」とおっしゃって驚いたのです。オーケストラ別に紹介されて、視聴してから1枚選んで買いました。ある曲に対していろいろな演奏家たちが解釈、演奏をしているたくさんの音源があることを知り、「同じ曲でもニュアンスが違う」という、クラシックのおもしろさを感じました。
佐田さんとは初対面ですが、お父さま(さだまさし)とは親交が深く、本番組の件でメールで何度か連絡をとりました。「娘(詠夢)にテレビのMCが務まるのか?」と心配されてましたね。自分は演奏家ではないので「プロのお嬢さまを頼りにしております」とお伝えしたら、さださんは「あまり当てにしないでください」と(笑)。トークに演奏にと、大活躍される佐田さんを、皆さま応援よろしくお願いします。


とコメントされています。

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私はこの番組を見るまで、佐田詠夢さんは知らなかったのですが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマターだったバイオリニト、ウェルナー・ヒンクさんと共演されたこともあるとか。その時、ヒンクさんとお知り合いだった皇后陛下の御来臨を賜ったそうです。
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そんなステキなピアニスト佐田詠夢さんを、これから注目したいと思っています。因みに、「恋するクラシック」は毎週月曜夜9:00-10:00 BS日テレにて放送中でーす。

袖触れ合うも多生の縁310~Eテレの「ららら♪クラシック」って結構面白いですよ。PARTⅡ~

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前回の<ららら♪クラシック>で「ダニーボーイ」を取り上げましたが、今回は「動物の謝肉祭」です。
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<ららら♪クラシック>のHPによれば、白鳥や象などかわいい動物が次々と出てくるとても楽しい曲というイメージが持たれるカミーユ・サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」ですが、実は曲のあちこちには強烈な皮肉が仕込まれているとか。「謝肉祭」とは「カーニバル」のことで、仮面をかぶり身分を隠して日頃は言えない不平不満をぶちまけるお祭りで、世間から皮肉屋と言われていたサン・サーンスにぴったしなのです。
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多くの作曲家に影響を与え、交響曲やオペラなど数多くの傑作を残したサン・サーンスですが、当時の音楽業界からは評価されていませんでした。それはいつも一言多い、皮肉屋という性格の為でした。そんなサン=サーンンスがこの曲にどんな皮肉を込めたのか、ゲストの宮川彬良さんが語ってくれました。
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宮川さんが注目するのは終盤の「ピアニスト」、「化石」、「白鳥」の3曲ですが、まず全体についてをWikipediaから要約コピペしてみましょう。

第1曲「序奏と獅子王の行進曲」 ピアノの耳をつんざくような反復奏に始まる。ついで、勇壮な「行進」が弦楽器のユニゾンで奏される。

第2曲「雌鶏と雄鶏」 ピアノと弦楽器が鶏の鳴き声を模倣しあう。

第3曲「騾馬」 アジアロバであろうと言われる。ピアノの上り下りする強奏の音階。

第4曲「亀」 弦楽器がのそのそとユニゾンでオッフェンバックの『天国と地獄』の旋律をわざとゆっくり奏する。

第5曲「象」 コントラバスがもそもそと、軽やかに(?)ワルツを奏する。

第6曲「カンガルー」 装飾の付いた和音が上下して飛び回るカンガルーを描写する。

第7曲「水族館」 グラスハーモニカの入った幻想的なメロディーに、ピアノ伴奏が添えられている。

第8曲「耳の長い登場人物」 おそらく驢馬、アジアロバでない驢馬、のどかな驢馬の鳴き声をヴァイオリンが模倣する。

第9曲「森の奥のカッコウ」 クラリネットがカッコウの鳴き声を模倣する。

第10曲「大きな鳥籠」 弦楽器が反復奏する伴奏の上を、フルートが軽やかに飛び回る。

第11曲「ピアニスト」 わざとへたくそにピアノの練習曲を弾く。最後は明確な区切りもなく、そのまま次の曲へ入る。

第12曲「化石」 自作の『死の舞踏』の「骸骨の踊り」の旋律、ロッシーニの『セビリアの理髪師』の「ロジーナのアリア」、その他「大事なタバコ」「きらきら星」「月の光に」、「シリアへ行く」などのフランス民謡が組み合わされる。

第13曲「白鳥」 チェロ独奏曲として有名な曲。バレエ「瀕死の白鳥」はミハイル・フォーキンがこの曲に振付を施した作品である。

第14曲「終曲」 カーテンコール。再度オッフェンバックの『天国と地獄』のフィナーレの旋律(ただし、今回は大幅に変奏されているので事実上ほぼオリジナルメロディになっている)に乗せて、今までの各曲の中の旋律が登場する。

