袖振れ合うも多生の縁337~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅴ)!

今回は令和になって初めて送られてきた月報を、早速取り上げさせて貰いました。いや、ええ話が載ってたので・・・
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「いよいよ令和やけど、どんな世の中になるんやろ?」
「きっと希望あふれる時代やと思う。ブータンの言葉ゾンカ語でレイワは希望という意味やからな。」「そうなんですか!」
「そや。ブータンは国民総幸福量を国造りの根本にしてるのや。そんな国のある少女の話やけど、その子はお母さんにブローチをプレゼントされ学校にしていったら、友達にメチャ羨ましがられたんやて。」
「その子を取り囲んで、みんなワイワイはしゃいだでしょうね。」
「いや。2、3人しょんぼりしてたとか。貧乏で自分は買うてもらわれへんから悲しかったんやろ。」「可哀想に・・・」「それでその子は家に帰ってブローチをお母さんにあずけて、私に孫が出来たらあげるのや。その頃はみんながブローチ買うて貰えるように豊かになってるから。そう言うたそうな。」「その子、偉い!」「友達を思いやる気持ちだけやのうて、未来を信じてるし、未来に希望を持ってるもんな。」
「日本もわが社も未来を信じ、希望が持てるよう頑張りましょう!」


このブータンの少女の話、ワタシも読んだことがありますわ。スローライフの提唱をされたり、ブータンの国是、国民層幸福量制度を研究する為、ブータンに長年住み着いていはった、辻信一さんという明治学院大学教授の著書に書かれていたと思います。
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ところで、外務省(我が国の)HPによりますと・・・

ブータンの1人当たりの国民総所得は1,920米ドル(世界銀行,2010年)であるにもかかわらず,国勢調査(2005年)ではブータン国民の約97%が「幸せ」と回答しています。
「国民総幸福量(GNH)は国民総生産(GNP)よりも重要である」と1970年代にGNHの概念を提唱したのは,先代のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王でした。
(写真下はシンゲ先代国王と国王肖像画の100ニュルタム紙幣)

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再びわが国外務省のHPによりますと・・・

GNHは,経済成長を重視する姿勢を見直し,伝統的な社会・文化や民意,環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指す考え方です。その背景には仏教の価値観があり,環境保護,文化の推進など4本柱のもと,9つの分野にわたり「家族は互いに助け合っているか」「睡眠時間」「植林したか」「医療機関までの距離」など72の指標が策定されています。国家がGNH追求のために努力することは憲法にも明記され,政策を立案,調整するGNH委員会が重要な役割を担っています。ブータンはGNHを基本方針とする独特の政策をとっています。例えば医療費と教育費は無料で,煙草の持ち込みや高山への登山は禁止です。伝統文化を重んじ公的な場所では民族衣装の着用を義務づけています。

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また,国土の森林面積の割合を60%以上に維持することを定め,森林や伐採業務を国有化。自然環境保護を国是とするブータンは,近年のエコロジーの流れもあって世界から注目を浴びています。絶滅危惧種であるオグロヅルが飛来するポプジカ谷では,オグロヅルを保護するために住民が地上の電線施設を一時断念しました(現在は地下ケーブルにより電化が実現)。この話はGNHの理念を象徴するエピソードです。一方で,都市への若者人口流入や雇用不足などの問題も起こっており,政府は急速な近代化ではなく持続可能な発展を目指しています。
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上記のようなブータン国紹介を、外務省の官僚さんが書かれているのですが、どのような気持ちで書かれたのでしょうか。わが国もこうありたいと思っていらっしゃるのかどうか、一度お聴きしてみたいものです。
それはさておき、ブータンの子供たちって、未来を信じているのでしょうね。
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日本の子度たちもそうであって欲しい、子供たちが未来に希望を持てる国であって欲しい・・・そう願うばかりです。

袖振れ合うも多生の縁336~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅳ)!

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「今月は世阿弥の<初心忘るべからず>についてや。」
「物事を始めた時の気持ちを忘れたらアカンゆうことですね。」
「そうやけど、本当の意味は一寸違うねん。<初>という字は<衣>偏に<刀>で、着物を仕立てる時、一枚の布を裁ち次々と刀を入れ布の形を変えて仕上げるから、初心とは変わる事、変えていく事で、それを忘れるなというのが真意やそうや。」
「えー、知りませんでした。」
「世阿弥は、お能の稽古は一生をかけての修行で、もうこれでえゝちゅうことはない、常に自己変革すべしと教えてるのや。」
「そうか、能楽だけやのうて何事もそうですよね。」
「そや。脳科学者の茂木健一郎さんは、人生最高の創造は自己変革やと言うてはる。私も三代目社長になった時より少しは成長してるやろけど、これから益々変わろと思てる。来年から、いや来月から、いやいや今日から変わります!」
「どない変わりはるのか楽しみや。よーし、ボクも変身する象!」


この月報見るまでは、私も<初心忘るべからず>は<物事を始めた時の気持ちを忘れるな>ということやと思てましたから、青天の霹靂でした!
成る程<初>という字は<衣偏に刀>ですから、着物を仕立てる時の裁断から来たのでしょう。
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誰もが能楽のお稽古をしてるわけやないですけど、生涯学習というように学びは一生ものですから、私も日々勉強し続けて変わり続けますわ。そやけど茂木健一郎さんもえゝこと言うてはりますな。そうか、自己変革が人生最高の創造か・・・
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ほな、昨秋ガラ携を廃棄し古き良き昭和に立ち返ったワタシは人生最高のクリエイトをしたっちゅう訳ですな。
これ、自己満足でしょうね。それはさておき、次も私は目から鱗でした。
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「今月は<鶴の恩送り>についてや。」
「あれ、<鶴の恩返し>やないんですか。」
「普通知られてるのは、鶴が助けて貰ろた恩を機織りして返すのやけど、元々は受けた恩を返すのやのうて、鶴から人へ、人間が自然から受ける恵みの話しやった。」
「知りませんでした。」
「あのな、恩返しは二人だけのやり取りやけど、恩送りは誰かから受けた恩を送り渡すように別の人に対してする、そしてその別の人が又誰かにする。」
「成る程、そしたら二人だけやのうて、次々広がりますよね!」
「そやろ。鶴から受けた恵みを道端の草に返すのも良し、人に返してもえゝのや。私もお得意様はじめ色々な方にご恩を受けてるから、それをデフバスケやアイバンクなど福祉に返させて貰ろてる。英語で言うと、恩を、恵みを未来まで届ける幸せのぐるぐる巡りや。」
「えゝですね!その恵みの輪を、幸せの輪を、社長からボクが受け継ぎますわ!」
「嬉しいな! これも立派な、次代へつなぐ新たな挑戦や!」


私は長年演劇をやってましたけど、木下順二さん作・山本安英さん主演の「夕鶴」を何度も観劇して感激しましたので(安易な語呂合わせですナ)、
人間に助けられた鶴が機織りして恩を返すとアタマにこびりついてましたけど、本来は<恩送り>やったとは!
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考えてみますと、<恩返し>より<恩送り>の方がずっとずーっと広がりがあるし、エンドレスになりそうですよね。
そうそう、月報でもにふれてますが、これってワーナーブラザーズの映画なんです。
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あらすじは・・・
ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。 中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。トレバーはこれを実践するため、“渡す”相手を探す。仕事に就かない薬物中毒の男、シモネット先生、いじめられている同級生…。 いろいろと試みるものの、なかなかうまくいかず、「ペイ・フォワードは失敗だったのではないか」とトレバーは思い始める。しかし、トレバーの気づかないところで、このバトンは次々に受け渡されていた。
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私も今まで長い人生を歩んでた間に色々な人のお世話になってここまでやって来られましたから、そのペイ・フオワードを始めたいと思います。
さて、私のファーストステップがどのように広がるのでしょうか。それは神のみぞ知るですが・・・。
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袖振れ合うも多生の縁335~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅲ)!

4月26日のブログで次回は2017年の<Say象のつぶやきます象!>を取り上げると予告しましたが、令和がらみで一ヶ月過ぎてしまいました。今日、久しぶりに<Say象のつぶやきます象!>を取り上げさせて頂きます。
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「新年も早、松の内を過ぎましたね。」
「今迄キミに印刷と出版とITの話をしてきたけど、今年は福祉について聞いて貰おと思てるのや。」
「福祉て、一昨年夏に始めたセブン中桜塚事業所の事ですか?」
「そや。そやけどそれだけやないで。去年、障がい者は生きる価値が無いて殺そうとした哀しい事件があったよな。」「はい、メチャ可哀想でいつの間にか泪が・・・」
「私は障害を抱えてる人をもっともっと大切にせなアカンと思てる。古代文明を誇ったインカには、6本指の掌の周りを囲んだ5本指の掌が、障害のある掌を大切そうに優しく守ってる図柄の織物があるのや。」
「うわー、それってスゴイ!」
「障がい者は神様に選ばれた人という考え方がインカにはあったのや。この精神を私達も学んだらええのにな。」「ボクもそう思います。いや、思うだけやのうて出来る事があったら何かやりたいです!」
「私もそや!そんな思いで取り組んでますが詳細は追々お話し致しますので、ご支援の程よろしくお願い申し上げます!」


私もインカの6本指タペストリーを見て思うところ大でした。この月報の筆者さんが仰るように、障がいを持って生まれた人や人生の道すがら障がいに出逢った人達は、神様に選ばれ重荷を背負った偉い存在なんだと敬う風潮が少しでも広まれば・・・と思います。
ところで、この月報を出してはる日本印刷出版の小林社長は、長年大阪アイバンに協賛する他、色々福祉に貢献されていて、わが友ながら偉い!と思います。こない言うと社長は、「いゃあ、エライのは身体の方ですわ」と照れ笑いされるでしょうね。
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お次は東京オリンピック・パラリンピック開幕まであと500日の先日、全33競技の「ピクトグラム」50種類が発表されましたね。ピクトグラムとは各競技や施設を絵文字で表す記号で、競技用はTVなどでも取り上げられていましたが、施設は紹介されていませんでしたから、ここで少し取り上げてみましょう。
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上図の左列下から二番目に<オストメイト用設備>がありますが、オストメイトとは癌や事故などにより消化管や尿管が損なわれ、人工肛門や人工膀胱を持っている人のことなのです。
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それから上図左列一番下の<カームダウン クールダウン>は、障害のある人が落ち着ける、暗くて静かな部屋なのです。
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ところで、前からパラリンピックのパラて何やろと思てたんですが、下の月報で分かりました。皆さんはご存じでしたか?ご存じなかったら、読んでみて下さい。
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「風薫る季節です。」
「はい。ボク、風切って飛ばすブーメラン大好きなんです。あ、先日赤と青と緑のブーメランみたいなマークを見たんですが、あれって何ですか?」
「それはパラリンピックのシンボルマークで、人間の心(スピリット)と身体(ボディ)と魂(マインド)を赤・青・緑の三色で表してるのや。」
「そうか、3つの内どれが欠けても困るもんね。」
「そや。私はな、<福祉は文化>が信条やからパラリンピックはスポーツであり文化でもあると思てる。」
「成る程。そやから2020年の東京パラリンピックは是非成功して欲しいですね。処で、パラリンピックのパラって?」
「パラプレジア(Paraplegia:脊髄損傷で下半身が不自由な症状)のパラで、そんな人達の競技会という意味やったけど、今はパラレル(Parallel:平行)なオリンピック、同時期に行われる<もう一つのオリンピック>と意味づけをしてるのや。」
「パラレルの方がずっとえゝですね!」
「異次元世界(パラレルワールド)でもパラリンピックやってるかも???????」


Say象クンやないけれど、<パラ>の意味は<バラレル>の方が勿論良いし、世界中の人々の意識が本当にオリンピックと同じで、パラレルに行われる競技会であることを切に切に願っております。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁334~真紅組の新元号初公演「慶應不思議草子」は本当に不思議な作品でした!~

