袖触れ合うも多生の縁196 ~聖徳太子等身像救世観音の頭に五寸釘が打たれた謎!?~

今回も前回に続いて斑鳩の里です。斑鳩の里と言えば法隆寺、法隆寺と言えば夢殿です。
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夢殿と言えば夢殿には太子等身像と言われている救世観音が鎮座ましますが、明治十七年にアメリカの美術研究家フェノロサが日本政府の委託で岡倉天心と一緒に法隆寺の色々な厨子を調査したのです。その折り、夢殿には固く閉じた大きな厨子があり、開けるよう要請した処、法隆寺の坊さんの言うには、この中には推古天皇の時朝鮮より輸入した像があるが、二百年間一度も開けたことがない、もし開ければ神罰があるから絶対アカンと頑固に抵抗したそうな。そやけど政府命令や!と押し通した処、木綿の布でぐるぐる巻きにした物が現れたのです。その木綿を取り除こうとしたけど、中々中味が出きよらん。何と巻いた布は五百ヤード、四百五十メートルもあったとか。それで御出座ましましたのが、太子等身像救世観音なのです!
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この写真は正面のお姿で、光輝いていますが、実はこの光背には大変なことがしでかされているのです。
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左は百済観音で右が太子等身像救世観音ですが、普通光背は百済観音のように支え木で止められるものなのです。釘を打つ、しかも頭に打つというのは明らかに呪詛の行為であり、殺意の表現に他ならないのではないでしょうか。神仏を畏れぬおそるべき行為に思えるのですが・・・。太子が悪霊として祟るのを頑なに何としても阻止せねばならぬという怯えがあるようで、一体何を畏れていたのか!?皇太子の厩戸皇子と、皇子の嫡男で大王となるべき山背大兄王を、両人を皇位に就けず、それどころか上宮王家一族を殲滅した事を畏れたのでしょうか!?画像画像
左は聖徳太子像で、下は太子の皇子、山背大兄王ですが、法隆寺の謎についての著書のある梅原猛さんは、山背大兄王像がぐるぐる巻きにされ、頭に釘を打ち込まれていたのなら納得がいく。何故なら太子は病死だが、山背大兄王は自害に追い込まれ、山背大兄王の血を引く上宮一族は皆殺しにされているから、その恨みを畏れたのでは・・・と書かれています。
しかし私は、太子が側近の秦河勝と稲荷神社や四天王寺など基督の教えを広める為に創建した数々の寺社を、誰か分からないが、誰かが仏教一色に塗り隠した・・・だから誰かさんは太子の霊を極度に畏れたのではないか・・・
ま、歴史学者でもなんでもない私の、太子は原始基督教的神道を信奉していたと考えている私の、邪推に過ぎないかも知れませんが。


・・・とまあ、ゴチャゴチャ訳の分からないことを書いてきましたが、それを離れて、藤の木古墳も見たいし、他も色々と・・・そして法起寺の夕日に見送られ帰路に就きたいと思っております、ハイ。
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ではでは。


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