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さて、宮川さんの解説によると第11曲「ピアニスト」は練習曲のオンパレードで、決まり切ったルーティンワークなんぞをやっていると心も体も硬化して化石になる・・・と皮肉を込めているのだとか。そのサイクルが次第に早くなり唐突に終わると、次の第12曲「化石」へつながります。まるで想像力を使わない世界は化石同然だと言っているようで、サン=サーンにとっては民謡も化石なのでしょう。そしてその後に続くのが、かの美しいメロディーを持つ第13曲「白鳥」です。すべてを通り抜けた先に芸術、そして美が残ったということがこの曲には込められている由。まさにこの3曲は人間に対する最大の皮肉の結集とも言えるのでしょう。

処で、今迄何度かご紹介した同窓生土屋和之兄が主催する土屋ミュージッククラブのレギュラー出演者であるチェリスト植木美帆さんの、聴く人の心に響き魂と共鳴しあう優美な演奏で、私はこの「白鳥」をよく聴いているのですが、サン=サーンスが「ピアニスト」「化石」「白鳥」に籠めた意味を知った今、彼女の演奏する「白鳥」のエレガントな旋律は、身も心も干からび死に果てた化石から甦る命のきらめきのように思えてなりません。
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ワタシが命のきらめき、ときめきを感じるこの曲で、湖に浮かぶ一羽の傷ついた白鳥が生きようと必死にもがき、やがて息絶えるさまを描いた「瀕死の白鳥」は、ミハイル・フォーキンが1907年にアンナ・パブロワの為に振り付けたもので、パブロワの代表的舞踊、至高の芸術と評価されています。
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私はアンナ・パプロワの「瀕死の白鳥」は見ていませんが、この曲で白鳥が死に至るのは如何なものか・・・と若干違和感を感じたので、死に絶えんとする白鳥に春風が吹き寄せ命が甦るというハピーエンドの日本舞踊を創作したことがありました。余談ですが、この舞踊は宝塚歌劇団の某著名演出家先生のお目にとまり、映画スターK・Sさんの公演で演じられたことがあったように記憶しております・・・。ではでは。








袖触れ合うも多生の縁309~Eテレの「ららら♪クラシック」って結構面白いですよ。~

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ご覧の写真はEテレ毎週金曜午後9時30分にOAされている「ららら♪クラシック」なる音楽パラエテイ司会者の高橋克典さんと牛田茉友(うしだまゆ)アナですが、私は最近のこの番組だけでなく、クラシック音楽にはまっています。長い間ミュージカルの作・演出をやっていましたので、主としてジャズやポピュラー音楽などにある程度は携わってきましたが、数年前から仕事でなく邦楽に親しみ、そして今クラシック音楽で心癒されています。処で高橋克典さんの本業は俳優さんですが、トランペットを吹くなど結構音楽に造詣深いとか。彼は40歳頃からクラシック音楽に親しみだしたそうです。また牛田アナは大阪の池田市出身で学生時代は才色兼備のミスキャンパスだったとか。
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このご両人が写真のようにバイオリンとチェロを弾かれるかどうかはわかりませんが、それはさておき、先日「ダニーボーイ」を取り上げていました。
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このメンバーは、歌:浜田真理子さん アイリッシュ・フルート&ティン・ホイッスル:豊田耕三さん フィドル:マイキー・オシェイさん ギター:中村大史さんですが、なんとも素晴らしいのです。どないええかと言うと、物書きのワタシはお手上げで例えようもなく哀切極まりなく、それでいて懐かしくほのぼのさせてくれるのです。どうしてこんなにワタシの胸に響くのか・・・それは浜田さんのボーカルや豊田さんたちの演奏、アイルランドの街角で採譜された19世紀ごろの演奏をイメージして、アイルランドに昔から伝わる朗々とした語り口のフィドルを加えた演奏によるところが大と思うのです。しかしながら、もうひとつの大きなファクターはこの曲のバックボーンが、この曲を生み出した風土と歴史がそうさせているのではないでしょうか。
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アイルランドにはケルト人の子孫が数多くんでいたものの、イギリス最初の植民地となり、12世紀から800年にわたり宗教と言語(ケルト語)が厳しく弾圧され、差別と抑圧に苦しんだのです。そして19世紀初頭にこの曲の原曲となった民謡の他、幾つもの民謡が生まれましたが、それは支配するイギリス人には唯の愛の歌でした。でもしかしアイルランド人には植民地でなかった故国への篤い熱い思いが籠められていたのです。このアイルランド民謡がアメリカに広まったのは、19世紀アイルランドを襲った大規模な飢饉に伴い海外に移住せざるを得なかった人々、特にアメリカに渡りアメリカ各地で身を寄せ合うようにして暮らした多くのアイルランド移民たちが祖国を思い出す曲としてひきつけられたからなのです。
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更に20世紀になり第一次世界大戦が勃発し、多くの若者たちが戦場に送られました。そんな1913年、イギリスの法律家フレデリック・ウェザリーのもとにアメリカにいる義妹から一枚の楽譜が送られてきたので、フレデリックは、戦場に赴く息子を見送る母(父)の悲しみと愛のことばをメロディに託したのです。
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ダニ-・ボーイの原曲民謡が楽譜に起こされたのは1855年とのことですが、いつからクラシックの曲として演奏されるようになったかは定かではないものの、アイルランド出身の作曲家チャールズ・スタンフォードが故郷に思いをはせた「アイルランド狂詩曲」が代表曲と言われています。その「第1番」の中で「ダニー・ボーイ」を引用したことが、イギリスのクラシック世界で認知されるきっかけになったと言われています。
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そして、大切な人との「別れ」を思い起こさせるこの曲の歌詞は、第1次世界が勃発すると、離れ離れになってしまう家族や親族を持つ多くの人々の心に強く響きました。かくして「ダニー・ボーイ」はアイルランド移民の「心の歌」を超えて、世界に広がっていったのです。
そして現在の日本に立ち返りますが、2014年に集団的自衛権が閣議決定され、戦争のできる国に歩を早めています。そんな状況にあって、作詞家のなかにし礼さんが、ダニー・ボーイに下記のような歌詞をつけておられます。
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(一)
おお ダニーボーイ
いとしきわが子よ
いずこに今日は眠る
戦に疲れた体を
休めるすべはあるか
お前に心を痛めて
眠れぬ夜を過ごす
老いたるこの母の胸に