画像画像左の写真は、真紅組プロデュース公演2019「慶應不思議草子」のチラシ(表)です。
一寸見にくいですが、左上に目をこらしてご覧下さい。

紫雲(?)に乗ったどや顔の猫が、『慶應三豊年踊之図』と旧漢字で書かれたお札を持ち、小判を撒いています。

そして大勢の猫たちが、お札の舞い散る中、無我夢中で狂喜乱舞していますよね。

それから下の写真はチラシの裏面で、中央左に大書されたタイトルの近辺に作品概要のコピーが書かれています。

慶應三年の夏。
元号が明治になる前年。
土佐藩の顕助たちは、京の白川にいた。
慎太郎の作った「陸援隊」に入るために。

京の街は志士たちを中心に大騒動。
街に流行るは奇妙な踊り。

ええじゃないか、よいじゃないか、 えーじゃないか

京に住むものたちも、その行く末を固唾を呑んで見守っていた。
維新前夜、京の町に起こった、ちょっと不思議な物語。




そうか、今回の作品は、中岡慎太郎が組織した倒幕の軍事組織である陸援隊とええじゃないか騒動の話なんやなと、チラシを見て思ったのです。<ええじゃないか>はWikipediaによると、江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。と説明されています。
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上の画像はええじゃないか踊りの絵図ですが、これをじっと見ていると、真紅組のはなんで猫が踊ってるんや???と思ったのであります。でも観劇前にリーフレットを貰い、一見して納得!でした。
というのは登場人物が紹介されており、先ず岩倉具視。(写真下)
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              お次は陸援隊長中岡慎太郎(写真下)
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           そして陸援隊士の顕助(後の陸軍少将田中光顕)
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さらに慎三(大橋慎三。後に明治政府に出仕して式部佑・開拓判事・太政官大議生を歴任)と精一郎(後の石川・愛知・福岡・広島知事を歴任した岩村高俊)
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中岡慎太郎の陸援隊に先んじて、坂本龍馬が中心となり結成した会社組織、海援隊の隊士陽之助(後の外務大臣・農商務大臣、陸奥宗光)
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同じく海援隊士与三郎(竹中与三郎。龍馬暗殺の黒幕紀州藩士三浦休太郎を討つ為、天満屋への斬り込みを志願し参加。手首を斬り落とされ、股部にも傷を負うなど満身創痍になりながらも奮戦。後の消息は不明)
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同じく宗七(加納宗七。与三郎らと共に三浦を襲撃したが失敗に終わり、追手を逃れ開港直後の神戸に移住し、材木商・廻船・舟宿などを営んだ)
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陸援隊及び海援隊に敵対する新撰組の斉藤(斎藤一。沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣と言われた剣術の達人。後に警察官となり、警部まで昇進)
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同じく新撰組の梅戸(梅戸勝之進。戊辰戦争の甲州勝沼の戦い後、仙台で降伏。以後の消息は不明)
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同じく大石(大石鍬次郎。組の内部抗争で伊東甲子太郎を殺害し罪に問われ斬首刑に処された)
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続くは宮川(宮川信吉。龍馬と晋太郎暗殺の黒幕三浦休太郎襲撃の天満屋事件により戦死と伝えられている。下は信吉の墓)
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龍馬・慎太郎暗殺の疑惑から逃れる為か、町人に身をやつす三浦(元紀州藩士三浦休太郎。後に貴族院議員・東京府知事)
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等々、史実に基づく維新の志士達が織りなすドラマを描くとなると、男優中心となり、女優は志士を取り巻く女達の役でしか演じる場がなく、芝居に真紅組の誇る華と彩りが薄れてしまうのです。そこで、そこでですね、作者の阿部遼子さんは、志士たちの集う茶屋や屯所に棲まいする化け猫や飼われている猫たちをフィーチュアしたのでしょう。何たる慧眼!
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ワタシは商業ベースのドラマ創りを長年やっていましたから、出演者たち、特に女優さんを活かす気配りは劇作上必要不可欠でした。因みに、ワタシは中岡遼太郎が愛猫家で猫を飼っていたのか、史実かどうかを一寸調べてみたのですが、残念ながら不明でした。阿部さん、これってホンマですか?
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ま、それは兎も角、若木志帆さん扮する玉野宮を化け猫の女頭領に頂く眷属たちの四天王は、古田里美さんの萩野・猪谷洋子さんの桐野・阿部遼子さんの梅野・八田亜哉香さんの藤野、そして化け猫修行中のメイに和田明日香さん、ミケに山本美和子さん、トラに野村ますみさん、モモに服だ真紀子さん、クロにたもつさん、コトラに松本祐子さんの6人衆など、キャット軍団がとてもとっても良いんですよ、ハイ! いえ、猫仲間たちだけでなく、志士たちの群像を演じる男優さんたちも活気があってなかなかグーなんですよ、ハイハイ!!ま、舞台空間一杯にエネルギーが満ち溢れているのが真紅組のお芝居なんですよ、ハイハイハイ!!!
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あ、それからこのブログを書くべしで、PCをいろいろ検索していると、観劇の感想を綴っているブログがあり、

おかだまるひさんの岩倉具視はちょっと配役ミスかな 。。(苦笑) 台詞回しは公家を意識されてゆっくり話されてましたね。そこは良かったですが岩倉具視は小男ですからね(笑) 西郷隆盛役ならピッタリですけど(笑)・・・

と書かれていました。
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西郷どんなら・・・というのは分かりますが、ワタシは岩倉具視がミスキャストとは思いませんでした。というのは、岩倉具視が小柄だとは知らなかったし、ホンマに小男かどうか調べてみますと、

公は身長五尺三寸(約160cm)。『岩倉具視公』より

との記述がみつかりました。『岩倉具視公』なる文献は、徳富猪一郎(明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰。号は蘇峰で徳富蘇峰として著名)著で昭和7年に刊行されており、国立国会図書館デジタルコレクションに蔵書が収められています。
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                   (上の写真は徳富蘇峰)

幕末当時、身長160㎝というのは、今と違って小男でなく、むしろ大きいと言えるかも。それに岩倉公のアクティングエリアは、志士たちを見下ろす高所に限定されていて、志士たちが仰ぎ見るような、志士たちを束ねるような存在が見事に演出されていました。そして岩倉公を演じるおかださんの巨漢は圧倒的な存在感があり、ワタシはこの配役になんら違和感を抱かなかったのであります。ま、人それぞれの感じ方があるのですね。

そしてドラマが終わった後にフィナーレとして、幕末・明治・大正・昭和・平成のヒット曲をメドレーにして歌い踊るショーがあり、そのラストに令和の幕が振り落とされたのですが、このフィナーレショーは全員溌剌としてエネルギー全開で、出演者の皆さん達もエンジョイされていたようです。中でも巨漢をゆさぶり踊るおかださんの存在は、ユーモラスで好感100%でした。ワタシはかってレビューもやっていましたから、とても懐かしく楽しめましたよ。
とりとめなく、大した感想を書かない内に結構長くなってきましたので、最後に、真紅組の出演者さん達の中で、いつもワタシが注目している古田里美さんですが、今回は口上風の口跡がビリリとキリッと場を引き締めていましたし、客にどんどん飲ませる映像早回しのようなコミカルな一寸したシーンも見事でした。
ではでは。
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あ、忘れてた。
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真紅組初めてのクラウド・ファンディングも、心温まる優しいステキな試みですね!

袖振れ合うも多生の縁333~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・(Ⅲ)

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先週の土曜日、真紅組のお芝居、新元号初公演「慶應不思議草子」にご招待頂いたので、今日はその迫力満点のお芝居を取り上げるべきなのですが、平成最後の日のワタシの行動について書き残しておりますから、令和元年に相応しい真紅組の力作については次週にさせて頂きます。ゴメンナサイネ。
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さて、今日より18日遡りタイムトラベル致しまして、平成31年4月30日早朝、ワタシは朝毎二紙を買い求め、つぶらな瞳(?)でつぶさに読み続けておりますてぇと、はたとは気付いたらぶつぶつつぶやいておりました。つぶやくのならツィッターでありましょうが、ワタシは某大統領と異なりツィッターはやりませんので、プログに書き綴る次第であります。
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さてさて毎日新聞はてぇと、<202年ぶり 憲政史上初>との見出しを掲げ、3面にクローズアップ、退位に至る諸問題を詳細に報じておりましたので、早速3面に目をやりますと・・・

2016年8月の退位の意向がにじむ天皇陛下のビデオメッセージから、退位の実現まで2年9カ月。(中略)陛下はメッセージの中で、地方や被災地への訪問などで国民と触れ合う「天皇の象徴的行為」を重視してきたことを振り返られた。当時82才の陛下は「身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもつて象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」との考えを示した。(中略)天皇の活動は①国事行為②公的行為③その他の行為ーに分類される。

そして、その記事の左に<天皇の役割を巡る論点>についての一覧が掲載されて居ますので。その画像をシェアさせて頂きます。
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公的行為は、天皇が憲法1条の「象徴」としての地位に基づき行う活動で、メッセージで陛下が重視した国民との交流が該当する。(中略)

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因みに日本国憲法第一条は、『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く』です。従って陛下は、日本国民の総意に基づくであろうと思われる象徴としての活動を地方や被災地への訪問等とお考えになり、そのように行動なされ続けてこられたのでしょう。

有識者会議の専門家ヒアリングでは退位支持の声が多数を占める一方で、反対論も出た。(中略)高橋和之・東京大名誉教授は「憲法上、想定されていない象徴的行為が困難になったという退位の要件を定めることは、憲法の趣旨に合わない」と制度化は困難だと指摘した。
安倍晋三首相に近い保守系の識者は「その他の行為」に当たる宮中祭祀を重視する考え方を主張。「天皇の仕事は祈ることで、国民の前に姿を見せなくても任務を怠ることにならない」(故渡部昇一・上智大名誉教授)などの声が出た。


身体が衰えたら宮中祭祀だけしてりゃええやんかという、このご意見の方は、祈りという行為がどれ程全知全能を注ぎ込まなければならないかを全くご存じないのでしょうね。陛下のメッセージでは身体の衰えによって宮中祭祀が全う出来にくいとのお言葉は有りませんでしたが、元宮内庁書陵部編修課長の米田雄介さんによれば、昭和天皇は70歳ぐらいから新嘗祭の夕べの儀と暁の儀の二度出座すべきところを夕べの儀のみにされていたり、今上陛下も神事奉仕の一部を既に削除されている由。(吉川弘文館 「本郷」2019.5 NO.141)
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            (元宮内庁書陵部編修課長米田雄介氏)
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                (陛下在位中最後の新嘗祭)

陛下が取り組んできた象徴天皇像と、保守派が描く伝統的天皇像の食い違いが表面化した。
新たな天皇像に基づく退位が実現すれば、国家の中心に天皇を据えた明治時代以降の天皇制が変化することを意味する。


戦前まで現人神であられた明治以降の天皇像が変化するのは保守派にとっては大問題なのでしょう。例えば自民党の憲法改正草案(2012.4.27決定)をみると・・・
現行憲法第一条が、
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』
であるのに対し、自民党憲法改正草案の第一条は
『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』

となっています。
自民党案では天皇を元首と明確に定めていますが、元首というのは熟成した儘の日本酒、あ、これはシツレイ、元首とは外部に対して一国を代表する資格を持つものでありまして、現在の日本では定められておらず、天皇か内閣総理大臣がつとめているのです。ほな、憲法で天皇さんに決めても別にええんやないか・・・と思うお方もおられるかも知れませんが、天皇を元首と定めた暁には、大日本帝国第一條『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』や第三條『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』のように、<天皇は国家元首であり、主権は天皇に存し、天皇は神聖不可侵(おかすべからず。天皇の尊厳や名誉を汚してはならないこと)>というような現人神としてなし崩し的に祭り上げ移行したいのではありますまいか!?これって、杞憂やおまへんで。
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報道各社の世論調査では退位を支持する意見が多数だった。「国民と共に」を実践してきた陛下の姿勢が国民の共感を得たと言える。退位自体や制度化への反対論がある中、政府は政権運営に影響を与えないよう細心の注意を払った。安倍首相が当初から「特別立法しかない」と周辺に語っていた通り、「国民の共感」を立法の根拠とする緊急避難的な折衷案で対応することになった。17年6月、(中略)退位特別法は成立。

緊急避難の付け焼き刃やのうて、本当はキチンと議論を重ね、<超高齢化時代における天皇退位>を国民の総意を踏まえた議員立法で法制化(皇室典範改正)すべきやったのと違いますやろか。(因みに、退位特例法は内閣提出法案)
さて、特例法で陛下に退位して頂くことになった訳ですが、退位の儀式をどのようにするか、安倍首相や菅官房長官は憲法を睨みつつ暗中模索し平成最後の日を迎えたのであります。

退位は1817年の光格天皇以来で、神社本庁など保守派は伝統を踏襲するよう求めた。(中略)退位礼正殿の儀の日程を巡り、保守派は退位と即位の儀式を同じ日に同じ場所で行うべきだと主張していた。陛下から皇太子さまに剣と璽を直接受け継ぐことで、「三種の神器」の継承者として、神話に基づく地位を強調する考え方に沿ったものだ。

