袖振れ合うも多生の縁352~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅲ)

画像
2018年11月末に出版された佐藤愛子さんの『冥界からの電話』は、現在もひそかなブームになっているようです。この世にとどまっている死者から電話が、又あの世から電話がかかってくるという、このノンフィクションは果たして本当なのか、それともあの世に行けない地縛霊からの電話やあの世に行った霊からの電話と称する嘘をつき続け、その虚構を真実と思う心を病む人間が為す茶番なのか、私なりに考えてみたいと思います。
画像
死んだひふみなる女の子から電話がかかり続けている高林先生の友人で精神科医池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に嘘つき病と言われている精神病であるひふみが、自身と兄の二役を演じているとのことですので、このケースの場合、ひふみはどんな心理であるのかを先ず考えてみましょう。

ひふみは高林先生の講演を聞き、

<感動したので教師になろうかと思っていたが、進路を変更し医師になりたいと決意した>

との手紙を書き送ってたとのことですが、赤字の部分は嘘ではないでしょうか。殆どの生徒がダサイ話・・・と白けて聞こうともしないのに、汗をかきかき懸命に話し続ける高林先生を、ひふみはちょっとカワイイじゃんと思った程度でしょうが、でも思慕の念のファーストステップだったのは間違いなく、日がたつにつれ初めの想いが膨らみ、恋する乙女の虚構を生き始めたのでしょう。そして手紙に苗字を書かず名前だけを書き、そして携帯の番号をさりげなく書き添え、繋がりを持ち続けようとしたと思われます。
画像
医者を志望するひふみを励ますべく高林先生は時々電話し、二人の会話の中で虚構は少しずつふくらんでいくのです。ひふみが電話で先生に話したことを要約すると・・・

<自分にはK大医学部在学中の兄がいて、親は二人も医大にやるのは学資が大変だから、自分は国公立の大学でないとやらせて貰えない。だから頑張って偏差値を上げないといけない・・・と猛勉強を始め、ぐんぐん偏差値がアップし、見事国公立の某医大に合格した>

と彼女は誇らしげに語るのです。

これって、一寸可哀相な私を頑張って超え、ステキな私になったという、よくあるパターンですよね。でも、ひふみか先生か、どちらが言い出したのかわかりませんが合格祝いに食事を・・・ということになるものの、ひふみは待ち合わせにやって来なかったのです。高林先生は、いまどきの若い子にからかわれたのかな・・・と苦笑せざるを得ませんでした。しかしこの後、虚構は爆発的に広がります。

ひふみの兄と名乗る人物から高林先生に電話がかかり、

<妹は先生との待ち合わせの日に交通事故で死亡した>

と青天の霹靂、思いもかけぬ事態が告られ、先生は驚愕するのです!
画像
ひふみは電話でなら、俳優が役を生きるように、医大合格の虚構を事実のように信じ込んで演じ、合格祝いの待ち合わせを約束出来たのでしょうが、電話を切ると逢って嘘をつきとおす程には精神を患っていなかったので、待ち合わせに出かけられなかったのでしょう。しかし、そのままコンタクトを断つには心残りで兄と偽り電話し、事故死した悲劇のヒロインにジャンプしたのでしょう。兄からその後も電話があり、ある夜かかってきた電話の最中、兄は気を失いひふみがとって代わったのです。

ひふみは、
<自分が死んだことは分かっているものの、この世を去り難く親の家に居着いている。そして先生とお話したいけど、兄の声を借りないと電話出来ないので、実家を離れ下宿している兄を家に呼び戻し電話させている>
と、心霊研究をしている高林先生の興味を掻き立てるのです!

しかも、ひふみは地縛霊になっているというのです!

死んだらハイそれまでと思っておられる方も多々いらっしゃるでしょうから、そんな方達には地縛霊なんて眉唾でしょうね。でも、偶然下の写真を見付けましたのでシェアさせて頂きます。
画像
亡くなった浮浪児の地縛霊が写っていたというもので、「ボクを見捨てないで」とキャプションがついていますが、少年の身体と階段が折り重なって写り、これって信憑性大(?)かな?