おお ダニーボーイ
おお ダニーボーイ帰れよ

(二)
おお ダニーボーイ
いとしきわが子よ
たよりもすでに途絶え
はるかなその地のはてにも
花咲く春はくるか
祖国に命をあずけた
おまえの無事を祈る
老いたるこの母の胸に

おお ダニーボーイ
おお ダニーボーイ帰れよ

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「らららクラシック」では、ダニー・ボーイを反戦歌として言及していませんでしたが、この曲の美しい旋律が戦争の哀しみに侵されないよう、切に願いたいものです。








袖触れ合うも多生の縁308~久しぶりにロダンのモデルとなった女優ハナコに再会しました!? PartⅢ

私は、鴎外の小説「花子」でロダンのモデルとなり、欧米で大活躍された女優ハナコさんに出逢った20代半ば頃から、ハナコを主人公にしたミュージカルを無性にやりたくて、ハナコストーカーまがい(?)となり、調べまくる内に読売新聞の記事で、ハナコのお孫さんであられる岐阜女子大教授澤田助太郎先生が『プチト・アナコ ~小さいハナコ~』というハナコの伝記を出版されているのを知ったのです。そこですぐさま読売新聞大阪本社に押しかけ、その記事の発信元である中部本社を通じて澤田先生のご住所を教えて頂き、取るものも取りあえず、お逢いしてお話を伺いたい旨のお手紙をさ差し上げたのです。
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先生からすぐお返事を頂戴し、「お逢いする前にこの本を先ずお読み下さい」と、ハナコの一生を綴った「プチト・アナコ」なるご著書を頂戴したのです。
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(上の写真は岐阜の「ロダンと花子の会」でお話しされている澤田先生と著書)そして、この本の脚色・上演の許可も頂き、何かに追われるように第一稿を書き上げました。ワープロもPCも無い頃で、私製原稿用紙の枡目をしこしこ埋め続けた結果腱鞘炎となり、今も右手中指にへこんだ痕跡が残っているのです。その原稿は現在書斎の押し入れに眠っていますが、紙は日焼けして薄茶色になっています。このホンの上演を楽しみに、あちこちに企画を持ち込んだのですが、未だに実現に至ってはいません・・・。
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処で私は、映画スターにしてミュージカル俳優でもあられる宝田明さんと、「阿含の星まつり」のTV中継番組でご一緒したことがあり、本番待ちの間、二人で熱っぽく話込んだことがあるのです。
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ロダンを宝田明さん、ハナコを小川知子さんでストレートプレーが上演されたのを知っていたので、ロダンとハナコのミュージカルを企画している事を切り出し、「ミュージカルをやる時は是非声を掛けてくれ」と仰って頂いたのですが、あれから20年数年になるでしょうか。宝田さんは84歳、私は76歳になってしまいました。宝田さんは今なおお元気で、毎年『葉っぱのフレディ』というミュージカルをやられていますが・・・
さて、少し余談になりますが、阪神淡路大震災の折、澤田先生ご夫妻(下の写真)からお見舞い金を送って頂いたのです。度重なる手紙や賀状のやりとりはあったものの、お会いしたことはなかったのに、私の住所は当時神戸市の東灘だったので心配され送って下さったのです。びっくりするやら嬉しいやら、先生ご夫妻のお人柄が偲ばれるしみじみとした懐かしい思い出です。その節は本当に本当に有り難う御座いました!あれから23年、現在先生は92歳で、大野さんの「マダム・ハナコ」によれば、今尚ご健在の由、いついつまでもお元気であられますよう!
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拙作のミュージカル・ハナコが上演できるか否か、それは神のみぞ知る・・・でしょうね。もし上演に至るとしたら、何か必然性があるのでしょうし、上演できないのなら、する必要がないのでしょう。今はそんな淡々とした心境ですが、でも何処か楽しみにしているところがある私なのです。
因みに下の写真は、澤田先生の「プチト・アナコ」の改訂版です。
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