その言い分はようわかるし、そうしたいのはやまやまやけど、そうすると憲法上マズイことになってしもて政権がぶっとぶかも・・・そないならへんように、言葉は悪いけど、どないしてつじつまを合わせるか・・・
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退位礼正殿の儀のTV中継を見ていて、あ、そうか、陛下から皇太子様に直接受け渡ししやはらへんのや、剣と璽は侍従が持ち込み陛下のそばに置き、儀式後侍従が持ち帰ってましたわな。それで翌日、「剣璽等承継の儀」で新天皇の前に侍従が置き、直接授受を避けたのですね。この他、辻褄合わせの苦心の策略、<退位の儀と憲法整合性>を対比させた一覧が3面に掲載されていましたので、これも又シェアさせて貰います。
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そうそう、退位礼正殿の儀に於ける剣璽の件よりも、ワタシは安倍首相の表明内容が些かひっかかるものがありましたので、それについて・・・
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写真は、「退位礼正殿の儀」で天皇陛下に謝意を伝える安倍晋三首相ですが、その挨拶は・・・

謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、皇室典範特例法の定めるところにより、本日をもちましてご退位されます。
平成の30年、「内平らかに外成る」との思いの下、私たちは天皇陛下と共に歩みを進めてまいりました。
この間、天皇陛下は、国の安寧と国民の幸せを願われ、一つ一つのご公務を、心を込めてお務めになり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。
わが国は、平和と繁栄を享受する一方で、相次ぐ大きな自然災害など、幾多の困難にも直面しました。そのようなとき、天皇陛下は、皇后陛下とご一緒に、国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ、国民にあすへの勇気と希望を与えてくださいました。
本日ここにご退位の日を迎え、これまでの年月(としつき)を顧み、いかなるときも国民と苦楽を共にされた天皇下のみ心に思いを致し、深い敬愛と感謝の念をいま一度新たにする次第であります。
私たちは、これまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、さらに最善の努力を尽くしてまいります。
天皇皇后両陛下には、末永くお健やかであらせられますことを願ってやみません。
ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層のご繁栄をお祈り申し上げます。

朱色にした処が問題点なのですが、先ず冒頭部分について、毎日新聞はこう論じています。

退位礼正殿の儀では、まず安倍晋三首相が国民の代表として特例法の定めで陛下が退位すると表明する。退位は陛下の意志によるものではなく、国権の最高機関である国会が制定した法律によるもの、と明確にする狙いだ。

あ、そうか、そうなんや。確かに、陛下の退位のご意向を国民が賛同したから・・・と言及してませんですよね。
もしこう問いつめられたら安倍首相は、「特例法第1条に、ご指摘の趣旨が明記してありますので、私の挨拶で改めて述べる必要はないのであります。」と答えるでしょうね。

平成二十九年法律第六十三号
天皇の退位等に関する皇室典範特例法

第一条(趣旨) この法律は、天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。


成る程、特例法の第1条には、<国民は陛下のお気持ちを理解し、これに共感している>と明記されていますが、安倍首相が、この国民の賛同こそ何より大切にしなければとの思慮から特例法を制定したのであれば、国民を代表しての挨拶にも、その旨を盛り込んで欲しかったですね。でも首相は、国民が陛下の退位のご意向を是としたのを是としたくなかったのではありますまいか。ま、それは定かではありませんが、挨拶の終わりの方の、平和で云々という部分ですが、積極的平和主義なんて羊頭狗肉を掲げてアメリカの先兵となり、近い将来戦争しようとしているのに、「平和日本を創り上げるため最善の努力を尽くす」なんてよう言うわ!
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とぶちぶち言うてたら、今回も結構長くなってきましたね。ということで、最後は202年前に生前退位された光格天皇について少々。
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光格天皇が退位なされたのは40歳半ばですから、上下の写真の中間くらいでしょうが、なかなか迫力あるご尊顔であらせられたのですね。光格天皇即位早々に天明の大飢饉々が起こります。京の人々は京都所司代に訴えたものの、太平の御代のせいか危機管理能力の失せていた役人達は、何ら対応することが出来なかったので、人々は天皇のおわす御所に向かったのです。
勿論中には入れず、門のあたりで天皇の御座所の方角に向かって祈り、賽銭を投げるという人々が出はじめたたのです。当初は数人だったでしょうが、10日後には7万人を超える民衆が集まったとか。しかしながら当時、皇室や貴族が民衆に何かを施すこと、そして幕府の政に物申す指示を出すことは、【禁中並公家諸法度】で禁じられていました。「禁中」とは御所(天皇やその住まい。実質的には皇族)、「公家」=貴族、「諸法度」=法律で、第一条は、天皇が先ず為すべきは学問である。要するに政治に嘴を突っ込むなちゅうことですわな。現行憲法4条が、「天皇は国政に関する権能を有しない」というのとまさにセームセームですね。
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ところが光格天皇は10歳でありながら、幕府に「民を助けよ。お助け米を出されよ」と要請したのです。幕府は喧々囂々(けんけんごうごう)、侃々諤々(かんかんがくがく)の大議論の末、天皇の要請に応ずるのではないとしつつ、お助け米を特例として出したのです。幕府は例外のつもりだったのでしょうが、「朝廷が幕府を動かした」という事実が語り継がれ、約100年後、維新の柱の一つである尊王論となり、倒幕の流れの源流となったのです。
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このような202年前の光格天皇が投じた幕府に物申す一石を、平成の御代の天皇陛下はご存じであられせられたのか・・・それは定かに非ず、なのであります。長々とお疲れ様でした。
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袖振れ合うも多生の縁332~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・(Ⅱ)

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平成最後の日の早朝、ワタシはコンビニで朝日・毎日と二つの新聞を買い求め、改元関係の記事をじっくりと読んでみたのあります。
先ず朝日新聞から。この画像では見出しすら一寸見づらいですが、メインの大見出しは、<元号案 首相指示で追加>、そのサブとして<3月下旬「令和」提出>とあり、冒頭概要あって、<皇太子さまへ事前に原案>となっています。
ナニナニ、新天皇になられる皇太子様に新元号案をお見せしたのか・・・そらまあ、新元号の時代の新天皇さんやから・・・と思ったのですが、待てよ、憲法や元号法上、そないなことしてええのやろか?と疑問に思い、記事を読んでみると<「令和」改元をめぐる流れ>が一覧されていましたので、それをシェアさせて頂きます。
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そして1・2面の記事をまとめますと・・・
首相は3月28日の首相官邸幹部らによる協議で「令和」などを原案とする方針を決定。
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政府関係者によると、翌29日首相は皇太子さまと一対一の面会で六つの原案を説明したという。そしてその後の4月1日、有識者による元号に関する懇談会、衆参両院正副議長への意見聴取、全閣僚会議を経て元号は「令和」と決定されたが、首相はこうした国民代表に意見を聴く前に、新天皇となる皇太子さまに事前説明していたことになる。政府(内閣法制局幹部)は「意見を求めず状況報告するだけなら、憲法上の問題は生じない」としているが、憲法学者高見勝利上智大名誉教授は、「皇太子への事前説明は元号の制定を天皇から切り離した元号法の運用を誤るものだ」と指摘し、「憲法4条は天皇は国政に関する権能を有しないだけでなく、政治の側が天皇の権威を利用することも禁じている。こうした首相の行為は皇太子に意見を求めるかどうかに関係なく、新天皇の政治利用にあたり、違憲の疑いがある」と批判している。
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          (憲法のご意見番といわれている高見勝利氏)

では首相は、皇太子さまにご意見を伺ったのではなくても、何故事前説明をしたのでしょうか!? このワタシの疑問について1面では、<日本会議など保守派が求めており、自らの政治基盤に対する政治的配慮>とあり、更に2面では更に詳しく説明されていました。

首相は通常、天皇に国政報告を行う内奏は行っても、皇太子に個別に会うことはない。このためまずは天皇陛下に、そのあと皇太子さまのもとへ向かった。「首相は新元号が自らのおくり名となる皇太子さまだけに元号案を説明した」。政府関係者の一人は、そう明かす。(中略)憲政史上初の天皇退位にとなった今回、政府は新元号を事前公表する方針を固めた。新元号を天皇陛下の在位中に決めれば、新元号を記した改元の政令に署名・押印して公布するのも、いまの陛下になる。これに対し日本会議などの保守派は「新天皇による公布」を求め、強く反発した。

このような記事なのですが、ワタシが思うに、<皇太子さまだけに元号案を説明した」というのはホントなのか?皇太子に会う前に天皇に会っているのに、ホンマに元号案を説明しなかったのかな? ま、それはえゝとして、
政府が<新元号を事前公表する方針を固めた>のは、国民生活への影響を最小限に抑える為とのことですから理解出来ますよね。これに対し日本会議などの保守派は、元号は諡(おくりな。令和元年5月1日に即位された新天皇陛下が崩御されると令和天皇の名をおくられる)であるから、天皇のものであるという強固な思想を持ち、皇太子さまの5月1日新天皇即位後に新元号を公表し、新天皇が改元政令に署名すべきであると強く主張していたのです。首相官邸内では「日本会議」国会議員懇談会幹部の衛藤晟一首相補佐官が「事前公表反対」を主張、官邸事務方は「国民生活への影響が大きい」と反論し、事務方トップの杉田和博官房副長官が衛藤氏と折衝を繰り返した由。 画像画像

左写真の左端が杉田和博官房副長官。












右写真は靖国神社参拝をする衛藤晟一首相補佐官。









保守派は政権の固い支持基盤で、こじれれば安倍晋三首相が目指す憲法改正に影響が出かねないので、交換条件として皇太子さまに事前説明を行ったというのです。

今回、首相は(新元号令和の)発表日ではなく、3日前に「事前説明」という全く別の形で新天皇への配慮をしたことになる。(新天皇だけでなく、支持基盤の国民会議への配慮も) その上で4月1日当日は閣議決定後に天皇陛下と皇太子さまに伝えた。記者会見の最後には「閣議決定を行った後に、今上陛下および皇太子殿下にお伝えいたしました」と強調した。しかし、発表3日前に複数案を提示した首相の行為は、閣議決定直前に「平成」を伝達した前回よりも「新天皇が元号の選定過程に関与したのではないか」という違憲の疑いを強く招く結果をもたらした。( )内は筆者補足。

とこのように結んでおり、2面の見出しも、
「新元号 濃い政治色」「事前説明 違憲の指摘も」「保守派に配慮 交換条件」
となっています。
あれ、朝日新聞だけで結構長くなってしまいましたから、毎日新聞の改元記事については次回に。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁331~昭和最後の日、平成最後の日のワタシは・・・

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平成から令和になって4日目ですが、昭和から平成になった時と違って、新しい時代が来る!という期待ムードがあるように思えます。昭和から平成の際は昭和天皇が崩御され、喪に服すというか、民放TVはCM自粛など歌舞音曲を控えようとしていたから、新しい時代に浮かれることなど出来なかったのでしょう。
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昭和天皇は1989年1月7日午前6時33分に皇居・吹上御所で崩御され、午前8時に天皇陛下崩御の知らせを受けた小渕官房長官は依頼していた数人の学者から「新元号の候補名」の提出を受け、午後1時03分首相官邸で「元号に関する懇談会」を開き各界の意見を聞き、午後2時18分臨時閣議を開催し新元号を「平成」と決定し、午後2時36分新元号・平成を発表したのです。
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昭和天皇崩御により、憲法と皇室典範に基づき皇太子明仁親王が皇位を継承し即位され、新天皇陛下初の公務、「元号を改める政令」に御名御璽なされたのですが、その政令によると、『公布:昭和64年1月7日』『施行:平成元年1月8日』と定められていますから、昭和天皇崩御の日で昭和はエンド、翌日平成がスタートしたのです。
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処で、昭和最後の日を迎えた31年前、私はABC朝日放送で『トヨタさわやかパトロール』という月~金番組のレギュラー出演をしており、その日の早朝、プロデューサーから特番の為『さわパト』はお休みと電話があったのです。それで私はその頃左肩の痛みがひどく、番組休止をもっけの幸いと病院に行ったのです。レントゲンを診た医者は、「これ、50肩や。」と言いつつカルテにチラリと目をやると、私の年齢が47才だったので、「ほな、40肩にしとこか」と宣うたのです。
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ま、病名なんてどっちゃでもええですけど、薬を貰い、「肩を温めるとええで」と奨められたので、帰宅するなり風呂に入ったところみるみる痛みが失せたのです。すっかり気を良くして晩酌に一杯やったら夜寝てから痛みがぶり返し難儀したものの、翌朝平成初日には何処吹く風だったのであります。これが昭和から平成への思い出ですが、私の左肩の痛みはこのようにして消えたのですが、それから7年後、平成7年に右肩が四十肩、いえ歴とした五十肩になってしまったのです。平成7年といえば1995年。そう阪神・淡路大震災の年ですよね。
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私のマンションは半壊にも至らなかったのですが、部屋の中は食器棚が倒れ器は散乱しメチャメチャ、書斎の壁一面に設えた本棚の本は総て飛び出し床から天井までうづ高く積み重なっている有様でした。それを火事場の馬鹿力で必死に片づけてホッ・・・としたら肩の痛みがどこかに飛んでしまっていたのです。
そして、その日から平成最後の今日まで再発することもなく、地震が五十肩を治してくれた怪我の功名(?)なのでしょうか? 怪我の功名という言葉の使い方が間違ってるかも知れませんが、ま、ええか。
しかし平成時代には、阪神・淡路大震災だけやのうて、新潟県中越地震、東日本大震災・原発事故・熊本地震など色んな天災・人災がありましたよね。令和の時代には天災は仕方ないとしても人災はあって欲しくないと強く祈る次第です。
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あれ、シメの言葉のようになってしまいましたので、今回はこの辺にしましょう。
平成最後の日については次回ということで。ではでは。






















袖振れ合うも多生の縁330~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ(Ⅱ)!