話を元に戻しますと、筆者は上記のひふみの言(赤字部分)は虚構だと思うのですが、あながち嘘とは言えない状況で、それは兄の電話の声がひふみに代わる直前、

バキーンと大木の倒れるような音が響き、電話を受けている高林先生の部屋の灯りが消えたのです。先生はブレーカーが落ちたのかとチェックしたのですがそうではなく、他の部屋もご近所の灯りも消えていないのです。

部屋の電気は消えたものの、すぐ元通りに点灯し、そして何と、ひふみの声が聞こえてきたのです!

ミュンヒハウゼン症候群の人が電話先の家の灯りを消すなど、超常現象を起こす力があるとは考えられませんから、高林先生も相談にのっている佐藤愛子さんも、この超常現象故にひふみは本当に亡くなり電話してきたと思えてならなかったのです。それだけでなく、兄は先生にひふみの気持ちを語っていたのです。

以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・

好きな人がいる云々は本当だけど、兄に語ったのは虚構ですし、高林先生の名は圭吾で兄の名は圭太郎という一字が同じというのも勿論ウソで、先生と何か因縁づけたい、繋がりを持ちたいという思慕の表れでしょうね。

画像
画像
それから又ある時、高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのです。
10日後にかかってきた電話でひふみは、

先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・

と話し出したのです!驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・東京ばな奈とお茶」と答え、ひふみの家は何処か知らないが、あの子は私が供えたお茶と菓子の香りを感じてくれたんだ・・・と感嘆したとか。

とても甘い、おいしいお茶でしたそれに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生は、ひふみにも兄にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのと、先生の声(読経の声か?)がして・・・というのは本当なのか、幻聴なのか分かりませんが、東京ばな奈が大好きというのはウソっぽいですね。

それから兄に代わり母親が電話してきた事もあり、これは母親ではなくひふみが母親を演じているのでしょう。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったから母親にかけさせたとひふみは言ったのですが、これはひふみが;霊媒師の漫画本を読みかじり、霊媒をすると疲労する事を知ったからなのか、それとも自分が兄を演じた後はかなり疲れると思ったからなのでしょうか。
画像
高林先生はひふみが母親をも霊媒として使うようになったので何とかしなければと決意し、電話のかかるのを待ち続けていました。そして待ち受けた電話がかかったので、精一杯力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く説いたのです。

わかった、わたし、行くわ。

ひふみは先生の熱意に打たれ、地縛霊を止めようと本当に思ったのでしょう。
この後、ひふみからは長らく電話がなく、先生は本当にあの世に旅立った・・・と安堵したのです。
画像
ですが、数ヶ月後電話がかかってきたのです。しかも兄や母親が媒介でなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!そして彼女の語るところによれば、

なんだか先生に呼ばれてるような気がしたので、電話したの

と言うのです。「呼ばれてる気がしたから電話した・・・」と言うのは自分からかけると安っぽく見られると思ってのことでしょうし、兄や母を演じないで自ら電話したのは、自分はあの世のランクが高い処に上がっているから兄や母を媒介としなくてもよい霊力を持っている・・・と考えてのことでしょうか。私がそう思う根拠は、

・・・わたしを導いてくれてるのは、見上げるように大きく、髪を長く背中に垂らして黒い舟のような形の木の靴を履いて、勾玉の首飾りをしているの

と言うひふみの言葉からです。ひふみにそう言われて高林先生は、そのお方は天照る大神ではないのか!? 彼女は霊界よりずっと上の階層である神界にいる!と興奮してしまいます。

先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの途中、電話が唐突に途切れてしまいます。根掘り葉掘り聞かれひふみは戸惑い、神界のことを用意周到に調べてなかったので答えられなくなり電話を切ってしまったのでしょう。
画像
神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていたのですが、数週後電話がかかってきたのです。でもひふみではなく兄からでした。自分からでなく兄を装い電話してきたのは、前回唐突に会話を打ち切ってしまった心のわだかまりなのでしょうか? それは兎も角先生は、

「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」

そう意気込んで言ったものの、良い歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、エクスキューズを口にしたのです。

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だから彼女からの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来ました。兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし先生とお話しするのが楽しかったから・・・楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・

この彼女の述懐は本音ですね。

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、

これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!?

