袖振れ合うも多生の縁366~ハピバースデー、サーロー節子さん。そして夫君のジム・サーローさんは、私の心に残る先生です。~

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昨年最後のブログに除夜の鐘を取り上げ、小谷一夫さんの『おんおんと 被爆地渡る 除夜の鐘』と言う句を特筆させて頂きましたのは、昨秋サーロー節子さん(写真上)の著書『光に向かって這っていけ ~核なき世界を追い求めて~』を読んでいたからです。
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サーロー節子(Setsuko Thurlow)さんは、1932年1月3日 広島県広島市生まれの被爆者で、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN アイキャン)を中心に反核運動に没頭されているのです。そして、そのICANが2017年のノーベル平和賞を受賞したのです!
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       ノーベル平和賞を授与され、笑顔のサーローさん。
       右はICAN事務局長のベアトリス・フィンさん。

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ICANは核兵器を禁止し廃絶するために活動する世界のNGO連合体で、スイスのジュネーブに国際事務局があり、2017年10月現在、101カ国から468団体が参加していて、その活動が大きく評価され、2017年のノーベル平和賞を受賞し、授賞式がノルウェーのオスロ市庁舎であり、メダルと証書が贈られました。ICANのベアトリス・フィン事務局長とカナダ在住のサーロー節子さんが登壇し、核廃絶の実現を「あきらめるな」と、各国に改めて協力を呼びかけたのです。

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節子さんは13歳の時、被爆し瓦礫の中に閉じ込められました。暗闇の中で、「あきらめるな。遠くに光が見えているだろう。瓦礫を押し続けろ。光に向かってはって行きなさい」と同じく閉じこめられた軍人さんが声をかけてくれたので、遠くかすかに見えている光をめざし、諦めることなく這い続け倒れた建物の下からはい出ることが出来、一命を取り留めたのです。
(この忘れる事の出来ない体験を、著書の題名にされているのです)

このようにして節子さんは命拾いされましたが、しかし節子さんの4歳だった甥御さんは、無残にも誰なのか判別できない、溶けた肉の塊に変わってしまったそうです。
「毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を危機にさらしている。この異常さをこれ以上、許してはならない!」
「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪だ!」
「私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい!」
と呼びかけ、広島と長崎に落とされた原爆を正義の戦争を終わらせたよい爆弾だったと信じる人々や核軍備の開発競争をしている国々を強く非難し、講演の最後に、被爆直後に聞いた「あきらめるな」という言葉を何度も何度も繰り返し、世界の人々に行動を求めたのです。
そんな節子さんの必死の願いは多くの国の多くの人々の琴線に触れ、心を、魂を揺さぶりましたが、哀しいかな日本国政府だけでなく、日本の保守政治家たちを動かすことが出来ませんでした。この哀しい有様については、又いつか触れたいと思います。
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さて、『光に向かって這っていけ』を手にし、著者がサーローという苗字であるのを知り、もしやこの著者のハズバントは、私が袖振れ合ったあの方では・・・と思ったのです。あの方とはサーロー節子さんの夫君ジム・サーローさんのことなのですが、同著を読み進めると、節子さんの夫君であるジムさんは、カナダの宣教師で教団から日本の関西学院大学に派遣されたことが書かれていました。やはりそうなんだ! 60年ほど前のことですが、私は関西学院大学生で、1回生の頃、ジム・サーロー先生さんに教えを受けていたのです。サーロー先生はチャペルの講話や英会話の授業を担当なさっておられました。大学事務局からのアンケートで、心に残った授業はとの項目があり、私はサーロー講師と書いたのですが、私だけでなく何人かの友人も、サーロー講師と書いたと言っていたのを、今でも覚えています。多分、チャペルでの講話が私たち学生の心をとらえたのでしょう。残念ながらどんな話をされたのかは忘れてしまっているのですが・・・。
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突然、洋服に下駄て何やねん!?と思われるでしょうが、サーロー先生は日本の不思議のひとつとして、洋服を着ているのにクロップクロップ下駄(下駄でカラコロ)がわからない・・・と仰っていました。確かに私も学生の頃、シャツを着てスボン(今はパンツと言うのですね)を履き、下駄を突っかけて電車に乗り通学していました。こんな些細なことを覚えているのに、チャペルの講話を忘れるなんて・・・でも、私にはサーロー先生との触れ合いで、忘れられないと言うか、ゴメンナサイ、スミマセン・・・と未だに忘れかねていることがあるのです。それは、先生の英会話の授業に余り出席しなかったのです。前期は皆勤でしたが、夏休み前(当事は7・8月が夏期休暇)に芝居の世界にのめり込み、芸術学部のある大学に転入しようかと思う程で、経済学部の勉強をしなければならない時間がもったいないと焦っていました。ですから後期になってからはずっと欠席続きで、試験を受けるに必要な出席回数を得る為、期末の頃出席したら、先生にこう言われたのです。
「ミスターオハラ、ユー、シケンOKデモ、アブセント、アブセント、ダカラ点、アゲラレナイ」
「アイムソリー ストマックエイク ソウ アブセント」
私は思わず、そう答えてしまったのです。すると先生は、「アイシー」とつぶやき、出席簿の私の欠席印を全部消して下さったのです。ストマックエイク、胃痛は嘘ではなく、ある夜親父の晩酌につきあい小さなお猪口で4、5杯、日本酒を飲んだだけなのに血を少し吐いたのです。軽い胃潰瘍でした。
でも、欠席続きの本当の理由ではないのです。それを先生は信じて下さった・・・申し訳ないとの思いは今もずっと続いていますが、先生は2011年にお亡くなりになってしまったそうで、嗚呼、いかんともしがたし・・・です。
ですから、唯々、先生のご冥福をお祈りするばかりです。合掌。

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