前回は2015年の<Say象のつぶやま象!>でしたが、今回は2016年のからピックアップ致します。
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お正月も早や過ぎました。
「正月の酒と言えば<おとそ>やけど、お屠蘇(とそ)て屠(ほふ)り蘇(よみがえ)ると書く物騒な名前やで。」
「ホンマ、屠るて殺す事やもんね。」
「それで一寸謂われを調べたんやけど、お屠蘇て中国は唐の時代に始まったそうで、都の長安には景教(ネストリウス派キリスト教)が広ま ってて、屠られ蘇ったキリストさんの復活を祝う酒を屠蘇と言うたのや。」
「ほぉ、社長物えらい知りやな!」
「まあな。いや、幾つになっても学ぶ気持ちを持ってるのは親爺を見習うてるからや。親爺は土佐堀の大石堂いう印刷屋に偶々(たまたま)勤めるようになり、働きながら苦学して会社を興したんやけど、英文印刷の格調高いオックスフォードルールを完璧に実施したのが商売繁盛の切っ掛けやったのや。」
「親爺さん偉い!」
「そや、何しろその頃から未だにご贔屓にして下さるお得意さんがいてるのはメチャ有り難いで。」
「お得意様万歳!創業者万歳!三代目社長万歳!」
「万歳は万歳でもお手上げにならんよう、今年も初志を忘れず精一杯を超えて気張りますので、何卒よろしうお頼申します!」


お屠蘇って、成る程、屠り蘇るですよね。それがキリストの復活だとは!? うーむ、これってメチャ面白いやんか。この月報書いてる人て物知りちゅうか、雑学にたけてますなぁ。

お次は6月の月報を見てみましょ。
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六月、水無月です。
「梅雨で雨が多うて鬱陶(うっとう)しい頃やのに、水が無い月てどういうことですか?」
「水無月の無は<ない>やない。これは助詞の<な>で<の>の意味やから水の月ということや。」
「そら、知りませんでした。」
「六月は田植えの月で田んぼに水を仰山引くからなんぼ水があっても足らへん。そやから水が無い月とも言えるわな。私の若い頃、お金でも何でもジャンジャン使うのを湯水のように使うと言うてたけど、今や水は買う物で大切な地球の資源や。勿体ないの精神で節約して使こてや。それともう一つ、雨続きで鬱陶しいなんて言うたらアカン。晴天やったら良いお天気ですねと言うけど、ほな雨降りは悪い天気かいな。雨にしたら気ィ悪いで。」
「成る程。雨が降らんとお百姓さん困るもんね。あ、雨の日の挨拶で<いいお湿りですね>というのがあるよ。」
「そらえゝな。照る日曇る日雨の日雪の日、どんなお天気でも心は快晴や!」


水無月て、梅雨の頃やのになんで水の無い月やと私も思てました。そやけど水の月やったんですね。又ひとつ賢こなりましたわ。この月報、会社のイメージアップだけやのうて、昔タモリさんがやってたTV番組「トリビアの泉」みたいに面白い雑学ネタが盛り込まれてるから、私にとては貴重で毎月楽しみに待っているのであります。
ほな、次回は2017年のを。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁329~月報<Say象(セイゾウ)のつぶやきます象!>って面白いですよ!!!

4年前の春にこの月報のことを取り上げましたが、皆さんは覚えていらっしゃらないでしょうから、先ずそれを再録してみましょう。
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この象さんの子供、何処の動物園で生まれたんや? いえ、そやないんです。
Say象クンの素性をバラしちゃうと、彼は私達の演劇プロデュース集団BATを旗揚げ以来ずっとバックアップしてくれている日本印刷出版小林誠造社長の分身なんですヨ。というのは、小林社長がクライアントに自社の情報を載せた月報を出すに辺り、フツーの、貴社益々ご清祥につき云々・・・というのではオモロないんで、自分の名前の誠造に因んでSay象というキャラクターを創り、彼に喋らせることにしたのだとか。ですから月報のタイトルが<Say象のつぶやきます象!>

この月報は2015年4月22日に始まり、今も続いており丸4年を越えています。
当初から毎月、この月報が私にも送られてくるので、いつも到着を心待ちにしているのです。この月報を読む楽しみの一端を皆さんにご紹介したいと思いブログに取り上げる次第であります。
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処で、上の写真は月報発行人の小林社長ですが、私は彼とは50年来の友人で、そうそう大阪関西万博が決定しましたが、♪1970年のこんにちわ~~♪と三波春夫さんが唄った前回の大阪万博で知り合ったのです。彼はまだ大学生で、お祭り広場のスタッフにバイトとしてきていました。万博は3月半ばから9月半ばの6ヶ月でしたが、お祭り広場スタッフの内、小林さんとだけ行き来が途絶えず今に至っていjます。それは彼の人柄による所が大ですから、小林社長がどんなキャラクターなのか、最初の月報に書かれてるので月報の画像と全文をご覧頂きましょう。
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ハーイ、どうもどうもSay(セイ)象でーす。2015年4月22日、今日たった今、生まれたばかりなんやけど、もう、仰山(ぎょうさん)喋れるで! なんでかと言うと、ボクは日本印刷出版小林誠造社長と誕生日がおんなじで、そんでもって社長の分身やから日本語と関西弁のバイリンガル、ぺらぺらなんや。そやけどお喋りしすぎるとうるさいって言われそうやから、そっとつぶやくことにしますわ。
あ、そうそう、今から69年前の今日、漫画のサザエさんが夕刊フクニチに連載開始されたんやて。ボクもサザエさんのようにずっとずーっと長生きして国民的人気者になる象(ぞう)! いや、一寸待ってんか。今から69年先やと社長は135歳かァ。 いつ迄皆さんにこのつぶやきをお届け出来るか分からへんけど、とにかく頑張りますわ! なんでかと言うと、会社の行く末を決めるのは<経営者の熱意>というのが、小林社長のモットーやもんね。あの人ならやり続けてるかも!?
それにここだけの話やけど、インターネットの性格占いによれば、4月22日生まれの人は<決して嘘をつけず、ずるい事も出来ず、人を出し抜くことも出来ず、念には念を入れて丁寧に物事を処理し、何事にも手を抜くことのない実直で誠実>やて。そやからひょっとして百年後も二百年後もやり続けてるかも知れませんなぁ。
ま、それはおいといて、ボクも社長に負けんように、有象無象の取るに足らんしょうもない象にならんよう気張りますわ。
何しろ4月22日には、歴史的漫才師エンタツさん、映画監督・シナリオ作家の新藤兼人さん、服飾デザイナーの三宅一生さん、侍ジャパン(野球)の大砲中田翔クンが生まれてるから。アレ、これカンケーないか?


いゃあ、ほんまに小林社長てIT占いのように、<嘘をつけず、ずるい事も出来ず、人を出し抜くことも出来ない実直で誠実>なお人ですわ。そやから長年大阪アイバンクの賛助会員をされたり、還暦過ぎてから障がい者の福祉事業所を始めたり、デフバスケットボールをサポートされたりし、福祉は文化と言うお考えをお持ちの方なんですよ。
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              (デフバスケ選手を激励する小林さん)

次は2015年6月、梅雨の頃の月報を見てみましょう。<梅雨>とか<仕舞た屋>などの蘊蓄が傾けられていて、ワタシはこんなのを面白いと思うんです。
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先日、社長に連れられ初めて出社したんです。雨やったけどルンルン気分でした。あ、梅雨という言葉、中国から入ってきたそうで、黴(かび)が生えやすいから黴雨(ばいう)やったのを、日本人は梅の実の熟す頃に降る雨、梅雨にしたそうです。さて、会社はビルやと思てたけど、大きなフツーの家でした。社長は「仕舞た屋や。<しもたや>言うのは、昔お商売してたけど儲けたから店仕舞した家のことなんや。」と教えてくれました。「そうかァ、店じまいしたから仕舞た屋か。」
<梅雨>も<仕舞た屋>も優しくてえゝ言葉やなァ。ところで、その仕舞た屋の和風社屋にはピッカピカの印刷機が何台もあって、そんなえゝ感じの日本語を印刷してるのを見ると何だか嬉しくなりました。
「日本語だけやない。英語もやってるで。英文書籍は関西で十本の指に数えられる実績や!」と社長も嬉しそうでした。「それもこれも皆お得意様のお陰や。ホンマにありがたいこっちゃ。それを忘れたらアカン。」社長の口癖を又聞かされましたが、ボクもそう思います。もしかして社長の人柄て、この仕舞た屋ではぐくまれたんやろか。ほな、蒸し暑い毎日ですけど、お体に気ィつけておくれやす。さいなら。


<梅雨>と<黴雨>では全然イメージが違いますね。<黴雨>という漢字表記にしていたら、日本人はもっと6月の蒸し暑い長雨の季節を嫌っていたのではないでょうか。今は4月の半ば過ぎで梅雨にはまだ間がありますが、6月になったら、<黴雨>でなく<梅雨>と書くようにした日本人のメンタリテイを味わい、雨も又楽し、良いお湿りを楽しみたいと今から思っております。ではでは。
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袖振れ合うも多生の縁328~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅱ)

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この写真は私が参加したありがとう禅ではありませんが、参禅したみんなが大きな楕円状の車座に座って始めました。最初は「ありがとう呼吸法」で、鼻から吸い胸に溜めてからお腹に落とす腹式呼吸ですが、私がずっとやっていた腹式呼吸は、鼻から吸いダイレクトにお腹に入れるやり方でした。でも女性の場合、自然にお腹に落とせず胸に溜めてしまうから、この方が良いのでしょうか。
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次は「感謝念仏」です。腹式呼吸をしながら吐く時に、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を大きな声で発声します。感謝念仏中は合掌瞑目し、お世話になった人のことを次々に思い起こし、感謝の念を捧げます。その時やや顔を上に向け、自分が光に包まれていることをイメージしながら朗々と唱えるのですが、他の人と息継ぎを合わせる必要はなく、自分のペースで悠然と称えると、それぞれが発する「あ・り・が・と・う」の音が重なりあい、途切れなく常に響きわたり倍音になるのが効果を高めるそうです。それから、眼は半眼が原則なものの、閉じても開けても構わないので半眼で始めましたが、知らず知らずの内に目を閉じていました。目を瞑っていた方が集中できるように思えたのです。
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感謝する人々の中に、憎たらしい人が浮かぶことがあれば、<赦す>という言葉を直ちに思い起こし、次に進みます。私の場合、政治家のAさんが浮かんできたので即<赦す>という言葉を思うと、Aさんの魂も本来は憎たらしいんじゃない・・・との想念が浮かびました。闇の無意識に閉ざされているAさんの心に、少しでも光の無意識が差し込むことがありますよう、唯々祈るばかりです。
それはさておき、「あ・り・が・と・う」の五音は宗教や民族を超えた素晴らしい言霊であり、みんなで唱えることにより生じる高周波音には癒しの効果がある為、念仏中自然に涙がこぼれてきたり、器楽の音や歌声が聞こえてきたりすることもあるそうです。
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次は「観音禅」です。やり方は感謝念仏とまったく同じですが、合掌でなく手を膝の上に置いて称えます。感謝の対象を思い想い起こさず、ひたすら音を観じながら、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音の中に自分を埋没させていくと、いつの間にか音の中に自分を忘れ、無我の境に浸れたように思えました。そして、ゆるやかな、やわらかな鉦の音が響き、次のステップに進みました。
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次は仰向けに寝ころび同じく、「あー・りー・がー・とー・うー」の五音を唱えます。
宗鳳師は立って称えながらみんなの間を歩かれるのですが、師が近づかれると、師の声が慈雨のように降り注いでくるのを感じました。心の渇いた、乾いた方にとってはまさに干天の慈雨ですね。
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そして宗鳳師は、この場の人々を涅槃の境地にいざなうかのように、光のエナジーに充ち満ちた、えも言えぬ響きの読経をなされたのです!私は今までこのよう素晴らしい読経を聞いたことがありませんでした。声明を称えるお坊さん達はとて良い声をなさっていますが、師の読経は単に声云々ではなく、言霊と音魂が完璧に融合している!と私には思えたのです。嗚呼、この読経に包まれただけでも参禅して良かった!
それから最後は、「感謝の呵々大笑」(これは私のネーミング)です。師の笑いに呼応して、或いは各人各様さまざまに腹の底から大声で笑い続けるのですが、これ又無になる貴重な時間でありました。
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処で、宗鳳師はWEBサイトで、人の心の奥底に眠る「無意識の力」に身を委ねれば、生きることはもっと気楽で創造的になると、<無意識の光>を提唱されておられます。
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では、無意識の力とはなんぞや!?
もう少し知りたくてPCを検索していますと、Kyosuke Kuwaharaなる方の<こころり中の「五重塔」>で下記のような図式を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
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普通五重塔は地上に五層積み上げられていますが、心の五重塔は地上1階地下2階なのです。シェアさせて頂いた図式の下の説明が上の図では少し読みにくいので、私なりに要約させて頂きますと・・・