高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大の知人に調べて貰うと、そんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまう有様でした。それやこれやを考えると、高林先生も愛子先生も、ひふみは矢張りミュンヒハウゼン症候群だったのではないか・・・と悔しいけれど、残念だけど、そう思えてしまうのです・・・。

画像

その後、ひふみから電話がかかってくるとはなかったのですが、兄から電話があり、その際高林先生は、キミはK大に在籍していないじゃないか!?と問いつめたのです。すると兄はしれっと中退したんですと・・・そんな態度に些か腹が立ち、退学したことをご両親はご存じなのか!と詰問すると、ぶすっと無断で・・・との返答。親の心子知らずとはこのことだ!と些かならず立腹し、勝手気儘も程々にしなさい!と怒鳴りつけてしまったそうです。それで電話が切れたのですが、ひと月近く経った頃兄から電話があり、今迄と違い真面目に礼儀正しく謝ったとか。

先生のようにあんなに一生懸命怒ってくれる人は、今まで一人もいませんでした。生まれ初めて怒られました。親父からあんなふうに怒られたことはありません・・・

と涙声になり絶句したそうです。この謝罪は嘘でなく、真摯なものでしょう。

尤も兄であるというのは虚構でしょうから、ひふみの本当の心情でしょう。高林先生は今ならまだ復学可能だよとやり直しを勧めたのですが、

ぼくは・・・もう後戻りできません。進むしかないんで・・・このまま進みます。

と涙ながら決意を語ったとか。これも兄の言葉ではないから復学するしないの問題ではなく、高林先生にすべてを明らかにすることなく、このまま進む、先生とさよならする、でも嘘つきは止めます・・・というひふみの告白だと私には思えるのです。これ以後、兄からは勿論ひふみからも連絡は無いそうです。

此処まで結構長くなってきましたが、最後に、私にはこの「冥界からの電話」が、ミュンヒハウゼン症候群という心を些か病んだ女の子の演じた虚構に過ぎないとは思えないのです。然らば何なのかというと、

『高林圭吾よ、審神者(サニワ)たれとの神意に依る虚実皮膜なる疑似体験及びミュンヒハウゼン症候群治癒、癒しへの歩みである』

と推論したいのです。つまり、舟木ひふみちゃんは高林先生がサニワになる為に遣わされ、先生はサニワの道を歩み始め、ひとみは虚言症から癒されるという、すべてのことには意味があるという精神世界のスピリチュアルな事例ではないでしょうか。

え、そんな推測、ワンちゃんも笑ろてるがな。そらどうも、スイマセン。

画像
あ、そうそう、佐藤愛子さんは締めくくりに「チベット死者の書」の一文を書かれています。

死ぬことを学ぶことによって
汝は生きることを学ぶだろう。
死ぬことを学ばなかったものは
生きることを何も学ばずに死ぬことになるだろう。

これって深~い意味がありますよね。現在日本は平均寿命が益々のびているものの、<生きること>のみを想い、<死ぬこと>に想いを馳せていません。ワタシは佐藤愛子さんの「冥界からの電話」を読みブログを書くにあたって、<死>について少しは考えさせられました。ではでは、長々とお疲れ様でした、ハイ。


袖振れ合うも多生の縁351~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?(Ⅱ)

画像
前回に引き続き、佐藤愛子さんの『冥界からの電話』です。著書の帯にありますように、信じるも信じないもあなたの自由です。
さて、前回は死んだひふみという女の子の霊が、高林先生という霊魂の研究者にして医師の説得で、この世に別れをつげあの世に旅立ったところ迄でした。彼女の霊魂は無事あの世に行き着けたのか、ひふみから電話がなく、高林先生は、「やっぱり本当に行ったんですなあ・・・何も言ってきません」と佐藤愛子さんに述懐し、安堵しているけれど一抹の寂しさを隠せないようでした。
しかし数ヶ月後、電話がかかってきたのです。しかもお兄ちゃんを媒介にしてではなく、ダイレクトに自分からかけてきたのです!

