袖触れ合うも多生の縁191 ~海を越えた豊臣期大坂図屏風!~

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これは2013年に新装なったフェスティバルホールの緞帳ですが、この絵柄が豊臣期大坂図屏風なんです。下が本物の屏風の画像です。
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処で先日、<豊臣期大坂図屏風コンサート>なる演奏会がフェスティバルホールで開催されたので、聴きに行って来ました。このコンサートの企画を立てたのは、オーストリアはグラーツ歌劇場でオペラ歌手として活躍されている計盛恵子さんです。というのは、この豊臣期大坂図屏風(以下大坂図屏風と記す)は大阪にあるのではなくグラーツにあるのです。この屏風が海を越えたのは鎖国前の16世紀から17世紀初めの間で、多分オランダの貿易会社の船で運ばれたのでしょう。オーストリアの美術史家バーバラ・カイザー博士によれば、オランダの港に無事到着した屏風絵はたった12双、24枚だけとのことです。その24枚の内、現在所在がわかっているのは、この大坂図屏風だけなのだそうです。この屏風はヨハン・ザイフリート・フォン・エッゲンベルグという、豪華でエキゾチックな装飾品を愛することで知られていたオーストリアの公爵に買われ、公爵はグラーツの街に建てた城館の会見の間に飾り数十年、公爵が亡くなると城館も放置され大坂図屏風も埃を被ったままでした。そして1770年頃、エッゲンベルク家の家系は絶え、時は流れに流れて凡そ300年、1938年にシュタイヤマルク州がこの城を博物館にする為取得しましたが、戦争で城の一部は破壊され、陶磁器の間にあったアジアの品々は粉微塵になってしまったのですが、幸いにも大坂図屏風は無傷でした。そして戦後も東洋絵画専門の研究者が居ないので、この屏風がどのような芸術品であるのか不明でした。そしてやっと21世紀になり、博物館収蔵品全部の修復が計画され、この屏風は日本の物であることが判明し、写真が日本に送られたのです。というようなプロセスで、大坂図屏風が貴重な豊臣期の物であることが判明し、日本(関西大学なにわ研究センター)とグラーツ(ユニバーサルミュージアム・ヨアネウム)で共同研究がはじまったのです。
とまあ、大坂図屏風の顛末を長々と書きましたが、この屏風に因んだ演奏会を両国で開催しようとの企画を前記の計盛さんが立案され、関西大学創立130年記念事業の一環として先日行われたのです。
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大坂図屏風の緞帳前で大坂図屏風をモチーフにした新曲をグラーツ・フェスティバルストリングス(グラーツに所縁の12の管弦楽団から選抜された弦楽オーケストラ)と三味線奏者鶴澤清尤さんやドイツの珍しい打弦楽器ハックブレット奏者ヘンマ・プレシュベルガーさんがジョイントして演奏するというなかなか面白い演奏でした。画像画像
















新曲はオーストリアの作曲家クリストフ・レッシさんと日本の作曲家杉本友樹さんの2曲競演で、レッシさんの曲は日本の童歌<ひな祭り><とうりゃんせ><せいくらべ>等をフィーチュアし、そのメロディをモチーフに展開するのですが、豊臣政権の歴史をレッシさんはご存じなのかどうかわからないものの、昨年秀吉を舞台ドラマ化した私としては秀吉の色々な人生の断片が浮かんでき、音楽的鑑賞ではなく文学的かも知れませんが、とても面白かったです。
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それからトリは、グラーツ・フェスティバルストリングスと関西大学交響楽団・関西大学グリークラブ・関西大学混声合唱団ひびきのジョイント演奏で、指揮は韓国系のスゥエーデン人ジョン・スヴィングハンマーさんです。因みにジョン氏は計盛さんの人生のパートナーなのです。
国境を越えた大坂図屏風だけでなく、国を超え出逢う人と人、人生の不可思議さ、面白さを垣間見せてくれるキャスティングですね。最後に大坂図屏風の画像をもう少しご覧頂きましょう。
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