1F:<自我意識>・・・色々な情報をキャッチして判断し、行動を決める。

B1:<潜在意識>・・・現実の体験から来る情報と無意識から湧き上がる記憶の交差点で、何となく感じている漠然とした状態。

B2:<個人無意識>・・・私たちが個人的に体験したことのすべての記憶、すべての出来事、そして過去世の体験も保存されている。

B3ー1:<闇の無意識>・・・個人を遙かに超えた先祖や民族・人類等、太古の記憶までも保存。飢餓・疫病・災害など否定的な記憶及び世界史に悪名を刻む悪果を生じる悪業の深淵。

B3ー2:<光の無意識>・・・無傷、無垢にして穢れ無き魂や真心、そして仏性が闇の莫大なエネルギーをも取り込み、深い闇夜の後に東の空から昇る太陽のような希望と喜び、長悦的多幸感をもたらす。


又<おばちゃんのお散歩>なるブログには、町田宗鳳さんのHPからのコピペと称して下記のような説明がありましたので、これ又シェアさせて頂きます。

人間性の核心には光の無意識(魂、仏性、聖霊、インナーチャイルド)という光の塊がありますが、それを通すレンズ(潜在意識)が歪んだり、曇ったりしていれば、現実というスクリーンに映し出される現象も激しく歪んでしまいます。従って潜在意識の歪みを是正し、それを磨いていけば、おのずから目の前に展開する現実は穏やかで幸福感に満ちたものに変化して来るのです。
「ありがとう禅」では、単に「ありがとう」と反復発声するだけで潜在意識の干渉がなくなり、顕在意識と光の無意識が直結する「精神統合」が可能となるのです。それが起きるのは、母音の共鳴音が超高周波の倍音を生み出し、それが骨伝導によって中枢脳を揺さぶり、脳波が顕著に変化するためです。
その微細振動が脳だけではなく全身の細胞に及ぶので、真剣に発声さえすれば、初心者でも短時間かつ確実に潜在意識のクリーニングが出来るのです。

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私は<ありがとう禅>をたった一回体験しただけなので、顕在意識と光の無意識が直結したかどうか定かではありません。しかし、他の座禅では色々な想念が次から次へと浮かんでくるのですが、一心に「あー、りー、がー、とー、うー」の五音と称えていると、妄想と言うべき想念は起こりませんでした。それだけは確かで、それだけでも凄い!と思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁327~町田宗鳳さんの「ありがとう禅」を体験してきました!(Ⅰ)

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町田宗鳳さんのことは以前も書かせて頂きましたが、ご覧になっていない方や宗鳳師をご存じない方の為に師のプロフィールを再録致します。Webサイトによりますと・・・
1950年京都市で生まれ、幼少の頃キリスト教会に通う時期もあったが、ふとしたことから14歳で出家し、以来20年間京都の臨済宗大徳寺で修行したものの、34歳の時寺を離れ渡米し、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を修得。専門は比較宗教学・比較文明学。そして、1990 - 1998プリンストン大学東洋学部助教授、1998 - 2000国立シンガポール大学日本研究学科准教授、2001 - 2006東京外国語大学教授、2007 - 2016広島大学大学院総合科学研究科教授など日米の大学の他、東京大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、国連大学、聖心女子大学などでも教鞭をとり、 現在は退官し広島大学名誉教授。日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」、「ありがとう断食セミナー」(御殿場市)、および教養講座「そうほう塾」(東京)を開催、静岡県御殿場市に無宗派寺院「ありがとう寺」を建立。
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この3葉の写真は御殿場のありがとう寺ですが、今回<ありがとう禅>を行う<風の集い>が催されたのは茨木市にある茨木神社です。茨木までものぐさな私が行こうと思い立ったのは、予約する必要がなく、風のようにやって来、風のように去って行くという集いの趣旨が私向きと共感できたからです。しかしそれだけでなく、質問コーナーがあるならお聞きしたいことがあったのです。それは・・・
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悟りに至る十の段階を十枚の図と詩で表した<十牛図>の最後、<入鄽垂手(にってんすいしゅ)>とはどのような状態なのか質問したかったのです。と言いますのは数年前、夢の中で天空から「入鄽垂手!」という声が響いて来て目覚め、「そうか、俺はこの言葉のように今後生きたらえゝねんな・・・」と思ったのです。当時の私は<入鄽垂手>なんて言葉は知りませんでした。多分仏教用語やろ。PCで検索してもアカンやろから、図書館で仏教用語辞典でも引いてみるか・・・と思いつつもPCで検索すると、何と十牛図の十番目やったんです。<十牛図>は知っていましたが、<入鄽垂手>が悟りの到達すべき極致とは!
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オレ、修行なんて全然してえへんし、悟りのイロハのイにも至ってないのにどういうこっちゃろ???
因みに1から10まで、Wikipediaの解説をシェアさせて頂くと・・・

画像1.尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。




画像2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。






画像3.見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。







画像4.得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。






画像5.牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。





画像6.騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。





画像7.忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。






画像8.人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。





画像9.返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。






画像10.入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。





以上のような1~10の解説を見てみると、私の状況は良く言っても
2.見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
という程度でしょうね。ま、般若心経は高校生の頃から毎晩唱えてましたが・・・。<入鄽垂手>がこれからの自分の生き方と思ったのが大きな誤りで、<見跡>から<入鄽垂手>目指してじっくりと修行しなさいという指針が夢で示されたのかも・・・それとも前世で僧侶だったこともあるようですら、その時到達しなかった<入鄽垂手>に今生で至るべし!との教えなのか・・・とも思うのですが。
それは兎も角、風の集いの場に行ってみると、受付で名前を書くことすらなく、何処の誰か分からなくても良いのです。
そして、風の集いは、宗鳳師の講話から始まりました。
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お話は師がブログ「もう仮面を外しましょう」に書いておられたペルソナの話でした。師のブログを転載させて頂きますと・・・

ユング心理学では、「ペルソナ(仮面)」という重要な概念があります。
社会的動物である人間は自分の本音を隠し、社交性を維持するために、さまざまな仮面(建前)をつけて暮らしています。
しかし、その仮面が仮面であることを忘れてしまった時、大きな精神障害が生じます。現代日本人は明治維新で富国強兵のヨーロッパ的仮面をつけ、さらに敗戦で戦後民主主義というアメリカ的仮面を上乗してしまっています。
だから、すべてがうまく行かないのです。
いつ襲ってくるか分からない国家的危機に負けないためにも、このへんで二重の仮面を外す必要があります。
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                  カール・グスタフ・ユング

政治家や企業の社長、学識経験者や聖職者なども、その地位や職を全うする為に権威という仮面を被ることが多々ありますが、それ自体は致し方なくても仮面を被っていることを忘れて自分は権威ある人という認識に陥ると弊害が生じるので、気をつけたいものですね。大胆に要約させて頂くと、このようなお話でした。
そして質問コーナーにうつると、ある初老の男性が、「十牛図もそうでしょうね・・・」と尋ねました。師は「(十牛図の最後は)垂手は手を垂れてるから、(ペルソナは)離してますね」と答えられたのです。
( )内は私の補足ですが、師のこの一言で私が長い間拘っていた<入鄽垂手>への想いがストンと腑に落ちました!私が十牛図のどの境地にあるかは別にして、<入鄽垂手>の境地を生きるに於いて、<悟りを開いたら人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある>と常に意識して行動するのなら、入鄽垂手の仮面をつけていることになるのではないでしょうか。ですからその仮面を手放し、無意識にならないと・・・そう思った次第です。ま、元々大した修行はしていないのですから、十牛図や入鄽垂手のことなど忘れて無為自然に生きることに致します。
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あれ、前置きが結構長くなってしまいましたので、本編のありがとう禅については、又次回に。

袖振れ合うも多生の縁326~宇宙マッサージのプリミ恥部(チブ)さんが明日香でライヴを!

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写真はプリミ恥部(プリミチブ)さんですが、彼の本名は白井剛史(しらいたけし)さんで、1975年4月2日静岡県生まれの現在43歳です。「プリミ恥部とは作家・ダンサー・演出家の白井剛史による音楽プロジェクトの総称である」とFacebookに書かれていますが、最新の著書『愛を味方にする生き方』には宇宙LOVEアーティスト・歌手となっています。ところでプリミ恥部なんて一寸ドキッとする名前は、「原型、根源的な」という意味のプリミティブと「恥部」を掛け合わせ、「頭で考えたらとてもつけられないようなこの名前には、Loveが表れている」と彼は話しており、また「恥部を解禁し、魂の感じるままに生きる」ということを表現した名前であるそうです。それは兎も角、先週の木曜日、春分の日に明日香村で開かれたブリミ恥部さんの『ライブ&舞&宇宙マッサージ』なる催しに参加してきました。処で、私が白井剛史さんを知ったのは、彼の著書に出逢ったからなのです。
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この3冊がどんな内容なのかは又その内ご紹介させて頂きますが、ブリミ恥部さんは<宇宙とつながっている方>なのです。読後の感想は「ふーん、へえぇ・・・」でした。でも一寸興味があり、白井剛史/プリミ恥部なる人物を検索してみますと、彼のTwilogに出逢い、宇宙元年とか言われている日の前日に明日香の神奈備(かんなび)ホールでパフォーマンスされるのを知り、往復5時間かけ遙々のぞきに行ってみたのですが、本当にほんまのほんまに良かった!です。
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さて、かんなびホールは明日香村の健康福祉センターにある定員120名の講演会用小ホールで、第一印象は登り窯みたいや・・・ここでライブ???の思いがしたのですが、白井さんが登場しぼそぼそ喋り始めても舞台の地明かりはつけないし、客席の明かりも落とさないし、普通と反対なのです。些か呆気にとられていると客電は白井さん自らが操作して暗くなりましたが、舞台はそのままで会場横のカーテンに覆われた窓からの自然光と廊下に面した小窓から差し込む廊下の明かりだけという、何とも不思議な雰囲気でUFO形ミラーボールを回し始めたのです。
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そしてUFOと遭遇した話を少しされた後、歌に入りましたが、曲目を紹介するわけでもなく、ギターを爪弾きすっと歌い出したのです。地明かりなしの儘で、勿論ピンスポットが当たるわけもありません。白井剛史さんの話し声は少し低めですが、歌声は結構高くクリアで良い!のです。1、2曲歌ったかと思うと、「舞いたくなってきました。見ないで目をつぶって下さい。あ、でもお子さんははしゃいでいていいですよ。」との前置きがあったので、どんな舞をされるのか見たくて目をつぶらず子供でいよう・・・と思って見ていました。ごめんなさいね、プリミ恥部さん。すると、明日香村在住の自然音楽家MIROKUさんのCDが流れ、プリミ恥部さんは舞い始めた・・・と私は思ったのです。
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しかし、CDじゃなくMIROKUさんは床に座り込んで生演奏されていたとか。これは翌日のTwilogで知ったのです。
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私の席からはMIROKUさんの姿は全く見えませんでしたし、プリミ恥部さんからの紹介もなかったのです。フツーのライブなら考えられないことですが、<見る・見せる>ライブでなく、<感じる・感じて欲しい>ライブでしょうから、これで良いのダ! さてさて、MIROKUさんの宇宙空間に共鳴するような響きに合わせるようで、合わせるようでもなく、海の彼方から幸せを招くという、こねり手・・・ 沖縄のカチャーシーや阿波踊りの原型と言われている手振りを繰り返し、プリミ恥部さんは宇宙エネルギーを呼んでいると私には思えたのですが・・・。
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でも実際に宇宙エナジーがこの場に降り注いでいるのかどうか、私には感じられませんでした。この舞が30分弱あり再び歌へ。
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舞の前後の歌は明らかに違っていると私には感じられました。矢張り宇宙エナジーはこの場に降りていて、ブリミ恥部さんは宇宙のエネルギーを受け歌っているようで、こちらの胸に迫るものがあるのです!
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この歌コーナーも曲目紹介なしですし、会場が講演用の為か音響は余り良くなく、歌詞が聞き取れないのにも拘わらずぐんぐん惹き付けられて行ったのです。そしてその後は又、舞でした。今度は目をつぶり瞑想したのですが、あれこれ雑念が脳内を駆け回落ち着きません。座禅を組んだ時も雑念が湧き上がったら、そのままにすべしと言われているのを思い出し、雑念を放置しているといつの間にか両の掌に熱いエネルギーを感じていました。そうだ、これは矢張り宇宙エナジーだ!宇宙からのエネルギーが降り注いでいて、私はそれに感応している!掌は益々、もっともっと、どんどん熱くなり、じんじんする感じで宇宙からのエナジーを放出しているようです。そや このエネルギーをブリミ恥部さんにお返して彼の働きを少しでもサポート出来たらと、そうしたつもりですが、果たして届いたかどうかは分かりません・・・。
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この後、疲れも知らぬかのように歌い続けられたのです。先程より更に一段と宇宙エネルギーを受け、いえ降臨した宇宙エナジーと一体であるとひしひし感じられました。というのは、歌詞は余り聞き取れないから言葉としてのメッセージは分からないものの、所々耳に飛び込んでくる単語自体が言霊として私の、みんなの胸に心に響き、奏でられる音は音魂となり私のみんなの魂と共鳴していたのです! 特にラストソング、ア・カペラでの『愛の讃歌』は、今まで聞いたことの無い超感動ものでした!そもそも『愛の讃歌』って結婚式で歌われるようなほのぼのした内容じゃなく、神に背いても!という愛の怨念みたい歌詞なんです。因みに私が嘗て訳詞したのを掲載してみますと・・・