そして彼女の語るところによれば、先生に呼ばれてる気がしたので電話したと言うのです。そう言われてみると、ひふみちゃんどうしてるかな・・・と高林先生はぼんやり思っていたような気もするのです。彼女は地上にいる人の気持ちに呼応出来るようになっている・・・と些か感心したのですが、そんなことよりもっと感心した、いえ感嘆した、いえ感動したのは彼女が霊界より上の階層である神界にいるようなのです!

画像
画像
画像
高林先生は夢中になって神界の様子を聞き出そうとしました。そんな先生の矢継ぎ早な問いかけの最中、電話が唐突に途切れてしまいました。根掘り葉掘り聞かれてひふみは戸惑い、交信を打ち切ってしまったのでしょうか。

神界のことをつぶさに知りたくて、高林先生はひふみからの電話を待ち続けていました。数週後かかってたのですがひふみではなく、兄からでした。
「ひふみちゃんからの電話を、ずっと待ち続けてたんだ。」
そう意気込んで言い、いい歳した男が若い女の子からの電話を待ってるなんて、ヘンな風にとられちゃマズイとの思いが横切り、

「いや、私はあの世のことを、霊界や神界のことを知りたいだけなんだ。だからひふみちゃんからの電話を待ってたんだ。私は心霊現象を科学的に研究してるからね。」

その時です。電話の向こうからシクシク泣く声が微かに聞こえて来たのです。
兄の、いえ、ひふみの泣く声が聞こえて来たのです。

「先生、わたしはね、わたしは今まで、先生はわたしと話をするのが楽しいから、それで相手をしてくれているのだと思っていました・・・そんな心霊の研究のためにわたしの相手をしていたなんて・・・ちっとも知りませんでした・・・わたし、先生とお話しするのが楽しかったから・・・生きてた時も、死んでからも、先生とお喋りするのが、大好きだった・・・先生と喋ってると、やっぱり昔生きてた頃のことが思い出されて楽しいの、楽しいからしゃべってるだけ。それだけ・・・」

「あのね、ひふみちゃん、聞いてくれる・・・」高林先生は言葉を続けようとしましたが、ひふみは聞かず、
「これで終わり、もうおしまい・・・。」

哀しげな寂しげな少し怒ったような泪声を最後に、電話は切れてしまいました。
画像

そして数ヶ月・・・ひふみからも兄からも電話はかかってきませんでした。
あれで終わりなのか?あれって一体なんだったのか!? 高林先生の心にふと疑いの気持ちが浮かび、疑惑の黒雲は急速に翼を広げ、本当に死者からの電話だったのかを検証してみたくなったのです。そこで、ひふみが亡くなった交通事故の記事が新聞に載っていないかをつぶさに調べましたが、死者を出した事故なのにどの新聞にも全く記事になっていませんでした。それならと先生は、警察上層部にいる知人に事故の有無を問い糾したのですが、該当する事故はない!との返答でした。それだけでなく兄、舟木圭太郎はK大医学部に在籍しているとのことだったのですが、K大問い合わせるとそんな学生はいないと言う。又、兄からかかってくる電話は番号非通知で教えてくれと頼んでも、その内いつか・・・といつも逃げてしまうのでした。
画像
これはもしや、嘘???と訝った高林先生は、友人で精神科医の池上先生に相談したのです。すると池上先生の見解は、ミュンヒハウゼン症候群、俗に言う<嘘つき病><法螺吹き男爵病>を患う人物の仕業の可能性大だと言うのです!? ミュンヒハウゼン症候群とは、法螺話が面白く法螺吹き男爵として読み物にもなっているミュンヒハウゼン男爵の名をとった心の病いで、自分が吐いた嘘が本当のように思えて、虚構を現実として生きる精神病なのです。
画像
画像
しかも池上先生は、「女一人の仕業だ。ひふみと名乗る女が兄との二役を演じているんだろう。」と推測するのです。

「一切合切嘘、すべて、全部、何から何まで嘘だったというのか!? そんな、そんな、ひふみちゃんがそんなことを!? 私がひふみちゃんの為に東京ばな奈を供えたのをあの子は言い当てたじゃないか! お芝居でそんなこと出来る筈がない!」

高林先生は納得出来ませんでした。佐藤愛子先生と繰り返し何度も話し合いましたが、どうにも真相を推し量ることがでないのです。そんな訳で愛子先生は、『冥界よりの電話』を書き上梓し、広く意見を求めておられるようです。
画像
ほら、著書の装幀は、この写真では分かりにくいですが、渦巻き模様になっていて、疑惑が渦を巻いていることを表そうとしているのです。ですから、次回は私なりにこの騒動を分析してみたいと思う次第であります。ではでは。

袖振れ合うも多生の縁350~ノンフィクション「冥界からの電話」、死者から電話ってほんと!?

画像
画像
「これで最後。書かずにいられなかった」と仰る95歳の現役作家佐藤愛子さんの『冥界からの電話』(新潮社)を一気飲み、いえ超スピードで読破してしました! スピリチュアル人間のワタシには興味津々、但し4章迄で、最後の5章はどんでん返しというか、えーってな感じではぐらかされたというか、うーむ、そうか・・・総て記述は事実、内容にはいささかの虚構も誇張もありませんと筆者が冒頭に書かれているのですから、この終末もしゃあないわなぁと思った次第であります。こんなことをいきなり書いても、このブログを今読んでる方には何のこっちゃようわかりませんわな。そやからぼちぼち分かるように書き進めて参ります。この本は佐藤愛子さんが友人の高林医師(仮名)からお聞きになった、死んだ人から電話がかかってくるという摩訶不思議な体験談です。


処で、佐藤愛子さんは40数年前にアイヌの人々の霊地ともいうべき大事な北海道浦河町の大地を切り崩し山荘を建てた為、その山荘で数々の超常現象に悩まされた経験があり、それ迄は神も仏もあるもんかと思っておられたそうですが、人知の及ばぬ霊的な神仏の世界に目を開かされたとか。
画像
画像
『冥界からの電話』の主人公高林医師は、心霊現象に関する科学的研究を目的に設立された日本心霊科学協会の会員で、心霊現象に造詣深く、心霊を盲目的に信じるのではなく科学的に研究しておられたので、山荘の超常現象に苦しんでいた愛子先生の相談に乗り、長年にわたり支えて下さったのです。ですから愛子先生は、死者からの電話という話を打ち明けられた時、それを信じて相談相手となり、その顛末を綿密に書き綴り、『冥界からの電話』を上梓されたのです。

さて、ことの発端は高林先生が教育委員会に頼まれ高校生達に、自分が医師を志した動機について講演から始まります。
画像
画像
唐突に、宮沢賢治さんの写真と賢治の詩「この夜半おどろきさめ」が出てきましたが、高林医師は17才の時、この詩に出逢い感動して医者になろうとしたのです。


この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
ああまたあの児が咳しては泣き
また咳しては泣いて居ります
その母のしづかに教えなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます

あの室(へや)は寒い筈でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくぐり
昭和三年の十二月
私があおの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私のこの日照る広いじぶんらの室を与へ
自分らはその暗い
私の四月病んだ室へ入って行ったのです

そしてその二月
あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡そ(およそ)倒れたり落ちたり
そんなことで泣きませんでした

私が去年から病やうやく癒え(いえ)
朝顔作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾(つぼみ)ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたたび東京で病み
向ふで骨になろうと覚悟してゐましたが
こたびも父母の情け(なさけ)に帰って来れば
この子は門に立って笑って迎へ
また階子(はしご)から
お久しぶりでごあんすと
声をたえだえ叫びました

ああいま熱とあへぎのために
心をととのへるすべをしらず
それでもいつかの晩は
わがないもやと云って
ねむってゐましたが
今度はただただ咳き泣くばかりでございます

ああ大梵天王
こよひはしたなくもこころみだれて
あなたに訴え参ります
あの子は三つでございますが
直立して合掌し
法華の首題も唱えました
如何なる前世の非にもあれ
ただかの病かの痛苦をば
私にうつし賜わらんこと

(法華の首題とは「南無妙法蓮華経」のこと)