 ♪貴男に愛されりゃ 神様も怖くない
  地獄にだって行くわ 悪魔も畏れずに
  貴男とナニすると 私は昇り詰め
  宇宙の涯から この世を見下げるの
  貴男が言うなら何でもやるわよ 罪さえ犯す
  友達裏切り盗みを働き 人さえ殺すわ
  大地が抜けても大空落ちても 驚きゃしない
  祖国を捨ててアカにもなるわ 言われる儘に


『愛の讃歌』は題名の響きとは裏腹に、斯くの如く凄まじくネガティブな怨念を引き起こす性欲そのものともいうべき性愛の歌ですが、プリミ恥部さんは宇宙に充ち満ちてとめどなく降り注ぐ愛を全身全霊に受け、『愛の讃歌』をタイトルに相応しいポジティブなアガペの歌に変容させ、朗々と高々と滔々と、宇宙の涯に届くばかりに歌い上げたのです!!!

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そして最後は宇宙マッサージをみんなに施されるのですが、定員120人の会場に詰めかけた150名以上の人たち殆どがマッサージ希望で舞台へ押しかけたのです。
こら大変や、なんぼ宇宙のエナジー貰ろてても、プリミ恥部さん疲れてしまうわ・・・と思ったので参加者中多分最年長の喜寿を迎えた私は遠慮し、熱い想いをかみしめながら明日香路を散策しつつ帰路についたのであります。

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袖振れ合うも多生の縁325~「3月のライオン」って不思議な題名ですが、その由来は!?

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先日TVで放映された『3月のライオン』を見ましたが、何故見る気になったかというと、『3月のライオン』て不思議なタイトルやなあ・・・と思ったから、唯それだけの理由からなのです。何しろワタシは漫画音痴ですから、この映画の原作が羽海野チカ(うみのちか)さんのコミックで、アニメにもなっていたなんて全く知りませんでした。でも見て良かった!
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この作品は、15歳でプロ棋士になった桐山零と彼を取り巻く人々の日常や成長を描いた将棋の世界を舞台にしているのですが、将棋についてはほとんど知らないワタシでも興味深く引き込まれたのです。そんな訳で『3月のライオン』について色々検索していると、<かみろぐ!>なるブログにコミックのャラクターとその役に扮する俳優さんの写真を対比させているのを見付けました。これが結構面白いので、画像を少し転載させて頂きます。コミックの登場人物と映画出演者が良く似ている、いえ、コミック愛読者のイメージを損なわないように俳優さん達が原作漫画のキャラに似通うように創意工夫されたのでしょう。

画像画像左は主人公の桐谷零。幼い時事故で両親を亡くし、父の友人の棋士幸田柾近に引き取られ弟子入りするが、棋士を目指す実娘の香子より才能がある為軋轢が生じ、一人暮らしを始める。高校に進学するも棋士の成績は低迷。そんな時、川本家3姉妹と出会い、次女ひなたを意識し始める。右は零役の神木隆之介さん。


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上左は、零がひそかに想いを寄せている川本ひなた。右はひなた役の清原果那さん。彼女は2000年大阪生まれで現在19歳ですが、私は彼女の女優デビュー作、NHK2015年下半期朝ドラ「あさが来た」の女中ふゆ役から注目していて、この子は絶対売れると思っていました。
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このドラマで、ふゆは中番頭さん(三宅弘城)と結婚し、夫を支えるしっかり者の妻を演じたのですが、この時なんと15歳!と知ってびっくり仰天でした。上の写真では年相応というか、15才に見えますが画面を通して見ると、とても15才の演技とは思えませんでした。
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その翌年にはNHK大河ファンタジー「精霊の守り人」で綾瀬はるかさんの少女期を、2018年には同局の「透明なゆりかご」で主演・青田アオイ役を、と順風満帆な女優の道を歩み続けています。
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「透明なゆりかご」の役は、産婦人科でバイトする看護学生で、堕胎など出産にまつわり揺れる繊細な女心を的確に演じていましたので、ワタシはこの人、将来はどんな凄い女優さんになるんやろか・・・と戦慄しつつも楽しみにしているのであります。映画作品も、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(2016年12月17日公開、東宝)の福寿愛美(中学時代)、「3月のライオン 前編 / 後編」(2017年3月18日公開 / 4月22日公開、アスミック・エース・REBOOT)の川本ひなた、「ユリゴコロ」(2017年9月23日公開、東映・日活)の美紗子(中学生時代)・「ちはやふる -結び-」(2018年3月17日公開、東宝)の我妻伊織。
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そして「愛唄 -約束のナクヒト-」(2019年1月25日公開、東映)ヒロイン伊藤凪。
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更に「デイアンドナイト」(2019年1月26日公開、NIKKATSU)のヒロイン大野奈々など。
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ヒロインの少女期役からヒロイン役へと着実に歩み続けているようです。
あ、清原果那さんについてのコメントが長くなりましたので、次に進めましょう。

画像画像左は桐山零の義父で師匠の幸田柾近。彼は零の父親の友人で、昔から零の才能に気付いていたのです。零より少し年上である幸田の娘香子は、幸田が将棋の才あれとの願いを込め名付けたからか、父の願望通り棋士を目指すものの、引き取った零が香子の実力を抜き去り、家庭内の不和となるだけでなく、香子は妻が病がちな後藤9段と不倫に陥るのです。右は幸田役の豊川悦司さん。
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香子は義理の弟である零に、後藤との不倫を止めるよう懇願されるものの、意地になって益々深みにはまり、溺れるかのように、後藤にのめり込んでいくのですが、果たして・・・



右は香子(きょうこ)役の有村架純さん。不倫に走る役ですが、汚れの見えない彼女のお芝居が救いです。画像画像





左は後藤正宗。
後藤は桐山零に、香子との関係を止めるよう迫られるが聞く耳持たず、零と対局前であったので、「俺に勝ったら別れてやる。でもな、勝てるわけないよな。」とあざ笑うのです。
零は義姉の為にも絶対勝ってやる!と決意するが、あえなく敗北・・・。
右は後藤9段役の伊藤英明さん。
英明さんのふてぶてしい演技が良いですね。

この映画では、勝負がつき敗者が投了する時、「負けました・・・」と必ず言っているのですが、ほんまにそない言うんやろか? とふと思い調べてみますと、
<自分の手番で「負けました」等と発声するか、頭を下げて駒台に手を置くことによって投了の意思を表示することができる>とWikipediaに書いてありました。
閑話休題。
零は義父且つ師匠の幸田と対局して打ち破り、更なる飛躍を求め島田研究会に入るのですが、その主催者島田開8段に佐々木蔵之介さん。
零の高校で彼をバックアップしてくれる林田高志先生に高橋一生さん。
川本ひなたの姉川本あかりに倉科カナさん。
ひなたの妹川本モモに新津ちせちゃん。
3姉妹のお爺ちゃん相米二に前田吟さん。
零は多くの人たちに見守られて成長していくのですが、この映画も主役神木隆之介さんを支えるバイプレーヤーさんたちにより支えられているのです。
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「コミックのキャラクターとその役に扮する俳優さんが似てるのはわかったけど、タイトルの『3月のライオン』てどないな意味なんか、早よ書かんかい!」
「あ、そやそや忘れてましたわ。ではでは最後にそれを。」
という訳で、コミックのサブタイトルに書かれている英題は「「March comes in like a lion」ですが、これはイギリスの天気に関する諺「3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る(March comes in like a lion and goes out like a lamb)」から取られているのです。荒々しい天気から段々と穏やかになる3月の気候を表しているこの諺を、コミック作者の羽海野チカは、「物語が作れそうな言葉」だと感じたとか。又、コミックの監修を務めた棋士の先崎学は、「昇級は6月、降級をかけた最終局は3月に行われるため、3月は棋士がライオンになる」と語っています。「3月のライオン」は苦しい道を歩いていく棋士の戦う姿を象徴するタイトルなのです。
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ところで今年、関西地方の3月はライオンのようにはやって来なかったと思いますが、果たして子羊のように去っていくのでしょうか。
ながながとお疲れ様でした。

袖振れ合うも多生の縁324~「題名のない音楽会」って本編にCMがないんですよ!~

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今回も「題名のない音楽会」についてですが、私が特筆したいのは番組中にCMがないことです!これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三が「芸術には中断はない」と考えていることからだそうで、このため冒頭とエンディングにはCMを流していますが、本編はCMなしで放送されています。これって暖かな心遣いですね。最近ドラマを見ていると、ドラマの出演者がCMにも出ているので、ドラマ本編かCMか紛らわしいのが時々ありますよね。録画して見る人がCMを早送りしとばさない為にやっているのかも知れませんが、そんなあざといと私には思える遣り口だと、早送りせずちゃんとCMを見ても効果があるんかいな?と訝ってしまいますが・・・それは兎も角、私は「出光さん、おおきにありがとさん」と思いながら見てますわ。そやけどワタシはクルマを運転せえへんから、ガソリン使いませんねん。愛想なしでスンマセン。
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さて、話を「題名・・・」に戻しますと、本編の多彩な素晴らしい演奏や楽曲の解説もさりながら、エンディングCMの後のMESSAGE~偉人たちが残した言葉~にも注目しています。例えば・・・
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オノ・ヨーコさんの「ひとりで見る夢は夢でしかないが、だれかとともに見る夢は現実だ」
私はオノ・ヨーコさんや世界中の人々と地球が平和になる夢を見たいですね!この国が<戦争のできる国>から<戦争をしたい国>、更に<戦争のしたくて堪らない国>にならない為に。
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童話作家アンデルセンの「言葉でうまく伝えられなくても、音楽なら伝えられる」
このアンデルセンの言葉と同じニュアンス、いえもっと深い言葉を古代ギリシャの哲学者ソクラテスは残しています。
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「音楽だけが魂の奥深くまで入ることができる」
このソクラテスの言葉とアンデルセンの言葉に触発されて、ストレートプレイのお芝居を書いていた私はミュージカルに転身したのです。
それから次のユーミンの言葉にも、「そや、そや、そうや!」と意を強くしているワタシなのです。
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松任谷由実さんの「私の目標は自分のつくった歌が<詠み人知らず>になること」
詠み人知らずって良いですね。実はワタシ、高校時代に作った歌詞が誰の作詞か分からず広まったことがあるんですよ。<やめちまえ節>という歌がありますね。アメリカ民謡『リパブリック讃歌』のメロディで歌われる『おたまじゃくしはカエルの子(お玉杓子は蛙の子)』の節で歌われる替え歌です。
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♪孔子や孟子が酒飲んで 一杯気分でくだまいた 論語や孟子がわかるけえ 嫌な漢文やめちまえ♪
♪アリストテレスやシムソンが どたまををひねった問題が どうしておいらに分かるかえ 嫌な数学やめちまえ!♪