画像
         梵天(ぼんてん)は仏教の守護神である一柱


高林先生は、聴衆の高校生と同じ年頃、この詩に強く心を動かされたことを熱っぽく語ったのですが、今時の高校生はしらーっとしていて講演は大失敗だった・・・と失意の内に講演後の日々を過ごしていたのですが、一通の手紙が届いたのです! 高林医師の話を聞いて感動し、国語の教師になろうと思っていたが、進路を変え医師を目指すことにしたという内容でした。

そしてこれをきっかけに、ひふみという名の少女と高林医師はときおり電話で話すようになるのです。ひふみは猛勉強の甲斐あって、医学部に合格し、入学祝いの為に二人は初めて会うことになるのですが、当日高林医師がいくら待っても待ち合わせの場所に彼女は現れず、後日兄と名乗る人物から電話があり、彼女が交通事故で亡くなったと知らされます。

ひふみの兄からその後も電話がかかり、「私はK大医学部に在籍中で下宿していて、殆ど実家に帰っていなかったのですが、今はどういうわけか家に帰りたくなり、帰宅すると何故か先生に電話してしまうのです・・・」と兄はひふみの死後の心境変化を訝っていました。そして三度目の電話の最中、突然バチッと木の裂けるような鋭い音がし部屋の照明が消え、兄の声が途絶えたかと思うと、「先生・・・ひふみです・・・」と耳に馴染んでいたあの声が、ひふみの声が聞こえて来たのです! その後も度々兄から電話があると必ず、兄に憑依したようにひふみが喋り出すのです。」
画像
ある時高林先生はひふみの供養のため頂き物の新茶を淹れ、これ又到来物の東京ばな奈を供えたのですが、10日後にかかってきた電話でひふみは、「先生の声がして、なんだかあまーい香りがして・・・」と話し出したのです!

驚いた先生は、「届いたんだねぇ・・・お茶とお菓子」と答えた儘、暫く何も言えなかったそうです。

「とても甘い、おいしいお茶でした。それに東京ばな奈はわたし、大好きなの。ほんと、ご馳走さまでした」

高林先生はひふみには勿論、ひふみの兄にも誰にも東京ばな奈とお茶を供えたことを喋っていないのに、ひふみには甘い香りが届いていたのです!

「何なんでしょうな、これは・・・ こんなことってあるんですかねぇ!? 兄の声に取って代わるのは他の誰でもない。あの物の言い方はひふみちゃんが生きてる時と全く同じです。」高林先生は、何度も何度も愛子先生にそう言い続けるのでした。


ここで、兄とひふみからの電話で分かったことを纏めますと・・・

〇ひふみは自分が死んでいるのを自覚していること。

〇ひふみは両親の家にいて兄を呼び寄せ、兄の身体を借りないと先生に電話出来ないこと。

〇希望した大学に合格出来、医学の道に歩み出そうという矢先、前途が突然断たれた無念さにひふみが凝り固まっている気配はないこと。

画像
そうであるなら、ひふみのこの世への執着は高林先生への思慕が原因・・・と愛子先生は考えずにいられませんでした。高林先生は、「それ程の執着に捕らわれるような関係ではない。僕はむこうの顔も知らないし、向こうだって夜更けまでの受験勉強の気晴らし程度の気持ちで電話をかけていたのだろうから。そんな執着されるようなことは何もしていないですよ。」と力説されるのです。しかし佐藤先生には、兄が言った言葉、「以前ひふみがこんなことを言ったことがあるんです。お兄ちゃん、わたし好きな人がいるの。だけど付き合うことの出来ない人。年がごく離れているの。名前がお兄ちゃんと一字だけ同じなのよ・・・」が大きな意味を持つように思えるのです。高林先生の名は圭吾、兄の名は圭太郎で、単なる偶然でも恋する乙女にとっては何かの因縁のように思えてしまう筈。だから深い恋愛感情ではなかったとしても、高林先生はひふみが初めて思慕した異性で、ひふみの霊がこの世に留まり続け地縛霊であり続けては、高林先生の身にどんなことが起こるかも知れないし、それではひふみの魂も浮かばれないから、彼女の霊魂をあの世に送ってやらば・・・そうするのは高林先生の役目、高林先生は審神者(サニワ)になるべきだと愛子先生は思うのです。

画像
        審神者(サニワ)の元祖武内宿禰(たけうちのすくね)

審神者(サニワ)とは、神功皇后の新羅遠征の時、皇后に降りた神のお告げの真偽をただした武内宿禰が始まりとされていて、本来は神のお告げを承る人でしたが、いつの頃からか浮遊霊や地縛霊などを説得し霊界に送る役目をするようになっているのです。高林先生の父親も神仏習合である御岳教の主宰者で、審神者の役目もなさっており、息子にも審神者たれとと促していたのですが、高林先生は医師という仕事への拘りからか尻込みしていたのです。
画像
               御岳教大和本宮


それからもひふみから数回電話があり、高林先生はそれなりに楽しく彼女とお喋りをしてしまっていたのですが、兄に代わって母親が電話してきたのです。兄は電話を終えると100メートル全力疾走したような疲労感に苛まれ、ひふみの電話して欲しいとの念にも易々とは応え難くなったからなのです。それを知った高林先生は、心霊を勉強した者としては何とかしなければ・・・と精一杯意志の力を奮い起こし、お兄ちゃんやお母さんのエルギーを奪ってはいけないこと、このまま続けると二人とも病気になってしまうこと、ひふみちゃんは霊界へ上がって修行を積んで、両親やお兄ちゃんを助ける立派な霊になってほしいこと等々を切々と熱く激しく説いたのです。

「わかった、わたし、行くわ。」

かくして、ひふみの霊魂は霊界へと旅立っていったのです。
画像
『冥界からの電話』は、これにて一件落着ですかいな?

いやいや、まだ続くんですが長うなりましたから、お後は次回ということで。

ではでは。

袖振れ合うも多生の縁349~68年前の9月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれ占領は終わった筈なのに・・・!~

フィガロ紙の平和条約.jpg
この平和条約の写真は仏・フィガロ紙のものですが、上部に書かれているキャプションが凄いですよね。でも、今から68年前の9月8日、私は9才でしたから殆ど覚えていないものの、独立を勝ち取れなかったなんて認識は全くなく、日本に真の平和が訪れたという、希望の光が満ち溢れるような明るい世相だったのではないでしょうか。下は1951年9月8日講和条約調印の報道と翌52年4月28日同条約発効の報道記事ですが、「主権は完全回復」「晴れて独立を迎う」との見出しが躍っているようです。
講和条約調印の報道1.jpg
講和条約発効の報道1.jpg
でもしかし、講和条約の条文をよく読んでみると、日本は独立国ではなく、アメリカの属国になっているのです。え、ほんまかいな???
因みにサンフランシスコ講和条約の第1条(a)項は・・・

第一条(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

しかし第6条(a)項は・・・

第六条(a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

90日以内に撤退せなアカンと一応決めてるけど、国同士お互いがえゝ言うのやったらかまへんと但し書きれてますわな。「この条項を入れな、占領は終わらへんぞ!」て脅されたら、当時の日本はゼッタイ反対出来へんですよね。そやからアメリカさんの意向で、日本全土北から南まで、何処にでもアメリカ軍が駐屯OKやなんて、こらアメリカが日本を属国にすることやんか。それが今でも続いてるっちゅう訳ですね。なんでこんな屈辱的な講和条約を結ばなアカンかったかは、「株式会社化する日本」での内田樹さんの言によりますと、歴史的に見てもここまで負けた
国はないくらいの酷い敗戦だったからだとか。

1942年のミッドウェー海戦で敗れた時点でか、遅くとも43年に絶対国防圏が敗れた時点で講和していれば、310万人の戦死者を出さずに済んだし、東京や大阪の大空襲も原爆投下もなかった。早めに講和していれば、日本人が自分たちの力で戦争責任を追及することも出来たし、自力で改憲し政治形態を刷新することもできた。