なんて高校生が怒鳴るようにダミ声で咆哮するが如く歌ったストレス発散の曲ですが、色々な教科の歌詞を書いて同窓生たちと遠足のバスの中で歌いまくり楽しんでいたのです。
♪この寒空に上着脱ぎ 腹の減るのに歩かされ ルンペン修行じゃあるまいし 嫌な体操やめちまえ♪
♪東大京大一橋 勉強勉強で青瓢箪 イチャイチャする間もありません 嫌な大学やろちまえ♪

等々。これを聞いた担任のKセンセイは真面目くさって、「大学が無くなったらキミらすることのうて困るやろ。そやからそんな歌、歌うたらイカン」とのたもうてましたが、大学が無くなったら受験校教師の方が困りますわな。
それはさておき、上記の他色々作ったのですが、ある時某ラジオ局の深夜番組でリスナーの高校生の投稿が読まれ、上記の歌詞がその子の高校で流行ってるとか。それ聞いた時、なんか嬉しかったのを覚えています、ハイ。
しかしもう少し高尚な歌で詠み人知らずになれたらよかったのですが・・・。
ではでは。 

袖振れ合うも多生の縁323~「題名のない音楽会」って古くて新しい番組ですよね!~

私は昨年に引き続き今もクラシック音楽浸りになっています。という訳で、今回は1964年スタートし50年以上も続いている超長寿番組「題名のない音楽会」です。私はこの番組を初代司会者の黛敏郎さんがやっている頃は見ていたのですが、いつからか見なくなっていました。でも昨年半ばからクラシックにUターンし、毎週鑑賞しています。
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処でWikipediaによりますと、1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られ苦境に陥っていた東京交響楽団に活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まり、当初の司会は作曲家の黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートしたとか。
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その後東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮の影響で放送継続が困難になり、「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍先を探したのです。番組提供スポンサーの出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針で、「優良スポンサーつきの番組ですから、是非放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたのですが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり]、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートしたのです。「題名のない音楽会」歴代の司会者は、故黛敏郎さん、故永六輔さん、武田鉄矢さん、故羽田健太郎さん、佐渡裕さん、五嶋龍さん、そして現司会者のミュージカル俳優石丸幹二と7代に及んでいます。(因みに現アシスタントはテレ朝アナの松尾由美子さんです)亡くなられた方が3人いらっしゃるのも番組の長寿を物語っていますよね。
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50周年記念の写真に司会者として永六輔さんが写っていませんが、永さんは黛さんが急逝され4ヶ月足らず代理司会者をされただけなので、正式司会者ではないそうです。処で、この番組のゲスト主演者の中で最近凄いと思ったのは2CELLOSです。
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“2本のチェロでロックする”2CELLOSは、クロアチア出身のルカ・スーリッチとステファン・ハウザーによるチェロ・デュオで、クラシック界で将来を有望視されていた2人が偶然留学先のロンドンで再会し、2011年1月マイケル・ジャクソンの「スムーズ・クリミナル」をカバーした演奏映像をYouTubeにアップしたところ、無名のチェリスト2人による超絶・情熱のパフォーマンス映像は瞬時に世界中で話題となりCDデビューとなったのです。全米クラシカル・クロスオーヴァー・チャートとアマゾンUSクラシカル・チャートで1位を記録した超絶チェロ×渾身のパフォーマンスは更なる進化を遂げ、今やNYラジオシティ・ミュージックホール、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール等世界各地でソールド・アウト公演を行っているとか。上の写真はロックする2CELLOSですが、「題名の・・・」では、♪1:「スムーズ・クリミナル」、♪2:「ムーン・リヴァー」、♪3:「ヴィヴァルディ・ストーム」、♪4:「パイレーツ・オブ・カリビアン」、♪5:「ハレルヤ」などを演奏してくれましたが、トーキョー スター オーケストラ ヴィルトゥオーソとのクラシック曲演奏も素晴らしいものでした!(写真下)
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処で昨年11月19日には、日本武道館公演もありましたし、5枚目の最新アルバム『レット・ゼア・ビー・チェロ~チェロ魂~』も10月17日に日本先行で発売されているんです。
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因みに今、私は2CELLOSのCDを聴きながら、このブログを書いているので、気持ちが2CELLOSの演奏に惹き付けられ筆が、いえキーボードを叩く手が止まりがちなのです。ですから、ここらで終わりたいと思います。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁322~大祓祝詞と般若心経がワタシの心の安らぎなのです!

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    (上の写真は空海・橘逸勢と共に日本三筆である嵯峨天皇の写経)

大祓祝詞と般若心経について書き始めようとしたところ、ふと以前ブログで取り上げたのでは・・・と思い、サイト内検索したら、2016年の4月9日に公開していましたので、その一部をコピペ致します。
般若心経は中学生の頃、何を思ってか、母親が私に毎晩唱えて欲しいと言ったのです。お寺の小僧でもないのに「ふん。えゝよ。」と何故か返事し、以来毎晩就寝前に唱えていますから、もうかれこれ50年になるでしょうか。この般若心経についての想い出は、確か以前に書いたと思いますが、幼児の頃母方の祖母の家で遊んでいたら、お婆ちゃんが仏壇に向かってお経を上げていたのです。聞くともなしに聞いていると、「ギャーテーギャーテーハラギャーテーハラソウギャーテーポジソワカ」という謎のような意味不明の文句が耳に残り、その文句はずっとアタマに残り続け、これって一体何やろ?不思議な言葉やなあ・・・といつも思っていましたが、いつの頃だったかそれが般若心経の真言であると分かったのです。その後演劇の世界に身を投じ、OSKで演出するようになり、薬師寺の玄奘三蔵院落慶法要記念公演として、「SANZO」をやらせて頂きました。
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そして打ち上げの宴席で薬師寺の管長であられた高田好胤さんにその話をすると、「えゝ、話ですなあ。」と喜んで下さいました。
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そうそう、今思い出しましたが、その時のOSKの社長などは抹香臭い作品やと仰っていたのですが、その公演を小学校6年生の女の子が見て何処が気に入ったのか、OSKに入ろうと思ったそうです。この女の子は夢乃さよさんなのです。

こんなブログを以前書いていたんですね。それはさておき、今回般若心経の画像を検索していたら色んな写真がありました。上から、梵字の般若心経・玄奘三蔵が漢訳したものの拓本・英語版・字の読めない人の為の絵文字般若心経、そして何と刺青にしてるヒトもいるんですね。この方って矢張りやーさんなのかな?
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それから、下の写真の卒塔婆みたいな板が林立しているのは、香港のランタオ島の心経簡林(wisdom path)という般若心経が彫られた柱で、全部で38本あり、それぞれに般若心経が彫られています。その柱が「空」を意味する八の字に並べられているのは、風水上の理由からと言われているそうですが、別の説では無限大のマーク状に立てられているとも言われてます。私は2度香港に行ったのですが、残念ながら見ていません。
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さて、般若心経はこの辺にして、大祓えについて以前のブログではどない書いてましたかな?
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大祓えの祝詞は、昨年春から古神道の勉強をするようになり、祝詞の大本とも言える<大祓詞>の事を知り、外科医にして春日大社の神官であられた葉室頼昭さんのCDブックに出逢ったのです。そして気が付くと毎朝唱えていました。
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葉室さんは2009年にお亡くなりになりましたが、葉室さんや春日大社の神職さん達に合わせて毎朝唱えていますが、清々しくてなかなかえゝもんですよ。ところで、大祓えは何を払うのかと言えば、罪・穢れです。抑も人の心の内には神が宿っていて浄いものですが、その浄らかなものを包み隠してしまうのが罪、
<つつみかくす>が<罪>
の語源であり、包み隠すことにより本来の浄らかな<気>が<枯れる>ことが<穢れ>なのです。
それから英語の罪、<SIN>の語源は矢が的を外れるという意味だそうで、弓道では矢を射る瞬間に当てようとする己の気持ち、我欲が入ると外れるとか。キリスト教では人間は生まれながらの罪、原罪を背負っているということになっていますが、イエス・キリストは、<人は皆、神の子である>と言っているのです。人間の性は本来善と私は思っています。でもしかし、日々俗世にまみれていると、罪を犯し穢れてしまうのは致し方ない事なのでしょう。ですから心の平安を保つ為、心が安らかになるよう、浄め祓うのでしょう。私は毎朝罪や穢れを祓うつもりで、大祓祝詞を唱えているのではないんですが、その日によって声の調子は微妙に違い、自分で納得できる日や、いまいちやったなぁ・・・と思う日などがあったりして、健康のバロメーター、いや、身体もさることながら、矢張り心の平安、安らぎの様が表れてくるのでしょうか。


大祓祝詞については、こんなとを書いていたんですね。大祓祝詞を称え出した頃と今と少し違っているのは、最初の頃は称えると清々しい気持ちになっていた、いや、今でも清々しいのに変わりはないのですが4年間毎朝、つまり1500回近くやってますと、10分位の詞を自然に覚えてしまい、春日大社神官の皆さん声に従い独りでに、意識しなくても勝手に口をついて詞が出てくるようになっています。こういう状態を神道では何というのか知りませんが、天空にまします神々の声に導かれて和しているような感覚になることもあるのです。仏教(浄土宗)でいうところの<聞名(もんみょう)>とは違うのでしょうか?ところで抑も<聞名>とは何やったかいな?分からん時はすぐ調べる癖なので早速検索した結果・・・
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『無量寿経』(下)に「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」とあり、意味は「阿弥陀仏の本願の力は、み仏の名を聞いて往生したいと思えば浄土に往生できる」という意味である。との一文を見つけましたが、<称名(しょうみょう)>でなく何故<聞名>で救われるのか?称名とは「仏・菩薩の名を称えること、特に阿弥陀仏の名号である南無阿弥陀仏を称えること」ですよね。御仏の名を称えると救われるというのは、法然上人や親鸞上人の説かれた教えで分かるのですが、御仏の名を聞くと往生できるというのは??? ようわからんわ・・・腑に落ちないので、もう少し調べてみますと・・・当初は御仏の御名を呼ぶのは失礼になると考えられたからだとか。お経を称える時、一般庶民、衆生は御仏の名を呼ぶことなく、他の仏様方が仏を称えるのを聞く、つまり聞名でよいとされていたのだそうです。ま、何とはなしに<称名>と<聞名>の違いは分かったのですが、私が大祓祝詞を称えていると、時々感じる心持ちとは些か異なるようです。それは兎も角、大祓祝詞の原文となる典型は平安時代(794~1192年 鳴くよ鶯平安京て覚えましたよね)に編纂された「延喜式」に「六月晦大祓」として入っているように、千年も前から伝わっているのです。
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大祓詞は日本人が古来から持つ考え方の「穢れ」「罪」を祓う祝詞であり、言葉には霊力、「言霊」が宿ると言われています。そのお陰なのか、喜寿を迎える私は無病息災、血圧60~120台、ピロリ菌なし、血液検査数値オールセーフのパーフェクトに近い健康状態なのです!
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袖振れ合うも多生の縁321~明後日25日の世界平和念仏の日に、お十念を!

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この写真は浄土宗総本山の知恩院です。知恩院は京都府京都市東山区にある寺院で、正式名称は「華頂山 知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)」と言い、京都の人々の多くは「ちおいんさん」「ちよいんさん」と親しみを込めて呼んでいるそうです。それはさておき、浄土宗では平成15年1月より、宗祖法然上人のご命日である25日を「世界平和念仏の日」と定め、法然上人のお亡くなりになられた正午に、お十念をとなえる運動を展開しています。これは、すべての人の幸福と世界の平和を願い、一人ひとりが安心して暮らせる明るい社会になるよう祈念するものです。
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この世界平和念仏の日については、以前ブログに書いたことがあるので、それをコピペしますと・・・

世界念仏平和の日は、法然上人の祥月命日が25日なので、毎月この日の正午に戦争が無くなるよう祈ろうと、法然上人が開祖の浄土宗が提唱してるのです。私の家は親父の代迄浄土真宗が宗旨で、私自身は仏教のどの宗派、いえ、仏教だけでなくキリスト教も近しいですし、今はイスラム教も勉強中なのですが、25日お昼には私なりに平和を祈りたいと思っています。

でもお十念を唱えるとは書かなかったし、「お十念」とは何かご存じない方もいらっしゃると思いますので、再び取り上げさせて頂いた次第です。
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「お十念」とは何かをPCで検索してみますと、お念仏を称える作法であり、称え方は「なむあみだぶ」と4遍称え、息を継いでもう4遍称える。そしてもう一度息を継いで9遍目だけ「なむあみだぶつ」と発声し、最後の10遍目は「なーむあみだぶ」とゆっくりお称えしながら頭を下げると説明されていました。しかし、別の唱え方もあるようです。
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一息で「なむあみだぶ」を8回称えるのは出来ない人もあるでしょうね。だから4遍で息継ぎするやり方になったのでしょうか。それとも本来4遍称えて息継ぎするのに、肺活量大のヒトが8回称えたのでしょうか。ま、どっちゃでもえゝですけどね。

因みにワタシは朝大祓祝詞を、夜寝る前に般若心経を称えて数十年になるでしょうか、これが私の心の安らぎのもとなんです、ハイ。
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     (上の写真は画家森田明子さんが描かれた紋様色彩画の大祓祝詞)
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処で、大祓詞(おおはらえことば)とは、神道の神様に奏上する祝詞の中の一つで・・・あ、話がお十念から外れて行きそうですので、今回はこの辺りで。合掌。
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袖振れ合うも多生の縁320~女優武井咲(タケイエミ)と関取阿武咲(オウノショ)のカンケーは!?

今回のブログは武井咲(たけいえみ)さんと阿武咲(おうのしょう)さんのカンケーは・・・なんてタイトルになっていますが、書きたかったのは漢字<笑>と<咲>のカンケーについてなんです。こう思い立ったのは、絵描きサリーさんの2019年2月のカレンダーに描かれた咲く花々が、まるで笑っているように見えたからです。そして前回、そのことを書く為にサリーさんの詩と絵をシェアさせて頂きましたが、今日彼女のブログをよくよく見ると下記のように転載禁止と明記されていました。ワタシとしたことが、よく調べずにシェアしてしまい大変失礼致しました。という訳で、前回のプログは直ちに削除致しましたのでお許し下さいますよう。

※転載禁止※
恐れ入りますが
当ブログ掲載画像や文章、詩の引用、
二次使用はご遠慮下さいませ。


さて、<笑>と<咲>についてPCで色々検索してみたところ、田川吾郎さんという書家の方のブログにこんなことが書いてありました。
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古くは「ほほ笑む」ことと「花が咲く」ことはともに同じ言葉、「えむ」と表現されていたそうです。ほほ笑みをあらわす「えむ」という言葉を、比喩的につぼみが開く様子と重ねあわせたのが起源だとか。漢字はあくまで大和言葉の「えむ、えみ」に後からあてたものですが、確かによく見れば「咲」という字は、口へんに「笑」の略字を合わせた字。今の日本では「咲」を「笑」と同義では使いませんが、漢字の本家中国では今でも「笑」の意味で使われているそうです。女優の武井咲さんの「咲(えみ)」という名前はこのエピソードから名づけられたとか。
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あ、武井咲さんて某ルーペのCMでクラブのママをやってるヒトですよね。
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処で、『大漢和辞典』(諸橋轍次)を見ると、「咲」は元々「笑」と同じ文字であると書かれています。
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【笑】
(一)わらふ。(ニ)花さく。
『大漢和辞典 巻八』(諸橋轍次, 大修館書店) p.748より
【咲】
わらふ。笑の古字。
[邦]さく。花の蕾が開く。
『大漢和辞典 巻二』(諸橋轍次, 大修館書店) p.991より

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次に、漢文学者で漢字の生い立ちと背景研究の第一人者でいらっしゃる白川静(しらかわしずか)先生によりますと、<笑>は、「象形文字で巫女が両手をあげ、身をくねらせて舞いおどる形。神に訴えようとするとき、笑いながらおどり、神を楽しませようとする様子を<笑>と言い、“わらう、ほほえむ” の意味となる」。そして<咲>は、「形声文字。关は人が両手をあげている形で、笑い興ずる姿である。咲は古い用例はなく、もとの字は笑で、“わらう” の意味であった。花がひらくことを、古くは花開(さ)くと言ったが、花咲くのように“さく”の意味に使うようになったのは、花の開く様子を人の口もとのほころびる様子に例えたのであろう」と解字されています。
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巫女さんが神に訴える時、笑いながら踊るのかどうか、これは一寸調べてみたいと思いますが、<笑>と<咲>のカンケーが何となく分かったような、分からないような気分です。
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次は阿武咲ですが、この字を『おうのしょう』と読むのって、難しいですよね。因みに、阿武咲関の本名は<打越奎也>、『うてつふみや』と読むらしいですが、こちらも難しい!ですよね。そして 『奎』の意味は?何と何と、<二十八宿の一。西方の第一宿。アンドロメダ座から魚座にまたがる一六星をさす。とかきぼし。奎宿。>とか。もしかして阿武咲関は宇宙人?それは兎も角、『阿武』は親方の阿武松親方から頂いたものです。
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そして『咲』は武井咲さんの『咲』から・・・んな訳ないやろ!『咲』は地元の恩師中泊道場監督小山内誠さんが「土俵の上で花が咲くように」と願っておられるので、『咲』を頂いたとか。画像画像





































いずれにしても、武井咲さんと阿武咲さん、えみさんとしょうさんはムカンケーというカンケーなのであります。そんなん初めからから分かっとるわ!
ハイ、お疲れ様でした。



袖振れ合うも多生の縁~318~「お経は坊さんに頼まなくても自分で読めばよい」と法然上人が・・・!!

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先日「百四十五箇条問答(いっぴゃくしじゅうごかじょうもんどうしゅう)」を読みました。この問答集の背景を簡単に書きますと、仏教が日本に伝来した当初は貴族や学問僧だけのもので、仏教が本当に民衆化し人々心の支えになったのは鎌倉時代だったと言われています。その先駆けとなったのは浄土宗の開祖法然上人で、当時多くの人は字を読むこともできず、仏教の難しい教義を理解することもできませんでしたし、様々な迷信や因習にとらわれ意味のない女性差別やタブーが横行していました。そんな状況の中で、人々は本当の救いがどこにあるのかと悩んでおり、その悩みや疑問に法然上人が答えた問答集が『一百四十五箇条問答』なのです。
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上記写真はちくま学芸文庫から出版されているものですが、その138Pに問答の四七:
一つ、経をば僧に受け候べきか。答う、我と読みつべくば僧に受けずとも。
と書かれています。そして著者の石上善應さんは、こう訳しておられます。
「お経は、僧侶から教えを受けるべきでしょうか」「お答えします。自分で読むことができそうならば、僧から教えてもらわなくても」
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Wikipediaによりますと、石上善應(いしがみ ぜんのう 1929年-)さんは日本の仏教学者で大正大学名誉教授、前淑徳短期大学学長にして浄土宗僧侶であられる由。ですから現在の仏教界では、問答四七の解釈はこのようになっているのでしょうか?でもしかし、このブログの前回に書かせて頂いた町田宗鳳さんはご著書「あなたを救う法然の言葉」(多分この本だったと思いますが違っていたらごめんなさい)でこう訳しておられます。
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「お経は僧侶にあげてもらわないといけないのでしょうか?」
「いえ自分で読めるなら自身であげればよいのです。」

「経をば僧に受け候べきか」の「受け」を素直に受け取ると、「お経の教えを受ける」でなく、「お経をあげて貰う」と読めるのです!ですから、「答う、我と読みつべくば僧に受けずとも」は「僧からお経の教えてもらわなくても」じゃなく、「お経をあげてもらわなくても」「自身であげれば良い」と読めるのです。
いや、それ以外に解釈するのは無理なんじゃないでしょうか。
そやけど、そやけどですね、
「坊さんにあげてもらわんでもえゝ」
「自分であげたらえゝ」

なんこと法然上人が宣うたとなると、お寺さんは商売あがったりですわな。
しかし私は思うのです。読経だけやのうて、有り難い!と受ける人が感じるようなお説教しはったらえゝののに・・・と思ってしまうのですが、私の実家に来てはったお住さんなんかは全くの上から目線で、本来の「経を説く」お説教やのうて、お小言的なお説教ばかりで、私は辟易してましたです、ハイ。
あらら、実家の檀那寺の愚痴になってきましたので、この辺で。合掌。
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袖振れ合うも多生の縁317~町田宗鳳さんとの出逢いは私の人生の節目になるかも?~

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去年の秋、町田宗鳳(まちだそおう)さんと出逢い、と言っても著書に親しませて貰っただけですが、ご覧のような宗鳳さんの本を読破しました。画像画像画像画像画像画像画像画像
宗鳳さんのプロフィールですが、Webサイトによりますと・・・
1950年京都市で生まれ、幼少の頃キリスト教会に通う時期もあったが、ふとしたことから14歳で出家し、以来20年間京都の臨済宗大徳寺で修行したものの、34歳の時寺を離れ渡米し、ハーバード大学神学部で神学修士号を、 ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を修得された由。専門は比較宗教学・比較文明学だとか。
そして、1990 - 1998プリンストン大学東洋学部助教授、1998 - 2000国立シンガポール大学日本研究学科准教授、2001 - 2006東京外国語大学教授、2007 - 2016広島大学大学院総合科学研究科教授など日米の大学の他、東京大学、名古屋大学、東京医科歯科大学、国連大学、聖心女子大学などでも教鞭をとられたのです。
現在は退官され広島大学名誉教授であられますが、日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」、「ありがとう断食セミナー」(御殿場市)、および教養講座「そうほう塾」(東京)を開催、静岡県御殿場市に無宗派寺院「ありがとう寺」を建立されています。
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ありがとう寺については又別の機会にふれさせて頂きますが、私は宗鳳さんの初めて書かれた小説「法然の涙」に心を奪われました。
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HP「講談社BOOK倶楽部」によりますと粗筋は・・・

法然は、平安末期から鎌倉初期にかけての混迷する時代、「寒湿貧」の叡山で学問研鑽に努め、専修念仏を追究しますが飽きたらず、さらに苦難な道を選びます。それは、戦乱に翻弄されて苦しむ人たちの中に入りこみ「癒しと救い」の光を老若男女・貴賤の別なく与える道でした。後世に名を残す弟子たちを育て、多くの人たちに愛されて亡くなるまでの、法然上人の一生を描いています。

それから著者のメッセージは・・・

宗教の本質というのは、学問的な研究書ではとうてい描き切れない。なぜなら歴史的文献に記されていないことを憶測してしまっては、科学的研究として成立しないからだ。
そもそも宗教とは、人間の想像力の所産に過ぎない。だから、その核心を掴みたければ、同じ生身をもつ人間として想像力を駆使していくよりほかない。となれば、フィクションこそが宗教の核心に迫るベストな表現手段ということになる。
今まで私は、十二世紀という乱世に生きた宗教家・法然の思想を客観分析し、それを思想史上に位置づけることに、比較宗教学者としての使命を感じてきた。
しかしいつからか、法然という一人の男の中に飛び込んで、彼の眼から世界を見渡してみたいという衝動に駆られるようになった。そういう思いで書き下ろしたのが、小説『法然の涙』である。
なぜ涙なのか。それは、過酷な人生が人間の眼から絞り出す血の涙と、その過酷さを生き抜いた先に見えてくる仏の光が人間の眼に溢れさせる歓喜の涙の双方を描きたかったからである。


<フィクションこそが宗教の核心に迫るベストな表現手段>と宗鳳さんは仰っていますが、長年舞台ドラマという虚構世界を描き続けてた私は、「そやそや、近松はんも言うてはるように、虚実皮膜こそ真実に迫る近道なんや!」と我が意を得たりの思いなのであります。それに宗鳳さんの文章には、私の書く台詞と同じようなリズム感が溢れていて、宗鳳さんはきっと口中で呟きながら書かれたのではないかと思っています。そんなこんなで、宗鳳さんのWebサイトを見ていると、ありがとう禅「風の集い」について記されていました。
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「風の集い」は組織ではありませんので、風のように来て、風のように去って下さることを趣旨としているとか。聖書の「風」という言葉はプネウマ(聖霊)を意味し、宗鳳の「鳳」にも「風」という意味があり、「風の集い」は、自分の中の魂と対話する場だそうですが、この集いにどこからともなく心地よい風が、そよそよと吹いてくることを私は祈っています。

風のように来て、風のように去っていく・・・なんてワタシの好みにぴったしなんで、春風のそよ吹く頃に茨木神社で催される「風の集い」をふらっと覗いてみようと思っております。
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ではでは。