と、内田樹さんは同書で仰っています。ふむふむ、ほな、第2次大戦時に連合国と戦った枢軸国、ドイツやイタリアはどうだったのか?
ワルキューレ作戦2.jpg
ご覧の写真は映画「ワルキューレ作戦」の1コマですが、ヴァルキューレ作戦とは国内予備軍の結集と動員に関する命令で、このヴァルキューレ作戦をヒトラー暗殺及びその後のクーデターに利用できると踏んだ反ヒトラー派は、ナチ党の政策への反対や連合国との和平を目的として1944年7月20日にドイツ総統アドルフ・ヒトラー暗殺とナチ党政権に対するクーデターを起こしたが、何れも未遂に終わったのです。
7月20日事件1.jpg
7月20日事件.jpg
7月20日事件2.jpg
上の3葉の写真は何れも7月20日事件の実写で、日本と異なりドイツではこのようにナチスと戦っていた人々が相当数国内にいたのです。又、ドイツの半分である東ドイツは、戦勝国として敗戦を迎えたので、東ドイツにはナチスの戦争犯罪を告発する権利を有していても、謝罪したり責任を負う必要が無く、この2点が日本と同じ無条件降伏でありながら、大いに違っていたのです。
それからイタリアですが、イタリアも実は敗戦国ではないのです。え、そんな、嘘やろ!? とお思いでしょうが、そうなんですよ。

1943年春、北アフリカ戦線でのイタリア軍敗北が明らかとなり、ファシズム体制に対する批判が国内で高まり始めたので、イタリアの独裁者である首相ベニート・ムッソリーニ(写真下の下)は、ファシスト体制より国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(写真下)に忠誠であると思われる人物をイタリア政府内から何人か取り除いた。この決定の後、エマヌエーレ3世はムッソリーニの排除と講和に向けた対抗手段を検討し、紆余曲折あって1943年9月8日にイタリア王国は連合国との休戦協定締結を発表、枢軸国から離脱し降伏に至ったのです。
エマヌエーレ3世1.jpg
ムッソリーニ.jpg
日本の昭和天皇がもしこの国王のような動きをなされていたら・・・歴史にIFはないと言いますが、そう思わずにはいられません。昭和天皇はなさろうとされたのだが、呼応する臣下がいなかったのでしょうか。内田先生の言われるように、42年か43年に降伏していれば、原爆を落とされることもなかったし、戦後昭和天皇は「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中である事ですから、広島市民に対しては気の毒であるが、や無負えない事と私は思っています」なんて、被爆者にこれ以上ない極めてむごいお言葉を発せられることもなかったでしょうに。因みに私が思うに、原爆投下によりアメリカはソ連より軍事的に優位であると見せつけたから、ソ連による国土(北海道)侵攻がなかったし、戦後日本が共産主義化せず国体(天皇制)を護持できたのだから、原爆投下は致し方ない・・・というのが昭和天皇のお思いなのでありましょう。それはさておき、イタリアは形式的には戦勝国として終戦を迎えることが出来たのです。それから枢軸国ではありませんが、フランスが戦勝国になれたのは、シャルル・ド・ゴール個人のお陰なのです
ド・ゴールがロンドンに亡命政府をつくった時、殆ど実態はなく、第3共和制の正当な政体はアンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン元帥(写真下。寿限無みたいに長~い名前やなぁ)のヴィシー政府で、ヴィシー政府は独仏休戦協定を締結し、ド・ゴールに欠席裁判で死刑判決を下しています。しかし、ド・ゴール(写真下の下)の亡命政府や海外領土に残った軍隊、それに国内の様々なレジスタンスなど、飽くなき戦いを続けた結果、戦勝国として戦後の国際社会に登場できたのです。
フィリップ・ペタン元帥.jpg
ドゴール1.jpg

日本も、4選の噂チラホラのアベソーリのもと、アメリカ従属国家としてアメリカのお先棒を担いで、国連決議を経ず有志連合とか称してホルムズ海峡とかどこかに出兵し、第3次世界大戦に巻き込まれるような、この道はいつか来た道を進軍する時、国内に抵抗勢力のあらんことを、私は唯々祈るばかりです。嗚呼!祈り2.jpg祈り1.jpg